映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「SUNNY 強い気持ち・強い愛」

SUNNY 強い気持ち・強い愛
ユナイテッド・シネマとしまえんにて。2018年9月1日(土)午後2時25分より鑑賞(スクリーン9/E-12)。

~オリジナルの良さを生かして大根監督らしい色付けをしたリメイク版

2011年に製作され、日本でもヒットした韓国映画「サニー 永遠の仲間たち」は素晴らしい作品だった。末期ガンの仲間の存在をきっかけに、かつての女子高生グルーブが再結集を目指すドラマで、ノスタルジーと切なさと感動にあふれていた。オレも最後には思わず感涙にむせんでしまったものだ。

そんなヒット映画を日本でリメイクしようというのは、いかにもあざとい策略だ。関係者各位の商魂が丸見えである。しかも、オリジナルがあまりに素晴らし過ぎただけに、失敗に終わる確率が高いのではないか。

そんな不安を両手いっぱいに抱えつつ、リメイク版の「SUNNY 強い気持ち・強い愛」(2018年 日本)を鑑賞した。だが、結論を先に言えばオレの不安は杞憂に終わった。リメイクとしては成功の部類に入るよくできた映画だったのだ。

だって、そりゃそうでしょう。「モテキ」「バクマン。」などでおなじみの大根仁監督は、韓国版の設定やストーリー展開の骨子をそのまま踏襲しているのだから。それどころか、劇中で登場するエピソードもかなり似通っている。主人公の名前が奈美だというのも、韓国版の主人公ナミを意識したものだろう。

リメイクというと、あれこれ手を加えたくなるものだが、大根監督があえてそうしなかったのは、韓国版の素晴らしさを理解し、リスペクトしているからだろう。それがこのリメイク版の最大の勝因だ。

とはいえ舞台は日本だ。そこから派生する部分については、当然新しい要素を加えている。特に時代を1990年代に設定し、当時世間を席巻していたコギャルたちを主役に据えたアイデアが秀逸だ。

物語の主人公の奈美(篠原涼子)は専業主婦。母の見舞いに行った病院で、入院中のかつての仲間の芹香(板谷由夏)と再会する。コギャルブームが巻き起こった1990年代に青春の真っただ中にいた彼女たちは、女子高生6人の仲良しグループ“サニー”の一員だった。当時リーダーだった芹香は、末期ガンで余命わずか。「死ぬ前にもう一度みんなと会いたい」と願う。サニーのメンバーは、ある事件をきっかけに音信不通となってしまったのだ。その願いをかなえるべく、奈美は探偵を使ってみんなの消息を調べ、かつての仲間を再結集しようとするのだが……。

というわけで、奈美がかつてのメンバーを探す現在進行形のドラマと、彼女たちが高校生だった頃の過去のドラマが同時並行で進行する。両者のつなげ方は自然で、まったく違和感がない。

過去のドラマパートでは、阪神淡路大震災で淡路島の田舎から東京の高校に転校して来た奈美が、芹香たちと親しくなり、サニーのメンバーとしてダンスコンテストを目指すまでが描かれる。

そこで効果バッグンなのがコギャルである。韓国版のドラマの背景には、かつての学生運動があったのに、それがコギャル文化になってしまうのはどうなんだ? という気もしないではないが、日本の社会状況を考えれば無理からぬことだろう。

それより何より、このコギャルたちの傍若無人さが、映画全体の陰影を色濃くしている。ルーズソックスにミニスカートで、いつも笑い、ハイテンションでにぎやかに過ごす彼女たち。大根監督は、当時のコギャルをよりデフォルメして破格のきらめきを与えている。その無敵のキラキラ感が、現在進行形のドラマの切なさを倍加させるのだ。

何しろ現在の彼女たちは、けっしてバラ色の人生ではない。余命わずかな芹香。一見幸せそうに見える奈美も、夫や娘とのギクシャクした関係に悩んでいる。その他のメンバーも、それぞれが夫の借金や浮気に苦しんだり、自らアル中を抱えていたりと問題だらけなのだ。

そうした過去の青春のキラキラ感と現在のどんより感の対比が、ノスタルジーや切なさをよりクッキリとあぶりだす。笑顔を忘れそうになる現在の彼女たちに、おかしくもないのに笑ってばかりいたかつての彼女たちが、「もう一度笑おうよ!」と呼びかけるのである。

ただし、現在進行形のドラマパートも陰鬱なわけではない。むしろメンバーたちの個性的なキャラを生かした笑いが次々に飛び出す。あるメンバーの夫を懲らしめるために、かつてのコギャルファッションに身を包んで襲撃に出かける場面は爆笑モノだ(韓国版にも似たようなシーンがあったと思うが)。大根監督はアップやストップモーションを多用して、ケレンにあふれた場面を生み出している。

