映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「タリーと私の秘密の時間」

タリーと私の秘密の時間
TOHOシネマズシャンテにて。2018年8月20日(月)午後2時50分より鑑賞(スクリーン1/F-12)。

~育児で疲弊する女性の変化を説得力を持って描く

子育てというのは大変なものに違いない。まして母親1人で周囲のサポートがない、いわゆる「ワンオペ育児」となれば、それはそれは過酷なものだろう。子どもを持った経験がないオレにも、そのぐらいは理解できる。

というわけで、そんな状況に陥った女性を主人公にした映画が、ジェイソン・ライトマン監督による「タリーと私の秘密の時間」(TULLY)(2018年 アメリカ)だ。ライトマン監督の過去作「JUNO/ジュノ」「ヤング≒アダルト」「マイレージ、マイライフ」などと同様に、人間に対する温かな視線と、そこはかとないユーモアに満ちたドラマである。

主人公のマーロ(シャーリーズ・セロン)は妊娠中でお腹が大きい。そして彼女には2人の子どもがいる。娘のサラ(リア・フランクランド)は手がかからないものの、息子のジョナ(アッシャー・マイルズ・フォーリカ)は情緒不安定。そのため学校の校長から「サポートする専属教師を自分で雇ってほしい」と言われてしまう。そんな中、夫のドリュー(ロン・リヴィングストン)は家事も育児も妻に任せっきり。マーロもそれが当たり前になっている。

やがてマーロは女の子を産む。するとますます家事が増え、ろくに眠ることもできない過酷な日々が続く。さらに、息子ジョナの件で再び校長に呼び出され、違う学校へ転校してもらうと宣告される。そんな状況下でも、夫のドリューは仕事で忙しく、家にいる時はゲーム三昧で何のサポートもしない。

こうしてマーロが疲弊していく様子を、短いシーンをつないでテンポよく見せる描写が秀逸だ。「JUNO/ジュノ」「ヤング≒アダルト」でもライトマン監督とコンビを組んだ脚本のディアブロ・コディは、彼女自身3度目の出産後にうつ状態になった経験をこの映画に投影させたという。それだけに説得力は抜群で、細かなディテールまで納得できる。

そして何といってもシャーリーズ・セロンの演技力だ。かつての「モンスター」でも体重を大幅に増やした彼女だが、今回は18キロ増というそれ以上の増量で撮影に臨んだという。その見た目に加え、繊細でキレのある感情表現が、マーロの苛立ちや疲弊を見事に表現していく。

こうして限界点に達し、どうにもならなくなったマーロは助っ人を呼ぶことにする。裕福な生活をするマーロの兄のクレイグが、出産前に夜専門のベビーシッターを手配してくれると申し出たのだが、その時は「他人に赤ん坊を預けるのは嫌だ」と断っていた。しかし、もはやそんなことは言っていられないと、ベビーシッターを依頼したのだ。

やってきたのは、タリー(マッケンジー・デイヴィス)という若い女性。その仕事ぶりは完璧で、授乳の時にさりげなくマーロを起こすだけ。しかも、掃除をしたり、パンケーキを焼くなど細かなことまで気を配る。はてはマーロと夫とのセックスについての相談にまで乗るのだった。おかげでマーロは肉体的にも精神的にもゆとりを取り戻し、どんどん輝いていく。

このタリーという女性。どう考えても普通の人間とは思えない(宇宙人をにおわせるセリフもある)。とはいえ、完全にファンタジー的な存在に落とし込むわけでもない。地に足をつけつつ、そこからタリーを微妙に浮遊させる。このあたりのバランス感覚が素晴らしい。おかげで、マーロが輝きを取り戻していくところも、自然に受け止めることができるのである。

タリーの正体が明かされるのは終盤。それ自体はけっして意外なものではない。タリーがチラチラと語る身の上話をよく聞けば、彼女が誰なのか薄々察しがつく観客も多いのではないだろうか。

それでも、そこに至る過程を描く手腕が巧みだ。マーロとタリーが夜の街に繰り出した後で、劇中に何度か登場した鮮烈なイメージショットを生かした事件に遭遇させる。そして、夜の街のシーンを再度流し、マーロの「旧姓」をキーワードに事実を明かす。この巧みな展開には思わずうならされてしまった。

何よりも、タリーという存在がマーロの前に現れる必然性が感じられる描き方だ。彼女の過去の人生も含めて、様々な思いがそこにあり、その結節点としてタリーが出現する。これもまた説得力に満ちた描き方といえるだろう。

