映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「国家が破産する日」

「国家が破産する日」
シネマート新宿にて。2019年11月19日(火)午後6時50分より鑑賞(スクリーン1/E-11)。

~韓国の通貨危機をめぐるスリリングな社会派エンターティメント

社会的な問題をエンターティメントで見せるというのは、もはや韓国のお家芸の感がある。最近では、「タクシー運転手 約束は海を越えて」「1987、ある闘いの真実」「工作 黒金星と呼ばれた男」などが、そうしたタイプの映画だった。

そして今回、社会派でありながらエンタメでもある映画がまた新たに誕生した。「国家が破産する日」(DEFAULT)(2018年 韓国)である。1997年の韓国の通貨危機の内幕を、史実をもとにしながら大胆なフィクションを組み合わせて描いた実録経済サスペンスだ。

舞台となるのは1997年の韓国。右肩上がりの経済成長が続き、OECDに加盟するなど韓国にとってはバラ色の日々に思えた。ところが、韓国銀行の通貨政策チーム長ハン・シヒョン(キム・ヘス)は、いち早く通貨危機が迫っていることを予測する。その報告が政府に届くものの、政府の反応は鈍い。ハンは「このことを国民に知らせて被害を最小限に抑えるべきだ」と主張するのだが、政府はそれを無視して国民に知らせることなく、非公開の対策チームを立ち上げる。

こうして正義を貫こうとするハンVS隠蔽に走る政府という対立の構図が、本作のドラマの大きな柱になる。だが、それ以外にも2つの柱になるエピソードがある。その1つは若き金融コンサルタントのユン(ユ・アイン)の一世一代の大勝負である。彼もまたふとしたことから独自に危機を察知し、勤務先の金融会社を辞めて独立し、投資家を集めて大儲けを企む。

そして3つめの柱は町工場の経営者ガプス(ホ・ジュノ)のエピソードだ。彼は「危機などない」という政府の発表を鵜呑みにして、好景気が続くと信じ、大手百貨店からの大量発注を手形決済という条件で受けてしまう。いわば当時の典型的な庶民である。

本作はサスペンスとして一級品のドラマである。ハンと政府の攻防のドラマ、ユンの一攫千金物語、ガプスの転落のドラマがいずれもスリリングに描かれる。そこで効果的なのが、国家破産まで残された時間はわずか7日間しかないという設定だ。そのタイムリミットによって、ドラマにますます切迫感が生まれる。

三者三様の人間模様もきっちりと描かれる。理不尽な政府に翻弄され苦悩するハン、成り上がりの野望の階段を上りつつどこか虚しさも感じるユン、善良さゆえにすべてを失っていくガプス。彼らの思いがリアルに描き込まれている。

中盤以降のドラマの焦点はIMF国際通貨基金)の支援に移る。もしも支援を受ければ、韓国の庶民に苦難の道を強いることになる。ハンはそれにあくまでも反対する。だが、庶民など眼中になく、大企業の生き残りと自分の保身しか考えていない政府の実力者は、無条件にIMFとの合意を押し通そうとする。

韓国政府とIMFとの息詰まるような交渉のプロセスが描かれる。裏でアメリカの意向を反映するなど、設立目的に反するIMFの実態にも斬り込む。それに対してハンは徹底抗戦する。もしもこれが完全なフィクションなら、彼女はこの戦いに勝利し韓国を救ったヒロインになるだろう。だが、本作にそんなカタルシスは存在しない。

終盤、ハンは捨て身である行動に出る。これでいよいよ形勢逆転か!? いやいや、そんなことにはならない。何しろこれは史実をふまえたドラマなのだ。結局、韓国はIMFの支援を受け入れ、それによって豊かなものがますます豊かになり、貧しいものがますます貧しくなったことが告げられる。

本作で描かれたことは、いわば、現在の韓国における格差社会への道筋をつくった出来事ともいえる。だからこそ、チェ・グクヒ監督はじめ作り手は、この映画を世に送り出そうとしたのだろう。単なる過去の出来事ではなく、今の社会にそのままつながるドラマとして。

それを端的に表すのが、最後に登場する20年後の韓国だ。そこで時代は繰り返すこと、いつまた同じようなことが起きるかもしれないことを示し、今の時代とのリンクを確認する。同時に、それでもあきらめないハンの不屈の姿を見せて、微かな希望も提示するのである。

ハン役のキム・ヘスの力強い演技に加え、ユン役のユ・アイン、ガプス役のホ・ジュノのそれぞれの個性を発揮した演技も見事だ。さらに、悪役たちの憎たらしさも、いかにもエンタメ性を持つ映画らしいところ。

そんな中、驚きのキャスティングがIMF専務理事役のヴァンサン・カッセルだ。言わずと知れたフランスの人気俳優。韓国映画初出演とのことだが、圧倒的な存在感で世界を動かす男を演じていた。

