映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「ザ・ユナイテッド・ステイツvs.ビリー・ホリデイ」

「ザ・ユナイテッド・ステイツvs.ビリー・ホリデイ
2022年2月15日(火)グランドシネマサンシャインにて。午後3時より鑑賞(スクリーン2/E-6)

~権力と闘う伝説の歌手の強い意志と人間的な弱さ

ジャズには疎いのだが、ビリー・ホリデイというシンガーの名前は知っている。人種差別をテーマにした「奇妙な果実」という曲を歌ったシンガーだ。そのビリー・ホリデイの伝記映画が「ザ・ユナイテッド・ステイツvs.ビリー・ホリデイ」である。監督は「プレシャス」「大統領の執事の涙」のリー・ダニエルズ

映画は1947年から始まる。その時点で、ビリー(アンドラ・デイ)はすでに人気歌手になっている。「奇妙な果実」も代表曲の一つになっている。だが、アメリカ政府は「奇妙な果実」を歌わないように圧力をかけ始める。その曲は黒人がリンチに遭って木に吊るされた光景を歌った、凄惨な現実を告発した歌だった。

なにせビリーは黒人はもちろん、白人にも人気がある歌手だ。当時は、人種差別の撤廃を求める人々が国に立ち向かった公民権運動の黎明期であり、その影響が運動に及ばないとも限らない。政府はそれを恐れていたのだ。

しかし、「奇妙な果実」を歌ったからといって、彼女を逮捕するわけにはいかない。そこで連邦麻薬取締局のアンスリンガー長官(ギャレット・ヘドランド)は策を巡らす。

ビリーは熱烈なファンの黒人青年、フレッチャー(トレヴァンテ・ローズ)と親しくなる。だが、実は彼はアンスリンガーがおとり捜査に差し向けた麻薬取締局の捜査官だったのだ。ビリーは逮捕されて実刑判決を受ける。それでも1年後に出所するとファンが出迎え、カーネギーホールでのコンサートは大成功する。

というわけで、伝記映画といってもビリーの子供時代などは、ほとんど登場しない。わずかに、ある人物の幻想の世界で、彼女の不幸な生い立ちが描かれる程度である(それが現在の彼女の行動に、大きな影響を与えていることは確かなのだが)。

中心的に描かれるのは、悪辣で執拗な策でビリーを陥れようとする麻薬取締局と、それに対して強い意志で歌い続けるビリーの姿だ。どんなに苦境に立とうとも、彼女は権力の横暴に反発し続ける。

とはいえ、ビリーを偉人として描くわけではない。不幸な幼少期を過ごした影響で、孤独な彼女は薬物を断つことができず、男運にも恵まれない。言い寄ってくる男たちは彼女を利用することしか考えず、何度も裏切られる。しまいには、仲間とも険悪な雰囲気になり、ますます彼女は孤独に陥る。そんな弱さを併せ持つ人間としてのビリーを強調するのだ。

そんな中、唯一の心を許せる男性がフレッチャーだった。彼はビリーを刑務所に送り込んだのちに、さらなる工作を命じられる。だが、フレッチャーは黒人を狙い撃ちする命令に疑問を持つようになり、さらにビリーの魅力にも取りつかれる。そしてビリーと親しくなるのである。

このフレッチャーが、実に良い人なのだ。ビリーに近づく他の男がほとんどクズだから、ますます彼の良さが際立つ。最初から彼のような男と知り合っていたら、ビリーの人生もずいぶん違ったものになったのではないだろうか。

ビリーとフレッチャーが接近するのは、全米ツアー中のこと。ビリー一行はバスに乗って各地を回り、フレッチャーは乗用車で後ろをついてまわる。アンスリンガー長官に尾行を命じられたのだが、そんな命令はもうどうでもよくなっていた。

そのツアー中には、この映画で最も忘れ難い場面が登場する。「奇妙な果実」に歌われたのと同じ凄惨な光景が、ビリーの目の前で展開するのだ。黒人女性が木に吊るされ、家族が呆然としてそれを見ているのである。

その直後に、ビリーは「奇妙な果実」を歌う。その歌声はゾクゾクするような、この世のものとも思えない鬼気迫る歌声である。

劇中の歌は、ビリーを演じているグラミー賞ノミネート歴もあるR&Bシンガーのアンドラ・デイが担当している。いずれも素晴らしい歌声だ。「奇妙な果実」はもちろん、「オール・オブ・ミー」のようなスイートなラブソングも堪能できる。

いや、歌声だけではない。歌に込められたメッセージを全身全霊で表現した演技も圧巻だ。演技は初めてというのが信じられない。

まるで昔のフィルムのようなモノクロ映像を使ったり、現実離れした幻想的な場面を登場させたりと、いろいろと細かな工夫をしていることもあって、やや取っ散らかった感じがしないこともない本作。だが、それを救っているのがアンドラ・デイの熱演だ。彼女なしにこの映画はなかったと思う。

