映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「工作 黒金星(ブラック・ヴィーナス)と呼ばれた男」

「工作 黒金星(ブラック・ヴィーナス)と呼ばれた男」
シネマート新宿にて。2019年7月27日(土)午後12時5分より鑑賞(スクリーン1/D-13)。

~南北分断を背景にしたスリリングでリアルなスパイ映画。この手の韓国映画にハズレなし

南北分断を背景にした韓国のスパイ映画だ。この手の韓国映画はたいてい面白いのだが、この映画も破格の面白さである。フィクションではあるものの、実在の韓国工作員の実話をベースにしているだけにリアリティーも十分。

1992年、韓国軍の将校パク・ソギョン(ファン・ジョンミン)は、国家安全企画部のチェ・ハクソン室長からスパイとなって北に潜入することを命じられる。様々な憶測が飛び交いながら実態不明だった北朝鮮の核開発の現状を探るのが目的だった。

前半の舞台は中国・北京だ。黒金星(ブラック・ヴィーナス)というコードネームを与えられたパクは、実業家になりすまして北京に渡る。そこで、北朝鮮の外貨獲得を担う対外経済委員会所長リ・ミョンウン(イ・ソンミン)に接触しようとする。しばらくして、ようやくリ所長に会うことができたパクは、徐々に彼の信頼を獲得していく。

前半からスリリングなスパイ戦がテンコ盛りだ。儲けるためなら何でもするビジネスマンを装いつつ、あの手この手を使ってリ所長への接近を試みるパク。面会に成功した後は、両者の間で虚々実々の駆け引きが展開される。リ所長はじめ北朝鮮側は、当然ながらパクのことを疑い盗聴なども実行する。また、リ所長のそばには若い軍人のチョン・ムテクがいて、彼らはけっして一枚岩ではない。

彼らによる厳しい警戒をギリギリのところでかいくぐるパク。身分がバレるのではないか。計画が失敗するのではないか。そんなハラハラの危険な場面が連続していく。

そうしたスパイ戦を、「悪いやつら」のユン・ジョンビン監督がじっくりと、ていねいに描き出していく。ハリウッドのスパイ映画のような派手なアクションなどはないが、それでもスクリーンから目が離せない。

そして、舞台は北朝鮮の首都・ピョンヤンに移る。北で韓国の広告を撮影するというパクが持ちかけた大胆な商談を詰めるためだ。実は、パクの真の狙いは撮影の下見に紛れて、核施設のあるヨンビョンに接近することだった。

ここで登場するピョンヤンの街の様子が実にリアルだ。もちろん北でロケなどできないだろうから、CGなどを駆使しているのだろうが、それにしても見事な映像である。また、貧困にあえぐ地方の惨状なども、しっかりと描き込まれている。

そして、ここで何と北朝鮮の最高権力者である金正日(今の金正恩の父ちゃん)が登場するのだ。これがまあ見た目もそっくりなら、言動も「いかにも」といった感じ。面会の前にパクが血液検査をされたり、薬物を注射されて尋問を強いられるなど、これまた「さもありなん」と思わせるリアルな場面だ。

こうしてパクが提案した広告ビジネスが始まる。それに紛れて、パクは北の核開発の実態に迫ろうとする。だが……。

そこから先は意外な展開に突入する。当時の韓国の政治情勢を背景にしたポリティカル・サスペンスだ。韓国では総選挙が行われたのだが、その直前に北が軍事的挑発をしたことが影響して与党が勝利していた。そして、目前に迫った大統領選挙。野党系でリベラル派のキム・デジュンが有利とされる中、与党政治家や国家安全企画部は驚愕の陰謀をめぐらすのだ。

この一件を知ったパクは大いに苦悩する。彼がスパイの任務を遂行しているのは、言うまでもなく愛国心によるものだ。しかし、目の前で行われようとしている陰謀劇は、単なる当事者たちの保身のためではないのか。

終盤、パクは思い切った行動に出る。リ所長との冒険だ。そこでは体制を超えた男同士の友情もクローズアップされる。もちろんスリリングさも依然として途切れない。そして、その先にはカタルシスが待っている。

ところが、ここでドラマは終わらない。さらに二転三転する展開が用意されている。パクに対して罠が仕掛けられ、彼の身にまたしても危険が迫る。同様にリ所長にも……。

こうして体制に翻弄された2人の男の哀切を漂わせて、ようやくドラマは終焉を迎えるのかと思いきや、何と最後の最後には思いもよらない後日談が待っていた。その予想外の仕掛けに、「え? まさか」と思わず声を上げそうになってしまった。そこで効果的に使われる偽のロレックスの時計とネクタイピン。これはもうこの映画最大のカタルシス、というか感動の涙さえこみあげてきてしまったのである。

主演のファン・ジョンミンは、これまでに「ベテラン」「哭声/コクソン」「国際市場で逢いましょう」など様々な映画で、多彩な役柄を演じてきた。今回も、いかにもお調子者のビジネスマンを装うひょうきんさや、スパイとしての冷徹さ、権力にもてあそばれて苦悩する姿などパクの多彩な顔を細やかに演じ分けていた。