大根作品といえば、「モテキ」の長澤まさみをはじめ、女優がとびっきり輝いているのも魅力だが、今回もそれは変わらない。若き日のメンバーを演じた広瀬すず池田エライザ山本舞香野田美桜田辺桃子富田望生。そして今の彼女たちを演じた篠原涼子小池栄子ともさかりえ渡辺直美板谷由夏。いずれも実に魅力的に描かれている。どうすれば、こんなに女優を輝かせられるのか。毎回不思議で仕方がない。

韓国版では、70~80年代の懐かしの洋楽ヒット・ナンバーが効果的に使われていたが、このリメイク版でも90年代のヒット曲がふんだんに使われている。音楽を担当した小室哲哉の曲をはじめ、懐かしのヒット曲が満載だ。安室奈美恵の「SWEET 19 BLUES」、trfの「EZ DO DANCE」、JUDY AND MARYの「そばかす」などなど。ほーら、あの時代を知っている人にはたまらんはず。

怪しい探偵(リリー・フランキー)の手を借りつつ、少しずつメンバーの消息をつかんでいく奈美。その過程では、奈美の年上の初恋相手との再会なども描かれる。これも韓国版にあったエピソードだったと思うが、これまたノスタルジックで切ない場面である。

だが、メンバー探しは最後の最後まで一人の消息が不明のまま。そして、過去パートではかつて彼女たちをバラバラにしたある事件の顛末が描かれる。この伏線があるから、ラストの感動が大きくなる。

はたしてサニーの再結集は実現するのか。ネタバレになるので詳しくは伏せるが、最後の場面は韓国版とほぼ同様。それでも、わかっていても胸が熱くなってくる。小沢健二の「強い気持ち・強い愛」をバックにした、サニーのメンバーたちによるダンスシーンが観客の心を直撃する。そして、最後の最後に現れるあの人物……。

このあたりも韓国版の展開とほぼ同様だ。ただし、韓国版がここで余韻を残して終わったのに対して、大根監督はその後に観客へのプレゼントを用意する。韓国版にはなかった新旧のサニーのメンバーによるダンスシーンだ。

このキラキラしたダンスが、韓国版とは違った色合いを加えている。感動の後で幸せな気分を観客に味合わせ、心地よく映画館から送り出してくれるのである。大根監督らしいエンタメ度の高いエンディングといえるだろう。

結果的に、オリジナルの韓国版の素晴らしさをそのまま取り込んで、大根監督らしい新たな魅力を加えた点で、リメイク版としてはなかなかの映画になっていると思う。

そして、本作を観た方には、ぜひ韓国版も見てもらいたい。そちらがあってこその本作なのだから。

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◆「SUNNY 強い気持ち・強い愛
(2018年 日本)(上映時間1時間58分)
監督・脚本:大根仁
出演:篠原涼子広瀬すず小池栄子ともさかりえ渡辺直美池田エライザ山本舞香野田美桜田辺桃子富田望生三浦春馬リリー・フランキー板谷由夏
*TOHOシネマズ日比谷ほかにて全国公開中
ホームページ http://sunny-movie.jp/

夏フェスへGO!

ロック・ミュージックは映画と同様に、オレの人生にとって欠かせない要素だ。昔は自分でバンドもやっていたし、海外アーティストのコンサートにもよく足を運んだ。黎明期のフジロックやサマー・ソニックなどの夏フェスにも出かけた。

だが、今は金がない(てか、最近の海外アーティストのチケット代高すぎだろ!)。昔の音楽仲間とも疎遠になり、夏フェスに行く機会もなくなってしまった。実に寂しい限りである。そんな中、今年は久々に行ってやったぜ。夏フェス! しかも一人で。

出かけたのは、9月2日(日)に東京・お台場の海っぺりの特設会場で開催された「夏の魔物」だ。もともと青森で1人の青年が始めたイベントで、年々規模を拡大して、今年はついにウドー音楽事務所と組んで、東京&大阪での開催。ちなみに、その青年は自ら「THE夏の魔物」というバンドも結成しメジャーデビューしている。

さてさて、その夏の魔物だが、これが完全なカオス状態の夏フェスなのだ。会場には6つ、あれ7つだっけ? とにかくそのぐらいたくさんのステージが設えられ、バリバリのロックバンドからアイドルグループまで約80組もの出演者が、とっかえひっかえ演奏する。

これをフジロックのような広大な会場でやるならともかく、端から端まで歩いて2分程度。走れば1分もかからない狭い場所でやるのだ。当然、どこかのステージで演奏すれば、近くのステージの演奏が聞こえてくる。演奏と演奏、音と音とのぶつかり合いだ。出演者の顔ぶれもカオスなら、会場内の様子もカオス。こ、これは日本一混沌とした夏フェスなのではないか!!!