それにしても日本でこういう映画ができるだろうか。経済ドラマそのものが少ないし、何よりも政府の行動を批判的に取り上げるようなドラマがタブー視される現状では、難しいのではないかと思ってしまう。日本政府の暴走を描いて大きな話題を集めた「新聞記者」は、まさに社会派+エンタメ映画だったわけだが、それに続く映画は出ないものだろうか。

 

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 ◆「国家が破産する日」(DEFAULT)
(2018年 韓国)(上映時間1時間54分)
監督:チェ・グクヒ
出演:キム・ヘス、ユ・アイン、ホ・ジュノ、チョ・ウジンヴァンサン・カッセル、キム・ホンファ、オム・ヒョソプ、ソン・ヨンチャン、クォン・ヘヒョ、チョ・ハンチョル、リュ・ドックァン、パク・チンジュ、チャン・ソンボム、チョン・ベス、トン・ハ、キム・ミンサン、チョン・ギュス、ハン・ジミン
*シネマート新宿ほかにて公開中
ホームページ http://kokka-hasan.com/

「わたしは光をにぎっている」

「わたしは光をにぎっている」
新宿武蔵野館にて。2019年11月16日(土)午後12時35分より鑑賞(スクリーン1/A-9)。

~下町の銭湯を舞台に成長する女性を繊細に瑞々しく描く

少し前に銭湯を舞台にした「メランコリック」という映画を取り上げた。銭湯といえば、ホッコリ感満載の場所だが、それが恐ろしい殺人の舞台になるという意表を突いた設定のドラマだった。

同じく銭湯を舞台にしたドラマが「わたしは光をにぎっている」(2019年 日本)だ。とはいえ、こちらの銭湯は殺人などとは無縁。いかにも銭湯らしく温かな空気に包まれた場所だ。そこで展開されるのは20歳の女性の成長物語である。

ちなみに「わたしは光をにぎっている」というタイトルは、明治·大正期の詩人、山村暮鳥の詩から取ったもの。本作の中川龍太郎監督自身、詩人としても活動しているとのことだ。

主人公は両親を早くに亡くした20歳の澪(松本穂香)。長野の湖畔で民宿を切り盛りする祖母・久仁子(樫山文枝)と暮らしていた。だが、久仁子の入院によって民宿を閉じることになる。澪は亡き父の古い友人で、東京で1人で銭湯「伸光湯」を営む京介(光石研)の元に身を寄せることになる。

澪は極端に口数が少なく、自己主張もしない。表情もあまり変わらない。だから、最初は何を考えているのかよくわからない。それがもどかしく感じられて仕方ないのだが、それでも観ているうちに少しずつ彼女の思いが伝わってくる。その繊細かつ瑞々しい心理描写がこの映画の大きな魅力だ。

澪はスーパーでバイトを始めるものの、人付き合いが苦手ですぐに辞めてしまう。そんな時、故郷の祖母から「できそうなことから一つずつ」というアドバイスを受けて、伸光湯を手伝い始める。これが彼女の変化のきっかけとなる。

この時の澪と京介の関係性がとても良い。澪は突然、銭湯の掃除を始める。するとそれを見た京介はブラシを取り上げ、何も言わずに正しい掃除の仕方を示す。また、その後、ミカン湯をめぐってアレルギーを持つ子の母親が猛抗議をした時も、京介は澪を怒るのではなく「こういう時は事前に告知をするんだ」と静かに教える。不愛想だが、何かと澪を気にかけるのだ。

そんな京介の態度も含めて、伸光湯には温かな空気が流れている。まあ、銭湯だから温かいのは当然なのだが、それにしても実に心地よい空気感である。観ているこちらも自然にホッコリとしてくる。

澪の成長を促す要素は他にもある。銭湯に出入りする人々だ。特に古い映画館に住み込み、商店街の人々にカメラを向けて、ドキュメンタリー映画を作ろうとしている銀次(渡辺大知)、その友人で澪とは対照的な性格の美琴(徳永えり)らは、今まで全く知らなかった世界を彼女に見せてくれる。

こうして、澪は自分の居場所を少しずつ見つける。そんな澪に、中川監督は優しく寄り添う。おかげで、大げさな感情表現や詳細なセリフはなくても、彼女の変化が少しずつ伝わってくるのである。

まもなく澪に試練が襲いかかる。この映画では随所に、伸光湯周辺の下町の商店街やそこに集う人々が映し出される。それもまた温かで心地よい風景なのだが、時代の波がそれを押しつぶす。街に再開発の波が押し寄せ、銭湯も閉店を余儀なくされるのだ。

京介をはじめ地元の人々はそれに抗うことができない。粛々と受け入れるしかない。そんな地元の人々を映し出した終盤の映像が出色だ。そこには切なさと喪失感が漂う。そして、さらに澪にとってもう一つの衝撃的な出来事が起きる。

最後に登場するのは1年後のエピソードだ。そこで映し出される澪の姿。彼女が小さな一歩を踏み出したことを印象付ける。それまでのタッチとは違い、力強さにあふれたラストシーンである。彼女は静かに、そして確実に変わったのだ。