文句なしに面白い脚本と細部までこだわり抜いた演出、そして充実の演技。この手の韓国映画は本当に面白い。今回もハズレなしだった。

 

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◆「工作 黒金星(ブラック・ヴィーナス)と呼ばれた男」(THE SPY GONE NORTH)
(2018年 韓国)(上映時間2時間17分)
監督:ユン・ジョンビン
出演:ファン・ジョンミン、イ・ソンミン、チョ・ジヌン、チュ・ジフン、パク・ソンウン、キム・ホンファ、チョン・ソリ、キム・ウンス、イ・ヒョリ
*シネマート新宿ほかにて公開中
ホームページ http://kosaku-movie.com/

 

「よこがお」

「よこがお」
テアトル新宿にて。2019年7月26日(金)午後2時より鑑賞(C-11)。

~人生の不条理さと人間の心の闇をあぶりだす深田晃司監督の冷徹な目と筒井真理子の圧巻の演技

筒井真理子」という名前を聞いてピンとこない人も、その顔を見れば「ああ、あの人か」とわかるのではないだろうか。早稲田大学在学中に劇団「第三舞台」に入団したのをきっかけに演劇の道に入り、その後は映画、テレビドラマ、演劇と幅広く活躍する実力派の俳優だ。

最近はどちらかといえば脇役が多い筒井だが、カンヌ国際映画祭ある視点部門の審査員賞に輝いた深田晃司監督の「淵に立つ」(2016年)では、主要キャストとして古舘寛治と夫婦役を演じている。浅野忠信演じる謎めいた男の登場に翻弄される姿を、リアルかつ繊細に演じていた。

その「淵に立つ」の深田監督が筒井を主演に据えて撮った作品が「よこがお」(2019年 日本)だ。聞くところによると「よこがお」というタイトルは、筒井の「美しい“よこがお”を撮ってみたい」という深田監督の希望によるものだという。

ある訪問看護師の転落を描いたドラマである。冒頭、主人公(筒井真理子)が、何やら危険な香りを漂わせつつ美容院に入ってくる。彼女はそこでリサと名乗り、美容師の和道(池松壮亮)を指名する。死んだ夫と名前が同じだから指名したという。

続いて、全く別の顔の主人公が登場する。市子という名の訪問看護師で、その仕事ぶりが高く評価され周囲の信頼も厚かった。訪問先の大石家では介護福祉士を目指す長女・基子(市川実日子)の勉強も見てあげていた。

同一人物でありながら、全く別の表情、そして行動。もしかしたら、これは多重人格者の物語なのだろうか。そんなことも思ったのだが、実はそうではない。このドラマは時制を行き来して描かれるのだ。冒頭で美容院に現れたリサは現在進行形の主人公、そして訪問看護師として働く市子は、それよりも前の主人公なのだ。

美容院に現れたリサは、その後、ゴミ捨て場で和道と会い、家がすぐ近くだと明かす。だが、それは真っ赤なウソだった。もちろんリサという名前も、死んだ夫と和道が同じ名前だというのもウソだった。そして、彼女は和道の部屋が見えるアパートで独りで暮らし、和道を監視していた。

やがて、市子がなぜそんな行動を取るようになったのかが、少しずつ見えてくるようになる。ある日、基子の妹・サキ(小川未祐)が行方不明になる事件が発生する。サキは1週間後に無事に保護されるが、誘拐犯として逮捕されたのは市子のおいだった。そのことをなかなか言い出せなかった市子だが、その関係が暴露されるとマスコミに追われるようになり、仕事を失い、婚約も解消するハメになってしまうのである。

市子に非があるわけではない。それにもかかわらず彼女は転落し、追い詰められていく。まさに人生の不条理さを感じさせられる顛末だ。同時に、彼女をそこまで追い詰めた大きな原因は、ある人物との感情の行き違いにある。その人物とて、けっして市子を憎んでいるわけではない。むしろそれとは反対の感情を持つ。それが逆に災いして彼女を追い詰めていく。そこから人間の心の闇があぶりだされる。

脚本・演出ともに研ぎ澄まされている。深田監督の作品の多くは、余計なものをそぎ落とし、冷徹な視線で被写体を見つめている。今回もそれにますます拍車がかかっている。そして、これまた深田監督の作品の多くに共通する不穏さやヒリヒリするような緊張感も、最後まで途切れることなく続く。それが登場人物の心理の絢をより複雑で不可思議なものに感じさせる。

現在進行形のリサ=市子のドラマは、彼女による復讐劇であることが明らかになる。市子は以前の彼女とは全く違ってしまったのだ。ここでもまた、様々に心が揺れ動き、苦悩し、憔悴した末に、復讐者となった市子を通して、人間という生き物が抱える心の闇が見えてくる。

市子が和道に接近する過程で、かつてある人物と訪れた動物園を再び訪れるシーンがある。その過去と現在の2つのシーンが重なり合い、そうした彼女の心の闇をより深いものに見せている。このあたりの展開も巧みである。

