映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「長いお別れ」

「長いお別れ」
ユナイテッド・シネマとしまえんにて。2019年6月1日(土)午前11時30分より鑑賞(スクリーン6/C-8)

認知症の父がもたらす家族の再生と絆の物語

認知症は身近な問題だ。そして何よりも深刻な問題だ。有吉佐和子原作の「恍惚の人」をはじめ、これまでに認知症を描いた映画には、その悲劇的な側面に焦点を当てたものが多い。

だが、それらとは違う視点から認知症を取り上げた映画が登場した。宮沢りえ主演の「湯を沸かすほどの熱い愛」が高い評価を受けた中野量太監督の新作「長いお別れ」(2019年 日本)である。原作は直木賞作家・中島京子の同名小説。認知症になった父と家族の7年間の軌跡を描いている。とはいえ、これは認知症のドラマではない。

冒頭に登場するのは遊園地のシーン。幼い妹を連れた女の子が回転木馬に妹を乗せようとする。だが、係員は大人が一緒でなければだめだと拒否する。そこで女の子は周囲を見回す。そこに昇平(山崎努)という老人が通りかかる。

この冒頭のシーンは原作通りだ。ただし、映画では、中盤でこのシーンを効果的に使い家族のかつての楽しい思い出に結びつける。そんなふうに、原作の大枠を踏襲しつつあちらこちらに細かなアレンジを施している。それが絶妙なアレンジで、ドラマにメリハリが生まれ、テーマ性も明確になっているのである。

実は昇平は認知症にかかっている。70歳の誕生日に、母・曜子(松原智恵子)に呼ばれて久々に顔を揃えた娘たちは、そのことを告げられて動揺する。かつて中学校の校長をしていた厳格な昇平だけに、なおさらショックは大きかった……。

とくれば、認知症の深刻さや悲惨さが描かれるかと思いきや、実のところそれが前面に出てくることはない。いや、それどころかこの映画、笑いが満載なのだ。認知症になった昇平の素っ頓狂な言動が、自然な笑いを生み出す。さらに天然ボケともいえる明るい曜子の態度も、それに輪をかける。終始笑いの絶えない明るい映画なのである。

友人の葬儀に出席しながら、全く事情が理解ができず、しばらくしてから「○○は死んだのか?」と仰天する昇平。描き方によっては哀れさを誘うシーンだが、本作ではおかしみを際立たせる。また、終盤で目の手術をした曜子が快癒に向けて、ひたすらうつぶせになるシーンも、実際に映像で見せられると笑わずにはいられない。

とはいえ、ただ笑えるだけの映画ではない。そこにはきちんとした人間ドラマがある。次女の芙美(蒼井優)は、カフェを開く夢を抱きながらも、恋愛につまずくなど悩み多き日々を送っている。一方、夫の転勤でアメリカ暮らしの長女・麻里(竹内結子)は、いまだに現地の生活に馴染めず、夫との関係もギクシャクし、思春期の息子のことも悩みの種だった。

そんな2人が、徐々に記憶を失っていく昇平と向き合ううちに、それぞれが自分自身を見つめ直していくのである。

中盤で芙美はキッチンカーで商売を始めるものの、まったくうまくいかない。ところが、昇平の突飛な行動によって客が列をなす。さらに、そこで彼女は新しい恋と出会う。

そんなふうに、認知症の昇平が娘たちに力を与えるという構図が面白い。認知症にもかかわらず、いやそれだからこそ、娘たちは父の前でありのままの心情をさらけ出し、父のとぼけた言動に心を和ませ、力を与えられるのだ。

控えめながらストレートに涙を誘う場面もある。特に、記憶を失った昇平が、もう一度曜子にプロポーズするシーンは感動もの。下手をするとあざとく感じられる場面だが、そうは感じさせない。素直にホロリとさせられた。

終盤になるにつれて、昇平の病状はどんどん進行する。娘たちの人生も決して順風満帆とは言えない。それでも、最後の最後まで昇平の存在に力をもらい、前を向いていく。終盤の病室での誕生パーティーのシーンが傑作だ。まるでコントのような爆笑の場面でありながら、家族の絆をしっかりと印象付ける。そうなのだ。これは認知症のドラマではなく、家族の再生と絆のドラマなのである。

そういえば中野監督の前作「湯を沸かすほどの熱い愛」も、死にゆく母が家族を再生させるドラマだった。図らずも衰えゆく人が家族をつなぐドラマが続いたわけだが、そこから感じられるのは、死はけっして終わりではないということだ。昇平が無意識のうちに紡いだ家族の絆は、次の世代にも確実に受け継がれていくだろう。映画のラストに登場するのが麻里の息子・崇なのも、それを象徴しているように思える。

この映画のキャストはいずれも素晴らしい。特に山崎努松原智恵子の両ベテランの演技は必見だ。山崎努は、ほとんど言葉を失くしてもなお、その表情やしぐさだけで多くのことが伝わる演技だった。そして松原智恵子のかわいらしさ! まるで天使のような天真爛漫さが、家族の再生を自然なものに見せてくれる。

ちなみに、中野量太監督は役者に細かな演技指導をするらしい。だが、いずれのキャストも、それをまったく感じさせないごく自然な演技を披露している。

優しくて、温かくて、とても素敵な映画である。笑って、ちょっぴり涙して、最後には前向きになれる。実際の認知症はこんなに甘いものではないという人もいるだろうが、そういうこととは全く違う次元で、見事な作品に仕上がっていると思う。

 

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*映画のチラシが見つからなかったので原作の文庫本の表紙を載せました。

 

◆「長いお別れ」
(2019年 日本)(上映時間2時間7分)
監督:中野量太
出演:蒼井優竹内結子松原智恵子山崎努北村有起哉中村倫也、杉田雷麟、蒲田優惟人
*TOHOシネマズ日比谷ほかにて全国公開中
ホームページ http://nagaiowakare.asmik-ace.co.jp/