中川監督の過去作の「走れ、絶望に追いつかれない速さで」「四月の永い夢」などはかなり評価を得ていたようだが、残念ながら今までは一度も作品を観る機会がなかった。だが、本作を観てその才能を充分に感じることができた。登場人物の心理描写に加え、街の風景や澪の故郷の美しい自然などの切り取り方が素晴らしい。詩人でもある中川監督らしく、どことなく詩的な雰囲気が感じられる映像だ。

役者陣も好演。特に澪を演じた松本穂香は、「おいしい家族」での演技が印象深いが、今回も難しい役をきちんと演じていた。まだまだ伸びしろがありそうで、今後も楽しみだ。京介役の光石研は言わずもがなの存在感。どの出演作でもそうなのだが、彼なしにこのドラマは成立しなかったのではないか。

小さな世界を描いた地味な作品だが、それでもその味わいは格別だ。いかにも日本映画らしい魅力にあふれた映画である。

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◆「わたしは光をにぎっている」
(2019年 日本)(上映時間1時間36分)
監督・脚本:中川龍太郎
出演:松本穂香渡辺大知、徳永えり吉村界人忍成修吾光石研樫山文枝
新宿武蔵野館ほかにて公開中
ホームページ http://phantom-film.com/watashi_hikari/

「ひとよ」

「ひとよ」
ユナイテッド・シネマとしまえんにて。2019年11月14日(木)午前11時30分より鑑賞(スクリーン7/D-7)。

~殺人犯の母の帰還に心乱れる3人の子供たち

前回のブログにも書いたが、母が入院して一時はかなり深刻な状態になったため、東京国際映画祭は会期途中で離脱。しばらくの間は映画館にも行けなかった。現在もけっして安心できる状態ではないのだが、ほぼ小康状態を保っていることもあって、昨日、久々に映画館に足を運んだのである。

鑑賞したのは「ひとよ」(2019年 日本)(上映時間2時間2分)である。「凶悪」「孤狼の血」「止められるか、俺たちを」「凪待ち」など、ハイペースで新作を送り出し続ける白石和彌監督。その白石監督が、女優で劇作家、演出家の桑原裕子が主宰する「劇団KAKUTA」が2011年に初演した舞台を映画化した。

設定はかなり極端だ。ドラマの発端は15年前。タクシー会社を営む稲村家の母・こはる(田中裕子)が、夫をタクシーでひき殺す。夫は家庭内で激しい暴力を繰り返しており、3人の子どもたちをその暴力から守ろうとしての犯行だった。警察に出頭する前に、こはるは「15年経ったら帰ってくる」と言い残す。そして、それから15年後、出所したこはるが姿を現わす。

この設定を聞いて、「正義とは何か?」「罪とは何か?」などを問う重厚なドラマを想像したのだが、実際はだいぶ違っていた。何しろ、突然帰ってきたこはるだが、彼女には罪の意識などない。自分の犯行は子供たちのためだと信じ、事件直後には「誇らしい」とまで言い切っている。それは15年後も変わらない。もちろん心の揺れもあるだろうが、少なくとも表面的には堂々としたままだ。

それに対して右往左往するのは3人の子供たちである。長男の大樹(鈴木亮平)は地元の電気店の婿養子となったものの、妻から離婚届を突きつけられていた。小説家を夢見ていた次男・雄二(佐藤健)は風俗雑誌に原稿を書くうだつの上がらないフリーライターとして働いていた。長女・園子(松岡茉優)は美容師の夢を諦めて、地元のスナックで働き酒びたりの日々を送っていた。

つまり、3人それぞれが事件によって運命を狂わされ、心に深い傷を抱えていたのだ。そんな3人の前にその元凶となったこはるが帰ってきたことで、心は大きく揺れ始める。

彼らの母に対する思いは三者三様だ。大樹は基本的には母を温かく迎えるが、ままならない家族関係もあって時には違った態度も示す。雄二は自分たちの運命を狂わせた母を恨み、露骨に冷たい言葉を浴びせる。園子は自分たちを守ってくれたと感謝し、母を全肯定する。

シンプルさとは無縁のドラマだ。子供たちの心情は複雑で混沌としている。その心情を、過去の出来事などを挟みながら白石監督が力強く描き出す。そこがこの映画の最大の見どころだ。それを通して、家族という厄介な存在があぶりだされてくる。どうしようもなく面倒だけれど、それでもなかなか離れられない。そんな家族の姿である。

このドラマの主な舞台となるのは、親族が受け継いだタクシー会社だが、そこに出入りする人々の人間模様も面白い。認知症の家族に悩まされる女性事務員、元ヤクザで息子と離れて暮らす新入り運転手などのドラマが、稲村家の家族のドラマと絡み合い、家族の様々な態様を示す。

