映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「朝が来る」

「朝が来る」
2020年10月23日(金)池袋シネマ・ロサにて。午前11時55分より鑑賞(シネマ・ロサ1/D-9)。

~養子縁組をめぐる養父母と実母、それぞれのリアルな人間ドラマ

先日の「スパイの妻 劇場版」の記事を、はてなブログツイッターで紹介して頂いたようで恐縮です。

 

そんな中、この間の土曜日の夜は渋谷LOFT9でのPANTA難波弘之GENETによるトーク&ライブへ。まさしくロックなイベントで、トークもライブも充実の内容で大満足。そして、その翌日の昼間はLINE CUBE SHIBUYAでの伊藤蘭コンサートへ。ソロ曲、キャンディーズの曲に加え、12月配信の新曲も聴けてこちらも大満足。

それにしても何だ?この無節操な音楽の趣味は。しかし、良いものはジャンルに関係なく良いのです。映画もジャンルにとらわれず観たいものです。

さて、今回取り上げる作品は、辻村深月の小説を河瀬直美監督が映画化した「朝が来る」(2020年 日本)。河瀬監督といえば、1997年にカンヌ国際映画祭新人監督賞を史上最年少で受賞した俊英で、受賞作の「萌の朱雀」をはじめ、「2つ目の窓」「殯(もがり)の森」など作家性の強い作品を発表してきた。その映像美やリアルな表現にはただ感服するしかないのだが、ワタクシのような凡人にはややついて行けない作品があったのも事実。

しかし、近年は2015年の「あん」、2017年の「光」など比較的入り込みやすい作品もコンスタントに撮っている印象がある。今回の「朝が来る」も才気が先走った感じではないし、観やすい映画といえるだろう。

養子縁組をめぐるドラマである。序盤で描かれるのは朝斗という男の子の幼稚園でのトラブル。朝斗は、栗原清和(井浦新)と佐都子(永作博美)夫婦の養子だった。それをきっかけに、養母と養子の親子関係にまつわる心理ドラマが始まるのかと思ったら、そうではなかった。そこからは過去の出来事が描かれる。

清和と佐都子の夫婦は、子供を持ちたいと思ったものの、清和が無精子症であることが判明。月に一度北海道に渡って不妊治療をするがうまくいかず、ついに子供を持つことを諦める。そんな時、たまたまつけたテレビで「特別養子縁組」という制度を取り上げた番組を見て、自分たちも養子を迎えようと考える。やがて2人は男の子を迎え入れ、朝斗と名付ける。それから6年後、朝斗は成長して幼稚園に通っていた。

本作の原作は未読だが、ミステリー小説のようだ。だが、この映画にミステリー的な魅力はあまりない。河瀬監督はヒューマンドラマの要素を前面に押し出し、人物の心の揺れ動きを映し出すことに注力している。アップを多用したり、手持ちカメラを使うなどして清和と佐都子の苦悩と幸福をリアルに映し出す。

このリアルさこそが河瀬監督の映画の特徴だ。そのため過去作ではプロの役者ではなく素人を使ったりもする。本作でも、栗原夫妻が見るテレビ番組や養子斡旋団体による説明会などのシーンでは、素人らしき人たち(養子縁組の当事者か?)を起用してドキュメンタリータッチでリアルさを生み出している。

また、過去の河瀬映画でもおなじみの、太陽光を巧みに使った美しい自然の風景も健在だ。それが懸命に生きる登場人物の姿とリンクする。つまり、本作では河瀬監督が自身の作家性を全開にするのではなく、抑制的かつ効果的に自らの持ち味を発揮しているのである。

ドラマの転機は、1本の電話によって訪れる。それまでも栗原家には無言電話が度々かかってきていたのだが、ある日、朝斗の産みの親である片倉ひかりを名乗る女性から、「子どもを返してほしい。それが駄目ならお金をください」という電話が入る。

動揺しつつも清和と佐都子は、その女性と会うことにする。2人は朝斗を引き取る際に、当時14歳だったひかりと会っていた。しかし、彼らの前に現れた若い女性は、その時のひかりと同一人物とは思えない人物だった。

そこから描かれるのは、朝斗の実母である片倉ひかりの人生だ。中学生のひかりは、同級生の男子と親しくなり妊娠してしまう。時期的に中絶することもできず、両親は彼女を広島の離島にある養子斡旋団体ベビーバトンに預ける。そこでひかりは、団体の代表の温かな心に触れ、同じ妊婦仲間と交流し、自分の居場所を見つける。そして出産、その後の苦難の日々……。

後半も相変わらずリアルな描写が続く。恋するひかりのときめきは、瑞々しい青春映画そのものだ。一方、突然の妊娠に戸惑い苦悩する彼女の心理は、痛々しいほどのリアルさだ。また、施設でのバーベキューの模様をドキュメンタリー風に描き出すあたりも、いかにも河瀬監督らしい演出。出産後のひかりの苦難も、観ていていたたまれなくなるほどである。

ミステリーとしてのポイントは、栗原夫妻の前に現れた女性がひかりかどうかにある。終盤にそれが明らかになるのだが、ネタバレになるから詳細は書かない。とはいえ、最後には2人の母の愛が交錯する美しいシーンが用意される。「これでもか!」という感動の押し売りがない分、余計にじわじわとこみあげてくるものがある。

終盤の展開はちょっと駆け足過ぎるように思えるし、ひかりの借金話にも違和感を持ったが、それでも辻村ワールドと河瀬ワールドが程よくブレンドされて見応えは十分。強いメッセージ性を持つ映画ではないが、養父母と実母の人生模様から様々なことを感じとれるはず。特別養子縁組制度についてはもちろん、家族や人生などについて、観客それぞれの思考を促す作品だと思う。

