映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「野球少女」

「野球少女」
2021年3月5日(金)ユナイテッド・シネマとしまえんにて。午後12時40分より鑑賞(スクリーン7/D-9)

~夢をあきらめない真っ直ぐな心の清々しさ

水島新司の野球漫画「野球狂の詩」では、女性のプロ野球選手・水原勇気が活躍する。同作は、1977年に木之内みどり主演で日活で実写映画化もされている。

それから40数年の時を経て、韓国でプロ野球を目指す女子高生の奮闘を描いた青春スポーツ映画が登場した。その名も「野球少女」である。

高校の野球部でただ一人の女子選手として活躍し、天才野球少女と称えられてきたチュ・スイン(イ・ジュヨン)。彼女の夢はプロ野球選手になることだった。だが、現実には、女子というだけで正当な評価をされず、トライアウトさえ受けられない。おまけに母親からも反対されてしまう。そんな中、プロ野球選手の夢が破れた新人コーチのチェ・ジンテ(イ・ジュニョク)が赴任してきたことから、彼女の運命が変わり始める……。

スインは、かつて大きな話題を集めた選手だった。だが、それはあくまでも珍しい女子選手としてのこと。けっして実力を評価されていたわけではない。しかも、彼女は子供の頃から男の子に混じって野球をしていたが、バカにされ、差別され、それでも歯を食いしばって頑張ってきたのだ。

無口で、めったに笑顔を見せずに、遮二無二前に進む彼女の性格は、そうした環境から形成されたものかもしれない。彼女はひたすら目の前の壁を打ち壊そうとする。

高校では卒業の時期が近づき、進路を決めねばならない。スインと幼い頃から一緒に野球をしてきた男子選手はドラフトで指名された。周囲はスインを女子野球の選手にしたり、ソフトボールの選手にしようとするが、スインは絶対にプロの野球選手になると言って聞かない。

頼るべき家族も、母親が強烈に反対する。スインの父親は資格試験に何度も失敗している。その間は仕事もしていないようだ。彼に対する母の怒り、不満が、理不尽にもスインに向けられ、プロ野球選手という夢をあきらめさせようとする。

そんな中、新人コーチのチェ・ジンテが赴任してくる。彼はプロ野球選手の夢が破れ、妻とも別れて生活が荒れていたらしい。あまりやる気を見せないチェは、スインに対しても初めのうち「女がなぜ野球部にいるんだ」と懐疑的だ。だが、夢を追うスインの心はいささかも揺るがない。その執念に心動かされたチェは、彼女をサポートするようになる。

野球狂の詩」の頃は、女子のプロ野球選手は夢のまた夢。ある意味、絵空事の面白さがあったわけだが、その後は吉田えり片岡安祐美など、「目指すはプロ」を公言する選手が出現している(実現はしていないが)。

そうした時代の変化を反映しているのか、本作はリアルさを追求した作りになっている。ド派手な仕掛けは何もない。エキストラを大量動員した白熱の試合シーンなども登場しない。しごく真面目な描き方に終始しているのだ。

そこではスインの心情が丁寧に描かれる。どんなに周囲が反対しても、揺らがない彼女の真っ直ぐな情熱。頑固なのではない。どんなに差別されても、実力で負けたわけではない。彼女が夢をあきらめるのは、本当に敗北した時だけなのだ。

だから、スインは強烈なまでのストレートへのこだわりを捨てる。豪速球とボールの回転力が強みの彼女だが、球速は130キロそこそこしかない(130キロでもスゴイ球だが)。150キロを出すことを目指して、ハードなトレーニングを重ねるが、それは土台無理な話だった。

スインが悔しそうに語る場面がある。幼い頃は男子に負けない体格と体力を持っていたのに、年齢を重ねるうちに逆転されてしまった。その差は埋めようがないのだ。

そこで、コーチのチェはナックルボールの習得を勧める。ナックルは「ケガした選手が投げるボール」だと拒否していたスインだが、自らの球速の限界を悟り、ついにナックルボールを投げ始める。すべてはプロ野球選手になる夢の実現のためだ。

しかし、事態はなかなか思うようにいかない。スインは母の世話で、工場の現場で働くことになる。プロ野球選手はあきらめたのか?

