映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「ロケットマン」

ロケットマン
新宿ピカデリーにて。2019年8月23日(金)午前11時10分より鑑賞(シアター8/D-9)。

~「愛」を求めて苦悩する世界的ミュージシャン、エルトン・ジョンの実像

ミュージシャンの伝記映画はたくさんあるものの、大ヒットした映画というのはそれほど多くはない。どちらかというと、音楽ファンを中心に一部の観客の間でのみ話題になるケースが多かったようだ。そんな中で、異例の大ヒットとなったのが世界的なロック・バンド、クイーンを描いた「ボヘミアン・ラプソディ」である。そのヒットぶりは社会現象と呼べるほどだった。

その二匹目のドジョウを狙ったわけではないだろうが、また新たなミュージシャンの伝記映画が登場した。こちらも世界的ミュージシャン、エルトン・ジョンの伝記映画「ロケットマン」(ROCKETMAN)(2019年 イギリス)である。

監督したのは元々役者で、「ボヘミアン・ラプソディ」を完成させたデクスター・フレッチャー。あれ? 「ボヘミアン・ラプソディ」の監督はブライアン・シンガーではなかったの? と思う人もいるだろうが、実はシンガー監督は途中で降板してしまい、それを引き継いで完成にこぎつけたのがフレッチャー監督なのだ。

とはいえ、本作は「ボヘミアン・ラプソディ」とはかなり違う。「ボヘミアン・ラプソディ」は随所にクイーンの曲が効果的に使われ、薄味になりがちなドラマに絶妙の味付けをしていた。それに対してこちらは全体がミュージカル仕立て。ドラマの途中で、登場人物が突然歌ったり踊ったりするのだ。それがドラマにさらなる陰影と深みを与え、より心に染みるドラマに仕上がっている。

映画の冒頭では、いきなりド派手な衣装のエルトン・ジョンタロン・エガートン)が登場する。これからステージに上がるのかと思いきや、彼が向かったのはグループセラピーの場。アルコール依存や薬物依存などに苦しむ彼は、そこで自らの幼少時代からの生い立ちを振り返る……というのがドラマの全体像である。

つまり、フレッチャー監督はミュージシャンとしてのエルトンの成功物語以上に、苦悩に満ちた彼の人物像を余すところなく描こうと意図しているのだ。

少年時代のエルトンは、本名レジナルド(レジー)・ドワイトといい、イギリス・ロンドン郊外で育つ。だが、両親は不仲で家庭を顧みず、やがて離婚してしまう。

それでも音楽的な才能に恵まれていたレジー国立音楽院に入学し、やがてロックに傾倒する。そして、エルトン・ジョンという新たな名前で音楽活動を始める。そんな中で、作詞家のバーニー・トーピンジェイミー・ベル)と運命的な出会いを果たしたエルトンは、それをきっかけにスーパースターの座に上り詰めていく。

ここまではいわばエルトンの人生の陽の場面である。だが、その後は暗い影が彼を覆い始める。孤独と重圧が彼を押しつぶし、次第にエルトンは疲弊していく。それはあたかもロックスターの典型的な転落劇にも見える。

だが、そこでフレッチャー監督は「愛の欠如」というテーマを明確にする。幼少時に愛のない家庭に育ったエルトンは、ひたすら愛を求めて生きる。だが、その愛をなかなか手にすることはできない。それが彼の人生を狂わせていく。

実はエルトンは同性愛者だった。そのため仕事上のパートナーであるバーニーを好きになるのだが、バーニーにはその気がない。一方、エルトンはあるビジネスマンと関係を持つようになるが、彼はやがてエルトンのマネージャーとなりエルトンを支配し始める。それとともに、2人の関係は破綻していく。

幼い頃に得られなかった愛を欲するものの、思うようにいかずに苦悩し、転落していくエルトン。こうして「愛の欠如」というテーマを明確にしたことによって、ありがちなスターの転落劇とは一線を画すドラマになったと思う。

そして何よりも効果的なのがミュージカルという構成である。「ユア・ソング」「クロコダイル・ロック」「グッバイ・イエロー・ブリック・ロード」などなど、エルトンのヒット曲の数々がドラマにうまく組み込まれ、時には楽しく、時には哀しく、時には切なく映画を彩る。ミュージカル場面では、全員が空中に浮かんだり、エルトンがロケットのように打ち上げられるなど、ファンタジー的な演出もあって飽きさせない。

この映画でエルトンを演じたのは、「キングスマン」のタロン・エガートン。全体の雰囲気や衣装などはエルトンそっくりだが、「ボヘミアン・ラプソディ」でフレディ・マーキュリーを演じたラミ・マレックのように、本人そっくりには似せていない。そのことが、逆に一人の役者としての彼の感情表現を際立たせ、ドラマを豊かなものにしている。

