「海辺の彼女たち」
2021年5月7日(金)ポレポレ東中野にて。午後2時30分より鑑賞(B-5)。
新型コロナによる緊急事態宣言で、東京の映画館はほとんどが休館。そんな中、営業している数少ない映画館がポレポレ東中野。「休館なんかしたら、とても持ちません!」というギリギリの経営状況ゆえ、やむなく営業しているのだろうから、ここは応援の意を込めて足を運ばねば、というのでさっそく出かけたのである。
鑑賞した映画は、日本・ベトナム合作映画「海辺の彼女たち」。日本・ミャンマー合作による初長編作「僕の帰る場所」が第30回東京国際映画祭「アジアの未来」部門グランプリを受賞した藤元明緒監督の長編第2作だ。昨年の東京国際映画祭で上映されたのだが、スケジュールが合わずに見逃してしまった。
技能実習生として来日したベトナム人の若い女性3人の過酷な状況を描いたドラマだ。
映画はいきなり彼女たちの逃走シーンから始まる。フォン(ホアン・フォン)、アン(フィン・トゥエ・アン)、ニュー(クィン・ニュー)。1日16時間労働、土日も関係なし、給料は不当に天引きされる。そんな理不尽な扱いを受けた職場を、彼女たちは今この瞬間に逃げ出そうしているのだ。
夜の逃走劇をいわゆるドキュメンタリータッチで追う。暗闇でうごめく3人の姿を手持ちカメラがとらえる。尋常でない臨場感と緊張感がスクリーンを包む。
その後、彼女たちはブローカーの手引きで、ある雪深い漁村にたどり着く。パスポートと身分証を前の職場に置いてきた彼女たちは、これからは不法就労者ということになる。いつ摘発されるかわからない恐怖を抱えつつ、それでも故郷にいる家族のために働き始める。
そこからは微かな希望の光が彼女たちを照らす。新たな職場も過酷であるのには違いない。少しでも手を緩めれば厳しい叱責の声がかかるし、住居としてあてがわれた場所も満足できるものではなかった。それでも前の職場に比べればまだマシだった。3人は望郷の思いに涙する一方で、自分の将来の幸せを思い浮かべて、屈託のない笑顔を見せることもあった。
藤元監督は、そんな彼女たちの一挙手一投足を生き生きと映し出しだす。いたずらに感傷に走ることなく、徹底的にリアルな描写にこだわる。セリフを抑えた長回しの映像で3人の心の揺れや喪失感を表現していく。
やがてターニングポイントが訪れる。フォンが体調を崩したのである。アンとニューはフォンを病院に連れて行くが、保険証も身分証もない彼女は門前払いされてしまう。実はフォンにはある秘密があったのだ。そのことで、彼女は大きな選択を迫られる。
後半になると、さらにセリフが少なくなる。その代わり、研ぎ澄まされた映像が3人の女性たちの心情をリアルに切り取っていく。オーディションで選ばれたという3人の女優たちが、いずれも得がたい個性を発揮している。
特に圧巻なのが、フォンが雪の中を延々と歩くシーンである。自らの意思で偽の身分証を購入した彼女は、それを手にある場所へと向かう。職場からも仲間からも遠方の家族からも離れ、自らのために雪原の中をどこまでも歩く。雪を踏みしめる足音や凍てついた風景が重なって、その姿からは彼女の不安で孤独な心情が浮き彫りになる。このシーンだけでもこの映画を観る価値がある。
そして、束の間感じる命の尊さ……。
だが、次の瞬間、彼女は深い闇に引き戻される。ラストシーンの破格の緊張感。ひたすらスープをすすった後に決意したように薬を飲むフォン。先ほど「選択を迫られる」と書いたが、考えてみれば、最初から彼女に選択の余地などなかったのかもしれない。この日本で生きていくためには。
この映画は、殊更に声高な社会派映画のスタイルをとっていない。孤独と不安に苛まれながらも、必死で生き延びようとする女性たちの生き様を描くことに焦点を当てている。
そして、だからこそ日本の現状がクッキリと見えてくる。移民を拒絶しつつ、足りない労働力を技能実習生という奇妙な制度に依存する日本。どんなに過酷な状況でも、そこから外れることを許さず、人間としてまともに扱うこともしない。そんな日本の移民政策の無為無策に思いを馳せずにはいられない。
本作は、藤元監督がインターネットを通じて知り合った外国人技能実習生の女性が、過酷な労働の日々の末に行方知れずになったことから、「行方不明になった彼女の“その後”を追いたい」という気持ちで製作されたという。フォン、アン、ニューは特殊な人間ではない。彼女たちと同じような外国人が今も日本のあちらこちらにいるのだ。
その現実から目をそらしてはいけない。
◆「海辺の彼女たち」(ALONG THE SEA)
(日本・ベトナム)(上映時間1時間22分)
監督・脚本・編集:藤元明緒
出演:ホアン・フォン、フィン・トゥエ・アン、クィン・ニュー
*ポレポレ東中野ほかにて公開中
ホームページ http://www.umikano.com/