いやいや、そんな中でも彼女は練習を続け、ついにチェのコネクションで、プロ野球チームのトライアウトを受けることになるのだ。

というわけで、ド派手な仕掛けこそないものの、クライマックスのトライアウトのシーンはなかなかの緊迫感だ。バッターとの対決は見応えがある。

そして、その後は二転三転する展開の末、彼女の新たな旅立ちをスクリーンに刻んでドラマは終わる。

前面にこそ出ていないが、本作には最近のジェンダー平等に対する社会の盛り上がりが反映されているに違いない。「女のくせに」という言葉が、常にスインにはついてまわる。夢をかなえるために限界に挑み続けるスインの戦いは、そうした社会の固定観念との戦いでもあるのだ。

主演のイ・ジュヨンの力強い演技が光る。基本は強気を押し通す彼女だが、その裏で時には弱さも垣間見せる。そのバランスが素晴らしい。野球の演技もなかなか本格的だ。Netflixのドラマ「梨泰院クラス」で注目を集めたのこと(観ていないのでよく知らないが)。

差別にめげず、夢をかなえるために全力でぶつかるスインの姿が清々しい。「女のくせに」などといわれて悔しい思いをした経験のある人のみならず、すべての夢をあきらめない人への力強い応援歌となるはずだ。

 

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◆「野球少女」(BASEBALL GIRL)
(2019年 韓国)(上映時間1時間45分)
監督・脚本:チェ・ユンテ
出演:イ・ジュヨン、イ・ジュニョク、ヨム・ヘラン、ソン・ヨンギュ、クァク・ドンヨン、チュ・ヘウン
*TOHOシネマズ日比谷ほかにて全国公開中
ホームページ https://longride.jp/baseballgirl/

「夏時間」

「夏時間」
2021年2月28日(日)ユーロスペースにて。午後12時45分より鑑賞(スクリーン2/B-10)

~10代の少女の胸に抱え込んだ複雑な思いを繊細に

10代の少女の心を繊細に捉えた韓国映画といえば、キム・ボラ監督の「はちどり」が思い浮かぶが、それとはまた違った趣の一作がユン・ダンビ監督による長編デビュー作「夏時間」である。10代の少女のひと夏の経験を描き、第24回釜山国際映画祭で4部門を受賞した。

夏休み。10代の少女オクジュ(チェ・ジョンウン)は、父(ヤン・フンジュ)が事業に失敗し、母と離婚したため、弟ドンジュ(パク・スンジュン)とともに祖父の大きな家に引っ越してきた。ドンジュがすぐに新しい環境に馴染むのとは対照的に、オクジュはなかなか慣れることができなかった。そこに離婚寸前の叔母まで住みつき、一つ屋根の下に三世代が集まるのだが……。

「はちどり」が当時の韓国社会を反映させた物語だったのに対して、こちらはよりパーソナルな物語を紡ぎだしている。10代のオクジュの視点から、祖父の家で過ごすひと夏の日々を描いている。

終盤まで、取り立てて大きなことは起きない。父親がろくでもない奴で、叔母さんが輪をかけたろくでなしで、祖父までがひどい人間だったりしたら、これはもう悲劇のヒロインになるわけだが、そうはならない。

父はとても優しく家族思いで、金を貯めて何とか再起しようとしている。子どもがいない叔母さんも、2人を我が子のように可愛がる。そして、年を取ってだいぶ弱ってきてはいるものの、祖父も2人に優しく接する。

これで何が不満なんだ?と思うかもしれないが、オクジュには言葉にできない様々な思いがある。弟のドンジュはすぐにこの家に慣れるが、オクジュは居心地の悪さが拭えずにいる。

一見、何気ない日常が過ぎていく。祖父の誕生パーティーを開いたり、叔母に恋の相談をしたり、一緒に料理をしたり。弟とケンカもするが、すぐに仲直りする。父、叔母、弟、祖父との温かな交流が続く。

祖父の家は、庭のある大きな家だ。その庭ではいろいろな野菜や果物が栽培されている。広い居間、ステレオセット、蚊帳、窓際に置かれたミシン、真っ赤なスイカ……。ノスタルジックなアイテムが郷愁を誘う。オクジュは祖父がステレオセットから流れる音楽に、涙する場面を目撃する。