だからこそ、マーロの前からタリーが去るのも必然なのだ。それをふまえて、さりげないものの、マーロの確実な前進を示唆するラストの温かさも味わい深い。

タリーの正体を知ったうえで、最初からもう一度見直すと、また違った思いが湧いてくるかもしれない。脚本、演出、演技、いずれも上質で、ワンオペ育児に悩んだ経験のある女性ならずとも、納得・共感できるドラマに仕上がっていると思う。

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◆「タリーと私の秘密の時間」(TULLY)
(2018年 アメリカ)(上映時間1時間35分)
監督:ジェイソン・ライトマン
出演:シャーリーズ・セロン、マッケンジー・デイヴィス、マーク・デュプラス、ロン・リヴィングストン、アッシャー・マイルズ・フォーリカ、リア・フランクランド
*TOHOシネマズシャンテほかにて公開中
ホームページ http://tully.jp/

「菊とギロチン」舞台挨拶

前回のブログで書いたが、8月15日(水)、テアトル新宿にて「菊とギロチン」6時30分~の上映後に舞台挨拶があったので行ってきた。

といっても、ただの舞台挨拶ではない。題して「女相撲一座VSギロチン」。この映画は、大正末期の女相撲の力士たちとアナーキストの男たちとの青春群像劇。そこに登場する女相撲一座とアナーキストグループの「ギロチン社」の面々が対決するというのだ。

登場した役者さんたちは、女相撲一座が、木竜麻生、前原麻希、仁科あい、田代友紀、持田加奈子、大西礼芳和田光沙、原田夏帆、嶺豪一。ギロチン社が、荒巻全紀、池田良、飯田芳、小林竜樹、小水たいが、伊島空、東龍之介。

まずは全員の自己紹介の後に白熱の(?)トークバトルが展開。ギロチン社の面々は、この日不在の東出昌大寛一郎も含めてロケ地では狭い部屋に集合して飲み会を繰り広げ、撮影よりも飲み会の方が長かったとか。一方、女相撲一座は数か月に及んだ相撲の稽古の話など興味深い話がたっぷり。女相撲の力士の腋毛の話とか、その他の毛の話とか、しょーもない話まで飛び出して、実に楽しい時間だった。

最後は戦いに終止符が打たれ、観客の合いの手で劇中に登場する「イッチャナ節」を全員で歌って大団円となった。そして、この日は終戦記念日ということで、木竜麻生の音頭で黙祷が行われたのである。

ちなみに、オレは電車の時間があるので速攻で帰ったのだが、その後はサイン会が行われ、さらに前原麻希VS荒巻全紀の本物の相撲対決まで行われたらしい。

それにしても、今回で5回目の鑑賞となったわけだが、今回もず~っとスクリーンから目が離せなかった。作品が放つすさまじいエネルギーに加え、細かな仕掛けや伏線もよく理解できて、ますます面白く観ることができた。瀬々敬久監督は、やっぱり異能の人だと思う。

上映回数は減っているものの、テアトル新宿での上映はまだまだ継続中。今週末からは横浜のシネマ・ジャック&ベティでも公開が始まるなど、全国で順次公開されている。観ないと本当に損します。ぜひぜひ劇場へ。

そして、ここ数日、他の映画レビューのほうの更新が止まっていますが、来週あたりからそちらも再開予定なのでお楽しみに。

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「菊とギロチン」まだまだ・・・

7月7日にテアトル新宿ほかで公開スタートした「菊とギロチン」。前にも書いたが、オレはこの映画にほんの少しだけ製作費をカンパさせてもらった。さらに、宣伝費を募るクラウド・ファンディングにも、これまたほんの少しだけ協力させてもらった。

もちろんその時には、「実在のアナーキストたちと女相撲の力士たちのドラマ」という程度の知識しかなかったのだが、「瀬々敬久監督の構想30年に及ぶ作品がついに実現!」という話を聞き、「それならば」と、なけなしの金をカンパしたのである。

作品を実際にこの目で観たのは渋谷・ユーロライブで行われた試写でだった。その時にオレは「カンパしてよかった」とつくづく思った。関東大震災直後を舞台にした真っ直ぐな女たちと迷走する男たちの熱い青春群像劇であり、差別や貧困など現在に通じる様々なテーマ性を持った作品であり、何よりもスクリーンから放たれる凄まじいエネルギーに圧倒された。

