映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「天国にちがいない」

「天国にちがいない」
2021年2月5日(金)新宿武蔵野館にて。午後1時25分より鑑賞(スクリーン2/A-5)

~シニカルでシュールな笑いに込めた今の世界

エリア・スレイマン監督はイスラエルに住むパレスチナ人の監督。カンヌ映画祭審査員賞を受賞した「D.I.」などで知られている。そのスレイマン監督の10年ぶりの新作が「天国にちがいない」である。

自身が扮するスレイマン監督が主人公だ。イスラエルのナザレで、庭を見下ろすと、レモンの木から果実をもぎ取っている男がいる。その男はこう言う。「隣人よ、泥棒とは思うな。ドアはノックした。誰も出てこなかったのだ」。

はたして、これは何を意味しているのか。パレスチナの土地に入って、我が物顔で振る舞う隣国を体現しているのだろうか。スレイマン監督が「本作は世界をパレスチナの縮図として提示しようとした」と言っているだけに、そう考えてしまうのも仕方のないところだろう。

とはいえ、小難しい映画ではない。ついつい笑ってしまうエピソードが次々に出てくる。まるでコント集である。

あるレストランでは、柄の悪そうな兄弟が「妹が、料理の酸味が強すぎると言っている」と店主に文句をつける。店主が「ワインソースのせいでしょう。ワインに浸した鶏肉を出しただけです」と言うと、「お前は妹に酒を飲ませたのか」とすごむ。一触即発の状況。だが、店主の冷静な対応でその場は収まる。

こんなエピソードもある。猟師のおじいさんが話しかけてくる。先日狩りをしていた時に、ワシに狙われたヘビの命を助けたところ、そのヘビがパンクした車のタイヤに空気を入れてくれたというのだ。ヘビの恩返しである。

その他にも、いろいろなエピソードが出てくるが、それを目にするスレイマン監督は終始無言。わずかに表情を変化させるのみだ。それが実に良い味になっている。チャップリンを思わせるその姿が、おかしくて切ない。

続いてスレイマン監督はパリへと向かう。それとともにシニカルでシュールなユーモアが加速していく。

カフェのオープンテラス席に座って、道行くパリジャンたちを眺めるスレイマン監督。そのオシャレっぷりに圧倒される。

その後は、セグウェイやローラースケートに乗った警官が泥棒を追いかけたり、教会の前で施しを受けるために貧しい人々が行列を作っていたり、路上で寝ているホームレスの男に救急隊員が話しかけたりする。

そうかと思えば、トランクケースを持った日本人カップルが「ブリジットさんですか?」と話しかけてくる。どうやら彼らはブリジットという人を探しているらしい。さらに地下鉄では威圧的な男ににらまれたりもする。

異様な場面も登場する。平穏な街中をいきなり戦車が何台も走ってくるのだ。

なぜスレイマン監督はパリに向かったのか。それは映画の売り込みのためだ。だが、映画会社を訪ねた彼にプロデューサーは言う。「パレスチナ色が弱い」。結局、その映画は却下されてしまう。

レイマン監督は今度はニューヨークに向かう。タクシーに乗ると運転手から「どこの国から?」と聞かれる。スレイマン監督は「ナザレ」と答える。「ナザレ?そりゃ国か?」と口走る運転手に対して、「パレスチナ人だ」と答えると、運転手は「パレスチナ人に初めて会った」と大いに喜び運賃をタダにする。ちなみに、スレイマン監督が口をきくのはこの時だけである。

そんなニューヨークの人々は、なぜか全員が武装している。機関銃やライフルで身を固めているのだ。

公園では池のほとりで天使の羽根を付けた少女に出会う。そこにパトカーがやってきて、警官たちが彼女を追いかける。まもなく取り押さえると、大きな白い羽根だけを残して少女の姿は消える。

このあたりは、どこにいても不穏な出来事と無縁ではいられない今の世界情勢を反映させているのだろうか。パリの地下鉄で威圧的な男ににらまれたり、街中を戦車が何台も走ってくるのも、そうした状況の表れかもしれない。

さらに、映画学校の講義に招かれたスレイマン監督は、聞き手の教師から「あなたは真の流浪人ですか?」と問われる。アラブ人のフォーラムでは登壇者の一人として出席し、熱狂的に迎えられる。

そしてスレイマン監督は、映画の売り込みに行く。友人でもある俳優のガエル・ガルシア・ベルナル(もちろん本人)と一緒にプロデューサーを待っているのだ。するとプロデューサーの女性が来る。ベルナルは彼女にスレイマンを紹介する。「パレスチナ出身でコメディを撮っている。次の作品のテーマは“中東の平和”」。それを聞いたプロデューサーは「もう笑えちゃう」と言い残して去っていく。