ビリーは44歳の若さで死去している。ラストは死の間際の彼女。フレッチャーが甲斐甲斐しく世話をするが、またしてもクズ男が登場する。そして、そこでもまたアンスリンガーの策略が。それを毅然とはねのけるビリーの強い意志を表すとともに、アメリカの人種差別が今も続いていることを印象付けてドラマは終わる。

エンドロールのアンドラ・デイの歌声が心をつかんで離さない。やはりこの映画は、彼女ありきの作品である。

 

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◆「ザ・ユナイテッド・ステイツvs.ビリー・ホリデイ」(THE UNITED STATES VS. BILLIE HOLIDAY
(2021年 アメリカ)(上映時間2時間11分)
監督:リー・ダニエルズ
出演:アンドラ・デイ、トレヴァンテ・ローズギャレット・ヘドランド、ダヴァイン・ジョイ・ランドルフ、ローレンス・ワシントン、ロブ・モーガンナターシャ・リオン、トーン・ベル、エリック・ラレイ・ハーヴェイ
新宿ピカデリーほかにて全国公開中
ホームページ https://gaga.ne.jp/billie/

 


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「ちょっと思い出しただけ」

「ちょっと思い出しただけ」
2022年2月13日(日)シネ・リーブル池袋にて。午後11時55分より鑑賞(スクリーン1/C-8)

~キラキラした恋愛の日々を時間をさかのぼって見せる切なすぎるラブストーリー

ラブストーリーは、いかに観客の共感を呼ぶかが鍵。観客が嘘くささを感じたり、気恥ずかしさを覚えるようではいけない。特に過去の恋愛を描くなら、切なさやノスタルジーをどれだけかき立てられるかがポイントだ。

その点、松居大悟監督の「ちょっと思い出しただけ」は、実によくできたラブストーリーである。若いながら相当なキャリアを持つ松居監督だが、前作の「くれなずめ」といい、ここのところの充実ぶりには目を見張らされる。

「ちょっと思い出しただけ」は、バンド「クリープハイプ」の尾崎世界観ジム・ジャームッシュ監督の「ナイト・オン・ザ・プラネット」に着想を得て書き上げた新曲「Night on the Planet」に、松居監督が触発されてオリジナル脚本を書いたという。

ちなみに、その尾崎世界観が、この映画では重要な役どころであちこちに登場してくる。

映画の冒頭は東京の夜景だ。夜の街を一台のタクシーが走る。運転手は野原葉(伊藤沙莉)。このドラマの主人公だ。葉はタクシーの客の若い女性の陽気な態度を見て、思わず話しかける。彼女は誕生日だという。だが、昨日は落ち込んで死にかけたというのだ。彼女は葉に尋ねる。「運転手さんは幸せ?」。

続いて、一人の男が家を出て仕事場に向かう様子が描かれる。佐伯照生(池松壮亮)。このドラマのもう一人の主人公だ。朝起きてサボテンに水をあげ、ラジオから流れる音楽に合わせて体を動かす。照生は舞台の照明係をしている(劇中では高円寺の劇場「座・高円寺」が映る)。ダンスの公演の照明を担当する照生。実は彼は元ダンサーだったのだ。

葉と照生。彼らはかつてつきあっていたものの、今は別れているのである。その6年にわたる2人の愛の軌跡を、照生の誕生日である7月26日を1年ずつさかのぼる形で描き出していくのが本作だ。

冒頭のシーンは2021年7月26日。全員がコロナ禍でマスクをしている。もちろんタクシー運転手の葉もそうだし、照生が照明を担当する舞台の観客もそうだ。そこから時間をさかのぼると、違う風景が見えてくる。それが時間の流れを象徴的に見せる。

1年ずつ、時間をさかのぼって様々なシーンが描かれる。ある年の照生は部屋でリモート会議をし、葉は飛沫シートを付けたタクシーをマスク姿で運転している。また、違う年の照生はバーで常連のフミオやダンス仲間の泉美と酒を飲み、居酒屋で合コンをしていた葉は、その合間に見知らぬ男から声をかけられる。

そんな中でも心に染みるのが、2人の別れのシーンだろう。照生が足にけがをしたのをきっかけに、2人の仲はギクシャクし、ついに別れてしまう。そこで秀逸なのが、葉の運転するタクシーの車内で、2人が言い争うようすを長回しで映すところだ。

それはまるでアドリブのようなごく自然なケンカ。自らの今後に結論を出すまでは連絡を絶とうと決めた照生。それが逆に耐えきれなかった葉。2人のすれ違う気持ちが、ダイレクトに伝わってくる。焼き鳥屋をめぐって葉が文句を言うところなど、どうでもいい話なのだが、「ああ、あるよなぁ。ああいうこと」とつい納得させられるのだ。

2人がラブラブだった頃のシーンも忘れがたい。照生のバイト先の水族館に忍び込み、楽しげにじゃれ合う2人。これもまたアドリブのようにごく自然で、みずみずしい会話だ。いかにも恋愛中の2人らしい。全編にユーモアが散りばめられていることもあって、観ているこちらもついニコニコしてしまうのだ。

