映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「福田村事件」

「福田村事件」
2023年9月7日(木)テアトル新宿にて。午後3時20分より鑑賞(A-11)

関東大震災後の惨劇をもとに森達也監督が集団心理の恐ろしさを劇映画で描く

「A」「A2」「i 新聞記者ドキュメント」など、数々のドキュメンタリー作品を手がけてきた森達也監督が、初めて手がけた劇映画「福田村事件」。関東大震災直後の混乱の中で、千葉県東葛飾郡福田村で香川からやって来た行商団15人の内、幼児や妊婦を含む9人が殺害された虐殺事件をもとに描いた。

森監督は、初めはドキュメンタリーとしてテレビ局に持ち込んだものの断られ、それなら劇映画にと思ったもののなかなか実現の見通しは立たなかった。だが、名脚本家で「火口のふたり」などの監督でもある荒井晴彦と出会って、一気に局面が変わった。荒井も福田村事件を映画にしたいと思っていたのだ。

というわけで、脚本が佐伯俊道、井上淳一荒井晴彦、そして監督が森達也という座組で作られたのが本作。プロデューサーには井上とともに片嶋一貴が名を連ねており、若松プロや日活ロマンポルノの作品に関わったスタッフも多い。

ちなみに、森監督はもともとは劇映画の監督になりたかったものの、たまたま入った制作会社がドキュメンタリーの会社で、そちらにシフトするしかなかったらしい。そういう意味では、念願の劇映画挑戦ということになる。

さて、前置きはこのへんにして映画の内容を紹介しよう。冒頭は、日本統治下の京城で教師をしていた澤田智一(井浦新)が、妻の静子(田中麗奈)とともに故郷の福田村に帰ってくるシーン。列車には、シベリアで戦死した夫の遺骨を抱えた咲江(コムアイ)が乗り合わせていた。

それと同じ頃、沼部新助率いる薬売りの行商団が、四国の讃岐から関東へ向けて旅立つ。彼らは被差別部落の住民だった。

福田村に帰郷した澤田は、教師の職を捨てて農業を始める。だが、慣れない仕事に苦労する。同時に彼は心にトラウマを抱えていた。それは4年前のある出来事に関係しているらしい。静子はその事情を知らず、夫婦仲は冷え込んでいた。

一方、咲江は、夫の留守中に村の船頭の倉蔵(東出昌大)と関係を持っていた。村人は咲江を冷たい目で見る。そんな中、倉蔵は家出した静子とも親しくなる。

その他にも、老いた父親・貞次(柄本明)と妻・マス(向里祐香)の関係を疑う茂次(松浦祐也)、ひたすら勇ましいことを口にする在郷軍人会の分会長・長谷川(水道橋博士)、民主主義を信奉するインテリの世襲村長・田向(豊原功補)などが登場する。映画の前半は、こうした村人たちの日常を丹念に描写する。

彼らは単純な善人でも悪人でもない。一人の人間の中に善悪の両面が見える。差別や偏見を持ち合わせるのと同時に、善意も持ち合わせている。そして、それに大きく影響を与えているのが当時の時代の空気だ。

韓国併合以来、日本人の意識の中には朝鮮の人々にひどいことをしているという意識があった。だから、いずれ彼らが日本人に復讐するのではないかという恐怖感があった。それが朝鮮人差別という形で噴出していたのだ。

地元紙の記者の楓(木竜麻生)は、凶悪事件を報じる際に「犯人は主義者か鮮人か」という決まり文句で結ぶことに抵抗する。上司(ピエール滝)は苦渋の表情を浮かべつつそれを却下する。そういう時代だったのだ。

村人たちはそうした空気に毒されている。それに抗おうとする人物もいるが、圧倒的な時代の空気に気圧されている。村の中に、沸々と得体の知れないエネルギーが蓄積していく。群像劇ではあるものの、一人ひとりの胸の内が想像できる。それは彼らの顔をしっかりとらえているからだろう。