中盤以降、タクシー会社に対するいやがらせが再燃し、さらに雄二のある秘密が発覚したことで、3人の子供たちの感情が爆発する。

そして、終盤は意外な展開に突入する。カーチェイスやドロップキックまで飛び出す破天荒さだ。ただし、タイトルの「ひとよ」に絡めたところが秀逸。一夜にしてすべてが壊れた家族が、この一夜をきっかけに再生へと向かう姿を印象付け、家族の不可思議さを改めて提示する。

というわけで、ラストシーンはステレオタイプな再生ではないものの、一つの区切りと再出発を強く印象付けて、このユニークな家族ドラマを締めくくる。そこはかとない希望が感じられるエンディングである。

役者たちの演技も特筆ものだ。3人の子供たちを演じた佐藤健鈴木亮平松岡茉優は、それぞれに説得力のある演技だし、母を演じた田中裕子の存在感も際立つ。さらに、彼らの周囲の人々を演じた音尾琢真筒井真理子浅利陽介韓英恵MEGUMI佐々木蔵之介らの演技も文句なしに素晴らしい。これだけの役者を集めれば、充実した映画になるのは当然かもしれない。

けっして安易な感情移入を許すドラマではない。複雑かつ混沌とした家族の心根ゆえに、スッキリと得心できるドラマでもない。それでも観る価値は十分にあるだろう。設定こそ極端だが、ここに描かれた家族の姿には多くの家族に共通する普遍性が存在するのだから。

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◆「ひとよ」
(2019年 日本)(上映時間2時間2分)
監督:白石和彌
出演:佐藤健鈴木亮平松岡茉優音尾琢真筒井真理子浅利陽介韓英恵MEGUMI、大悟、佐々木蔵之介、田中裕子
*TOHOシネマズ日比谷ほかにて全国公開中
ホームページ https://www.hitoyo-movie.jp/

 

第32回東京国際映画祭

11月5日まで東京・六本木を中心に第32回東京国際映画祭が開催中。毎年、皆さまのご厚意により関係者パスをもらって、たくさんの映画を鑑賞しているオレ。今年も同様に出かけたのだが、鑑賞本数は8本と激減(例年は20本前後を鑑賞)。

それというのも仕事に加え、母親の緊急入院→容体急変という予期せぬ事態に直面したため。現在は何とか持ち直して小康状態にあるものの、何時また急変しないとも限らない。そんな時に映画を観ている場合か!? 別に映画で飯を食っているわけじゃないんだから。

そんな事情で8本のみ鑑賞。その感想を簡単に下記にメモしておきます。

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コンペティション部門
「ネヴィア」(Nevia)(2019年 イタリア)
イタリアの貧困家庭の少女がサーカスとの出会いに希望を見出すドラマ。主人公の苦境とそこから抜け出そうとする奮闘ぶりをリアルかつ繊細に描く。主演のヴィルジニア・アピチェラの目の表情が印象的。映画初出演とは思えない堂々たる演技。

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日本映画スプラッシュ部門
「花と雨」(2019年 日本)
日本のヒップホップ界の名盤SEEDAのアルバムにインスパイアされた作品とのこと。何もかもうまくいかずヤクの売人に身を落とす主人公の転落のドラマが、意外にも終盤には切なく心温まる姉弟愛のドラマに転化。姉役の大西礼芳の自然な演技が素晴らしい!

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コンペティション部門
「ラ・ロヨーナ伝説」(La Llorona)(2019年 グアテマラ・フランス)
中米グアテマラでの先住民虐殺事件を背景に、追い詰められ錯乱する将軍とその家族を描く。現地に伝わる伝説をもとに謎の先住民の女を登場させ、怪しくて怖いホラータッチで描いた点が秀逸。水などを効果的に使った鮮烈な映像も魅力。

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コンペティション部門
「湖上のリンゴ」(Aşık)(2019年 トルコ)
トルコの辺境の地で伝統音楽の修業をする少年の淡い恋を描く。古い因習にとらわれる人々やそれに反発する子供たちなど、村の様々な表情を背景に寓話的な世界が展開。タイトル通りにリンゴが印象的に使われる。ユニークな伝統音楽も聴きどころ。

 

アジアの未来部門
「夏の夜の騎士」(夏夜騎士)(2018年 中国)
1997年の中国。祖父母の家に預けられた小学生のひと夏の出来事を描く。従兄とともに自転車泥棒を捕まえようとするなど様々な経験を通して、少年の心理を瑞々しくリアルに表現。周辺の大人たちの事情も盛り込まれドラマに厚みを加えている。

 

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コンペティション部門
「戦場を探す旅」(Vers La Bataille)(2019年 フランス・コロンビア)
19世紀半ばのメキシコ。フランス軍の戦いぶりを取材に来た仏人報道カメラマンの苦難の旅と、その中で生まれた先住民の男との友情を描く。敵味方に関係なく戦争の愚かさや残虐性が伝わってくる。やらせ写真など今の報道につながるエピソードも。

