映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「光」

「光」
新宿武蔵野館にて。2017年11月29日(水)午後2時25分より鑑賞(スクリーン1/B-9)。

よほどの聖人君子でもない限り、誰でも心の奥底にどす黒い闇が隠れているものだ。さすがに、それが犯罪のようなことを引き起こすケースは稀だが、何らかの形で発露することはよくある。他人に対する悪口だったり、嫌がらせだったり……。

もちろんオレも同様だ。そのせいか、心の奥の闇を描いた映画には、「観たくない」という思いを持ちつつも、つい観てしまうのである。最近では、深田晃司監督の「淵に立つ」などは、まさにそうした映画だった。

大森立嗣監督が三浦しをんの小説を映画化し「光」も、人間の心の奥にあるどす黒い闇を描いた映画である。三浦しをん原作の大森作品といえば、「まほろ駅前」シリーズが思い浮かぶが、ストーリーも演出もまったく違う。

物語は、原生林に覆われた東京の離島・美浜島から始まる。そこで暮らす中学生の信之は、同級生の美花と付き合っている。そんな信之を慕っているのは、父親から激しい虐待を受けていた小学生の輔だ。彼は、いつも信之にまとわりついている。

そんなある晩、信之は神社の境内で美花が男とセックスしているのを見てしまう。「犯されているに違いない」と思った信之に、美花は言う。「殺して」と。その言葉に促されるように、信之はその男を殺してしまう。それを目撃していた輔は、死体をカメラに収める。それからまもなく、島は地震による津波に襲われ、すべてが消え去ってしまう。

25年後、信之(井浦新)は東京で妻の南海子(橋本マナミ)と幼い娘と暮らしている。そんな彼に輔(瑛太)が接近する。南海子と親しくなり、肉体関係を持つようになった輔は、今度は25年前の事件をネタに信之を脅し始める。さらに、輔は過去を捨てて女優になっていた美花(長谷川京子)も脅すのだった。

暴力、狂気、復讐、支配、性……。まさしく人間の奥底にあるどす黒い闇に迫っていく映画である。幼い頃に、美花に促されるようにして殺人を犯した信之だが、その後はそれを封印して何事もなく暮らしている。その前に、彼の過去を知る輔が現れて、様々な人物の狂気が露わになってくる。

輔は一見、金目当てで脅しに走っているかのように見える。だが、彼は父親に虐待されたこともあり、自身の過去や現在を嫌っている。そのために狂気を持って南海子に接近し、信之を脅し始めるのだ。金目当てというよりは、むしろ倦みきった自身の過去と現状への苛立ちと否定が、彼を突き動かしているに違いないのである。

こうして一度は、幼い頃と逆転した立場に立って信之を支配しかける輔だが、思い通りにはいかない。信之もまた、それまで封印していた狂気と暴力をちらつかせながら、輔を再び支配し始める。

おりしも、輔の前には幼少時に彼を苦しめた父・洋一(平田満)が10年ぶりに現れ、彼を翻弄し始める。信之はそれも利用して、輔を狡猾に操るのである。

信之の冷たく静かな狂気が恐ろしい。彼の行動は当初は自身の今の生活を守るためのものだったが、途中から違う動機へとすり替わる。輔に脅かされていた美花と再会した信之は、彼女を守るために狂気と暴力をエスカレートさせるのだ。

その美花もまた、心の奥に闇を抱えている。自分に対する信之の思いを利用して、巧みに彼を操り、すべてを消し去ろうとする。それはかつて島で信之を促して、殺人を犯させたのと同じ構図である。

本作は、信之、輔、美花の心の闇が交錯するサスペンスドラマなのだが、いわゆる普通のサスペンスとは違う。展開や語り口はかなり粗削りだ。それは低予算ゆえのことかと思ったのだが、どうやらそうではないらしい。「まほろ駅前」シリーズ以外にも、「さよなら渓谷」など様々な映画を撮ってきた大森監督だが、今回はそうした過去の作品とは全く違う描き方を意図的に目指したようだ。

時々流れる大音量のテクノミュージック。赤い花、巨大な樹木、信之と娘が訪れる不思議な空間などの鮮烈なイメージショット。そうしたものも含めて、自由かつ大胆に人間の心の奥にあるものをえぐり出そうとする。

快感や楽しさはまったくない。むしろ不快で、常に背中がザワザワするような作風だ。しかし、それがこの映画のテーマと見事に合致している。

ドラマの背景には、中上健次の小説と共通するアニミズム的な香りも漂う。ドラマの起点となる原生林に包まれた島での出来事は、その土地独特の得体の知れないものに突き動かされた子供たちによる所業にも思える。それが、25年後の彼らもずっと支配し続けているのかもしれない。

この映画で特筆すべきなのは、俳優たちの演技である。静かで冷たい表情が秘めた狂気をにじませる井浦新。汗や体臭も伝わってくるような瑛太の演技。両者の関係性には、同性愛にも似た屈折した愛情が見え隠れする。長谷川京子の悪女ぶりもなかなかのもの。平田満、橋本マナミも存在感タップリの演技だった。

