映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「三度目の殺人」

三度目の殺人
ユナイテッド・シネマとしまえんにて。2017年9月9日(土)午後12時20分より鑑賞。(スクリーン3/F-17)

今のところ裁判には全く縁がない。原告になったこともなければ、被告になったこともない。証人に呼ばれたこともない。裁判員裁判が始まった頃には、「お、もしかしたらオレも呼ばれるのか?」と変な期待をしたのだが、幸か不幸か一度もそんな連絡は来ない。

とはいえ、新聞などで裁判のニュースを見ていると、もしも自分が裁判員だったら判断を迷いそうな事件がたくさんある。そもそも、オレごときに人を裁くことなどできるのか。いや、オレだけでなく人が人を裁くことなんてできるのか。

是枝裕和監督の新作「三度目の殺人」(2017年 日本)を観て、そんな思いがますます強まった。

「誰も知らない」「歩いても 歩いても」「空気人形」「そして父になる」「海街diary」「海よりもまだ深く」など素晴らしい作品を立て続けに送り出している是枝監督が、「そして父になる」で組んだ福山雅治を再び主演に迎えた作品だ。

この映画について「法廷ミステリー」と紹介しているメディアが多いようだが、実際は法廷シーンはそれほど多くない。厳密にいえば、裁判をめぐるミステリーといったほうが正確だろう。

いや、ミステリーという言い方も微妙なところだ。最後にすべての真実が明らかになるのがミステリーだと考える人は、その期待を完全に裏切られる作品だからである。

ドラマは、いきなり殺人シーンから始まる。三隅高司(役所広司)という男が、解雇された工場の社長を後ろから殴打して殺害し、遺体を焼くシーンが描かれる。それによって観客は、間違いなく三隅が殺人犯だと印象付けられる。

それは弁護士も同様だ。同僚の摂津(吉田鋼太郎)から頼まれて三隅の弁護を渋々引き受けることになった弁護士の重盛朋章(福山雅治)は、すでに三隅が犯行を自供していることから、犯人であることは認めたうえで量刑を争おうと考える。三隅は30年前に殺人を犯した前科があり、このまま強盗殺人を適用されれば死刑は確実だ。それをどうにか無期懲役にできないかと調査を始めるのである。

そんな重盛は、いわゆる「正義の弁護士」や「人情味あふれる弁護士」とは対極の人物だ。司法システムの中の歯車の一つとなり、その中でいかに「裁判で勝つか」だけを追求する。そのためには被告のことを理解したり、真実を解明する必要などないと考えている。

しかし、今回ばかりは重盛にとって想定外のことが続く。三隅の証言はコロコロ変わり、重盛たちを煙に巻く。二度も殺人を犯したというとモンスターのような人物を想像するかもしれないが、三隅は違う。つかみどころがなく、得体が知れない雰囲気の男だ。かつて北海道で彼が犯した最初の殺人事件を担当した刑事は、「空っぽの器のようだ」と表現していたが、まさにそれがピッタリな人物なのである。

この三隅と重盛が拘置所の接見室で話すシーンが、この映画のかなりの部分を占める。派手さはないものの観応え十分なシーンだ。三隅を演じる役所広司、重盛を演じる福山雅治、いずれも圧巻の演技である。その2人をとらえる映像も緊迫感にあふれている。おかげで、生々しく、スリリングで、そして何やら不気味な雰囲気が漂ってくる。

そうするうちに、重盛は次第に三隅に翻弄されていく。三隅が抱える闇にズブズブと引きずり込まれていくところは、ある種の心理ホラーのような危険な魅力さえ感じられる。三隅がかつて住んでいた北海道に足を運ぶ際に、重盛が見る夢が何とも象徴的である。そこには三隅と彼の娘と重盛が同じ空間に存在する。

こうして重盛は、関心のないはずだった真実を知りたいと思うようになる。いったい三隅の殺人の真の動機は何なのか。しかし、調べれば調べるほど謎は深まっていく。そこでは、謎の十字架マークや三隅が飼っていた鳥の話など、様々な小ネタも効果的に使われている。

やがて、三隅と被害者の娘・咲江(広瀬すず)との意外な接点が浮かび上がる。続いて、三隅と被害者の妻・美津江(斉藤由貴)との疑惑も浮上する。被害者が経営していた会社の不正なども示唆される。

そして、さらに衝撃的な出来事が起きる。それは被害者の咲江による、あるおぞましい出来事に関する告白だ。はたして、それこそが三隅の殺人の本当の動機だったのか? 

多くの謎がまき散らされた本作だが、実のところ最後まで明快な真実が語られることはない。サスペンスとしての謎解きは、宙ぶらりんのまま終幕を迎える。そこに居心地の悪さを感じてしまうのは仕方のないことだろう。

だが、それによって同時に、観客にはズシリと重たい問題提起が突き付けられる。それは硬直化しシステム化された司法制度についての問題提起だ。三隅をめぐる裁判は法廷よりも、法廷外で大方のことが決まり、効率優先で進められる。裁判官が目配せで意思を伝え、弁護士や検察官が阿吽の呼吸でそれに応じる場面も登場する。重盛が初めのうち真実を軽視していたように、今の日本の司法システム自体が真実を追求する場ではないことが、徐々に明らかになってくるのだ。

それを背景に、人が人を裁くことの意味が問いかけられる。三隅の殺人の動機が強盗なら彼は文句なしに死刑。しかし、怨恨なら情状酌量の余地あり。その差はどこから来るのか。はたして、それは正しいことなのか。人間は人間をきちんと裁けるのか。観ているうちに、いろいろな疑問が湧いてくるのである。

そういえば「三度目の殺人」というタイトルも意味深だ。三隅が犯した殺人はこれが二度目。なのに、「三度目」とは? 最初の事件の被害者は2名ということだから、今度が3人目ということなのか。はたまた、三隅が死刑になるとすれば、それも考えようによっては国家による殺人なわけで、それを意味しているのか。

終盤では、三隅が本当に犯人なのかどうかさえ、怪しく感じられてくる。冒頭のシーンの強烈な印象がグラグラと揺らいでくる。真実とはそれほど曖昧なものなのかもしれない。

ラスト近くの重盛と三隅の最後の対話を経て、この映画で投げかけられた問いが、さらにグサリと胸に突き刺さったのである。

最近の是枝作品とはずいぶん違うタイプの作品だが、人間の内面をじっくり掘り下げようとする姿勢は不変だ。スッキリできる映画ではないが、今の社会を生きるオレたちにとって絶対に観るべき価値のある作品だと思う。

●今日の映画代、1400円。新宿のチケットポートで事前に鑑賞券を購入。

◆「三度目の殺人
(2017年 日本)(上映時間2時間5分)
原案・監督・脚本・編集:是枝裕和
出演:福山雅治広瀬すず満島真之介市川実日子、松岡依都美、蒔田彩珠、井上肇橋爪功斉藤由貴吉田鋼太郎役所広司
*TOHOシネマズスカラ座ほかにて全国公開
ホームページ http://gaga.ne.jp/sandome/