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コンペティション部門
「ジャスト 6.5」(Metri Shesh Va Nim)(2019年 イラン)
イラン映画には珍しいドラッグ・ウォーもの。麻薬組織を狙う警察の捜査、両者の虚々実々の駆け引きをスリリングに描くとともに、警察官同士の対立なども盛り込む。終盤は麻薬問題の背景にある貧困問題などにも言及。社会性も持つエンタメ映画。

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コンペティション部門
「マニャニータ」(Mañanita)(2019年 フィリピン)
顔に大きなケロイドのある女性スナイパーのドラマ。彼女の日常を極端な長回しで淡々と映しだし、その心の孤独と過去の傷、深い苦悩をあぶりだす。地元警察によるユニークな麻薬撲滅作戦も効果的に使われる。主演のベラ・パディーリャの演技が見事。主人公の心理を的確に表現した音楽も素晴らしい。

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「蜜蜂と遠雷」

蜜蜂と遠雷
ユナイテッド・シネマとしまえんにて。2019年10月26日(土)午後2時45分より鑑賞(スクリーン7/E-8)。

~コンクールで競う4人のピアニストたち。映像と音楽が多くを物語る

中学生頃に何を思ったかクラシックにハマったことがある。レコードは高くてあまり買えなかったが、当時、学研から出ていた月刊雑誌「ミュージックエコー」を無理を言って親に買ってもらっていた記憶がある。クラシック音楽が収録された17cm EP が付属した贅沢な雑誌だった。

だが、その後、突如としてオレはロックに目覚め、それ以来クラシックとは縁遠くなってしまったのである。

というわけで、クラシックに関しては素人に毛が生えた程度の知識しかないオレではあるが、クラシック音楽をネタにした音楽青春映画「蜜蜂と遠雷」(2019年 日本)を鑑賞してきた。原作は直木賞本屋大賞のW受賞を果たした恩田陸のベストセラー小説だ。

ドラマの舞台となるのは、若手ピアニストの登竜門として知られる芳ヶ江国際ピアノコンクール。その1次予選、2次予選、そして本選の模様が描かれる。そこでクローズアップされるのは、4人の若きピアニストだ。主人公は、母親の死をきっかけに表舞台から消えていたかつての天才少女・栄伝亜夜(松岡茉優)。彼女は、復活を期してコンクールに出場する。

そんな亜夜の前に立ちはだかるのは3人のピアニスト。楽器店勤めで年齢制限ギリギリの高島明石(松坂桃李)、亜夜の幼なじみで名門ジュリアード音楽院に在籍する優勝候補のマサル・カルロス・レヴィ・アナトール(森崎ウィン)、亡くなった世界的ピアニスト・ホフマンからの推薦状を持つ謎の少年・風間塵(鈴鹿央士)。

何とも濃いキャラ設定だ。「これは漫画か!?」と思わず叫びそうになった。もしかしたら、わかりやすい代わりに、リアルさのかけらもないド派手なだけのエンタメ映画になっているのではないか。情感過多な感動の押し付け映画になっているのではないか。そんな危惧を抱いてしまったのである。

だが、実際に観てみたら、これが実にリアルな映画なのだった。何よりも脚本・編集も担当した石川慶監督の演出が素晴らしい。4人のピアニストを中心に、登場人物の心理を繊細な描写で映し出す。その描写は全体に抑制的。仰々しさとは無縁だ。セリフも必要最低限しかない。

その代わりに随所で映像美が炸裂する。本作の冒頭は、かつて亜夜が亡き母とともにピアノを練習するシーン。そこに、降り注ぐ雨と馬という鮮烈なイメージショットを重ね合わせる。亜夜のトラウマと結びついたダークで、あまりにも美しいシーンである。

前作「愚行録」も話題になった石川監督は、ポーランド国立映画大学で映画を学んだというユニークな経歴の持ち主。そのせいか、ヨーロッパ映画、特に東欧映画を連想させるような映像がところどころに挟み込まれる。

中盤で登場するシーンも印象深い。亜夜が謎の少年・風間塵とともに、月の光の下でドビッシーの「月の光」などを連弾で演奏する。幻想的で身震いしそうなほど美しい場面だ。同時に、亜夜の眠っていた音楽への愛があふれ出てくるような場面でもある。

もちろんクラシック音楽もふんだんに使われる。中でもコンクールでの演奏シーンは圧巻だ。数々の名曲が力強く美しく演奏される。さらに藤倉大がこの映画のために書き下ろした「春と修羅」の演奏では、CADENZA の部分で4人のピアニストの個性を雄弁に表現する。

そうした演奏には、この手の映画にありがちな不自然さがない。聞くところによると、河村尚子、福間洸太朗、金子三勇士、藤田真央という世界的ピアニストが、亜夜、明石、マサル、塵、それぞれのキャラクターに沿った演奏を披露しているという。役者たちも、それに合わせて、いかにも本当に演奏しているかのような動きを見せる。

本作で描かれるのは、幼くして大きな挫折を味わった亜夜のトラウマ克服&成長のドラマである。ライバルたちとコンクールを通して刺激しあい、葛藤しながらもう一度自分の音を取り戻そうとする。

