映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「すばらしき世界」

「すばらしき世界」
2021年2月11日(木)ユナイテッド・シネマとしまえんにて。午後12時10分より鑑賞(スクリーン5/G-15)

~社会に適合しようとする元殺人犯の苦難と温かな善意

西川美和監督は、「ゆれる」「ディア・ドクター」「永い言い訳」「夢売るふたり」など、過去作がすべてオリジナル脚本という今どき珍しい監督。しかし、今回は初めて原作モノの作品を撮った。直木賞作家・佐木隆三の小説「身分帳」を原案にした「すばらしき世界」である。

殺人を犯し13年の刑期を終えた三上正夫(役所広司)が、旭川刑務所を出所する。二度と刑務所に戻らないと誓った彼は上京し、身元引受人となった弁護士の庄司(橋爪功)とその妻・敦子(梶芽衣子)に温かく迎えられる。やがて三上は生活保護を申請し、下町でアパート暮らしを始める。

一方、小説家への転身を目指していたTVディレクター津乃田(仲野太賀)のもとに、やり手のTVプロデューサー吉澤(長澤まさみ)から、三上の密着ドキュメンタリー番組制作の話が持ち込まれる。さっそく津乃田は三上への取材を開始するのだが……。

原案の小説のタイトル「身分帳」とは、受刑者の経歴を詳細に記した刑務所の個人台帳。三上は幼少期に離別した母との再会を願い、その資料にと身分帳の写しを吉澤に託したのだ。

三上は根っからのワルではない。不幸な生い立ちからヤクザ組織に関わったものの、涙もろく感激屋で、困っている人がいると見過ごせない正義感の持ち主だ。いわば「フーテンの寅さん」なのである。

だが、その反面、直情径行で、怒りを制御できない。いったん暴力をふるうとストッパーが効かずに、とことん相手を痛めつける。残念なことに、この寅さんは暴力寅さんなのだ。それゆえ人生の大半を刑務所で過ごしてきたのである。

そんな三上が社会に適合しようとする。だが、世間は冷たい。いくら三上が更生しようとしても、数々の障壁が立ちはだかる。三上は悪戦苦闘する。このあたりは、藤井道人監督の「ヤクザと家族」でも描かれた光景だ。

ただし、この映画では世間は冷たいばかりではない。むしろ三上を応援する人々が多数登場する。弁護士の庄司夫妻、スーパーの店長(六角精児)、そしてケースワーカー北村有起哉)らである。彼らはみな善人だ。三上のやり直しを親身になってサポートする。三上はその温かさを実感しつつ、なかなか自立できないふがいなさに、なおさら絶望するのである。

一方、TVディレクターの津乃田は、最初は前科者として恐る恐る三上と接する。無軌道な暴力場面に遭遇して戸惑ったりもする。だが、同時に心根の優しさに触れて次第に距離を縮めていく。後半になると、仕事抜きで彼に寄り添うようになる。その思いはちょうど観客の心情とも共通するものだろう。その点で、この映画における津乃田の役割はとても大きいと思う。

この映画にはユーモアもある。長年刑務所に入っていた三上と世間の常識とのずれをネタにした笑いなどが、そこかしこに散りばめられている。シリアスで重たいテーマを持つ映画だが、フットワークは実に軽い。

中盤、絶望した三上は九州にいる昔の仲間に連絡を入れる。そこで映し出される東京の夜景とムーディーなジャズが印象的だ。三上は九州に飛ぶがヤクザの世界も変わってしまったことを知り、再び東京に戻る。

東京に戻った三上は、津乃田の尽力で、母の消息を知るために幼い頃を過ごした養護施設を訪ねる。

その後、ケースワーカーの紹介で三上は介護現場に職を得る。ついに社会への第一歩を踏み出したのだ。だが……。

最後の場面での津乃田の慟哭が胸を刺す。何とも言えない余韻を残してドラマは終わる。美しい花に手を触れた瞬間、三上は何を思ったのだろうか。

繊細な描写に定評がある西川監督だが、今回も三上の心情を細やかに描き出す。しかし、奇をてらった演出は何もない。それは主演が役所広司であることを十分に意識したものだろう。

昔気質の愚直さを持つ男を懐の深い演技で表現している。優しい姿と、底知れぬ恐ろしさを感じさせる姿を両立させ、時には滑稽さも見せる。これほど多面性ある人物を違和感なく演じるのだから、さすがである。そのあまりにリアルな演技に、向こうの曲がり角から、三上が今にもひょっこり顔を出しそうな気がする。

仲野太賀もいい演技をしている。特に後半で三上に寄り添う姿が印象深い。六角精児、北村有起哉らの脇役陣も存在感十分だ。梶芽衣子は久々に歌声も披露しているが、「怨み節」ではない。