失意のスレイマン監督はナザレに帰る。そこにはいつもと同じ日常があった。庭には序盤に登場した男がいる。彼はレモンの木に水をやっている。これは最初は敵対していた相手も、いつか変わるという暗示なのだろうか。もしかしたら、微かな希望の光を灯したシーンなのかもしれない。

解釈次第で、どうとでも取れそうなエピソードのオンパレードだ。観客が頭を使って考えるしかない。ただし、そこには今の世界の姿や、パレスチナの置かれた状況のメタファーがあるに違いない。そういう点で、きわめて政治的なメッセージ色の強い映画ともいえる。

でも、まあ素直に「次はどんなエピソードが飛び出すのか?」という興味で、最後まで飽きずに観ることができた。シニカルでシュールな笑いを堪能するだけで、十分に面白かったのだ。何とも不思議な興趣に満ちた映画である。

 

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◆「天国にちがいない」(IT MUST BE HEAVEN)
(2019年 フランス・カタール・ドイツ・カナダ・トルコ・パレスチナ)(上映時間1時間42分)
監督・脚本:エリア・スレイマン
出演:エリア・スレイマンガエル・ガルシア・ベルナル、タリク・コプティ、アリ・スリマン、ヴァンサン・マラヴァル、ナンシー・グラント
新宿武蔵野館ほかにて公開中
ホームページ https://tengoku-chigainai.com/

好きなものはしょうがない

映画館に行く時間のなかった昨日、またしても「もらとりあむタマ子」を観てしまったのだ。Gyao!で。

これで何回目なのだ?

確か2013年の劇場公開時に2回観ているし、その後は配信サイトで3~4回は観ているな。だって面白いんだもの。ダメ映画の傑作なんだもの。

知らない人のために言うと、「もらとりあむタマ子」は、東京の大学を出たものの、父親がひとりで暮らす甲府の実家に戻ってきた23歳のタマ子の日々を、春夏秋冬に渡って描いた作品。監督は山下敦弘。脚本は向井康介

何よりも素晴らしいのが、主演の前田敦子のダメっぷりだ。就職もせず、家業のスポーツ店も手伝わず、ただひたすら自堕落な生活を送る。やることといったら漫画を読むか、テレビを見るか、食べて寝るかである。その全身からやる気のなさや、気怠さが伝わってくる。この人は本当の怠け者ではないのか、とさえ思ってしまうほどの名演技なのだ。

タマ子がテレビのニュースを見ながら「ダメだな。日本は」とつぶやくシーンがある。「いや、お前がダメなんだよ」と誰しもがツッコミを入れたくなる名シーンである。

それを見守る父親役の康すおんは、最近では「ヤクザと家族 The Family」で時代に取り残されたヤクザを見事に演じていたが、この映画でもなかなかの存在感を示している。自堕落な娘に対して、時には声を荒げるものの、基本は温かく見守る。いつか自立するだろうと期待し、その時を待つ。タマ子が芸能界を目指しても、「父さんはいいと思うよ」などと理解を示す。まあ、その態度が逆にタマ子をイラつかせるのだが。

その父親に再婚話が持ち上がり、タマ子の心がざわつき始める(お相手の富田靖子がこれまた良い!)。そんなこんなで、タマ子はわずかな一歩を踏み出す。

いや、踏み出すまでも行かないのだが、そのほんの少しの前向きさを印象付けるラストシーがこれまた絶妙だ。

とにかくダメ映画好きの私にとって、何度観ても素晴らしい映画なのである。

2月15日までGyao!で無料配信中なのでよろしかったら。

 


映画『もらとりあむタマ子』予告編

「花束みたいな恋をした」

「花束みたいな恋をした」
2021年1月30日(土)シネ・リーブル池袋にて。午後12時30分より鑑賞(スクリーン1/G-9)

~ごく自然体でリアルな誰にでも起こり得る恋愛劇

予告編を観た時には、ありふれたラブストーリーだと思った。観るつもりもなかったのだが、各所で絶賛されていると聞き急遽足を運んだ。「花束みたいな恋をした」である。

脚本は「東京ラブストーリー」「最高の離婚」「カルテット」などのテレビドラマのヒット作を手がけてきた坂元裕二。監督は「罪の声」「映画 ビリギャル」の土井裕泰。まあ、このコンビなら高評価なのもうなずける。

