映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「ある男」

「ある男」
2022年11月21日(月)ユナイテッド・シネマとしまえんにて。午前11時30分より鑑賞(スクリーン2/E-9)

~人間は何をもってしてその人間たりえるのか。人間の本質に迫った骨太なエンタメ作品

「愚行禄」「蜜蜂と遠雷」などの石川慶監督は、ポーランドで映画を学んだという珍しい経歴を持つ。その石川監督の新作は、芥川賞作家・平野啓一郎の小説を映画化した(脚本は向井康介)「ある男」だ。実は、私はすでに原作を読んでいたので、面白さが半減したらどうしようかと思っていたのだが、幸いにもそんなことはなかった。

谷口里枝(安藤サクラ)は、離婚して子供を連れて故郷に戻り、森の伐採現場で働く「大祐」(窪田正孝)と知り合い再婚する。ある日、不慮の事故で「大祐」は命を落とす。だが、法要の席に長年疎遠になっていた大祐の兄が訪れ、遺影に写っているのは「大祐」ではないと話したことから、夫は別人だと判明する。里枝はかつて離婚調停を依頼した弁護士の城戸(妻夫木聡)に身元調査を依頼する……。

原作の小説のエッセンスを巧みに凝縮している。大胆に省略するところは省略して、焦点を当てるところにはしっかり焦点を当てている。

冒頭から映像の力を実感させられた。里枝の文房具店を「大祐」が訪れて2人が出会い、幸せな家庭を築くに至る経緯を丁寧に描く。小説で言葉で語られるよりも、何倍も実感をもって受け止められた。それによって里枝と「大祐」の愛の物語が、より深く感じられたのだ。

そんな2人の愛の物語に加え、本作にはミステリーの要素もある。すでに原作を読んでいることもあって、ミステリー的な魅力には欠けるのではないかと思われたが、それも映像の力で十分に魅力的になっていた。

特に事件(と呼べるかどうかはともかく)の鍵を握る戸籍売買の代理人。小説を読む限り、煮ても焼いても食えない怪人物で、いったい映画では誰が演じるのか、ヘタな役者がやれば台無しだなと思っていたら柄本明だった。それがまたすさまじい怪人物ぶりなのだ。妻夫木聡扮する城戸との対決は迫力満点。まさに納得のキャスティング。それだけで面白さが倍加された。

この映画は主に3人の人物のドラマを描き出す。里枝、「大祐」、城戸である。前半の里枝に代わって、中盤以降前面に出てくるのが「大祐」だ。彼はある事情によって人生に惑い、ボクシングジムにふらふらと入り込む。そしてその後ボクサーとして活躍するのだ。

そのボクシングシーンも映像で見せられると説得力がある。窪田正孝がかなり本格的に取り組んだようで、試合シーンや練習シーンがリアルに映る。それと同時に彼の苦悩も、またリアルに映し出されるのである。

映像は場面場面に合わせて、長回しや手持ちカメラの映像なども駆使して、無駄のない映像を作り出している。雨や水溜まり、血や涙、陽光などを映した短いショットも、ドラマの背景として効果的に使われている。

本作には様々なテーマが横たわっている。在日外国人や差別、死刑制度、加害者と被害者の問題などだ。特に在日の問題に関しては、原作では重要な要素を占めている。「大祐」の正体を探るうちに、城戸は自らのアイデンティティーにぶつかり(在日で帰化している)、大いに葛藤することになる。

映画では描きにくい素材だけに、はたしてこの問題をどうするのか注目していたが、臆することなく真正面から描いていた。原作通りにヘイトデモの様子なども映し出されていた。

そうしたテーマの中で最も大きなものは、「人間存在」と「名前」をめぐるものだろう。「大祐」は自らの過去を消すために、別の人間になりすました。ならば、名前を変えれば過去は消せるのか。別の人間に生まれ変われるのか。その名前ゆえに手ひどい差別を受けてきただけに、彼の行動は理解できるが、それでも名前を変えればすべてが変わるわけではないだろう。だとすれば、人間は何をもってしてその人間たりえるのか。

そんな哲学的な問いにまで行き着くのだが、それをあくまでもエンターティメントとして、わかりやすいドラマに仕上げているのがこの映画の見事さだ。

ちなみに、原作ではかなり詳細に描かれていた本物の大祐の恋人と城戸との微妙な関係は、映画ではほぼ割愛されていた。また、城戸と妻の関係も原作ほど詳しくは描かれていなかった。とはいえ、こちらは妻の両親を登場させたり短い夫婦の会話から、両者の危うい関係をそれなりに見せていた。

