映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「街の上で」

「街の上で」
2021年4月15日(木)新宿シネマカリテにて。午後2時5分より鑑賞(スクリーン2/A-5)

~下北沢を舞台にした群像劇。会話の面白さが光る

2018年の「愛がなんだ」でブレイクした今泉力哉監督。彼の作品を初めて観たのは、東京国際映画祭で上映された「サッドティー」(2013年)だった。他愛もない恋愛群像劇なのだが、ごく普通の日常会話が抜群に面白くて、とても印象に残っている。

その今泉監督が漫画家の大橋裕之を共同脚本に迎えて撮ったのが、「街の上で」という映画だ。本来なら去年の5月に公開される予定だったという。この間、撮影時はそれほど知名度もなかった主要キャストが、今ではかなりの活躍を見せているところに、今泉監督のキャスティング眼の確かさを感じさせる。

下北沢の古着屋で働く青年・荒川青(若葉竜也)と、彼の周辺の4人の女性たちの恋愛事情を描いた群像劇だ。

青は初めてできた彼女の雪(穂志もえか)が浮気をして、一方的に振られてしまう。だが、今でも彼女に未練があり、よりを戻したいと思っている。

古書店員の冬子(古川琴音)は、青が元ミュージシャンだと聞きつけて真相を問いただすが、その流れで死んだ店主と不倫をしていたことを暴露される。

美大生の町子(萩原みのり)は卒業制作の映画の監督をすることになり、青に出演を依頼する。

その映画の衣装係のイハ(中田青渚)は、撮影が終わった夜に青を自宅へ招き、夜通し恋バナを語り合う。

とりたてて大きなことは起こらない。だが、そこで交わされるごく普通の会話が抜群に面白い。相手の言葉尻を上手くとらえたり、理屈にならない理屈を言ったり。ああ言えばこう言うで、次々に会話の花が咲く。「サッドティー」の頃の会話の面白さに、さらに磨きがかかっている。全編に渡って、クスクスと笑いっぱなしだった。

そこから恋愛の機微も伝わってくる。ひどく面倒なようでいて、一歩引いてみれば実にバカバカしかったりする。滑稽だけれど真面目でもある。そんな恋愛の微妙な側面が、日常生活の中でごく自然に描かれる。

そして、本作は下北沢という街のドラマでもある。古着屋、古書店、バー、カフェ、劇場、ライブハウスなど、実在の場所がそのまま登場する。それらを背景に登場人物の会話にも、ファッション、音楽、文学、映画などのカルチャーが織り込まれる。

残念ながら、当方は知人の芝居を観に劇場に出かけたことがある程度で、あまりなじみがないのだが、下北沢の街を熟知している人にとっては感慨深いものがあるに違いない。

長回しのシーンが多いのも特徴的だ。特に青とイハが恋バナや恋愛論、友達論を語り合うシーンの10分近い長回しは圧巻。それ以外のシーンもあまりカットを割らず、どちらかというと演劇的なタッチで撮影している。

主要な人物以外にも、青が出入りするバーの常連客や、姪っ子が舞台女優だというおかしな警官などユニークな人々が登場して、そこはかとない笑いを生み出している。

終盤では、意外な出来事が起こる。映画で青は緊張のあまりまともな芝居ができずに、出演シーンがカットになってしまうのだが、その映画にはなぜか朝ドラ俳優(成田凌)が出演していた。

そんなこんなで、イハの家に泊まった青が翌朝、路上を歩いていると意外な人物に鉢合わせして……。

詳しくは言わないが、こんがらがった恋愛模様を描くのがうまい今泉監督らしい名シーンで爆笑必至の場面だ。そしてラストはほっこりできる。

若葉竜也、穂志もえか、古川琴音、萩原みのり、中田青渚の主要キャストは、それぞれの個性を発揮している。いずれも実に魅力的に映し出される。特に中田青渚の小悪魔ぶりが最高だ。

最近の作品の中では、最も今泉監督らしさが発揮された作品だと思う。特に会話の面白さが光る。恋愛も含めて、何気ない日常を描かせたらピカイチの監督である。

 

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◆「街の上で」
(2019年 日本)(上映時間2時間10分)
監督:今泉力哉
出演:若葉竜也、穂志もえか、古川琴音、萩原みのり、中田青渚、村上由規乃、遠藤雄斗、上のしおり、カレン、柴崎佳佑、マヒトゥ・ザ・ピーポー、左近洋一郎、小竹原晋、廣瀬祐樹、芹澤興人、春原愛良、未羽、前原瑞樹、西邑匡弘、タカハシシンノスケ、倉悠貴、岡田和也、中尾有伽、五頭岳夫、渡辺紘文、成田凌
*新宿シネマカリテほかにて公開中
ホームページ https://machinouede.com/