まっとうに生きることの難しさや、前科者に冷たい今の社会の問題点を鋭くえぐった映画である。同時に社会から外れた者に、温かな手を差し伸べる人がいることも描かれる。それらをひっくるめて、「すばらしき世界」というタイトルが持つ意味の重さを感じずにはいられなかった。

 

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◆「すばらしき世界」
(2020年 日本)(上映時間2時間6分)
監督・脚本:西川美和
出演:役所広司、仲野太賀、六角精児、北村有起哉、白竜、キムラ緑子長澤まさみ、安田成美、梶芽衣子橋爪功
丸の内ピカデリーほかにて全国公開中
ホームページ https://wwws.warnerbros.co.jp/subarashikisekai/

「哀愁しんでれら」

「哀愁しんでれら」
2021年2月10日(水)グランドシネマサンシャインにて。午前11時25分(スクリーン11/F-12)

どん底コメディーからキラキラのシンデレラストーリー、最後はサイコホラーに

TSUTAYA CREATORS' PROGRAM FILMは新人クリエイター発掘のコンクール。これまでに『嘘を愛する女』『ブルーアワーにぶっ飛ばす』などが映画化されている。

その「TSUTAYA CREATORS' PROGRAM FILM 2016」でグランプリに輝いた企画をもとに、渡部亮平監督がオリジナル脚本で映画化したのが「哀愁しんでれら」だ。渡部監督は8年前に撮った自主映画「かしこい狗は、吠えずに笑う」の評価が高く、これが商業映画デビューとなる。

児童相談所に勤める小春(土屋太鳳)は、子供の頃に母が家を出た哀しい過去を持つ。それでも祖父と父(石橋凌)、妹(山田杏奈)とともに、自転車屋を営む実家で平穏な日々を送っていたが、ある夜、祖父が倒れ、そのどさくさの中で自宅が家事になる。さらに、彼氏の浮気が発覚して一晩ですべてを失ってしまう。そんな時、踏切で泥酔していた開業医の大悟(田中圭)を助ける。やがて、8歳の娘ヒカリ(COCO)を男手ひとつで育てている彼の優しさに触れ、プロポーズを受け入れる。こうして人生のどん底から一転、理想的な結婚を果たす小春だったが……。

序盤は不幸のどん底に突き落とされるヒロインを描く。一夜にして押し寄せる不幸。現実にはあり得ない話だが、そんなことは承知の上だろう。

特徴的なのは悲惨な話にもかかわらず、そこはかとないユーモアが込められている点だ。祖父が倒れて車で運ぶ途中、酔っ払いが飛び出してくる場面がある。おかげで車は事故を起こしてしまう。父は怒る。「酔っ払いが!」。だが、次の瞬間に気づく。「あ、俺も酔っ払いだ」。父はビールを飲んでいたのだ。

中盤はシンデレラストーリーに突き進む。大悟と出会った小春が理想的な結婚へと踏み出す。そこでもユーモアは健在だ。ラブコメ風の展開で、小春の心のトキメキを映し出す。

何しろ大悟がこれ以上ないほど良い人なのだ。優しくて、しかも裕福で、まるで王子様である。父の就職の世話(葬儀屋)をしただけでなく、妹の家庭教師も引き受ける。これなら、小春ならずとも惚れてしまいますがな。

映画の冒頭で「女の子は将来幸せになれるかどうか不安だ」という主旨のモノローグがある。大悟はまさにその不安を消してくれる存在のはずだった。

そして娘のヒカリが、これまた良い子なのである。素直で、明るくて、すぐに小春に懐く。母の愛を知らない小春も、これならばヒカリの母親になれるはずだった。

結婚当初は幸せそのものだった小春。だが、次第に大悟とヒカリの別の顔が見えてくる。大悟は絵が趣味で家族の肖像画を描いていた。同時に自分の肖像画を何年にもわたって描き続けている。それが何とも不気味なのだ。しかも、彼は幼い頃に勝っていたウサギを剝製にして可愛がる気味の悪い趣味を持っていたのである。

もっとすごいのがヒカリだ。彼女は虚言癖がひどく、学校に毎日弁当を持たせているのに、「お弁当を作ってくれない」と先生に嘘をつくのである。彼女が「盗まれた」と主張した千春が作ったペンシルケースも、トイレに捨てられていた。そして、彼女は同級生の死にも関わっているらしかった。

というわけで不穏で不気味な空気の中、小春はどんどん追い詰められていく。幸せを追い求めた結果、常軌を逸していくのである。ついには五円玉入りのおにぎりで、ヒカリに対して反撃の虚に出るのだ!