そして何よりも、吹き替えなしで歌った歌唱力抜群の歌声が素晴らしい。その歌声もまた、このドラマをより説得力のあるものにしている。

作詞家バーニー・トービンを演じるジェイミー・ベルをはじめ、脇役たちも目立たないながら存在感のある演技を披露している。

後半は暗い展開が続くものの、けっして気分が暗くなることはない。ラストでは一時は決別したバーニーとの関係も含めて、明るい希望の灯がともされる。そんな彼の人生を象徴するように流れる「アイム・スティル・スタンディング」という曲が何とも心に染みるのだ。

エルトンの曲調もあって「ボヘミアン・ラプソディ」ほどのノリの良さはないが、ドラマ的にはこちらのほうが深みを感じた。陰影あるドラマを通して、エルトンの曲がより味わい深く感じられる映画だと思う。

 

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◆「ロケットマン」(ROCKETMAN)
(2019年 イギリス)(上映時間2時間1分)
監督:デクスター・フレッチャ
出演:タロン・エガートンジェイミー・ベルブライス・ダラス・ハワードリチャード・マッデン、ジェマ・ジョーンズ、スティーブン・グレアム、テイト・ドノバン、チャーリー・ロウ 、スティーブン・マッキン、トム・ベネット、オフィリア・ラビボンド
*TOHOシネマズ日比谷ほかにて全国公開中
ホームページ https://rocketman.jp/

「ダンスウィズミー」

「ダンスウィズミー」
グランドシネマサンシャインにて。2019年8月21日(水)午後12時25分より鑑賞(シアター9/C-11)。

~催眠術でミュージカルスター!?矢口史靖監督によるミュージカル・コメディ

新たな映画館に足を踏み入れた。東京・池袋のグランドシネマサンシャインである。シネコンが今ほど林立していない時代から、池袋の地でシネマサンシャイン池袋というシネコンの走りのような映画館を営業してきた佐々木興業が、ほど近い場所に新たにオープンしたシネコンだ(これに伴い既存のシネマサンシャイン池袋は閉館)。

スクリーン数は12。IMAXや4DXなどの最新テクノロジーを駆使したスクリーンもある。とはいえ、個人的に一番興味を引かれたのは、エスカレーター脇などの名画ポスターギャラリー。古今東西の名作映画140作品のポスターコレクションが展示されている。映画好きなら垂涎ものの展示である。

さて、そんな初のグランドシネマサンシャイン体験で鑑賞したのは、「ダンスウィズミー」(2019年 日本)。「ウォーターボーイズ」「スウィングガールズ」「ハッピーフライト」などの矢口史靖監督によるミュージカル・コメディだ。

最近の矢口監督といえば、厳しい状況にある林業をテーマにした「WOOD JOB!(ウッジョブ)~神去なあなあ日常~」や、明らかに東日本大震災を意識したと思われる「サバイバルファミリー」といった作品があるが、基本的にはそれらも含めて楽しく笑えるエンタメ映画を得意とする監督。今回も無条件に楽しめる映画だ。

映画の冒頭、ある催眠術師によるテレビショーが登場する。歌って踊って、どことなくいかがわしい感じのする催眠術師の名前はマーチン上田(宝田明)。彼こそが、このドラマの鍵になる人物である。

続いて登場するのは、一流商社で働くOLの静香(三吉彩花)。ある日、彼女は姪っ子と訪れた遊園地で怪しげな催眠術師から、音楽を聞くと歌って踊らずにはいられない催眠術をかけられてしまう。まるでミュージカルスターのように。

それ以来、所かまわず歌ったり踊ってしまうようになった静香。大事な会議の途中やデートの途中でも音楽が鳴ればもう駄目だ。困ってしまった静香は、催眠術を解いてもらおうと再び催眠術師のもとを訪れる。だが、すでに彼の姿はなく、借金取りが押しかけていた。

そう。この催眠術師こそがマーチン上田である。途方に暮れた静香は、マーチン上田のサクラをしていた千絵(やしろ優)とともにマーチン上田の行方を捜すのだが……。

いかにも矢口監督らしい作品だ。過去の矢口作品をほとんど観ている者にとって、既視感があるのは否めないし、笑いのテイストもほぼ予想通りだが、逆に言えばそれだけ安心して楽しめる作品とも言えるだろう。

特に後半に繰り広げられるロードムービーは、なかなかに楽しい。静香と千絵のコンビネーションが抜群で、珍道中の中から次々に笑いが生まれてくる。途中で男に捨てられたストリートミュージシャンの山本洋子(chay)が絡むあたりからは、ますます面白さが加速していく。どうにも怪しい興信所の男・渡辺(ムロツヨシ)などの存在も彩りを加える。こうした後半の展開は矢口監督の真骨頂だろう。