話自体は何のことはない。ベタなラブストーリーである。大学生の男女が出会って、別れるまでの5年間を描いている。

京王線明大前駅で終電を逃し偶然に出会った大学生の山音麦(菅田将暉)と八谷絹(有村架純)。音楽や文学の趣味がぴったりだったことから意気投合する。デートを重ねた2人は恋人になり、やがて一緒に住み始める。卒業後はフリーターをしながら、楽しい日々を送る。だが、まもなく絹は簿記の資格を取り就職。続いて麦も生活の基盤を築こうと、イラストレーターの夢を棚上げして就職する。そんな中、2人の歯車は少しずつかみ合わなくなっていく。

2人が出会ったのは2015年。そこから2020年までのドラマを、セリフと独白で描く。それぞれの心情は独白の中に、余すところなく吐露されているから、余白で何かを語るようなドラマではない。

麦はグーグルストリートビューに自分が写り込んでいるのに歓喜する。一方、絹は女子大生ラーメンブログが人気を呼んでいる。今どきの(といっても2015年だが)大学生である。そんな2人が恋に落ちる。

特徴的なのは、2人の共通項となる当時のカルチャーが固有名詞としてたくさん登場することだ。押井守(何と本人が登場)、今村夏子、天竺鼠、ミイラ展、ゴールデンカムイ宝石の国、きのこ帝国……。文学や演劇、漫画、音楽など多岐に渡る固有名詞がポンポンと飛び交う。2人の初デートは東京国立博物館の「ミイラ展」なのだ。

何だか細かすぎて良くわからん!と叫びたくもなるが、わからなくても特に問題はない。2人のテンポの良い会話を聞いているだけで楽しくなる。そして、そんなディテールにこだわることで、この物語がリアルで誰にでも起こり得るドラマとして響いてくる。観客一人ひとりにとって「自分のドラマ」に思えてくるのである。

前半はひたすら楽しい毎日が描かれる。3日も家から出ずにセックスした、などというエピソードには苦笑してしまうが、同居後も楽しい日々が続く。駅から徒歩30分の新居も苦にならない。お気に入りのパン屋を見つけ、拾った猫に名前を付ける。2人は一緒にいるだけで満足なのだ。

だが、転機が訪れる。絹と麦のそれぞれの就職だ。特に絹が就職してからは、2人がすれ違う場面が多くなる。それは物理的なすれ違いだけでなく、心のすれ違いにまで発展する。前半はあれほど一致していた2人の趣味にも、すれ違いが生じる。

こんなふうに学生時代の恋愛が社会人になって色あせるのは、よくある話。だが、それでも見入ってしまう。相変わらず独白によって心情が吐露されるのだが、それ以上に菅田将暉有村架純の演技が2人の心情を如実に物語るのである。

前半のキラキラした表情とは裏腹に、後半はいかにも面倒くさそうな顔や、失望の顔が目立つようになる。それもあからさまにそうした顔をするのではなく、微妙な表情の変化で見せる。その繊細な演技がドラマの情感を高める。

2人が別れる場面も秀逸だ(このへんから先はネタバレ気味なので、読みたくない人は10行ほど飛ばしてください)。友人の結婚式の帰りに、上機嫌でファミレスに入り、その勢いで別れ話を切り出す。だが、麦は別れられない。昔のような恋愛感情がなくなっても、家族になることを提案する。絹もその言葉に迷う。

そこで坂元裕二が投入してくるのが、若いカップルである。その2人に、かつて麦と絹が交わしたのと同じ会話を交わさせる。それを見つめるうちに、かつての自分たちの姿を重ね合わせ、2人は泣いてしまうのである。うーむ、何という心憎い仕掛け。本当に恋愛映画の手練れだな、坂元裕二は。

その後、別れたと言っても2人がしばらく一緒に暮らすのが面白い。何なんだろう?友人に戻ったということだろうか。何にしても2人は別れる。

そして2020年。冒頭のシーンにつながる2人の偶然の再会。お互いにそ知らぬふりをしつつ、サヨナラをする。その心中やいかに。もうすでに吹っ切れた? わずかに残る未練を振り捨てようとしてた? それは何とも言えないが、後味はけっして悪くない。

主演の2人以外にも、意外なところで意外なキャストが出演している。絹の両親役の戸田恵子岩松了、麦の父親役の小林薫、絹の勤務先の社長役のオダギリジョーなどなど。韓英恵瀧内公美あたりもいい味を出している。

ベタな恋愛ドラマにもかかわらず、過剰な演出で強引に泣かせにかかることもなく、ごく自然体でていねいに仕上げた作品だ。おかげで、無理のない情感が漂ってくる。昨今のラブストーリーには、キラキラ系や劇的なものも目につくが、そうした映画とは無縁。実によくできた恋愛映画である。

