映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「生きちゃった」

「生きちゃった」
2020年10月28日(水)ユーロスペースにて。午後1時30分より鑑賞(スクリーン1/D-8)。

~物言わぬ関係が転落を招く、荒々しく殺気に満ちたド迫力の映画

声に出さなくても互いに理解しあえるなら、こんなに楽なことはないだろう。いわゆる「以心伝心」というやつである。だが、実際はそれはなかなか難しい。やっぱりちゃんと言葉にしなければ、大切なことは伝わらないに違いない。

映画「生きちゃった」(2020年 日本)を観て、そんなことを考えさせられた。「舟を編む」「映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ」「町田くんの世界」などの石井裕也監督が、自身のオリジナル脚本を映画化した作品だ。香港国際映画祭と中国Heaven Picturesの共同出資で「至上の愛」をテーマに映画を製作するプロジェクトがあり、石井監督はアジアを代表する6人の映画監督の1人として参加したとのこと。

最初にスクリーンに映るのは、厚久、武田、奈津美という3人の登場人物の学生時代。幼なじみの3人は、いつも一緒に過ごしていた。

それから時が経ち、30歳になった厚久(仲野太賀)は奈津美(大島優子)と結婚し、2人の間には5歳になる娘がいた。けっして裕福ではないものの、それなりに充実した日々を送っているように見える厚久と奈津美。2人は今も武田(若葉竜也)と仲が良かった。

そんなある日、体調不良で会社を早退した厚久は、自宅で奈津美が見知らぬ男と抱き合っている浮気現場に遭遇してしまう。あまりの衝撃に現実を受け止めきれず、厚久は奈津美を怒ることも、悲しむこともできずにいた。だが、そのことが事態をさらに悪化させる。

2人は離婚し、奈津美は浮気相手と一緒に暮らすようになる。だが、その男はろくでもない男だった……。

本作を観る前には「生きちゃった」という軽いタイトルから、「コミカルで軽々としたタッチの映画なのだろう」と勝手に想像していたのだが、いやいや逆にヘヴィーな映画だった。途中で異色のポップ・デュオのレ・ロマネスクが登場するあたりこそコミカルな味わいがあるものの、それ以外は荒々しく壮絶なタッチが続く。

それでも最初のうちは「ありがちな話だなぁ」としか思わなかった。なるほど、厚久が妻の浮気現場を目撃するあたりの映像は、彼の衝撃がリアルに伝わる巧みな映像だったが、ドラマの展開自体にはさほど面白みを感じなかった。

だが、次第にこの映画、何かが変だと感じるようになる。まず奈津美が嫌う厚久の両親が変である。単に嫁に対して口うるさい義父母といった域を超えて、何かが奇妙なのだ。さらに、厚久の兄は大麻漬けで引きこもり。こちらも不穏で不気味な雰囲気を漂わせている。

そして、この兄こそが、中盤でとんでもない出来事を起こす。おそらくそれは彼なりの弟への思いが暴走したものだろう。だが、それにしても衝撃的な展開だ。

ちなみに、その出来事の後に、厚久の父親がやたらに家族写真に固執するシーンが登場する。まるで家族の絆を強引にフィルムに焼き付けようとするかのような行動で、それが逆にこの家族の危うさを浮き立たせている。

ありがちで陳腐なドラマに思えた序盤とは一転、中盤以降の情け容赦のない負の連鎖には心がざわつき、胸苦しくなるほどだった。過酷な運命に翻弄される登場人物たち。そして、さらに終盤には空恐ろしい出来事が待っているのである。

そんな衝撃的なドラマを通して、石井監督が伝えたいことは明白だろう。映画の序盤で、厚久と武田が中国語や英語を習う場面がある。2人で起業を目指すためというのだが、そこでの2人は饒舌だ。思ったことを素直に口にする。

だが、ふだんの2人は寡黙になる。特に厚久は奈津美に対して胸の内をさらけ出さない。愛情を口にすることもない。そのことを非難する奈津美にしても、自身の思いを胸にしまい、何もないかのように振る舞ってきた。そのことこそが2人を破局へと導いたのだ。

きちんと言葉にして心を通わせないことで、人生を台無しにしてしまうことがある。石井監督はそれを強く訴える。それは単に「愛している」を口に出して言えないがために、すれ違う夫婦というような生易しい話ではない。物言わぬことを美徳とするような日本人の特性そのものを撃ち抜き、観客をも挑発する。

厚久が亡き祖父について語る場面がある。あれほど可愛がってくれたのに、今では存在していたのかどうかもわからないといった主旨だ。あのセリフは、生きている間にしっかりと言葉を交わして心を通わせることの大切さを、さらに念押しするものなのかもしれない。

壮絶なラストも必見だ。多くのものを失い、それでもまだ思いを素直に伝えることをためらう厚久。その背中を武田が強烈に押しまくる。そしてついに厚久は……。ひたすら圧倒されるラストシーンだった。

荒々しさと殺気と異様な迫力に満ちたドラマだ。思わず素手での殴り合いを連想してしまった。近年の石井監督の作品とは一線を画し、商業デビュー前後の頃のような無類のパワーを秘めた映画である。

3人の役者たちの演技も見事。仲野太賀は無口さとは裏腹に、内に秘めた感情をよどみなく伝える演技が光った。一方の大島優子は、自身の思いのままに突っ走り破滅する女性を力強く演じた。その2人と絶妙の距離感で接する若葉竜也も存在感十分だ。

やっぱり言葉にして思いを伝えることは大切なのだと再認識。家族に限らずいうべきことは言わないと、とりかえしのつかないことになってしまう。それがよく伝わってくる映画だった。

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ユーロスペース横には巨大な看板。しかし、大きすぎてよくわからないので、チラシを貼っておきます。

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◆「生きちゃった」
(2020年 日本)(上映時間1時間31分)
監督・脚本・プロデューサー:石井裕也
出演:仲野太賀、大島優子若葉竜也、パク・ジョンボム、毎熊克哉、太田結乃、柳生みゆ、レ・ロマネスク、芹澤興人、北村有起哉原日出子鶴見辰吾伊佐山ひろ子嶋田久作
ユーロスペースほかにて公開中
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