実は静香には幼少時のトラウマがあり、催眠術師探しの旅がトラウマ克服と、自分探しの旅につながる……というあたりも、さりげない人間ドラマとしてそつなくまとめられていると思う。

その反面、ミュージカル的な興趣は後半は減速していく。前半は静香が同僚たちとともに派手に歌い踊るなど、いかにもミュージカル的な華やかな場面が何度か登場するのだが、後半はそうした場面があまり出てこない。静香や千絵が歌う場面こそあるものの、とてもミュージカルのような華やさはない。

まあ、催眠術にかかっているのは静香だけだから、そう簡単にド派手なミュージカルシーンを出すのは難しいだろうが、それにしてももう少しハジけてもよかったのでは? そもそも「催眠術にかかって歌って踊る」などという設定自体がリアリティのないものなのだから、もっと飛躍や誇張を詰め込んで大胆にぶっ飛んでも良かった気がするのだが。

それでもクライマックスのショーの場面は大いに盛り上がる。華やかに歌って踊ってまさにミュージカル! 当然ながら、様々なネタで笑わせることも忘れない。

「タイムマシンにお願い」に乗せて歌って踊る楽しいエンディングも、観客をハッピーな気持ちにさせてくれるはずだ。

ミュージカル・コメディとうたってはいるものの、ミュージカル的な魅力はやや期待外れだった。その代わり、コメディに関して言えば、いつもの矢口作品同様に無条件に楽しめる作品に仕上がっていると思う。

何よりも、この映画の最大の魅力は役者たちかもしれない。主演の静香役の三吉彩花は、2012年の「グッモーエビアン!」などで注目してはいたが、今回は本格的な歌や踊りを披露するとともにコメディエンヌぶりをいかんなく発揮していた。その成長ぶりを実感。

そんな彼女と珍道中を繰り広げる千絵役のやしろ優、山本洋子役のchayなども、いかにもコメディ映画らしい大仰な演技が笑いを誘う。インチキ催眠術師役にミュージカル界の超ベテランスター俳優・宝田明を配するなど、ベテラン俳優たちの使い方も心憎い。

 

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◆「ダンスウィズミー」
(2019年 日本)(上映時間1時間43分)
原作・監督・脚本:矢口史靖
出演:三吉彩花やしろ優、chay、三浦貴大ムロツヨシ宝田明
*TOHOシネマズ日比谷ほかにて全国公開中
ホームページ http://wwws.warnerbros.co.jp/dancewithm

「菊とギロチン」新宿凱旋上映中!

昨年公開されて大きな話題となった映画「菊とギロチン」が、8月23日(金)まで新宿K’s cinemaにて新宿凱旋上映中だ。

第92回キネマ旬報ベストテンで日本映画監督賞など5部門を受賞したのをはじめ、第73回毎日映画コンクール、第40回ヨコハマ映画祭、第33回高崎映画祭など、数々の映画賞で受賞に輝いた2018年の日本映画屈指の作品だ。

メガホンを取ったのは「64 -ロクヨン- 前編/後編」などの瀬々敬久監督。2010年発表の傑作「ヘヴンズ ストーリー」に続き、8年ぶりに放った自身の企画によるオリジナル映画作品ということで、製作資金も広く募り、オレも少額ながら支援させてもらった(エンドロールの支援者に名前が出てます)。

支援者向けの試写会を含めて、すでに5回(あれ?6回だっけ?)鑑賞しているオレだが、凱旋上映と聞けば行かないわけにはいかない。というわけで、20日(月)に新宿K’s cinemaに足を運んできた。

これだけの回数を観ているとさすがに飽きてくるかと思いきや、全くそんなことはなかった。何度観ても素晴らしい! 今の時代にこれほどの熱量を持った作品があるだろうか。そして観るたびに新しい発見がある。贔屓目なしに必見の映画である。

ヘヴンズ ストーリー」は毎年冬に新宿K’s cinemaで上映され、冬の風物詩となっているが、「菊とギロチン」の上映もぜひ夏の風物詩にしたいものである。

とはいえ先のことはわからないので、今のうちに観ておくのがベスト。DVDも出ているがやっぱり劇場は迫力が違う。残りは今日を入れてあと3日。上映は18時50分から。連日上映後にはトークショーもある。ぜひぜひ劇場へ!