 

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◆「花束みたいな恋をした」
(2021年 日本)(上映時間2時間4分)
監督:土井裕泰
出演:有村架純菅田将暉、清原果耶、細田佳央太、オダギリジョー戸田恵子岩松了小林薫韓英恵、中崎敏、小久保寿人瀧内公美、森優作、古川琴音、篠原悠伸、八木アリサ押井守Awesome City Club、PORIN、佐藤寛太岡部たかし
*TOHOシネマズ日比谷ほかにて公開中
ホームページ http://hana-koi.jp/

「ヤクザと家族 The Family」

「ヤクザと家族 The Family」
2021年1月29日(金)ユナイテッド・シネマとしまえんにて。午後1時10分の回(スクリーン3/F-18)

~家族を求めた孤独なヤクザの物語

ほぼ死滅したと思っていたヤクザ映画。だが、ここのところ井筒和幸監督の「無頼」、そして藤井道人監督の「ヤクザと家族 The Family」と立て続けに新たなヤクザ映画が登場した。

「ヤクザと家族 The Family」は「新聞記者」「宇宙でいちばんあかるい屋根」の藤井監督のオリジナル脚本による作品。「新聞記者」のスタッフが中心になって作られたという。

文字通りヤクザ映画である。冒頭に海中を水死体が浮遊する姿が映る。実は、これ、映画の終盤につながるシーンなのだ。

1999年。父親を覚せい剤で亡くし、天涯孤独となった19歳の山本賢治綾野剛)は、その日暮らしの生活を送っていた。そんなある日、行きつけの食堂で飲んでいた山本は、そこに居合わせた柴咲組組長・柴咲博(舘ひろし)をチンピラの襲撃から救う。やがて、柴咲は山本に手を差しのべ、2人は父子の契りを結ぶ。

2005年、山本はヤクザの世界で男を上げる。そんな中、山本はキャバクラのホステスをしていた由香(尾野真千子)に好意を持つ。強引に迫る山本だが、由香は断固として拒否する。それでも2人は少しずつ距離を縮める。だが、柴咲組のライバル侠葉会との争いの中で、若頭の中村が侠葉会の男を刺してしまう。山本は組織を守るため身代わりに刑務所に入る。

2019年、14年の刑期を終えて出所した山本が直面したのは、暴対法の影響でかつての隆盛の影もなくなった柴咲組の姿だった。組員も減少し、資金面も厳しくなっていた。そんな中で、山本は由香と再会するのだが……。

というわけで、3つの時代を通して描かれるヤクザ映画である。それは同時に家族のドラマでもある。実の親を亡くし、自暴自棄になっていた山本に柴咲組組長・柴咲博が目をかける。柴咲は昔気質のヤクザだ。麻薬取引は行わず義理人情を重んじる。まさに父親のような包容力を持った男なのである。

しかも、演じているのは舘ひろしである。セリフは少ないものの、その背中が多くを物語る。「行くとこあるのか?」のセリフだけで、山本は号泣してしまうのである。こうして山本は柴咲組に疑似家族を見出す。

家族のドラマはまだある。山本たちが足繁く通う食堂の店主・愛子(寺島しのぶ)の亡き夫は柴咲の弟分だった。だが、彼は抗争の中で殺されてしまう。そして愛子には息子の翼がいた。食堂の片隅で勉強をする翼に、山本は「俺達のようになるなよ」と言う。

しかし、出所した山本の前に現れた22歳の翼(磯村勇斗)は、夜の街を仕切る存在になっていた。彼は秘かに父の仇を討とうと思っていた。

そして3つめの家族のドラマがある。山本自身のドラマである。山本が再会した由香には、14歳になる娘がいた。山本は2人のために、ヤクザをやめようとするのだが……。

正直なところ、この由香と娘のドラマは既視感ありありである。「まさかそんなお手軽な展開にはなるまい」と思っていたら、本当にそうなってしまった。

ただし、その後の展開を考えれば、あれしかなかったのかという思いもある。家族をテーマにしたドラマということを考えれば、なおさらである。

終盤は切ない展開が待っている。時代はもはやヤクザの存在を許さない。山本のかつての仲間は言う。「ヤクザをやめても5年間は人間扱いされない」。その間は銀行口座も持てず、保険にも入れず、住宅の確保にも不自由するありさまだ。

