映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書」

ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書
ユナイテッド・シネマとしまえんにて。2018年4月3日(火)午後12時より鑑賞(スクリーン2/E-8)。

映画を観ている間は眼鏡をかけている。ただし、ふだんはかけていない。なので、映画が終わると眼鏡をはずして眼鏡ケースに戻す。この日も、その行動をとったわけだが、その瞬間、手が滑って眼鏡ケースが横に飛んで行ってしまった。

どうも隣の席に座っていた客のあたりに落下したっぽかったので、「すいません」といってそちらを見たのだが、その客は特に何の反応も示さない。ということは、別の場所に落ちたのだろうか。オレは必死になって座席の下を捜した。

だが、見つからない。客はすべて劇場から去り、掃除をするためにやってきた劇場スタッフも、一緒にあちこち捜してくれたのだが、それでもどこにも存在しなかった。オレの眼鏡ケースはどこに消えたんだ? 時空の歪みにでも吸い込まれたのか?

そんな惨劇(?)の前に観た映画が「ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書」(THE POST)(2017年 アメリカ)である。ガチガチの娯楽映画を製作・監督しながら、20世紀の様々な社会的事件を描き続けるスティーヴン・スピルバーグ監督。今回題材に取り上げたのは、ベトナム戦争が泥沼化していた1971年の出来事だ。

最初に登場するのは、そのベトナムの戦場。激しい戦闘が行われる中、ある男がタイプライターを叩いている。戦況を分析しにきた国防総省のスタッフのエルズバーグだ。彼は泥沼化している戦争の実情をありのままに報告するのだが、国防長官のマクナマラはそれを無視して、まったく反対のことを記者に語る。これに義憤を感じたエルズバーグが、ベトナム戦争に関する政府の最高機密文書「ペンタゴン・ペーパーズ」を持ち出したことが事件の発端となる。

その文書をコピーし、分析して、スクープ記事を発表したのがニューヨーク・タイムズだ。すでにずっと前から政府はアメリカに勝ち目がないことを知りつつ、戦争を継続していることを暴いたこの記事は大きな反響を呼び、ベトナム反戦運動をさらに盛り上げたのだ。

このスクープ記事の掲載に至る経緯が、実にスリリングに描かれている。テンポも良くて、その後の展開に大いに期待を抱かせる。

だが、ドラマの主役は、エルズバーグやニューヨーク・タイムズではない。ワシントンのローカル紙だったワシントン・ポストである。

同社では女性発行人で社主のキャサリン・グラハム(メリル・ストリープ)が、経営安定化のために株式公開に踏み出そうとしていた。彼女は自殺した夫の後を継いだのだが、当時は新聞の女性発行人は珍しく、周囲は彼女を低く見ていた。彼女自身も、何やら頼りない感じだった。

そのキャサリンを演じるメリル・ストリープの演技が秀逸だ。控えめで経営者らしくなく、普通のおばさん風。それでいて、軽妙でウィットに富んだ会話を繰り広げる。このキャラが、あとあとの重大な場面で生きてくる。

キャラがいいといえば、キャサリンのもとで編集主幹を務めるベン・ブラッドリー(トム・ハンクス)も同様だ。切れ者で野心家、こちらもシニカルでユーモアに富んだ会話を得意とする。演じるトム・ハンクスが、主役の時とはひと味違う演技を見せている。

ベンは、ニューヨーク・タイムズに先を越されたことを悔しがり、自分のところでも文書を入手しようと躍起になる。それに応えて、ある記者が昔の伝手を頼ってエルズバーグに接触しようとする。そのあたりも、まるでスパイ映画のようなスリリングな展開だ。この映画、普通のサスペンスとして観ても、かなりレベルの高い映画だと思う。

そして、ついにペンタゴン・ペーパーズのコピーを入手。それを飛行機で運んだり、ベンの自宅に記者が集まって大急ぎで読み込む場面が印象的だ。そのさなかに、ベンの娘がレモネードを売るという小ネタを挟み込むあたりも、ドラマに緩急をつけるのに効果を上げている。大きな筋運びから小ネタまで、手際よく配された映画なのである。

こうして、スクープ記事を掲載しようとするベンたちだが、それは危険なことでもある。ニクソン政権は機密文書の暴露に激怒して、ニューヨーク・タイムズの記事差し止めを裁判所に求めていた。もしもワシントン・ポストが記事を掲載すれば、同じ目に遭ってしまう可能性が高い。株式公開直後だけに、それは経営を直撃する。経営と報道のはざまで社内の意見は二分する。掲載すべきか、やめるべきか。

決断するのはキャサリンだ。彼女はマクナマラ国防長官の友人でもある。それに対してベンは自分もかつてケネディ元大統領の友人だったことを引き合いに出して、政治と報道の距離の取り方について語る。このあたりの会話も実に興味深い。

キャサリンの決断は複数の人物との電話での会話を経て行われる。対面による会話はない。つまり、彼女一人に焦点が当たった一人芝居状態で行われるのだ。そこでのメリル・ストリープの演技はまさに名演。仰々しさの全くない、静かな、それでいて毅然とした決断が胸を打つ。それまでのキャラとの差異が、なおさら彼女の決断を印象深いものにしている。

その後もひと悶着があり、新聞の輪転機のタイムリミットを前にした手に汗握る攻防が続く。実際の事件の顛末を知らない人はもちろん、よく知っている人でもハラハラさせられるだろう。

最後の命運は裁判に。そこを派手に盛り上げず、抑制的ながら力強く描く手腕も見事。裁判所で、敵(政府)側のスタッフが、キャサリンを激励する、なんてあたりの小ネタを入れるところも、小憎らしいばかりの仕掛けである。

いったんすべてが終わったように見せて、ラストにその後のニクソンの策略を示すあたりも面白い。ちなみに、そこから続くドラマは、ピーター・ランデズマン監督、リーアム・ニーソン主演の「ザ・シークレットマン」そのもの。本作と合わせて観るのがおススメです。

基本は実録社会派ドラマだが、そこにスクープをめぐるサスペンスや、女性の自立などの人間ドラマもきちんと織り込んだ作品である。これだけいろんな要素をうまく詰め込めるのだから大したものだ。さすがスピルバーグとしか言いようがない。

何よりも、この映画、トランプ政権下の今のアメリカを完全に射程に置いてつくられている。それは日本にも無縁ではない。政治やマスコミに大きな示唆を与える作品だ。まあ、当時のアメリカ政府は都合の悪い文書でもちゃんと残していたわけだが、今の日本は文書自体を改ざんしたり、破棄しているわけだから、もっとヒドイのかもね。

鑑賞直後に発生した眼鏡ケース紛失事件で、それほど落ち込まなかったのは、この映画が素晴らしい映画だったからだ。とはいえ、新しい眼鏡ケースに1600円(税抜き)の出費は痛かったけれど。

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◆「ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書」(THE POST)
(2017年 アメリカ)(上映時間1時間56分)
監督:スティーヴン・スピルバーグ
出演:メリル・ストリープトム・ハンクスサラ・ポールソン、ボブ・オデンカーク、トレイシー・レッツ、ブラッドリー・ウィットフォードアリソン・ブリーブルース・グリーンウッド、マシュー・リス
*TOHOシネマズ日比谷ほかにて全国公開中
ホームページ http://pentagonpapers-movie.jp/