市子の復讐劇の行く先はエンタメ映画のようにクリアなものではない。お気楽な明るい未来なども提示されない。その代わり、ラストの横断歩道でのシーンは衝撃的だ。車のクラクションが、市子の胸のうちの様々な思いを一気に吐き出すように長々と流され、何とも言い難い余韻を残してくれる。

それにしても、筒井真理子の演技が圧巻だ。有能で実直な訪問看護師から、復讐のため男をたらし込もうとする妖艶な姿まで、まるで何役も演じているかのように変化する市子の姿。それを繊細かつ説得力を持って演じきっている。個人的には今年の主演女優賞は、彼女で決まりではないかと思ってしまった。

不穏で緊張感漂うミステリー・サスペンスを通して、人生の不条理さや人間の心の闇があぶりだされる。市子の運命は特別なものではない。誰しも、ああなってしまう可能性がある。そんな迫真性を持った濃密なドラマを見逃す手はないだろう。

 

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◆「よこがお」
(2019年 日本)(上映時間1時間51分)
監督・脚本・監修:深田晃司
出演:筒井真理子市川実日子池松壮亮、須藤蓮、小川未祐、吹越満大方斐紗子、川隅奈保子
角川シネマ有楽町テアトル新宿ほかにて全国公開中
ホームページ https://yokogao-movie.jp/

「さらば愛しきアウトロー」

「さらば愛しきアウトロー
TOHOシネマズシャンテにて。2019年7月23日(火)午後7時45分より鑑賞(スクリーン2/C-11)。

~愛すべき老紳士の銀行強盗。軽やかでオシャレで楽しいレッドフォード引退作

バタバタと忙しかったのに加え、風邪を引いたらしく、1週間以上も体調が悪くて映画館から遠ざかってしまった。

この日もまだけっして完調ではなかったのだが、月に一度集団で(といっても約4名)映画を鑑賞する催しがあり、以前からの約束だったため決死の覚悟で出かけた次第。鑑賞した作品は、ハリウッドを代表するスター俳優、ロバート・レッドフォードが俳優業からの引退を宣言し話題となった「さらば愛しきアウトロー」(THE OLD MAN & THE GUN)(2018年 アメリカ)である。

レッドフォードといえば誰もが認める美男俳優で、正統派のラブストーリーから社会派映画まで様々な役を演じているが、意外にコミカルで軽い感じの役を演じた作品も多い。本作でも、実に軽やかなレッドフォードが見られる。

1980年代初頭のアメリカを舞台に、伝説の老銀行強盗を描いた実話をもとにしたドラマである。74歳のフォレスト・タッカー(ロバート・レッドフォード)は、2人の仲間(ダニー・グローヴァートム・ウェイツ)とともに、いまだに銀行強盗を続けていた。

ただし、強盗といっても凶悪さはない。自身のオシャレなたたずまいそのままに、その手口はどこまでも紳士的で、拳銃をチラリと見せる程度。誰も傷つけることはない。そして、何よりも彼は金のために犯行を重ねるのではなく、銀行強盗そのものを楽しんでいたのだ。

いくら実話といっても、そんな人物がいるとはにわかには信じられないかもしれない。だが、それをレッドフォードが演じるから説得力が出てくる。スター俳優ならではの貫禄と余裕、そして軽やかさが絶妙にブレンドされ、この稀代の人物を魅力たっぷりに見せてくれる。まさに愛すべきアウトロー。嬉々として銀行強盗を続ける彼を見ているだけで、何だかこちらまで楽しくなってくるのである。

そんなフォレストに魅了されるのは観客だけではない。劇中で彼を追うのは刑事のジョン・ハント(ケイシー・アフレック)。無口で武骨な感じの彼だが、家庭では妻と2人の子供とともに幸せな暮らしをしている。そして、ハントもまたフォレストに単なる犯人を超えた不思議な魅力を感じてしまう。

フォレストとハントが直接対峙するのはダイナーでの場面のみだ。そこのトイレでの2人のやりとりが素晴らしい。何とも心憎く、味わいに満ちた2人の交差ぶりに思わず拍手を送りたくなってしまった。

中盤ではハントの追及によって、フォレストの過去が明らかになる。彼は犯行と逮捕、脱走を繰り返し、その過程では家族も捨てていた。そうした人生の苦みが、フォレストをさらに奥行きある人物に見せるのに貢献する。幸せな家庭を築くハントとの対比も明確になる。それによって、フォレストがああいう生き方しかできなかったことを観客に強く印象付け、人生の哀愁もチラリと示すのである。

とはいえ、基本はやっぱり軽くておしゃれな映画だ。この映画の大きな柱の一つにはロマンスがある。車が故障しているところを偶然助けた未亡人ジュエル(シシー・スペイセク)とフォレストのロマンスだ。冒頭近くで知り合ったばかりの2人が飲食店で向かい合うシーンから、センスの良い、ユーモアとウィットに富んだ会話が爆発する。そして、そこでもチラリとそれぞれの哀愁が見える。若いカップルにはない魅力があふれたロマンスなのだ。

