映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「光」

「光」
新宿バルト9にて。2017年5月28日(日)午後3時5分より鑑賞(シアター2/F-7)。

もともと視力が悪かったのに加え、ここ数年いろいろと目の病気をしたせいで、ますます見えにくくなってしまった。今のところ日常生活にはそれほど支障がないが、もっとひどくなったらどうしよう、という心配も多少はある。映画だって今はメガネをかければ問題なく観られるが、もっと悪化すればそうもいかなくなるだろう。

とはいえ、視覚に障がいを持つ人でも映画を楽しむことはできる。そのために、視覚障がい者向けの音声ガイド付き作品というものがある。ただし、これがなかなか普及しない。NPO法人メディア・アクセス・サポートセンターの調べでは、日本で2014年に公開された映画は615本あるが、そのうち視覚障がい者に配慮した音声ガイド付き作品はわずか6本(1%)だけだったという。

カンヌ国際映画祭の常連で、「萌の朱雀」「殯の森」などで知られる河瀨直美監督の最新作「光」(2017年 日本)は、そんな視覚障がい者向けの音声ガイドが素材になっている。ちなみに、本作もカンヌのコンペ部門に選出されたが、残念ながら映画祭自体の賞の受賞はならなかった(キリスト教関連の団体や批評家によって選ばれるエキュメニカル賞を受賞)。

河瀨監督といえば、以前は自分の世界だけで映画を撮っている感じで、正直なところ、ついていけない部分も多かったのだが、ハンセン病をテーマにした前作「あん」は、地に足が着いた感じで、ずいぶんわかりやすい映画になっていた。本作もその延長線上にあるといっていいだろう。

主人公は美佐子(水崎綾女)という女性。彼女は視覚障がい者のための映画の音声ガイド制作の仕事を始めたところだ。そんな美佐子が、練習のために、街のあらゆる情景を音声で表現するところから映画はスタートする。

それに続いて彼女が担当した音声ガイドについて、視覚障がい者たちが集まって、それぞれに意見を言う場面が登場する。慣れない仕事の美佐子だけに、みんな気を使って慎重に感想を言うのだが、そんな中、中森雅哉(永瀬正敏)という男だけは不愛想に、遠慮なしにケチをつける。あまりのもの言いに、美佐子は反発する。実は中森は、もとは有名なカメラマンだったのだが、病気で徐々に視力を失いつつあるのだった。

先ほど、地に足が着いたと言った河瀨監督だが、それは物語の運び方やテーマの伝え方などに関して。映像そのものは昔とあまり変わっていない。極端なアップ(目だけを映すシーンも多い)や手持ちカメラの多用で、ドキュメンタリーのようなリアルな映像を生み出していく。アドリブのようなごく自然なセリフも、リアル感を倍加する。そうした手法を通じて、人物の心理を繊細に描写していくのだ。

今回は特に、徐々に視力が弱くなっていく中森の焦り、悲しみ、持って行き場のない怒りなどが実に巧みに表現されている。また、過去の出来事によって心に傷を負う美佐子の微妙な心の揺れ動きも、きっちりととらえている。

ぼやけた風景や、一部が欠けた映像など、中森が見た世界を映した映像も効果的に使われる。

また、河瀨監督の映像は自然を生き生きととらえているのも魅力だ。今回も美佐子の故郷の森や山の風景などが鮮やかに映しだされる。おそらく、今回も河瀨監督の故郷・奈良を中心に撮影されたのだろう。

そして、忘れてはならないのが夕日の美しさだ。中森に反発していた美佐子だが、彼が撮影した夕日の写真に感動し、いつかその場所に連れて行って欲しいと思うようになる。また、後半で彼女の母が行方不明になる場面でも、美しい夕日が登場する。それらの映像も言葉にできないほどの美しさである。

というわけで、美佐子と中森の交流がこの映画の中心であり、そこにはラブストーリー的要素もある。この映画の公式ホームページにも「珠玉のラブストーリー」という宣伝文句がある。だが、個人的にはラブストーリーとしての魅力は、それほど感じなかった。河瀨監督の気持ちは、本当にラプストーリーに向いていたのだろうか。

オレが感じたのは、それよりも「大切なものを失うこと」の意味である。中森は視力が弱くなって、もはやまともに写真を撮れないのに、なかなかカメラを手放すことができない。「カメラは心臓だ」とまで言い切る。しかし、終盤に彼は大きな決断をする。その決断が美佐子の心を揺さぶる。

一方、美佐子は父が蒸発し、それをきっかけに母は認知症になってしまったらしい。そのことが彼女の心に大きな影を落としている。美佐子も母も「父=夫」という大事な存在を失ってしまったわけだ。

そして、この映画には美佐子が音声ガイドを担当した劇中映画が登場する(監督&主演役は藤竜也)。それは妻が認知症になった男の惑いを描いたものだ。妻は記憶をなくし、夫はそれを黙って見ているしかない。彼らもまた大きな喪失感と向き合っている。

そんな大切なものを失った人々の姿を通して、人生の困難さを描くとともに、それでもきっと「光」が訪れることを、河瀨監督は伝えたかったのではないだろうか。観終わって、人間に対する優しさ、愛おしさが感じられる映画だった。

ラストも印象深い。いよいよ美佐子が制作した音声ガイドが流れる試写会だ(音声ガイドを読むのは樹木希林)。かねてから懸案だったラストを美佐子はどんなふうにしたのか。余韻の残るエンディングだ。

文句なしに深みのある人間ドラマである。この映画がきっかけになって、音声ガイド付き作品がもっと増えてくれればいいのだけれど・・・。

●今日の映画代、1500円。事前にムビチケ購入済み。