そんな中、オレが目撃した出演者は、「ザ50回転ズ」「羊歯大明神ミチロウ復活祈願バンド」(遠藤ミチロウ療養中のため残りのメンバーとゲストが演奏)「SPANK HAPPY」「Shiggy Jr.」「ベッド・イン」「THERE THER THERS」「うつみようこ」「おとぼけビ~バ~」「ラフィンノーズ」「頭脳警察」「アップアップガールズ(仮)」「サニ・デイ・サービス」「DMBQ」「GANG PARADE」「筋肉少女帯」あたり。なんという脈絡のなさ。いや、そもそものブッキングに脈絡がないのだから、それは仕方ないことだろう。

個人的に、頭脳警察筋肉少女帯あたりのベテラン・ロックバンドの貫禄の演奏も印象深いのだが、最近のアイドルのレベルの高さにも驚かされた。歌も踊りもしっかりしているし、何より踊れる楽曲が多いからこういうフェスにはピッタリなのだった。

それ以外にも、ただのエロいキワモノのおねぇちゃんたちだと思っていたベッド・インがちゃんとロックバンドしていたり(しかし、ファンがジュリ扇振り回すのがすごいな)、いろいろと勉強になりました。はい。

さすがに午前中から夜まで立ちっぱなしで、おまけに売店は大行列(ドリンクなんか早々に売り切れ)という状況下、最後にはすっかり疲労困憊してフィナーレの前に帰ったのではあるが、夏の良い思い出ができたのは間違いがない。また、いつか行けるといいなぁ~。夏フェス。

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「菊とギロチン」東京最終上映

7月7日(土)から公開スタートした映画「菊とギロチン」。8月31日(金)についにテアトル新宿での最終上映を迎えた。当日は、平日の昼間にもかかわらずたくさんの観客が来場。そして上映終了後には大きな拍手が・・・。

その後の舞台挨拶では、木竜麻生、韓英恵、仁科あい、田代友紀、持田加奈子、山田真歩、背乃じゅん、嶺豪一、渋川清彦、東出昌大寛一郎、荒巻全紀、池田良、木村知貴、飯田芳、小林竜樹、小水たいが、伊島空、井浦新大西信満、髙野春樹、大森立嗣、川瀬陽太鈴木卓爾ほか総勢25名のキャストが登場。まさにフィナーレを飾るにふさわしい豪華な舞台挨拶だった。続くロビーでのサイン会も、館外まで行列ができる大盛況ぶり。テアトル新宿が「菊とギロチン」一色に染まった。

このブログでも何度か書いたが、オレは本作の製作資金を多少カンパしただけ。とはいえ、昔から何度かお話させてもらい、その作品をずっと見続けてきた瀬々敬久監督の構想30年という渾身の映画。実際に試写で観て、その素晴らしさに圧倒されたこともあって、まるで製作側のような気分で約2か月を過ごさせてもらった。知人に鑑賞を呼びかけ、自らも何度も劇場に足を運び・・・。ある意味、とても幸せな時間だった。

全国的にはまだまだ上映が続くのだが、とりあえず一段落ということで、鑑賞して下さった皆さん、ありがとうございました!! いつかまた東京での再上映を願いつつ。

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「若い女」

若い女
ユーロスペースにて。2018年8月27日(月)午後12時15分より鑑賞(ユーロスペース2/D-9)。

~面倒で痛い女がいつの間にか魅力的に見える不思議

若い女」って身もふたもない邦題だなぁ~。しかし、中身はなかなかにユニークで面白い映画なのだ。

冒頭からビックリのシーンが登場する。一人の女がある家の前で大声でわめき、悪態をつき、ドアに頭をぶつけて額をケガする。

続いて、またしてもこの女がわめき散らし、悪態をつくシーンが映し出される。相手は運ばれた先の病院の医師だ。だが、彼女の話には脈絡がない。どう考えても情緒不安定だ。そのため彼女は一晩入院させられる。

いったい何なのだ? この女は。

彼女の名前はポーラ(レティシア・ドッシュ)。31歳。10年付き合った年上のカメラマンの恋人に捨てられ、家を追い出されてしまったのだ。病院を出た彼女は再び恋人の家に向かう。中に入れろと激しく怒鳴る。だが、相手にされないと悟ると、たまたま家の外にいた恋人の飼い猫を連れて行ってしまう。