「21ブリッジ」

「21ブリッジ」
2021年4月13日(火)ユナイテッド・シネマとしまえんにて。午後2時40分より鑑賞(スクリーン3/D-16)

チャドウィック・ボーズマン最後の主演作は緊迫感漂うアクション映画

先日某役所に出向いたら、偶然にも同姓同名(しかも字まで一緒)の人と鉢合わせして、「こんな奇遇があるのか・・・」とお互いに驚いたのだが、向こうはどうも役所にクレームを言いに来たらしいので、それ以上関わるのはやめにしておいた。

でもって、翌日は「21ブリッジ」を観に行ったのだが、いくら平日の午後とはいえ400人近いキャパの劇場に観客が5人! 感染防止的には非常に好ましい状況だが、大丈夫なのか? 配給会社。なんたって、2020年8月に43歳の若さでこの世を去った「ブラックパンサー」のチャドウィック・ボーズマン最後の主演作だぞ。

いや、しかし、映画はなかなかの出来なのだった。

ニューヨークで深夜に大量のコカインを奪った2人の男が、突入してきた警察官8人を射殺する事件が発生する。ニューヨーク市警殺人課の刑事アンドレデイビスチャドウィック・ボーズマン)は麻薬捜査官のフランキー・バーンズ(シエナ・ミラー)とコンビを組み、マンハッタン島に架かる21の橋全てを封鎖するなど島を完全封鎖して犯人を追跡するのだが……。

冒頭に描かれるのは幼い頃のアンドレのエピソード。刑事だった父が犯人に殺されて殉職し、その葬儀が開かれていたのだ。その一件が彼の心に影響を与えたのか、長じて刑事になった彼は多くの犯人を殺害して、調査の対象となってしまう。

ただし、このエピソードが効果的に使われているとはいいがたい。アンドレの不正を許さない正義感、麻薬に対する怒りなどは朧気ながら伝わってくるものの、それと今回の事件との結びつきが弱いのだ。彼の人間ドラマにもなり得ていない。

だが、しかし、事件が起きればとびっきりのスリリングさが待ち受けている。何しろ犯人を追い詰めるために、タイトルにある21の橋をはじめ、マンハッタン島全域を完全封鎖してしまうのだ。前代未聞の作戦である。しかも、そこに介入してきたFBIが「午前5時までに犯人を捕まえなければ、こちらが捜査を引き継ぐ」とタイムリミットを設定してきたのだ。

そんなスリリングな設定をフルに生かして、演出も映像も異様な緊迫感を醸し出す。夜のマンハッタンのまばゆいネオンと路地裏の暗さ。その中で繰り広げられる銃撃戦、カーチェイス、そして地下鉄での虚々実々の駆け引き。どれをとっても一級品だ。監督のブライアン・カークは「ゲーム・オブ・スローンズ」などテレビドラマを中心に手がけてきたが、映画でもツボを心得た演出を見せる。

このドラマの大きなポイントは、2人組の強盗犯マイケルとレイにとって、想定外のことが相次ぐことだ。まず最初に彼らがブルックリンの店に押し入ると、そこには話に聞いていた量をはるかに上回るコカインが隠されていた。しかも、その直後になぜか警官隊が突入して、激しい銃撃戦になる。その後も、彼らが麻薬取引やマネーロンダリングに動くたびに、奇怪な出来事が彼らを襲う。いったいこの事件の背後には何があるのか?

でも、まあ、だいたい先の予想はついてしまうのである。「だいたいこうなんじゃないの」と思うとおりに話が進む。予想はついてしまうのだが、それでも緊迫感が途切れない。斬新なストーリー展開で興味を引くのではなく、ありがちな展開なのに飽きさせない。ある意味、これは相当にハイレベルな職人芸である。

犯人の一人レイは早いうちに殺されてしまう。だが、その後も手に汗握る展開が続く。もう一人の犯人のマイケルは謎のUSBを手に逃走を続ける。

そして訪れるクライマックス。銃を構え合ったアンドレとマイケルの対決だ。地下鉄の車内で必死にマイケルの説得を試みるアンドレ。両者のギリギリの心理状態が手に取るように伝わってくる。そして、訪れる意外な結末。

