映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「Vision」

Vision
ユナイテッド・シネマとしまえんにて。2018年6月8日(金)午前11時30分より鑑賞(スクリーン2/E-9)。

ここのところ「あん」「光」と比較的わかりやすい映画を撮ってきた河瀬直美監督。しかし、今回はけっこう難解。人によって様々な解釈が成立しそうな余白の多い作品だ。そもそも以前の河瀬監督は、こうしたタイプの作品が多かったし、地元の奈良・吉野の森を舞台にすることも多かった。そういう点で、原点に回帰したような映画といえるかもしれない。

舞台となるのは吉野の山深い森。地元で暮らす智(永瀬正敏)という男が森の手入れをしている。そんな中、フランスの女性エッセイスト、ジャンヌ(ジュリエット・ビノシュ)が、助手の花(美波)とともにやってくる。ジャンヌは“ビジョン”を求めてやってきたという。

それは、人類のあらゆる苦痛を取り去ることができる幻の薬草らしい。だが、智はビジョンのことを知らないようだった。一方、智の近くに住む謎めいた老女アキ(夏木マリ)は、誰かがやってくることを予感していた。ビジョンについても何かを知っているらしかった。

20年前にこの地にやってきたという智は、いかにもワケあり風の男だ。だが、それ以上に謎だらけなのがアキだ。彼女は盲目だが、鋭い感覚を持つらしい。しかも、「自分は1000年前に生まれた」などと奇妙なことを言う。まるで異界の住人のようなファンタジー的存在なのである。

そして、ジャンヌも何やら秘密を抱えている模様。途中で何度も挟まれる意味不明な短いショットなどから、それが類推できる。

このようにサスペンス的要素を持ちつつも、一筋縄ではいかない物語である。哲学的だったり、精神世界を感じさせるようなセリフなどもある。

ちなみに言語的には日本語以外に、助手の花がいる前半はフランス語と英語が入り乱れ、後半は英語中心に展開する。

ジャンヌと智は少しずつ親密になっていく……。いや、少しずつではなく一気に関係を持つのだ。どう考えても唐突やろッ! とツッコミを入れたくなったが、まあ、それはそれ。

同時に、森には何か大きな異変が起きつつあることが語られる。そして、ビジョンは997年(だっけ?)に一度胞子を放出するということで、その時がもう間近に迫っているらしい。むむ? 何やらSFやホラー的な要素もあるなぁ。とにかく、たくさんの要素がばらまかれた作品なのである。

前半のハイライトは、アキが森に姿を消すところ。それもただ姿を消すのではない。この映画のシンボル的な存在の老木の前で、謎のダンスを踊るのだ。何なんでしょう? これ。アキはある種のシャーマン(巫女)的な存在なのだろうか。

ジャンヌはいったんフランスに帰り、秋になって再訪する。その間に智は、森でケガをしていた鈴(岩田剛典)という青年を助ける。彼はそのまま残り、智の仕事を手伝うようになる。

後半も謎だらけだ。鈴が姿を消したり、謎の東洋人男性(森山未來)が何の脈絡もなく登場したり、智がいつも山に連れて行っていた犬が、謎の死を遂げたり(この犬、演技賞ものです)。

そうかと思えば、「人間の脳には攻撃性の残った部分がある」なんてセリフも飛び出す。そのせいで人間だけが戦争をしたり、虐殺をするのだという。

この謎だらけの世界が、このまま最後まで続くのか???

と危惧したのだが、後半30分ほどで意外な事実が提示されることになる。ここはネタバレになるので伏せておくが、映画の冒頭に登場した猟師(田中泯)が引き起こした悲劇にまつわるドラマだ。そこに、ジャンヌ、鈴、謎の東洋人、アキなどが絡んでくる。やや強引ではあるものの、多くの謎がここで一つにつながるのである。

その後は幻想的シーンが連続する。そして、何よりも全編を通して、吉野の森の様々な表情がまるでアート作品のように美しく、鮮烈に描写されている。この映像だけでも、観る価値のある作品といえるかもしれない。フランスの著名女優ジュリエット・ビノシュをはじめ、怪演と呼ぶにふさわしい夏木マリの演技など役者たちの演技も大きな見どころだ。

一方、ドラマが伝えようとしているものについては、観客それぞれが自分で想像力を働かせて解釈するしかない。自然讃歌、悲恋、母と子の絆、人間の残酷さ、孤独と人とのつながりなど、人によって異なる多様なメッセージを受け取れるはずだ。

何にしても、川瀬監督ならではの唯一無二の自分の世界を構築しているのは間違いがない。映像美と他には類を見ない監督独自の世界という点で、「ツリー・オブ・ライフ」のテレンス・マリック監督を連想してしまった(あそこまで壮大じゃないけど)。そのぐらい独創的で刺激的な作品である。

ところで、この映画は日仏合作映画で配給はLDH PICTURES。エグゼクティブプロデューサーはEXILE HIRO。ああ、そうか。岩田剛典が出ているからか。それにしても、よくこんな作家性の強い映画に金出すなぁ。さすがに金持ってるよなぁ、LDH。もしかして、これからの日本映画は木下グループとLDHが牽引するのか?