終始不快感と緊迫感に包まれながら、人間の黒い内面から目が離せなくなってしまう。そんな映画である。

●今日の映画代、1000円。新宿武蔵野館の水曜サービスデー料金。

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◆「光」
(2017年 日本)(上映時間2時間17分)
監督・脚本:大森立嗣
出演:井浦新瑛太長谷川京子、橋本マナミ、梅沢昌代、金子清文、中沢青六、足立正生原田麻由鈴木晋介高橋諒、笠久美、ペヤンヌマキ、福崎那由他、紅甘、岡田篤哉、早坂ひらら、南果歩平田満
有楽町スバル座新宿武蔵野館ほかにて公開中
ホームページ http://hi-ka-ri.com/

「gifted/ギフテッド」

「gifted/ギフテッド」
TOHOシネマズ シャンテにて。2017年11月28日(火)午後7時45分より鑑賞(スクリーン1/H-10)。

ときどき天才少年少女の話を聞くと、「はたして彼らが大人になったらどうなるんだろう」と想像してしまう。アメリカなどでは普通の子たちと切り離されて、英才教育が施されることが多いようだが、はたしてそれは当人にとって良いことなのかどうか。才能を伸ばせても、人間として何かが欠落してしまわないのだろうか。

「gifted/ギフテッド」(GIFTED)(2017年 アメリカ)に登場するメアリー(マッケナ・グレイス)という7歳の少女も、数学の天才である。彼女は、フロリダの小さな町で独身の叔父フランク(クリス・エヴァンス)と片目の猫フレッドと暮らしていた。

まもなくメアリーは小学校に入学する。すると、たちまちその才能が明らかになる。学校は英才教育で有名な学校への転校を勧める。だが、フランクはあくまでもメアリーを普通の子として育てることにこだわり、それを断固として拒否する。

映画の冒頭から、フランクがメアリーを心から愛していることが伝わってくる。2人の会話はまるで本物の親子のような温かさに満ちている。メアリーは天才少女ということもあって口が達者で、それがなおさら2人の会話をユーモアとウィットに富んだものにしている。見ているだけで、自然に心が温かくなってくるのである。

フランクがメアリーを普通の子として育てることにこだわるのは、愛情からだけではない。実は、メアリーの母親は天才数学者だったが、メアリーが生まれて間もなく自殺してしまったのだ。弟のフランクは、それを止められなかった悔恨の思いを抱え、「姉の願いはメアリーを普通の子として育てることだった」として、英才教育を拒否しているのだ。

そんなある日、メアリーの祖母(つまりフランクの母)イブリン(リンゼイ・ダンカン)が現われて、孫に英才教育を施したいと申し出る。だが、フランクはこれも拒否する。そこでイブリンは、フランクを相手に裁判を起こしてメアリーの親権を主張する。そのため、映画の中盤からは実の母と息子が裁判で対決する法廷劇も描かれる。そこでの弁護士も含めた両者のやり取りもなかなか面白い。

イブリンの行動の源泉にも、メアリーの母(つまり、イブリンの娘)の存在がある。彼女は、娘の自殺は数学者として挫折したことにあると考え、孫にはそうならないように徹底して英才教育を施そうとしているのだ。

つまり、フランクもイブリンも、どちらもメアリーの母親の存在が大きな影を落とし、それによって真反対の行動をとっているわけだ。この対立構造が物語を進める原動力となる。それによって幼いメアリーが翻弄されてしまう。見ている観客はどんどん切ない思いに駆られてしまうのである。

それにしても、メアリーを演じるマッケナ・グレイスの可愛さがハンパではない。いや、ただ可愛いだけでなく演技が達者だ。全身を使って子供らしい感情や怒り、悲しみなどを表現する。その健気さが観客の胸をわしづかみにする。新たな天才子役の誕生かもしれない。

一方、そんな彼女の感情をしっかりと受け止めるクリス・エヴァンスの演技も素晴らしい。フランクはけっして完全無欠な人間ではない。間違いも犯すし、悩み苦しみもする。自身の決断に自信を持ちつつも、その裏側で「本当にそれでいいのか?」という疑問をチラリと見せるあたりの演技が絶品だ。

2人が心を通わせるシーンはどれも素晴らしいのだが、特に病院でのシーンが印象深い。あることで深く傷ついたメアリーに対して、フランクは思わぬ行動をとる。彼女が祝福されて生まれてきたことを身を持って体験させる予想外のこのシーンには、無条件に胸を熱くさせられた。

この映画の後半には二度に渡って感涙必至の場面がある。「何があっても一緒だ」とメアリーに約束していたフランク。ところが……。両親の離婚に翻弄される子供を描いた映画などではよくあるシーンだが、やはりマッケナ・グレイスとクリス・エヴァンスのツボを突いた演技が、涙腺を強烈に刺激する。

そして、二度目の感涙シーンは意外な仕掛けによって訪れる。それまでドラマのスパイス役として登場していた片目の猫フレッドが大きな役割を果たす。おまけに、それまで全く秘されていたメアリーの母親の驚くべき真実が明かされ、それを背景にしたメアリーとフランクの姿が、再び涙腺を刺激する。

ラストは、その後のメアリーとフランクを描く。天才と普通の子の狭間で苦闘していたメアリーに、一つの理想的な形を与えて、誰もが納得できる温かな余韻を残してくれるのである。

観客を感動させることを義務付けられたような素材を、きっちりとまとめて理想的な方向へと導いたのは、「(500)日のサマー」「アメイジングスパイダーマン」のマーク・ウェブ監督。瑞々しい恋愛映画だった「(500)日のサマー」を思い起こさせるような、生き生きとした描写が実に見事である。