終盤、すべてが明らかになって、里枝と息子がしみじみと語り合うシーンが感動的だ。なるほど、やはり里枝を中心とした家族の情愛のドラマとして締めくくるのだな。

そう思った次の瞬間、意外なシーンが登場した。城戸がバーで見知らぬ男を相手に、大祐の経歴を語るのだ。彼もまたその瞬間、「大祐」になりすましたのだ。その後に映るのはルネ・マグリットの絵画「複製禁止」。鏡を見つめる男の後ろ姿が描かれているが、鏡の中の人物も背中を向けている。その不可思議な絵を城戸が見つめている。映画の冒頭にも登場したこのシーンによって、本作が単なる感動のドラマやミステリーではなく、人間存在の本質を追求した骨太なドラマという側面がよりクッキリと浮かび上がった。

愛していた男が実は別人だった……というドラマは過去にもたくさんあったが、その中でも出色の映画だと思う。

俳優陣は妻夫木聡安藤サクラ窪田正孝の主役級が素晴らしい演技を見せているのに加え、前述した柄本明眞島秀和小籔千豊、仲野太賀ら脇役陣も存在感ある演技を披露している。

◆「ある男」
(2022年 日本)(上映時間2時間1分)
監督:石川慶
出演:妻夫木聡安藤サクラ窪田正孝清野菜名眞島秀和小籔千豊、坂元愛登、山口美也子、きたろう、カトウシンスケ、河合優実、でんでん、仲野太賀、真木よう子柄本明
丸の内ピカデリーほかにて全国公開中
ホームページ https://movies.shochiku.co.jp/a-man/

 


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「チケット・トゥ・パラダイス」

「チケット・トゥ・パラダイス」
2022年11月20日(日)ユナイテッド・シネマとしまえんにて。午前11時40分より鑑賞(スクリーン1/D-8)

ジョージ・クルーニージュリア・ロバーツの夫婦漫才を堪能せよ!

いつもいつも面倒くさい映画を取り上げているわけではないのだ。たまには単純明快、観たらスッキリするような映画も取り上げるのだ。

で、「チケット・トゥ・パラダイス」である。これぞハリウッドの典型的なハートフル・コメディー。驚くようなことは何もないけれど、観たら楽しくなれる作品だ。

20年前に離婚した元夫婦のデヴィッド(ジョージ・クルーニー)とジョージアジュリア・ロバーツ)。お互いに結婚を後悔し、顔を合わせればいつもいがみ合ってばかりいた。2人の娘のリリー(ケイトリン・デヴァー)が、ロースクールを卒業することになり、揃って卒業式に出席するが、そこでも言い争う始末。

その後、リリーは卒業旅行でバリ島に行き、地元の青年グデ(マキシム・ブティエ)と出会い恋に落ちる。2人が結婚するという突然の報告を受けたデヴィッドとジョージアは、娘が弁護士への道を捨てて会ったばかりの男と結婚することが許せず、自分たちと同じ過ちを繰り返してほしくないと現地へ赴く。そして、結婚阻止に向けて協力することになるのだが……。

映画の冒頭からジョージ・クルーニージュリア・ロバーツのバトルが炸裂する。ああ言えばこう言う。丁々発止のやりとりは、もうただ笑うしかない。

なにせ「オーシャンズ」シリーズで夫婦役を演じた2人。気心は知れている。まるで夫婦漫才のような面白い掛け合いが展開するのだ。娘の卒業式で、そしてバリ島へ向かう飛行機の中で。

どうやら、今回の脚本は最初から2人に当て書きして書かれたものらしい。監督・脚本(脚本は共同脚本)は、「マンマ・ミーア! ヒア・ウィー・ゴー」のオル・パーカー。この手のエンタメ定番映画はお手のものか。

そんな2人だが、娘の結婚を阻止したいという思いでは一致。束の間の休戦協定を結ぶことになる。いったいどうやって娘の結婚を阻止するのか。名づけて「トロイの木馬作戦」。2人の結婚に賛成するフリをして、裏では潰してしまうおというのである。

だが、休戦協定を結んだとはいえ、そこは長年いがみ合っている2人。その端々でほころびが見える。だいたい、トロイの木馬作戦をどちらが言い出したかをめぐって、早くもモメ始めるのだ。

おまけに、そこにジョージアの恋人のフランス人パイロットが絡んでくる。事態は余計にややこしくなるのである。

笑いのポイントはたくさんあるが、個人的に一番傑作だったのが、2人がパーティーに出席したシーン。酔っ払ってビアポンなるゲームで大はしゃぎし、ハイテンションでダンスをする。それも今どきのダンスではなく、ちょっと古臭くてユーモラス、いやおバカなダンスなのだ。ノリノリの2人が実に楽しそうなシーンである。

その場面で大酒を飲み過ぎて、正体を失くした2人が一夜を共にする……なんてあたりも、よくあるパターン。すべて予想の想定内で話が進んでいく。だが、この映画に関してはそんなことはどうでもよい。ジョージ・クルーニージュリア・ロバーツの夫婦漫才の面白さがすべてなのだ。