 

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「あなたの名前を呼べたなら」

「あなたの名前を呼べたなら」
Bunkamuraル・シネマにて。2019年8月11日(日)午後2時50分より鑑賞(ル・シネマ2/B-6)。

~身分違いの禁断の恋の行方を通して見えるインド社会の現実

身分違いの恋などと言うと古典的なドラマのように思えるが、けっしてそうとばかりは言えない。現在でも、それが起こり得る場所が地球上には存在するのだ。

「あなたの名前を呼べたなら」(SIR)(2018年 インド・フランス)は、インドを舞台にしたラブストーリー。階級や境遇ゆえに、ままならない恋に身をやつすカップルの話である。

経済発展が著しいインドのムンバイ。故郷の農村に里帰りしていたラトナ(ティロタマ・ショーム)という女性が、呼び戻されたところからドラマが始まる。彼女は建設会社の御曹司アシュヴィン(ヴィヴェーク・ゴーンバル)の高級マンションで住み込みのメイドとして働いていた。

なぜラトナは呼び戻されたのか。実はアシュヴィンは結婚式のために出かけていた。ところが、婚約者の浮気が原因で式は中止になり予定より早く帰宅。ラトナは急遽呼び戻されたのである。

本当なら新婦とともに住むはずだった自宅で1人過ごすアシュヴィン。そんな傷心の彼を気遣いながらメイドの仕事をこなすラトナ。2人にはそれぞれ過去があった。ラトナは19歳で結婚したものの、わずか4か月後に夫が死んで未亡人となっていた。一方、アシュヴィンはアメリカでライターをしていたが、兄の死により帰国。父が営む建設会社の仕事をしていたが、なかなか思うようにはいかなかった。

そんな2人が心の交流を深めていく。その経緯をていねいに描写するロヘナ・ゲラ監督はムンバイ出身だが、アメリカで大学教育を受け、助監督や脚本家としてヨーロッパでも活躍しているという。インドを舞台にした映画でありながら、どこか欧米の映画の香りがするのはそのせいだろう。

演出は基本的にオーソドックスだが、時々ハッとするような場面が登場する。特に劇中数度出てくるアシュヴィンとラトナがそれぞれ過ごす部屋を、カメラを横移動させて映し出す映像が秀逸だ。2人の間にある微妙な距離感を的確に描き出す。

ラトナのメイドとしての仕事としてクローズアップされるのが料理だ。彼女は美味しそうな料理をアシュヴィンのためにつくる。それを彼は一人で寂しく食べる。一方、ラトナはキッチンの床に座って食事をする。そのあたりでも、2人の身分の違いと距離感を巧みに描き出す。

ドラマのほとんどはマンション内で進行するが、空間描写に工夫を凝らして飽きさせない。同時にきらびやかなマーケットの風景や、ムンバイの夜景なども良いアクセントになっている。

2人が距離を縮めるきっかけは、ラトナがあるお願い事をしたのがきっかけだ。実はラトナはファッションデザイナーを夢見ていた。そこで、日中の数時間、仕立屋の手伝いに行かせてくれるようにアシュヴィンに頼む。彼はそれを快諾する。

結局、この仕立屋でラトナは満足に勉強をさせてもらえず辞めてしまうのだが、その後は知人のサポートで裁縫教室に通うことにする。その際にも、アシュヴィンは快く彼女を送り出す。

そうした中で2人は次第に距離を縮めていく。だが、急速に接近するようなことはない。なぜなら2人は旦那様と使用人の関係。そしてラトナは夫の死後も婚家に縛られて、新しい恋愛さえご法度なのだ。

そうした障害を前に、お互いの感情を押し殺しつつも、どうしても抑えきれない感情がチラリチラリと出てくる。そのあたりの心理描写も見応えがある。ラトナを演じる「モンスーン・ウェディング」のティロタマ・ショームと、アシュヴィンを演じる「裁き」のヴィヴェーク・ゴーンバルの繊細な演技も特筆に値する。それぞれの視線の変化が、2人の関係性の変化を表現する。

そしてこの映画の素晴らしいところは、単なるラブストーリーで終わらないところだ。ドラマの背景には、身分による差別や女性の地位の低さなど、インド社会が抱える問題をしっかりと織り込んでいる。おそらくゲラ監督も、そこはぜひ描きたかったところなのだろう。

また、この映画はラトナの自立への戦いのドラマでもある。彼女は困難な中でも、真っ直ぐな気持ちで夢に向かって前進しようとする。何度か挫折しかけるが、それでも夢をあきらめない。不本意ながらアメリカから帰国したアシュヴィンにとって、その姿はとてもまぶしいものであり、自分を勇気づける存在であったに違いない。

ラブストーリーとして印象的な場面がいくつかある。エレベーターに2人きりで乗った時の何ともいえない気まずい雰囲気。裁縫学校に通い出して一段と輝くようになったラトナを、まぶしそうに見つめるアシュヴィン……。

そんな中でも最も印象的なのが、たった一度限りのラブシーンだ。まさに禁断の恋! 2人の感情や息遣いがリアルに伝わってきて、ゾクゾクさせられた。これほど切なく官能的なラブシーンは、なかなか目にできるものではない。