そんなポーラを観ていると。「コイツ、面倒で、嫌な、痛い女だなぁ~」とつくづく思ってしまう。それどころか、「これじゃあ、恋人に捨てられてもしょうがいなかも……」なんてことまで思ってしまうのだ。

主人公をこんなふうに描いていいのか? だが、心配は無用。観ているうちに、次第にポーラに対する印象が変わってくるはず。

お金も家も仕事もないポーラは、猫を抱えてパリの街を転々とする。パーティーに潜入して飲み食いしたり、他人の家に泊めてもらおうとしたり。だが、口の悪さに加え猫を連れていることもあって、知人宅からも安宿からも追い出されてしまう。

このあたりも、ポーラのメチャクチャな行状が目立つ。相変わらず彼女は、痛い女のままなのだ。だが、その後は、雰囲気が少しずつ変化してくる。彼女の多様な表情がチラチラと見えてくるのである。

特に印象的なのが母親との一件だ。母親とは疎遠だったポーラだが、頼る場所もなく仕方なく接近を試みる。だが、母親はポーラを断固として拒否する。明確な説明は一切ないが、おそらく両者の間には相当なことがあったのだろう。

そうやって落ち着く場所もなく、ふらふらとパリの街をさまよう彼女の疲れた表情を観ているうちに、現在のような状況に陥ったのにも、それなりの理由があったに違いないと感じるようになる。そして、ポーラだって繊細さや弱さを持ち合わせていることが見えてくるのだ。そうした中で、さすがに同情とまではいかないが、最初の方の彼女に対する嫌悪感はやわらいでくるのである。

やがてポーラは、住み込みのベビーシッターのバイトを見つけ、同時にショッピングモールの下着店でも働くようになる。ベビーシッターのバイトでは、最初は生意気な子供に手を焼くが、少しずつ心を通わせていく。そこには、その子供にかつての自分をだぶらせているようなポーラの視線も感じられる。

一方、下着店の仕事では、同僚の男性と知り合い、猫を預かってもらうなどして距離を縮めていく。

こうして新たな人生を歩み出したかに見えたポーラだが、その先には思いもよらぬ運命が待っている。そこで彼女は難しい決断を迫られることになる。

終盤になる頃には、最初とは違ってポーラが魅力的に見えて、共感したり、応援したくなってくる。エキセントリックで幼稚な彼女だが、それでも彼女なりに一生懸命に生き、悩み、苦しんでいることが理解できるからだ。

劇中で、ある人物がポーラのことを「野生の子ザル」と表現する。それがまさに言い得た妙だ。何よりも、子ザル並みの凄まじいエネルギーで動き回り、前に突き進む彼女の姿に好感が持てる。もちろん、それが暴走につながることもあるわけだが。

映画のラストでは、ポーラの自立と前進をクッキリと印象付ける。恋人との別れをきっかけに、彼女は確実に成長し、これからは自らの手で人生を切り拓いていくのではないか。そう思わせるラストである(それとは対照的に、男のみっともなさも見えたりして・・・)。

レオノール・セライユ監督は、本作で2017年のカンヌ国際映画祭のカメラ・ドール(新人監督賞)を受賞した。一見極端に思えるポーラの行動にウソ臭さがないのは、そこに監督自身の経験が投影されているからではないだろうか。

主演のレティシア・ドッシュの演技も素晴らしい。カメラに向かって話す一人芝居的な場面もあったりして、多様な演技を披露しているのだが、いずれのシーンでも繊細な感情表現が見られる。何よりも、最初の頃の表情と終盤の表情の変化が見事だ。不思議な魅力を持つ女優だと思う。

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◆「若い女」(JEUNE FEMME)
(2017年 フランス)(上映時間1時間37分)
監督・脚本:レオノール・セライユ
出演:レティシア・ドッシュ、グレゴワール・モンサンジョン、スレマン・セイ・ンジャイェ、ナタリー・リシャール、レオニー・シマガ、エリカ・サント、オドレイ・ボネ、ジャン=クリストフ・フォリー、フィリップ・ラスリー
ユーロスペースほかにて公開中。全国順次公開予定
ホームページ http://www.senlis.co.jp/wakai-onna/

「検察側の罪人」

検察側の罪人
ユナイテッド・シネマとしまえんにて。2018年8月25日(土)午後2時10分より鑑賞(スクリーン3/E-17)。

~「正義とは何か」をめぐる木村拓哉VS二宮和也の対決

木村拓哉が特に嫌いなわけではない。だが、どうも彼が出演する映画やテレビドラマは観る気がしない。何しろカッコよすぎるのだ。カッコよすぎて面白みがないのだ。まあ、ただのやっかみなのだが。