それ以外にも、2人がつきあい始めた頃に、照生と葉が夜の商店街でダンスをするシーンなど、胸キュンのたまらないシーンが満載だ。会話が抜群に面白いし、ユーモアにあふれている。様々なディテールにもこだわっているから、セリフ以外の部分でも伝わってくるものがある。髪留めや猫など小道具の使い方もうまい。同じ行動が年によって微妙に違っていたりもする。

まあ、それもこれも2人が別れているからこそ、キラキラの日々がなおさら愛おしく、切なくなってくるわけだ。

2人の周辺のサブストーリーも心に残る。特に永瀬正敏演じる男が、公園のベンチでずっと妻を待つシーン。最初は何やら怪しい人物にしか見えなかった彼だが、何度か時間をさかのぼるうちに感動のエピソードが見えてくる。

ラストには再び今現在の2人の姿が映る。2人は過去を吹っ切ったのだろうか。タイトル通りに「ちょっと思い出しただけ」というのは強がりかもしれない。少なくとも人生の一時期にクッキリと彼らの胸の奥底に刻印された思い出だろう。その心情を松居監督がリアルに伝えてくれるから、大した恋愛経験もない自分もすっかり引き込まれてしまった。松居監督、腕を上げたなぁ~。

過ぎ去った恋愛の日々を振り返って、ノスタルジックで切ない思いでいっぱいになる映画だ。終わった愛の軌跡を、時間をさかのぼって描くといえば、燃え殻の原作を映画化した「ボクたちはみんな大人になれなかった」を思い起こす。図らずもあちらにも伊藤沙莉が出演していた。また、「花束みたいな恋をした」も、終わった恋愛を振り返るドラマだ。両作品とも優れた作品だったが、本作もそれに負けず劣らず胸にしみわたるラブストーリーになっている。

池松壮亮伊藤沙莉はまるで当て書きしたように役にはまっていた。池松のダンサーもなかなかだし、伊藤のタクシー運転手もぴったりだった。それにしても伊藤沙莉は、外見はどこにでもいる普通の女の子なのに、ものすごい存在感を見せる。「ボクたちはみんな大人になれなかった」に続いて、素晴らしい演技を見せてもらった。

 

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◆「ちょっと思い出しただけ」
(2021年 日本)(上映時間1時間55分)
監督・脚本:松居大悟
出演:池松壮亮伊藤沙莉河合優実、大関れいか、屋敷裕政、尾崎世界観、渋川清彦、松浦祐也、篠原篤、郭智博、広瀬斗史輝、山崎将平、細井鼓太、成田凌市川実和子高岡早紀、神野三鈴、菅田俊鈴木慶一國村隼永瀬正敏
*TOHOシネマズ 日比谷ほかにて全国公開中
ホームページ http://choiomo.com/

 


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「ダーク・ウォーターズ 巨大企業が恐れた男」

ダーク・ウォーターズ 巨大企業が恐れた男」
2022年2月11日(金・祝)池袋シネマ・ロサにて。午後1時15分より鑑賞(シネマ・ロサ2/D-9)

~巨大企業と闘い続けた実在の弁護士を映画化。静かな怒りの炎が燃える

ダーク・ウォーターズ 巨大企業が恐れた男」、観たかったんだよなぁ~。去年の12月に公開になって、日比谷のシャンテシネに行こうと思ったんだけどなぁ~。結局、行けずじまいだったもんなぁ~。

……と嘆いていたら、今頃になって池袋シネマ・ロサでやっているではないか。別に名画座というわけではないのだが、見逃したと思ったこういう映画を、少し遅れて上映してくれたりするからうれしいのだ。

というわけで、さっそく行ってきたのである。

1998年、オハイオ州の名門法律事務所で働く企業弁護士ロブ・ビロット(マーク・ラファロ)のもとに、ウィルバー・テナントという男がやって来て調査を依頼する。ウェストバージニア州の彼の農場が、大手化学メーカー・デュポン社の工場からの廃棄物によって汚染され、190頭もの牛が病死したというのだ。最初は断ろうとしたビロットだったが、現地の惨状を目の当たりにして調査を決意。やがて、デュポン社に請求した大量の資料と格闘する中で、“PFOA”という謎のワードに辿り着くビロットだったが……。

製作・主演のマーク・ラファロの熱い思いが伝わる映画だ。「アベンジャーズ」シリーズをはじめガチガチのハリウッド映画に出演する彼だが、同時に環境活動家という側面も持つ。そのラファロが、環境汚染問題をめぐって十数年にもわたって巨大企業と闘いを繰り広げた1人の弁護士の記事を読んで心を動かされ、映画化を決意したという。

だが、何しろ相手は超大企業のデュポン社だ。場合によっては訴えられる可能性もある。それでも製作したのだから、相当に気合が入っている。

映画の冒頭は夜の川で若者たちがはしゃぐシーン。だが、その時、デュポン社の人間と思われる警備員が船に乗ってやって来て、彼らを蹴散らし、川に何か薬剤をまくのだ。何やら怪しい滑り出しではないか。