まあ、その後は二転三転するのだが、そのさなかにも何やら笑っちゃうシーンがある。たとえば銀粉蝶扮する大悟の母が、息子との確執を語る場面。彼女はなぜかハンバーガーを貪り食うのだ。こんなふうに、怖ろしさと笑いが奇妙な同居をする。

そして、終盤にはさらに怖ろしい展開が待っている。学校で、集団で、あんなことを……。ギャーッ!!

おぞましいといえば、これほどおぞましいことはないだろう。ここまでおぞましいと、もはや笑ってしまうしかない。これはサイコホラーならぬ、ホラーコメディーなのか。劇場で笑い声を押し殺すのに苦労したのはワシだけか?

コメディー調の不幸のどん底から、キラキラのラブコメ風シンデレラストーリーへ、そして最後はサイコホラーへ。この手の転調は外国映画ではしばしば見られるものの、日本映画には珍しい気がする。

探せば粗はいくつもある。千春の結婚指輪はどこに消えたのか、とか。強引な展開も目につくし(特に後半)、千春の変化する心情も描写不足のところがある。しかし、まあ、商業映画デビュー作にして、これだけの映画を撮れば上出来だろう。渡部亮平監督の今後が楽しみである。。

土屋太鳳の追い詰められて狂気に走る姿は真に迫っていた。田中圭の良い人キャラからの豹変ぶりも特筆ものだ。

しかし、この映画で一番すごいのはヒカリを演じたCOCOではなかろうか。最初の「本当にかわいい子ねぇ~」という姿が、「な、何だこの子は!?」に変化する。天使と悪魔とはこのことだ。特に小春をあざけるシーンは圧巻。こんな小さなうちからこんな演技を見せるとは、将来が心配、いや楽しみですな。

 

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◆「哀愁しんでれら」
(2021年 日本)(上映時間1時間54分)
監督・脚本:渡部亮平
出演:土屋太鳳、田中圭、COCO、山田杏奈、ティーチャ、安藤輪子、金澤美穂中村靖日正名僕蔵銀粉蝶石橋凌
*TOHOシネマズ日比谷ほかにて全国公開中
ホームページ https://aishu-cinderella.com/

「天国にちがいない」

「天国にちがいない」
2021年2月5日(金)新宿武蔵野館にて。午後1時25分より鑑賞(スクリーン2/A-5)

~シニカルでシュールな笑いに込めた今の世界

エリア・スレイマン監督はイスラエルに住むパレスチナ人の監督。カンヌ映画祭審査員賞を受賞した「D.I.」などで知られている。そのスレイマン監督の10年ぶりの新作が「天国にちがいない」である。

自身が扮するスレイマン監督が主人公だ。イスラエルのナザレで、庭を見下ろすと、レモンの木から果実をもぎ取っている男がいる。その男はこう言う。「隣人よ、泥棒とは思うな。ドアはノックした。誰も出てこなかったのだ」。

はたして、これは何を意味しているのか。パレスチナの土地に入って、我が物顔で振る舞う隣国を体現しているのだろうか。スレイマン監督が「本作は世界をパレスチナの縮図として提示しようとした」と言っているだけに、そう考えてしまうのも仕方のないところだろう。

とはいえ、小難しい映画ではない。ついつい笑ってしまうエピソードが次々に出てくる。まるでコント集である。

あるレストランでは、柄の悪そうな兄弟が「妹が、料理の酸味が強すぎると言っている」と店主に文句をつける。店主が「ワインソースのせいでしょう。ワインに浸した鶏肉を出しただけです」と言うと、「お前は妹に酒を飲ませたのか」とすごむ。一触即発の状況。だが、店主の冷静な対応でその場は収まる。

こんなエピソードもある。猟師のおじいさんが話しかけてくる。先日狩りをしていた時に、ワシに狙われたヘビの命を助けたところ、そのヘビがパンクした車のタイヤに空気を入れてくれたというのだ。ヘビの恩返しである。

その他にも、いろいろなエピソードが出てくるが、それを目にするスレイマン監督は終始無言。わずかに表情を変化させるのみだ。それが実に良い味になっている。チャップリンを思わせるその姿が、おかしくて切ない。

続いてスレイマン監督はパリへと向かう。それとともにシニカルでシュールなユーモアが加速していく。

カフェのオープンテラス席に座って、道行くパリジャンたちを眺めるスレイマン監督。そのオシャレっぷりに圧倒される。

その後は、セグウェイやローラースケートに乗った警官が泥棒を追いかけたり、教会の前で施しを受けるために貧しい人々が行列を作っていたり、路上で寝ているホームレスの男に救急隊員が話しかけたりする。

そうかと思えば、トランクケースを持った日本人カップルが「ブリジットさんですか?」と話しかけてくる。どうやら彼らはブリジットという人を探しているらしい。さらに地下鉄では威圧的な男ににらまれたりもする。