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◆「Vision
(2018年 日本・フランス)(上映時間1時間50分)
監督・脚本・編集:河瀬直美
出演:ジュリエット・ビノシュ永瀬正敏、岩田剛典、美波、森山未來、白川和子、ジジ・ぶぅ田中泯夏木マリ
丸の内ピカデリーほかにて全国公開中
ホームページ http://vision-movie.jp/

「レディ・バード」

レディ・バード
TOHOシネマズシャンテにて。2018年6月3日(日)午後12時より鑑賞(スクリーン1/E-12)

アメリカ映画といえば、ハリウッドのメジャーな作品に目が行きがちだが、実際は素晴らしいインディーズ作品がたくさんある。ノア・バームバック監督の2011年の「フランシス・ハ」もそんな映画。ニューヨークを舞台に、プロのダンサーを夢見る女性の思うに任せない人生を描いたドラマだが、その作品で主演と共同脚本を務めていたのがグレタ・ガーウィグ。その後も、2016年の「20センチュリー・ウーマン」などで見事な演技を見せていた。

そんな彼女の監督作品が「レディ・バード」(LADY BIRD)(2017年 アメリカ)である。これまでも日本未公開の共同監督作品はあったようだが、単独での監督作品はこれが初めてとなる。

17歳の女の子の高校生活最後の1年を描いた青春ドラマだ。舞台になるのは2002年のカリフォルニア州サクラメント。ガーウィグ自身の生まれ故郷ということで、自伝的要素も盛り込まれた作品のようだ。

映画が始まって間もなく、驚きのシーンが登場する。サクラメントカトリック系の高校に通う主人公クリスティン(シアーシャ・ローナン)が、母のマリオン(ローリー・メトカーフ)が運転する車に乗る。日頃から口うるさい母親とぶつかっていたクリスティンは、この日も大学進学をめぐって口論になる。母親は地元に残って欲しいと願っているのだが、クリスティンは閉塞感漂うこの街を飛び出して大都会ニューヨークに行きたいと言い出したのだ。

その時にクリスティンがとった行動がスゴイ。なんと彼女は走る車のドアを開けて、外に飛び出してしまう。幸い腕を骨折した程度で済んだが、場合によっては命にもかかわる行動だ。

このようにクリスティンは、時にエキセントリックで予想もつかない行動をする。だが、とんでもない変人かというと、そうではない。基本は、どこにでもいそうな普通の高校生なのだ。ただし、微妙なお年頃のせいもあってあちこちに心が揺れ動く。

クリスティンの現状を象徴するのが、自らを「レディ・バード」と称していることだ。親がつけた名前を嫌い、先生や友達、そして親にもそう呼ばせる。鳥のように羽ばたきたいという思いが、そこに込められているのかもしれない。

ただし、明確な目標があるわけではない。先生から学校内で開かれるミュージカルのオーディションに応募するように言われたクリスティンは、「数学オリンピックに出たい」と言うのだが、先生からは「だってあなた数学が苦手でしょう」と切り返されてしまう。そう。何かをしたいけれど、何をしていいかわからない。そんな不安定なお年頃のクリスティン。こうした絶妙なキャラ設定が、多くの観客の共感につながるはずだ。

ガーウィグ監督は、クリスティンの日常を、テンポよく、生き生きと描いていく。友達と楽しく過ごしたり、ちょっとしたことですれ違いが生まれたり。ボーイフレンドができたと思ったら、彼が同性愛だったり。その後にできた新しいボーイフレンドとも微妙な関係だったり。けっして突飛ではなく、あの年頃の女の子にありがちな出来事を、キラキラとした青春の輝きとともに捉えていく。

ユーモアもタップリと散りばめられている。特に笑ったのが、演劇の稽古で急遽起用された指導役の教師が、アメフトのコーチそのままの指導を行うシーン。舞台をフィールドに見立ててフォーメーションを伝えるシーンに、思わず爆笑してしまった。

その間も、母親との葛藤は続く、母は当然ながらクリスティンのことを心配して口うるさく言うのだが、それでもクリスティンは反発する。2人とも自我が強く似た者同士。親子だからこそぶつかってしまうわけだ。このあたりも、多くの観客が経験することではないだろうか。

進学をめぐって2人が対立する背景には、一家の経済状況もある。母は看護師として忙しく働くが、父は失業してしまう。兄(どうやら彼は養子らしい)は大学を出たのに、奥さんとともにスーパーのレジ係をしている。ニューヨークの大学に娘をやる経済的余裕はないのだ。

それでもクリスティンは自分の意思を通そうと奮闘する。それには父親も内緒で協力する。同時に、友人やボーイフレンドとの関係をはじめ、様々な失敗を糧に、クリスティンは少しずつ成長していく。

そしていよいよ卒業の時。そこから先の展開は伏せるが、ここも絶妙な仕掛けだ。「レディ・バード」からクリスティンへ戻り、故郷のありがたさを再認識する彼女の姿を通して、温かな余韻を残してくれる。

まさに等身大の青春が描かれている作品だ。女性、男性を問わず、この映画を観た人の多くが「これは自分の物語だ」と思ってしまうのではないだろうか。クリスティンの輝きや苦悩、成長はガーウィグ監督と観客自身のものでもあるのだ。