続いて登場する弁護士ロブ・ビロット。彼のもとにウィルバー・テナントという牧場主の男がやって来る。彼の農場が、デュポン社の工場からの廃棄物によって汚染され、大変な被害が出ているというのだ。テナントはその被害を記録したビデオを渡し、調査を依頼する。しかし、ビロットは企業弁護士であり、いわばテナントの敵側の味方。祖母の紹介できたといっても、「はい。そうですか」と引き受けるわけがない。

それでも彼は現地に足を運ぶ。そして、その惨状を目の当たりにして調査を引き受けざるを得なくなる。彼の良心が見過ごすことを許さないのだ。

やがて大量の資料の中から、謎のワード“PFOA”にぶち当たった彼は、それが何なのかを探ろうとする。

このドラマは、主人公の弁護士ビロットをけっしてヒーローとしては描かない。地道な調査を続け、時には暗殺の恐怖におびえ、ストレスにさらされ、それでも真実に迫っていく生身の人間として描く。それが観客の共感を呼んでいく。

監督は「キャロル」「エデンより彼方に」のトッド・ヘインズ。社会派ドラマというと大上段に振りかぶった印象を受けるが、むしろ繊細で簡潔な語り口が光る。実話ということもあって、ドラマチックに盛り上げることもしない。その代わりミステリー的な要素など様々なフレーバーをまぶしてドラマを展開していく。

それにしてもデュポン社である。廃棄物で動物が死んだだけではない。人間にも害をもたらしているのだ。テフロン加工といえばフライパンなどで日本でもおなじみの技術だが、その製造に関わった人々も大きな被害を受けたことが明かされる。特に、ある赤ちゃんの風貌には愕然とさせられる。

まるで静かに怒りの炎を燃やすがごとく、映画は進んでいく。途中からは裁判が進行するが、それもごく地味な展開だ。カタルシスなどどこにもない。

ビロットは何とか集団訴訟にこぎつけるが、調査委員会で住民の血液検査をすることになる。しかし、それにとんでもない時間がかかり、原告住民などからプレッシャーを受けて、ビロットは苦境に立たされる。

そんな中、ビロットの家族のドラマも描かれる。妻(アン・ハサウェイ)は最大の理解者として彼を支えるが、その妻とも険悪な空気が流れるようになる。

そして、信じられないほどの時間を要して検査結果が出る。確かにいくつかの病気とデュポン社による有害物質との間には、関連があることが判明する。ビロットの勝利!? だが……。

最後にこの問題が現在進行形であることを印象付けて、ドラマは終わる。ビロットの戦いは今も続いているのだ。

デュポン社のやってきたこと、いや、今現在やっていることは十分に非難に値する。そんな相手と、何十年にもわたって不正を許さず戦ってきたピロット弁護士には頭が下がる。同時に、それを実名を出して映画化したマーク・ラファロトッド・ヘインズ監督にも拍手を送りたい。この映画が伝えるメッセージは、日本ともけっして無縁ではないだろう。

 

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◆「ダーク・ウォーターズ 巨大企業が恐れた男」(DARK WATERS)
(2019年 アメリカ)(上映時間2時間6分)
監督:トッド・ヘインズ
出演:マーク・ラファロアン・ハサウェイティム・ロビンス、ビル・キャンプ、ヴィクター・ガーバー、メア・ウィニンガム、ウィリアム・ジャクソン・ハーパー、ビル・プルマン
*池袋シネマ・ロサほかにて公開中
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「355」

「355」
2022年2月7日(月)池袋HUMAXシネマズにて。午後12時30分より鑑賞(スクリーン6/D-8)

~主役級は全員女性。女性の時代らしく女性スパイが輝くアクション映画

「355」というタイトルのアクション映画。何ともそっけないタイトルだが、18世紀アメリカの独立戦争時代に実在した女性スパイのコードネームらしい。そしてこの映画、ごく普通のアクション映画ではあるものの中味はかなりユニーク。なにしろ主役級が全員女性なのだ。

南米の犯罪組織が、世界中のシステムを攻撃できるデジタル・デバイスを開発する。このデバイスを手にすれば、第三次世界大戦さえ引き起こせるという。CIA本部からデバイスの奪取を命令された女性エージェントのメイス(ジェシカ・チャステイン)は、ふだんは対立しているドイツのBND、英国MI6、さらにはコロンビアと中国の諜報機関に所属する女性エージェントたちと手を組んで、危険で過酷なミッションに挑むのだが……。

冒頭は麻薬取引のシーン……かと思ったら、実は世界を混乱に陥れるデジタル・デバイスの取引だった。こういうものをめぐって騒ぎが起きるというのも、いかにも今の時代らしい。とにもかくにも、のっけからアクセル全開。南米の豪邸でマフィアと特殊部隊が入り乱れて銃撃戦を展開する。