だが、それでも居心地の悪さは消えない。穏やかな日々の合間に、オクジュがチラリチラリと見せる屈折した感情を、ユン監督は繊細に切り取っていく。

彼女の居心地の悪さの原因の一つは、母に対するわだかまりのようだ。本作では、父と母が別れた経緯を明確に説明しないが、彼女は母に捨てられたと思っているらしい。そのため、弟が母に会いに行くというと「やめろ」と強く言い、実際に会ってお土産をもらってくると、烈火のごとく怒って弟を泣かせてしまう(ちなみに、そこでの祖父のさりげない気遣いがたまらない)。

そんな中で、オクジュは自分と家族の在り方を考えざるを得なくなる。

いかにも思春期らしいオクジュのエピソードも登場する。瞼を二重にしたいから手術代を貸せと父に頼むのだ。父は一重でも十分にきれいだと断るが、やがてこれが騒動のもととなる。

オクジュは父が行商をしている靴を拝借して、勝手に転売しようとして警察沙汰になる。そこからその靴が偽のブランド品であることを知る。彼女はその靴を好きな男の子に上げていたのだ。

そんな波乱も含みつつ、ようやくオクジュがこの家に親しみを覚えるようになった頃、祖父が病気になってしまう。家で祖父の面倒を見るのか、老人ホームに入れるのか、家族は難しい選択を迫られる。

終盤には衝撃的な出来事が待っている。そして、ラストシーンでオクジュは号泣する。この号泣は鳥肌ものだ。彼女のすべての思いがそこに込められている。心にたまっていたものをすべて吐き出すような号泣である。

チェ・ジョンウン、パク・スンジュンという子役二人の自然な演技が素晴らしい。芝居をしていることを忘れさせる演技だった。特にチェ・ジョンウンのふくれっ面がいい。時には笑顔を見せるのだが、けっして破顔一笑とはならない複雑な胸の内を巧みに表現していた。

本作は監督自身の実体験を描いたものではなく、自身が抱いた思いをベースにしつつも、物語の設定などはすべてフィクションのようだ。最初に書いたシナリオは「パラサイト 半地下の家族」のようなブラックコメディー風だったが、スタッフの意見を聴き書き直したという。そういう点でも、幅の広さを持つ才能あふれる監督なのだと思う。

楽しかったけれど、同時に悲しくてつらかったひと夏の体験は、オクジュを確実に成長させてくれるに違いない。彼女にとって生涯忘れられない「夏時間」になったことだろう。

 

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◆「夏時間」(MOVING ON)
(2019年 韓国)(上映時間1時間45分)
監督・脚本:ユン・ダンビ
出演:チェ・ジョンウン、ヤン・フンジュ、パク・スンジュン、パク・ヒョニョン、キム・サンドン
ユーロスペースほかにて公開中
ホームぺージ http://www.pan-dora.co.jp/natsujikan/

「あのこは貴族」

「あのこは貴族」
2021年2月27日(土)シネ・リーブル池袋にて。午後12時30分より鑑賞(シアター2/G-3)

~東京の異なる階層で生きる女たちの解放への道

映画「あのこは貴族」は、車の窓越しの東京の夜景からスタートする。それはひたすら華やかで光に満ちている。だが、この街にも影はある。東京にはいくつもの階層があり、それぞれの階層の人々の暮らしはまったく違うのだ。

そんな東京の違う階層で生きる2人の女性の物語である。原作は山内マリコの小説。監督・脚本は、2014年に「グッド・ストライプス」で商業映画デビューした岨手由貴子。

タクシーでホテルに向かうのは榛原華子(門脇麦)。家族との食事会に出かけるところだ。だが、遅れて参加した彼女を見て家族たちは驚く。連れてくるといったはずの婚約者がいないのだ。なんと今日別れたというのである。華子は振られたのだ。

榛原家は東京の松濤に家がある。父は医者だ。いわゆる上流家庭である。当然、華子は箱入り娘ということになる。その箱入り娘が男に振られたとあって、家族はすぐに見合いの話をする。離婚した姉(「ミセス・ノイズィ」の篠原ゆき子がいい味を出している)は、「急にそんな話をするなんて」と言うのだが、「結婚=幸せ」と信じて疑わない華子は承諾する。