ことさらに前面に出てくることはないが、引退作にふさわしく過去のレッドフォード映画を思い起こさせるような場面もある。また、フォレストとジュエルが場末の映画館で古い映画(モンテ・ヘルマンの「断絶」(1971)らしい)を見るシーンなど、古き良き時代のノスタルジーも感じさせる。

この映画の監督・脚本は、レッドフォードたちが主催するサンダンス映画祭で高い評価を得て、最近では「A GHOST STORY ア・ゴースト・ストーリー」というユニークなラヴストーリーを監督したデヴィッド・ロウリー。新たな才能に引退作の監督を託すあたりに、レッドフォードの心意気を感じさせる。そして、映像美で知られる監督だけに、本作の映像も美しい。

ケイシー・アフレックダニー・グローヴァートム・ウェイツシシー・スペイセクなどの脇役たちの存在感も特筆ものだ。いずれ劣らぬ名優揃いだが、出しゃばり過ぎないツボを心得た演技に徹している。

終盤、フォレストはついに御用となる。はたして彼はまた脱走するのか。そこで新たな人生を示唆しつつ、最後には意外な逆転の展開が待っている。なるほど、やっぱり彼はああいう生き方しかできなかったのだなぁ~、と思いつつ、観終わって思わずニンマリしてしまった。

社会的規範からは外れているが、オシャレで幸せ過ぎた男の一代記だ。無条件で楽しく温かな心持ちになれる。こういう引退作を選んだレッドフォードって、本当に小粋な人ですネ。

 

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◆「さらば愛しきアウトロー」(THE OLD MAN & THE GUN)
(2018年 アメリカ)(上映時間1時間33分)
監督・脚本:デヴィッド・ロウリー
出演:ロバート・レッドフォードケイシー・アフレックダニー・グローヴァー、チカ・サンプター、トム・ウェイツシシー・スペイセク
*TOHOシネマズシャンテほかにて公開中
ホームページ https://longride.jp/saraba/

「さよなら、退屈なレオニー」

「さよなら、退屈なレオニー」
新宿武蔵野館にて。2019年7月14日(日)午後2時25分より鑑賞(スクリーン2/A-3)。

~閉塞感漂う街の不機嫌な少女のひと夏の屈折と輝き

国際映画祭というと、どうしても最高賞を争うコンペティション部門にばかり目が行くが、それ以外にも様々な部門があり、良質な映画が上映される。「さよなら、退屈なレオニー」(LA DISPARITION DES LUCIOLES)(2018年 カナダ)は、昨年の第31回東京国際映画祭の「ユース」部門で上映された。

その際に関係者向け上映であまり期待せずに鑑賞したのだが、これが意外にも心に残る青春映画だった。とはいえ、無名の監督、無名の役者による作品だけに、まさか日本公開されるとは思っていなかったのだが、予想に反して一般公開の運びとなった。なかなか目のつけどころが良い配給会社(ブロードメディア・スタジオ)ではないか。そこで、今度はちゃんとお金を払って、2度目の鑑賞となった次第。

ちなみに、東京国際映画祭上映時のタイトルは「蛍はいなくなった」。どうやら原題の「LA DISPARITION DES LUCIOLES」に沿ったタイトルだったようである。

ドラマの舞台となるのは、カナダ・ケベック州の海辺の街。主人公は高校卒業を1ヵ月後に控えた17歳の少女レオニー(カレル・トレンブレイ)だ。彼女はとにかく不機嫌でイラついていた。冒頭では家族が彼女の誕生パーティーをレストランで催す。だが、彼女はその場にいることが耐えられなくなって、途中で黙って姿を消してバスに飛び乗ってしまう。

いったい何がレオニーをイラつかせるのか。彼女は口うるさい母も、ラジオDJをしている義父も大嫌いだった。母親はレオニーが大好きな実父と離婚していた。実父は地元の工場で労働組合のリーダーをしていたが、リストラ騒動によって遠くの職場に飛ばされていた。しかも、その一件には義父も絡んでいたことが後に明らかになる。

そしてレオニーは閉塞感漂うこの街も大嫌いだった。だから、一刻も早く街を出たいと思っていた。だが、自分が何をしたいのかわからない。街を出るだけのお金もない。そういう中で、ひたすら窮屈な毎日を送るしかない。そんな彼女のイラつきを象徴するように、レオニーはひたすら歩き回り、動き回る。

まもなくレオニーは同級生たちと行ったダイナーで、ギター講師をしている年上のミュージシャンのスティーヴ(ピエール=リュック・ブリヤン)と出会う。彼に興味を持ったレオニーはギターを習い始める……。

このスティーヴとレオニーの交流が、ドラマの大きなポイントになる。今まで出会ったことのない不思議な大人と出会い、中古ギターを買ってレッスンに通うレオニー。その微笑ましい練習風景や、レオニーがバイトしている市営野球場でスティーヴがギターを弾きまくるユニークなシーンなどを積み重ねながら、2人の心の通い合いを描く。