そのデバイスが闇マーケットに流出しようとしていることがわかり、奪取を命じられたのがCIAエージェントのメイス。彼女は同僚のニック(セバスチャン・スタン)とともに、パリに旅立つ。

しかし、パリでデバイスを奪取しようとした瞬間、BND(ドイツ連邦情報局)の秘密工作員マリー(ダイアン・クルーガー)が現れて、メイスと追走劇を繰り広げる。ここも地下鉄構内の銃撃戦など、スリリングなアクション全開だ。

さらに、そこにコロンビア諜報組織の心理学者グラシエラ(ペネロペ・クルス)が現れる。彼女はエージェントではなく、組織の人間のセラピーをしに来たのだが、図らずもデバイス争奪戦に巻き込まれてしまう。

ちなみに、メイスはパリに出発する前にニックと深い関係になる。何とお手軽なと思ったのだが、実はパリに着いて早々、ニックは殺害されてしまうのだ。メイスは彼の死に大いに心乱れるのだが、実はこの死には驚くべき裏があることがあとになってわかる。

というわけで、ストーリー的にもなかなかヒネってあるのだが、最大の見どころはやはりアクションだろう。人気作「ジェイソン・ボーン」シリーズのスタジオが製作しているということもあって、ガンアクションあり、格闘シーンあり、バイクチェイスありでド迫力のアクションが満載だ。監督は「X-MEN:ダーク・フェニックス」のサイモン・キンバーグ。

その後、舞台はモロッコに移る。そこではメイスがマリーと手を組み、グラシエラを引き込み、さらにイギリスのMI6のサイバー・インテリジェンスの専門家ハディージャルピタ・ニョンゴ)を仲間に加えてデバイスを狙う。もちろんここでも緊迫の追走劇が展開される。

感心するのは、女性エージェントたちのキャラがクッキリと描き分けられていること。凄腕エージェントのメイス。二重スパイだった父を持ち孤独なマリー。本来は無関係なのに巻き込まれてしまい、早く家族のもとに帰りたいグラシエラ。IT機器を鮮やかに操るものの、こちらも恋人のもとに早く帰りたいハディージャ。それぞれの個性が十二分に発揮されている。

マリーがBNDの同僚と話す時はドイツ語、グラシエラがコロンビアの諜報組織の同僚と話す時はスペイン語というように、言語をちゃんと実際の言葉に合わせているところも抜かりはない。まあ、ダイアン・クルーガーは「女は二度決断する」でドイツ語の演技を披露しているし、ベネロペ・クルスはペドロ・アルモドバル監督作品などスペイン語劇にもたくさん出ているから、当然といえば当然だが。

ロッコでの攻防を経て、ついにメイスがデバイスを手に入れて大団円。任務を終えた彼女たちは、それぞれの初仕事の思い出を語り合うなどして楽しく過ごす。これにて一件落着……と思ったら、そうではなかった。ドラマは二転三転してまだ続くのだ。

最後の舞台は上海(実際のロケ地は台北のようだが)。デバイスをめぐって、華々しいオークションが開かれる。ゴージャスに着飾ったメイスたちの前に現れたのは、中国政府のエージェント、リン(ファン・ビンビン)。

これで全員総登場となり、「敵の敵は味方」で全員が手を結び、最後はホテルの高層階を舞台にしたド派手な銃撃戦。当然ながら、あわやの場面が続出するスリリングな展開だ。そこで決定打を放つのは、意外なあの人!

その後に描かれる後日談では、ついに憎きラスボスを倒し(もちろん男!)、女たちの団結と友情を印象付ける。そして最後には続編を匂わせるセリフも。しかしこの5人をまた揃えるのは大変じゃないの!?

それにしても豪華なキャストですなぁ。ジェシカ・チャステインペネロペ・クルスファン・ビンビンダイアン・クルーガールピタ・ニョンゴ。いずれも劣らず存在感あり。それぞれに見せ場がちゃんと用意されているから、なおさらだ。個人的にはダイアン・クルーガーが一押し。こういう孤独な役がホントに似合うなぁ~。

少し前だったら、男性スパイの間に1人か2人女性を入れ込んでおしまいだったろう。全員女性というスパイの顔ぶれはあり得なかったのでは? そういう意味で基本はありがちなアクション映画ながら、女性の時代にふさわしい作品である。とにかくひたすら女性がカッコいいのだ!