ちなみに、その前にもフランキーを盾にしたマイケルとアンドレが対峙するシーンがあるが、こちらもかなりのハラハラドキドキ度である。

事件はついに午前5時を前にして解決を見る。だが、アンドレにとってそれは終わりを意味しなかった。彼にはどうしても暴かねばならない真実があったのだ。

というわけで、最後の最後までスリリングな場面が続く。「あわや」の場面の連続で時間があっという間に過ぎ去ってしまった。

そこでクセモノぶりを発揮しているのが、J・K・シモンズである。まあ、詳しいことを言うとネタバレになるから言わないが、「パーム・スプリングス」でボーガンを撃っていたオヤジと同一人物にはとても見えない。

主人公の相棒役のシエナ・ミラーも、どこか得体の知れなさを漂わせる演技で魅力的。

とはいえ、本作に関してはやはりチャドウィック・ボーズマンだろう。全身から発せられる存在感に圧倒される。迫力満点のその演技を観ているうちに、つくづく惜しい人をなくしたと実感したのである。合掌。

 

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◆「21ブリッジ」(21 BRIDGES)
(2019年 中国・アメリカ)(上映時間1時間39分)
監督:ブライアン・カー
出演:チャドウィック・ボーズマンシエナ・ミラー、ステファン・ジェームズ、キース・デヴィッドテイラー・キッチュ、J・K・シモンズ
*TOHOシネマズ日比谷ほかにて全国公開中
ホームページ http://21bridges.jp/

「パーム・スプリングス」

「パーム・スプリングス」
2021年4月9日(金)新宿ピカデリーにて。午後1時20分より鑑賞(シアター1/I-21)

~ちょっぴり変わったリゾート地のラブコメはタイムループもの

レギュラー仕事が終わって暇になったのだ。代わりの仕事が見つかるまで当面は暇なのだ。このままずっと暇だったらどうするんだ?という危惧もないわけではないが、とりあえずこんな時にはおバカな映画でも観るに限るぜ。何の脈絡もないけれど。

「パーム・スプリングス」はおバカなラブコメだ。しかも、タイムループもののラブコメだ。タイムループとは、登場人物が過去に舞い戻って、何度も同じ時間を生きるという設定。SFの定番の一つである。有名な作品に1993年のビル・マーレイ主演の「恋はデジャ・ブ」などがある。

砂漠のリゾート地、パーム・スプリングスで行われた妹の結婚式に参加したサラ(クリスティン・ミリオティ)は、そこで知り合った風変わりな青年ナイルズ(アンディ・サムバーグ)と意気投合する。すると突然、ナイルズは謎の老人に襲撃され、ボーガンの矢で肩を射抜かれる。逃げ出したナイルズを追って洞窟に入ったサラは謎の光に包まれる。サラが目覚めると、結婚式当日の朝に戻っていた。困惑するサラがナイルズを問いただすと、彼はすでにずっと前からタイムループを繰り返しているという……。

ありきたりのタイムループものなれど、太陽がさんさんと降り注ぐリゾート地での出来事ゆえに、なんだか緩いムードが全編に漂う。最初から下ネタも全開だ。アホな登場人物がアホな言動で笑いを取る。

イムループものなので、結婚式当日が何度も繰り返されるのだが、毎回それが微妙に違っている。何しろナイルズもサラも、それがタイムループであることを知っているのだ。

その中で、いろいろなことが明らかになってくる。ナイルズとサラが初めてセックスしたと思ったら、実は何千回もやっていたとか、サラが妹の新郎と関係を持っていたとか。巧妙に仕組まれた伏線が、観るたびに新しい発見をもたらす。

ナイルズは典型的なお調子者だ。彼はタイムループにハマっているが、そこから抜け出せないと諦めている。それならば、永遠に続く他人の結婚式の一日を適当に楽しく過ごそうと決めている。

そこに同じくサラがタイムループにハマる。こちらは心にトラウマを抱え、問題行動ばかり取っている女性だ。彼女は最初はループから抜け出そうとするが、何度やっても抜け出せない。そこで、ナイルズに感化されて「どっちみち抜け出せないのなら」とハチャメチャをやるようになるのだが、目覚めるとすべてがリセットされている。こうして本来なら絶望的状況であるはずのタイムループを、楽しんでしまうのがこの映画の面白いところ。