同時に、その他の3人についても、それぞれの背負ったものがある。だが、それらを詳しく説明的に描くことはしない。そこもまた、映像や彼らが紡ぎ出す音楽によって表現しようとする。

ちなみに、亜夜の3人のライバルのうち明石については、比較的時間をかけてその日常が描かれる。仕事を持ち、妻子を抱えた中で、「生活の中の音楽」を追い求める明石。彼の存在は我々一般人とも近いものがあり、結果的にクラシックの世界と我々をつなぐ存在にもなっている。

終盤では、いかにも性格の悪そうな指揮者(鹿賀丈史)を登場させて、ドラマに一波乱起こす。その過程で、一度は立ち直りかけた亜夜は再び迷いの中へと入りこむ。はたして、彼女はトラウマを克服できるのか……。というところで、冒頭のあの美しい映像を巧みに使い、彼女の心象風景を表現する仕掛けが秀逸だ。

ラストの亜夜の演奏シーンを観ているだけで思わず涙腺が緩んでくる。彼女に感情移入するとともに、クラシック音楽の魅力や奥深さが自然に伝わってきた。

主演の松岡茉優は言わずもがなの見事な演技。繊細で傷つきやすいヒロインを見事に演じ切っている。松坂桃李森崎ウィン、新人の鈴鹿央士も見事に役にはまっていた。また、セリフもなくチラリと出てくるだけのクローク係の片桐はいりなど、脇役陣も存在感十分だった。

そんな脇役の一人、審査委員長役の斉藤由貴は、英語のセリフが中心で貫禄の演技。そして彼女の同僚審査員役の外国人が実に堂々たる演技なので、誰なのかと思ったらポーランドのアンジェイ・ヒラ。アンジェイ・ワイダ監督の「カティンの森」などにも出演している名優とのことで、納得の演技であった。

映像と音楽を前面に打ち出し、それを通して多くのことを観客に伝えようとする作品だ。ある意味で、観客一人ひとりの感性が試される映画ともいえるかもしれない。原作のファンには思い入れもあるだろうし、評価は分かれるかもしれないが、一度この映像と音楽の中に身を浸してみる価値はあると思う。

 

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◆「蜜蜂と遠雷
(2019年 日本)(上映時間1時間58分)
監督・脚本・編集:石川慶
出演:松岡茉優松坂桃李森崎ウィン鈴鹿央士、臼田あさ美ブルゾンちえみ、福島リラ、眞島秀和片桐はいり光石研平田満、アンジェイ・ヒラ、斉藤由貴鹿賀丈史
*TOHOシネマズ日比谷ほかにて公開中
ホームページ https://mitsubachi-enrai-movie.jp/

 

「スペシャルアクターズ」

スペシャルアクターズ」
池袋シネマ・ロサにて。2019年10月24日(木)午後12時50分より鑑賞(シネマ・ロサ1/D-9)。

~旅館乗っ取りを芝居で阻止! 「カメ止め」上田監督最新作

昨年大ヒットして社会現象にまでなった「カメラを止めるな!」。結局のところドンデン返しのネタ一発じゃないか……とは思うものの、色々と細かな工夫をして、楽しい映画に仕上げていたのは確かである。人間ドラマに観るべきものはないが、よくできたエンタメ作品だったと思う。

その「カメラを止めるな!」の上田慎一郎監督による長編第2作が、「スペシャルアクターズ」(2019年 日本)である。なにせ前作があれだけヒットしたのだから、プレッシャーは相当なものだったに違いないが、はたしてどんな作品になっているのか。

主人公は売れない役者の和人(大澤数人)。オーディションには落ちるし、バイトも首になるしで散々な日々。そんな中、数年ぶりに再会した弟から俳優事務所「スペシャルアクターズ」に誘われる。その事務所は映画やドラマの仕事の他に、様々な問題を解決するために役者が日常の中で演じる仕事も請け負っていた。

まあ、早い話がこの事務所、便利屋的な仕事もしているわけだ。例えば、「彼女との距離を縮めたい」という依頼が来れば、役者がチンピラになって依頼主の男にからみ、返り討ちに合ってボコボコにされてしまう。すると、依頼人の株が上がりお悩み解決となる。あるいは、「男と別れたい」女性の依頼があれば、役者が彼女の新たな恋人になって登場し、男に別れを迫ってお悩み解決に持ち込む。

そのスペシャルアクターズに、過去にない大きな依頼が舞い込む。“カルト教団から旅館を守って欲しい”というのだ。綿密な計画と入念な演技練習に取り組む役者たち。まずは信者勧誘のセミナーに潜入し、それを突破口に作戦を進める。

そのあたりまでの展開を観て、「何だかスイスイと話が進み過ぎるなぁ~」という思いが禁じえなかった。脚本にタメがないのだ。例えば、スペシャルアクターズのユニークな仕事について、最初から全部明かしてしまう。途中までは「なんか変な事務所だな」と思わせて、「実は……」とタネ明かししたほうがもっと面白かったのではないか。