この映画は間違いなく、今年の日本映画を代表する1本になるだろう。別にオレ一人が絶賛しているわけではない。辛口で知られる『キネマ旬報』誌のレビューでは3人の評者が揃って五つ星をつけていた。「ぴあ」の満足度ランキングでも堂々1位を記録した。その他の多くのマスコミでも高評価を得ている。

そんな「菊とギロチン」だが、テアトル新宿ではさすがに公開から1か月以上が過ぎて、上映回数も減ってきたところだ。それでも、ここにきて興味深い情報が飛び込んできた。「8/15(水)女相撲一座VSギロチン社、テアトル新宿にて舞台挨拶決定!」だそうだ。

何のことやらわからん人も多いだろうが、劇中に登場する玉岩興行という女相撲一座の面々と、アナーキスト集団のギロチン社の面々が舞台挨拶をするらしい。しかし、「VS」とはどういう意味だ。まさか相撲で両者が対決するのか?(笑)

ちなみに、7月28日(土)には女相撲チームが登壇し、ギロチン社の面々が乱入。続いて、8月1日(水)にはギロチン社の面々が登壇し、女相撲一座が乱入という場面もあった。オレは後者には残念ながら行けなかったが、前者はしっかりこの目で目撃してきた。

*その時の写真

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というわけで、今回はその総決算なのか? 何にしても錚々たるメンツが勢ぞろいする機会だけに、僭越ながら本作を支援させてもらったオレとしても、やはりこれは劇場に足を運ぶしかあるまい。

ところで、オレは過去にこの映画を4回観ている。(試写等もあって自腹で観たのは2回だけだが)。ということは、次回観れば5回目か。うーむ、さすがにそれはなぁ。

などとは全く思わん。何度観ても面白いのだから。観れば観るほど味わい深いのだから。なので、明後日8月15日(水)テアトル新宿午後6時半~の回に行く予定です。たぶん。

あっという間に全国に上映館が拡大した「カメラを止めるな!」もいいですが、「菊とギロチン」はそれ以上に圧倒されること間違いなし。全国順次公開ということで、これから公開になる地方も多いので(詳細はホームページでチェックしてみてください)、まだの方はぜひぜひご鑑賞くだされ!!
 

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「追想」

追想
池袋シネマ・ロサにて。2018年8月10日(金)午後1時20分より鑑賞(CINEMA ROSA 2/D-9)。

~新婚初夜の若い2人の姿が呼び覚ます「もしも、あの時・・・」

シアーシャ・ローナンは、今乗りに乗っている女優の一人といえるだろう。昨年公開の「ブルックリン」に続いて、先日はグレタ・ガーウィグ監督の青春ドラマ「レディ・バード」で見事な演技を披露していた。

そんな彼女の出世作といえば、キーラ・ナイトレイ主演の「つぐない」(2007)。弱冠13歳にしてアカデミー賞助演女優賞をはじめ多くの映画賞にノミネートされた。

その「つぐない」の原作者でブッカー賞受賞作家イアン・マキューアンの小説「初夜」をキューアン自らの脚本で映画化したのが、「追想」(ON CHESIL BEACH)(2018年 イギリス)。主演を務めるのはシアーシャ・ローナンだ。

映画が始まると陽気なロックンロールとともに美しいビーチが映る。そこを一組のカップルが歩いている。バイオリニストのフローレンス(シアーシャ・ローナン)と歴史学者を目指すエドワード(ビリー・ハウル)だ。2人は結婚式を挙げたばかりで、新婚旅行でドーセット州のチェジル・ビーチを訪れていた。

ホテルにチェックインした2人は緊張気味。それでも自然にキスをする。だが、そこでドアをノックする音が。ホテルのボーイが夕食を運んできたのだ。早く2人きりになりたいフローレンスとエドワードだが、ボーイはなかなか帰らない。ようやく2人だけになって食事を続けるが、まもなく初夜を迎える緊張と興奮、不安など様々な感情が押し寄せる。そして、何となく気まずい雰囲気になってしまう。

やがて2人はいよいよ体を寄せ合う。だが、フローレンスの服(スカイブルーのドレスが鮮やか!)のファスナーが、なかなか下りなかったりして、ますます気まずい雰囲気になる。何とも初々しくてじれったい2人の姿がコミカルで、思わずクスクス笑ってしまったのである。

実のところ、現在進行形のドラマは、こうしてホテルの室内で2人が初夜を迎える数時間のみ。そんなもので1本の映画になるのかと思うかもしれないが、そこには仕掛けがある。現在進行形のドラマに、過去の出来事が適宜挟み込まれるのだ。