禁断の恋の行方はどうなるのか。それは実際に観て確かめてもらいたいが、ラストシーンは必見だ。邦題の「あなたの名前を呼べたなら」にリンクした心憎い結末。「なるほど、そう来たか!」と思わず膝を打ってしまった。おかげで、温かな気持ちで映画館を後にすることができた。

禁断の恋の行方をハラハラしながら見守るうちに、その背景にあるインド社会の様々な問題も見えてくる。なかなか魅力的な愛のドラマである。

 

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◆「あなたの名前を呼べたなら」(SIR)
(2018年 インド・フランス)(上映時間1時間39分)
監督・脚本:ロヘナ・ゲラ
出演:ティロタマ・ショーム、ヴィヴェーク・ゴーンバル、ギータンジャリ・クルカルニー、ラウル・ヴォラ
Bunkamuraル・シネマほかにて公開中。全国順次公開予定
ホームページ http://anatanonamae-movie.com/

「マイ・エンジェル」

「マイ・エンジェル」
有楽町スバル座にて。2019年8月10日(土)午後1時30分より鑑賞(自由席)。

~母親に置き去りにされた少女の揺れる心情を冷静かつ繊細に描き出す

有楽町スバル座は、昭和21年12月にオープンした歴史ある映画館だ。だが、今年10月にその53 年に渡る歴史に幕を閉じ閉館となる。それほど頻繁に足を運んだわけではないが、やはり老舗の映画館。閉館前にぜひ一度は訪れねばと思い、閉館前の最後の洋画ロードショー作品「マイ・エンジェル」(GUEULE D'ANGE)(2018年 フランス)を鑑賞してきた。

ちなみにスバル座は今どき珍しい入れ替えなしの自由席。上映前には「ムーンライト・セレナーデ」「80日間世界一周」などの映画音楽の名曲が流れノスタルジーたっぷり。まさしく古き良き映画館そのもので、こういう映画館が姿を消すのは残念至極。シネコンなどの攻勢が大きいのだろうが、何とか存続の道はなかったものかと改めて思った次第。

「マイ・エンジェル」の舞台は、南フランスのコート・ダジュールの美しい海辺の街。シングルマザーのマルレーヌ(マリオン・コティヤール)は8歳の娘エリー(エイリーヌ・アクソイ=エテックス)と暮らしていた。マルレーヌは、エリーのことを“エンジェル・フェイス”と呼んで愛情を注いでいた。

とはいえこの母娘、冒頭から何やら変である。エリーは笑顔も見せるのだが無邪気さとは無縁。どこか大人びた憂いをたたえた表情を見せたりもする。それもそのはずマルレーヌはダメ母なのだ。男にだらしがなく、酒癖が悪い。精神的な不安定さも抱えているようだ。そんな母親だから、エリーはただ無邪気にしているわけにはいかないのである。

そして事件が起きる。マルレーヌは再婚が決まっていた。その結婚披露パーティーで、したたかに酔った彼女は別の男と関係してしまい、それを再婚相手に目撃されてしまったのだ。再婚は当然破談になる。こうして彼女は気分的に落ち込んで、ますますダメな日々を送る。金も底をついてくる。

エリーは母親を何とか立ち直らせようとする。だが、そんな彼女にさらなる過酷な運命が訪れる。友人の誘いでマルレーヌは、気晴らしにナイトクラブへ行く。そこで彼女は新しい男と親しくなり、エリーを家に置き去りにしてどこかへ消えてしまうのである。

育児放棄したシングルマザーと置き去りにされた娘。いかにもお涙頂戴のドラマである。だが、この映画はそんな単純な図式に当てはまらない。マルレーヌはダメ母だが、鬼母ではない。エリーを愛していることは間違いないし、ダメな自分を変えようと試みたりもする。だが、それでもどうしても現状から脱出できないのだ。

マルレーヌを演じるのは、今や押しも押されもしない実力派俳優のマリオン・コティヤール。「エディット・ピアフ愛の讃歌~」「サンドラの週末」など多彩な役を演じ分けてきたが、今回のダメ母っぷりも堂に入ったものだ。いつものことながら、セリフだけでなく、わずかな表情の変化やしぐさで、マルレーヌの不器用な人生を演じて見せる。

そして、この映画をお涙頂戴映画にしていない最大の理由は、これが長編デビューとなるヴァネッサ・フィロ監督による演出だ。特に映像が素晴らしい。情感に頼ることなく、冷静な視点でマルレーヌやエリーの揺れ動く心情を描き出す。セリフは少ないが、アップを多用して、ほんのわずかな表情の変化を繊細に捉える。名匠ダルデンヌ兄弟の作品を思い起こさせるようなタッチの映像もある。