いや、それ以上に問題がある。主人公の和人には大きな秘密があるのだ。何と極度に緊張すると気絶してしまうのである。だから、何をやってもうまくいかない。役者としても失敗の連続だ。そんな面白いネタを冒頭から全部明かしてしまう。こちらももう少し引っ張って、グッドタイミングでバラせばもっと盛り上がるのに……。

とはいえ、コメディーとしてそれなりに笑えるつくりにはなっている。中盤からは、スペシャルアクターズの面々が、いったいどんな作戦でミッションを遂行するのかという興味で見せる。そこでは、珍妙な教団の実態が面白おかしく描かれる。Tシャツだの、石だの、謎の装置だのの関連グッズを売りつけて資金を稼ぐ様子など、細かなディテールで笑わせる。「ムスー」なる合言葉とポーズもバカっぽくて笑える。

登場人物も奇妙な人物ばかりだ。パーマ頭で一切言葉を発しない教祖。いかにもインチキ臭いその側近、やたらに胸の大きさで男性会員を集める女など、クセ者たちの行状が笑いのネタになる。彼らに攻勢を仕掛けるスペシャルアクターズの面々も、なかなかに個性派が揃っている。

ちなみに、この映画に有名俳優はまったく出演しない。1500人のオーディションから選ばれた15人のキャストが出演し、脚本は彼らにあて書きで執筆された。だから、どれもキャラが立っているし、役にピッタリとはまっている。これは「カメ止め」とまったく同じ手法である。

やがて教団の「裏経典」の存在が明らかになる。それをめぐって、作戦の新たな段階が始まる。いったん作戦成功と思わせて、意外な落とし穴を用意するあたりもソツのないところ。主人公が愛する「レスキューマン」なる外国のテレビドラマを劇中劇として見せ(これがいかにも……という感じのドラマ)、それを終盤の主人公の大活躍と結び付けるあたりも、心憎い仕掛けだ。

ただし、「カメ止め」に比べればやや大人しい感じ。全体にもっとハチャメチャにハジケても良かったと思う。「裏経典」の内容もありがちで期待外れだった。それに加えて、もう少しテンポが欲しかった気もする。ホラー映画仕立てだった「カメ止め」と違い、ユルユルのコメディー映画ということはあるのだが。

そして、何よりも問題なのは「カメ止め」のような大サプライズがないことだ。さすがに二匹目のドジョウはいなかったか……と思ったら、最後の最後にありました、驚きのドンデン返しが。なるほど、これはさすがに予想できなかった。それまでの全てをひっくり返す「カメ止め」を彷彿させる見事なエンディングである。

大ヒットの前作を受けたプレッシャーから逃れるために、全く別のタイプの映画を撮ることもできただろうに、あえて同じ路線を続けた心意気は素晴らしい。「カメ止め」ほどの衝撃はないし、脚本に難があるとは思うものの、気楽に楽しめる作品に仕上がっている。今後の上田監督の作品にも注目したい。

そして何よりもこの映画、作り手も、演者も楽しそうなのが伝わってくる。エンディングに流れる歌が、どこかの小劇団の芝居のエンディングのようで、思わず微笑んでしまった。「カメ止め」以上に手作り感満載。それが本作の最大の魅力かもしれない。

 

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◆「スペシャルアクターズ」
(2019年 日本)(上映時間1時間49分)
監督・脚本・編集:上田慎一郎
出演:大澤数人、河野宏紀、富士たくや、北浦愛、上田耀介、清瀬やえこ、仁後亜由美、淡梨、三月達也、櫻井麻七、川口貴弘、南久松真奈、津上理奈、小川未祐、原野拓巳、広瀬圭祐、宮島三郎、山下一世
丸の内ピカデリーほかにて全国公開中
ホームページ http://special-actors.jp/

「楽園」

「楽園」
ユナイテッド・シネマとしまえんにて2019年10月18日(金)。午後2時25分より鑑賞(スクリーン9/E-9)。

~人間の闇をリアルに突きつける。重たいけれど目が離せない衝撃のサスペンス

良い映画の基準は何か。それは人それぞれ違うだろう。オレの場合は人間がきちんと描けているかどうかが、最大のポイントである。人間の奥底に迫った映画には、心をグイッとつかまれてしまう。

瀬々敬久監督の映画はまさにそんな映画である。「ヘヴンズ ストーリー」「64 -ロクヨン-」「8年越しの花嫁 奇跡の実話」「友罪」「菊とギロチン」……。どの作品でも人間がきちんと描かれている。だから、新作が公開になればできるだけ観るようにしている。昨年公開の自主映画「菊とギロチン」では、ついに製作費をカンパしてしまった。

そんな瀬々監督の新作が「楽園」(2019年 日本)である。吉田修一の短編集『犯罪小説集』の映画化だ。原作は相互に直接かかわりのない短編を集めた作品なのだが、映画ではそのうち2編をピックアップし、同じ土地で起きた出来事として、登場人物も重複させて描いている。