異様な場面も登場する。平穏な街中をいきなり戦車が何台も走ってくるのだ。

なぜスレイマン監督はパリに向かったのか。それは映画の売り込みのためだ。だが、映画会社を訪ねた彼にプロデューサーは言う。「パレスチナ色が弱い」。結局、その映画は却下されてしまう。

レイマン監督は今度はニューヨークに向かう。タクシーに乗ると運転手から「どこの国から?」と聞かれる。スレイマン監督は「ナザレ」と答える。「ナザレ?そりゃ国か?」と口走る運転手に対して、「パレスチナ人だ」と答えると、運転手は「パレスチナ人に初めて会った」と大いに喜び運賃をタダにする。ちなみに、スレイマン監督が口をきくのはこの時だけである。

そんなニューヨークの人々は、なぜか全員が武装している。機関銃やライフルで身を固めているのだ。

公園では池のほとりで天使の羽根を付けた少女に出会う。そこにパトカーがやってきて、警官たちが彼女を追いかける。まもなく取り押さえると、大きな白い羽根だけを残して少女の姿は消える。

このあたりは、どこにいても不穏な出来事と無縁ではいられない今の世界情勢を反映させているのだろうか。パリの地下鉄で威圧的な男ににらまれたり、街中を戦車が何台も走ってくるのも、そうした状況の表れかもしれない。

さらに、映画学校の講義に招かれたスレイマン監督は、聞き手の教師から「あなたは真の流浪人ですか?」と問われる。アラブ人のフォーラムでは登壇者の一人として出席し、熱狂的に迎えられる。

そしてスレイマン監督は、映画の売り込みに行く。友人でもある俳優のガエル・ガルシア・ベルナル(もちろん本人)と一緒にプロデューサーを待っているのだ。するとプロデューサーの女性が来る。ベルナルは彼女にスレイマンを紹介する。「パレスチナ出身でコメディを撮っている。次の作品のテーマは“中東の平和”」。それを聞いたプロデューサーは「もう笑えちゃう」と言い残して去っていく。

失意のスレイマン監督はナザレに帰る。そこにはいつもと同じ日常があった。庭には序盤に登場した男がいる。彼はレモンの木に水をやっている。これは最初は敵対していた相手も、いつか変わるという暗示なのだろうか。もしかしたら、微かな希望の光を灯したシーンなのかもしれない。

解釈次第で、どうとでも取れそうなエピソードのオンパレードだ。観客が頭を使って考えるしかない。ただし、そこには今の世界の姿や、パレスチナの置かれた状況のメタファーがあるに違いない。そういう点で、きわめて政治的なメッセージ色の強い映画ともいえる。

でも、まあ素直に「次はどんなエピソードが飛び出すのか?」という興味で、最後まで飽きずに観ることができた。シニカルでシュールな笑いを堪能するだけで、十分に面白かったのだ。何とも不思議な興趣に満ちた映画である。

 

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◆「天国にちがいない」(IT MUST BE HEAVEN)
(2019年 フランス・カタール・ドイツ・カナダ・トルコ・パレスチナ)(上映時間1時間42分)
監督・脚本:エリア・スレイマン
出演:エリア・スレイマンガエル・ガルシア・ベルナル、タリク・コプティ、アリ・スリマン、ヴァンサン・マラヴァル、ナンシー・グラント
新宿武蔵野館ほかにて公開中
ホームページ https://tengoku-chigainai.com/

好きなものはしょうがない

映画館に行く時間のなかった昨日、またしても「もらとりあむタマ子」を観てしまったのだ。Gyao!で。

これで何回目なのだ?

確か2013年の劇場公開時に2回観ているし、その後は配信サイトで3~4回は観ているな。だって面白いんだもの。ダメ映画の傑作なんだもの。

知らない人のために言うと、「もらとりあむタマ子」は、東京の大学を出たものの、父親がひとりで暮らす甲府の実家に戻ってきた23歳のタマ子の日々を、春夏秋冬に渡って描いた作品。監督は山下敦弘。脚本は向井康介

何よりも素晴らしいのが、主演の前田敦子のダメっぷりだ。就職もせず、家業のスポーツ店も手伝わず、ただひたすら自堕落な生活を送る。やることといったら漫画を読むか、テレビを見るか、食べて寝るかである。その全身からやる気のなさや、気怠さが伝わってくる。この人は本当の怠け者ではないのか、とさえ思ってしまうほどの名演技なのだ。

タマ子がテレビのニュースを見ながら「ダメだな。日本は」とつぶやくシーンがある。「いや、お前がダメなんだよ」と誰しもがツッコミを入れたくなる名シーンである。

それを見守る父親役の康すおんは、最近では「ヤクザと家族 The Family」で時代に取り残されたヤクザを見事に演じていたが、この映画でもなかなかの存在感を示している。自堕落な娘に対して、時には声を荒げるものの、基本は温かく見守る。いつか自立するだろうと期待し、その時を待つ。タマ子が芸能界を目指しても、「父さんはいいと思うよ」などと理解を示す。まあ、その態度が逆にタマ子をイラつかせるのだが。