メアリーの祖母役のリンゼイ・ダンカン、担任教師役のジェニー・スレイト、メアリーとフランクを温かく見守る隣人役のオクタヴィア・スペンサーなども存在感のある演技だった。

正真正銘のヒューマンドラマ! 泣きたい人、心を温かくしたい人には絶対におススメの映画である。

ところで、オレも幼稚園の頃に相当にIQが高くて、親は先生から「この子は天才かもしれません」と言われたらしい。だが、何のことはない。その後はただの凡人街道まっしぐらである。まあ、たいていはそんなものだろう。

●今日の映画代、1500円。事前にムビチケ購入済み。

◆「gifted/ギフテッド」(GIFTED)
(2017年 アメリカ)(上映時間1時間41分)
監督:マーク・ウェブ
出演:クリス・エヴァンス、マッケナ・グレイス、リンゼイ・ダンカン、ジェニー・スレイト、オクタヴィア・スペンサー、グレン・プラマー、ジョン・フィン、エリザベス・マーヴェル、ジョナ・シャオ、ジュリー・アン・エメリー、キーア・オドネル、ジョン・M・ジャクソン
*TOHOシネマズ シャンテほかにて全国公開中
ホームページ http://www.foxmovies-jp.com/gifted/

「火花」

「火花」
ユナイテッド・シネマとしまえんにて。2017年11月26日(日)午後2時40分より鑑賞(スクリーン5/H-13)。

ひねくれ者なので、爆発的に売れた本はほとんど読まない。初期の作品はよく読んだ村上春樹の小説も、発売が社会現象になってしまう昨今では、ほとんど手に取っていない。なので、人気お笑い芸人の又吉直樹芥川賞を受賞したベストセラー小説「火花」も未読のままである。

映画「火花」(2017年 日本)は、その小説「火花」を同じくお笑い芸人で映画監督としても評価が高い板尾創路が映画化した作品だ。

主人公は、お笑いコンビ“スパークス”として活動しながらも、まったく芽が出ないお笑い芸人の徳永永(菅田将暉)。ある日、営業先の熱海の花火大会で先輩芸人の神谷(桐谷健太)と出会った彼は、その芸風と人柄にほれ込んで、弟子入りを志願する。それに対して神谷は、「それなら俺の伝記を書いてくれ」という条件を出す。

ここまでの展開を見ただけで、神谷がいかに天才肌で破天荒な人間かがわかる。彼が組んでいるコンビ名は「あほんだら」。その漫才も常識を外れたものだ。いわゆる「巧い漫才師」などでなく、そういう芸人に徳永がほれ込むという構図が、この映画の大きなポイントになる。なぜなら芸人が考える純粋な面白さと、世間が求める笑いのギャップが、この映画の大きなテーマだからである。

こうして師弟関係になった徳永と神谷。徳永は神谷の要求通りに、彼の言動を目の当たりにして伝記を書く。そこに描かれた神谷と徳永自身の2人の10年間に渡るドラマが、この映画の物語の柱になる。

徳永と神谷は、連日のように飲み歩いて、芸についての議論を交わしていく。それによって、徳永はますます神谷に心酔していく。

何より面白いのが2人の会話だ。それはまさしく漫才のボケとツッコミ。何気ない会話も、すぐに笑いの方向に走っていく。ただし、それを通して様々な真実もチラリチラリと見えてくるのである。

さすがに原作者と監督が現役のお芸人ということで、芸人世界の裏舞台もたっぷりと描かれる。それはまさにイバラの道としか言いようがない世界だ。ライブに出るためのネタ見せで、いかにも程度の低そうな審査員からボロクソに言われるシーンなど、その厳しさがひしひしと伝わってくる。

やがて大阪で活動していた神谷は東京に出てきて、風俗嬢の家に居候する。しかし、彼女からもらう金だけでは足りずに、多額の借金をするようになる。やがて同棲相手の彼女とも別れてしまう。

一方、徳永のコンビ「スパークス」は、一時的に多少売れるようになる。しかし、基本的には鳴かず飛ばずのまま。バイト生活をしながら、芸人としての活動を続ける。そんな中、相方との間にも隙間風が吹き始める。

徳永が直面したのが、先ほど述べた芸人が考える純粋な面白さと、世間が求める笑いのギャップだ。なかなか売れない徳永たちを尻目に、キャラ勝負の芸人があっという間にスターになったりする。それは徳永の求める笑いとは違う。はたして徳永は世間に妥協するのか。それとも思いのままに突っ走るのか。その葛藤の延長線上で、神谷とのわずかな意識の違いも表面化してくるのである。

ただし、そんな徳永の苦悩がイマイチ伝わりにくいのが惜しい。そういう心情は、基本的に彼の独白で処理してしまっているのだ。原作を読んでいないので断言はできないが、おそらく原作にある文章を持ってきているのではないだろうか。それだけではどうにも物足りない。できれば独白やセリフ以外で、もっと徳永の抜き差しならない心情をジリジリとあぶりだして欲しかったのだが。

それでも終盤になると、ようやく徳永たちの心情がスクリーンを覆いだす。特に最後のライブで彼が胸の内をぶちまけるシーンは壮絶で迫力満点だ。同時に相方の思いもきちんと伝わってくる。客席の反応もリアルである。