そして、もう1人タイムループにハマっているのがロイ(J・K・シモンズ)という謎の老人。彼はナイルズのことを恨んでいて、不定期に襲撃に来るのだという。

そのロイをサラがダマして車でぺしゃんこにし、続いて自らも車に引かれるという破天荒な場面もある。だが、もちろんいくらやっても大丈夫。目が覚めれば元通りにリセットされているのだ。

ナイルズとサラは、タイムループの世界で2人で過ごすうちに、次第に打ち解け幸福を感じるようになる。このままここにとどまれば幸せは続くのだ。

ところが、ある時、サラは忽然と姿を消す。いったい彼女はどこに行ったのか……。

終盤は、タイムループからの脱出を図るサラの突破力が際立つ。恋を犠牲にしてでも、この世界から抜け出そうと決意したその凛々しさが光る。一方のナイルズはそれに右往左往するばかりだ。生ぬるいけれど心地よいこの世界に留まりたいという思いが消えない。

まあ、この手の映画の定番パターンで、最後はハッピーエンドになるのだが、いかにもラブコメらしいエンディングで観客を楽しませてくれる。

2人のロマンスにそれほど深みがあるわけでもない。途中でややズルズルの展開になったりもする。それでも心に問題を抱えていた女性が、タイムループを経験して成長するという成長譚の視点で見ると、それなりのドラマになっているのではないか。

主演のアンディ・サムバーグとクリスティン・ミリオティの演技も、なかなかの演技だった。特にミリオティは今後活躍するかもしれない。J・K・シモンズもタイムループの世界に住む悲哀を見せるなど、相変わらずいい味を出している。

 

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◆「パーム・スプリングス」(PALM SPRINGS
(2020年 アメリカ)(上映時間1時間30分)
監督:マックス・バーバコウ
出演:アンディ・サムバーグ、クリスティン・ミリオティ、ピーター・ギャラガー、J・K・シモンズ、メレディス・ハグナー、カミラ・メンデス、タイラー・ホークリン
新宿ピカデリーほかにて公開中
ホームページ http://palm-springs-movie.com/

 

「ブータン 山の教室」

ブータン 山の教室」
2021年4月7日(水)岩波ホールにて。午後1時より鑑賞(自由席)

~村の大自然と人々のたたずまいが若き教師を変える

ブータン 山の教室」は、その名の通りブータン映画である。東京国際映画祭でいろんな国の映画を鑑賞しているが、おそらくブータン映画はまだ観たことがなかったと思う。

ブータンといえば、GDPやGNPではなく、GNH(Gross National Happiness・国民総幸福量)を重視する国だ。つまり、国の豊かさを幸福の度合いで測るのだ。それゆえ「世界一幸せな国」とも呼ばれるが、この映画を観るとそう単純な話でもないことがわかる。

若い教師のウゲン(シェラップ・ドルジ)は、自分が教師に向いていないと判断し、オーストラリアに移住してミュージシャンになることを考えている。そんな中、当局から呼び出され、ブータンで最も僻地にある村ルナナの学校へ赴任するように命じられる。バスの終点から徒歩で山を登り、1週間かけて到着するのだが……。

「世界一幸せな国」のブータンだから、全国どこでも同じような暮らしをしているかと思いきや、実はそうではなかった。ウゲンが住む首都ティンプーはかなり発達した街で、若者はクラブに繰り出し、流行の音楽を聴く。

その一方で、彼が赴任させられた標高4,800メートルの高地にあるルナナの村は、人口56人。電気も通じず(不安定なソーラー発電のみ)、トイレットペーパーもなく、まさに秘境の村なのである。

そんな場所への赴任を命じられたウゲンだが、そこに行くまでが大変な道のりなのだ。バスは途中までしか出ておらず、そこで待っていた村長代理の男たちとともに、残りの道は1週間をかけて徒歩で行くのである。

「川沿いの道を行くからすぐに下りになる」という甘い言葉に乗せられて、延々と続く上り坂を歩かされるウゲン。何しろ元々嫌々出かけるのだから、心が弾むわけがない。途中で宿泊させてもらう家はひどくみすぼらしく、その後はテントに宿泊するハメになる。

ようやく村にたどり着いた時には、完全にやる気を失ってしまう。文明とはほど遠い生活を目の当たりにして、着いた早々に「やっぱり無理!」とギブアップ宣言してしまうのだ。仕方なく、村長たちはとんぼ返りすることを承諾する。