クリスティンを演じたシアーシャ・ローナンは、すでに若くしてその演技力が高く評価されているが、今回は実にナチュラルで魅力的な演技を見せている。母親役のローリー・メトカーフ、父親役のトレイシー・レッツ、友達役のビーニー・フェルドスタインなどの演技も印象に残る。「君の名前で僕を呼んで」のティモシー・シャラメも、ボーイフレンド役で独特の存在感を示している。

ちなみに本作は、第90回アカデミー賞で作品賞ほか6部門にノミネートされ、ガーウィグ監督も女性として史上5人目の監督賞候補になった。監督として、女優として、今後の活躍が大いに期待できそうだ。

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◆「レディ・バード」(LADY BIRD)
(2017年 アメリカ)(上映時間1時間34分)
監督・脚本:グレタ・ガーウィグ
出演:シアーシャ・ローナンローリー・メトカーフ、トレイシー・レッツ、ルーカス・ヘッジズティモシー・シャラメ、ビーニー・フェルドスタイン、スティーヴン・マッキンリー・ヘンダーソン、ロイス・スミス
*TOHOシネマズシャンテほかにて公開中。全国順次公開予定
ホームページ http://ladybird-movie.jp/

 

「万引き家族」

万引き家族
ユナイテッド・シネマとしまえんにて。2018年6月2日(土)午後12時10分より鑑賞(スクリーン3/F-15)。

第71回カンヌ国際映画祭で最高賞のパルムドールを受賞した是枝裕和監督の「万引き家族」。日本映画としては1997年の今村昌平監督の「うなぎ」以来21年ぶりの最高賞である。それを記念して正式公開1週前の週末に先行上映された「万引き家族」を、さっそく鑑賞してきた。

タイトル通り万引きで暮らす家族のドラマである。オープニングで、いきなり万引きの場面が登場する。治(リリー・フランキー)のサポートで、息子・祥太(城桧吏)がスーパーの商品を盗む。その犯行直前の彼の独特のポースが面白い。そして犯行を終えると何食わぬ顔で商店街でコロッケを買い帰宅しようとする。万引きは彼らの生活に欠かせない日常なのだ。

だが、彼らは帰宅途中で、近所の団地の廊下で寒さに震えている女の子を見つける。放っておけない治は、少女を家に連れ帰る。

高層マンションの谷間に取り残されたように建つ古い一軒家の治たちの家。そこにいるのは、妻・信代(安藤サクラ)、信代の妹・亜紀(松岡茉優)、家主の初枝(樹木希林)、そして翔太。彼らは初枝の年金で生活し、足りない分は万引きなどで稼いでいた。その生活に、ゆり(佐々木みゆ)と名乗る少女が加わったわけだ、

そう聞くと、治たちはとんでもない連中に思うかもしれない。だが、彼らとて遊んで暮らしているわけではない。治は工事現場で、信代はクリーニング工場で働いている。それでも、非正規雇用で給料は安い。のちに治はケガをするが労災保険は支給されないし、信代はリストラされてしまう。いわば彼らは格差社会の底辺の貧困層なのだ(ちなみに亜紀は風俗店で働くが、その稼ぎは事情があるのか家には入れていないようだ)。

是枝監督は、自作にことさらに社会的メッセージを込めたことはないと語っているようだが、扱うテーマの多くは社会的なものであり、それを真摯に描くことで自然に観客に問題提起を行っているのは間違いない。今回も社会から見捨てられた貧困層の人々にスポットライトを当てることで、確実に社会性が感じられる映画になっている。

前半は一家の日常を生き生きと、そしてリアルに描いていく。特に、アドリブのような自然なセリフと登場人物の心理を繊細に見せる映像で、観客は一家の生活に深く入り込んでいく。コミカルな要素もあるし、光と影を効果的に使った映像も印象的だ。

そうした描写を通じて家族としての一体感が見えてくる。明確な説明があるわけではないが、彼らがそれぞれ過去の傷を背負っているらしいことがチラチラと示される。新たに家族に加わったゆりも、どうやら虐待を受けていたらしいことが示唆される。

ドラマは比較的早いうちに転機を迎える。ゆりが行方不明になった女の子だったことがわかる。信代は、ゆりが帰りたいと言えば戻すつもりだったが、彼女はこのまま一家と暮らすと言う。こうして、ゆりは治たちと暮らし始める。

この一件を通して、一家の絆がよりクッキリと見えてくる。それはお互いに過去の傷を持つ者同士の共鳴といってもいいかもしれない。

とくれば、彼らは間違いなく本物の家族に見えてくるわけだが、中盤になってどうやらそうではないらしいことがわかってくる。そんな一家が、本物の家族より家族らしい佇まいを見せる。それを通して「家族とは何か?」「血のつながりがなければ家族ではないのか?」といった問題提起が観客に投げかけられる。このあたりは過去の是枝作品の「そして父になる」や「海街diary」とも共通するテーマである。

そんな彼らの家族としての輝きが最高潮に達するのが、海に遊びに出かけた場面だ。性的成長に関する会話を交わす治と翔太をはじめ、どこからどう見ても正真正銘の家族に見える。