その後の後日談はよくある展開だが、意表を突いた展開を盛り込みつつ、明確なメッセージを発しているところに好感が持てる。それは夢を果たせなかった負け組たちに対する温かな応援歌だ。彼らの負けがけっして無駄ではなかったことを力強くうたい上げて、温かな余韻を残してくれるのである。

徳永を演じた菅田将暉、神谷を演じた桐谷健太は、いずれもお笑い芸人になり切った演技だった。それぞれの相方を務めた加藤諒、三浦誠己、神谷の同棲相手を演じた木村文乃なども存在感がある。

エンディングに流れる主題歌の「浅草キッド」(もともとはビートたけしの曲)が、この映画を象徴している。心理描写に甘さは残るものの、芸人たちの青春に正面から向き合おうとした、つくり手の気持ちはしっかりと感じ取れたのである。

●今日の映画代、1300円。ユナイテッド・シネマの割引クーポンを使用。

◆「火花」
(2017年 日本)(上映時間2時間)
監督:板尾創路
出演:菅田将暉、桐谷健太、木村文乃川谷修士、三浦誠己、加藤諒高橋努日野陽仁山崎樹範
*TOHOシネマズスカラ座ほかにて全国公開中
ホームページ http://hibana-movie.com/

「ローガン・ラッキー」

ローガン・ラッキー
ユナイテッド・シネマとしまえんにて。2017年11月25日(土)午前11時10分より鑑賞(スクリーン1/D-07)。

1989年の監督デビュー作「セックスと嘘とビデオテープ」でいきなりカンヌ映画祭パルムドールを受賞し、その後も数々の見応えある作品を送り出してきたスティーヴン・ソダーバーグ監督。「最近、名前を聞かないなぁ~」と思っていたら、2013年の「サイド・エフェクト」を最後に映画から離れて、テレビの世界に活躍の舞台を移していたとのこと。

そのソダーバーグが、久々に映画監督に復帰した作品が「ローガン・ラッキー」(LOGAN LUCKY)(2017年 アメリカ)である。ソダーバーグ監督といえば「オーシャンズ」シリーズが有名だが、この映画も同じく強盗計画を描いた作品。ただし、そのタッチはかなり違っている。こちらは脱力感と笑いに満ちた映画なのだ。

冒頭の父娘のシーンから早くも脱力感が漂う。父のジミー・ローガン(チャニング・テイタム)が幼い娘に、自分の好きな歌手ジョン・デンバーのエピソードを語る。その後の強盗計画とは何の関係もない話だ。そんなどうでもいいような会話が満載の映画だが、これがなかなか味があって面白いのだ。

そのジミーは、学生時代はアメフトのスター選手だったものの挫折。今は足を悪くして仕事を失い、妻にも逃げられてしまった。娘は再婚した妻のもとで暮らしている。いわば負け犬人生を送っている男なのだ。

しかも、妻は今の夫の仕事の都合で、遠くに引っ越すという。このままでは娘ともなかなか会えなくなってしまう。そんなにっちもさっちもいかない人生に業を煮やしたジミーは、弟でバーテンダーのクライド(アダム・ドライヴァー)を誘って、自動車レース場の金庫を襲撃する強盗計画を練るのである。

ただし、それには金庫を爆破する専門家が必要だということで、刑務所に入っているジョー・バング(ダニエル・クレイグ)という男に協力を依頼する。犯行当日に彼を脱獄させて、強盗終了後に再び刑務所に戻すという作戦だった。結局、その3人にジミーの妹とジョーの2人の弟も加わって、犯行の準備を進めることになる。

この犯行グループの面々の個性が際立っている。ジミーとクライドのローガン兄弟は揃って無口。何を考えているかわからない。そして足の悪いジミーに対して、弟のクライドはイラク戦争で片腕をなくし、不格好な義手をつけている。

無口といえばジョーも無口だ。しかも、こちらは見るからにこわもてで凶暴そう。ところが、実は科学に造詣が深いという意外な素顔も見えてくる。さらに、ローガン兄弟の妹は美容師でありながら相当なカーマニア。一方、ジョーの2人の弟はどこか間抜けな雰囲気を漂わせながら、理屈ばかり並べ立てる。

そんなユニークなキャラを持つ彼らが、あまりにもユルい会話を交わすものだから、思わずクスクス笑ってしまうのだ。セリフの間も絶妙で、なおさら笑えてしまうのである。

彼らが練った強盗計画もユニークだ。金庫襲撃のためにゴキブリを使ったり、ジョーの脱獄のためにクライドがわざわざ犯罪者になったり。緻密なのか、ずさんなのか、よくわからない仕掛けがテンコ盛りだ。

それでもクライマックスは緊迫感に満ちているはず。なにしろ当初は小さなレースの日に犯行を企てたものの、予定が狂って全米最大のモーター・スポーツ・イベントNASCARのレース中に、犯行を実行する羽目になったのだ。盛り上がらないはずがないではないか!

などと期待してはいけない。最大の見せ場になるはずの金庫爆破のシーン。大量のダイナマイトを使ってド派手にぶっ飛ばすかと思いきや、何だ? あのセコい仕掛けは??? しかも、そこでおマヌケなワンクッションまで入れてしまうのだから、もうただひたすら笑うしかないのである。

もちろん、これは確信犯的な仕業に違いない。レベッカ・ブラウンによるオリジナル脚本、ソダーバーグ監督による演出は、本当なら最高潮に盛り上がるところで、わざわざ観客に肩透かしを食わせているのだ。何という遊び心!!

