映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「もうひとりのトム」

「もうひとりのトム」
2021年11月5日(金)第34回東京国際映画祭コンペティション部門(TOHOシネマズ シャンテ)にて。午後12時10分より鑑賞(スクリーン3/D-7)

向精神薬の過剰使用を背景に親子の強い絆を描く

ここ数年、東京国際映画祭の関係者パスをもらい、タダで15~25本の映画を鑑賞させてもらっていた。だが、今年は声がかからず。まあ、どっちみち今年は忙しくてほとんど行けそうになかったから、いいのだけれど。

とはいえ、全然行かないのも悔しいので、空いた時間を狙って自腹で(1600円)行ってきた。ちなみに、昨年までは六本木で開催されていたが、今年から有楽町・日比谷界隈での開催となった。鑑賞したのは、コンペティション作品「もうひとりのトム」。

映画の冒頭はエレベーターの中。子供を連れた母親がいる。子供はひたすら落ち着きがない。女の子だ。あれ? 名前はトム? 何だ、髪が長い男の子か。それにしても本当に落ち着きがない。その理由はあとになってわかる。

母親のエレナ(フリア・チャベス)はシングルマザー。メキシコ人だが、アメリカのテキサス州エル・パソで暮らしている。働いているが生活は苦しく、社会福祉の世話になっている。

その息子のトム(イスラエル・ロドリゲス・ベトレリ)は、学校でも落ち着きがなく、ADHD(注意欠如・多動症)と診断されてしまう。精神科医は彼に向精神薬を服用させる。それをきっかけに、トムは性格が変化し、おとなしくなってしまう。

邦題の「もうひとりのトム」とは、おそらく向精神薬の服用で性質が変化してしまったトムのことを指すのだろう。

実は向精神薬には副作用があり、うつ病や不眠、はては自殺に至る可能性もあるという。だが、エレナは医師からそのことを知らされていない。トムの友人の父親がエレナにそのことを忠告するが、エレナはそんなことはないという。

だが、ある時、トムはエレナの運転する車に乗っているさなか、車から転落して大ケガをしてしまう。事故? 自殺? 疑念を持ったエレナは精神科医を問い詰め、トムの薬の服用を拒否する。

しかし、そのことが思わぬ事態を招く。再び元の落ち着きがない状態に戻ったトムを見た学校の教師は、エレナを虐待の疑いで児童福祉局に通報するのだった……。

というわけで、貧しいシングルマザーと障害を持つ息子のドラマだ。エレナは理想の母親などではない。男関係はだらしがないし、仕事で留守がちだ。だが、彼女はトムを心から愛している。もちろん虐待などとは無縁だ。

それでもエレナは貧しく不器用だ。金がないために、たびたび約束破りをする。トムはそれに怒る。そして、トムの実父は、遠く離れたリゾート地で別な女の人と暮らしている。彼もまたトムを愛していると言うのだが、約束の仕送りは途絶えがちだ。

このドラマはADHDをめぐる診断と、向精神薬の過剰使用という問題を中心に、貧困や虐待などの問題を絡めた社会派ドラマの側面を持つ。同時に息子を不器用にしか愛せない母親の苦難を描く。

親子を見つめる目は冷徹だ。エレナがほとんど笑わないこともあって(それは生活の苦しさを反映してもいる)、彼女の心情がストレートに表現されることは少ない。それでも親子の内面から、それぞれの心情が少しずつにじみ出てくる。被写体を冷静に観つつ、かといって突き放すこともない絶妙の距離感が印象深い。

終盤はロードムービーの様相を呈する。親子は車に乗って旅をする。2人は一度は離れ離れになるのだが、やはりエレナはトムから離れられない。親子はある場所にたどり着く。

水辺で横たわるエレナに、トムがそっと頭を持たせかけるラストシーンが余韻を残す。2人のこれからを、あれこれと想像させる。それでも、そこには確かな親子の絆が存在する。エレナもトムも、お互いがそばにいるだけでいいのだ。

母親役のフリア・チャベスのたくましさ、トム役のイスラエル・ロドリゲス・ベトレリの健気さが際立つ。ベトレリは5歳の時からエル・パソの劇場で子役として活躍していたという。

さて、本作はコンペティション部門15本のうちの1本。はたして受賞はあるのか。例年ならほとんどのコンペ作品を鑑賞するので予想らしきことも言えるのだが、今年はなんせこれ1本なので皆目わかりません。

今年の東京国際映画祭はこれにておしまいかしら。土日はみんな満席なんだよねぇ。上映劇場が小ぶりだから。

 

f:id:cinemaking:20211106210126j:plain

◆「もうひとりのトム」(EL OTRO TOM/THE OTHER TOM)
(2021年 メキシコ・アメリカ)(上映時間1時間51分)
監督・脚本・製作:ロドリゴ・プラ、ラウラ・サントゥージョ
出演:フリア・チャベスイスラエル・ロドリゲス・ベトレリ、マリシア、セルヒオ・レオナルド・デルガード、アレハンドラ・ドサル、クリストファー・ジョーンズ
ホームページ(英語) https://www.outsiderpictures.us/