役者陣の素晴らしさも特筆ものだ。徹底的にリアルを追求する河瀬映画では、過剰な演技はご法度。とはいえ、永作博美井浦新蒔田彩珠浅田美代子ら主要なキャストは、いずれもかなりの演技力の持ち主。下手をすると、それが空回りしかねないのだが、今回は河瀬ワールドにアジャストした絶妙の演技を披露している。素人たちの中に入ってもまったく違和感のない演技なのは、河瀬監督の演出と役者の力量が相乗効果を発揮しているのだろう。

特に2017年の「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」から注目していた蒔田彩珠は、ひかりそのものになり切った演技で、その心根がしっかりと伝わってきた。これからどんな俳優になるか楽しみである。

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あら、光ってよく見えない…。なので、チラシをコピーしておきます。

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◆「朝が来る」
(2020年 日本)(上映時間2時間19分)
監督・脚本:河瀬直美
出演:永作博美井浦新蒔田彩珠浅田美代子、佐藤令旺、田中偉登、中島ひろ子、平原テツ、駒井蓮、片倉美咲、山下リオ、森田想、堀内正美山本浩司、三浦誠己、池津祥子若葉竜也青木崇高利重剛
*TOHOシネマズ日比谷ほかにて全国公開中
ホームページ http://asagakuru-movie.jp/

「ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ」

「ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ」
2020年10月22日(木)新宿シネマカリテにて。午後12時25分より鑑賞(スクリーン1/A-8)。

~黒人青年の友情&成長物語、サンフランシスコへの愛を込めつつ

5年ほど前に膝を骨折して手術した後、しばらく膝が曲がらなくなって普通の映画館に行けなくなった。そんな中、新宿シネマカリテの最前列の席に座ると膝が伸ばせるし、スクリーンとも適度に距離があって観やすいため、頻繁に足を運んだものだ。それ以来、シネマカリテでは極力最前列の席を選ぶようにしている。

この日も最前列の席を選択して観たのは、「ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ」(THE LAST BLACK MAN IN SAN FRANCISCO)(2019年 アメリカ)。気鋭の製作スタジオA24とブラッド・ピット率いる製作会社プランBが組んだ作品だ。本作の主演を務めたジミー・フェイルズの実体験をもとに、彼の幼なじみでこれが長編デビューとなるジョー・タルボット監督が撮った映画である。

タイトル通りに、アメリカ・サンフランシスコを舞台にしたドラマだ。主人公の黒人青年ジミー(ジミー・フェイルズ)は、介護の仕事をしながら親友のモント(ジョナサン・メジャース)の家に居候している。彼はフィルモア地区に建つビクトリアン様式の美しい家を偏愛していた。その挙句に、住人に無断でその家を修繕しているところを見つかり、追い返されてしまう。

いったいなぜ、ジミーはそんなことをしたのか。実はその家は“サンフランシスコで最初の黒人”と呼ばれた彼の祖父が建てたもので、かつて幼いジミーが家族と暮らしていた家だったのだ。ところが、彼の父は金に困って家を手放すことになり、今は白人夫婦が住んでいた。

そんな中、住人の白人夫婦が遺産争いに絡んで、家を手放すことになる。売りに出された家が一時的に空き家になると知ったジミーは、勝手に忍び込んで住み始めてしまう。そんなジミーをモントは必死に支えるのだが……。

本作で最も印象深いのは映像だ。冒頭で防護服姿で海岸付近の掃除をする人々の物々しい姿が映る。さらに、その前でスーツ姿の黒人の司祭が大演説をぶつ。そんなふうに一瞬ギョッとするような映像があちこちにある。街のバス停に突如として全裸のおっさんが出現したりもする。

そんなビックリ映像はともかく、サンフランシスコの街や人々をとらえた映像が秀逸だ。ジミーが乗るスケートボードを効果的に使ったり、スローモーションを多用するなどして、リアルで詩情漂う映像を生み出していく。もちろん、ジミーたちを映し出す映像も同様だ。ジミーやモント、その周囲の人々の心情がリアルに伝わってくる。

ストーリー展開はそれほど起伏があるわけではない。明確なテーマやメッセージをダイレクトに訴えるわけでもない。それでもこの映画からは様々なことが伝わってくる。

まずはサンフランシスコの街の変化だ。劇中でも話が出てくるが、かつてここには日系人が多く住んでいた。だが、第二次世界大戦の際に彼らは収容所に送られ、代わって黒人たちが街の中心部に住むようになった。しかし、近年は、IT企業やベンチャー企業の発展により、白人の富裕層が暮らす街となっている。ジミーが固執する家は、今では観光名所となっているが、それは他の場所が再開発で昔の景観を失ったからでもある。

こうしてジミーの父が家を失ったように、黒人たちは郊外へ追いやられてしまった。ジミーが元の家に執着するのは、幼い頃の幸せだった記憶が忘れられないのだろう。今の彼は父親との関係も悪く、母親とはずっと会っていないようだ(劇中でバッタリ再会する場面がある)。

郊外に追いやられた黒人たちの実態も描かれる。モントの家の前には、黒人青年たちがたむろして、悪態をついたりして過ごしている。その中には殺人事件で命を落とす青年もいる。

とはいえ、本作で最も心に残るのは、ジミーとモントの友情物語&ジミーの成長物語だろう。ひたすら昔の家に固執するジミーは、考えようによってはひどく面倒臭い男だ。だが、それでもモントは彼を突き放すことなく、温かく接する。ジミーも彼には心を許す。

