映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「怒り」

「怒り」
ユナイテッド・シネマとしまえんにて。2016年9月19日(月・祝)午後3時30分より鑑賞。

映画もテレビも原作モノばかりだ。オリジナルモノなんて、たまにしかない。なので、書店に行くと「映画化!」「テレビドラマ化!」などと帯に書かれた文庫本がテンコ盛りで積まれている。だが、映画やドラマを見る前にオレが原作を読むことは、ほとんどない。だって、先にストーリーがわかってしまったらつまらないではないか。

そんな中、珍しくも先に原作を読んでしまったのが、李相日監督の「怒り」だ。別に何かの意図があったわけではなく、たまたま書店で吉田修一の原作を手に取ってしまった。読んでみると、なかなか面白い小説だったが、冗長だったり、描ききれていない部分も多くて、不満が残ったのも事実だ。しかし、映画はその不満を一気に解消してくれたのである。(ちなみに、原作:吉田修一+監督:李相日のコンビは「悪人」と同じ)

東京・八王子で残忍な夫婦殺人事件が起こる。室内には「怒」という血文字が残されていた。犯人が逃亡して1年後。三つの場所に、素性の知れない男たちが現れる。千葉にふらりと現われた青年は田代(松山ケンイチ)。新宿・歌舞伎町の風俗店から、漁協で働く父・洋平(渡辺謙)に連れ戻された愛子(宮崎あおい)と恋に落ちる。東京に現れたのは直人(綾野剛)。会社員でゲイの優馬(妻夫木聡)とサウナで出会い、彼の家に住むようになる。沖縄の無人島に現れたのはバックパッカーの田中(森山未來)。近くの離島に住む高校生の泉(広瀬すず)と遭遇する……。

なにせ3つのエピソードを同時に描くということで、文庫にすれば上下巻の長さ。それを巧みにまとめているのに感心させられる。登場人物を大胆にカットしたり、ディテールを微妙に変更するなどして過不足なく描く手腕が鮮やかだ。

そして、それ以上に感心させられるのが、3つのエピソードの絡ませ方だ。それぞれ直接交差しない話だけに、原作ではぶつ切り状態で読みにくかったのだが、この映画では巧みな編集によって没入しやすくなっている。おかげで、最後までスクリーンから目が離せなかった。

けっして原作を逸脱しているわけではない。「誰が真犯人か?」というミステリーのスタイルを借りつつも、人間ドラマを追及しているのは原作と同じ。しかし、原作よりはるかに濃密な世界が展開する。

3人の男たちに対して、周囲の人々は最初は疑心暗鬼でいる。しかし、次第に信頼を寄せるようになる。ところが、例の殺人事件の犯人との類似性を知ったことから、強い疑いを抱くようになる。そこで浮かび上がるのが「信じる」というテーマだ。田代に対する洋平・愛子の親子、直人に対する優馬、田中に対する泉と同級生の辰哉。「こいつを信じていいのか?」「信じたいけれど、信じきれない」という彼らのギリギリの心情が、リアルに切り取られている。そのあまりの切迫感は、観ているこちら側が息苦しくなるほどだ。

同時に、3人の謎の男たちの心情も描かれる。あくまでも犯人をばらさない範囲での描写だが、ワケありで孤独な男の心の奥底の思い、そして原作ではあまり描かれなかった真犯人の狂気(誰かは見てのお楽しみ)なども、きちんと見せてくれる。さすがに犯行の全貌が暴かれるわけではないが、犯人の心理や状況が少しずつ伝わってくるのである。

特に後半は、ひたすら凄味のある心理描写が続く。それを実現させているのが、渡辺謙森山未來松山ケンイチ綾野剛広瀬すず宮崎あおい妻夫木聡など豪華キャストの迫真の演技だ。ただ泣き叫ぶだけでなく、体の奥からにじみ出るような感情表現が印象的。アップを多用してそれを的確に映し出す映像も見事である。

ラスト近くの展開も基本的に原作に沿っているが、ズッシリ感ははるかに上だ。妻夫木聡の彷徨、宮崎あおいの慟哭、広瀬すずの叫び、どれもが胸に迫ってくる。ただし、重苦しいばかりではなく、少しだけホッとさせられる展開もある。あと味はけっして悪くはない。それにしても人を信じるというのは、大変なことなのだと改めて思わされる。

出版社や作家には怒られるかもしれないが、この映画を観たら原作を読む必要はないと思ってしまった。オレの時間を返せ~~!! とは言いませんが、それぐらい完成度が高いし、濃度が高い映画である。

●今日の映画代1200円(最近ユナイテッド・シネマがオンラインクーポンをたくさん配っている。大丈夫か?)