そして犯行は終了。その直後に描かれるのは、ジミーの娘の美少女コンテストを舞台にした父娘の絆のドラマだ。ここでは冒頭のエピソードが伏線となり、ジョン・デンバーの歌が効果的に使われる。そして、ジミーはある決断をする。まったく予想もしない心温まるエンディングである。

と思ったら、何だ、まだ後日談があるのか。サラ・グレイソン(ヒラリー・スワンク)というFBIの女捜査官が登場。彼女が事件の謎に迫るのである。

何やら蛇足にも思えたこの後日談。ところが、そこには驚きのどんでん返しが……。あらららら、そう来ましたか。なるほどね。完全にしてやられたぜ。そして、小憎らしくも気の利いたバーでの全員集合のラストシーンで締めくくるのである。

ローガン兄弟を演じたチャニング・テイタムアダム・ドライヴァーをはじめ、セス・マクファーレンケイティ・ホームズヒラリー・スワンクダニエル・クレイグなど役者たちもいずれもノリノリの演技。それがまたこの映画の楽しさを増幅させている。

緊張感たっぷりの犯罪劇を期待すると確実に裏切られるだろう。緊迫感は皆無。ひたすら脱力感に満ちた強盗映画だ。迫力や大仰さとはかけ離れた脱力系エンタメ映画で監督復帰を果たすのだから、何とも心憎いソダーバーグ監督である。

●今日の映画代、1400円。事前にムビチケ購入済み。

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◆「ローガン・ラッキー」(LOGAN LUCKY)
(2017年 アメリカ)(上映時間1時間59分)
監督:スティーヴン・ソダーバーグ
出演:チャニング・テイタムアダム・ドライヴァー、ライリー・キーオ、セス・マクファーレンケイティ・ホームズキャサリン・ウォーターストンヒラリー・スワンクダニエル・クレイグ
*TOHOシネマズ日劇ほかにて全国公開中
ホームページ http://www.logan-lucky.jp/

「IT/イット “それ”が見えたら、終わり。」

IT/イット “それ”が見えたら、終わり。
ヒューマントラストシネマ渋谷にて。2017年11月24日(金)午後1時20分より鑑賞(スクリーン2/H-9)。

スティーヴン・キングの小説はたくさん映画化されている。しかし、ホラー映画に関しては、それほど成功したと思える映画はない(興行的に、ではなく映画の質として)。わずかに、ブライアン・デ・パルマ監督の「キャリー」や、スタンリー・キューブリック監督の「シャイニング」あたりが成功例だろうか。「スタンド・バイ・ミー」や「ショーシャンクの空に」は素晴らしい映画だったが、あれはホラーではなかったし。

そんな中、新たに登場したのが「IT/イット “それ”が見えたら、終わり。」(IT)(2017年 アメリカ)である。スティーヴン・キングのベストセラー小説を、ギレルモ・デル・トロ製作総指揮の「MAMA」で評判になったアンディ・ムスキエティ監督が映画化した。

タイトルにある「IT」=「それ」とは何だろう? 実は、すぐにその答えがわかってしまう。

冒頭に描かれるのは、内気で病弱な少年ビルと弟ジョージーのエピソードだ。ビルはジョージーのために紙で船を作ってあげる。ジョージーは雨の中、それを持って外で遊ぶ。しかし、激しい雨に流されて船は道端の排水溝に消える。ジョージーがのぞくと、そこにいたのは不気味なピエロ。言葉巧みにジョージーの心をつかみ、その後彼に襲いかかる。そうである。こいつこそが「それ」なのだ。

「こんなに早く正体をばらしていいのか?」と思ったのだが、心配は無用だった。その後も様々な仕掛けで観客を怖がらせてくれる。わかっていても、怖くなってしまうのだから大したものである。冒頭のジョージーの失踪に関しても、一度地下室に彼を行かせて恐怖体験をさせながら、そこでは何事も起こさずに、タメをつくる心憎さだ。

さて、ジョージーはおびただしい血痕を残して姿を消す。ビルは彼の失踪に責任を感じる。そんな彼と仲良しなのは、不良少年たちにいじめられている子供たち。彼らは病気や親との関係などそれ以外の問題も抱えている。

というわけで、ビルは仲間とともにジョージーや行方不明になったその他の子供たちを見つけ出し、事件の真相を探ろうと動き始める。それを通して、少年少女の冒険&友情&成長物語を描いていくのが、この映画のドラマ的な見どころだ。それは、あたかも「スタンド・バイ・ミー」とも共通する世界である。

そして、ビリーたちには、新たな仲間が加わる。父親から虐待を受ける少女、両親が焼死した黒人少年、いじめられている転校生の少年。

これだけたくさんの少年少女が登場するにもかかわらず、それぞれのキャラをきちんと描いているのもこの映画の特徴だろう。ベバリーという大人びた少女とビルとの初々しいロマンスも、さりげなく盛り込まれている。また、転校生の少年は図書館でこの町の歴史を調べるうちに、27年に一度奇怪な事件が起きている歴史を知ってしまう。そうしたエピソードが、ドラマに厚みを加えている。