いや、ただ面白いだけではない。そこはさすがに2人ともベテランの実力派俳優。おかしさの陰でほろ苦さも醸し出す。特にかつての結婚生活のターニングポイントになった事件を語るジョージの表情には哀愁が漂っている。

バリ島(撮影をどこでしたのかは知らないが)の美しい風景や、島の結婚にまつわる様々な風習なども、このドラマの良い味付けになっている。

ストーリー的に転機になるのは、2人が指輪を盗んだこと。その指輪がなければ結婚式が行えないのだ。その事実を隠していた2人だが、それが露見して娘との仲に亀裂が入る。さて、その行く末はどうなるのか。

ラストの結末ももちろん想定内。ハッピーエンドの終幕が待っている。若い2人が幸せをつかみ、老いた(失礼!)2人もまた幸せになる。

欲を言えば気の利いた後日談を入れて欲しかったところだが、まあ、あのラスト自体が後日談的な雰囲気を持っているからまあいいか。嬉々として海に飛び込むジョージとジュリアが見られます。

そしてエンドロールで映るのはNG集。これがまた楽しそうなんだよなぁ。この映画の魅力を象徴するような2人のはしゃいだ姿を見て、こちらまで楽しくなってくるのであった。

◆「チケット・トゥ・パラダイス」(TICKET TO PARADISE)
(2022年 アメリカ・イギリス)(上映時間1時間44分)
監督:オル・パーカー
出演:ジュリア・ロバーツジョージ・クルーニー、ケイトリン・デヴァー、マキシム・ブティエ、ビリー・ロード、リュカ・ブラヴォー
*TOHOシネマズ日比谷ほかにて公開中
ホームページ https://ticket2paradise.jp/

 


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「ザ・メニュー」

「ザ・メニュー」
2022年11月18日(金)ユナイテッド・シネマとしまえんにて。午後1時より鑑賞(スクリーン9/E-14)

~ミステリー?ホラー?高級レストランを舞台にしたドラマは痛烈な社会風刺劇

先週の土曜日にTOKYO DOME CITY HALLでの伊藤蘭のコンサートに行ってきたのだ。何と前から2列目の席で、数メートル先の伊藤蘭の歌い踊る姿を目撃してきたのだ。イェーイ!

そんなことはどうでもいい。今日取り上げる映画は「ザ・メニュー」。高級レストランを舞台にしたドラマだ。美味しい料理とともに、そこに集った人々の人間模様が浮かび上がる。それを観ているうちに感動の涙が……。

などというのは大ウソです。実はこの映画、サスペンスであり、スリラーであり、ホラーであり、感動するどころか怖くておぞましい怪映画なのだ。

太平洋の孤島に、なかなか予約が取れない高級レストランがある。有名シェフのジュリアン・スローヴィク(レイフ・ファインズ)が腕を振るう「ホーソン」という店だ。この日は選び抜かれたセレブな招待客を招いて、究極のフルコースが振舞われようとしていた。

招かれたのは、かつてスローヴィクを激賞した料理評論家と編集者、落ち目のスター俳優とそのアシスタント、裕福な熟年夫婦、若いIT成金のトリオなど。その中には、若いカップルのタイラー(ニコラス・ホルト)とマーゴ(アニャ・テイラー=ジョイ)もいた。

一行は船で島を訪れる。まずは名前のチェック。ここで、実はタイラーは別の女性と訪れることになっていたことがわかる。どうやらお目当ての女性に逃げられ、マーゴを代わりに連れてきたらしい。

このあたりまでは、何やらアガサ・クリスティーのミステリーを想起させるような滑り出しだ。しかし、その先にはまったく違う展開が待っている。

その後、一行は女性スタッフの案内で島の施設を見て回る。そのあたりから早くも不穏な空気が流れ始める。

そして、いよいよレストランの店内へ。ここからは前菜を手始めに順に料理が出され、それに沿って様々な秘密が暴露されていく。この店の秘密と同時に、招待客の秘密も暴露されていくのだ。

その際に登場するのがシェフのスローヴィクである。料理が一品出てくるたびに、彼がそれについての講釈を述べる。彼が手をパンと打つとスタッフは一斉に動きを止めて、直立不動になる。彼の問いかけには即座に「イェッサー!」と返す。まるで軍隊の幹部か新興宗教の教祖である。とにかく怪しすぎる人物なのだ。

彼の作る料理は見た目も美しく、食べても美味しい。彼の信奉者であるらしいタイラーは、感動して涙まで流す。一方、マーゴはそんな状況に違和感を持つ。そんな中、少しずつ異変が起き始める。

最初の異変は、本来ならパンが出てくるはずの皿だ。スローヴィクは「パンは貧しい人々の食べ物だ」という理由で、パンを出さない。その代わり、パンにつけるはずのソースだけを出す。みんなは「なんとしゃれた趣向だ!」とソースを食べる。マーゴだけが「何じゃ、そりゃ」とばかりに、口にするのを拒む。