また、久々にレオニーの実父もつかの間の休息で街へ戻ってくる。大好きな実父と一緒に過ごす時間も、レオニーの心を和ませる。

正直なところ最初に登場したレオニーの尋常ではないイラつき方には、違和感を禁じ得なかった。だが、観ているうちにその違和感は消えて行った。

もちろん特殊な家庭環境などはあるものの、彼女が感じるイラつきはあの年頃の少年少女が抱きがちなものだろう。自分が住む街や、家族をはじめとする周囲の人々を嫌悪し、一刻も早く現状から抜け出したいと思う。そんな気持ちを誰しも一度は持つのではないのか。そこにこのドラマの普遍性が見て取れる。

そして、何よりもセバスチャン・ピロット監督によるレオニーの心理描写が巧みである。基本となる描写は淡々としている。劇的な要素を極力排してレオニーの日常を描き出す。その中で、セリフはもちろん、それ以外の表情の変化などを通して、彼女の揺れ動く心の底をリアルにつかまえる。おかげで、観ているうちに自然に彼女の心情に寄り添うようになった。

音楽の使い方も巧みだ。冒頭でのストリングスの不穏な音楽から、アーケイド・ファイア、RUSHなどのロック、ポップスまで、その場にふさわしい音楽を使って、場の雰囲気を盛り上げる。

メインテーマではないものの、工場が縮小されて閉塞感漂う街の様子や、レオニーの義父による放送がいかにも右派のポピュリスト的な放送だったりするあたりに、今の時代を織り込もうとする監督の意図も感じられた。

この手の物語の多くは、最後には主人公の成長を見せて終わる。このドラマでもレオニーは成長する。だが、それはけっして劇的な変化ではない。相変わらずレオニーをイラつかせる義父は、聞きたくもない実父の過去を暴露する。

一方、とても良い関係に見えていたスティーヴに対しても、レオニーはイラつき始める。素晴らしいギターの腕を持つスティーヴだが、自宅の地下室にこもり、外部との接触を極力避けているように見えた。それもまたレオニーが望む生き方とは正反対に見えたのだろう。

終盤になってレオニーはブチ切れる。だが、そこからもうワンクッションが用意されている。スティーヴとの再びの心の交流を経て、彼女は新たな旅立ちをする。冒頭と同じようにバスに飛び乗ったレオニーの清々しい表情がすべてを語っている。彼女はほんの少し、だが確実に成長したのだ。

最後に映る野球場のシーンが余韻を残す。街から消えたはずの蛍の光が実に美しい。

主演のカレル・トレンブレイは、東京国際映画祭で若手女優に与えられるジェムストーン賞を受賞した。まさに17歳の少女の心理をキッチリと表現した等身大の演技だった。また、スティーヴ役のピエール=リュック・ブリヤンも、少ないセリフにもかかわらず、十分な存在感を示していた。資料には書かれていないのだが、確か彼は本物のミュージシャンだったはず。ということで、ギターの腕前も素晴らしかった。

若き日に、誰もが持つような心情を巧みに描き出した青春ドラマだ。青春の屈折と輝きが鮮やかに切り取られた佳作である。

 

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◆「さよなら、退屈なレオニー」(LA DISPARITION DES LUCIOLES)
(2018年 カナダ)(上映時間1時間36分)
監督:セバスチャン・ピロット
出演:カレル・トレンブレイ、ピエール=リュック・ブリヤン、フランソワ・パピノ、マリー=フランス・マルコット、リュック・ピカール
新宿武蔵野館ほかにて公開中。全国順次公開予定
ホームページ http://sayonara-leonie.com/

 

「COLD WAR あの歌、2つの心」

「COLD WAR あの歌、2つの心」
ヒューマントラストシネマ渋谷にて。2019年7月11日(木)午後12時30分より鑑賞(スクリーン1/D-9)。

~15年に渡る男女の腐れ縁を静謐なモノクロ映像と音楽で見せる哀愁漂うドラマ

時間軸の長い物語を1本の映画の中で描き切るのはなかなか困難だ。そこでは当然大幅な省略や割愛が必要になる。だが、それによって慌ただしいだけの、駆け足のドラマになってしまうことも珍しくない。

「COLD WAR あの歌、2つの心」(ZIMNA WOJNA)(2018年 ポーランド・イギリス・フランス)は、15年間にもわたる物語。それを1時間28分という短い上映時間の中で描く。それでもまったく窮屈さが感じられないマジックのような映画である。

ストーリー自体はどうということのない恋愛ドラマだ。しかも、よせばいいのに別れたりくっついたりを繰り返す腐れ縁カップルの恋愛ドラマなのだ。

1949年、共産主義政権下のポーランド。新たに音楽舞踊団が結成されることになる。各地の伝統音楽を中心とした音楽舞踊団である。その指導者でピアニストのヴィクトル(トマシュ・コット)は、同僚とともに地方を回って様々な演奏を録音している。そこで登場するある教会を覚えておいてほしい。それが本作のラストで効果的に使われる。

まもなく、音楽舞踊団のオーディションが行われる。そこに歌手志望のズーラ(ヨアンナ・クーリク)が応募してくる。ヴィクトルは彼女に興味を抱き入団させる。そして2人はやがて恋に落ちる。