その映像が最大限に威力を発揮するのが後半だ。一人取り残されたエリーの心中は不安でいっぱいだ。それでも彼女は泣き叫ぶようなことはしない。時間の変化とともに千々に心が揺れ動く。そのわずかな変化を見逃すことなく、スクリーンに繊細に映し出していく。おかげでエリーの心情がリアルに伝わってきて、切ない気分になってくる。

エリーは学校では平静を装いながら母親の帰りを待つ。だが、マルレーヌは帰らない。そんな彼女の前に一人の男が現れる。海岸のトレーラーハウスに住む青年フリオだ。彼は暗い過去を抱えた孤独な男。エリーもまた孤独。互いに孤独を抱えた2人は共鳴し合うように心を通わせる。

エリーを家に帰らせようとするフリオに対して、エリーが何度も「1人になりたくない!」と叫ぶシーンがある。それまで抑えていた感情がすべて爆発したかのようで、痛切に胸に迫ってくる。それ以外にも、2人の交流には印象的なシーンがたくさんある。お互いに何度も感情がすれ違いながら、それでも2人は距離を縮めていく。エリーはフリオに父親にも似た感情を抱く。

南フランスの海辺の風景や、夜のライトに照らされた遊園地、エリーが見る夢を視覚化した映像など、幻想的な美しさに満ちた映像も、このドラマに独特の趣を与えている。

終盤は、エリーが学校で演じる劇を背景に、エリー、マルレーヌ、フリオが交錯し、衝撃的なエンディングになだれ込む。けっして安易な解決には至らないが、少なくともエリーの心情の帰結として、納得できるエンディングだった。そして、何よりも美しくて切ない結末である。

エリー役のエイリーヌ・アクソイ=エテックスが素晴らしい! 母親を慕い、絶望し、拒絶に至る心の変化をセリフ以外の部分で繊細に表現する。特にその瞳の変化が多くを物語る。無理して酒を口にし、ぬいぐるみを抱いて眠る。その多面的な表情を見事に演じていた。

これほど繊細に子供の心を表現した映画は、そうあるものではないだろう。有楽町スバル座の最後の洋画ロードショー作品が本作というのは、なかなかのセレクトだと思った。

 

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◆「マイ・エンジェル」(GUEULE D'ANGE)
(2018年 フランス)(上映時間1時間48分)
監督:ヴァネッサ・フィロ
出演:マリオン・コティヤール、エイリーヌ・アクソイ=エテックス、アルバン・ルノワールアメリ・ドール、ステファーヌ・リドー
有楽町スバル座ほかにて公開中。全国順次公開予定
ホームページ http://my-angel-movie.com/

「風をつかまえた少年」

「風をつかまえた少年」
新宿武蔵野館にて。2019年8月4日(日)午後2時35分より鑑賞(スクリーン1/A-8)。

~困難な中、独学で風力発電を実現させた少年の希望に満ちた実話

アフリカのマラウイという国を知っていますか?

恥ずかしながら「そう言われれば聞いたことがあるような……」程度の認識しかなかったのだが、アフリカ南東部に位置するマラウイは、かつて人口の2%しか電気を使うことができず、アフリカの最貧国の一つに数えられていたそうだ。

そのマラウイの村で、風力発電によって農地に水を引き、村の窮状を救った少年の実話を綴ったノンフィクションを映画化したのが、「風をつかまえた少年」(THE BOY WHO HARNESSED THE WIND)(2019年 イギリス・マラウイ)だ。

監督・脚本のキウェテル・イジョフォーは、アカデミー賞受賞作「それでも夜は明ける」(2013年)で自身もアカデミー主演男優賞にノミネートされた俳優。これが長編初監督作品で、本作でも主人公の少年の父親役で出演している。

2001年、アフリカの最貧国のひとつであるマラウイ。14歳のウィリアム(マクスウェル・シンバ)は、両親から新しい服を用意してもらい学校に通い始める。もちろん本人も両親も大喜びだった。

だが、その頃から村を不穏な影が覆い始める。元々干ばつと大雨を繰り返すような不安定な天候の中、農民たちは原始的な農法を続け、土地は次第に疲弊していた。そんな中、大干ばつが襲い村は飢饉に見舞われたのだ。

学費が払えなくなったウィリアムは学校を退学になってしまう。だが、あることから自力で電気が起こせるのではないかと考えたウィリアムは、どうしても勉強が続けたくて図書館に入り込む。そこで、『エネルギーの利用』という本に出会ったウィリアムは、風車で発電してポンプを動かし、地下水をくみ上げて畑に水を引くことを思いつく。

キウェテル・イジョフォー監督による脚本・演出はあくまでも正攻法だ。これといったヒネリもない。あまりにもスムーズに話が進むのもちょっと気になる。だが、それでもこの映画には確実にリアリティがある。それは現地のアフリカに根差してつくられているからだ。