そして、まもなくさらなる異変が起きる。副シェフが作ったという料理が出される直前に、とんでもないことが起きる。それはもはや狂気と呼ぶにふさわしい世界だ。

そこからどんどん狂気が加速していく。何しろこの日のディナー自体が、スローヴィクによるある計画のもとに企図されたものだったのだ。

その後は阿鼻叫喚の修羅場の連続。これはスローヴィクによる復讐劇なのだろうか。早いうちから不穏な空気が漂っていたとはいうものの、こんな展開は予想だにしなかった。ドラマは完全にサスペンスからホラーへと転換する。

はたして、参加者たちはこの修羅場から脱出できるのか。あるいは全員討ち死にか。

というところで、最後にマーゴが繰り出す作戦が傑作すぎる。まあ、詳しいことは書かないが、皮肉極まりない結末。「どんな高級料理よりもチーズバーガーが最高だぜッ!」とつくり手が大見得を切っているようだ。

劇中随所に見られたブラックなユーモアが全開になったラストを見て思った。これはサスペンスやスリラー、ホラーの形を借りて、金持ち連中(高級レストランをありがたがるような)を痛烈におちょくっている映画なのではないか。現在の格差社会を皮肉たっぷりにこき下ろした映画ではないのか。

スローヴィクがこういう行動を起こす動機が説明不足だったり、後半はかなりハチャメチャな展開ではあるものの、痛烈な社会風刺ドラマと見て取れば、なかなかに面白い作品だと思ったのである。まあ、好き嫌いは別れそうですが。

主演のレイフ・ファインズは、さすがにクセモノ役が似合う。そこに立っているだけで、全身から怪しさや不穏さを醸し出している。ほぼ一人芝居ともいえる彼の演技が堪能できる映画だ。

一方、アニヤ・テイラー=ジョイはとにかく華がある。今回は終盤では迫力のアクションも披露。ノリにノっている。まさしくスターのオーラを放っている俳優だ。しかし、よく見ると本当に目が大きいな、この子。

 

◆「ザ・メニュー」(THE MENU)
(2022年 アメリカ)(上映時間1時間47分)
監督:マーク・マイロッド
出演:レイフ・ファインズ、アニャ・テイラー=ジョイ、ニコラス・ホルト、ホン・チャウ、ジャネット・マクティア、ジュディス・ライト、ジョン・レグイザモ
*TOHOシネマズ 日比谷ほかにて全国公開中
ホームページ https://www.searchlightpictures.jp/movies/themenu

 


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「あちらにいる鬼」

「あちらにいる鬼」
2022年11月17日(木)グランドシネマサンシャイン池袋にて。午後1時30分より鑑賞(スクリーン7/e-8)

井上光晴と奥さん、そして瀬戸内寂聴の不可思議な関係

コロナ第8波の到来だ。もう一度気を引き締めねばならない。というわけで、混雑していない映画はどれだ?

足を運んだのは「あちらにいる鬼」。事前にネットで見たら観客は4人。やったー!と思って行ってみたら、けっこう混雑しているではないか。しかも、私の左隣に観客がいるぞ。うーむ、どうもネットで予約せずに劇場でチケットを買った人が多かったみたい。

とはいえ、帰るわけにもいかず最後まで鑑賞。「あちらにいる鬼」は、小説家・井上光晴の娘で直木賞作家の井上荒野の小説を映画化したもの。その小説がどんなものかといえば、両親と瀬戸内寂聴をモデルに3人の特別な関係を綴ったものなのだ。

1966年、人気作家の長内みはる(寺島しのぶ)は、作家の白木篤郎(豊川悦司)と講演旅行をきっかけに知り合う。みはるにはパートナーが、そして白木には妻子がいたが、2人は男女の仲になる。一方、白木の妻・笙子(広末涼子)は夫の奔放な女性関係を黙認して動じることがなかった。

いやぁー、とんでもない関係ですな。この3人。そもそも白木には、みはるの前にも愛人がテンコ盛りでいたのだ。序盤では、自殺未遂した愛人を笙子がお見舞いに行く場面がある。浮気する夫も夫だが、その相手を見舞う妻も妻である。この夫婦、にわかに理解できる関係ではない。

そんな白木に惚れる、みはるもみはるだ。白木に妻子がいることは承知の事実。会った直後から白木は「妻は料理がうまいんだよ」などと言い放つのだ。

映画はこの3人の心理をそれぞれあぶり出していく。誰か1人にウエイトを置くわけではなく、3人の揺れる心を映しだすのだ。1本の映画でこんなことができるのも、監督・廣木隆一、脚本・荒井晴彦のベテランコンビだからだろう。ちなみにこの2人は、「ヴァイブレータ」「やわらかい生活」でもタッグを組んでいる。