ただし、この映画最大のセールスポイントは、やっぱりホラーの要素だろう。ビルは目の前に現れた「それ」を見てしまい恐怖にとりつかれる。いやいや、ビルだけではない。仲間たちも、自分の部屋、学校、町の中など何かに恐怖を感じるたびに、現実なのか、はたまた幻覚なのかわからない恐怖体験をする。

それは、ベバリーが体験する血だらけのバスルームをはじめ、強烈なインパクトの体験ばかりだ。怪奇現象のバリエーションといい、飛び出す絶妙のタイミングといい、本当に巧みに構築されている。そして、その背後には必ず「それ」がいるのだ。

そんな恐怖のヤマ場は、井戸のある廃屋敷での場面だ。ビリーたちはそこに入り込み、家の中を探る。はたして、そこに行方不明の子供たちはいるのか。「それ」が隠れているのか。

そこでの恐怖は完全にお化け屋敷の世界だ。次々に恐ろしい現象が子供たちを襲い、あわやの場面が連続する。ここで観客の恐怖感は最高潮に達することだろう。

しかし、ヤマ場はもう一つある。一度は喧嘩別れしながらも、再び結集した子供たちは、勇気を出してもう一度問題の屋敷に乗り込む。

つまり、後半は廃屋敷での恐ろしいヤマ場が二度も用意されているのである。しかも、二度目のヤマ場は、一度目を上回る壮絶さだ。

それにしても、例の「ペニーワイズ」という不気味なピエロの怖いこと。「アトミック・ブロンド」にも出演していたビル・スカルスガルドが演じているのだが、その動きからしておぞましく、憎らしい。ホラー映画にはピエロがたびたび登場するが、その中でも群を抜いた怖さだろう。

とはいえ、ただ怖いだけの映画なら吐いて捨てるほどある。この映画はそうではない。登場する少年少女は、いじめや家庭の問題などで恐怖を抱えたまま身動きがとれないでいる。そんな中で、それとは別の究極の恐怖を体験することによって成長を果たすという構図が、実に効果的な映画である。スティーヴン・キング原作のホラーものの映画化の中では、成功の部類といってもいいのではないか。全米で大ヒットしたのも納得の作品だと思う。

ただし、「それ」の素顔は不明。本当に現実なのかさえわからないままだ。そんな中途半端な終わり方でいいのか?

と思ったら、この映画の最後には「第1章」というテロップが……。どうやら登場人物の大人時代を描いた続編が用意されている模様である。だが、「少年少女の冒険&友情&成長」という魅力的な要素がなくなったなら、ただ怖いだけのホラーになるのではないだろうか。うーむ、何だか嫌な予感がするなぁ。

●今日の映画代、1000円。TCGメンバーズカードの金曜サービス料金。

◆「IT/イット “それ”が見えたら、終わり。」(IT)
(2017年 アメリカ)(上映時間2時間15分)
監督:アンディ・ムスキエティ
出演:ジェイデン・リーバハー、ビル・スカルスガルド、ジェレミー・レイ・テイラー、ソフィア・リリス、フィン・ウォルフハード、ワイアット・オレフ、チョーズン・ジェイコブズ、ジャック・ディラン・グレイザー、ニコラス・ハミルトン、ジャクソン・ロバート・スコット
丸の内ピカデリー新宿ピカデリーほかにて全国公開中
ホームページ http://wwws.warnerbros.co.jp/itthemovie/

「最低。」

「最低。」
2017年10月31日(火)第30回東京国際映画祭P&I上映にて鑑賞(TOHOシネマズ六本木ヒルズ スクリーン9)。

東京国際映画祭で鑑賞した映画についても、きちんとしたレビューを書きたいと思うのだが、なにせ立て続けにたくさんの作品を鑑賞するので思うようにいかない。今年もコラムとして簡単な感想を書くのがやっとだった。

とはいえ、せめて一般公開される作品については、なるべくレビューを書くようにしたいものである。

というわけで、今年の東京国際映画祭で、「勝手にふるえてろ」とともに日本映画としてコンペティション部門にノミネートされた「最低。」が本日より公開になったので、あらためてレビューをまとめてみた。

「最低。」(2017年 日本)は、瀬々敬久監督の作品である。瀬々監督といえば、メジャーな作品(最近では「64-ロクヨン」のような)とインディーズ系の作品(2010年の4時間半を超える長尺の「ヘヴンズ ストーリー」など)とを行き来している監督だ。ちなみに、オレも製作費をほんの少しだけカンパしたインディーズ映画「菊とギロチン」が、来年夏あたりに公開予定らしい。

そんな瀬々監督が、人気AV女優・紗倉まなの同名短編集を映画化した。境遇も年齢も性格もバラバラながら、何らかの形でAVと関わりを持った3人の女性と、その家族の姿を描いた群像劇である。

登場する1人目の女性は、夫と平穏な日々を送りつつ、満たされない思いを抱えてAVに出演する美穂(森口彩乃)。2人目は、田舎町に祖母と母と住む17歳の女子高生・あやこ(山田愛奈)。絵を描くのが好きな彼女は、母親(高岡早紀)が元AV女優だという噂を聞いて心を乱す。そして3人目の女性は、家族から逃げるように上京した25歳の彩乃(佐々木心音)。軽い気持ちでAVに出演し、そのままAV女優として多忙な毎日を送っている。