だが、その先に待っているのは衝撃的な出来事だ。おりしも、成長するにつれて翔太は一家の犯罪稼業に疑問を抱き始める。そのことが大きな破綻をもたらす。

終盤では、家族それぞれをアップで映した告白シーンが登場する。ここもアドリブのような自然でリアルで短いセリフが、彼らの胸の内をダイレクトに伝える。その半端でない緊張感は、是枝監督の前作「三度目の殺人」をも想起させる。

そこで彼らがやってきたことが明らかになるとともに、なぜそうした行動に至ったかが少しずつ見えてくる。彼らは最初から「万引き家族」になろうとしたわけではなく、運命のいたずらでそうなってしまったのである。

最後に描かれる後日談も印象深い。治と翔太の絆を確認しつつも、そこから自立しようとする翔太の成長を示唆する。その一方で、まだ幼いゆりの不安定な現実を突きつける。単純な結末を示さず、観客の判断にゆだねるあたり、いかにも是枝監督らしい終わり方といえるだろう。

夫婦を演じたリリー・フランキー安藤サクラは、さすがに見事な演技だ。久々に関係を持ったあとの微妙な空気感をはじめ、どれも納得の演技である。樹木希林の味のある演技も素晴らしい。松岡茉優はここでも存在感十分だし、子役たちの初々しい演技も心に残る。

是枝作品中でベストとは断言できないが、過去の作品のエッセンスも織り交ぜた集大成的な作品といえるのではないか。そういう点で、カンヌのパルムドールもなるほどと思わせられた。

それにしても、明確な大団円が用意されている映画でないにもかかわらず、観終わって漂う温かさ、優しい空気感は何なのだろうか。おそらくこの一家の誰もが、悪事を働きつつも、人間としての優しさを失っていないからだろう。ワケありの人々が肩を寄せ合って生きていた。それを見守る是枝監督の視線も温かい。それがこの映画の最大の魅力なのだと思う。

◆「万引き家族
(2018年 日本)(上映時間2時間)
監督・脚本・編集:是枝裕和
出演:リリー・フランキー安藤サクラ松岡茉優池松壮亮、城桧吏、佐々木みゆ、緒形直人森口瑤子山田裕貴片山萌美柄本明高良健吾池脇千鶴樹木希林
*TOHOシネマズ日比谷ほかにて6月8日より全国公開
ホームページ http://gaga.ne.jp/manbiki-kazoku/

「ビューティフル・デイ」

ビューティフル・デイ
ヒューマントラストシネマ有楽町にて。2018年6月1日(金)午後2時より鑑賞(シアター1/E-11)。

この映画を観てオレは思わずつぶやいた。「何じゃ? こりゃ!」。松田優作の物まねではない。そのぐらいぶっ飛んでしまったのだ。

その映画は「ビューティフル・デイ」(YOU WERE NEVER REALLY HERE)(2017年 イギリス)。ジョナサン・エイムズの小説をリン・ラムジー監督が映画化した。ラムジー監督には2011年の「少年は残酷な弓を射る」という鮮烈な作品があるが、それ以来の作品になる。

オレがいったい何にぶっ飛んだのか。映画には観客の想像力を刺激する作品も多い。いったいこれは何を表しているのか? 明確な説明がないままにドラマが進み、観客は与えられたわずかなパズルをヒントに、必死で想像力を働かせるのである。

ビューティフル・デイ」もそんな映画だ。ただし、スケールが違う。90分間、最初から最後までずっと観客の想像力を刺激し続けるのだ。こんな映画はめったにあるものではない。

冒頭から謎めいたシーンが続く。数字をカウントダウンする声、「猫背は嫌いだ。背筋を伸ばせ」という声、少年の姿、呼吸ができないように頭からビニール袋をかぶせられた人物……。何じゃ? こりゃ!

これ以降も、主人公の過去の出来事らしきフラッシュバックや、イメージショットなどが、あちらこちらに挟み込まれる。だが、そうしたことについての詳しい説明は一切ない。観客が想像力を働かせるしかないのである。

そこからおぼろげに浮かんでくるのは、主人公のジョーホアキン・フェニックス)の人物像だ。彼は元軍人で、過去のトラウマに苦しみ、自殺願望を抱えながら生きているらしい。仕事は行方不明者の捜索のスペシャリスト。家には年老いた母がいて、彼女の世話をしている。

そんな彼のもとに、仲介人を介して州の上院議員から、行方不明の10代の娘ニーナ(エカテリーナ・サムソノフ)を捜して欲しいという依頼が舞い込む。ジョーはさっそくハンマー片手にニーナが囚われている売春宿を急襲し、無事に彼女を救い出す。だが、まもなくニーナの父親は死に、彼女は再びさらわれてしまう。ジョーの周辺の人物も殺されてしまう。

というわけで犯罪サスペンスではあるのだが、事件の謎解きなどはほとんどない。最低限のセリフで、ジョーの周辺に起きる出来事を鮮烈な映像で見せていく。例えば、殺されたある人物の遺体をジョーが湖に沈めるシーン。それはまるで絵画のような美しさだ。

アクションシーンもほとんどない。いや、あるのはあるのだ。なにせジョーは仕事をする際に、暴力性をむき出しにする。そうでなければ無事に任務を遂行できない危険な仕事だ。だが、暴力シーンもその前後を描くだけで、そのものズバリのシーンはほとんどない。それもまた観客が自ら想像するしかないのである