だが、その後、音楽舞踊団に対する国家の統制が厳しくなる。公演ではスターリン礼讃の歌なども演目に加えられるようになる。そんな体制に嫌気がさしたヴィクトルは、東ベルリン公演の際に西側へ亡命しようとする。そして、ズーラにも「一緒に行こう」と誘う。だが、ズーラは結局待ち合わせ場所に行かず、2人は離ればなれになる……。

15年間を凝縮したドラマだけに、そこには大幅な省略がある。例えば、ヴィクトルとズーラが距離を縮める様子をじっくりと描くようなことはしない。それどころか、ヴィクトルが西側へ亡命して2人が離ればなれになった直後には、いきなり2人がパリで再会する場面が登場する。その間に何があったかは全く描かれない(セリフでチラッとは出てくるが)。

それ以外にも全編に渡って省略しまくりのドラマだ。だが、それでも観ていて戸惑うことはなかったし、違和感もなかった。その最大の理由は、独特の雰囲気を漂わせる映像にある。

パヴェウ・パヴリコフスキ監督は前作「イーダ」で、ポーランド映画で初のアカデミー外国語映画賞に輝いた。1960年代初頭のポーランドを舞台に、孤児として修道院で育った少女が、修道女の誓いを立てる前に自らの出自を知る旅に出るドラマで、静謐なモノクロ映像が大きな特徴だった。

それと同様に、本作も静謐なモノクロ映像で綴られる。恋愛映画であるにもかかわらず、熱さや情熱とは無縁。被写体から一歩引いたクールな映像だ。それが何とも言えない哀愁をスクリーンに漂わせる。同時に観客をスクリーンに集中させ、描かれることのなかった2人の様々なドラマを想像させる。2人の表情、しぐさから多くのことが伝わってくる。

この映画では音楽も印象深い。伝統音楽からジャズまで、様々な音楽が映像のクールさとは裏腹に多くの情感を生み出し、ドラマに奥行きを与えている。特に当初は伝統音楽として歌われ、やがてジャズ風にアレンジされてズーラが歌う曲が絶品だ。こうした音楽がなければ、この映画がこれほど魅力的な作品になることはなかっただろう。

さらに、ヴィクトルとズーラの人物造型も巧みだ。こちらも大幅な省略が施され、多くが語られることはない。しかし、例えばズーラに「父親殺し」の噂をまとわせたり、突然キレて池に飛び込み水面に浮かびながら歌わせるなど、短いエピソードから彼女の不可思議な魅力を感じさせる。ヴィクトルが彼女に入れ込むのも「なるほど」と思わせるのだ。

そのズーラを演じたヨアンナ・クーリクが、15年の時の中で様々に変化する表情を存在感タップリに見せてくれる。また、ヴィクトル役のトマシュ・コットも、時代とズーラに翻弄されて疲弊していく姿を巧みに演じていた。

映画の後半、ヴィクトルとズーラはパリで一緒に暮らす。2人で新たな音楽を生み出そうとする。だが、そこに様々なすれ違いが生まれ2人の心は離れていく。このあたりの展開もありがちなものではあるのだが、観ている間に陳腐さを感じることはなかった。

そして冒頭近くで登場した教会で演じられる、美しくも悲しいエンディングへ……。

ヘタに描けば、ベタで気恥ずかしくなるような腐れ縁の恋愛ドラマを、これだけの作品に仕上げたパヴリコフスキ監督の力量に感嘆するばかりである。

 

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◆「COLD WAR あの歌、2つの心」(ZIMNA WOJNA)
(2018年 ポーランド・イギリス・フランス)(上映時間1時間28分)
監督:パヴェウ・パヴリコフスキ
出演:ヨアンナ・クーリク、トマシュ・コット、アガタ・クレシャ、ボリス・シィツ、ジャンヌ・バリバールセドリック・カーン、アダム・ヴォロノヴィチ、アダム・フェレンツィ、アダム・シシュコフスキ
*ヒューマントラストシネマ有楽町、ヒューマントラストシネマ渋谷ほかにて公開中
ホームページ https://coldwar-movie.jp/

「Girl/ガール」

「Girl/ガール」
新宿武蔵野館にて。2019年7月7日(日)午後2時40分より鑑賞(スクリーン1/A-6)。

バレリーナを目指すトランスジェンダーの苦悩と葛藤をリアルに伝える

トランスジェンダーに対する社会の見方は変わりつつある。あからさまな偏見も昔ほどはないようだ。とはいえ、そこにはやはり様々な悩みや苦しみがある。それをリアルに描きたしたのが「Girl/ガール」(GIRL)(2018年 ベルギー)である。

主人公の15歳のララ(ヴィクトール・ポルスター)はトランスジェンダー。体は男性だが、心は女性だ。彼女はバレリーナになることを夢見て、難関のバレエ学校の門を叩き編入を認められる。

よくあるトランスジェンダーのドラマなら、家族や周囲との軋轢が描かれそうだ。我が子がトランスジェンダーであることに納得できない親、そして偏見に満ちた周囲の目などが主人公を苦しめる……という具合に。