AVがネタになっているだけに、その撮影現場などエロいシーンが何度か登場する映画だが(R-15)、当然ながら本作の真骨頂はそこではない。迷い、もがき苦しむ3人の女性と、その家族たちの心理描写こそが、この映画の最大の見どころである。

美保は、心の隙間を埋めようとするかのように夫に内緒でAVに出演し、その間に病床の父親が亡くなり、大きな罪悪感にさいなまれる。あやこは、ストーカー的に近づいてくる男の子に戸惑い、母親の噂話で同級生からからかわれて傷つき、母への怒りを募らせる。彩乃の前には彼女の仕事を知った母親が現われ、AVの仕事を辞めるよう懇願する。それに反発する彩乃。

そんな彼女たちの心理の揺れ動きが、手に取るように伝わってくる作品である。昔からそうだったが、瀬々監督は女性の心理を切り取るのが巧みな監督だ。今回も手持ちカメラによるアップを中心に、リアルかつ繊細に女性心理を映し出す。とはいえ、それは昔のような鋭い描き方ではなく、そこには温かく優しい視線が感じられる。それがこの映画の大きな特徴だろう。

余白の残し方も印象的だ。美保や彩乃がAVに出演するに至る動機は、直接的には描かれない。彼女たちと家族との関係性の中から、チラリチラリとそのヒントを見せていき、あとは観客の想像に任せていく。3人の女性たちを取り巻く家族についても、同様に過剰な描き方は排している。

以前から群像劇を得意とする瀬々監督だけに、3つのドラマの絡ませ方も巧みだ(あやこの父親の話はやや強引な気もするが)。AV女優を白眼視する社会の風潮なども、ドラマの背景として自然に織り込まれている。

終盤、3人の女性にはそれぞれ波乱が起きる。その結末は明確に提示されない。しかし、瀬々監督の視線は最後まで温かい。彼女たちの身に何が起ころうとも、一人の人間として力強く生きていくであろうことを予感させるエンディングである。

まあ、個人的なことを言えば、美保や彩乃がAVに出る動機には、最後まで共感できなかった。何しろオレは「自分探し」的なものに対して懐疑的な人間なのである。

だって、あなた、探さなくなって、あなたという人間はそこにいるでしょう。自分探しに拘泥するよりも、目の前のやるべきことをやってたほうが、そのうちに何かが見えてくるんじゃないのかなぁ。

な~んて考えてしまうもので、自分探し的な匂いを感じる美保や彩乃の心理が、イマイチ理解できなかったりするわけだ。

だが、そういう個人的なことを置いておけば、なかなかよくできた人間ドラマだと思う。AVというセンセーショナルなネタに関係なく、どこにでもいる女性たちの葛藤に満ちたドラマとして見応えがある。

3人の女性を演じた森口彩乃佐々木心音山田愛奈は、それぞれに存在感のある演技を披露している。忍成修吾江口のりこ渡辺真起子根岸季衣などの脇役も良い。そんな中でも最も目を引いたのは、あやこの母親を演じた高岡早紀の半端ないヤサグレ感である。あのヤサグレ感は彼女ならではのものかもしれない。

AV女優原作の映画、などという先入観を捨てて、生身の女性たちの人間ドラマとして素直に観るべき作品だと思う。そうすれば、何か心に響くものがあるかもしれない。

●今日の映画代、関係者向けのP&I上映につき無料。

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◆「最低。」
(2017年 日本)(上映時間2時間1分)
監督:瀬々敬久
出演:森口彩乃佐々木心音山田愛奈忍成修吾森岡龍斉藤陽一郎江口のりこ渡辺真起子根岸季衣高岡早紀
角川シネマ新宿ほかにて全国公開中
ホームページ http://saitei-movie.jp/

「エンドレス・ポエトリー」

エンドレス・ポエトリー
ヒューマントラストシネマ有楽町にて。2017年11月19日(日)午後2時45分より鑑賞(スクリーン1/D-12)。

幻覚を引き起こすといえば、LSDマリファナなどの麻薬や一部のキノコなどにその作用があるようだ。だが、幻覚を見たければそんなものに頼る必要はない。数ある映画の中にも、幻覚を引き起こしそうな強烈な映画が存在するのだ。

アレハンドロ・ホドロフスキー監督の「エンドレス・ポエトリー」(POESIA SIN FIN)(2016年 フランス・チリ・日本)は、まるで幻覚、あるいは魔法にかかったかのような強烈な映像が次々に飛び出す作品だ。何の予備知識もなしに観ると、あっけにとられてしまうかもしれない。

アレハンドロ・ホドロフスキーといえば「エル・トポ」「ホーリー・マウンテン」などでカルト的な人気を持つ監督だ。お騒がせエピソード的には、70年代に超大作「デューン砂の惑星」の監督に抜擢されたものの、トラブルで降板したことでも有名だ。ちなみに、その経緯はのちにドキュメンタリー映画にもなっている。

今年88歳になったそんなホドロフスキー監督が、自伝的作品だった前作「リアリティのダンス」の続編として送り出したのが「エンドレス・ポエトリー」だ。今回は、青年時代の自身を描いている。