青田が広がる地方都市が舞台。夏祭りの日、偽ブランド品を売る母親(黒沢あすか)が男に恫喝されている。その息子の中村豪士(綾野剛)が、地元の顔役の藤木五郎(柄本明)に助けを求める。藤木は仲裁し、豪士に職を紹介する約束をする。だが、その直後、近くのY字路で五郎の孫娘・愛華が忽然と姿を消する。必死の捜索もむなしく、愛華は見つからなかった。愛華の親友で、Y字路で別れる直前まで一緒にいた紡(杉咲花)は罪悪感を抱えたまま成長する。

それから12年後のある夜、紡はひょんなことから豪士と知り合う。豪士は、紡が夏祭りで使う笛が破損したことに責任を感じ、新しい笛を弁償する。それをきっかけに2人は心を通わせていく。だが、夏祭りの日、再びY字路で少女が消息を絶つ。住民の疑念は豪士に向けられる。追い詰められた豪士は逃げ出すが、そこで悲劇が起きる。

その悲劇を目撃していた養蜂家の田中善次郎(佐藤浩市)は、亡き妻を想いながら、愛犬のレオと暮らしていた。だが、養蜂による村おこしを巡る話がこじれて、村人たちから村八分にされてしまう。どんどん孤立し、追い詰められた善次郎は思わぬ行動に出る。

ここに描かれているのは人間の負の側面だ。豪士も善次郎も、ちょっとしたボタンの掛け違いによって人々の悪意を引き寄せ、追い詰められていく。そんな人間の悪意、集団心理、復讐心、差別などが重厚なタッチで描かれる。

少女失踪事件をめぐる犯人捜しの要素もあるドラマだが、それよりも深く描かれるのが闇を抱えた人間であり、病んだ社会である。舞台となる田園風景はあまりに美しい。だからこそなおさら、人間の持つ闇が心を締め付ける。自らもその闇にとらえられ、追い詰められていくかのようなリアルな痛みや苦しみに襲われる。観ている間中、終始重苦しい感覚が消えず、胸苦しささえ覚えてしまったのである。

だが、それでも一瞬も目が離せなかった。なぜなら、ここに描かれているのは絵空事ではなく、紛れもなく今の日本だからである。本作で起きる出来事は、新聞やテレビ、SNSを賑わせる事件に確実につながっている。いや、もしかしたら日本だけではないのかもしれない。どこに国でも起こり得ることであり、人間の本質にかかわることではないのか。それゆえ、どうしても目を背けることができないのだ。

この映画には何度も夏祭りのシーンが登場する。それはまさしくハレの場面だが、日常であるケには闇もある。両者は表裏一体だ。豪士が起こした悲劇の場面に、祭りの火をダブらせる演出は、まさにそれを象徴するものに感じられた。

時制を行き来し、いくつかのエピソードが絡み合いドラマは終盤を迎える。予想通り、本作に明確な大団円などありはしない。だが、それでもかすかな光がないわけではない。紡に好意を持つ青年・野上(村上虹郎)の存在だ。重い病を抱えつつ前向きに生きようとする。そして紡も前を向こうとする。たとえどんな過去や罪を背負っても、生きていくべきではないか。そんなメッセージを感じ取ることができた。

タイトルは「楽園」。劇中に何度かその言葉が登場する。豪士の母は日本には楽園があると考え、海の向こうから渡ってきた。だが、そこはけっして楽園などではなかった。一方、野上は紡に「楽園を作ってくれ」と言う。はたしてどこかに楽園などあるのか。それは観客一人ひとりに投げかけられた問いだろう。

本作はそれぞれ「罪」「罰」「人」と題された3部構成になっている。そこには過去の瀬々作品と通底するものがある。特に人間の罪と罰を問う「ヘヴンズ ストーリー」と共通点が多いように感じられる。あるいは豪士親子に対する民族差別は、「菊とギロチン」における朝鮮人虐殺を連想させる。瀬々監督が抱く根源的なテーマは常に不変なのだろう。

綾野剛杉咲花佐藤浩市村上虹郎柄本明など、役者たちの演技も素晴らしい。過去の瀬々作品に出演経験のある役者も多い。そんな中、個人的には善次郎を気にかける未亡人役の片岡礼子と、豪士の母役の黒沢あすかの演技が特に印象深かった。いずれも日本映画を支えてきた女優である。

楽しさや爽快感とは無縁。重たい映画だが、人間について、そして今の日本について考えさせられる問題作だ。その重みを、衝撃を体感しにぜひ劇場へ!

 

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◆「楽園」
(2019年 日本)(上映時間2時間9分)
監督・脚本:瀬々敬久
出演:綾野剛杉咲花佐藤浩市村上虹郎片岡礼子黒沢あすか石橋静河根岸季衣柄本明
*TOHOシネマズ日比谷ほかにて全国公開中
ホームページ https://rakuen-movie.jp/