その父親に再婚話が持ち上がり、タマ子の心がざわつき始める(お相手の富田靖子がこれまた良い!)。そんなこんなで、タマ子はわずかな一歩を踏み出す。

いや、踏み出すまでも行かないのだが、そのほんの少しの前向きさを印象付けるラストシーがこれまた絶妙だ。

とにかくダメ映画好きの私にとって、何度観ても素晴らしい映画なのである。

2月15日までGyao!で無料配信中なのでよろしかったら。

 


映画『もらとりあむタマ子』予告編

「花束みたいな恋をした」

「花束みたいな恋をした」
2021年1月30日(土)シネ・リーブル池袋にて。午後12時30分より鑑賞(スクリーン1/G-9)

~ごく自然体でリアルな誰にでも起こり得る恋愛劇

予告編を観た時には、ありふれたラブストーリーだと思った。観るつもりもなかったのだが、各所で絶賛されていると聞き急遽足を運んだ。「花束みたいな恋をした」である。

脚本は「東京ラブストーリー」「最高の離婚」「カルテット」などのテレビドラマのヒット作を手がけてきた坂元裕二。監督は「罪の声」「映画 ビリギャル」の土井裕泰。まあ、このコンビなら高評価なのもうなずける。

話自体は何のことはない。ベタなラブストーリーである。大学生の男女が出会って、別れるまでの5年間を描いている。

京王線明大前駅で終電を逃し偶然に出会った大学生の山音麦(菅田将暉)と八谷絹(有村架純)。音楽や文学の趣味がぴったりだったことから意気投合する。デートを重ねた2人は恋人になり、やがて一緒に住み始める。卒業後はフリーターをしながら、楽しい日々を送る。だが、まもなく絹は簿記の資格を取り就職。続いて麦も生活の基盤を築こうと、イラストレーターの夢を棚上げして就職する。そんな中、2人の歯車は少しずつかみ合わなくなっていく。

2人が出会ったのは2015年。そこから2020年までのドラマを、セリフと独白で描く。それぞれの心情は独白の中に、余すところなく吐露されているから、余白で何かを語るようなドラマではない。

麦はグーグルストリートビューに自分が写り込んでいるのに歓喜する。一方、絹は女子大生ラーメンブログが人気を呼んでいる。今どきの(といっても2015年だが)大学生である。そんな2人が恋に落ちる。

特徴的なのは、2人の共通項となる当時のカルチャーが固有名詞としてたくさん登場することだ。押井守(何と本人が登場)、今村夏子、天竺鼠、ミイラ展、ゴールデンカムイ宝石の国、きのこ帝国……。文学や演劇、漫画、音楽など多岐に渡る固有名詞がポンポンと飛び交う。2人の初デートは東京国立博物館の「ミイラ展」なのだ。

何だか細かすぎて良くわからん!と叫びたくもなるが、わからなくても特に問題はない。2人のテンポの良い会話を聞いているだけで楽しくなる。そして、そんなディテールにこだわることで、この物語がリアルで誰にでも起こり得るドラマとして響いてくる。観客一人ひとりにとって「自分のドラマ」に思えてくるのである。

前半はひたすら楽しい毎日が描かれる。3日も家から出ずにセックスした、などというエピソードには苦笑してしまうが、同居後も楽しい日々が続く。駅から徒歩30分の新居も苦にならない。お気に入りのパン屋を見つけ、拾った猫に名前を付ける。2人は一緒にいるだけで満足なのだ。

だが、転機が訪れる。絹と麦のそれぞれの就職だ。特に絹が就職してからは、2人がすれ違う場面が多くなる。それは物理的なすれ違いだけでなく、心のすれ違いにまで発展する。前半はあれほど一致していた2人の趣味にも、すれ違いが生じる。

こんなふうに学生時代の恋愛が社会人になって色あせるのは、よくある話。だが、それでも見入ってしまう。相変わらず独白によって心情が吐露されるのだが、それ以上に菅田将暉有村架純の演技が2人の心情を如実に物語るのである。

前半のキラキラした表情とは裏腹に、後半はいかにも面倒くさそうな顔や、失望の顔が目立つようになる。それもあからさまにそうした顔をするのではなく、微妙な表情の変化で見せる。その繊細な演技がドラマの情感を高める。

2人が別れる場面も秀逸だ(このへんから先はネタバレ気味なので、読みたくない人は10行ほど飛ばしてください)。友人の結婚式の帰りに、上機嫌でファミレスに入り、その勢いで別れ話を切り出す。だが、麦は別れられない。昔のような恋愛感情がなくなっても、家族になることを提案する。絹もその言葉に迷う。