◆「355」(THE 355)
(2022年 イギリス)(上映時間2時間2分)
監督:サイモン・キンバーグ
出演:ジェシカ・チャステインペネロペ・クルスファン・ビンビンダイアン・クルーガールピタ・ニョンゴエドガー・ラミレスセバスチャン・スタン
*TOHOシネマズ 日比谷ほかにて公開中
ホームページ https://355-movie.jp/

 


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「フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊」

「フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊」
2022年2月2日(水)グランドシネマサンシャインにて。午後2時35分より鑑賞(スクリーン10/D-8)

ウェス・アンダーソン監督らしさがあふれる架空の雑誌の映画版

長いタイトルの映画は数あれど、これも相当に長いよなぁ。「フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊」だもの。

ダージリン急行」「グランド・ブダペスト・ホテル」「ザ・ロイヤル・テネンバウムズ」「犬ヶ島」などのウェス・アンダーソン監督の新作映画。過去作も個性的な映画が多かったアンダーソン監督。本作はそんなアンダーソン監督らしさの詰まった映画だ。

とあるフランスの架空の街にある米国の新聞社のフランス支社。そこが発行する雑誌『フレンチ・ディスパッチ』は、国際問題からアート、ファッション、グルメに至るまで深く切り込んだ記事で人気を集めていた。ところが、名物編集長のアーサー(ビル・マーレイ)が急死してしまい、彼の遺言によって雑誌は廃刊となることが決まる。

というわけで、アーサーの追悼号にして最終号の内容を映像化して披露するのがこの映画だ。アーサーが集めた一癖も二癖もある記者たちによる、いずれ劣らぬ個性的な記事の内容が3話のオムニバス形式で描かれる。

最初はプロローグ的に、向こう見ずな記者のサゼラック(オーウェン・ウィルソン)が登場。彼が自転車に乗って街ネタを拾って記事にするものの、編集長のアーサーはその内容に不満そう。

そして、いよいよ第1話のスタート。美術界を知り尽くした記者J・K・L・ベレンセン(ティルダ・スウィントン)が語るエピソードは、殺人犯として刑務所に拘留されている天才画家(ベニチオ・デル・トロ)のお話。彼のミューズはなんと女性看守(レア・セドゥ)。彼女のヌードを基に描いた絵をめぐって画商(エンドリアン・ブロディ)が暗躍する。

次なる第2話は、社会派ライターのルシンダ・クレメンツ(フランシス・マクドーマンド)が手がける、若い情熱に満ちた学生運動の闘士(ティモシー・シャラメ)のお話。彼は運動ではカリスマ的存在なのに、なぜか女子には弱い。そのため学生運動グループの気の強い会計係の女の子とすったもんだする。

最後の第3話は、食を愛する記者ローバック・ライト(ジェフリー・ライト)が語る警察署長の食事室の事情。美食家の警察署長(マチュー・アルマリック)の息子が誘拐され、身代金を要求される。そこに署長お抱えの伝説の“警察料理シェフ”などが絡んで大変なことになる。

すべてのエピソードがウェス・アンダーソンらしさに満ちている。次々にスクリーンサイズを変え、モノクロとカラーを行き来し、終盤ではアニメまで飛び出す。遊び心あふれる世界だ。背景の細部までこだわり、完璧なまでに美しい。誰かが言っていたが、まさに万華鏡のような世界。もちろんユーモアとウィットも満載である。

1950~60年代のモノクロのフィルム・ノワールヌーヴェル・ヴァーグなど、アンダーソン監督が好きな映画の世界を意識したと思えるシーンもたくさんある。

ただし、あまりにも完璧な美しさゆえ当方何度か睡魔に襲われる場面も。大量のナレーションが続くので、それについていくのでやっとで、なおさら眠りに誘われてしまった。

とはいえ、アンダーソン監督の特徴が凝縮されたような映画なので、過去の作品が好きな人はきっと気に入るはず。

それにしても、何という豪華キャスト。オーウェン・ウィルソンビル・マーレイフランシス・マクドーマンドウェス・アンダーソン作品の常連組に加え、ベニチオ・デル・トロティモシー・シャラメジェフリー・ライトらも初参加。脇役に至るまで有名俳優が出演しているのだ。シアーシャ・ローナンがワンシーンだけ出演しているぐらいだもの。え? この人どこに出ていたの? と思う人もいるほどだ(キャスト欄を参照)。

こういう映画を撮るのは楽しいに違いない。贅沢でやりたい放題の映画だ。こんなことが許されるウェス・アンダーソンは幸せ者である。その幸せのご相伴にあずかれる映画なのだ。

 

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◆「フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊」(THE FRENCH DISPATCH OF THE LIBERTY, KANSAS EVENING SUN)
(2021年 アメリカ)(上映時間1時間48分)
監督・脚本・原案・製作:ウェス・アンダーソン
出演:ベニチオ・デル・トロエイドリアン・ブロディティルダ・スウィントン、レア・セドゥ、フランシス・マクドーマンドティモシー・シャラメ、リナ・クードリ、ジェフリー・ライトマチュー・アマルリック、スティーヴン・パーク、ビル・マーレイオーウェン・ウィルソンクリストフ・ヴァルツエドワード・ノートンジェイソン・シュワルツマンリーヴ・シュレイバー、エリザベス・モス、ウィレム・デフォーロイス・スミスシアーシャ・ローナンセシル・ドゥ・フランス、ギヨーム・ガリエンヌ、トニー・レヴォロリルパート・フレンド、ヘンリー・ウィンクラー、ボブ・バラバン、イポリット・ジラルド、アンジェリカ・ヒューストン
*TOHOシネマズ シャンテほかにて全国公開中
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「前科者」