その後、見合いをするものの相手がろくでもない男(というより気色悪い?)で失敗に終わる。他にもあらゆる手段で男性を紹介してもらうが、関西弁でツッコミまくる男など、変な人ばかりでうまくいかない。

そんな中、義兄の紹介で、弁護士の青木幸一郎(高良健吾)と出会った華子は、とびっきりハンサムで優しいとあって「運命の相手だ!」と確信する。

幸一郎は、代々、政治家を輩出してきた名門の子息で、将来は幸一郎も代議士になることを義務付けられていた。榛原家よりはるかに上を行く超上流家庭である。半年間の交際を経て幸一郎は華子に結婚を申し込み、2人の結婚が決まる。

と、ここまでが華子の章。続いて時岡美紀(水原希子)の章が始まる。

正月休みに故郷の富山に帰省する美紀。相変わらず死んだような街の光景。そして、そこで滓のように生きる父、母、弟。

美紀は過去を回想する。名門大学に入学して上級したものの、そこには付属高校から上がってきたグループがあり、美紀たちとは全く違う種類の学生だった。その後、父の失業によって学費に窮して、美紀はついに大学を中退する。そして、キャバクラで働いているうちに、コネをつかんで大手企業に入社したのだ。

同時に美紀は故郷での同窓会で、大学時代の友人だった平田里英(山下リオ)と再会する。

東京の上流家庭の華子と、地方出身者で苦労が絶えない美紀。一見交わるはずのない2人が、ある人物によって結び付けられる。幸一郎である。

実は、美紀と幸一郎は大学時代の同級生で、その後、再会して腐れ縁の関係になっていたのだ。そのことを知った華子の友人のバイオリニストの相良逸子(石橋静河)は、2人を合わせることにする。

さあ、1人の男を巡って2人の女が対決する大立ち回りの始まりだ!

と思いきや、そうはならないのである。2人は最初こそギクシャクするものの、お互いを
認め合う。恋のさや当てをするのが女、などというバカバカしい先入観や固定観念は吹っ飛ばされる。生まれも育ちも生き方も正反対の2人の関係に、対立や分断ではなく共生を持ち込むのだ。何とラディカルな!

その後、幸一郎は多忙になり、華子は孤独を感じるようになる。一方、美紀は里英からある誘いを受ける……。

すでに述べたように、東京の街には厳然たる階層が存在している。その頂点に立つのが幸一郎の家であり、それには及ばないものの、華子の家も上流に位置する。そして、美紀のような多くの「地方出身者の養分」を吸い取って東京は成立している。

だが、そんな階層に関係なく、華子には華子の、美紀には美紀の生きづらさがある。悩みや葛藤を抱え込んでいる。2人は、そこから自らを解放するために行動するのだ。しなやかに、したたかに、そして愚直に。

岨手由貴子監督は、東京の異なる階層で息苦しさを感じる2人の女性が、偶然の出会いをきっかけに、自分の人生を切り開いていくさまを生き生きと描き出している。

ラストシーンの華子と幸一郎の表情が印象深い。自由を手に入れた華子を見つめる幸一郎。彼もまた考えようによっては、決まったレールの上を歩かざるを得ない息苦しさを抱え込んでいるのかもしれない。

東京で生まれ育った箱入り娘・華子を演じた門脇麦、地方出身で都会の荒波を身一つで泳いできた美紀を演じた水原希子の演技が素晴らしい。2人が直接絡む場面は少ないのだが、さりげない連帯感のようなものを漂わせる演技が絶品だった。特に苦悩する華子が美紀の家に行くシーンは、2人の心の通い合いがリアルに伝わってきて心が温かくなった。

さらに、2人の友人役の石橋静河山下リオ、幸一郎役の高良健吾も存在感のある演技を見せている。

直接的には、女性の生き方を描いた女性映画という捉え方をされるかもしれない。だが、生きづらさを抱えるのは女性ばかりではない。どんな環境においても、男女に関係なく生きづらさや息苦しさを抱えた人はいる。そういう点で男性にも響く映画だと思う。