そして、やがてジミーの成長を印象付ける出来事が起きる。ジミーのやっていることは不法行為であり、ハッピーエンドにはなり得ない。結局のところ家から叩き出されて終わるのだろうと予想したのだが、そうではなかった。

ジミーが重要だと考えている事実が真実ではなかったことを知ったモントは、ある場を用意して、ジミーにそれを伝える。ジミーに過去と決別し、新たな人生に踏み出すことを促そうとしたのだろう。それを受けてラストでジミーは舟を漕ぎだす。

鮮烈な映像をはじめ独特の魅力を持つ映画だ。黒人青年の友情と成長の物語を軸に、サンフランシスコの街の変化やマイノリティーの過酷な現実など様々な要素が描かれている。

特にサンフランシスコへの思いは格別だ。劇中では名曲「花のサンフランシスコ」が効果的に使われる。また最終盤ではバスに乗る女性たちがサンフランシスコの文句を言うのに対して、ジミーが「サンフランシスコを嫌いにならないで」と話すシーンがある。これこそ作り手の気持ちそのものだろう。どんなに変化しても故郷は故郷。本作はサンフランシスコへの愛が詰まったドラマなのだ。

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◆「ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ」(THE LAST BLACK MAN IN SAN FRANCISCO)
(2019年 アメリカ)(上映時間2時間)
監督:ジョー・タルボット
出演:ジミー・フェイルズ、ジョナサン・メジャース、ティチーナ・アーノルド、ロブ・モーガン、フィン・ウィットロック、ダニー・グローヴァーソーラ・バーチ
*新宿シネマカリテほかにて公開中
ホームページ http://phantom-film.com/lastblackman-movie/

「薬の神じゃない!」

「薬の神じゃない!」
2020年10月20日(火)新宿武蔵野館にて。午後2時40分より鑑賞(スクリーン1/A-9)。

~エンタメと社会派を行き来する中国版「ダラス・バイヤーズクラブ

日本のような国民皆保険制度がないアメリカでは、医療費の高さからまともな治療が受けられない人も多いと聞く。では、中国はどうなのか。

「薬の神じゃない!」(我不是薬神/DYING TO SURVIVE)(2018年 中国)は、2014年に起きた実際の事件を基にした作品。マシュー・マコノヒーアカデミー賞で主演男優賞を受賞した「ダラス・バイヤーズクラブ」の中国版といった内容である。

冒頭に流れるのはインド風の音楽。主人公のチョン・ヨン(シュー・ジェン)は、上海でインドから輸入した強壮剤を販売する店を営んでいた。だが、金欠で妻に逃げられ家賃も払えない有様。そんなある日、慢性骨髄性白血病の患者リュ・ショウイー(ワン・チュエンジュン)から、インドのジェネリック薬を仕入れて欲しいという相談を受ける。

リュはなぜそんな依頼をしたのか。実は中国国内で認可されている治療薬は非常に高額なもので、多くの患者には入手困難だったのだ。映画の序盤では、それに不満を持つ患者たちが製薬会社に押し掛ける場面も描かれる。

とはいえ、密輸は犯罪だ。チョンは最初は申し出を断る。だが、あまりの金欠状態から金に目がくらみ、ついにインドから薬を仕入れて密輸・販売に手を染めるようになる。

そこからドラマは、ビジネス(厳密には犯罪だが)&成り上がりドラマの様相を呈する。チョンがビジネスで成功してお金持ちになる様子が、中国に加えインドも舞台にして、テンポよくケレンたっぷりに描かれる。ユーモアも満載でエンタメ性は十分だ。

そこには友情物語もある。チョンは最初に仲間に引き入れたリュに加え、白血病の娘を持ち患者掲示板を運営するポールダンサー(タン・ジュオ)、中国語なまりの英語を操る牧師(ヤン・シンミン)、金髪で不良の白血病の少年(チャン・ユー)などを仲間に加え、彼らとの絆を深めていく。彼らはいずれもキャラが立っていて、それぞれに様々な事情を抱えている。

こうして密輸ビジネスで大成功したチョンたちだが、やがて転機が訪れる。彼らが売った薬を使った患者が体調を崩したというのだ。よく調べてみると、チョンたちが売った薬とは別の偽薬が売られているらしいことがわかる。

というわけで、中盤にはチョンたちがその現場に乗り込んで、大立ち回りを演じるド派手なシーンがある。もちろんそこではアクションが炸裂。高額な医薬品をめぐる社会派ドラマでありながら、あくまでもエンターティメントとして観客を楽しませようという作り手の意図が明確に見える。

だが、その大立ち回り以降、ドラマは大きく変化する。様々な出来事が起きて、チョンは薬の密輸&販売から手を引くことになる。仲間とも離れ、縫製工場の経営者に収まるチョン。ところが……。

後半は再びチョンが薬の密輸&販売ビジネスに手を染める様子が描かれる。だが、今度はお金のためではない。自責の念を出発点に、正義のために突き進むのだ。かつての仲間たちとも再び手を組み、採算度外視で薬を売るのである。

前半の明るく楽しいタッチとは一変して、後半はシリアスで時には重たいほどの描写が目立つようになる。庶民の目線から、患者たちがいかに悲惨な状況に追い込まれ、チョンたちが居ても立ってもいられずに動き出したことが、情感たっぷりに描かれる。

とはいえ、後半もエンタメ的な見せ場はある。チョンたちに目を付けた警察の捜査が活発化し、そこでスリリングで危険な場面が連発する。仲間たちの非業の死など劇的な展開も、次々に飛び出す。どこまで事実に即しているのかはわからないが、ドラマを盛り上げる点では大いに効果的だ。