まず笙子の心理だが、彼女は平穏な生活を維持するため、夫の女性関係を超然として黙認している。だが、その端々でやはり心配の種や孤独が、彼女の心に影を差す。

一方、みはるは元夫の教え子とのズルズルの関係を続けながら、心に孤独を抱えている。そこに白木が現れる。もちろん、彼が自分の物にならないことは理解しているのだが、それでも何とかしたいという気持ちが現れる。

そして問題の白木である。これがまあ、とんでもないウソつき男なのだ。さも本当らしく語る自分の生い立ちも、実はかなり盛っている。ところが、こと恋愛となると自分にウソがつけない。好きになったら我慢できないし、嫌いになったらバイバイだ。そのことでなおさらウソをつかざるを得なくなる。

ここぞという場面にはアップを多用して、こうした3人の揺れる心をきっちりとスクリーンに刻む廣木監督。おかげで、にわかには信じがたいこの物語が、説得力を持って語られるのだ。

まあ、それ以前に元々実話だから、信じるも信じないもないんですけどね。

ズブズブの関係を続けるうちに、白木は相変わらずあっちこっちの女性に手を出し、小説教室の生徒とも関係を持つ。そこの生徒たちときたら、みんな白木の信奉者で彼にメロメロなのだ。

実は、この映画に描かれているようなことは、原一男監督が井上光晴を撮った「全身小説家」というドキュメンタリー映画にも描かれている。そこでも彼の生徒たちは井上の話になると目を輝かせて語る。この映画では豊川悦司が演じているから、彼が女性にもてるのも何となくわかるが、実際の井上は普通のオッサンだ。なのになぜモテる?

そんなことはどうでもいい。白木だけでなく、みはるも若い俳優と関係を持つ。さらに終盤では、笙子もある男と関係を持とうとする(ダメだったけど)。3人ともある意味ムチャクチャな行動を取るのである。

そうこうするうちに、みはるは出家を決意する。それを前にして、一緒に風呂に入って白木が彼女の髪を洗ってあげるシーンは感動的。涙うるうるもののシーンだ。

出家後に、みはる(寂光という名になっている)が、白木が新しく建てた家にやって来る。そして、白木、笙子、2人の子供と食卓を囲む。長年の恩讐を超えて、みはると笙子は同志的な関係を築いたらしい。同じ男を愛した者同士として……。

最後はそんな同志の2人が白木の死を見送るシーン。ここもなかなかに感動的。そして、屋上でタバコを吸いながら悲しむ笙子と、タクシーの中で涙するみはるの姿が最後に映る。実に切ないラストシーンである。

豊川悦司寺島しのぶ(撮影のために実際に頭を丸めたとのこと)、広末涼子はいずれもさすがの演技。特に広末は想像を超える演技。感情の揺らめきを繊細に表現していた。

風変わりな3人の男女の関係を描いたドラマ。私には不可思議すぎて、よくわからないところもあったのだが、まあ、恋愛にはいろんな恋愛があることを思い知らされましたね。

しかし、井上荒野はこんな家庭で育ってよくグレなかったなぁ(笑)。

 

◆「あちらにいる鬼」
(2022年 日本)(上映時間2時間19分)
監督:廣木隆一
出演:寺島しのぶ豊川悦司広末涼子高良健吾村上淳蓮佛美沙子、佐野岳宇野祥平丘みつ子、夏子、麻美、高橋侃、片山友希、長内映里香、輝有子、古谷佳也、山田キヌヲ
シネスイッチ銀座ほかにて全国公開中
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「わたしのお母さん」

「わたしのお母さん」
2022年11月11日(金)ユーロスペースにて。午後2時30分より鑑賞(ユーロスペース2/D-9)

~余白を使って繊細に描写された母娘のすれ違う心。これぞ映画の妙味!

親子といえども必ずしも仲が良いとは限らない。いや、むしろ親子だからこそ、心がすれ違うことがあるのかもしれない。

「わたしのお母さん」は母と娘のすれ違う心を描いたドラマである。監督は、長編デビュー作「人の望みの喜びよ」が第64回ベルリン国際映画祭ジェネレーション部門でスペシャルメンションを受賞した杉田真一。

3人姉弟の長女で現在は夫と2人で暮らしている夕子(井上真央)。ある日、突然、長男夫婦と暮らしていた母の寛子(石田えり)と一時的に同居することになる。だが、寛子は明るく社交的な性格で、夕子はそんな母が昔から苦手だった。不安を抱えたまま、寛子との同居生活を始める夕子だったが……。

映画の冒頭で、夕子は母への屈折した思いを語る。2人の間に過去に何かあったのか?