フローレンスの父親は実業家で厳格な人物。母親ともども保守的な家庭を築いている。一方、エドワードには学校の教師を務める父親と脳に損傷を負った母親がいる。母親は絵には目覚ましい才気を見せるが、それ以外は奇行に走るなど問題を抱える。

そんなまったく環境の違う2人が偶然出会い、恋に落ちる。その輝く日々が描き出される。フローレンスがエドワードの母親と心を通わせる場面は感動的。それに対して、エドワードとフローレンスの父親がテニスをするシーンは苦々しい。

いずれにしても、2人が結婚に至るまでの過程が、絶妙のタイミングで現在進行形のドラマに挟み込まれる。それが、ドラマ全体に説得力を持たせている。

この映画のドミニク・クック監督は、舞台を中心に活躍し、TV「ホロウ・クラウン/嘆きの王冠」でも高い評価を受けたとのこと。本作が長編映画監督デビューだが、繊細な描写力はなかなかのものだ。初夜をめぐる一件ということで、一歩間違えば下世話な話にもなりかねないが、2人の心情がきちんと描かれるのでそうはならない。

さて、問題の2人の初夜はどうなったのか。ネタバレになるので詳しいことは伏せるが、そこである出来事が起きてしまう。それには、フローレンスの心の闇も関係しているようだ。

その後に、ビーチで2人が言葉を交わすシーンが心に染みる。エドワードにある提案をするフローレンス。その提案はまがいもなく愛ゆえのものであり、彼女の心情が痛いほど理解できる。同時に、それを認められないエドワードの心情も、これまたある意味で当然のものであり、それゆえ痛々しくて悲しいのである。

それにしても、邦題の「追憶」というのはどういう意味なのだ? と疑問を持ったところで流れてきたT・レックスの曲。あれ? これって60年代じゃなくて70年代の曲だろう、と思ったら、その後に登場するのは70年代の後日談だった。

今はレコードショップを経営するエドワード。そこに訪れた一人の少女。うーむ、何とも甘酸っぱい後日談ではないか。

おまけに、さらにダメ押しがある。2007年の場面だ。かつてバイオリニストとして自分の楽団を成功させることを夢見ていたフローレンス。そして、かつてはそれを応援していたエドワード。その設定を効果的に使い、またまた甘酸っぱさと切なさを醸し出す。

この後日談の2連発によって、「もしも、あの時、ああしていれば」というエドワードの思いが痛切に胸に響いてたまらなくなってしまった。その思いは多くの観客の思いとも共鳴するのではないだろうか。

このドラマは初夜をめぐる話になってはいるが、それにかかわらずあらゆる恋愛に起きがちな出来事を描いている。どんなに絶対的に思えた関係でも、いともあっさり壊れてしまうことがある。

それを後で思い出して、「もしも、あの時、ああしていれば、違った今があるのではないか」と考えてしまうのは、誰にでもあることだろう。そんな心の中の「if」に見事に共鳴する映画だと思う。

それにしても、心の揺れ動きを繊細に表現したシアーシャ・ローナンの演技が素晴らしい。今後もその演技から目が離せない。

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◆「追想」(ON CHESIL BEACH)
(2018年 イギリス)(上映時間1時間50分)
監督:ドミニク・クック
出演:シアーシャ・ローナンビリー・ハウルアンヌ=マリー・ダフ、エイドリアン・スカーボロー、エミリー・ワトソンサミュエル・ウェスト
*TOHOシネマズシャンテほかにて公開中
ホームページ http://tsuisou.jp/

「スターリンの葬送狂騒曲」

スターリンの葬送狂騒曲
シネクイントにて。2018年8月6日(月)午後12時20分より鑑賞(スクリーン1/D-6)。

~ブラックな笑いの果てに背筋が寒くなるスターリンの跡目争い

何だか最近、世界のあちらこちらで独裁的な指導者が増えている気がする。日本の安倍チャンだって、数の力で何でもやっちゃうという点では、けっこう独裁的かもしれない。

とはいえ、そんな次元を超えたすさまじい独裁者がソ連スターリンだ。ソ連共産党書記長として恐怖政治を敷き、政敵を次々に粛清して独裁者として国を支配した。

そのスターリンが急死する前後の事情を、史実をもとにしつつフィクションを織り交ぜて描いているのが「スターリンの葬送狂騒曲」(THE DEATH OF STALIN)(2017年 フランス・イギリス・ベルギー・カナダ)だ。フランスでヒットしたグラフィックノベルを、テレビの政治風刺ドラマで定評のあるイギリスのアーマンド・イアヌッチ監督が映画化した。ソ連のお話ではあるが、主要なキャストは英米の俳優で全編英語で描かれている。