ちなみに、チョンたちを追う警察の捜査の先頭に立つ刑事は、チョンの別れた妻の弟(ジョウ・イーウェイ)だ。彼は最初は意欲満々で捜査をするが、あることから苦悩するようになる。そのあたりのエピソードの描き方にもそつがない。

終盤は感動の波状攻撃が用意されている。詳細は伏せるが、チョンの乗る車の窓から見える光景が観客を感動の渦へと導いてくれる。そして、最後にはさりげなくも温かなシーンが登場し、本作を締めくくるテロップが流れる。

そこで何が告げられるのか。要するに、この出来事が契機になって中国で医療改革が行われ、今では白血病の薬も手に入りやすくなり、白血病の死者が大幅に減ったということなのだ。検閲のある中国で、劣悪な医療制度をテーマにした本作が無事に公開されたのも(おまけにかなりヒットしたらしい)、ここで描かれているのが改革前の過去の出来事だからだろう。

ついでに言えば、直接的な政府批判ではなく、あくまでも製薬会社を矢面に立たせているのも、検閲をパスするための作り手の工夫かもしれない。最近は、こんなふうに中国の作り手はかなりしたたかになっているように見える。

主演のシュー・ジェンは、温かみとおかしみが伝わる演技が魅力的。彼の周辺の人物たちも、いずれも存在感のある演技だった。

社会派要素と娯楽要素を見事に両立させるのは韓国映画の得意技だが、中国映画も負けず劣らずといった感じだ。エンタメと社会派を巧みに行き来する充実の映画である。

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◆「薬の神じゃない!」(我不是薬神/DYING TO SURVIVE)
(2018年 中国)(上映時間1時間57分)
監督・脚本:ウェン・ムーイエ
出演:シュー・ジェン、ジョウ・イーウェイ、ワン・チュエンジュン、タン・ジュオ、チャン・ユー、ヤン・シンミン
新宿武蔵野館ほかにて公開中
ホームページ http://www.kusurikami.com/

「スパイの妻 劇場版」

「スパイの妻 劇場版」
2020年10月16日(金)グランドシネマサンシャインにて。午後12時40分の回(シアター11/F-11)。

~不穏な時代を背景に今の時代を射抜く歴史サスペンス

「世界のクロサワ」といえば黒澤明ばかりではない。もう1人、黒沢清監督も「世界のクロサワ」として世界的評価が高い監督だ。2015年の「岸辺の旅」で第68回カンヌ国際映画祭の「ある視点」部門監督賞を受賞。そして、「スパイの妻 劇場版」で第77回ヴェネチア国際映画祭で銀獅子賞(監督賞)を受賞した。

さて、その「スパイの妻 劇場版」(2020年 日本)。なぜに「劇場版」と付いているかといえば、2020年6月にNHK BS8Kで放送されたドラマを、スクリーンサイズや色調を新たにして劇場公開したため。とはいえ8K映像だし、最初から映画化を考えていたのではないかと推測。チープさは微塵もありません。

黒沢監督にとって初の歴史もののドラマだ。1940年の神戸。映画は英国人商人がスパイの疑いをかけられて連行されるところから始まる。このドラマを取り巻く社会状況を端的に示す場面だ。

この時連行された商人は、友人の日本人の尽力により釈放される。それが貿易会社を営む福原優作(高橋一生)だ。彼は妻の聡子(蒼井優)とともに、立派な洋館に住み、使用人を抱えて優雅に暮らしていた。

ある日、優作は仕事で甥の竹下文雄(坂東龍汰)とともに満州へ渡る。やがて2人は帰国。その直後に、殺人事件が起きる。ある旅館の仲居が死体となって発見されたのだが、その旅館は福原夫妻もよく知っており、文雄が投宿していた。

そんな中、聡子の幼なじみでもある憲兵隊の津森泰治(東出昌大)は、殺された女性が優作たちに連れられて満州から帰国していたことを聡子に告げる。こうして夫に対する疑念が膨らんだ聡子は、優作を問い詰めるが、彼は何も語ろうとしなかった……。

というわけで、優作の抱えた秘密をめぐって夫婦の葛藤が展開されるかと思いきや、それは意外に早く判明してしまう。優作は満州で日本軍のおぞましい秘密を知り、正義感に突き動かされ、その事実を世界に公表しようと秘密裏に準備を進めていたのだ。聡子はそれを知り、優作と共闘して目的を果たそうとする。それこそが彼女の優作への愛の証だったのだ。

そんなわけで、映画の中盤でドラマ全体の構図はわかってしまうのだが、それでも面白さが失われることはない。その先も二転三転するストーリー展開、優作、聡子、泰治が絡み合う人間模様などでサスペンスとしての魅力がタップリ。いやいやサスペンスばかりではない。本作にはミステリー、恋愛ドラマ、活劇など様々な要素が散りばめられている。

この映画の脚本は、黒沢監督のほか、「寝ても覚めても」の濱口竜介と、濱口が「ハッピーアワー」で組んだ野原位が担当している。エンターティメントとして実に良く練られた脚本だ。セリフ回しがやや生硬なのも、本作にふさわしいものとして、あえてそうしたものだろう。また、ロケ地、美術、衣裳、美術など、すべてに半端ないこだわりが感じられ、本格派歴史ドラマとしても観応えがある。光と闇を強調した映像も素晴らしい。