音楽の使われ方も印象的な作品だ。「少年は残酷な弓を射る」の音楽も担当した「レディオヘッド」(有名なバンド)のジョニー・グリーンウッドが、不協和音を生かした音楽など独特の音の世界を構築し、ドラマの危険さや怪しさ、緊迫感などを増幅させている。

一方、ドラマ的な最大の見せ場はジョーとニーナとの交流だろう。危険な男と少女との交流といえば、ジャン・レノナタリー・ポートマンが共演した「レオン」あたりを連想するが、それとは全く違う。というか、2人が絡む場面自体がそんなに長くないのである。

だが、それでも2人の心の通い合いはクッキリと刻まれる。深いトラウマを抱えたジョー。自殺願望を抱え、生死の境界線をフラフラと彷徨っている。そして、過酷な運命によって心が壊れてしまったニーナ。こちらも亡霊のような佇まいである。そんな2人の魂が共鳴する。それがスクリーンのこちら側にも自然に伝わってくるのである。

それにしても、ジョーを演じたホアキン・フェニックスの演技がスゴイ。ジョーのトラウマの原因が明確でないにもかかわらず、その傷の深さがダイレクトに伝わってくる。彼の苦悩、荒廃した心、それでも依然として失われていない優しさなどが、セリフ以外の演技によってきちんと表現されている。恐ろしく、優しく、悲しい演技である。

一方、ニーナを演じたエカテリーナ・サムソノフも不思議な魅力を持っている。絶望を体現したようにジョーのヒゲ面の巨体と対照的な、透明で中身が空っぽのようなニーナの存在感を巧みに見せている。今後が楽しみな女優だと思う。

先ほどジョーとニーナの魂の共鳴について述べたが、それは終盤になってさらに高らかに鳴り響く。再びさらわれたニーナを救おうとするジョー。そこで彼が見たものは……。

ラストのレストランでのシーン。戦慄の果てに邦題の「ビューティフル・デイ」が大きな余韻を残す。ジョーとニーナのその後について、思いをはせずにはいられない。

カンヌ国際映画祭脚本賞と男優賞の2冠に輝いたのも納得の作品だ。脚本、演出、映像、音楽、演技などすべての要素が一体となって、芸術的な領域にまで達した映画ではないかと思う。最初から最後まで、無駄なシーンがまったくない。90分間があっという間に過ぎてしまった。あまりにも個性的過ぎる映画なので、人によって好みが分かれそうだが、一見の価値はあるだろう。

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◆「ビューティフル・デイ」(YOU WERE NEVER REALLY HERE)
(2017年 イギリス)(上映時間1時間30分)
監督・脚本:リン・ラムジー
出演:ホアキン・フェニックス、ジュディス・ロバーツ、エカテリーナ・サムソノフ、ジョン・ドーマン、アレックス・マネット、ダンテ・ペレイラ=オルソン、アレッサンドロ・ニヴォラ
新宿バルト9ほかにて全国公開中
ホームページ http://beautifulday-movie.com/

 

「29歳問題」

29歳問題
YEBISU GARDEN CINEMAにて。2018年5月29日(火)午後12時40分より鑑賞(スクリーン2/D-6)。

女性の29歳というのは、なかなか難しい年齢らしい。30歳を目前にして、これからの生き方に思い悩んだりするのだろうか。そういえば「アラサー」という表現も、ポジティブな意味合いよりもネガティブに語られることが多いような気がする。

そんな29歳の女性の戸惑いや苦悩を描いた映画が「29歳問題」(29+1)(2017年 香港)である。もともとは舞台劇、それも一人芝居だ。その芝居を演出・主演で演じ続けてきたキーレン・パンが、自ら監督・脚本を担当して映画化を実現した。

とはいえこの映画、舞台劇の映画化という感じはあまりしない。むしろ映画的な魅力に満ちている。ところどころに主人公がカメラに向かって話しかけたり、登場人物の妄想や願望を映像にしたり。現実にはあり得ない人物を同じ場面に登場させたりもする。映像的な工夫が、あちらこちらに見られる作品なのだ。

主人公は化粧品会社で働く主人公のクリスティ(クリッシー・チャウ)。現在29歳。あと1か月で30歳になる。仕事は順調だし、長年付き合っている恋人チーホウ(ベン・ヨン)もいる。だが、結婚に関しては微妙な感じだ。

そんなクリスティの現状を、彼女の日常から無理なく伝える序盤から引き込まれる。冒頭はクリスティが起床して会社に向かうまでを、テンポよく、ユーモラスに描く。続いて会社での彼女、友達と楽しく過ごす彼女などの姿から、今の置かれた状況が如実に理解できる。

そんな彼女は会社で部長に昇進する。それによって重たい責任を負わされることになる。恋人との関係も何やら危うい。そして、認知症の父親の存在も彼女の頭痛の種だ。

さらに、もう一つの大問題が発生する。いきなり大家から立ち退きを迫られてしまったのだ。とりあえず彼に紹介された部屋で、クリスティは仮住まいすることになる。そこはティンロ(ジョイス・チェン)という女性の部屋で、彼女は1か月間パリ旅行に出かけていたのだ。