そこで坂元裕二が投入してくるのが、若いカップルである。その2人に、かつて麦と絹が交わしたのと同じ会話を交わさせる。それを見つめるうちに、かつての自分たちの姿を重ね合わせ、2人は泣いてしまうのである。うーむ、何という心憎い仕掛け。本当に恋愛映画の手練れだな、坂元裕二は。

その後、別れたと言っても2人がしばらく一緒に暮らすのが面白い。何なんだろう?友人に戻ったということだろうか。何にしても2人は別れる。

そして2020年。冒頭のシーンにつながる2人の偶然の再会。お互いにそ知らぬふりをしつつ、サヨナラをする。その心中やいかに。もうすでに吹っ切れた? わずかに残る未練を振り捨てようとしてた? それは何とも言えないが、後味はけっして悪くない。

主演の2人以外にも、意外なところで意外なキャストが出演している。絹の両親役の戸田恵子岩松了、麦の父親役の小林薫、絹の勤務先の社長役のオダギリジョーなどなど。韓英恵瀧内公美あたりもいい味を出している。

ベタな恋愛ドラマにもかかわらず、過剰な演出で強引に泣かせにかかることもなく、ごく自然体でていねいに仕上げた作品だ。おかげで、無理のない情感が漂ってくる。昨今のラブストーリーには、キラキラ系や劇的なものも目につくが、そうした映画とは無縁。実によくできた恋愛映画である。

 

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◆「花束みたいな恋をした」
(2021年 日本)(上映時間2時間4分)
監督:土井裕泰
出演:有村架純菅田将暉、清原果耶、細田佳央太、オダギリジョー戸田恵子岩松了小林薫韓英恵、中崎敏、小久保寿人瀧内公美、森優作、古川琴音、篠原悠伸、八木アリサ押井守Awesome City Club、PORIN、佐藤寛太岡部たかし
*TOHOシネマズ日比谷ほかにて公開中
ホームページ http://hana-koi.jp/

「ヤクザと家族 The Family」

「ヤクザと家族 The Family」
2021年1月29日(金)ユナイテッド・シネマとしまえんにて。午後1時10分の回(スクリーン3/F-18)

~家族を求めた孤独なヤクザの物語

ほぼ死滅したと思っていたヤクザ映画。だが、ここのところ井筒和幸監督の「無頼」、そして藤井道人監督の「ヤクザと家族 The Family」と立て続けに新たなヤクザ映画が登場した。

「ヤクザと家族 The Family」は「新聞記者」「宇宙でいちばんあかるい屋根」の藤井監督のオリジナル脚本による作品。「新聞記者」のスタッフが中心になって作られたという。

文字通りヤクザ映画である。冒頭に海中を水死体が浮遊する姿が映る。実は、これ、映画の終盤につながるシーンなのだ。

1999年。父親を覚せい剤で亡くし、天涯孤独となった19歳の山本賢治綾野剛)は、その日暮らしの生活を送っていた。そんなある日、行きつけの食堂で飲んでいた山本は、そこに居合わせた柴咲組組長・柴咲博(舘ひろし)をチンピラの襲撃から救う。やがて、柴咲は山本に手を差しのべ、2人は父子の契りを結ぶ。

2005年、山本はヤクザの世界で男を上げる。そんな中、山本はキャバクラのホステスをしていた由香(尾野真千子)に好意を持つ。強引に迫る山本だが、由香は断固として拒否する。それでも2人は少しずつ距離を縮める。だが、柴咲組のライバル侠葉会との争いの中で、若頭の中村が侠葉会の男を刺してしまう。山本は組織を守るため身代わりに刑務所に入る。

2019年、14年の刑期を終えて出所した山本が直面したのは、暴対法の影響でかつての隆盛の影もなくなった柴咲組の姿だった。組員も減少し、資金面も厳しくなっていた。そんな中で、山本は由香と再会するのだが……。

というわけで、3つの時代を通して描かれるヤクザ映画である。それは同時に家族のドラマでもある。実の親を亡くし、自暴自棄になっていた山本に柴咲組組長・柴咲博が目をかける。柴咲は昔気質のヤクザだ。麻薬取引は行わず義理人情を重んじる。まさに父親のような包容力を持った男なのである。

しかも、演じているのは舘ひろしである。セリフは少ないものの、その背中が多くを物語る。「行くとこあるのか?」のセリフだけで、山本は号泣してしまうのである。こうして山本は柴咲組に疑似家族を見出す。

家族のドラマはまだある。山本たちが足繁く通う食堂の店主・愛子(寺島しのぶ)の亡き夫は柴咲の弟分だった。だが、彼は抗争の中で殺されてしまう。そして愛子には息子の翼がいた。食堂の片隅で勉強をする翼に、山本は「俺達のようになるなよ」と言う。

