「愛にイナズマ」
2023年10月27日(金)ユナイテッド・シネマとしまえんにて。午後2時10分より鑑賞(スクリーン2/E-9)
~コミカルな家族の再生の物語と「なかったことにしたくない」という思い
先日、相模原の障害者施設殺傷事件をモデルにした「月」が公開されたばかりの石井裕也監督(当ブログでも取り上げた)。相変わらず快調なペースで監督作を送り出している。というわけで、早くも次回作「愛にイナズマ」が公開された。こちらはシリアスだった「月」とは一転してコメディードラマだ。
26歳の折村花子(松岡茉優)は映画監督。ただし、ウィキペディアにそう書いてあるだけで、これまでは自主映画しか撮っていない。彼女はひたすらカメラを回す。その映像がこの映画の随所で効果的に使われる。
花子は、念願の監督デビューを目前に控えていた。予算は1500万円という低予算だが、商業映画には違いがない。彼女は自身の家族をモデルにした映画を撮ろうとする。だが、助監督(三浦貴大)は陰湿に彼女をいたぶる。脚本で大事なのは「理由だ」と言って、「突然ありえないことが起こることもある」と主張する花子を論破する。花子は映画を撮るために、最終的には自分を偽って彼に従う。
そんなある日、花子は自分のカメラに映った赤い自転車に乗った男性が気になる。赤は彼女の好きな色だった。その後、舘正夫(窪田正孝)というその男性と偶然酒場で一緒になる。花子の映画のオーディションを受けに来た俳優(仲野太賀)が、彼の友人だということもわかる。
正夫は何をすればいいのかわからず、食肉処理場でアルバイトをしていた。周囲の空気が読めず、カメラをまともに見られない男だった。それでも花子は彼に魅力を感じる。2人は親しくなる。
石井監督といえば、商業映画デビュー作「川の底からこんにちは」以来、オフビートな笑いを持ち味とする。この映画でも、それが全編に渡って炸裂する。
花子と正夫が酒場で出会うシーンもユーモラスだ。正夫は、なぜかアベノマスクをしている。みんなが不要だというので、たくさんもらって(800枚だっけ?)身につけているという。もめ事の仲裁に入って、殴られた結果、そのアベノマスクに血がにじんでいる様は何とも珍妙で、つい笑ってしまう。
とにもかくにも、ようやく人生が輝き始めたかと思えた花子だが、一転して暗黒に突入する。彼女はプロデューサー(MEGUMI)によって、「病気」という理由で監督を下ろされ、企画を奪われ、ギャラももらえなくなってしまったのだ。後任の監督の座には、あの助監督が座った。
まあ、このへんはいかにも業界でありそうな話。もしかしたら、石井監督は日本の映画業界の暗部を揶揄したのかもしれない。
こうして花子はすべてを失ってしまう。だが、それでめげるような花子ではなかった。彼女は、正夫を連れて10年以上音信不通だった家族のもとへ向かう。そこで待っていたのは父の治(佐藤浩市)。父を相手にカメラを回す花子。自分の家族のドラマを家族自身に演じてもらい、「消えた女」というタイトルの映画を撮ろうというのだ。これこそが彼女のリベンジだった。
こうして風変わりな男女のラブストーリーかと思わせたドラマは、いつのまにか花子のリベンジのドラマへと転化する。
そこからの花子の態度が面白い。それまで映画を撮るために猫をかぶっていたのが、一転して素をさらけ出し、怒鳴りまくり、言いたいことを言うのだ。このあたりの演技は松岡茉優の面目躍如といった感じ。父に対しても容赦ない。弱気な彼がカメラの前に立つのを躊躇すると、花子は「人間はみんな演技している!」と言い放ちカメラを向ける。
だが、これはまだほんの序の口だ。その先にはすさまじいバトルが待っている。まもなく、口のうまい長男・誠一(池松壮亮)、真面目な次男・雄二(若葉竜也)が実家に戻ってくる。そして、この騒動をヒートアップさせるのだ。
特に花子と誠一の怒鳴り合は見せ場タップリ。ああ言えばこう言うで、家族のエゴむき出しのバトルが展開する。治も雄二もそこに巻き込まれる。
家族の間でわだかまりになっているのが、ある日、突然姿を消した母親の存在だ。花子の映画のタイトル「消えた女」もそこから来ている。母はいったいどこに消えて、今は何をしているのか。
やがてそれが明らかになり、終盤は家族の絆が再び結ばれる。ありがちな結末というなかれ。そこも石井監督らしいユーモアと愛に貫かれた場面が用意されている。その後の後日談もユニークで、最後には温かな余韻が残る。
そうなのだ。風変わりな男女のラブストーリー風に始まったドラマは、花子のリベンジのドラマへと転化し、最後には家族のドラマとして結実したのである。
そしてこのドラマ、「月」とは全く違うタイプの映画だが、そこに通底するものは共通している。「なかったことにしたくない」という強い思いだ。
「月」で石井監督は、不都合なことを隠して、なかったことにしてしまう世の風潮に疑問を投げかけた。
本作でもそれは同じだ。このドラマの背景にはコロナ禍がある。序盤はみんなマスクをしている。飲食店は思うように営業できないが、その代わりに補助金をもらっている。街頭で酒を飲む大人と「ルールを守れ!」と主張する若者の対立も描かれる。
石井監督は「茜色に焼かれる」でコロナ禍の底辺で苦しむ主人公のたくましさを描いたが、本作を通しても「コロナ禍をなかったことにしたくない」という強い思いがあるのだろう。
そして、折村家の家族もまた同様だ。今まで、まるでなかったかのようにしてきた母の失踪。それに対して花子が猛然と反逆する。大切なことをなかったことにはできない。その思いが家族を動かし、事実を明らかにしてそれを受け入れたことが、家族を再び結びつけることにつながったのである。
松岡茉優は、こういう役がよく似合う。家族を演じた佐藤浩市、池松壮亮、若葉竜也もそれぞれの持ち味を発揮。そんな家族の触媒役になっていた窪田正孝の存在感も見逃せない。MEGUMI、三浦貴大のいやらしい演技も良かった。その他の脇役にも、今NHKの朝ドラで主演している趣里など面白いキャスティングをしているので要注目。
最近の石井監督の充実ぶりを物語る文句なしの快作だ!
◆「愛にイナズマ」
(2023年 日本)(上映時間2時間20分)
監督・脚本:石井裕也
出演:松岡茉優、窪田正孝、池松壮亮、若葉竜也、仲野太賀、趣里、高良健吾、MEGUMI、三浦貴大、芹澤興人、笠原秀幸、北村有起哉、中野英雄、益岡徹、佐藤浩市、鶴見辰吾(声の出演)
*新宿ピカデリーほかにて全国公開中
ホームページ https://ainiinazuma.jp/
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