だが、何よりも舌を巻くのは不穏な空気の漂わせ方だ。黒沢監督は過去の多くの作品で、ホラー映画的なタッチを持ち込み、不穏な空気を漂わせるのを得意としている。本作においても、聡子の見る夢のシーンをはじめ、ただものでない何かを感じさせるカットを随所に挿入し、不穏極まりない空気感を醸し出している。

黒沢監督の過去作では、その不穏さが得体の知れないものや、人間の底知れぬ闇に向けられることが多かったが今回は違う。本作でスクリーンを覆う不穏さは、戦争の足音が近づき、自由が奪われつつある当時の社会の空気そのものである。それを象徴する存在として描かれるのが憲兵の泰治だ。聡子に恋愛感情を持ちつつ、文雄に対して残虐な拷問を行い、優作と聡子を執拗につけ狙う。

そんな不穏な時代の空気の中で、優作と聡子の個人の物語を描くことで、時代の闇を鋭利にあぶりだす。その先にあるのは、やはり今の時代だろう。作り手の目は明らかに現代に向けられているのではないか。今の時代の不穏さも十分に意識して作られた作品だと思う。

とはいえ、基本はシンプルによくできたサスペンスである。冒頭近くでは、優作が趣味で作っている映画の撮影風景が登場する。聡子を女怪盗のヒロインに据えた映画だが、これがあとあとのストーリー展開でも効果的に使われる。また、優作と聡子が映画館で、山中貞夫監督(その後戦死した)の映画を観るシーンなども、実に心憎いシーンである。

そして、本作の凄みは最後に描かれる後日談からもうかがえる。夫婦の虚実の駆け引きの末にたどった聡子の戦争末期の運命を描き、戦争の過酷さや愚かさを見せつけ、さらにラストの意味深なテロップで良質のエンターティメントとしての余韻を残すのである。

蒼井優は聡子の心中の揺れ動きを繊細に表現する演技。序盤で、優作が留守の自宅に泰治を誘うあたりでは、「コイツ魔性の女か?」と思ったのだが、観ているうちにひたすら天真爛漫で真っ直ぐな女性であることが理解できた。そして、そんな彼女のラストシーンの美しく哀しい佇まいが、この映画で起きたことの重みを知らしめる。素晴らしい演技だった。

一方、その蒼井とは「ロマンスドール」に続いての夫婦役となる高橋一生だが、こちらも繊細な感情表現が見事。特に聡子との虚実の駆け引きの中で、本心がどこにあるのか悟らせないミステリアスな演技が印象に残った。

そして、東出昌大の嫌らしさ、陰湿さよ! この人、こういうヤバい役も似合うな。

過去の黒沢作品を観てきた人間にとっては過去作との比較などの楽しみもあるが、そうでない人にとっても様々な魅力を持った作品だろう。今の時代と共鳴する部分も多いだけに今観るべき映画だと思う。

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◆「スパイの妻 劇場版」
(2020年 日本)(上映時間1時間55分)
監督:黒沢清
出演:蒼井優高橋一生坂東龍汰恒松祐里みのすけ、玄理、東出昌大笹野高史
新宿ピカデリーほかにて全国公開中
ホームページ http://wos.bitters.co.jp/

「82年生まれ、キム・ジヨン」

「82年生まれ、キム・ジヨン
2020年10月15日(木)グランドシネマサンシャインにて。午後12時より鑑賞(シアター7/E-7)。

~女性の抱える生きづらさをリアルに、情感たっぷりに見せる。男性も必見

ここ数年、韓国の文学が日本で注目を集めているようだ。そのきっかけになったのが、チョ・ナムジュのベストセラー小説「82年生まれ、キム・ジヨン」。2016年に韓国で発表されて社会現象とも言える広がりを見せ、邦訳も2018年に筑摩書房から発売されてかなりのヒット作となった。

それを映画化したのが「82年生まれ、キム・ジヨン」(KIM JI-YOUNG: BORN 1982)(2019年 韓国)。監督は本作が長編デビューとなる新鋭の女性監督キム・ドヨン。

ちなみに、ワタクシ、原作は読んでいません。スイマセン。なので、ほとんど予備知識なしに鑑賞した次第。

生きづらさを抱えた女性のドラマである。タイトル通りに1982年生まれのキム・ジヨン(チョン・ユミ)が主人公。結婚を機に仕事を辞め、育児と家事に追われるジヨンは、時に閉じ込められているような感覚に襲われるようになる。そんな中、まるで他人が憑依したかのような言動をとるようになる。ジヨンにその時の記憶はなく、心配した夫のデヒョン(コン・ユ)は、精神科医に相談に行くのだが……。

本作で描かれるのはジヨンの苦難だけではない。それ以外にも彼女の周辺の様々な女性たちの生きづらさが描かれている。そのため現在進行形のドラマの合間には、過去の出来事が挟まれる。ジヨンの幼少期、少女時代、バリバリのキャリアウーマン時代、結婚間もない頃などである。

そこから見えるのは女性に対する理不尽な差別だ。生まれついてジヨンはずっと女性差別にさらされてきた。いや、彼女だけではない。周囲の女性たちも含めて、あらゆる場面で「女性はこうあるべきだ」という周囲の声に直面してきた。

冒頭近くで夫の実家に帰省した際に義母がジヨンに言う。「子供は母親が育てるものだ」。あるいはかつて就職が決まらずに嘆くジヨンに対して父は言う。「ずっと家にいて嫁に行けばいい」。同じく父は変な男に狙われた少女時代のジヨンに対してこう言う。「お前に隙があるからだ。短いスカートをはくな」。