チリで故郷のトコピージャから首都サンティアゴへ移住したホドロフスキー一家。しかし、アレハンドロ(アダン・ホドロフスキー)は、抑圧的で金儲けのことばかり考え、文学を理解しようとしない父親に反発して家を出る。親戚の同性愛の青年から、芸術家姉妹を紹介されたアレハンドロは、彼女たちの家に住み着き、そこに訪れる個性的な芸術家たちと触れ合う。その中で、後に世界的な詩人となるエンリケ・リンやニカノール・パラらとも出会う。

ストーリー的には典型的な青春物語である。アレハンドロの青春の輝き、苦悩、友情、裏切り、そして成長がスクリーンに映し出される。しかし、そこはさすがにホドロフスキー監督。普通の青春物語とは違う。

目の前に現れるのは、およそ現実とは思えない妖しく、美しく、不可思議な人物や出来事ばかり。アレハンドロの母親がオペラのような歌でしか会話しなかったり、歌舞伎の黒衣のような黒装束の人物が登場人物に対して物を受け渡しするのは、前作「リアリティのダンス」でもおなじみの光景。

芸術家姉妹の家に来る芸術家たちも個性揃いだ。常に体を密着させるダンサーの男女、全身を使ってカンバスに色を塗りたくる画家、ピアノを破壊しながら演奏するピアニストなどなど。奇妙すぎる人物のオンパレードである。

アレハンドロが恋する赤い髪の女詩人もすさまじい女性だ。パメラ・フローレスというオペラ歌手が母親役と二役を演じているのだが、エキセントリックな振る舞いで若いアレハンドロを翻弄する。

そうした個性的な人物たちの姿を、原色を中心にした鮮やかな色遣いの映像で描いているのは、ウォン・カーウァイ作品などでおなじみの撮影監督クリストファー・ドイルである。鮮烈な映像で知られる彼を初めて起用したことで、ますます映像のすさまじさに磨きがかかっている。映像美などというものを超越して、もはや夢に出てきそうなほど強烈な映像だ。

個人的に、特に印象深いのは後半で登場する骸骨のコスチュームや赤い服の人々が乱舞するカーニバルシーン。まさに「何じゃこりゃ?」と叫びたくなるような唯一無二の映像。そういう幻覚、あるいは魔法のような映像が、次々に現れるのである。度肝を抜かれないわけがない。

とはいえ、小難しい気持ちで顔をしかめて観る必要はない。笑いの要素もあちこちにある。例えば、アレハンドロと友人のエンリケ・リンが、「まっすぐ道を進もう!」と決めて、障害物になっているトラックの屋根を歩いたり、知らない人の家に上がり込んで直進するシーン。若者らしいエピソードであるの同時に、思わずくすくすと笑ってしまう。

アレハンドロや女詩人が通い詰める店も面白い。正装した老人たちがウェイターを務める奇妙な店で、そのあまりの奇妙さについ微笑んでしまうのである。

もちろんホドロフスキー監督は、ただやみくもに強烈な映像で観客を幻惑したり、笑わせるだけではなく、自身の思いもきちんとドラマに込めている。主人公のアレンハンドロは、当然ながら監督自身の若き日の姿。苦悩する彼の前に、現在のホドロフスキー監督自身が現れて、様々な含蓄に富んだ言葉を送る。

「生きる意味などない。ただ生きるんだ!」「老いは素晴らしい。すべてから解放されるんだ」。そんなメッセージは、様々な人生経験を経た現在のホドロフスキー監督の本音だろう。そこには絶対的で圧倒的な「生」に対する肯定感がある。過去の自身へのメッセージを通して、人生賛歌を高らかに歌っているのである。

ラストで、ファシズムが国を覆い始める中で、アレハンドロはパリへ旅立つことを決意する。そこでの父との別れのシーンが胸を打つ。細かなニュアンスは伏せておくが、父と向き合うアレハンドロの前にホドロフスキー監督が登場して、あるアドバイスを送る。そこには、監督自身の過去の自分に対する痛切な思いが込められているに違いない。

強烈な映像の連続で約2時間があっという間だった。頭を柔軟にすれば、これほど面白い映画はないかもしれない。何にしてもホドロフスキー監督でなければ作れない映画なのは間違いない。

前作に引き続き、ホドロフスキー監督の長男ブロンティス・ホドロフスキーホドロフスキー監督の父親役を、青年となったホドロフスキー監督役を、末の息子であるアダン・ホドロフスキーが演じているのも面白いところ。そのあたりもホドロフスキー・ワールドの源泉かもしれない。

映画が、いかに自由で、何でもアリの世界かを改めて思い知らせてくれるユニークこの上ない作品だ。今までホドロフスキー監督の映画を観たことがない人も、一見の価値があると思う。

●今日の映画代、1300円。TCGメンバーズカードの会員料金。ちなみにこの日は入場者に抽選でプレゼントがあり、何と見事に海外版ポスターをゲット! ラッキー!!

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◆「エンドレス・ポエトリー」(POESIA SIN FIN)
(2016年 フランス・チリ・日本)(上映時間2時間8分)
監督・脚本・製作:アレハンドロ・ホドロフスキー
出演:アダン・ホドロフスキー、パメラ・フローレス、ブロンティス・ホドロフスキーレアンドロ・タウブ、アレハンドロ・ホドロフスキー、イェレミアス・ハースコヴィッツ
*新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ有楽町ほかにて公開中、全国順次公開予定
ホームページ http://uplink.co.jp/endless