レスリー・チャンが出演したドラマ「日没のパリ」を観てパリに憧れたティンロは、部屋にエッフェル塔型に写真を貼り付けていた。その部屋でクリスティはティンロの日記を発見する。それを読むと、なんと彼女はクリスティと同じ日が誕生日ではないか。その日記には、彼女の日常が綴られていた。

というわけで、そのあたりからはティンロの日記の内容が映像化される。ティンロはクリスティとは対照的な女性だった。いかにもキャリアウーマン的外見のクリスティとまったく違う、ちょっと太めで眼鏡の外見。いや、違うのは外見だけではない。性格は底抜けに明るくて楽天的。困難も笑顔で乗り切ってしまう。勤め先のレコード店主や幼なじみの男の子たちとの交遊も、実に微笑ましいものだ。

観客は日々楽し気なティンロの日常を見て、彼女に好感を持つだろう。それはクリスティも同様だ。ティンロの日常は彼女にとって新鮮に映る。こうして観客と主人公が同時体験でティンロに惹かれる構成がなかなか面白い。

だが、そんなことでクリスティの現状が好転するお気楽な展開にはならない。父が亡くなったこともあって、クリスティは仕事を辞めてしまう。だが、それは彼女にとって新たな迷走の始まりだった。一人になると、それはそれで心が乱れる。恋人との関係も決定的な場面を迎える。はたして彼女は前を向けるのだろうか。

そこから先は意外な展開が待ち受けている。再びティンロの日記を手に取るクリスティ。そこに書かれていたのは衝撃的な事実。ただ楽天的なだけに見えたティンロの意外な影だ。それに絡んで切ない恋愛模様も描かれる。

このあたりの情感を高める仕掛けが見事だ。音楽なども巧みに使いながら、観客の心を揺さぶる。冷静に考えれば、「それだけでクリスティが変化するのだろうか?」と思わないわけでもないのだが、観ているうちはそういうことを感じさせない。素直に感動して、観客もクリスティとともに前を向くようになるのである。

ラストに進むにつれて、今の29歳の女性も、かつての29歳の女性も、思わずグッとくるのではないか。いや、男性だってけっこう引き込まれそうだ。そんな中、ラストではあるファンタスティックな仕掛けが用意されている。あと味はとても爽やかである。

この映画のもう一つの魅力は80~90年代の香港カルチャーヘのオマージュ。すでに述べたレスリー・チャン以外にも、ウォン・カーウァイ監督の直筆サイン入り「花様年華」のポスターが、クリスティとティンロを結ぶアイテムになるなど、当時の香港の映画や音楽などの話題を巧みに織り込んでいる。エンディングに流れるレスリー・チャンのバラード「由零開始」も心に染みる。

対照的な2人の29歳の女性の幸せ探しをユーモアを交えつつ、温かく描いた作品だ。おそらくキーレン・パン監督自身の経験が投影されているのではないか。演出過多なところもある映画だが、説得力を失っていないのはそのせいだろう。

女性でもなく、29歳もはるか前に過ぎてしまったオレだが、観終わって実に気持ちよく映画館を後にできたのである。

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◆「29歳問題」(29+1)
(2017年 香港)(上映時間1時間51分)
監督・脚本:キーレン・パン
出演:クリッシー・チャウ、ジョイス・チェン、ベイビージョン・チョイ、ベン・ヤン、エイレン・チン、ジャン・ラム、エリック・コット
*YEBISU GARDEN CINEMAほかにて公開中。全国順次公開予定
ホームページ http://29saimondai.com/

「ゲティ家の身代金」

ゲティ家の身代金
池袋シネマ・ロサにて。2018年5月27日(日)午後12時35分より鑑賞(シネマ・ロサ2/D-8)。

高齢化社会の現在。高齢の映画監督も大活躍だ。103歳で最後の監督作を撮ったポルトガルの巨匠マノエル・ド・オリヴェイラ監督は2015年に死去したが、現在88歳のクリント・イーストウッド監督は依然として現役バリバリ。そして、現在80歳のリドリー・スコット監督もまだまだ元気である。

最新作「ゲティ家の身代金」(ALL THE MONEY IN THE WORLD)(2017 アメリカ)は、1973年に世界中で大きな話題になった大富豪の孫の誘拐事件を描いた実録ドラマである。

事件の発端はローマ。17歳の青年ポール(チャーリー・プラマー)が誘拐されるところからドラマは始まる。いったい彼は何者なのか。直後に描かれるのはポールの祖父ジャン・ポール・ゲティ(クリストファー・プラマー)の成り上がりの経緯だ。彼はサウジアラビアから石油を輸入したのをきっかけに石油王となり、世界一の大富豪として知られるようになったのである。

続いて、このドラマの主人公であるポールの母ゲイル(ミシェル・ウィリアムズ)の身の上が描かれる。彼女はゲティの息子と結婚したものの、夫とゲティは疎遠になり経済的にも困窮する。そこで夫に手紙を書かせてゲティと仲直りさせるのだが、結局夫は酒、麻薬、女に走り、ゲイルは離婚を決意する。

その時のゲイルの決断が潔い。ゲティに対して「金は一銭もいらないから子供たちの養育権をよこせ」と迫るのである。こうして彼女は息子と娘と暮らすようになるが、ゲティ家を離れたことによって金銭的には苦しい状況に追い込まれる。そんな中で起きた誘拐事件である。