しかし、出所した山本の前に現れた22歳の翼(磯村勇斗)は、夜の街を仕切る存在になっていた。彼は秘かに父の仇を討とうと思っていた。

そして3つめの家族のドラマがある。山本自身のドラマである。山本が再会した由香には、14歳になる娘がいた。山本は2人のために、ヤクザをやめようとするのだが……。

正直なところ、この由香と娘のドラマは既視感ありありである。「まさかそんなお手軽な展開にはなるまい」と思っていたら、本当にそうなってしまった。

ただし、その後の展開を考えれば、あれしかなかったのかという思いもある。家族をテーマにしたドラマということを考えれば、なおさらである。

終盤は切ない展開が待っている。時代はもはやヤクザの存在を許さない。山本のかつての仲間は言う。「ヤクザをやめても5年間は人間扱いされない」。その間は銀行口座も持てず、保険にも入れず、住宅の確保にも不自由するありさまだ。

それは社会が抱える矛盾だ。かつては必要悪としてその存在を黙認してきたヤクザを、今は社会が袋叩きにする。現役の組員ならまだしも、組をやめた者に対してもだ。

山本はヤクザだったというその一点において、愛する者を傷つけてしまう。ごく平凡な、何気ない日常を望み、その願いが叶いつつあったのに。

そんな山本の心情がストレートに告げられる場面が、とても切ない。その姿には哀愁が漂う。そして、行き場をなくした彼が選んだのは……。

綾野剛の多面性ある演技が素晴らしい。金髪で突っ張って生きていた時も、柴咲組の一員として肩で風を切っていた時も、乱暴な口調の隙間から繊細な感情が覗く。特に終盤の演技は過去の出演作の中でも出色だろう。

そして舘ひろし。貫禄である。一度だけ啖呵を切る場面があるが、それ以外は基本はおとなしい。それでも、そこにいるだけで存在感がある。終盤で癌に侵された姿も印象深い。

ヤクザ役の北村有起哉市原隼人菅田俊、康すおんなども、いずれも顔つきや体全体から発する雰囲気はヤクザそのもの。それでいて、滅びゆく者の哀しさも体現した演技だった。敵対するヤクザの豊原功補のえげつなさ、丸暴刑事役の岩松了の憎々しさも半端なかった。

家族という切り口で描いた新たなヤクザ映画だ。社会の在りように対する疑問も提示される。作り手の気概とこだわりを感じさせる作品である。

 

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◆「ヤクザと家族 The Family」
(2021年 日本)(上映時間2時間16分)
監督・脚本:藤井道人
出演:綾野剛舘ひろし尾野真千子北村有起哉市原隼人磯村勇斗菅田俊、康すおん、二ノ宮隆太郎駿河太郎岩松了豊原功補寺島しのぶ
*TOHOシネマズ日比谷ほかにて全国公開中
ホームページ https://yakuzatokazoku.com/

 

「シカゴ7裁判」

「シカゴ7裁判」
2021年1月27日(水)池袋HUMAXシネマズにて。午後12時より鑑賞(シネマ3/E-12)

~豪華キャストで見せる法廷劇は、今に通じる人権と言論の戦い

コロナ禍で新作の公開が滞りがちだが、その思わぬ副産物で見逃しかけた作品が意外な映画館で公開されたりする。池袋HUMAXシネマズの上映作品を見ていたら、昨年10月にNetflixで配信され、一部の劇場で公開もされた「シカゴ7裁判」があるではないか。Netflixには加入していないし、劇場でも観ていなかったので、さっそく足を運んだのである。

1968年、シカゴで大統領候補を決める民主党全国大会が開かれた。会場近くでは、ベトナム戦争に反対する市民や活動家たちが抗議デモのために集結した。当初は平和的に実施されるはずだったデモは徐々に過激化していき、警察との間で激しい衝突へと発展する。デモの首謀者とされたアビー・ホフマン(サシャ・バロン・コーエン)、トム・ヘイデン(エディ・レッドメイン)ら7人の男「シカゴ・セブン」は、暴動を煽った罪で起訴されてしまう。

当時はベトナム戦争が泥沼化していた時期。増兵に次ぐ増兵で、兵士を徴兵するのに誕生日の書かれた球をくじ引きする姿が衝撃的だ。そんな中で、民主党の大統領候補選びに影響を及ぼそうと、様々な人々がベトナム戦争反対のデモをする。それが警察との衝突に発展する。

そして起訴された7人。彼らを被告とした法廷ドラマを中心に、裁判の舞台裏や暴動当日の様子などを描いている。

本作は実録ドラマではあるが、エンターティメントとしての面白さにあふれている。何しろ登場人物が強烈だ。7人の被告は、同じ被告でもそれぞれに個性的。考え方も急進的なものから穏健なものまで様々なら、服装や態度まで全く違う。共通項はベトナム戦争反対だけ。したがって、裁判の進め方でも大モメにモメる。