時代は1953年、すでにスターリンは約20年に渡って国を支配してきた。そんな中、最初に描かれるのは、スターリンがいかに怖い指導者だったかというエピソードだ。

コンサート会場でオーケストラが演奏をしている。そこに突然、スターリンが「演奏を聞きたいから録音をくれ!」と電話で要求してくる。だが、ラジオの生中継こそ行っていたものの、録音はしていない。慌てたスタッフは、オーケストラと観客を呼び戻して、もう一度演奏させようとするのだ。

こんな常識外れのことが起きるのも、スターリンが絶対的な独裁者だったから。もしも要求に応えられなければ、殺されるか収容所行きなのだ。そんな恐怖政治を端的に表したエピソードである。

それと並行して、実際にスターリンが粛清相手のリストを作り、人々を殺害したり、収容所に送るシーンが描かれる。それはスターリンや側近にとっては日常の出来事。だから、気軽にジョークを言い合ったりしているのだ。

まあ、とにかく怖い話なのだが、スターリンの独裁ぶりがあまりにも桁外れなので、ついつい笑ってしまう。この映画には全編に、そんなブラックな笑いが満ち満ちているのである。

まもなくスターリンは、ピアニストのマリヤ(オルガ・キュリレンコ)が書いた自分を批判する手紙を読んでいる時に、自室で倒れてしまう。脳出血だった。

ところが、倒れたまま発見された彼を、側近たちはしばらくそのままにしておく。規則通りに行動しないと、後で責任をかぶせられかねないと、みんな怖がっていたのだ、

おまけに、いざ医者を呼ぼうとしても、そこには大きな壁が立ちはだかっている。有能な医者は、みんな殺されるか、収容所に送られているというのだ。何という皮肉。これまた、あまりにもバカバカしい話で笑ってしまうしかないのである。

それでも何とか集められた医師たちが「もうダメです」と診断したとたんに、一度スターリンが意識を取り戻して、みんなが右往左往する。そんなコントみたいな笑いも用意されている。

しかし、やっぱりスターリンは亡くなってしまう。後継者を指名しないままに。とくれば、当然、その後釜を狙って熾烈な権力闘争が繰り広げられるわけだ。表向きは厳粛な国葬の準備を進めながら、その裏で側近たちはあれこれと策略をめぐらしていく。

バトルの大まかな構図は、中央委員会第一書記のフルシチョフスティーヴ・ブシェミ)と秘密警察警備隊長のベリヤ(サイモン・ラッセル・ビール)の対決。ベリヤはスターリンの腹心のマレンコフ(ジェフリー・タンバー)を後継に立て、その陰で実権を握ろうとする。

ただし、マレンコフもベリヤの言いなりになる気はない。ふだんは優柔不断な彼だが、自らの写真を撮ってスターリンの後継者としてアピールするなど、やる気満々である。このことがラストの顛末につながっていく。

そこに他の側近たちやスターリンの娘スヴェトラーナ(アンドレア・ライズブロー)、息子のワシーリー(ルパート・フレンド)なども絡んでくる。

彼らはすべてユニークな個性派ぞろい。そして、彼らを演じるのも個性的な役者たちだ。フルシチョフを演じたのは、「ファーゴ」などコーエン兄弟作品でクセモノぶりを発揮してきたスティーブ・ブシェミ。複雑な内面を持つキャラを巧みに演じている。ベリヤを演じたイギリスのシェークスピア俳優サイモン・ラッセル・ビール、マレンコフを演じたジェフリー・タンバーなども、いずれも見事な演技を見せている。だから、なおさら笑えてしまうのである。

彼らは権力を握るためなら何でもやる。特にベリヤは突然粛清をやめて、恩赦を与えると言い出す。もともとリベラル派として知られるフルシチョフを出し抜いて、側近や国民の人気取りをしようという魂胆だ。

それを苦々しく思うフルシチョフ。彼が反撃に出たのはスターリン国葬の最中だ。自らの息のかかった秘密警察にモスクワの警備を委ねていたベリヤに対抗して、フルシチョフは軍を味方につけようとする。そして、モスクワ市内で騒ぎまで起こす。

さてさて、バトルの結末はどうなるのか。最後に待っているのは怖くて、悲惨で、哀れなラスト。あらためて権力者の本質を見せつけられる。この頃には、それまでの笑いは消えて、ただひたすら背筋がゾクゾクしてくるのである。