自らを解放した女性たちの姿が、実に清々しい。その決断は、観客の背中も押してくれるに違いない。

 

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◆「あのこは貴族」
(2020年 日本)(上映時間2時間4分)
監督・脚本:岨手由貴子
出演:門脇麦水原希子高良健吾石橋静河山下リオ佐戸井けん太篠原ゆき子石橋けい山中崇高橋ひとみ津嘉山正種銀粉蝶
*ヒューマントラストシネマ有楽町ほかに公開中
ホームページ https://anokohakizoku-movie.com/

「藁にもすがる獣たち」

「藁にもすがる獣たち」
2021年2月23日(火・祝)グランドシネマサンシャインにて。午前11時25分より鑑賞(スクリーン10/F-9)

~大金を前に欲望を全開にする人々の深い業

お金は怖い。お金は人生を狂わす。お金は破滅への前奏曲だ。

というようなことを思い知らされたのが韓国映画「藁にもすがる獣たち」。なんと原作は日本の曽根圭介の小説だ。お金を巡るクライムサスペンスである。

冒頭にアップで映るのは大きなバッグ。実はその中には大金が入っている。サウナのロッカーにしまわれるバッグ。はたして、誰が何のためにロッカーに入れたのか。

そのサウナに勤務するのが、事業に失敗し、認知症の母を抱えた中年男ジュンマン(ペ・ソンウ)である。彼はロッカーで大金入りのバッグを発見する。

一方、失踪した恋人が残した多額の借金で、闇金の取り立てに追われる出入国管理官テヨン(チョン・ウソン)は、何とか金を工面しようと奔走する。

また、自らの借金と夫のDVに苦しむ主婦のミラン(シン・ヒョンビン)は、不法滞在者の青年と知り合い、夫の殺害を計画する。

これらのエピソードは一見無関係のように展開される。詳しいストーリーは書かないが、予測不能でスリリング。何が起きるか一寸先は闇だ。

登場人物はみんな金に困っている。何とかしようと欲望をむき出しにして、もがけばもがくほど裏目に出る。殺した相手が別人だったり、カモにしようと思った相手が現れなかったり。そこから乾いたユーモアも醸し出される。

二転三転する展開の中で、途中からは、謎の刑事がなれなれしくテヨンに接近してくる。ジュンマンはサウナを首になる。ミランは抜き差しならない事態に直面する。

そこで登場するのがラスボスともいうべき人物。テヨンの失踪した恋人ヨンヒ(チョン・ドヨン)である。彼女はこの物語の登場人物の中でも、群を抜いた残虐さを示す。猟奇性も発揮しつつ、不敵に自分の欲望のままに行動する。そのためまるでスプラッター映画のように血生臭い場面も飛び出すが、描写は抑えめなのでご安心を。

それにしても、愚かだ。醜い。人間は大金を前にすると、これほど弱いものなのだろうか。まさにタイトル通りに、窮地に追い込まれ、藁にもすがりたい状態で見せる彼らの姿は、憐れなのを通り越して滑稽ですらある。

そして終盤に進むにつれて、無関係に見えていたエピソードが時間軸をずらしつつ、一つにまとまっていく。おお!そうか。なーるほど、そうなっていたのね。序盤の伏線もきちんと回収される。脚本も兼ねるキム・ヨンフン監督、なかなかやりますなぁ。

ヨンヒは言う。「大金を手にしようと思ったら誰も信じちゃダメよ」。だが、そういう彼女もまた運命の嵐に巻き込まれていく。悲惨な出来事が連鎖的に起こる。因果応報。欲にからめとられた人々が破滅への道を転がり落ちる。

ラストも秀逸だ。例のバッグが渡った先は、今まで少しも欲望を見せることなく、苦難を耐え忍んできた人物である。だが、その人物とて、ひとたび大金入りのバッグを手にしたら……。エンディングの先にあるドラマも、色々と想像させられる。

役者陣の怪演がスゴイ。チョン・ドヨンは、妖艶で猟奇的で凶暴な悪女に扮している。そのクセモノぶりは存在感バツグン。さすが「シークレット・サンシャイン」でカンヌの主演女優賞を受賞しただけのことはある。いやぁ~、怖ろしい女です。