そうした発言は、けっして悪気があってのものではない。当人たちはそれが当たり前だと思っているのだ。このドラマに悪人はほとんど登場しない。描かれる差別は特定の個人によるものというよりも、社会が引き起こしたものとして描かれる。だからこそ、それは根深いものであり、あらゆる時代に共通するものとして捉えられる。もちろん今の時代にも確実に続いているのである。

個人的に最も印象深かったのが、ジヨンが広告会社で働いていた時のエピソードだ。そこでは結婚して子供のいる女性チーム長が活躍していた。彼女は差別的言動を弄する周囲の男性をユーモアでかわし、一歩も引けを取らなかった。だが、そんな彼女はジヨンを昇進させなかった。女性は結婚して、出産してキャリアが中断されるからというのがその理由だ。自らがそれを経験したからこそ、後輩に同じ道を歩ませたくなかったのだろう。こうして男性のみならず、女性も心ならずも加担してしまう事実が、女性差別の根深さを物語っている。

本作のテーマは明確であり、強いメッセージが発せられている。だが、けっして説教臭いドラマではない。数々の女性差別に関する逸話を通してその深刻さが突きつけられるのと同時に、ジヨンの人間ドラマがリアルに、そして情感たっぷりに描かれる。

今もジヨンは母として、妻として、「こうあるべきだ」という周囲の声に翻弄されている。夫の家族に気を使い、自分はいつも二の次だ。夫のデヒョンは優しくて思いやりがある男性だが、それでも彼女の苦しみになかなか寄り添えない。

そんな中、転機が訪れる。かねてから仕事を再開したいと思っていたジヨンは、かつての上司のチーム長が起業すると聞き、その元で再び働くことにする。だが、それを知った義母は不満を持つ。夫のデヒョンは表面的には協力的だが、何か引っかかるものがあるらしい。そして、子供を見てもらうベビーシッターも見つからない。

というわけで、またしても困難に直面したジヨンがどうなるのかは伏せるが、どうやら本作の結末は原作とは異なるものらしい。簡単に言えば、ジヨンの再出発と夫婦の絆を確認して、希望の火を灯してドラマが終わる。そこでは、子供の頃にジヨンが憧れていたある職業が、再出発の重要なアイテムとして巧みに使われる。

原作を読んだ人には賛否ある結末かもしれないが、個人的にはこうしたメッセージ性の強い社会派の映画でも、エンターティメントとして観客を感動させ、温かな余韻を残す韓国映画らしいサービス精神に好感が持てた。

主演のチョン・ユミは、その心の内がダイレクトに伝わる素晴らしい演技。時として見せる虚ろな表情が、ジヨンの迷いの深さを示していて胸が締め付けられた。第56回大鐘賞映画祭で「パラサイト 半地下の家族」のチョ・ヨジョンを抑え主演女優賞を受賞したのも納得。

また、夫役のコン・ユはあの笑顔が最大の魅力。どんなにすれ違いがあっても、根底のところでジヨンとの絆を保っていることが伝わり、この過酷なドラマの救いとなっている。ちなみに、チョン・ユミとコン・ユは「トガニ 幼き瞳の告発」「新感染 ファイナル・エクスプレス」に続く3度目の共演で、今回が初の夫婦役。

さらに、ジヨンの母役のキム・ミギョンの演技も見逃せない。ジヨンにつまらないことを言う夫を一喝し、ジヨンの病気を知って抱きしめて涙を流す。存在感十分の演技だ。

おそらく多くの女性が共感するであろう本作だが、男性も観るべき作品だろう。ここで描かれている女性の生きづらさは、男性にとっても無縁ではない。ジヨンの夫デヒョンが妻の苦しみを知り、変化していく姿に自身を投影する男性も多いはずだ。

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◆「82年生まれ、キム・ジヨン」(KIM JI-YOUNG: BORN 1982)
(2019年 韓国)(上映時間1時間58分)
監督:キム・ドヨン
出演:チョン・ユミ、コン・ユ、キム・ミギョン、コン・ミンチョン、キム・ソンチョル、イ・オル、イ・ボンリョン
丸の内ピカデリーほかにて公開中
ホームページ http://klockworx-asia.com/kimjiyoung1982/

「オン・ザ・ロック」

オン・ザ・ロック
2020年10月14日(水)新宿武蔵野館にて。午後12時5分より鑑賞(スクリーン1/A-8)。

ソフィア・コッポラによる都会派コメディー。ビル・マーレイが秀逸

パンケーキおじさんは独裁者なのか!?日本学術会議の問題、中曽根元総理の合同葬の問題と、何やら日本が変な方向に行きつつあることを感じる昨今。今回は権力をガツーンと叩く映画を……と思ったのですが、スイマセン、都会派のオシャレなコメディー映画です。

時間の経過とともに人間関係も変化する。それは夫婦の関係も同じなのだろう。一度も結婚した経験がないのであまり実感はないのだが。

ソフィア・コッポラ監督が、気鋭の映画スタジオA24、そしてApple Original Filmsとタッグを組んだ「オン・ザ・ロック」(ON THE ROCKS)(2020年 アメリカ)は、曲がり角を迎えた夫婦を描いたドラマである。本来はApple TV+で配信される作品だが、それに先駆けて劇場での公開も実現したとのこと。公開規模が小さいのはそのせい?