だが、このドラマにそれはない。シングルファーザーの父(アリエ・ワルトアルテ)はララに理解があり、彼女を支える。バレエ学校のために仕事を変わり、引っ越しまでした。治療のための病院にも付き添い親身になってララを支える。

また、バレエ学校もララがトランスジェンダーであることを受け入れている。級友たちもララの事情を知っていて、女子更衣室を使うことも許されていた。このあたりに、舞台となるベルギーの社会の成熟ぶりがうかがえる。

ララは体も女性になるべく病院で治療を受けている。待望のホルモン療法が始まり、18歳になれば性適合手術も受けることになっていた。病院は彼女のために親身になって治療を施し、カウンセリングなども続けている。

これだけ周囲が理解してくれるのだからララの行く手も順風満帆……と思うかもしれないが、そうはならないのである。

本作の最大の特徴はドキュメンタリータッチの映像だ。バレエ学校での厳しい練習風景や学校生活、父や幼い弟との家庭生活、そして病院での治療。そんな日常を手持ちカメラやアップを多用しながら、それぞれの場面でのララの心情を繊細にすくい取っていく。

例えばララは父などに対して、いつも「大丈夫」と明るく答える。だが、それがけっして本心ではなく、心の内には様々な悩みや葛藤を抱えていることが、自然に伝わってくるのである。

バレエ学校での訓練は非常に厳しいものだ。いくらララの事情に理解を示しているとはいっても、甘い態度で接するわけではない。そこは実力本位の世界なのだ。

そんな中、どんなにララが頑張っても越えられないハードルがある。男性の足はトーシューズになじまず血だらけになる。目立たないようにとテーピングしている股間も、炎症を起こしてしまう。

一見、理解を示しているように見えた同級生たちも、ララに複雑な視線を送るようになる。そればかりか面白半分でララをからかうなどして、彼女の心を傷つける。

さらに、望みの綱であるホルモン療法も、劇的な変化をもたらすほどのものではない。彼女の体は依然として男性のままだった。

こうしてララは傷つき、苛立ち、疲弊していく。彼女が本音を明かさないことが原因で、父との間にも距離が生まれてしまう。

その果てに彼女が下した決断は衝撃的なものだ。だが、同時にそれは彼女にとって必然でもあったのだろう。ラストシーンの毅然とした表情に、彼女の全ての思いがこもっているように思えた。

トランスジェンダーの心情を、当事者でない人間が理解するのはなかなか困難だ。それをこれほどリアルで自然に伝えるのだから恐れている。しかも、それは単にトランスジェンダーのドラマを越えて、傷つきやすいティーンエイジャーの普遍的なドラマとしても成立している。

これが長編デビューとなるベルギーの新鋭ルーカス・ドン監督は、1991年生まれ。18歳の時に新聞記事で、本作のモデルになる話を知り、9年間を費やして完成させた映画たという。2018年の第71回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門に出品され、カメラドール(新人監督賞)を受賞した。

また、主演のヴィクトール・ポルスターは現役のダンサーで映画初出演。トランスジェンダーではなく男性とのこと。なるほど女性的な雰囲気も持つ美少年ではあるが、それでもやはり男性らしさがそこかしこに現れる。それがまたララの持つ違和感を見事に体現していた。

*チラシや写真が見つからなかったのですが、下記公式ホームページでヴィクトール・ポルスターをぜひチェックしてみてください。なかなかの美少年です。

 

◆「Girl/ガール」(GIRL)
(2018年 ベルギー)(上映時間1時間45分)
監督:ルーカス・ドン
出演:ヴィクトール・ポルスター、アリエ・ワルトアルテ、オリヴィエ・ボダール、タイメン・ホーファーツ、カテライネ・ダーメン、ヴァレンタイン・ダーネンス、マガリ・エラリ、アリス・ドゥ・ブロックヴィール、アラン・オノレ、アンジェロ・タイセンス、マリー=ルイーズ・ヴィルデライクス、ヴィルジニア・ヘンドリクセン
新宿武蔵野館、ヒューマントラスシネマ有楽町、Bunkamuraル・シネマほかにて全国公開中
ホームページ http://girl-movie.com/

 

「凪待ち」

「凪待ち」
池袋シネマ・ロサにて。2019年6月30日(日)午後2時40分より鑑賞(シネマ・ロサ1/D-9)。

香取慎吾が全身で体現するあまりにも弱い男の転落と微かな希望

人間は弱い存在だ。「こうしなければ」「こうすべきだ」と頭ではわかっていても、なかなかその通りに行動できるものではない。挙句は、自分の思いとは裏腹に、どんどん転落していくことだって珍しくない。「凪待ち」(2019年 日本)は、まさにそうした人物を描いたドラマである。

冒頭、主人公の木野本郁男(香取慎吾)が自転車をこいで川崎の街を走る。向かった先は競輪場だ。彼はいわゆるギャンブル依存症なのだ。彼にはシングルマザーの亜弓(西田尚美)という恋人がいて、彼女の娘の高校生の美波(恒松祐里)とともに暮らしていた。だが、ギャンブルの費用を亜弓の財布から黙ってくすねるなど、けっして褒められた生活は送っていない。仕事もうまくいかないようで、勤めていた印刷会社も首になってしまう。