そんなキムタクの今までとは違った一面が観られる映画が「検察側の罪人」(2018年 日本)である。おまけに本作では、キムタクVS二宮和也という対決まで観られるのだ。

原作は雫井脩介のミステリー小説。監督・脚本は「クライマーズ・ハイ」「わが母の記」「日本のいちばん長い日」など様々な映画を撮ってきた原田眞人だ。

全体の構成は3章立てになっている。冒頭で描かれるのは検察官の卵たちの研修風景。受講者の中には沖野(二宮和也)がいる。彼らを前にして、講師の東京地検刑事部のエリート検事・最上(木村拓哉)が正義について説く。その言葉が、この映画全体の展開に大きくかかわってくる。

やがて、最上のもとに沖野が配属されてくる。そして、沖野には事務官として橘沙穂(吉高由里子)がつく。

そんな中、都内で老夫婦殺人事件が発生し、最上と沖野はこの事件を担当することになる。そこで最上は、被疑者の一人である松倉(酒向芳)という男に激しく反応する。最上は事件は松倉の犯行だと主張する。それを受けて、沖野は松倉から自白を引き出すべく取り調べに力を入れる。

この映画には、犯人捜しのミステリーの側面もあるが、それ以上に大きなウエイトを占めるのが「正義とは何かを」をめぐる社会派ミステリーだ。殺人事件の犯人が松倉だと確信する最上だが、その背景にはすでに時効を迎えた未解決殺人事件がある。松倉はその重要参考人だった。しかも、その事件は最上の過去と深くかかわっていた。だから、最上はどんな形でも松倉を罰したかったのだ。それが最上にとっての正義だったのである。

本作の最大の注目点は、やはりキムタクVS二宮和也の対決だろう。二宮演じる沖野の最大の見せ場は取り調べシーンだ。最初に最上に命じられて、得体の知れない闇ブローカー諏訪部(松重豊)と虚々実々の駆け引きを展開するシーンから引き込まれる。

その後の松倉の取り調べも観応え十分だ。離れた場所から音声を聞き指示を出す最上の意を受けつつ、冷静沈着に松倉に迫る沖野。だが、最上からの指示がなくなったのちに、彼は感情を前面に出して激しく松倉に迫る。そこは鬼気迫る壮絶なシーンだ。思わず息を飲むほどの迫力だった。いかにもサイコパス的な危うさを漂わせる松倉役の酒向芳の怪演も、印象に残る。

一方、キムタク演じる最上の見せ場は中盤以降に訪れる。どうしても松倉を罰したい最上だったが、どうやら情勢は彼にとって不利になる。そこで最上がとる行動は衝撃的なものだ。己が信じる正義のために、彼はどんどん暴走していく。その表情には狂気さえ感じさせる。

だが、同時にその過程では、精神的な弱さや自らの決断に対するためらいなどもチラチラと垣間見せる。そう。彼は根っからのワルではない。自らの信念が、良心のタガをはずし、自分で自分を止められない状況に陥っていくのだ。そこに人間の複雑さと弱さが見える。

例えば、役所広司あたりがこういう役をやるなら驚きはない。だが、ヒーローイメージの強いキムタクが演じる意外性もあって、その演技に思わず引きつけられてしまう。こちらも観応えは十分だ。

そんな最上の様子から異変を感じ取った沖野は、ついに彼と決別する。彼が追求したかったのは、あくまでも「真実」なのだ。こうして最上の正義と沖野の真実がぶつかっていく。

終盤は松倉の裁判をめぐる話へと展開していく。というわけで法廷劇を期待したのだが、そうではなかった。描かれるのは法廷外の動き。それでも、検察と弁護側の攻防戦は興味深いし、それを通して最上と沖野の対立も明確になっていく。

ラストも巧みで心憎いシーンだ。短時間だが静かで熱い最上と沖野の対決シーンが用意され、その後に哀しい結末が提示される。二宮の慟哭がいつまでも心に響く余韻の残るラストである。

とまあ、本作の骨格になるドラマについて述べてきたわけだが、実はドラマはまだまだある。最上の旧友である丹野代議士をめぐる事件、最上の崩壊しかけた家庭の話、諏訪部と最上をつなぐ戦時中のインパール作戦の話などなど。沖野の事務官である橘が実はある目的で検察に潜入していた、などという仰天のエピソードまである。

原作を未読なので断言はできないが、おそらくそれらは原作にあるものなのだろう。過去作でも、こうした錯綜する様々な内容を巧みにまとめてきた原田眞人監督が、今回も巧みにそしてダイナミックに様々なドラマを寄り合わせている。さらに、現代の政治や社会批判、反戦への強い意志まで盛り込んでいるところも原田監督らしい。