ただし、荷物運びのヤクの疲労回復のため、数日は待たねばならないという。ヤクはこの村の人々にとって重要な存在だ。

そんな中、村の子どもたちがウゲンを呼びに来る。授業をして欲しいという。彼らにとって「先生は未来に触れることができる」存在なのだ。

それにしても、この子供たち、反則級の可愛さですがな。笑顔が素敵すぎ。おまけに純朴だし。前の先生に習ったらしい片言の英語で話すところなんて、もうたまりません。特にクラス委員のペム・ザムという子の可愛さは、奇跡的ですらある。何とまあ、この子たちは本物の地元の子らしい。純朴なのも当然か。

そりゃあ、ウゲンならずとも「ここに残る!」と心変わりするのも道理だろう。

学校には黒板も紙もない。それでもウゲンは、村の人に頼んで黒板を手作りしてもらったり、防寒のために貼っておいた紙を使うなど工夫をして授業を続ける。そうやって、子どもたちと触れ合ううちに少しずつ彼の心が変化してくる。

同時にウゲンは、村で一番歌が上手い娘セデュから「ヤクに捧げる歌」を教えてもらう。さらに、ウゲンはセデュから本物のヤクをプレゼントされ、そのヤクを教室で飼うことになる。彼女との心の通い合いも、ウゲンの心に大きな影響を与える。

そして、忘れてはならないのが自然の風景である。何という美しさ、雄大さだろう。心が洗われるとはこのことだ。そんな自然の風景と、人々のたたずまいが相まって、実に穏やかでのどかな情感を与えている。

ちなみに、村人の中には酒ばかり飲んで全く仕事をしない者もいたりする。そのあたりも、ブータンの様々な面をありのままに観客に提示しようというパオ・チョニン・ドルジ監督の思いが感じられる。

ヤクの糞拾い(燃料にする)も板について、すっかり村の生活に溶け込んだウゲン。だが、冬が近づく中、決断を迫られる。

赴任の約束の期限は冬の前まで。村人や子供たちは春になったらまた来て欲しいと言う。彼らの期待に応えるのか。それとも海外で自らの夢にチャレンジするのか。ウゲンが出した結論は……。

ラストシーンはちょっぴりほろ苦い。そして、セデュから習った歌が心に染みる。ウゲンのその後が気になったりするのである。

信じられないことだが、子供たち以外の主要キャストも、ほとんどが演技初体験とのこと。主演のシェラップ・ドルジは元々歌手だそうだ。そんな初々しさもこの映画にぴったりだった。

話自体はありがちだが、ブータンの自然と人々のたたずまいが得がたい魅力を生み出している。そして、本当の幸せとは何かを問いかけてくる。なかなかに深い映画である。

 

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◆「ブータン 山の教室」(LUNANA: A YAK IN THE CLASSROOM)
(2019年 ブータン)(上映時間1時間50分)
監督・脚本:パオ・チョニン・ドルジ
出演:シェラップ・ドルジ、ウゲン・ノルブ・へンドゥップ、ケルドン・ハモ・グルン、ペム・ザム
岩波ホールほかにて公開中
ホームページ http://bhutanclassroom.com/

「水を抱く女」

「水を抱く女」
2021年4月4日(日)新宿武蔵野館にて。午後12時30分より鑑賞(スクリーン2/C-5)

~現代を生きる「水の精」の愛と孤独と破滅

人魚姫の伝説やギリシア神話のセイレーンの例を持ち出すまでもなく、海や水には不思議な伝説がついて回る。ドイツにも「ウンディーネ」という水の精霊の伝説があるらしい。そのウンディーネを現代の大都市ベルリンに登場させた寓話が「水を抱く女」である。

出だしは下世話な恋愛話風に始まる。カフェテラスでウンディーネ(パウラ・ベーア)という女性が恋人ヨハネス(ヤコブ・マッチェンツ)から別れを切り出される。どうやら別の女性に心変わりしたらしい。そこで、ウンディーネは言うのだ。「私を捨てたら殺すから……」。ここから早くも不穏な空気が流れ始める。

ウンディーネはベルリンの都市開発を研究する歴史家で、ベルリンの街並みの模型が展示された博物館の歴史ガイドとして働いている。ガイドが終わって休憩時間になるまで、ヨハネスに待つように頼むのだが、行ってみると彼はもういない。必死でカフェテラスを探しまわると、ヨハネスではなく潜水作業員のクリストフ(フランツ・ロゴフスキ)が現れる。