結局のところ、世界では今もこうした権力闘争が繰り広げられているのかもしれない。60年以上前のソ連の話だが、確実に今の時代とつながっている映画だと思う。

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◆「スターリンの葬送狂騒曲」(THE DEATH OF STALIN)
(2017年 フランス・イギリス・ベルギー・カナダ)(上映時間1時間47分)
監督:アーマンド・イアヌッチ
出演:スティーヴ・ブシェミ、サイモン・ラッセル・ビール、パディ・コンシダインルパート・フレンドジェイソン・アイザックスオルガ・キュリレンコマイケル・パリンアンドレア・ライズブロー、ポール・チャヒディ、ダーモット・クロウリー、エイドリアン・マクラフリン、ポール・ホワイトハウス、ジェフリー・タンバー
*TOHOシネマズシャンテ、シネクイントほかにて公開中
ホームページ http://gaga.ne.jp/stalin/

 

「2重螺旋の恋人」

「2重螺旋の恋人」
ヒューマントラストシネマ渋谷にて。2018年8月4日(土)午後1時35分より鑑賞(スクリーン2/F-10)。

フランソワ・オゾンが仕掛ける謎めいて怖い心理サスペンス

フランソワ・オゾン監督は、サスペンスから人間ドラマまで幅広い作品を次々に送り出している。しかも、そのすべてがレベルが高い。そのため、個人的に一時はオゾン監督というのは複数の監督によるグループ名なんじゃないのか?と疑ったほどだ。

まあ、実際はそんなことはなくて、ちゃんと実在する監督なのだが、そのぐらいスゴイ監督なのである。

今回、オゾン監督が撮ったのは、アメリカの女性作家ジョイス・キャロル・オーツの短編小説を大胆に翻案した「2重螺旋の恋人」(L'AMANT DOUBLE)(2017年 フランス)。かなりエロい映画だ。といってもただのエロ映画ではない。官能的な要素もあるが、基本はコワ~イ心理サスペンスなのだ。そこにはホラー映画的な要素もあったりする。

映画の冒頭。ロングヘアーの女性がショートカットに髪を切るシーンが映る。ここから早くも怪しく、危険なムードが漂う。

その女性、25歳のクロエ(マリーヌ・ヴァクト)は、原因不明の腹痛に悩んでいる。病院に行くが、婦人科医は「身体には異常がなく精神的なものではないか」という。そこでクロエは、紹介された精神分析医ポール(ジェレミー・レニエ)を訪ねる。彼のカウンセリングを受けるうちに、不思議と痛みが和らいでいくクロエ。いつしかポールと恋に落ち、一緒に暮らし始める。

だが、そんなある日、クロエは街でポールそっくりの男性を見かける。その男はルイ(ジェレミー・レニエ=二役)といい、ポールの双子の兄で、職業も同じ精神分析医だった。しかし、ポールはルイの存在を否定し、「自分は一人っ子だ」と言い切る。それを不審に思ったクロエは、ルイの診察を受ける……。

それにしてもオゾン監督の脚本&演出が、相変わらず冴えまくっている。今回は、特に不気味で謎めいた雰囲気のつくり方がうまい。クロエが飼っている猫をはじめ、様々な小道具が効果的に使われ、何が起きるか予想のつかない世界を構築する。クロエの妄想らしきものも、謎と緊迫感を高める効果を発揮する。

登場人物もすべて怪しい。クロエは母親との間に確執を抱えるなど、心に傷を負っているようだ。

彼女の恋人になるポールも謎めいている。同居してすぐに、クロエはポールの本当の名字が違うことを知ってしまう。表面的には温厚で誠実なポールだが、何やら底知れぬ秘密を隠し持っているらしい。

そして、ポールの双子の兄だというルイは、ポールと正反対の傲慢で支配的な人間。そこには悪魔性や狂気も感じさせる。

そんな彼は、本当にポールの双子の兄なのか。もしかしたら、2人は同一人物なのか。いやいや、そもそもルイなる人物はクロエの空想の中の人物なのではないか。前半は、そんなことさえ思わせられるのだ。

まもなく、クロエはルイに強引に関係を迫られる。最初は拒絶するが、ポールとは正反対の彼に引き寄せられ、関係を持ってしまう。

というわけで、当然ながら官能的な場面もあちこちに登場する。ただし、それらは3人の関係性やそれぞれの変化を反映させたもの。ただのエロを売り物にする官能サスペンスとは大違いだ。それを通して、クロエの複雑で屈折した内面が浮き彫りになる。