映画の冒頭に登場する一組の夫婦。妻のローラ(ラシダ・ジョーンズ)と夫のディーン(マーロン・ウェイアンズ)。結婚式直後に、ウエディングドレスを床に脱ぎ捨てて、ディーンのいるプールにダイブするローラ。2人の初々しく幸せいっぱいの姿が描かれる。

続いて映るのは、それから時が過ぎて2人の幼い娘と暮らすローラとディーン。一見、幸せそうだが、ローラはかなりのストレスを抱えている模様。そして、ふとしたことから夫と同僚の不倫を疑い始めるのだ。

結婚、出産、育児などを経て背負うものは増えていくけれど、同時に自分がどんどん希薄な存在になっていくような気がしてくる。そんな女性の不安感がローラの疑惑の背景にはある。このテーマは、シャーリーズ・セロン主演の「タリーと私の秘密の時間」(2018年)などとも共通するものだろう。

だが、本作はそれとはずいぶんタッチが違う。何しろローラが相談を持ちかけたのが、父のフェリックス(ビル・マーレイ)なのだ。この人、とにかくお茶目でユニークな発言を繰り返す。奇想天外な言動でローラを振り回す強烈キャラだが、それでもどこか憎めない。その様子を見ているだけで無条件に笑えてしまうのである。

ロスト・イン・トランスレーション」などでコッポラ監督と何度もタッグを組んできたビル・マーレイは、登場しただけでおかしみが伝わる演技。あまり表情を変えずにとんでもない言動を繰り返し、後半では伸びやかな歌声も披露する。本作はこの人がいればこその映画。物語的にはローラが主役ということになるのだろうが、コメディー映画としては彼なしには成立し得ない。

フェリックスはローラに対して「ディーンが不倫しているのは間違いない。ちゃんと調査すべきだ」とそそのかす。実は画商の彼は名うてのプレイボーイ。今も女性に出会うたびに声をかけている。それだけに男女の問題に精通しており、ローラも完全に無視することができないのだ。

そんなわけで、ローラは父とともに夫の浮気調査をするハメになる。その過程で、舞台となるニューヨークの様々な場所を移動する展開が楽しい。ニューヨークを舞台にしたコメディー映画といえば、ウディ・アレンの作品群を想起するが、あちらもニューヨークの各所が登場して観客を楽しませる。それと共通する要素も感じさせる作品だ。

父と娘による浮気調査のハイライトが中盤に訪れる。同僚たちと遊びに行くディーンを尾行しようというのだが、それまで運転手に運転を任せていたフェリックスが、真っ赤なオープンカーを自ら運転して登場。車にはキャビアやお酒も用意して……て、ピクニックかよ!双眼鏡を手に楽し気にディーンを偵察するフェリックスのハジケっぷりに、思わず爆笑だ。

何だよ、このオヤジ。単に面白がっているだけじゃないのか?と思わないでもないが、それでもチラリチラリと娘への思いは伝わってくる。特に父と娘の絆を口笛を使って表現するあたりの巧みな仕掛けには感心させられた。

そしてフェリックス、強引ではあるもののやるべきことは何が何でもやるのだ。ディーンが多忙でローラの誕生日を祝えないというのを尻目に、ベビーシッターを調達させて無理やりローラを夜の街に引っ張り出してお祝いをする。それも素敵なプレゼントとともに。夫が不在の誕生日を迎えたローラの心の隙間を、フェリックスが見事に埋めてくれるのだ。

終盤には大きな出来事が起きる。なんと父と娘の浮気調査はディーンの出張先のメキシコへと向かう。そこで決定的な証拠をつかもうというのである。

そこで何が起きるかは伏せるが、実はこの旅行、単なる浮気調査ではなく、フェリックスにはある意図が存在していたことが明らかになる。そこで、いったん父娘のわだかまりが露わになるのだが、そのまま破滅的な展開に向かうことはない。

ラストは新たな父娘関係を示唆するとともに、ローラの家族についても明るい希望を灯す(そこで父からのプレゼントとは別の時計を登場させるのが憎い!)。こうしてホッコリと温かな余韻を残してドラマが終わる。

考えてみたら、意図したものかどうかはともかく、フェリックスのお騒がせの言動のおかげでローラは再出発ができたわけで、そういう意味でなかなかに頼もしい父ちゃんといえるのではないか。

いかにもコッポラ監督らしく、オシャレでセンスの良い映像が次々に飛び出してくる本作。現実の生活はあんなものではない、綺麗ごとだなどという批判もあるかもしれないが、それを言っちゃあ、おしまいでしょ。あの「マリー・アントワネット」だって、おしゃれでポップな映画にしちゃった人なんだから。

クスクス笑って、最後にホッコリ温かくなれる。コメディー映画としてはなかなかの作品だと思う。

さらに言えば、「ヴァージン・スーサイズ」以来、少女の物語を描くことが多かったコッポラ監督が、自身の経験も交えつつ成長した彼女たちのドラマを描いた点でも、興味深い作品といえそうだ。

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◆「オン・ザ・ロック」(ON THE ROCKS)
(2020年 アメリカ)(上映時間1時間37分)
監督・脚本・製作:ソフィア・コッポラ
出演:ビル・マーレイラシダ・ジョーンズマーロン・ウェイアンズジェシカ・ヘンウィック、ジェニー・スレイト
新宿武蔵野館ほかにて公開中
ホームページ http://ontherocks-movie.com/

「望み」

「望み」
2020年10月10日(土)ユナイテッド・シネマとしまえんにて。午前11時10分より鑑賞(スクリーン9/F-11)。

~息子は加害者か被害者か、生きているのか死んでいるのか、揺れ動く家族の心情

コロナ禍で公開を見合わせていた作品が、少しずつ動き出したのだろうか。このところ、日本映画の注目作品が結構なペースで公開されているようだ。

「望み」(2020年 日本)は、過去にも「犯人に次ぐ」「検察側の罪人」などが映画化されている雫井脩介の小説の映画化。監督は「人魚の眠る家」などの堤幸彦、そして脚本は「八日目の蝉」などの奥寺佐渡子。