それは社会が抱える矛盾だ。かつては必要悪としてその存在を黙認してきたヤクザを、今は社会が袋叩きにする。現役の組員ならまだしも、組をやめた者に対してもだ。

山本はヤクザだったというその一点において、愛する者を傷つけてしまう。ごく平凡な、何気ない日常を望み、その願いが叶いつつあったのに。

そんな山本の心情がストレートに告げられる場面が、とても切ない。その姿には哀愁が漂う。そして、行き場をなくした彼が選んだのは……。

綾野剛の多面性ある演技が素晴らしい。金髪で突っ張って生きていた時も、柴咲組の一員として肩で風を切っていた時も、乱暴な口調の隙間から繊細な感情が覗く。特に終盤の演技は過去の出演作の中でも出色だろう。

そして舘ひろし。貫禄である。一度だけ啖呵を切る場面があるが、それ以外は基本はおとなしい。それでも、そこにいるだけで存在感がある。終盤で癌に侵された姿も印象深い。

ヤクザ役の北村有起哉市原隼人菅田俊、康すおんなども、いずれも顔つきや体全体から発する雰囲気はヤクザそのもの。それでいて、滅びゆく者の哀しさも体現した演技だった。敵対するヤクザの豊原功補のえげつなさ、丸暴刑事役の岩松了の憎々しさも半端なかった。

家族という切り口で描いた新たなヤクザ映画だ。社会の在りように対する疑問も提示される。作り手の気概とこだわりを感じさせる作品である。

 

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◆「ヤクザと家族 The Family」
(2021年 日本)(上映時間2時間16分)
監督・脚本:藤井道人
出演:綾野剛舘ひろし尾野真千子北村有起哉市原隼人磯村勇斗菅田俊、康すおん、二ノ宮隆太郎駿河太郎岩松了豊原功補寺島しのぶ
*TOHOシネマズ日比谷ほかにて全国公開中
ホームページ https://yakuzatokazoku.com/

 

「シカゴ7裁判」

「シカゴ7裁判」
2021年1月27日(水)池袋HUMAXシネマズにて。午後12時より鑑賞(シネマ3/E-12)

~豪華キャストで見せる法廷劇は、今に通じる人権と言論の戦い

コロナ禍で新作の公開が滞りがちだが、その思わぬ副産物で見逃しかけた作品が意外な映画館で公開されたりする。池袋HUMAXシネマズの上映作品を見ていたら、昨年10月にNetflixで配信され、一部の劇場で公開もされた「シカゴ7裁判」があるではないか。Netflixには加入していないし、劇場でも観ていなかったので、さっそく足を運んだのである。

1968年、シカゴで大統領候補を決める民主党全国大会が開かれた。会場近くでは、ベトナム戦争に反対する市民や活動家たちが抗議デモのために集結した。当初は平和的に実施されるはずだったデモは徐々に過激化していき、警察との間で激しい衝突へと発展する。デモの首謀者とされたアビー・ホフマン(サシャ・バロン・コーエン)、トム・ヘイデン(エディ・レッドメイン)ら7人の男「シカゴ・セブン」は、暴動を煽った罪で起訴されてしまう。

当時はベトナム戦争が泥沼化していた時期。増兵に次ぐ増兵で、兵士を徴兵するのに誕生日の書かれた球をくじ引きする姿が衝撃的だ。そんな中で、民主党の大統領候補選びに影響を及ぼそうと、様々な人々がベトナム戦争反対のデモをする。それが警察との衝突に発展する。

そして起訴された7人。彼らを被告とした法廷ドラマを中心に、裁判の舞台裏や暴動当日の様子などを描いている。

本作は実録ドラマではあるが、エンターティメントとしての面白さにあふれている。何しろ登場人物が強烈だ。7人の被告は、同じ被告でもそれぞれに個性的。考え方も急進的なものから穏健なものまで様々なら、服装や態度まで全く違う。共通項はベトナム戦争反対だけ。したがって、裁判の進め方でも大モメにモメる。

それを御するクンスラー弁護士も型破りだ。ベテランだけに、したたかかつ狡猾に裁判を進めようとする。しかし、個性的な被告たちは一筋縄ではいかない。そのためケンカ腰でやり合う場面が何度もある。

そして極めつけがジュリアス・ホフマン判事だ。まるで偏見の塊のような人物で、次々と検察に有利な判断を下す。被告にはまともな反論も許さず、法廷侮辱罪を連発する。タヌキおやじそのものである。

前半でその犠牲になるのが、ボビー・シールという黒人被告だ。ブラック・パンサー党のリーダーの彼は、7人の被告と一緒に起訴されていたが、代理人が不在にもかかわらず裁判を進められるなど差別的な扱いを繰り返し受ける。その挙句に、判事から拘束を命じられてしまうのだ。あまりのことに、彼の審理は検事からの提案で無効になってしまう。