私の頭の中の消しゴム」「アシュラ」のチョン・ウソンも過去作にないタイプの役を演じている。チョン・ドヨンとの迫力満点のやりとりは、この映画の見どころのひとつだろう。

ジュンマン役のペ・ソンウ、ミラン役のシン・ヒョンビン闇金のボス役のチョン・マンシク、認知症のジュンマンの母を演じたユン・ヨジョンら、すべてのキャストがハマリ役だ。

大金を巡って繰り広げられる獣たちのバトルは文句なしに面白い。そして、そこから人間の業の深さも見えてくる。ポン・ジュノ作品のような社会性こそあまりないが、それとは違った魅力がある作品だ。韓国の興行収入ランキングで初登場1位を記録したのも納得。一級品のエンタメ映画である。

それにしてもお金は怖いなぁ。特に大金はなぁ。気をつけよう。たぶん一生縁がないけど。

 

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◆「藁にもすがる獣たち」(BEASTS CLAWING AT STRAWS)
(2020年 韓国)(上映時間1時間49分)
監督・脚本:キム・ヨンフン
出演:チョン・ドヨンチョン・ウソン、ペ・ソンウ、チョン・マンシク、チン・ギョン、シン・ヒョンビン、チョン・ガラム、ユン・ヨジョン
*シネマート新宿、グランドシネマサンシャインほかにて公開中
ホームページ http://klockworx-asia.com/warasuga/

「ファーストラヴ」

「ファーストラヴ」
2021年2月16日(火)ユナイテッド・シネマとしまえんにて。午後3時10分より鑑賞(スクリーン3/F-15)。

~殺人の動機は?過去のトラウマに苦しむ殺人犯と公認心理士

「ファーストラヴ」は、第159回直木賞を受賞した島本理生の小説が原作。それを浅野妙子が脚色し、堤幸彦監督のメガホンで映画化した。原作モノの映画を観る前に原作を読むことはほとんどないのだが、この映画に関しては珍しく鑑賞前に原作を読了していた。

アナウンサー志望の女子大生・聖山環菜(芳根京子)が、父親を刺殺した容疑で逮捕される。彼女が取り調べで語った「動機はそちらで見つけてください」という挑発的な言葉が世間の注目を集める。そんな中、公認心理師の真壁由紀(北川景子)が、事件のルポルタージュを依頼されて取材に乗り出す。一方、由紀の夫・我聞(窪塚洋介)の弟で、由紀の大学時代の同級生でもある庵野迦葉(中村倫也)は、国選弁護人として環菜の弁護に当たる。由紀は迦葉と協力して本当の動機を突き止めるべく、環菜との面会を重ねていくのだが……。

文庫本にして約350ページの内容を、約2時間の映画に落とし込むのだから、当然原作を改変している。たとえば、原作では主人公の真壁由紀には息子がいるが、映画では子供はいないことになっている。また、彼女の夫・我聞は原作では結婚式のカメラマンだが、映画では写真館を経営している。

それ以外にも、原作ではかなりフィーチャーされている編集者の存在が希薄だったり、同じく原作では出番の多い迦葉の相棒弁護士がほとんど出てこなかったりする。迦葉と弁護士事務所の女性スタッフとの恋愛沙汰も描かれない。

というわけで、色々と改変はされているのだが、基本となる構図は同じである。中心的に描かれるのは公認心理師の由紀が、父親を殺したとされる女子大生・聖山環菜と拘置所で面会し、彼女の心を開こうとするドラマだ。

だが、これが一筋縄ではいかない。環菜の供述は二転三転し、なかなか真実にたどり着けない。それでも面会を繰り返すうちに、彼女の過去の秘密にたどり着く。画家である父親が開いていた絵画教室の絵のモデルになっていたこと、12歳の時に知り合ったある男性の存在、そして自傷の傷跡……。

由紀役の北川景子と環菜役の芳根京子の対決は見応えがある。北川景子はしばらく見ないうちに(最近の彼女の出演作をほとんど観ていなかったので)すっかり演技派に成長していた。もはやただの綺麗なお姉さんではない。本作でも影を背負いつつ前に進もうとする女性を見事に演じている。一方の芳根京子も得体の知れなさを漂わせつつ、脆く崩れそうな心を抱えた女性を熱演している。