「前科者」
2022年1月31日(月)TOHOシネマズ 池袋にて。午後12時40分より鑑賞(スクリーン7/E-9)

~前科者の更生の意味を問う。骨太な社会派エンターティメント

保護司という仕事があるのは知っていた。犯罪者の更生を助ける仕事だ。だが、それが非常勤の国家公務員にもかかわらず、無報酬だというのは初めて知った。

「前科者」は保護司に光を当てた映画だ。もともとは香川まさひと・作、月島冬二・画によるコミックスをWOWWOWでドラマ化。本作はその映画版だが、「二重生活」「あゝ、荒野」の岸善幸監督が原作にないオリジナルストーリーで描いているから、ドラマを観ていなくてもまったく問題はない。

主人公は28歳の阿川佳代(有村架純)。ある出来事をきっかけに、保護司となって3年目の彼女はコンビニで働きながら、更生を目指す前科者たちのために奔走していた。彼女が担当する元殺人犯の青年、工藤誠(森田剛)は、自動車修理工場でまじめに働き、阿川とも信頼関係を築いていた。ところが、最後の面談の日に誠は忽然と姿を消す。そんな中、連続殺人事件が発生し、阿川は中学時代の同級生だった刑事の滝本(磯村勇斗)から、工藤が警察に追われていることを知らされる……。

映画の冒頭で、中学時代の阿川が滝本にキスをするシーンが描かれる。それは実は彼女が保護司になった理由と関係しているのだ。

今の阿川は、保護司としてひたすら一生懸命に前科者の更生をサポートしていた。何人かの前科者と彼女とのやりとりが描かれるが、なかでもあれこれ文句をつけて仕事を休もうとする女性宅に乗り込んだ時がスゴイ。窓ガラスをたたき割って、彼女に仕事に行くように迫るのだ。それほど真剣に阿川は前科者たちに接していたのである。

彼女が担当する前科者の1人が工藤誠という青年だ。彼は職場の先輩を刺し殺して刑務所に入っていた。仮出所後は寡黙ながら真面目に自動車修理工場で働き、阿川とも信頼関係を築いていた。ところが、ある日、忽然と姿を消したのだ。いったいなぜ更生間近の彼が失踪したのか。そのミステリーが描かれる。

とはいえ、そのミステリーは連続殺人事件と結びついて典型的な刑事ドラマのスタイルで進む。しかも、殺人事件の真犯人は最初からバレバレなのだ。だから、謎解きの醍醐味は期待しない方がよい。

その代わり、事件の捜査を通じて工藤の悲惨な生い立ちが見えてくる。ある医師の証言が衝撃的だ。かつてはそれが当然だったといっても、明確な人権侵害が堂々と行われていたのだ。工藤はその被害者だった。

そして、そんな工藤を信頼し、裏切られた阿川の挫折と苦悩も描かれる。「殺人犯でも更生できる」と信じ、ひたすら寄り添い続けてきた彼女は無力感に打ちひしがれる。

それと同時に冒頭のエピソードを引き継いで、彼女がなぜ保護司になったのかも明らかにされる。それは衝撃的な出来事だった。

本作には様々な問いかけが込められている。一度罪を犯した者は更生することができるのか。人は他人の罪を許せるのか。世間の偏見や不寛容が広がる今の世の中で、それらの問いは重い意味を持つ。

それを堅苦しい映画ではなく、エンターティメントで描いているところが本作の真骨頂だ。前述したように殺人事件の捜査劇はベタベタの刑事ドラマだし、昭和の人情ドラマのようなところもある。笑いの要素もあちこちに散りばめられている。それでも社会派ドラマの本質はきっちり押さえて外さない。

印象的な場面がたくさんある映画だ。例えば、自信喪失した阿川に元受刑者で友人のみどりが「前科者に必要なのはあんたのような人間だ」と励ます場面。そして終盤で犯人逮捕後に阿川と工藤が対する場面。それは魂の対話と言ってもいいぐらい壮絶な場面だ。涙なくしては観られない圧巻のシーンだった。

主演の有村架純は本当に良い俳優になったと思う。「花束みたいな恋をした」の演技も素晴らしかったが、この映画の彼女は一段と輝いている。前科者に寄り添い続ける姿をベースにしつつ、様々な表情を見せる幅の広い演技だった。

そして6年ぶりの映画出演という森田剛。ずいぶんと凄みのある演技を見せてくれるではないか。外見はただのオッサンになりきっているのだが(失礼!)、その奥に底知れぬ何かを感じさせる演技だった。

この2人に加え、マキタスポーツ石橋静河リリー・フランキー木村多江宇野祥平広岡由里子山本浩司らの脇役陣が、短い出番にもかかわらず圧倒的な存在感を示しているのもこの映画の見どころだ。