こうしてボビー・シールが法廷を去ってからは、7人の裁判が集中的に描かれる。証人はすべて警察や行政の人間で、検察に有利な証言をする。デモ当時は仲間のようにすり寄ってきた人物も、実は警察やFBIの人間だったりしたのだ。

おかげで被告たちは追い込まれる。絶体絶命の裁判。だが、やがて光が見える。実は起訴された7人は捜査の結果、罪には問えないと結論付けられていた。それがどうして起訴されたのかというと、そこにはミッチェル司法長官の思惑がある。ラムゼイ・クラーク前司法長官が嫌いなミッチェルは、前任者の意向を無視して、無理やり起訴に持ち込んだのだ。いわば無理筋の起訴というわけ。

そのことを知ったクンスラー弁護士は、クラーク前司法長官を証人として呼ぶことを画策する。一発逆転のチャンスである。司法省の反対を押し切ってクラークは自ら証人になる。ところが、ここでもホフマン判事が邪魔をする。彼はクラークの証言を「なかったこと」にしてしまうのだ。

もはや手の打ちようがない被告たち。終盤には穏健派のトムが証言しようとする。だが、そのトムが暴動の途中で、警察の暴挙に頭に血が上って過激なことを言っていたことがわかる。そこでのクンスラー弁護士とトムのやりとりが迫力満点だ。終盤の1つのハイライトといっていいだろう。結局、証言はトムではなくアビーが行うことになる。

そして迎えた判決の日。ホフマン判事は穏健なトムに対して、自分の望み通りの証言をすれば罪を軽くすると言う。だが、トムはそこで被告の1人が記録していたベトナム戦争の犠牲者の名前を一人ひとり読み上げる。法廷に拍手の嵐が巻き起こる。ほとんどの人が犠牲者に敬意を表して立ち上がり、検事までもが立ち上がる。文句なしの感動の場面だ。

この映画の脚本は、「ソーシャル・ネットワーク」「マネーボール」「スティーブ・ジョブズ」などの脚本で知られ、「モリーズ・ゲーム」で監督業にも進出したアーロン・ソーキンが2007年に書いたもの。当初はスティーブン・スピルバーグが監督するはずだったのが、諸事情から降板。結局、今になってソーキンが自らメガホンをとって完成させたとのこと。

それにしても豪華なキャストである。被告役のサシャ・バロン・コーエンエディ・レッドメインジョン・キャロル・リンチなどに加え、若手検事役のジョセフ・ゴードン=レヴィット、弁護士役のマーク・ライランス、判事役のフランク・ランジェラ、クラーク前司法長官役のマイケル・キートンなどが、膨大なセリフ劇を迫真の演技で見せている。

エンターティメントとして面白いと言ったが、当然ながら本作で描かれているのは人権と言論の戦いである。油断をすれば権力は、いつでもその恐ろしい牙をむくのである。その点で1960年代のドラマではあるが、今のアメリカの人々の心にも響くドラマといえる。いや、アメリカだけではない。世界中どこでも通用するドラマなのである。

いやぁ~、見逃さないでよかったぜ。


『シカゴ7裁判』予告編 - Netflix

◆「シカゴ7裁判」(THE TRIAL OF THE CHICAGO 7)
(2020年 アメリカ)(上映時間2時間9分)
監督・脚本:アーロン・ソーキン
出演:サシャ・バロン・コーエンエディ・レッドメイン、ジョセフ・ゴードン=レヴィット、マイケル・キートンマーク・ライランス、アレックス・シャープ、ジェレミー・ストロング、ヤーヤ・アブドゥル=マティーン2世、ジョン・キャロル・リンチフランク・ランジェラ
*池袋HUMAXシネマズほかにて公開中
ホームページ https://chicago7-movie.com/

「KCIA 南山の部長たち」

「KCIA 南山の部長たち」
2021年1月23日(土)グランドシネマサンシャインにて。午後12時35分の回(シアター10/F-9)

~暗殺者は理想に準じたのか、それとも権力欲にとりつかれたのか

「タクシー運転手~約束は海を越えて~」「1987、ある闘いの真実」など実録現代史ドラマは、韓国映画お得意のジャンルだ。1979年に起きたパク・チョンヒ(朴正煕)大統領暗殺事件を描いた「KCIA 南山の部長たち」も出色の作品となっている。原作はキム・チュンシクによるノンフィクション「実録KCIA『南山と呼ばれた男たち』」。監督は「インサイダーズ 内部者たち」のウ・ミンホ。

暗殺までの40日間に焦点を絞った物語だ。1979年10月26日、大韓民国大統領直属の諜報機関である中央情報部(KCIA)部長キム・ギュピョンが大統領を射殺した。大統領に次ぐ権力を持つといわれたKCIAのトップが、いったいなぜそんなことをしたのか。その謎を解き明かしていく。