それを御するクンスラー弁護士も型破りだ。ベテランだけに、したたかかつ狡猾に裁判を進めようとする。しかし、個性的な被告たちは一筋縄ではいかない。そのためケンカ腰でやり合う場面が何度もある。

そして極めつけがジュリアス・ホフマン判事だ。まるで偏見の塊のような人物で、次々と検察に有利な判断を下す。被告にはまともな反論も許さず、法廷侮辱罪を連発する。タヌキおやじそのものである。

前半でその犠牲になるのが、ボビー・シールという黒人被告だ。ブラック・パンサー党のリーダーの彼は、7人の被告と一緒に起訴されていたが、代理人が不在にもかかわらず裁判を進められるなど差別的な扱いを繰り返し受ける。その挙句に、判事から拘束を命じられてしまうのだ。あまりのことに、彼の審理は検事からの提案で無効になってしまう。

こうしてボビー・シールが法廷を去ってからは、7人の裁判が集中的に描かれる。証人はすべて警察や行政の人間で、検察に有利な証言をする。デモ当時は仲間のようにすり寄ってきた人物も、実は警察やFBIの人間だったりしたのだ。

おかげで被告たちは追い込まれる。絶体絶命の裁判。だが、やがて光が見える。実は起訴された7人は捜査の結果、罪には問えないと結論付けられていた。それがどうして起訴されたのかというと、そこにはミッチェル司法長官の思惑がある。ラムゼイ・クラーク前司法長官が嫌いなミッチェルは、前任者の意向を無視して、無理やり起訴に持ち込んだのだ。いわば無理筋の起訴というわけ。

そのことを知ったクンスラー弁護士は、クラーク前司法長官を証人として呼ぶことを画策する。一発逆転のチャンスである。司法省の反対を押し切ってクラークは自ら証人になる。ところが、ここでもホフマン判事が邪魔をする。彼はクラークの証言を「なかったこと」にしてしまうのだ。

もはや手の打ちようがない被告たち。終盤には穏健派のトムが証言しようとする。だが、そのトムが暴動の途中で、警察の暴挙に頭に血が上って過激なことを言っていたことがわかる。そこでのクンスラー弁護士とトムのやりとりが迫力満点だ。終盤の1つのハイライトといっていいだろう。結局、証言はトムではなくアビーが行うことになる。

そして迎えた判決の日。ホフマン判事は穏健なトムに対して、自分の望み通りの証言をすれば罪を軽くすると言う。だが、トムはそこで被告の1人が記録していたベトナム戦争の犠牲者の名前を一人ひとり読み上げる。法廷に拍手の嵐が巻き起こる。ほとんどの人が犠牲者に敬意を表して立ち上がり、検事までもが立ち上がる。文句なしの感動の場面だ。

この映画の脚本は、「ソーシャル・ネットワーク」「マネーボール」「スティーブ・ジョブズ」などの脚本で知られ、「モリーズ・ゲーム」で監督業にも進出したアーロン・ソーキンが2007年に書いたもの。当初はスティーブン・スピルバーグが監督するはずだったのが、諸事情から降板。結局、今になってソーキンが自らメガホンをとって完成させたとのこと。

それにしても豪華なキャストである。被告役のサシャ・バロン・コーエンエディ・レッドメインジョン・キャロル・リンチなどに加え、若手検事役のジョセフ・ゴードン=レヴィット、弁護士役のマーク・ライランス、判事役のフランク・ランジェラ、クラーク前司法長官役のマイケル・キートンなどが、膨大なセリフ劇を迫真の演技で見せている。

エンターティメントとして面白いと言ったが、当然ながら本作で描かれているのは人権と言論の戦いである。油断をすれば権力は、いつでもその恐ろしい牙をむくのである。その点で1960年代のドラマではあるが、今のアメリカの人々の心にも響くドラマといえる。いや、アメリカだけではない。世界中どこでも通用するドラマなのである。

いやぁ~、見逃さないでよかったぜ。


『シカゴ7裁判』予告編 - Netflix

◆「シカゴ7裁判」(THE TRIAL OF THE CHICAGO 7)
(2020年 アメリカ)(上映時間2時間9分)
監督・脚本:アーロン・ソーキン
出演:サシャ・バロン・コーエンエディ・レッドメイン、ジョセフ・ゴードン=レヴィット、マイケル・キートンマーク・ライランス、アレックス・シャープ、ジェレミー・ストロング、ヤーヤ・アブドゥル=マティーン2世、ジョン・キャロル・リンチフランク・ランジェラ
*池袋HUMAXシネマズほかにて公開中
ホームページ https://chicago7-movie.com/