その手口は鮮やかなのだが、いくら何でもインパール作戦の話などは消化不良気味だろう。その他にも、もう少し刈り込んだほうがよいと感じるエピソードがあったりもする。そのあたりは、何とかならなかったものかと思う。

とはいえ、全体的には濃厚で観応え十分の映画だった。キムタクVS二宮の対決をはじめ観どころも多い。オレのようにキムタクにいまいち乗れない観客も楽しめると思う。

ただし、内容がテンコ盛りなので、これから観る方は途中で置いてけぼりを食わないようにご注意を。

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◆「検察側の罪人
(2018年 日本)(上映時間2時間3分)
監督・脚本:原田眞人
出演:木村拓哉二宮和也吉高由里子平岳大大倉孝二八嶋智人音尾琢真大場泰正、谷田歩、酒向芳、矢島健一キムラ緑子芦名星山崎紘菜松重豊山崎努
*TOHOシネマズ日比谷ほかにて全国公開中
ホームページ http://kensatsugawa-movie.jp/

「英国総督 最後の家」

「英国総督 最後の家」

新宿武蔵野館にて。2018年8月23日(木)午前11時55分より鑑賞(スクリーン1/C-6)。

~インド独立の混乱の中で生まれた多様なドラマ

2002年製作の「ベッカムに恋して」というイギリス映画をご存知だろうか? インド系イギリス人の女の子がプロサッカー選手を目指すドラマ。実に爽やかで瑞々しい作品だった。その映画で監督と共同脚本を担当したグリンダ・チャーダ自身も、インド系移民の女性。そんな彼女がルーツであるインドにまつわる歴史を描いたのが「英国総督 最後の家」(VICEROY'S HOUSE)(2017年 イギリス)である。

1947年、インドのデリーにある英国総督の家に、ルイス・マウントバッテン卿(ヒュー・ボネヴィル)が妻エドウィナ(ジリアン・アンダーソン)、娘パメラ(リリー・トラヴァーズ)とともにやってくる。第二次世界大戦後、イギリスは植民地インドの統治権の返還を決めた。それを受けて主権委譲の任に当たるため、最後の総督として派遣されたのだ。そのマウントバッテン卿と家族のドラマが、この映画の一つの柱だ。

マウントバッテン卿は、インドに寄り添い、インドのために円滑な主権委譲を行おうとする。妻のエドウィナも、夫以上に理想に燃えてインドをより良い方向に導こうとする。識字率の低さや乳幼児の死亡率の高さも、何とか改善したいと考える。当然ながら、2人はインドやインド人を低く見下すようなことはしない。

だが、彼らの思いとは裏腹に事態は思うように進まない。当時のインドでは独立を前にして、統一インドとしての独立を望む多数派のヒンドゥー教徒と、分離してパキスタンの建国を目指すイスラム教徒が激しく対立していた。その対立は全国で暴動や虐殺を巻き起こし、国内は混乱の極致にあった。

こうした状況に頭を悩ませたマウントバッテン卿は、当初は統一インドとしての独立を目指して努力したものの、結局はパキスタンの分離を認めざるを得なくなる。それをめぐる一家の苦悩がリアルに刻まれた映画である。

もちろん歴史的な出来事を描いた実録ドラマの側面もある。ガンジーネルーをはじめ実在の著名人が登場し、独立をめぐって対立や駆け引きを繰り広げる。そこで特に印象深いのがガンジーの苦悩だ。理想主義者の彼は、あくまでも統一インドを追求し、少数派のイスラム教徒のリーダーを首相に据える仰天アイデアまで提示する。だが、周囲に理解されず孤立していく。その姿が何とも悲しい。

それにしても宗教対立の恐ろしさよ。その惨状は背筋が凍るほどひどいものだ。指導者たちは「分離が決まれば暴動は収まる」などとお気楽なことを言うのだが、憎悪の炎はどんどん燃え盛って収まる気配が見えない。

その背景には、こうした対立をイギリスが統治に利用していたという事実もある。そんな大国の身勝手な思惑は、後半でマウントバッテン卿も翻弄する。分離を決意した彼だが、難問は国境線をどう引くのかだ。そこで、イギリス政府のある策略が露見し、マウントバッテン卿に衝撃を与えるのである。

こうして描かれる骨太な歴史ドラマは、宗教対立、民族対立などが絶えない今の時代とも確実につながっているのではないだろうか。

だが、この映画にはまだドラマがある。それは総督の家の使用人たちのドラマだ。総督の家はただの家ではない。500人もの使用人が仕える大邸宅だ。そこでは独立へ向けた関係者の話し合いも行われる。