母の寛子は夫の死後女手一つで3人の姉弟を育ててきた。今は夕子の弟である長男夫婦と暮らしている。ところが、ある時、寛子の不注意からボヤ騒ぎを起こしてしまう。幸いにも被害は軽かったが、寛子はしばらく夕子の元で暮らすことになる。

夕子が寛子を駅に迎えに行った時の描写が秀逸だ。夕子は寛子を見つけても、すぐには声をかけられない。それどころが一瞬、寛子から視線を外すのだ。そして、その直後にすぐに笑顔を作る。序盤のこのシーンだけで、2人が複雑な関係にあることがわかる。

寛子は相変わらず社交的で隣人とも親しくなり、夕子の家の家事を仕切るようになる。それに対して、夕子は寡黙でいつも無表情だ。それは彼女の性格なのか。それとも寛子の前ではそうなってしまうのか。いずれにしても、夕子は寛子のせいで身の置き所がなくなる。

寛子との同居は、長男夫婦と暮らす家が元に戻るまでの一時的な同居のはずだった。ところが、彼女が夕子の家に来てまもなく、突然大量の荷物が送られてくる。長男の嫁が送りつけたのだ。もともと折り合いが悪かったらしい嫁は、この機に寛子を追い出してしまうつもりらしかった。寛子は激怒する。夕子は途方に暮れる。

その一方で、夕子と寛子、そして夕子の姉の3人は温泉旅行に出かける。つかの間の休息だ。だが、そこでも楽しい時間の端々に、夕子と寛子のすれ違いが見えてくる。夕子は常に寛子と姉と距離を置いて歩く。土産物屋での寛子の言動にも違和感を持つ。

旅行から帰った寛子は、依然として夕子にあれこれ指図する。彼女に悪気はまったくないのだ。悪気はないがその性格から、つい余計な一言を口にする。それに対して夕子はうつむいて黙り込む。

実のところ2人の過去に劇的な出来事があったわけではない。夕子は日々の暮らしを重ねるうちに、いつの間にか母が苦手になってしまったらしい。本作の随所には、子供の頃の夕子と母親との過去が挟まれる。そこでの夕子も今と同じように、母とすれ違っていた。彼女は子供の頃から、母への違和感や苦手意識を持っていたのだ。

それは稀有なことではないのかもしれない。親子であっても、どうしても母親や父親の言動に違和感を覚えてしまうことがある。近親憎悪とまではいかないが、何となく親に苦手意識を持つ子供はどこにでもいるのではないか。

だが、それが徐々に広がり夕子を追い詰めていく。

ありがちな映画なら、夕子と寛子の対立が抜き差しならないものになり、破綻を招くことになるだろう。だが、本作は終盤まで大きな出来事は起こらない。夕子と寛子の日常を淡々と映し出し、2人の心の揺れ動きを繊細にあぶりだす。

この映画のセリフは極端に少ない。極限まで絞り込まれている。そのセリフと同様に、夕子の揺れる心を見事に表現するのが、セリフとセリフの「間」だ。夕子がただ黙ってじっとしているシーンや黙々と歩くシーンを長めに映し出し、その余白で多くのことを語らせる。観客はその余白から様々なことを想像する。映画だからこそできる表現であり、その妙味に一瞬たりともスクリーンから目が離せなかった。

転機になるのは、夕子の勤務先の店長の送別会。そこで夕子は飲めない酒を飲んでしたたかに酔う。それはかつて寛子が泥酔して帰ってきた時のことを想起させた。それに対して、寛子はどんな態度をとったのか。母娘の対立は決定的なものとなる。

映画の終盤近くで夕子が寛子の口紅をつけ、「嫌い」とはっきり口にするシーンがある。その後の彼女の行動と合わせて、観ている者の心をかき乱す印象深いシーンである。

井上真央の抑えた演技が素晴らしい。ほとんど無表情で、無口。感情を表現するのは難しいはずだが、見事にそれをやってのけている。ほんのわずかな表情の変化だけで、心の内をさらけ出すのだ。賞レースにランクされてもいいような演技だった。

石田えりの明るさもこの映画に彩を添えている。もしもステレオタイプ毒親のように寛子が暗いだけの女性だったら、この映画はひたすら陰湿なものになっただろう。

親子関係について、色々と考えさせる映画である。親の立場で見ても、子の立場で見ても多くのことを考えさせられる。観終わって、テーマ曲のピアノの音色がいつまでも頭に残っていた。

 

◆「わたしのお母さん」
(2022年 日本)(上映時間1時間46分)
監督・脚本:杉田真一
出演:井上真央石田えり阿部純子笠松将、ぎぃ子、橋本一郎、瑛蓮、深澤千有紀、丸山澪、大崎由利子、大島蓉子宇野祥平
ユーロスペースほかにて公開中
ホームページ https://www.watahaha-movie.jp/

 


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「パラレル・マザーズ」

「パラレル・マザーズ
2022年11月9日(水)Bunkamuraル・シネマにて。午後2時より鑑賞(ル・シネマ1/D-8)