雄大大自然、荒れ果てた農地、過酷で気まぐれな天候など、生のアフリカをとらえた映像が圧巻だ。葬儀の場面に登場する不可思議な民俗芸能なども、この物語が嘘偽りのない本物の出来事であることを強く印象付ける。そうした背景があるからこそ、ウィリアムや家族の言動に説得力が出てくる。

さらにイジョフォー監督は、アフリカの影の部分も描き出す。民主主義体制とはいえそれは脆弱なもので、権力者は村人たちの食糧不足を認めようとしない。それどころか窮状を訴える族長に暴行して瀕死の重傷を負わせる。

また、金が払えずに退学させられるウィリアムの姿を通して、教育制度の脆弱さもあぶりだす。どんなに向学心のある子供でも、貧しければ勉強が続けられない。まさに貧困の連鎖そのものだ。それはアフリカのみならず、いまだに世界各地に見られる現実である。

村を飢饉から救った少年の物語などと言えば、単純なヒーロー譚を思い浮かべるかもしれないが、けっしてそんな単純な物語ではないのである。

ウィリアムは努力を続け、風力発電機のミニ版ともいうべきモデルをつくり上げる。さらに本格的な発電機をつくるには父親の自転車を解体する必要があった。だが、父親はウィリアムの話を聞こうとせず、「そんなことより農業を手伝え!」と一喝する。

何しろいまだに祈りで雨を降らそうとするような村だ。ウィリアムの話を信じる者がいないのもうなずける。とはいえ、父親は息子が学校に行くのに理解を示す優しい父親だったはず。それが無理解な態度をとるのは、何よりも飢饉によって追いつめられたからに違いない。それほど過酷な状況だったのだ。

飢饉に際して村人同士で対立や略奪を繰り返し、人間性を失くし、多くの人々が亡くなり村を出ていく。そうした実情もイジョフォー監督はきちんと描き出す。

そして追い込まれたウィリアムの両親は対立するようになる。それでも、最後には母のウィリアムに対する信頼が、頑なだった父の心を溶かす。

いよいよ風力発電によって地下水が汲み上げられるシーンには素直に感動した。父とウィリアムが無言で見つめ合うシーンに、ますます心を熱くさせられた。そして実際の家族のその後をさりげなく告げて、映画はエンドロールに突入する。

演技経験がないというウィリアム役のマクスウェル・シンバの生き生きとした演技に加え、両親役のキウェテル・イジョフォーとアイサ・マイガの深みのある演技も印象深い。

少年の成長、家族の絆と葛藤、さらにはアフリカの社会問題まで織り込んで、最後は感動へ導く。驚きこそないものの、実に真っすぐで希望に満ちている。イジョフォー監督の強い思い入れが感じられる映画だった。

 

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◆「風をつかまえた少年」(THE BOY WHO HARNESSED THE WIND)
(2019年 イギリス・マラウイ)(上映時間1時間53分)
監督・脚本:キウェテル・イジョフォー
出演:マクスウェル・シンバ、キウェテル・イジョフォー、アイサ・マイガ、リリー・バンダ、レモハン・ツィパ、フィルベール・ファラケザ、ジョセフ・マーセル、ノーマ・ドゥメズウェニ
*ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほかにて公開中。全国順次公開予定
ホームページ https://longride.jp/kaze/

 

 

「存在のない子供たち」

「存在のない子供たち」
新宿武蔵野館にて。2019年7月29日(月)午後12時45分より鑑賞(スクリーン3/B-4)。

~苦難の果てに両親を訴えた少年。現在の社会の在りように対する強い異議申し立て

中東・レバノンは、複雑な中東情勢を反映して内戦をはじめ数々の苦難を経験してきた。そのレバノンを舞台に、貧困層や難民・移民の苦境を描き出したのが、2018年の第71回カンヌ国際映画祭で審査員賞とエキュメニカル審査員賞を受賞した「存在のない子供たち」(CAPHARNAUM)(2018年 レバノン・フランス)である。

監督のナディーン・ラバキーは、女優としても活躍し、2007年の長編デビュー作「キャラメル」で高い評価を受けたとのこと。本作でも、弁護士役として出演している。

映画の冒頭、裁判所に少年が連れてこられる。そこには彼の両親もいる。だが、雲行きが怪しい。彼らは原告と被告に立場が分かれている。「自分を産んだこと」を理由に少年が両親を告発したのである。

その少年の名はゼイン(ゼイン・アル・ラフィーア)。およそ12歳とみられるものの、両親が出生届を出さなかったため、正確な誕生日も年齢もわからずに書類上は存在すらしていなかった。ベイルートのスラム街に暮らす一家の生活は劣悪で、ゼインは学校に通うこともできずに、大家族を養うために働いていた。