ここで一気にドラマは神話の色を帯び始める。そこで重要な役割を果たすのが、水である。揺れによって倒壊した水槽の大量の水を、ウンディーネとクリストフは全身に浴びてしまう。それによって2人はたちまち相思相愛の仲になる。

基本になるのはあくまでも普通のラブロマンスだ。ウンディーネとクリストフは幸せそのものの日々を送る。

だが、その一方で彼らが生きる現実世界に、神秘的な水のイメージショットや超自然的な描写を織り交ぜ、不気味な雰囲気を漂わせる。例えば2人は一緒に水中に潜り、ウンディーネは溺れかける。死の匂いがする危険なシーンである。

ちなみに、人工呼吸のシーンでクリストフがビージーズの「ステイン・アライブ」を歌うのが面白い。人工呼吸のリズムにピッタリの曲だというのである。笑いどころの少ない本作で、ここは数少ない笑えるポイントかも。

ウンディーネによるベルリンの街の解説も、ドラマに奥行きを与えている。ベルリンの歴史とともに語られるその解説は、クリストフとの関係性においても重要な役割を果たす。ベルリンの都市の歴史を背景に、ウンディーネという存在を幽玄の世界に昇華させ、単なるファム・ファタール以上の危うさを身にまとわせる。

中盤以降、ドラマはさらに不穏さを増幅させる。ウンディーネの前に消えたはずのヨハネスが再び姿を現したのだ。彼はウンディーネに復縁を迫る。それがクリストフとの関係にも影を落とす。そして大きな悲劇が起きる。

その中でウンディーネの孤独が浮き彫りになり、同時に彼女の凶暴さが加速していく。それがまた予想もつかない展開を巻き起こしていく。

ウンディーネが幻のように消失した後の後日談が、これまた印象深い。ウンディーネが水の精であることを明確に示すとともに、彼女に翻弄されるクリストフの哀しい姿を見せつける。

水中を漂うウンディーネの美しく、そして妖しい姿よ!

クリスティアン・ペッツォルト監督は、「東ベルリンから来た女」「あの日のように抱きしめて」「未来を乗り換えた男」など、歴史ものや政治的作品で知られている。本作のような映画を撮るのは意外な気もするが、過去作もサスペンス色が強かったし、ベルリンの都市開発の歴史を背景にしている点も過去作と共通する要素かもしれない。

愛を求めずにはいられない水の精の輝きと破滅を、現代のベルリンを舞台に描いたユニークな作品だ。何よりも本作で第70回ベルリン国際映画祭の女優賞を受賞したパウラ・ベーアの演技が素晴らしい。現実世界とファンタジーの世界、どちらでも妖しい魅力を振りまいている。

 

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◆「水を抱く女」(UNDINE)
(2020年 ドイツ・フランス)(上映時間1時間30分)
監督・脚本:クリスティアン・ペッツォルト
出演:パウラ・ベーア、フランツ・ロゴフスキ、マリアム・ザリー、ヤコブ・マッチェンツ、アネ・ラテ=ポレ、ラファエル・シュタホヴィアク
新宿武蔵野館ほかにて公開中
ホームページ https://undine.ayapro.ne.jp/

「サンドラの小さな家」

「サンドラの小さな家」
2021年4月3日(土)新宿ピカデリーにて。午後2時20分より鑑賞(シアター9/C-7)

~自立に向けて苦闘する女性とそれを支える人々の連帯

安直な感動物語を思わせる「サンドラの小さな家」というタイトル。だが、そんな生易しいドラマではない。むしろ原題の「HERSELF」のほうが、この映画を的確に言い表しているのかもしれない。一人の女性の自立と、それをサポートする仲間たちのドラマである。

映画の冒頭に描かれるのは壮絶なDVだ。サンドラ(クレア・ダン)という女性が夫から激しい暴力を受ける。彼女には2人の幼い娘がいて、その直前に警察に通報するように暗号を発していた。

こうしてサンドラは、DV夫から逃れ、幼い娘たちとともにホテルでの仮住まいを余儀なくされる。仕事を掛け持ちし、なんとかやり繰りするサンドラだが、公営住宅は長い順番待ちでいつ入れるかわからない。

そんなある日、サンドラは娘との会話から、小さな家を自分で建てるアイデアを思いつく。だが、実現には高いハードルがあった。インターネットで設計図を探し出したものの、何から手を付けていいかわからない状態だった。