前半で描かれるのは、大富豪ゲティの並外れた守銭奴ぶりだ。ポールを誘拐した犯人たちは、身代金として1700万ドルを要求する。なにせあり余るほどの金を持った大富豪、かわいい孫のためにポンと金を出すかと思いきや、この銭ゲバじじいは断固として支払いを拒否するのである。

彼は孫が嫌いなわけではない。むしろ愛しているのだろう。だが、それとこれとは話が別。彼にとって金は特別な存在なのだ。どんな理由があろうとも儲からない投資などしないのである。

ゲティは美術品を多数買い集めている。だが、それを買う際にも徹底的に値切り、少しでも安く買おうとする。そんなじいさんだから、孫の身代金など支払わないのも当然なわけだ。

一方、ゲイルには自ら身代金を払う経済的余裕はなかった。何が何でもゲティから金を引き出すしかない。息子を救い出すために、ゲイルは脅迫してくる誘拐犯のみならず、支払いを拒否する大富豪ゲティとも戦うことになるのである。

この映画は欲張りだ。誘拐事件をめぐる犯罪サスペンスと同時に、大富豪ゲティ家をめぐる葛藤を描いた人間ドラマも描き出す。はっきり言って詰め込み過ぎなのだが、リドリー・スコット監督は、それを承知のうえで様々な要素を手際よくまとめていく。

犯罪サスペンスとしての魅力は、ハラハラドキドキ感にある。身元の判明した犯人グループを警察が急襲するシーン、ポールが機転をきかせて脱出を試みるシーンなど、スリリングで手に汗握る場面が次々に飛び出し、最初から最後まで目が離せない。

それに比べて人間ドラマはやや薄味だが、それでも観応えは十分にある。その原因は、何といっても大富豪ゲティを演じる88歳の大ベテラン、クリストファー・プラマーとゲイルを演じるミシェル・ウィリアムズの演技にある。

実は、ゲイル役はもともとケヴィン・スベイシーが演じていたのだが、例のセクハラ問題で降板。急遽クリストファー・プラマーが起用されて、短期間で撮り直したという。だが、これが結果的には成功だった。銭ゲバ男のギラギラ感を出すのにケヴィン・スペイシーはピッタリだが、それだけでは物足りない。そこに憐れみや哀しみも漂わせているのは、クリストファー・プラマーの演技だからである。さすが名優!

対するミシェル・ウィリアムズも素晴らしい熱演だ。愛する息子を取り戻すために、執念でゲティに迫り、あの手この手で金を引き出そうと奮闘する。孫を取り戻すべくゲイルが派遣した元CIAの男チェイスマーク・ウォールバーグ)が、次第にゲイルに肩入れするようになったり、犯人の一人チンクアンタ(ロマン・デュリス)まで情にほだされていくのも納得。それほど大迫力の演技なのである。

チェイスを演じたマーク・ウォールバーグは、比較的地味な役どころではあるのだが、それでも終盤でゲティを相手に堂々と啖呵を切る見せ場が用意されている。このあたりの配慮も、いかにもベテラン監督らしい心憎さだ。

終盤はいったん大団円と思わせて、再びハラハラドキドキを仕掛ける展開。そして、守銭奴じいさんの寂しい末路を描いて哀愁を漂わせる。ここでまた、クリストファー・プラマーの起用が正解だったことを再確認。

犯罪サスペンスとしてのスリル、迫力は一級品。マネーに翻弄される人々の人間模様も適度に織り込みつつ、完成度の高いエンタメ映画に仕上げている。さすがリドリー・スコット監督である。クリストファー・プラマーミシェル・ウィリアムズの演技ともども観応えは十分だ。

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◆「ゲティ家の身代金」(ALL THE MONEY IN THE WORLD)
(2017 アメリカ)(上映時間2時間13分)
監督:リドリー・スコット
出演:ミシェル・ウィリアムズクリストファー・プラマーマーク・ウォールバーグ、チャーリー・プラマー、ロマン・デュリスティモシー・ハットン、チャーリー・ショットウェル、アンドレア・ピーディモンテ、キット・クロンストン、マヤ・ケリー
*りTOHOシネマズ日比谷ほかにて全国公開中
ホームページ http://getty-ransom.jp/

「友罪」

友罪
池袋シネマ・ロサにて。2018年5月26日(土)午後12時10より鑑賞(シネマ・ロサ1/D-10)。

最近の日本映画には、観客に様々な問いを投げかけたり、重たい余韻を残す作品が少ないような気がするのだが、それはオレの思い込みだろうか。もちろん底抜けに楽しい映画や、カタルシスを味わえる映画も嫌いではないのだが、そればかりというのもなんだか寂しい気がするのだ。

そんな中、登場したのが「友罪」(2017年 日本)である。薬丸岳の同名小説を瀬々敬久監督が自ら脚本も手掛けて映画化した。これぞまさに、重たい余韻を残すヘヴィー級の作品だ。

冒頭に登場する工場。そこで元雑誌記者の益田(生田斗真)が働き始める。彼は同じ日に入った鈴木(瑛太)という男と出会う。鈴木は初めから黒い影を背負い、感情を押し殺して行動する。他人との交流も拒んでいるようだ。そして、夜になるとうなされる。どう考えても、心に傷を抱えた人物である。