使用人が500人もいるのだから宗教や出身地も様々だ。当初はそうした差異に関係なく働いていた彼らだが、宗教対立が激化すると彼らもまたバラバラになる。特に分離が決まったのちに、インドかパキスタンか国籍の選択を迫られる彼らの姿が哀しく切ない。邸宅内の備品までインドとパキスタンに分離する光景に至っては、虚しさを越えて愚かささえ漂ってくるのである。

そんな使用人たちの中でも、特にクローズアップされるのがヒンドゥー教徒の青年ジート(マニーシュ・ダヤール)と、令嬢秘書のイスラム教徒の娘アーリア(フーマ・クレシー)だ。かつて投獄されたアーリアの父に対して警官だったジートが温かな心遣いを示したことなどもあって、2人は互いに惹かれあう。だが、これだけ宗教対立が激しい中では、宗教の違いはいかんともしがたく、2人の恋は悲恋へと向かっていく。そんな情感漂う恋愛ドラマもこの映画の魅力の一つだ。

終盤、インドの情勢はますます混乱する。パキスタン独立に際して、マウントバッテン卿が「勝者はいない」といった言葉が重く響く。それを裏付けるかのように、大量の難民が発生する心痛むシーンが描かれる。

だが、悲惨なままでは終わらない。グリンダ・チャーダ監督は、最後の最後にある奇跡を用意する。ここは誰しも感涙必至の場面だろう。どんなにひどい状況でも、希望は必ずあるものなのだ。そう実感させられるラストシーンだった。

マウントバッテン卿を演じたのは、「パディントン」やTVドラマ「ダウントン・アビー」のヒュー・ボネヴィル。コミカルな役柄も多い彼だが、それがステレオタイプな善玉になりがちなマウントバッテン卿に人間味を加えている。

そして、その妻エドウィナを演じたのはジリアン・アンダーソン。そう。かつての大ヒットTVドラマ「X-ファイル」のスカリー捜査官だ。最近は舞台などでも活躍し、実力派女優として鳴らしているという噂は聞いていたが、その噂通りに風格さえ感じさせる演技だった。

歴史ドラマや恋愛ドラマ、ヒューマンドラマなど多面的な魅力を持つ映画だ。インドやパキスタンの歴史に興味のない人も、楽しめるのではないだろうか。

エンドロールの前には、チャーダ監督のファミリーヒストリーが語られる。それを聞いてなぜ彼女がこの映画を作ったのかがよく理解できた。まさに彼女の思いがこもった映画なのである。

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◆「英国総督 最後の家」(VICEROY'S HOUSE)
(2017年 イギリス)(上映時間1時間46分)
監督:グリンダ・チャーダ
出演:ヒュー・ボネヴィル、ジリアン・アンダーソン、マニーシュ・ダヤール、フーマ・クレシー、マイケル・ガンボン、タンヴィール・ガーニ、オム・プリ、ニーラジ・カビ、サイモン・キャロウ、デヴィッド・ヘイマン、デンジル・スミス、リリー・トラヴァーズ、ジャズ・ディオール
新宿武蔵野館ほかにて公開中。全国順次公開予定
ホームページ http://eikokusotoku.jp/

 

 

 

「カメラを止めるな!」

カメラを止めるな!
TOHOシネマズ日本橋にて。2018年8月21日(火)午後7時30分より鑑賞(スクリーン7/F-18)。

~安っぽいゾンビ映画かと思ったら、意外な舞台裏のドラマへと転化

ついに観てしまったのだ。巷で話題の「カメラを止めるな!」(2018年 日本)を。

何が話題かといえば、もともとは映画専門学校「ENBUゼミナール」のワークショップ「シネマプロジェクト」の第7弾として製作され、都内2館だけの上映だったのだが、口コミで評判が広まり、8月からアスミック・エースが共同配給について全国で拡大公開された異例のヒット映画なのだ。

この日のTOHOシネマズ日本橋もかなりの入り。おい、君たち! ブームにばっかり乗っかってんじゃねえよ。オレが支援した「菊とギロチン」も観に行きなさい!!! と、思わず叫びたくなるような盛り上がりなのである。

さて、どんな映画なのかといえば、実はこの映画には仕掛けがある。前半と後半でまったくタイプの違う構成になっているのだ。

前半は完全なゾンビ映画。山奥の廃墟で、ある自主映画の撮影隊がゾンビ映画を撮影している。だが、そこに何と本物のゾンビが登場する。役者やスタッフは恐怖のどん底に突き落とされるが、あくまでも本物を追求するディレクターの日暮は大喜びで撮影を続ける。しかし、その間に撮影隊の面々は次々とゾンビ化していく……。