エンタメ色を前面に押し出しつつ、骨太な社会派ドラマを展開した力作だ。こういう時代だからこそ、なおさら意味のある映画だと思う。

◆「前科者」
(2021年 日本)(上映時間2時間13分)
監督・脚本・編集:岸善幸
出演:有村架純磯村勇斗若葉竜也マキタスポーツ石橋静河北村有起哉宇野祥平リリー・フランキー木村多江森田剛
*TOHOシネマズ 日比谷ほかにて全国公開中
ホームページ http://zenkamono-movie.jp/

 


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「麻希のいる世界」

「麻希のいる世界」
2022年1月30日(日)新宿武蔵野館にて。午後2時55分より鑑賞(スクリーン1/A-6)

~「害虫」を想起させる荒々しくて力強い青春ドラマ

塩田明彦監督の映画で、個人的に最も印象に残っているのは「害虫」(2002年)だ。宮崎あおい扮する中学生の少女が過酷な運命にさらされる姿を、突き放したような冷徹な視線で描いた衝撃的な作品だった。

その塩田監督の新作「麻希のいる世界」は、「害虫」と似たテイストを持つ映画である。塩田監督の前作「さよならくちびる」に出演していた元アイドルグループ「さくら学院」の新谷ゆづみと日髙麻鈴を主演に起用し、2人を想定してオリジナル脚本を書き上げた。

重い持病を抱える高校2年生の由希(新谷ゆづみ)は、海岸で同じ高校に通う麻希(日髙麻鈴)に出会う。麻希には男絡みの悪い噂があったが、勝気な振る舞いに惹かれた由希は憧れを抱く。ある日、由希は麻希の美しい歌声を聞き、バンドを結成しようとする。

キラキラした輝く青春とは無縁のドラマだ。ドラマの中心は由希と麻希の関係にある。由希は重い病気を患い死が身近にあった。だから、「生きた証し」を残すためにひたすら麻希の才能に賭ける。一方の麻希は周囲に反発し、自分に対する同情や共感を拒否し、由希を何度も裏切り続ける。それでも麻希は彼女に執着する。序盤で麻希を追う由希の姿は、まるでストーカーのようだ。

2人の関係は常人からは理解しがたいものかもしれない。由希には重病だという以外にも、母親の行状など負の要素がついてまわるし、麻希も(本人の弁によれば)父親が性犯罪者だという過酷な現実がある。2人とも学校では友達もおらず、どこか浮いた存在に見える。だが、それでも由紀があそこまで麻希に肩入れし、麻希も次第に心を許していく理由は希薄にも思える。

おそらくそこには青春特有の思い込みの激しさがあるのだろう。由希は麻希を絶対の存在だと感じ、ひたすら前へ突き進む。それに引きずられて、麻希も由希を受け入れるようになる。ある意味、その姿は相当にイタいのだが、思春期真っただ中の本人たちは意に介さない。

そんな2人の様子を塩田監督は、「害虫」同様に冷徹な視線で映し出していく。救いや希望はどこにも見えない。共感や理解さえ拒否する。安直な感情移入など誰もできない。ただひたすら、麻希の強い意志と麻希の虚無感を浮き彫りにする。同時に2人の前にある危うさも映し出す。

映画の中盤は音楽ドラマの様相を呈する。由希は麻希とともに軽音部に入ってバンド活動をすると宣言する。だが、由希に秘かな想いを抱く軽音部の祐介(窪塚愛流)は、由希を麻希から引き離そうとする。そうするうちに、逆に彼女たちのバンドに協力するようになってしまう。

向井秀徳が作詞・作曲した楽曲がドラマにぴったり合っている。それを麻希がギターをかき鳴らしながら歌う。麻希の心の内をさらけ出すような楽曲だ。そのままリリースしてほしいぐらい素晴らしい。

麻希の曲を祐介がアレンジし、それをきっかけに本格的デビュー……となれば、青春ドラマとしては定番のパターンだろう。

だが、その後の展開には唖然とするばかりだ。ネタバレになるから詳しくは言わないが、由希にも麻希にも祐介にもとんでもないことが起きる。韓国ドラマでもめったにないような予想を超えた急展開である。

一見、唐突にも見えるその展開に説得力を与えているのが2人の若い女優だ。新谷ゆづみと日髙麻鈴。2人の力強いたたずまいと目線の強さが、すべてを納得させてしまう。

ラストシーンの由希の涙が心をかき乱す。青春とは思いこみの空回りなのだとつくづく思った。それでも彼女たちは前に突き進んでいくのだろう。その先にある2人の行く末をあれこれ想像してしまった。

まるで若手監督が撮ったような、荒々しくて、力強さにあふれた青春ドラマだ。万人受けする映画とは言い難いが、新谷ゆづみと日髙麻鈴の2人に出会えるだけでも、この映画の存在価値はあると思う。

 

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◆「麻希のいる世界」
(2022年 日本)(上映時間1時間29分)
監督・脚本:塩田明彦
出演:新谷ゆづみ、日髙麻鈴、窪塚愛流、鎌田らい樹、八木優希、大橋律、松浦祐也、青山倫子、井浦新
ユーロスペース新宿武蔵野館ほかにて公開中
ホームページ https://makinoirusekai.com/

 


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