映画はKCIAの元部長パク・ヨンガク(クァク・ドウォン)が、亡命先のアメリカ下院議会聴聞会でパク大統領(イ・ソンミン)の腐敗ぶりを告発するところから始まる。事態の収拾を命じられた現在のKCIA部長キム・ギュピヨン(イ・ビョンホン)は、渡米してヨンガクに接触する。執筆中の回顧録の原稿を回収することに成功したキムだが、ヨンガクから大統領の腐敗ぶりを吹き込まれて動揺する。さらに帰国後は大統領警護室長クァク・サンチョン(イ・ヒジュン)との権力争いが待っていた。その争いでキムは劣勢に立たされる。

異様な緊張感に満ちた映画である。重く張り詰めたような空気がスクリーンを支配する。その中で、主人公のキム部長、パク大統領、ヨンガク、そしてクァク室長が権力争いを繰り広げる。

焦点はなぜキム部長が犯行に及んだのかだ。パク大統領はクーデターによって政権を握った。キム部長はその腹心として革命の志に準じ、長らく忠誠心を誓ってきた。だが、政権が長期化するにつれて、大統領は独裁者と批判されるほど絶大な権勢を振るうようになる。

キムはそれを良しとしなかった。劇中でパク大統領は何度も強権ぶりを発揮する。それを後押しするのがクァク室長だ。治安を維持するためなら、国民に銃を向けることも厭わない。キムはそれが許せなかった。だから、両者は激しく対立する。

キム部長の姿勢は観客の共感を呼ぶだろう。とはいえ、キムを独裁者の横暴を阻止する英雄としては描かない。すでにアメリカはパク大統領を見限っていた。その後釜は誰なのか。キム部長にもその目は十分にあった。だとすれば、キム部長の行動は自らが権力を握るためのものとも考えられる。

実際、キム部長はある暗殺事件の計画を知りながら、それを阻止することをせずに元盟友を見殺しにする。英雄ならそんな行動を取るはずがない。その暗殺事件の経緯と、劇場でパク大統領を挟んで座るキム部長とクァク室長の姿をリンクさせた場面がスリリングだ。

本作にはスパイ映画的な側面もある。海外ロケをしたアメリカとフランスを舞台に、国家の裏切り者のヨンガク、女性ロビイスト、KCIAの要員が暗躍する。その様子はまるで先頃亡くなったジョン・ル・カレの小説の映画化作品のようである。

終盤、キム部長はパク大統領に叱責され、遠ざけられる。逆にクァク室長の力が強まる。その現状に耐えられなくなったキム部長は、ついに暗殺事件を起こす。

本作には血生臭い場面はほとんどない。だが、クライマックスの暗殺シーンは別だ。そこでは壮絶な場面が展開される。キム部長の拳銃の弾が切れて焦ったり、血のりに足を滑らせて転んだりといったディテールにもこだわる。

ラストには本物のキム部長の声が流れる。裁判での最終陳述の模様だ。彼は自らが革命家であることを主張する。

キム部長は理想に燃えた革命家なのか。それとも権力欲にとりつかれた男なのか。その判断は観客一人ひとりに委ねてドラマは終わる。

主演のイ・ビョンホンはほとんど無表情ながら、わずかな表情の変化がその心情を雄弁に物語る演技だった。それに負けず劣らず存在感を発揮しているのが、クァク・ドウォン、イ・ヒジュン、イ・ソンミン。その面構えが素晴らしい。彼らのバトルは迫力満点だった。

重厚なサスペンスである。そして終幕後には苦い余韻が残る。この事件がいかに複雑で謎めいているかを物語っている。

ちなみに暗殺事件後、またしてもクーデターが起きてチョン・ドゥファン(全斗煥)が政権を握る。韓国の民主化はまだ先のことである。

というような韓国の歴史を知らなくても、引き込まれること間違いなし。さすが韓国の実録現代史ドラマにハズレはない。

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◆「KCIA 南山の部長たち」(THE MAN STANDING NEXT)
(2020年 韓国)(上映時間1時間54分)
監督:ウ・ミンホ
出演:イ・ビョンホン、イ・ソンミン、クァク・ドウォン、イ・ヒジュン、キム・ソジン
*シネマート新宿ほかにて公開中
ホームページ http://klockworx-asia.com/kcia/

