「ある男」
2022年11月21日(月)ユナイテッド・シネマとしまえんにて。午前11時30分より鑑賞(スクリーン2/E-9)
~人間は何をもってしてその人間たりえるのか。人間の本質に迫った骨太なエンタメ作品
「愚行禄」「蜜蜂と遠雷」などの石川慶監督は、ポーランドで映画を学んだという珍しい経歴を持つ。その石川監督の新作は、芥川賞作家・平野啓一郎の小説を映画化した(脚本は向井康介)「ある男」だ。実は、私はすでに原作を読んでいたので、面白さが半減したらどうしようかと思っていたのだが、幸いにもそんなことはなかった。
谷口里枝(安藤サクラ)は、離婚して子供を連れて故郷に戻り、森の伐採現場で働く「大祐」(窪田正孝)と知り合い再婚する。ある日、不慮の事故で「大祐」は命を落とす。だが、法要の席に長年疎遠になっていた大祐の兄が訪れ、遺影に写っているのは「大祐」ではないと話したことから、夫は別人だと判明する。里枝はかつて離婚調停を依頼した弁護士の城戸(妻夫木聡)に身元調査を依頼する……。
原作の小説のエッセンスを巧みに凝縮している。大胆に省略するところは省略して、焦点を当てるところにはしっかり焦点を当てている。
冒頭から映像の力を実感させられた。里枝の文房具店を「大祐」が訪れて2人が出会い、幸せな家庭を築くに至る経緯を丁寧に描く。小説で言葉で語られるよりも、何倍も実感をもって受け止められた。それによって里枝と「大祐」の愛の物語が、より深く感じられたのだ。
そんな2人の愛の物語に加え、本作にはミステリーの要素もある。すでに原作を読んでいることもあって、ミステリー的な魅力には欠けるのではないかと思われたが、それも映像の力で十分に魅力的になっていた。
特に事件(と呼べるかどうかはともかく)の鍵を握る戸籍売買の代理人。小説を読む限り、煮ても焼いても食えない怪人物で、いったい映画では誰が演じるのか、ヘタな役者がやれば台無しだなと思っていたら柄本明だった。それがまたすさまじい怪人物ぶりなのだ。妻夫木聡扮する城戸との対決は迫力満点。まさに納得のキャスティング。それだけで面白さが倍加された。
この映画は主に3人の人物のドラマを描き出す。里枝、「大祐」、城戸である。前半の里枝に代わって、中盤以降前面に出てくるのが「大祐」だ。彼はある事情によって人生に惑い、ボクシングジムにふらふらと入り込む。そしてその後ボクサーとして活躍するのだ。
そのボクシングシーンも映像で見せられると説得力がある。窪田正孝がかなり本格的に取り組んだようで、試合シーンや練習シーンがリアルに映る。それと同時に彼の苦悩も、またリアルに映し出されるのである。
映像は場面場面に合わせて、長回しや手持ちカメラの映像なども駆使して、無駄のない映像を作り出している。雨や水溜まり、血や涙、陽光などを映した短いショットも、ドラマの背景として効果的に使われている。
本作には様々なテーマが横たわっている。在日外国人や差別、死刑制度、加害者と被害者の問題などだ。特に在日の問題に関しては、原作では重要な要素を占めている。「大祐」の正体を探るうちに、城戸は自らのアイデンティティーにぶつかり(在日で帰化している)、大いに葛藤することになる。
映画では描きにくい素材だけに、はたしてこの問題をどうするのか注目していたが、臆することなく真正面から描いていた。原作通りにヘイトデモの様子なども映し出されていた。
そうしたテーマの中で最も大きなものは、「人間存在」と「名前」をめぐるものだろう。「大祐」は自らの過去を消すために、別の人間になりすました。ならば、名前を変えれば過去は消せるのか。別の人間に生まれ変われるのか。その名前ゆえに手ひどい差別を受けてきただけに、彼の行動は理解できるが、それでも名前を変えればすべてが変わるわけではないだろう。だとすれば、人間は何をもってしてその人間たりえるのか。
そんな哲学的な問いにまで行き着くのだが、それをあくまでもエンターティメントとして、わかりやすいドラマに仕上げているのがこの映画の見事さだ。
ちなみに、原作ではかなり詳細に描かれていた本物の大祐の恋人と城戸との微妙な関係は、映画ではほぼ割愛されていた。また、城戸と妻の関係も原作ほど詳しくは描かれていなかった。とはいえ、こちらは妻の両親を登場させたり短い夫婦の会話から、両者の危うい関係をそれなりに見せていた。
終盤、すべてが明らかになって、里枝と息子がしみじみと語り合うシーンが感動的だ。なるほど、やはり里枝を中心とした家族の情愛のドラマとして締めくくるのだな。
そう思った次の瞬間、意外なシーンが登場した。城戸がバーで見知らぬ男を相手に、大祐の経歴を語るのだ。彼もまたその瞬間、「大祐」になりすましたのだ。その後に映るのはルネ・マグリットの絵画「複製禁止」。鏡を見つめる男の後ろ姿が描かれているが、鏡の中の人物も背中を向けている。その不可思議な絵を城戸が見つめている。映画の冒頭にも登場したこのシーンによって、本作が単なる感動のドラマやミステリーではなく、人間存在の本質を追求した骨太なドラマという側面がよりクッキリと浮かび上がった。
愛していた男が実は別人だった……というドラマは過去にもたくさんあったが、その中でも出色の映画だと思う。
俳優陣は妻夫木聡、安藤サクラ、窪田正孝の主役級が素晴らしい演技を見せているのに加え、前述した柄本明、眞島秀和、小籔千豊、仲野太賀ら脇役陣も存在感ある演技を披露している。
◆「ある男」
(2022年 日本)(上映時間2時間1分)
監督:石川慶
出演:妻夫木聡、安藤サクラ、窪田正孝、清野菜名、眞島秀和、小籔千豊、坂元愛登、山口美也子、きたろう、カトウシンスケ、河合優実、でんでん、仲野太賀、真木よう子、柄本明
*丸の内ピカデリーほかにて全国公開中
ホームページ https://movies.shochiku.co.jp/a-man/
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