それでも、彼とて今の生活が良いと思っているわけではない。何とか抜け出したいという思いは持っているようだ。郁男、亜弓、美波の3人は、亜弓の故郷・石巻に移り住み、人生をやり直す決意をする。実家では末期がんに侵されながらも漁師を続ける亜弓の父・勝美(吉澤健)がひとりで暮らし、近所に住む小野寺(リリー・フランキー)が何かと世話を焼いていた。

郁男は小野寺の世話で印刷会社で働き新生活を始める。だが、ある日、亜弓と衝突した美波が夜になっても戻らず、心配でパニックになった亜弓に罵られた郁男は、彼女を車から降ろし、置き去りにしてしまう。その夜遅く、亜弓は何者かに殺害され遺体となって発見される。

実のところ、亜弓の死の前から郁男の新生活にはすでに黒い影が差していた。印刷会社の同僚が競輪好きで、ノミ屋に通い詰めており、それにつられて郁男も再びギャンブルに手を染め始めていたのだ。そして起きた恋人の殺害事件。「もしも自分が車から降ろさなければ」という自責の念に駆られた郁男は、自暴自棄になっていく。

本作には殺人事件を巡るミステリーの要素がある。「亜弓を殺したのはいったい誰なのか?」という謎を巡る話だ。ただし、これに関して個人的には、早いうちから犯人の目星はついてしまった。それ以外にも、登場する刑事やヤクザがいかにもステレオタイプな描き方がされていたり、都合がよすぎる展開などもあって、違和感を持ってしまったのは事実である。

だが、それでも最後までスクリーンに引き込まれてしまった。なぜなら、ここにはまさしく“人間”がキッチリと描き込まれているからだ。冒頭に述べた弱い人間である郁男は、けっして悪人ではない。亜弓の娘の美波に対する態度を見ていれば、それがひと目でわかる。しかし、同時に彼は自身も言うように「ろくでなし」でもある。その狭間で揺れ動き、結局は転落への道をたどっていく。

郁男の言動には何度も揺り戻しがある。前に進むかに見えて、また元の道に戻ってしまう。亜弓の死以降は、無理解な周囲とも大きな軋轢が生まれ、ますます彼の心を乱す。そして堰を切ったように暴発してすべてを台無しにする。祭りでの派手なケンカ、ノミ屋への無鉄砲な襲撃、印刷会社での大立ち回り……。

その立ち居振る舞いはすべてがリアルだ。「なるほど、彼ならそう考えてそう行動するのも仕方のないところだ」と納得させられてしまう。「凶悪」「孤狼の血」などでおなじみの白石和彌監督に加え、脚本の加藤正人も人間を描くことには定評がある。それが見事に脚本、演出に発揮されている。

だが、何といっても特筆すべきは香取慎吾だろう。ぶっきらぼうで控えめなセリフはもちろん、わずかな表情や視線の変化、しぐさなどから、郁男の抱えた闇や屈折した心理がダイレクトに伝わってくる演技だった。特に印象深いのが後ろ姿である。そこに郁男の過去と現在がそのまま凝縮されているような何とも言えない雰囲気をたたえている。本作で何が一番の見どころかと問われれば、文句なしに香取の演技を挙げたい。

この映画では、郁男の周囲の人間たちも弱さやダメさを抱えている。勝美は震災の津波で妻を亡くしていた。また、若い頃には相当な不良だったようだ。亜弓の元夫の村上はDV男だし、彼の娘でもある美波は長い間、引きこもりだった。

だが、郁男をはじめそうした弱い人々に対する白石監督の視線には、温かさが感じられる。彼らを断罪するようなことはしない。むしろ彼らに対して、微かながら希望の灯をともす。

その灯は郁男にもともされる。自暴自棄になり、転落していく郁男に対して、勝美は救いの手を差し伸べる。美波もまた郁男に温かく接する。2人はけっして郁男を見捨てない。一度はそれに逆に耐え切れなくなった郁男だが、最後には少しだけ前を向く。美しい海でのラストシーンが、明確な再生ではないものの、今後の郁男の人生に微かな光を示す。彼にもようやく「凪」が訪れるのかもしれない。

心地よさや楽しさとは無縁の映画だが、終始スクリーンから目が離せなかった。人間という存在の奥底に迫った力作である。

 

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◆「凪待ち」
(2019年 日本)(上映時間2時間4分)
監督:白石和彌
出演:香取慎吾恒松祐里西田尚美、吉澤健、音尾琢真リリー・フランキー、三浦誠己、寺十吾、佐久本宝、田中隆三、黒田大輔、鹿野浩明、奥野瑛太麿赤兒不破万作宮崎吐夢、沖原一生、江井エステファニー、ウダタカキ、野中隆光、岡本智礼、本木幸世
*TOHOシネマズ日比谷ほかにて全国公開中
ホームページ http://nagimachi.com/