正直、前半は大して面白くもないゾンビ映画だった。撮影のつもりが本物の惨劇になるというのは、ホラー系の映画ではよくあるパターン。おまけに全体のつくりがチープだし、役者も大根揃い。何だか妙なシーンもたくさんある。

そんな中、唯一の見どころは全編ワンカットで描くカメラワークだ。そこから生まれるスリルがあるから、どうにか目をそらさずに観ることができたのだ。

だが、後半は一変する。前半のゾンビ映画が終わると、そこには意外なネタバラシが待っている。実は、前半のゾンビ映画は、新たに開局したゾンビ専門チャンネル製作による番組だったのだ。

しかも、それは37分ワンカットの生中継という無茶苦茶な企画。おかげで、他の監督にはみんな断られ、テレビの再現ドラマなどを手がけていた日暮にお鉢が回ってきたのである。

え! そうだったの? あらビックリ。

そんな観客も多いだろうが、残念ながらオレはこの仕掛けを事前に知っていたのだ。だから、なおさら前半のゾンビ映画が観るに堪えなかったわけだ。

後半の展開にも全く期待していなかった。ところが、である。実際に観てみるとこれが意外に面白かったのである。

後半に描かれるのは、撮影に臨むまでの準備期間に、ディレクターの日暮やスタッフ、役者たちが巻き起こす、すったもんだの大騒ぎだ。赤ん坊連れでリハに来る女優など、個性派、というかクセのありすぎる人々が勢ぞろいして、あれやこれやと問題を起こす。そこには元女優の日暮の妻、映画監督志望の娘なども絡んでくる。彼らによるドタバタが面白くて素直に笑ってしまったのだ。

さらに、その後は問題の撮影当日の様子が描かれる。つまり、前半のゾンビ映画の流れに沿って、その裏側で何が起きていたのかが明らかにされるのだ。

ここではワンシーンワンカットの生中継という設定が、抜群の効果を発揮する。何しろ中継を途切れさせることはできない。まさにタイトル通りに「カメラを止めるな!」という状況下で、撮影隊の面々がとる珍妙かつ必死の行動が笑いを誘うのである。

襲いくる数々のトラブルに必死で対処する役者やスタッフたち。前半のゾンビ映画を最初に観た時に、「あれ?」「何これ?」と思った変な場面も、なぜそうなったのかわかってくる仕掛けだ。不自然なカメラアングルや、唐突な役者の動きなどもすべてその謎が氷解する。日暮の妻の合気道「ポン」も、こうやって裏側を見せられると、なおさらおかしくなってくる。

最初はただの大根だと思っていた役者たちの演技も、それなりに理由があったりして、それがいい味になっていたりもする。同時に日暮の妻役のしゅはまはるみをはじめ、無名ながら実力ある俳優の演技も堪能できる。

クライマックスのクレーンカメラをめぐる大トラブルでは、撮影隊の絆と映画愛を綴る心憎い締めくくりが用意されている。監督・脚本・編集の上田慎一郎は、これが劇場用長編デビュー作だそうだが、なかなか才能のある人だと思う。今後メジャーでも面白い作品を作りそうだ。

ところでこの映画、現在、盗作疑惑が浮上している。この映画のユニークな構成をはじめ基本のアイデアは、今は解散したある小劇団の舞台劇のものだという。その作品名はエンドロールで「原作」ではなく「原案」として表示されている。また、作者や劇団関係者は「企画協力」だの、「スペシャル・サンクス」だの、不自然な形で表示されている。

まあ、本人たちが納得していればそれでもいいのだろうが、どうやらそうではなくて訴訟騒ぎになっているようだ。

ここからは推測になるが、おそらくプロデューサーも監督も、ここまでヒットするとは思わないで、そのあたりの権利関係の処理に関してルーズだったのではないだろうか。

だとすれば、実にもったいない。今からでも遅くないので、きちんと話し合いをして正しい道を選択して欲しいものですなぁ。深い人間ドラマこそないものの、エンタメとしてはなかなかに面白い映画なのだからして。

◆「カメラを止めるな!
(2018年 日本)(上映時間1時間36分)
監督・脚本・編集:上田慎一郎
出演:濱津隆之、真魚、しゅはまはるみ、長屋和彰、細井学、市原洋、山崎俊太郎、大沢真一郎、竹原芳子、吉田美紀、合田純奈、浅森咲希奈、秋山ゆずき、山口友和、藤村拓矢、イワゴウサトシ、高橋恭子、生見司織
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