この映画で大きなウエイトを占めるのは、やはり「双子」という要素だろう。それ自体、考えようによっては不思議な存在であり、そこから様々な謎や恐怖が生まれてくる。

劇中でルイは、三毛猫の双子が体内で片方に吸収されるエピソードを紹介する。ホラー的なものも感じさせるこのエピソードが、ポールとルイの関係、さらにはクロエの過去にまつわる秘密にもつながっていく。

ドラマが進むにつれて、ポールとルイは確かに双子であり、彼らが今のような関係になった背景には、高校時代のある出来事が影響していることがわかる。クロエはその謎を突き止めるが、その頃には彼女はどんどん深みにはまり、ポールとルイの間でもがき苦しむようになる。

そこに至るまでに、彼女が押し殺していた深層心理がチラリチラリと顔を出し、精神や肉体、理性と欲望といった様々な要素について分裂にさらされていく描写が秀逸だ。このドラマは彼女の心の彷徨のドラマでもある。

いよいよ追い詰められたクロエの前に、落とし前をつける場面が用意される。鏡を効果的に使いギリギリの決断をクロエに迫る。はたしてどっちなんだ????

しかも、その後に起きるのはこれまたホラー的な色彩を持つ奇怪な現象だ。これが先ほどの三毛猫の体内の双子の話とリンクして、なおさら怖さを煽り立てる。さらに、それを通して彼女の出生の秘密と、失われた母親との絆の再生へと結びつける。何とも心憎い仕掛けである。

というわけで、ここでややホッコリしたのだが、最後のクロエとポールのベッドシーンに登場するのはまさかの人物。うう、やっぱり怖~い!

双子の間で揺れ動き、変化し、追い詰められていくクロエを迫真の演技で演じたマリーヌ・ヴァクト。顔は同じものの全く性質の違う双子を演じ分けたジェレミー・レニエ。いずれも観応え十分の演技だ。最後に少しだけ出てくるジャクリーン・ビセットもいい味を出している。

オゾン監督の豊かすぎる才能を再認識させられた映画だ。上質で怖すぎる心理サスペンスである。

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◆「2重螺旋の恋人」(L'AMANT DOUBLE)
(2017年 フランス)(上映時間1時間47分)
監督・脚本:フランソワ・オゾン
出演:マリーヌ・ヴァクト、ジェレミー・レニエ、ジャクリーン・ビセット、ミリアム・ボワイエ、ドミニク・レイモン、ファニー・サージュ
*ヒューマントラストシネマ有楽町ほかにて公開中
ホームページ https://www.nijurasen-koibito.com/

「ウインド・リバー」

ウインド・リバー
シネマート新宿にて。2018年8月3日(金)午後2時25分より鑑賞(スクリーン1/E-12)。

~少女怪死事件をめぐる緊迫の捜査から見えるアメリカの闇

辺境地帯には様々な闇がある。それを映画の中で暴き出してきた脚本家がテイラー・シェリダンだ。

2015年に製作されたドゥニ・ビルヌーブ監督の「ボーダーライン」は、アメリカとメキシコの国境地帯で繰り広げられる麻薬戦争を背景にしたリアルな犯罪サスペンス。その脚本を担当したのがテイラー・シェリダンだ。彼は翌年のノミネート作品でテキサスの辺境地帯を舞台にした「最後の追跡」(日本未公開)でも脚本を担当している。

そのテイラー・シェリダンが、脚本に加え自ら監督も務めたのが「ウインド・リバー」(WIND RIVER)(2017年 アメリカ)。これもまたアメリカの辺境を舞台にした犯罪サスペンスだ。

今回、取り上げられた辺境は、ワイオミング州にあるネイティブアメリカンの保留地ウインド・リバーだ。といっても、彼らは昔からこの土地に住んでいたわけではない。白人たちに追いやられ、そこで暮らすことを余儀なくされたのである。

そこは雪深い寒々とした土地だ。激しい吹雪が絶えず町を凍らせる。その凍てつく空気は、人心までも凍らせる。この舞台設定が実に効果的だ。

映画の冒頭で詩が読み上げられる。それはある人物の娘が書いたものだ。彼女の存在がこのドラマに大きな影を落とす。そして、映し出される凍りついた大地。そこをある少女が決死の表情で逃亡していく。

続いて、地元の野生生物局の職員でベテランハンターのコリー・ランバート(ジェレミー・レナー)が登場する。彼は、家畜を襲った狼などの野生動物を仕留める仕事をしている。そして彼自身は白人だが、元妻はネイティブアメリカンで、この土地に根付いて暮らしていた。

そのコリーが、雪の上で凍りついているネイティブアメリカンの少女の死体を発見する。そう。冒頭で必死に逃走していたあの少女だ。彼女は亡くなったコリーの娘エミリーの親友ナタリーだった。いったい何が起きたのか?