そんな中、サンドラが清掃人として働く家の雇い主、ペギー(ハリエット・ウォルター)が土地と費用の貸し出しを提案する。さらに、様々な人たちが協力を申し出て、サンドラの小さな家づくりが始まる。

監督は「マンマ・ミーア!」「マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙」のフィリダ・ロイド。徹底してリアルな筆致でサンドラたちを描き出す。とはいえ、本作の最大の功労者は原案・共同脚本・主演を務めたアイルランドの女優、クレア・ダンだろう。家を失った親友の悲痛な声をきっかけに脚本を執筆したという。そこには、弱者に寄り添った視点が明確に貫かれている。

サンドラに次々と協力者が現れるところは、都合よすぎの感がないではない。だが、それは「こうであってほしい」という作り手の願望でもある。このドラマで暴力と貧困の犠牲者に手を差し伸べるのは、偉い権力者でも土地の名士でもなく、市井の人々なのだ。権力側の無能さや非情さを、殊更にあげつらいはしないが、そこにはケン・ローチ監督の映画にも見られるような市民の連帯の強さがある。

この映画の終盤では、アイルランド語で助け合う仲間を意味する「メハル」の精神が語られる。それこそが、作り手たちが訴えたかったことだろう。無償の愛を提供することで、彼らもまたお金には代えられない大きなものを得るのである。

そして、何よりもサンドラの熱意の強さよ! このドラマでは、随所に彼女のDVのトラウマがイメージショットとして流される。元夫は面会権を持ち週末は娘を預かるので、なおさらその恐怖は現在進行形だ。ご多分に漏れず、「俺は変わった」などと宣わっている元夫だが、いつ何時逆ギレするかわからない。

だから、サンドラは必死で家を建てる。この家は、彼女の自立への第一歩であり、娘たちとの安らぎの場所なのだ。その熱意が多くの人々を引き付ける。ホームセンターで出会った土木建築業者や彼のダウン症の息子、建物を不法占拠して暮らす友人たち、娘の友達の母。彼らの詳細なプロフィールは描かれないが、彼らにもそれぞれに事情があることが示唆される。

多少のつまずきや失敗はあるものの、家づくりは順調に進む。だが、そこに微妙な影が差す。元夫はサンドラが面会権を妨害していると訴える。実は下の娘が元夫の家に行くことを嫌がったため、仕方なく連れて行くのをやめたのだ。だが、元夫は納得せず、狡猾な手段で親権を奪おうとする。それがサンドラを苦しめる。

それでもサンドラは負けない。自らの心の内をさらけ出し、元夫と対峙する。だが……。

終盤は衝撃的な出来事が起きる。サンドラは大切なものを失うが、最後にはかすかな希望の光も見える。多くのものを犠牲にしながらも、彼女の自立への決意は揺るがないはずだ。そして、多くの人々が再び彼女に協力するに違いない。

ちなみに、ラスト近くである人物が隠された秘密について発言をする。そこには自立を目指すサンドラとは対照的に、逃れられない運命を背負った女性の姿が見える。このあたりの描き方にも、安直な感動ではなく、厳しい現実を提示する作り手の姿勢が感じ取れた。

「DV夫から逃れた女性がみんなの協力で家を建てました」などというお気楽なドラマではない。困難に直面しつつも自立に向けて苦闘する女性と、それをごく自然に支える人々の力強い連帯のドラマなのである。

 

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◆「サンドラの小さな家」(HERSELF)
(2020年 アイルランド・イギリス)(上映時間1時間37分)
監督:フィリダ・ロイド
出演:クレア・ダン、ハリエット・ウォルター、コンリース・ヒル、イアン・ロイド・アンダーソン、ルビー・ローズ・オハラ、モリー・マキャン
新宿ピカデリーほかにて公開中
ホームページ https://longride.jp/herself/

「きまじめ楽隊のぼんやり戦争」

「きまじめ楽隊のぼんやり戦争」
2021年3月31日(水)テアトル新宿にて。午後12時30分より鑑賞(C-11)

~不条理で乾いた笑いの先に見える戦争の恐ろしさ

よくぞこんな風変わりな、しかも新人監督の映画を一般公開したものである。映像産業振興機構(VIPO)が、文化庁委託の人材育成事業の一環として製作に参加した半官製映画らしいが、官もなかなかやるものだ。「きまじめ楽隊のぼんやり戦争」というこの映画、乾いた笑いの向こうに骨太なメッセージが見える反戦映画である。