環菜の過去の秘密を知るうちに、由紀は心の奥に隠したはずの「ある記憶」と向き合うことになる。それは父に関することだ。そのおぞましい事実がよみがえり彼女を苦しめる。この由紀自身の過去に関するドラマも本作の見どころである。

さらに過去の秘密といえば、由紀と迦葉の学生時代の秘密もある。母に捨てられた迦葉と心に傷を抱えた由紀。かつて2人は心を通わせたことがある。だが……。

終盤には法廷シーンが登場する。事件を巡って検察側と弁護側が激しくやり合う。そこで環菜は初めて、心の内をあますところなくさらけだす。芳根京子の迫力ある演技は必見だ。

結末は原作と同様の展開。ただし、ラストシーンに我聞の写真展を持ってきたところが効果的。由紀と我聞の絆を感じさせるとともに、観客を清々しい心地にさせてくれる。

浅野妙子の脚本はソツがないし、堤幸彦の演出もツボを外さない。時にはカメラをぶん回すなど、過剰な演出が目につく監督だが、この映画に関してはそうしたところもあまり見られない。

北川景子芳根京子以外のキャストも好演している。迦葉役の中村倫也はハマリ役だし、環菜の母を演じた木村佳乃は最初は気づかなかったぐらい役になり切っている。そして我聞役の窪塚洋介。言葉は少ないものの、奥行きのある演技を見せる。これなら由紀が頼りにするのも納得の演技である。

原作モノにありがちなツッコミ不足のところもないではない。もう少し由紀と環菜の対決に焦点を絞った方がよかった気もする。

ただ、原作を先に読んだ身からすると、原作に出てくる内容が次々に目の前の映像となって現れるだけに説得力は抜群だ。特に環菜がモデルになった絵や、由紀のトラウマにまつわる出来事は、原作を読んだ時よりも衝撃が大きかった。

この作品で描かれている環菜や由紀のトラウマは、人によっては「その程度のこと」と思うかもしれない。だが、現実に傷ついたまま沈黙してきた女性たちが確実にいるのだ。そういう点でも、社会的に意義のある作品だと思う。

 

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◆「ファーストラヴ」
(2021年 日本)(上映時間1時間59分)
監督:堤幸彦
出演:北川景子中村倫也芳根京子板尾創路石田法嗣清原翔高岡早紀木村佳乃窪塚洋介
*TOHOシネマズ日比谷ほかにて全国公開中
ホームページ https://firstlove-movie.jp/

「私は確信する」

「私は確信する」
2021年2月14日(日)新宿武蔵野館にて。午後2時45分より鑑賞(スクリーン1/C-6)

~被告の無罪を証明するため猪突猛進する女性と敏腕弁護士

名作「十二人の怒れる男」の例を挙げるまでもなく、法廷劇は面白い。状況が二転三転する展開に加え、判決で白黒が決まるカタルシスもある。それを再確認させられたのが、「私は確信する」というフランス映画だ。大きな注目を集めた実在の未解決事件をめぐる裁判を基にした法廷サスペンスである。

2000年2月、フランス南西部のトゥールーズで3人の子どもを持つ女性スザンヌ・ヴィギエが忽然と姿を消した。やがて、大学教授の夫ジャックが殺人の容疑で逮捕される。確たる証拠がない中で第一審では無罪が言い渡されるが、検察は控訴し、第二審が始まろうとしていた。そんな中、シングルマザーのノラ(マリナ・フォイス)は、ジャックの無実を証明するために、敏腕弁護士のデュポン=モレッティオリヴィエ・グルメ)に弁護を依頼する。自らも助手として通話記録を調べ始めるノラだったが……。

この事件は難事件だ。明確な動機がなく、証拠もなく、スザンヌの遺体さえ見つからなかった。そのため、ジャックは証拠不十分で釈放されたにもかかわらず、事件から10年後に裁判にかけられる異例の展開をたどった。

おまけにジャックはヒッチコック映画のファンで、学生に「完全犯罪は可能だ」と話していたという。この映画の中でも、裁判長がジャックに「この事件と似ているヒッチコックの作品は?」と尋ね、ジャックが「バルカン超特急」「間違えられた男」を例に挙げるシーンがある。