特徴的なのは性愛の描写がいくつか描かれることだ(PG12なので表現はそんなに過激ではないです)。例えば、倉蔵と咲江、静子の間は三角関係のような形になって、そこでは濡れ場も描かれる。

これはおそらく、脚本の荒井晴彦によるものだろう。荒井は過去にも自作の中で戦争や性愛を同居させている。いずれにしても、この村の閉塞感と鬱屈したエネルギーの増幅を描くのに、性愛は避けて通れないものだったのだろう。

そして起きる関東大震災。その混乱の中、様々な流言飛語が飛び交い、福田村にも「朝鮮人が集団で襲ってくる」という噂が伝わる。そんな中、沼部率いる行商団15名が次の地に向かうために利根川の渡し場に差しかかる。そして、事件が起きる……。

思えば、虐殺の対象は誰でも良かったのかもしれない。朝鮮人を差別する気持ちを背景に、鬱屈した途方もないエネルギーが村民を悪の化身にした。普段は普通の人々である。集団心理とはこれほど恐ろしいものなのか。その前では、開明派の村長も澤田夫妻もなすすべがなかった。傍観者になるしかなかったのだ。

前半の丁寧な描写のおかげで、虐殺に至る人々の心理がよく理解できた。おそらく劇映画たからこそ可能になったことで、ドキュメンタリーではこうはいかなかっただろう(森監督は「これは実際の事件にインスパイアされたフィクションだ」としている)。

強者が弱者を差別するといった紋切り型の映画ではない。弱い立場のはずの行商団の人々も、自分より弱い立場の人々を差別する。それでいて、朝鮮人に対して善意を示したりする。一筋縄ではいかない映画なのだ。

これは100年前の出来事だが、誰しもがこの映画の登場人物のようになってしまうかもしれない。殺戮者にも、被害者にも、傍観者にも、一歩間違えばなり得るかもしれない。そう思わせる切迫感があった。

とはいえ、堅苦しいだけの映画ではない。事前に危惧したのは、教科書のようなお説教臭い映画だったら嫌だなということ。だが、実際は生き生きとしたドラマがあり、エンタメ性とメッセージ性が見事に両立した映画だった。

前半は澤田の抱えた4年前の秘密を核に、サスペンス的な妙味も出しつつドラマを進める。咲江が静子への意趣返しで、豆腐の中に指輪を入れたシーンでは思わず笑ってしまった。虐殺の鍵を握るアイテムとして、朝鮮の扇子を使うあたりもよく考えられている。見どころはあちこちにあり、2時間17分があっという間だった。

終幕も印象深い。利根川に浮かんだ小舟の上で、静子は澤田に「どこに行くの?」と問う。そして、行商団の少年は故郷に帰り少女と再会する。彼の胸に去来するものは何だったのか。そして迎える少女の胸中は?余韻の残るエンディングだった。

まあ、詰め込み過ぎの嫌いはありますよね。亀戸事件の描き方などは中途半端だし。虐殺の背景に、当時の官憲の存在があることを示したかったのだろうけど。

しかし、それでもこの映画は素晴らしい。何よりも100年前と今が地続きであることを説得力を持って描いてくれた。観終わって重たいものが残るけれど、私たちはこの映画で語られたことに真っ直ぐに向き合うべきだろう。エンドロールのクラファン協力者の中に自分の名前を確認して映画館を後にした。

役者たちがいずれも輝いているのもこの映画の特徴。彼らのこの映画に対する気迫と覚悟が感じられる演技だった。特に田中麗奈コムアイら女性陣の活躍は素晴らしい。在郷軍人になり切った水道橋博士の演技も見もの。

◆「福田村事件」
(2023年 日本)(上映時間2時間16分)
監督:森達也
出演:井浦新田中麗奈永山瑛太東出昌大コムアイ、木竜麻生、松浦祐也、向里祐香、杉田雷麟、カトウシンスケ、ピエール瀧水道橋博士豊原功補柄本明
テアトル新宿ユーロスペースほかにて公開中
ホームページ https://www.fukudamura1923.jp/

 


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