一方、益田もワケあり風だ。同じ寮に暮らす鈴木がうなされるのを聞きながら、益田もまたうなされる。そう。彼もまた心に傷があったのだ。そんな心の傷が共振したのか、2人は少しずつ距離を縮めていく。

だが、そんな中、近くの町で児童殺害事件が起きる。世間では、17年前に起きた連続児童殺傷事件との類似性が噂される。当時14歳だった犯人の「少年A」は、すでに出所していた。

益田はネットに載っていた少年Aの写真を見て愕然とする。それは鈴木とよく似た少年だった。益田は鈴木が「少年A」ではないかと疑いを抱き、調査を始める……。

全編を重苦しい空気が支配する映画だ。身近にいる人間が犯罪者ではないかと疑念を持つ映画は、過去にもよく見られた(最近では吉田大八監督の「羊の木」など)。だが、この映画で取り上げられている犯罪は、凶悪な連続児童殺傷事件。しかも、犯人は14歳の少年だ。それだけに衝撃は大きい。

瀬々監督は手持ちカメラの映像なども多用しながら、益田や鈴木たちの心理を繊細に切り取っていく。決して仰々しい表現ではない。むしろ抑制的な表現である。だが、それだからこそリアルだ。あまりのリアルさに、時には胸苦しささえ覚えてしまう。

しかも、描かれるのは益田と鈴木のエピソードだけではない。鈴木に好意を寄せる元AV女優の美代子(夏帆)、かつて医療少年院で鈴木を担当した教官の白石(富田靖子)、息子が起こした交通事故の遺族に罪を償い続ける山内(佐藤浩市)らのエピソードも配し、そうした人々の苦悩をスクリーンに刻み付けていく。

それらを通して突きつけられるテーマは、「罪」あるいは「贖罪」である。罪を償うということはどういうことなのか。罪を犯した人間は許されないのか。観客に重たい問いが投げかけられる。同時に、家庭を壊し娘との関係を悪化させた白石、家族を解散した山内の姿などを通して、家族や親子関係の問題にまで踏み込んでいく。

「罪」といえば、瀬々監督の4時間を超す大作「ヘヴンズ ストーリー」とも通底するテーマだ。あちらは被害者側の復讐心に焦点を当てていたが、そういう点で本作と表裏一体の関係にあるといえるかもしれない。

ただし、これだけ多くのエピソードを詰め込むことには、賛否両論ありそうだ。さすがに2時間少しの映画では、個々のエピソードを深化させるのは困難だろう。できればこの映画も、「ヘヴンズ ストーリー」ぐらいの長尺で撮って欲しかった気はするが、さすがにそれは無理な注文か。少なくとも、複数のエピソードを交錯させることで、テーマ性を強く浮き彫りにすることには成功していると思う。

おかげで濃密すぎる2時間9分だ。一瞬も緩みがない。印象的なシーンも数々あるが、中でも益田と鈴木が公園で本音をぶつけ合うシーンが胸を打つ。そこで鈴木は益田に「それでも生きたい」と吐露する。罪の意識を抱え、自らを殺そうとする場面もある彼だけに、その言葉が痛切に響く。

少年院で仲間に襲いかかった少年に対して白石が「人が死んだら、その人の存在がなくなるんだよ」と叫ぶシーンも印象深い。その後に描かれる彼女と娘との対面シーンを含めて、「生」と「死」という根源的な問題にまで、思いをめぐらせずにはいられない。

というわけで、重たい映画ではあるものの、ラストには微かな希望の灯らしきものも見える。もがき苦しむ益田と鈴木の先にあるもの。それは絶望だけではないはずだ。

この映画の素晴らしさはキャストの演技にもある。生田斗真瑛太はそれぞれの揺れ動く心理を、セリフ以外の部分で表現していく。そして、夏帆富田靖子佐藤浩市をはじめ、青木崇高忍成修吾西田尚美村上淳光石研らの芸達者な脇役陣の演技も素晴らしい。

観終わって感じたのは、人間は罪(法律的な罪に限らず)を重ねながら生きる苦難に満ちた存在だということ。そして、それでもきっと寄り添う人がいてくれるということだ。安易な解決法などは示されない作品だけに、映画を通して投げかけられた問いを、オレたちはしっかりと抱えながら、明日を生きていくしかないのである。

それにしても、最近の瀬々監督はハイペースで作品を送り出している。「64-ロクヨン-前編・後編」(2016)、「なりゆきな魂、」(2017) 「最低。」(2017)「8年越しの花嫁」(2017)。瀬々監督、働きすぎです!(笑)

そして、来たる7月7日には構想30年という力作「菊とギロチン」が公開予定。ますます楽しみになってきた次第である。

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◆「友罪
(2017年 日本)(上映時間2時間9分)
監督・脚本:瀬々敬久
出演:生田斗真瑛太夏帆山本美月富田靖子、奥野瑛太、飯田芳、小市慢太郎矢島健一青木崇高忍成修吾西田尚美村上淳片岡礼子石田法嗣北浦愛、坂井真紀、古舘寛治宇野祥平大西信満渡辺真起子光石研佐藤浩市
*TOHOシネマズ日比谷ほかにて全国公開中
ホームページ http://gaga.ne.jp/yuzai/