サッカーの練習風景からドラマが始まる。そこで一人の高校生が倒されて膝をケガする。

続いて「望み」のメインタイトルのあとに、街の俯瞰が映る。その焦点が次第に一軒の家に当てられる。同時に、その家に住む一家の家族写真らしきものが何枚か映される。

その家こそが、このドラマの主人公一家の家だ。主である一級建築士の石川一登(堤真一)が、新築を計画する顧客の参考にその自宅を案内する。これがまあ、外見といい内部といい、見事な高級住宅なのだ。おしゃれで広々としていて、こんな家に一度でいいから住んでみたいぞ!

家には校正者の妻・貴代美(石田ゆり子)と、高校生の息子・規士(岡田健史)、中学生の娘・雅(清原果耶)がいる。こんな家に住むのだから、さぞや幸せな家族かと思いきや、まもなく不穏な空気が流れ出す。

規士は冒頭でケガをした高校生。そのためサッカー部を辞めてしまった。最近はどうやらよからぬ仲間と遊んでいるらしく、無断外泊することもあるらしい。

そんな中、事件が起きる。ある日、規士が家を出たきり帰ってこなくなったのだ。まもなく、規士の同級生が殺害されたニュースが流れる。警察によると、規士が事件に関与している可能性があるという。

殺人事件をめぐるドラマではあるものの、謎解きの魅力はほぼゼロといってもいい。では何を描くのか。ズバリ、家族の苦悩と葛藤である。主な舞台を家の中に絞り、一登、貴代美、そして雅の心情をリアルかつ重厚に映し出すのだ。

自分の子供が何らかの事件に関わった可能性があるというだけで、たいていの家族なら普通ではいられないだろう。しかも、このドラマでは、そこにさらなる苦悩と葛藤の要素をぶち込んでくるのである。

当初、この事件で行方不明となっているのは2人で、彼らが犯行を行ったと考えられていた。規士はそのうちの1人、つまり加害者の1人ではないかと思われていたのだ。ところが、その後、行方不明者は3人いて、そのうちの1人はすでに殺されているのではないかという噂が広まる。

こうして、規士がどのような形で事件に関わっているか判然としなくなる。父の一登は、絶対に規士は加害者ではないと考える。だが、同時にそれは彼が殺されているかもしれないということだ。それに対して母の貴代美は、とにかく規士が生きていてくれればよいと考える。たとえ加害者であったとしても……。

規士は加害者なのか、被害者なのか。生きているのか、死んでいるのか。それに関して、夫婦はそれぞれの苦悩と葛藤を深め、お互いの考えの違いが露わになる。どちらに転んでも悲しい結末であり、それゆえ彼らの苦悩はますます深まる。その2人の間で、高校受験を控えた雅もまた心を激しくかき乱される。

堤監督は、そうした家族の混乱の様子をストレートに描いていく。安易な救いや希望などは描かない。それどころか、マスコミや近隣住民、一登の仕事関係者、さらにはSNSや見知らぬ人々からの激しいバッシングなども描き、家族をどんどん追い詰めていく。とにかく重苦しい。息苦しくなるほどつらい。家族の誰の考えも正解とも不正解とも言えない。だから、なおさら苦しくなるのだ。まるで自分も当事者たちの中に放り込まれたように。

俳優たちの演技もそれに一役買っている。一登を演じた堤真一はまるで舞台劇のようなセリフ回しや演技で、父の心情をダイレクトに伝える。貴美子役の石田ゆり子も、それに負けない迫力で感情を表現する。特に終盤に進むにつれて母性を全開にした演技が圧巻。雅を演じた若手の清原果耶の演技も見応えがある。

というわけで、本作は家族の心情を感じる映画といえるだろう。ジャンル的に言えばサスペンスということになるのだろうが、事件そのものの真相追及を期待してはいけない。

とはいえ、もう少し事件の経緯が織り込まれてもよかったかも。その全容はラスト近くで刑事がまとめて説明するのだが、ドラマの途中でも捜査の進展や意外な事実の判明などを見せてメリハリをつけてもよかったのではないかと、個人的には思うのだった。

さらに言えば、マスコミや警察の描き方などがステレオタイプなのも気になった。まあ、この手のドラマにはよくあることなのだが。貴美子に接近する雑誌記者の存在なども、それほど効果的に使われているようには思えなかった。

事件の真相や規士の消息については書かないが、ラストはしみじみとした感動が伝わるはず。家族の苦悩と葛藤を「これでもか!」と見せつけられて重くなった心も、最後には違った余韻に変わるのではないだろうか。

堤監督といえば、昔はケレンたっぷりのエンタメ映画がお得意で、「明日の記憶」のような感動作もエンタメ的な盛り上げ方が激しくて、個人的には鼻についたりしたのだが、最近は「人魚の眠る家」のように、人間の心理をじっくり描くことが多いように思える。本作もそうした傾向が顕著で、それだけに役者の演技ともども見応えがあった。

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◆「望み」
(2020年 日本)(上映時間1時間48分)
監督:堤幸彦
出演:堤真一石田ゆり子、岡田健史、清原果耶、三浦貴大、早織、西尾まり、平原テツ、渡辺哲、加藤雅也市毛良枝松田翔太竜雷太
*TOHOシネマズ日比谷ほかにて全国公開中
ホームページ https://nozomi-movie.jp/