ドラマは、この少女の怪死事件をめぐるサスペンスを軸に展開する。事件を探るのは、FBIから派遣された新人女性捜査官のジェーン・バナー(エリザベス・オルセン)。

検死の結果、ナタリーは生前にレイプされていたことが判明する。どうやら犯人から逃亡中に死亡したようだ。だが、直接の死因は極寒の中で冷気を吸い込んだことによる肺出血。そのためFBIに増員要請ができず、ジェーンは慣れない土地で1人だけで捜査を続けることになる。

そこで、ジェーンはコリーに協力を依頼する。コリーはそれに応じる。その背景には、娘エミリーの死がある。彼女もまた今回と似たような怪死を遂げていたのだ。こうして2人による捜査が始まる。

それにしても、何とリアルな映像なのだろう。大自然の力強さと過酷さがそのままスクリーンに刻まれている。事件発生後、コリーと地元の部族警察長たちが猛吹雪の中でジェーンの到着を待つシーンや、雪に覆われた大地をコリーやジェーンがスノーモービルで疾走し事件の謎を追う姿を観ているうちに、こちらの心も凍りついてくるようだ。

だが、寒いのは大自然の映像のせいだけではない。ここには寒々しい現実がある。ネイティブアメリカンたちが置かれた環境は過酷で、容易にそこから抜け出せない。貧困、麻薬、性犯罪などが日常と隣り合わせにある。劇中で部族警察長は言う。「あいつらは刑務所に入りたがっているんだ。食事の心配もないし、テレビもシャワーもある」。

そんな荒廃した状況が、この映画には織り込まれている。もちろん、それは声高な告発ではない。あくまでもサスペンスとしての醍醐味を提供した上で、そこから自然にあぶりだす形で観客に突き付けていくのである。

そのサスペンスとしての醍醐味は破格のものだ。ゾクゾクするような緊張感が全編にあふれている。コリー、ジェーン、部族警察長、住民、石油関係の労働者たちが絡み合い、何が起きるかわからない不穏さと危うさを醸し出す。最初から最後までほとんど緩むところがない。

心に傷を抱えた寡黙なハンターのコリーと、信心ながら情熱と意志で前に進むジェーンが、事件の真相に迫る中で心を通わせるあたりの展開も、ドラマに厚みを加えている。

コリーを演じるのは、「ハート・ロッカー」のジェレミー・レナー。胸の内に様々なものを抱えたキャラクターを巧みに演じている。一方、ジェーンを演じるのは、「マーサ、あるいはマーシー・メイ」のエリザベス・オルセン。こちらもなかなかの熱演だ。ちなみに、この2人は「アベンジャーズ」シリーズでも共演している。

終盤になって、ついに事件の真相が明らかになる。その構図自体はけっして意表を突いたものではない。だが、回想シーンから素早く現実に戻り、そこから一気に活劇シーンに持っていき緊張感をマックスに高める。

そして、その後にコリーが取った行動が胸をざわつかせる。その根底にあるのは、当然ながら亡き娘エミリーの存在だろう。感情を押し殺しつつ、自分なりの裁きを下す彼の心情が痛いほど伝わってくるシーンだ。

ラストで映る被害者の父親とコリーの姿が余韻を残す。

犯罪サスペンスとして観るだけでも面白いが、そこから見え隠れするアメリカの現実がこの映画をさらに素晴らしい作品にしている。

最後に流れるテロップを見逃さないで欲しい。ネイティブアメリカンの置かれた状況を象徴的に示す事実だ。そして、そこで戦慄とともに思い出すのだ。映画の最初にあった「この映画は事実をもとにして作られている」という重すぎる言葉を。

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◆「ウインド・リバー」(WIND RIVER)
(2017年 アメリカ)(上映時間1時間47分)
監督・脚本:テイラー・シェリダン
出演:ジェレミー・レナー、エリザベス・オルセンジョン・バーンサルグレアム・グリーン、ケルシー・アスビル、ギル・バーミンガム、ジュリア・ジョーンズ、マーティン・センスマイヤー
角川シネマ新宿ほかにて公開中
ホームページ http://wind-river.jp/