「キング・オブ・シーヴズ」

「キング・オブ・シーヴズ」
2021年1月20日(水)TOHOシネマズシャンテにて。午後12時30分より鑑賞(スクリーン1/H-13)。

~ジイサン窃盗団の犯行と哀切漂うその後

高齢化社会だけに高齢者による犯罪も目につく。そんな中でもそんじょそこらの犯罪とは格が違うのが、2015年にイギリスで起きた窃盗事件。史上最も高額の金品を金庫から盗んだのは、なんと最高齢の金庫破り集団だった。というわけで、その顛末を映画化したのが「キング・オブ・シーヴズ」だ。

映画の冒頭で妻と食事をしているのは、かつて「泥棒の王(キング・オブ・シーヴズ)」と呼ばれた男ブライアン(マイケル・ケイン)。今は裏社会からも足を洗い、穏やかな老後を送っていた。

だが、まもなく妻が死亡する。そんな中、知り合いのバジル(チャーリー・コックス)から、ロンドン随一の宝飾店街「ハットンガーデン」での金庫破りを持ちかけられる。そこでブライアンは、かつての仲間のテリー(ジム・ブロードベント)やケニー(トム・コートネイ)、ダニー(レイ・ウィンストン)、カール(ポール・ホワイトハウス)らを集めて窃盗団を結成する……。

いわばジイサンたちの金庫破りを描いた映画。「博士と彼女のセオリー」のジェームズ・マーシュ監督が、その模様をスタイリッシュかつスピーディに描写する。

ブライアンが再び悪事に手を染めるのは、妻を亡くした空疎な心があるようだ。生きる気力をなくした彼にとって、バジルの誘いは希望の灯に見えたのかもしれない。生前、妻から悪事を働かないように念押しされていたが、それも今となっては虚しい。

しかし、これがまあ杜撰な計画なのだ。何度も警報が鳴ったり、思うように壁を突き破れないなど、予想外のことが続出する。挙句は、一度撤収して夜にまた来ようなどと言い出す始末である。しかも、その間、年寄ネタが炸裂する。糖尿病をはじめお互いの持病を嘆くばかりか、仲間割れまで始めるのだ。これが笑わずにいられようか。

結局、ブライアンは途中でいなくなってしまう。それでも残りのメンバーは何とか大量の金品を盗み出すことに成功する。その総額25億円相当!

あとは逃走して悠々自適の生活を送るはずだった。だが、そこで問題が起きる。分け前を巡ってバトルが始まるのだ。メンバーはお互いに疑心暗鬼になり、隙あらば他のメンバーを出し抜こうとする。そこには途中で抜けたはずのブライアンも加わる。彼は若いバジルと組んで、分け前を手に入れようとする。

一方、警察は犯人たちのバトルを尻目に、監視カメラを分析したり、盗聴器を仕掛けたりして着実に彼らを追い詰める。ここも無言の警官を配してスタイリッシュに、テンポよく警察の捜査劇を展開する。

そしてついに……。

オーシャンズ11」のようなゴージャスで軽妙なケイパームービーを期待してはいけない。派手さは皆無の映画だ。前半こそ高齢者窃盗団の生き生きした姿に心が湧きたつが、後半のグダグダの展開はエンターティメントとしての盛り上がりに欠ける。だが、その分リアルさは十分だ。実話であることを意識して見れば、説得力満点の映画である。

映画の中で、メンバーの若き日の姿をチラリと見せる場面がある。その落差に驚かされる。雀百まで踊り忘れずとばかりに強盗に乗り出したものの、往時の輝きなど望むべくもない。強盗に再チャレンジする事情も人それぞれで、それゆえ私利私欲が露見する。そして寄る年波には勝てずにあっさり御用となる。そこには何やら哀切が漂うのである。

ベテラン役者の存在感が光る。マイケル・ケインをはじめ、ジム・ブロードベントマイケル・ガンボントム・コートネイ、ポール・ホワイトハウスマイケル・ガンボンレイ・ウィンストンが実にいい味を出している。何よりもそのクセモノ感漂うツラ構えが素晴らしい。

実話ということで、最後には後日談がさりげなく告げられる。驚くのは彼らが盗んだ金の大部分が戻っていないことだ。そして今も「アイツ」が捕まっていないのである。結局、最も翻弄されたように見えて、一番したたかだったのはアイツかもしれない。

 

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◆「キング・オブ・シーヴズ」(KING OF THIEVES)
(2018年 イギリス)(上映時間1時間48分)
監督:ジェームズ・マーシュ
出演:マイケル・ケインジム・ブロードベントトム・コートネイ、チャーリー・コックス、ポール・ホワイトハウスマイケル・ガンボンレイ・ウィンストン
*TOHOシネマズシャンテほかにて公開中
ホームページ https://kingofthieves.jp/