~アルモドバル監督による変化球の「母の物語」。ペネロペ・クルスの繊細な演技

前回の「ヒューマン・ボイス」に続いて、スペインの巨匠ペドロ・アルモドバル監督の映画を。「オール・アバウト・マイ・マザー」など母の物語を数多く撮ってきたアルモドバル監督。新作「パラレル・マザーズ」も母の物語だ。

主人公はフォトグラファーのジャニス(ペネロペ・クルス)。彼女は、仕事で考古学者のアルトゥロ(イスラエル・エレハルデ)と出会い、彼にスペイン内戦で亡くなった親族の遺骨発掘について相談する。それをきっかけに2人は深い仲になり、ベッドを共にする。

と思ったら、次のシーンはいきなり病院かよ!ジャニスは妊娠。アルトゥロが既婚者であることから、ジャニスは彼と別れてシングルマザーになることを決意したのだ。

いやいや、この急展開には驚いた。それ以外にも、省略や飛躍があちこちにある。笑える場面なのかシリアスなのか微妙なところもある。アルモドバル監督の作家性が前面に出た映画といえるだろう。誰にも遠慮せずに自分のやりたいことをやっている。

さて、ジャニスの入院した病院の同室には、17歳の妊婦アナ(ミレナ・スミット)がいた。彼女もシングルマザーになることを決意していた。2人は同じ日に女の子を出産し、再会を誓い合って退院する。

退院したジャニスは娘にセシリアと名をつけるが、父親であるアルトゥロから「自分の子とは思えない」と告げられる。そこで秘かにDNA検査をしたところ、なんと実の子ではないという衝撃の結果を突き付けられる。「こ、これは病院がアナの子供と取り違えたのでは?」。ジャニスはそう思うが、激しい葛藤の末にその事実を封印して、アナと連絡を絶ってしまう。

それから1年後、偶然アナと再会したジャニスは、アナの娘が亡くなったことを知る……。

要するに赤ん坊の取り違えを題材にしたドラマだ。このネタ自体は珍しくないが(是枝裕和監督の「そして父になる」とか)、それでも本作は予想外で濃密な展開によって、観客を力ワザでスクリーンに引き込む。

面白いのは、同じ日に母になった2人のシングルマザー、ジャニスとアナの対照的なキャラクターだ。ジャニス(ちなみに名前はジャニス・ジョップリンからとられた)は自立した女性で、自ら運命を切り開いていく。一方、年下のアナはまだ未成年で、離婚した両親を頼らざるを得ない。特に女優である母親を頼りにしていたが、彼女が仕事でチャンスをつかんだため、宙ぶらりんの状態になってしまう。

前半はジャニスの揺れる心がリアルに描かれる。自分が実の母でないと知って、ジャニスは大いに悩む。事実を告げるべきか。黙っているべきか。彼女は後者を選ぶ。

その後、アナと偶然再会したジャニスは、彼女をベビーシッターとして雇い家に招き入れる。母の家を出たアナを放っておけないという事情もあったが、目の前の赤ん坊の母親がアナかもしれないという思いもあったのだろう。

だが、それがジャニスを余計に悩ませる。アナを赤ん坊のそばに招いたことで、ジャニスの悩みはますます深くなる。アナに真実を告げるべきか。それとも……。そうこうするうちに、ジャニスとアナの仲は急接近していく。

ええ!そんな展開ありなのか?そっちに話が行ってしまうのか?

その一方で、アナと女優である母親との関係が、かなりのウエイトを置いて描かれる。母親の過去や現在が詳細に語られるのだ。そういう意味でこのドラマは、2人の母親の物語ではなく、この母親も加えた3人の母親の物語といえるかもしれない。

まあ、とにかく予想を裏切る展開が続く。メインになるストーリー以外にもサブストーリーがギッシリ詰まっている。アナの妊娠に関する衝撃の事実も明らかになる。とにかくいろんなものが詰め込まれている。

ところで、最初に出てきたスペイン内戦の犠牲者の話はどうなったんだ?ジャニスとアルトゥロの恋の前フリでしかなかったのか?

と思ったら、最後に満を持して登場。アルモドバルは最近の世界情勢などから、どうしてもこの話を入れたかったらしい。ファシストたちによって無残に殺された人々。彼らの遺骨から殺害直後の姿を想像し、それをスクリーンに再現させている。

今もなお尾を引くスペイン内戦の悲劇。それを母の物語の中で取り上げたアルモドバルの熱い思いが伝わってくる。ここに至って、母の物語は、殺された犠牲者までさかのぼった家族の物語へと昇華したとも言えるだろう。

主演のペネロペ・クルスは、その繊細な演技が光る。ハリウッドのエンタメ映画にもたくさん出ている彼女だが、本領はこういう映画にこそあると思った。アナ役のミレナ・スミットも壊れそうな10代を好演。