昭和レトロっぽい雰囲気が漂う舞台装置だが、時代は特に限定していないようだ。津平町は川向こうの太原町と交戦中である。戦闘時間は午前9時から午後5時まで。町で兵隊として暮らす露木(前原滉)は、毎日出勤して持ち場につき、サイレンを合図に川向こうに向かって発砲を開始する。いつから、なぜ戦っているのかは誰も知らない。「撃てと言われた場所を撃っていれば大丈夫」なのだ。

シュールで不条理な世界が展開する。役者のセリフは棒読み。しかも無表情を通す。まるで操り人形のように演技をするのである。もちろん、これは池田暁監督の狙いによるものだろう。どうでもいいようなやり取りが繰り返され、それが乾いた笑いを生み出す。

特に傑作なのが、受付係の女の受け答えだ。兵士の出勤・退勤を管理するのだが、技術者と称する男が来ると「兵士でないから入れない」と言い、「でも、今日から来るように言われた」と主張する男と押し問答になる。それを延々と繰り返すのだ。

傷病兵とのやりとりも笑える。戦争で腕をなくした男が、「仕事がないと困るから兵隊に戻して欲しい」と言う。すると女は分厚い書類に書かれた質問をする。「目は見えますか?」。男が「ケガしたのは腕だから見えるに決まっている」と答えると、「簡潔に答えなさい!」と逆ギレして鉛筆を投げつけるのだ。このやりとりも延々と繰り返される。

そもそもここで行われている戦争からしてどこか変だ。川岸に腹ばいになってじっと戦闘時間が来るのを待つ。時間が来ると時計係はいきなり川原に寝転んで、上官の指示で戦闘が始まる。と言っても、腹ばいのまま銃を撃つだけなのである。

その他にも笑いどころが満載だ。ユニークな人物が次々に登場して、不思議な言動をまき散らす。息子が戦争に行っているという食堂のおばちゃん(片桐はいり)は、露木たちの言動によってご飯の盛りを増減させる。煮物屋のおやじ(嶋田久作)は「俺は何でも知っている」と豪語する。忘れっぽい町長(石橋蓮司)は何でもかんでも忘れてしまう。

観ているうちに、何となくカウリスマキの映画に通じるものを感じてしまった。あるいは不条理劇といえば、別役実の演劇にも通底するかもしれない。

やがて、露木は「楽隊」への異動を命じられる。しかし楽隊の兵舎がなかなか見つからない。そもそも楽隊があるのかどうかもはっきりしない。それでも、ようやく彼は楽隊の存在を探り当てて、そこで練習を始める。

この楽隊も変だ。隊長(きたろう)は音楽にすべてを賭けている人物だが、パワハラ紛いの言動で女子隊員を翻弄する。だが、その女子隊員がエリート隊員と結婚すると知ると、今度は手のひらを返したように別の女子隊員をターゲットにするのだ。その豹変ぶりときたら。

まあ、とにかくアホアホで笑いっぱなしである。とはいえ、その笑いの先にこの映画のテーマが見えてくる。戦争の愚かさや、目的さえわからない行為に従順に従うことのバカバカしさ、人間性のかけらもない社会の恐ろしさなどである。町長は言うのだ。「女は子供を産まねばならない」。津平町では、子供を産まない妻は離婚されてしまうのである。

だが、そんな津平町で暮らす露木に変化が訪れる。川原でトランペットの練習をする露木は、向こう岸から流れてくる調べを聞いて、その調べと合奏をするようになる。また、ある新兵は川を泳いで隣町と往復し、その情報を露木にもたらす。それが露木の心を揺さぶる。

そんな中、町は砲兵隊を組織して「新兵器」を導入する……。

終盤は、怖ろしい出来事が起きる。それまでのタッチとは違う、シリアスで戦慄するような場面である。ここに至ってこの映画が、まがいもなく骨太の反戦映画であることが明確になるのである。

うーむ、こういう手があったとは。絵空事が巻き起こす笑いが、かえってリアルさをかき立てる。寓話だからこその面白さと、怖ろしさに満ちあふれた映画だ。

 

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◆「きまじめ楽隊のぼんやり戦争」
(2020年 日本)(上映時間1時間45分)
監督・脚本:池田暁
出演:前原滉、今野浩喜中島広稀清水尚弥、橋本マナミ、矢部太郎片桐はいり嶋田久作、きたろう、竹中直人石橋蓮司
テアトル新宿ほかにて公開中
ホームページ http://www.bitters.co.jp/kimabon/