「佐々木、イン、マイマイン」
2020年11月29日(日)池袋シネマ・ロサにて。午後1時35分より鑑賞(シネマ・ロサ1/E-10)
~過去と決別することで輝きだす人生
熱量のある映画は面白い。それを再認識させてくれたのが「佐々木、イン、マイマイン」という映画。はっきり言って粗削りだし、詰め込み過ぎの感じも拭えないのだが、圧倒的な熱量がそれを凌駕する。「ヴァニタス」がPFFアワード2016観客賞を受賞した内山拓也監督の作品だ。
俳優になるために上京したものの鳴かず飛ばずの20代後半の悠二(藤原季節)。元恋人のユキ(萩原みのり)ともずるずると同居を続け、パッとしない日々を送る。そんなある日、バイト先で高校の同級生多田(遊屋慎太郎)と再会し、佐々木(細川岳)のことを思い出す。佐々木は教室で全裸になって踊り出すなど、周囲を沸かせるお調子者だった。悠二と佐々木、多田、木村(森優作)を合わせた4人はいつも一緒に過ごしていた。
前半は人生に疲れた主人公・悠二の視点で、楽しかった高校時代を思い起こし、感傷に浸る場面が描かれる。学校で羽目を外すにしても、佐々木の家で無駄に時間を過ごすにしても、その頃は何もかもが輝いていた。バッティングセンターでの他愛もない会話すらも、キラキラと輝いて見える。
それに比べて今の悠二は最悪だ。好きな芝居からも距離を置いて、元恋人のユキとも惰性の関係を続けていた。優柔不断。モラトリアム。
そんな中で、悠二は仲間に誘われて舞台出演の稽古をする。それはテネシー・ウィリアムズ「ロング・グッドバイ」の舞台だった。その稽古の模様も間に挟まれる。
佐々木のような存在は誰にでも思い当たるだろう。クラスに必ずいたヒーロー。成績はけっして良くないのに、とにかくハチャメチャで人目を引く。同級生たちは苦笑しつつも、その天衣無縫さに憧れたりもする。
だが、その裏にあるのは孤独だ。映画は次第に佐々木の影の部分を映し出す。父親は家に帰らず、たまに帰ってくればほんの数時間いるだけでまたどこかにいく。そんな孤独にひたすら耐える。佐々木のハチャメチャさはその裏返しにも思えてくる。
佐々木は悠二に「役者になれ」とけしかけるが、それは佐々木自身が「仮面をかぶっている」ことの表れだったのかもしれない。
やがて、その「演技」が暴かれる。佐々木の父親が亡くなったのだ。周囲の配慮をよそに、今までと何も変わらない態度をとろうとする佐々木。だが、悠二たちはもはや彼について行くことができない。佐々木のカラ元気を知った今となっては、以前のように彼をはやし立てることはできなかった。
中盤には5年前に悠二が佐々木と再会したエピソードが描かれる。佐々木はあの時のままだった。墓参のために故郷を訪れた悠二は、突然佐々木から呼び出され会いに行く。佐々木はパチプロになっていたが、高校時代と何も変わっていないようだった。それでも、どことなく色あせて見える。高校時代の輝きはそこにはなかった。
それから5年。突如として1本の電話が入り、佐々木の消息が伝えられる……。
終盤はいささか冗長。佐々木が、パチンコ屋で横入りをする無法者に立ち向かうシーンは不要だろう。悠二がケンカ別れしたユキに対して、心情を吐露する場面も急展開過ぎる。とはいえ、この映画にはそれを凌駕するものがある。
「人生は長い長いさよならだ」という「ロング・グッドバイ」のセリフに重ねた悠二の心情はリアルだ。それは、悠二が引きずっていた過去に別れを告げることを意味する。彼はようやく前に進み始めたのだ。
そしてハチャメチャなラストシーン。悠二たちの幻想ともいえる場面で、この映画の終幕にふさわしいものに思えた。佐々木はいつまでも佐々木なのである。
悠二役の藤原季節は独特の雰囲気を持つ役者だと思う。それ以外の無名の役者たちも、いずれもいい味を出している。特に内山監督とともに脚本に参加している細川岳は、佐々木の二面性を巧みに表現していた。
とにかく圧倒的な熱量を感じる映画だった。みずみずしさと切なさにあふれた青春物語の秀作である。
◆「佐々木、イン、マイマイン」
(2020年 日本)(上映時間1時間59分)
監督:内山拓也
出演:藤原季節、細川岳、萩原みのり、遊屋慎太郎、森優作、小西桜子、河合優実、井口理、鈴木卓爾、村上虹郎
*新宿武蔵野館ほかにて全国公開中
ホームページ https://sasaki-in-my-mind.com/