アルモドバル監督らしい母の物語を縦糸に、スペイン内戦の悲劇を横糸に織り込み、さらにさまざまなサブストーリーも盛り込んだ本作。過去作でも女性を巧みに描いてきたアルモドバルらしく、女性の心理がとても良く描けている。内容ギッシリで詰め込み過ぎの感はあるものの、それも含めてアルモドバルらしい作品といえるだろう。

 

◆「パラレル・マザーズ」(MADRES PARALELAS/PARALLEL MOTHERS)
(2021年 スペイン・フランス)(上映時間2時間12分)
監督・脚本:ペドロ・アルモドバル
出演:ペネロペ・クルス、ミレナ・スミット、イスラエル・エレハルデ、アイタナ・サンチェス=ヒホン、ロッシ・デ・パルマ、フリエタ・セラーノ
Bunkamuraル・シネマ、新宿シネマカリテほかにて公開中
ホームページ https://pm-movie.jp/

 


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「ヒューマン・ボイス」

「ヒューマン・ボイス」
2022年11月9日(水)Bunkamuraル・シネマにて。午後1時5分より鑑賞(ル・シネマ1/C-6)

ティルダ・スウィントンの一人芝居がすごい!アルモドバル初の英語劇

2~3年前までは1日5本とか、平気に映画館で映画を観ていた私だが、コロナ禍や心臓の手術などあって今は1日1本がやっと。あ、でもこの前は、「千夜、一夜」と「マイ・ブロークン・マリコ」をハシゴしたっけ。

この日も2本の映画をハシゴ。といっても、1本は30分の短編だから、どうってこともないのだが。

スペインの巨匠ペドロ・アルモドバル監督の新作「パラレル・マザーズ」の公開に合わせて、2020年の短編映画「ヒューマン・ボイス」が併映された。こちらは特別料金800円也。

ジャン・コクトーの戯曲「人間の声」を大胆に翻案した30分の短編映画である。アルモドバルにとっては初の英語作品ということになる。ちなみに製作されたのはコロナ禍の真っただ中で、色々と制約もあったらしく、それを逆手にとって製作されたらしい。

映画の序盤、ティルダ・スウィントンが工具店に出向いて斧を買ってくる。何をする気だ?この女。

家に帰った女は、男物のスーツをその斧で切り刻むのだ!

というわけで、彼女の恋人は3日前から家に帰ってこないことが独白で告げられる。どうやら彼女のもとを去って行ったらしい。女は無力感にさいなまれ、絶望に打ちひしがれる。

ちなみに、「いつもは映画を見ているうちに必ず帰ってきたのに……」と彼女がボヤく場面で映るDVDのパッケージは、「キル・ビル」?

細かな装飾やティルダの着ている衣装、セットなどにアルモドバルらしい鮮やかな色彩感覚やこだわりが感じられる。映画の冒頭では、ティルダが鮮やかな赤色の衣装を着て登場する。

とはいえ、本作は間違いなくティルダ・スウィントンの映画である。

その後、ついにその男から電話がかかってくる。ただし、相手の声は聴こえない。ティルダはハンズフリーのイヤホンらしきものをつけている。その分心おきなく演技ができるわけだ。この電話のシーンこそが、この映画の真骨頂!

最初は男に対して、「あたしは平気よ」オーラを発している女。あくまでも誇り高く。普通と変わりなく行動していると告げる。だが、その言葉の端々から違う感情がチラリチラリと現れる。

そのうちに女は男に一度戻ってきて欲しいという。いやいや、あからさまに復縁を求めているわけではない。一度家に荷物を取りに来いというのだ。男の飼い犬も連れて行けという。そんなこんなで会話を続けるうちに、次第に女の感情が高ぶっていく。

それがついに爆発する!女は冷静さを忘れ、心のうちに溜まっていたものをすべて吐き出す。絶望、落胆、怒り、悲しみ……。それはもう壮絶な会話である。

その後、一度電話が切れる。その間に女は部屋にガソリンをまく。その部屋がスタジオに組まれたセット感丸出しなのだが、それはアルモドバルが意図したものだろう。もしかしたら、その恋愛が映画のセットのように、もろいものだったことを示しているのかもしれない。

その後、再び電話がかかってくる。彼女は不穏なことを口にする。電話を切った彼女はどんな行動に出たのか?

ティルダ以外の出演者は、工具店のおやじや消防士、そして犬などほんのわずか。ほぼ完全な一人芝居状態。しかも、そのほとんどが電話の会話である。それで愛を失った女のグラグラ揺れる心を表現してしまうのだから、ティルダ・スウィントン恐るべし!

30分と言わず、もっと長く彼女の演技を観ていたくなったのだった。

 

◆「ヒューマン・ボイス」(THE HUMAN VOICE)
(2020年 スペイン)(上映時間30分)
監督・脚本:ペドロ・アルモドバル
出演:ティルダ・スウィントン、アグスティン・アルモドバル
Bunkamuraル・シネマ、新宿シネマカリテほかにて公開中
ホームページ https://pm-movie.jp/

 


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