そんなある日、ゼインがかわいがっていた妹が無理やり結婚させられてしまう。妹を連れて逃げ出そうとするものの失敗したゼインは、怒って家を飛び出してしまう。やがてゼインは赤ん坊を抱えたエチオピア人難民のラヒル(ティゲスト・アイロ)と出会い、彼女の赤ん坊を世話しながら一緒に暮らすことになるのだが……。

ラバキー監督は、全編、ドキュメンタリータッチの映像で主人公の少年ゼインを追う。それゆえ実に臨場感たっぷりに、リアルに、ゼインの置かれた苦境が伝わってくる。それは観ていて胸が潰れんばかりの惨状だ。取材に3年もかけたというだけに、フィクションとはいえ実際のレバノン社会のありようが反映されているのは間違いない。

ただし、やたらに悲惨さを煽り立てるわけではない。その困難さをはねのけて、前に進もうとするゼインのたくましさ、生命力の強さも同時に感じさせる。特に後半、ラヒルが逮捕されてしまい、赤ん坊と2人で取り残されてしまってからのゼインは、ひたすら生き延びようとあの手この手で前に進む。

ここで連想したのは、是枝裕和監督の「誰も知らない」(2004年)だ。母親から置き去りにされた兄が幼い妹や弟とともに必死で生き延びようと奮闘する姿から、単なる悲惨さを越えて彼らの生命力の強さを感じさせられたが、本作にもそれと共通するものがある。ゼインをはじめ子供たちに徹底的に寄り添うことで、彼らの生命力の強さがスクリーンのこちら側に伝わってくるのである。

リアルなばかりではなく、映画的な面白さを感じさせる場面もある。家を飛び出したゼインがラヒルと出会うのは、かなり古びた遊園地。そこにはスパイダーマンならぬゴキブリマンの老人が働いていたりする。そして、彼はトウモロコシ売りのおばあさんとともに、慣れないスーツ姿で、ラヒルの保証人に成りすまそうとするのだ。このあたりのちょっとぶっ飛んだユーモラスな場面が、シリアスなこのドラマの良いアクセントになっていたりもする。

流転の果てに妹の死を知り、復讐を果たそうとした末に捕らわれの身となったゼインは、両親を訴える挙に出る。それが冒頭の裁判だ。だが、そこで裁かれるのは両親ばかりではない。貧困の中、たくさんの子供を産む両親の行動は愚かかもしれないが、だとしてもそれを放置して不幸な子供を不幸なままにしておく政治や社会の在りようはどうなのか。それに対する強い疑問や批判も、この裁判を通して明確に提示される。

裁判でのゼインの痛烈な叫びが見る者の心を打つ。同時に、訴えられた両親の叫びもまた、貧困がもたらす負の連鎖を強烈に世に問う。

貧困ばかりではない。ラヒルはメイドとして働いていたものの、妊娠したことで追い出され、その瞬間に不法滞在者となってしまった。それによって彼女の赤ん坊もまた、ゼインと同様に「存在のない子供」になってしまったのである。貧困者に対するのと同様に、移民や難民に対しても政治や社会は手を差し伸べようとしない。そのことに対してもラバキー監督は強い疑問を呈している。

この物語に安易なハッピーエンドは似つかわしくない。なぜなら、ここに描かれているのはまさに世界の現状だからだ。

だが、それでもラバキー監督はほんのかすかな灯をともしてくれる。絶望的に思われたある親子の再会だ。そして、最後にはゼインの笑顔を映し出す。それが困難な中でも、きっと彼に新たな希望が訪れることを示唆する。同時に、本来は世界のすべての子供が、ああした笑顔を普通に見せるべきであり、そうした社会を実現することの重要性を示す。

この映画に登場する俳優たちは、いずれもプロの俳優ではない。主演のゼイン少年はシリアからの難民だし、ラヒルエチオピアの難民キャンプで幼少期を過ごし、レバノンで不法移民となった。ゼインの両親や妹などその他の人々も、ほぼ役柄と似た境遇の素人が起用されている。それもまた、この映画のリアルさ、切実さを高めているのである。

遠いレバノンの話と思うなかれ、貧困、移民・難民など世界共通のテーマが描かれている。何よりも子供たちの現状を告発し、彼らの幸せを願う視点は、今の日本とも無縁ではないだろう。

 

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◆「存在のない子供たち」(CAPHARNAUM)
(2018年 レバノン・フランス)(上映時間2時間5分)
監督:ナディーン・ラバキー
出演:ゼイン・アル・ラフィーア、ヨルダノス・シフェラウ、ボルワティフ・トレジャー・バンコレ、カウサル・アル・ハッダード、ファーディー・カーメル・ユーセフ、シドラ・イザーム、アラーア・シュシュニーヤ、ナディーン・ラバキー
シネスイッチ銀座ヒューマントラストシネマ渋谷新宿武蔵野館ほかにて全国公開中
ホームページ http://sonzai-movie.jp/