映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「モリのいる場所」

モリのいる場所
シネ・リーブル池袋にて。2018年5月20日(日)午後2時10分より鑑賞(スクリーン1/G-6)。

絵画にはかなり疎い。まあ、ピカソとか、ゴッホとか、モネとか、世界の名だたる巨匠の画家ぐらいは知っているが、せいぜいその程度である。というわけで、日本の熊谷守一という画家についてもまったく知らなかった。1977年に97歳で死去し、2017年に没後40年を迎え、再び注目を集める伝説の画家だそうだ。

その熊谷守一(モリ)とその妻・秀子を描いたドラマが「モリのいる場所」(2017年 日本)だ。といってもよくある伝記映画ではない。モリの晩年のある一日に焦点を当て、それを通してモリの人となりと秀子との夫婦愛を綴ったドラマである。

昭和49年の東京・池袋が舞台。主人公は94歳になる画家のモリ(山崎努)と、結婚生活52年の妻・秀子(樹木希林)。親戚で家事を手伝う秀子(池谷のぶえ)とともに、彼らは穏やかな毎日を送っている。

この映画の監督・脚本の沖田修一といえば、「南極料理人」「横道世之介」などが代表作にあげられる。だが、個人的には2014年の「滝を見にいく」もはずせない作品だ。オーディションで選ばれた演技経験のない7人の女性を主演に据えたこの作品は、タイトル通りに彼女たちが幻の滝を見にいくドラマ。全体にオフビートの笑いが満載で、遭難という劇的な展開さえ、拍子抜けするようなゆるい笑いで包んでいる。

本作もオフビートな笑いが満載だ。その原因は主人公のモリのユニークな言動にある。毎朝の朝食では、なぜかおかずをハサミで切って食べようとする。朝食後は庭に出て植物や小さな虫などをつぶさに観察する。それも普通の観察ではない。地べたに寝転がってアリの行動を至近距離から観察したりするのだ。それらはモリの絵のモチーフになる。そうやって、モリは30年間自宅から出ることなく過ごしているのである。

映画の序盤、モリのところに旅館の看板を書いてもらいたいという主人が信州から来る。新幹線の存在もよく理解していないらしいモリは、「わざわざ信州から大変でしょう」と同情して依頼を引き受ける。だが、彼が書いたのは看板の文字ではなく、自分の好きな「無一物」という字だったのだ。

こんなふうにモリは自由奔放な人間だ。金にも名誉にも何にもとらわれない。映画の冒頭でモリの絵を見た天皇が、「これは何歳の子どもの絵ですか?」と尋ねるシーンがある。まさに言い得て妙だ。本当に子どものように、思いのままに自由に行動しているのである。そうした彼の言動から、自然にゆるい笑いが生まれてくるのだ。

そんなモリと絶妙のコンビを見せるのが妻の秀子である。モリが何を言おうと、どう行動しようと、飄々と受け止めていく。モリの自由奔放さを陰で支えつつ、すべてを好き勝手にさせることはない。そんな2人のやり取りが実に微笑ましくて楽しい。2人で行う五目並べがいい味を出している。

そんな2人に吸い寄せられるように、家には毎日のようにたくさんの来客が訪れる。モリを連日のように撮影する写真家と助手、図々しい画商、隣に暮らす佐伯さん夫婦、近所の人々などなど。なかには得体の知れない男まで集う。モリと秀子とそれらの来訪者たちが、様々な化学変化を起こして、そこに独特の世界が生まれているのである。

そもそもモリのような生き方を見れば、誰しも「自分にはあんなことはできない」と思いつつも、心のどこかで「あんなふうに自由に生きられたらなぁ~」という憧れがあるのではないだろうか。それが、なおさら来訪者たちを惹きつけるのに違いない。

そこはまるで小宇宙のような世界だ。ある種の理想郷といってもいいかもしれない。草花や虫などの自然の風景、家の中の歴史を感じさせる様々なアイテム、光と影を効果的に使った映像などが、それを見事に表現している。

その魅力的な世界の中で、沖田監督は自由かつ大胆な試みをしている。あまりバラすとつまらないので一つだけ紹介するが、家に集った人々がザ・ドリフターズの話題で盛り上がった後で、天井から突然「あるもの」が降ってくる場面がある。不条理極まりない場面だが、かつてのドリフのネタを知っているものなら大爆笑するに違いない。

さて、そんなモリたちの家にも危機が訪れる。向かいに建設中のマンションによって庭の日当たりが奪われてしまうのだ。はたして、モリと秀子はどうするのか。

よくあるドラマなら、そこから自然破壊の問題や経済優先の時代の風潮に言及したりするはずだ。だが、この映画ではその方向性は取らない。マンション工事の作業員とモリの意外な交流を描き、さらにモリのある決意を示す。そこでは、以前に家にいた得体の知れない男に、ファンタジックな役割を与えるという離れ業までやってのける。

そのはてに示されるのは、モリと秀子の愛の再確認である。結婚生活52年の2人には、かなりの年の差がある。そして、どうやら2人は子供を早いうちに亡くしているらしい。そうした過去の歴史などはチラリと断片的に伝えるだけで、それ以上の追求はしない。それでも、2人の間に流れる空気によって、そこに強い絆が見えてくるのだ。このあたりの描き方も、いかにも理想郷の中での出来事にふさわしい展開といえるかもしれない。

こうしてちょっとファンタジックな魅力的な世界を構築した沖田監督だが、それを可能にしているのが山崎努樹木希林の演技である。意外にも初共演という2人だが、その掛け合いはまさに熟練の技だ。自由奔放かつ大胆にモリを演じる山崎努、それを懐の深い演技で受け止める樹木希林。この2人がいるだけで、映画は破格の魅力を漂わせるのである。

何かと気ぜわしい毎日。モリと秀子たちが構築する、思わず脱力してしまうような独特の世界に浸ってみるのも悪くはない。映画館を出る頃には、多くの観客が穏やかで優しい心持ちになっているのではないだろうか。

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◆「モリのいる場所
(2017年 日本)(上映時間1時間39分)
監督・脚本:沖田修一
出演:山崎努樹木希林加瀬亮吉村界人光石研青木崇高吹越満池谷のぶえ、きたろう、林与一三上博史
シネスイッチ銀座ほかにて全国公開中
ホームページ http://mori-movie.com/