そんな裁判劇の主役の一人がノラという女性だ。息子の家庭教師がジャックの娘だった縁で、ノラは頼まれもしないのに敏腕弁護士のデュポン=モレッティのところに押しかけて強引に弁護を依頼する。そして、彼の頼みにより250時間にも及ぶ通話記録を丹念に分析するのだ。

その通話記録の音声で色々な事実が明らかになる。ベビーシッターの証言が虚偽だったり、複数のダニエルと名乗る男が登場したり、失踪したスザンヌの恋人が怪しい行動を取っていたり……。そこがこのドラマの魅力の一つである。

とはいえ、とにかく次々に新たな事実が出てくるので、よほど神経を集中させていないと訳がわからなくなりそうだ。しかも、それらの事実が高速で展開するので、なおさらである。そのスピードについて行けない人もいそうだ。

その一方で、ノラの人間ドラマも描かれる。彼女は実は一審で陪審員だったのだ。その事実を隠していたために、モレッティ弁護士を怒らせ、アシスタントを首になってしまう。それでも彼女は猪突猛進して、独自に調査を続ける。挙句に、仕事に穴をあけて本職のシェフの仕事を首になり、息子をないがしろにして嫌われてしまう。

いったいなぜ彼女はそれほど裁判に入れ込むのか。それは単なる正義感からなのか。それとも……。こうしたノラのドラマもこの映画の大きな魅力だ。

そしてドラマのもう一人の主役が切れ者モレッティ弁護士である。彼の法廷戦術は一癖も、二癖もある予測不可能なものだ。協力者であるノラが見つけ出した新証拠をネタに、法廷を予想もしない方向に導く。

裁判の行方は二転三転する。被告のジャックにとって有利な展開になったかと思えば、次の瞬間にいきなり不利な状況に転じる。そのスリリングな展開も見応えがある。

そんな中で、スザンヌの恋人が真犯人だと確信したノラは、その証拠を集めようと奔走する。だが、モレッティ弁護士はそれを諫める。今この法廷でやるべきことは、真犯人を突き止めることではなく、ジャックの無罪を勝ち取ることなのだと。

この展開にこの映画の重要なポイントがあると思う。ジャックは疑わしいというだけで、逮捕され、裁判にかけられた。ノラがやろうとしていることも同じである。スザンヌの恋人が疑わしいというだけで、犯人にしようとしているのだ。確たる証拠もなしに犯人を作り出す怖ろしさこそが、この映画の訴えるメッセージではないのか。

やがて裁判のハイライトが訪れる。モレッティ弁護士の最終弁論だ。その演説は力強く、説得力に満ちている。演じるのは名優のオリヴィエ・グルメ。まるで一人芝居のような迫力の演技を披露する。

裁判の行方がどうなったかは書かないが、白黒は一応決着する。ただし、モヤモヤは残る。本当の事実がどうだったのかは、誰もわからないからである。

観終わって、人を裁くことの難しさをあらためて思い知らされた。「推定無罪」という当たり前の原則さえ危うい司法制度の問題点を、鋭く突きつけた映画といえるだろう。それはフランスに限らず、世界中に共通する課題である。

 

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◆「私は確信する」(UNE INTIME CONVICTION)
(2018年 フランス・ベルギー)(上映時間1時間50分)
監督・脚本:アントワーヌ・ランボー
出演:マリナ・フォイス、オリヴィエ・グルメ、ローラン・リュカ、ジャン・ベンギーギ、フランソワ・フェネール、フィリップ・ドルモワ、フィリップ・ウシャン、インディア・エール、アルマンド・ブーランジェ、スティーヴ・ティアンチュー、フランソワ・カロン
*ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほかにて公開中
ホームぺージ http://www.cetera.co.jp/kakushin/

「春江水暖~しゅんこうすいだん」

「春江水暖~しゅんこうすいだん」
2021年2月13日(土)Bunkamura ル・シネマにて。午後1時25分より鑑賞(ル・シネマ1/C-5)

山水画のような風景の中で展開する現代中国の家族の肖像

開発が進む中国だが、広大な国土を持つだけに、山水画そのままの風景が今も各地に残る。杭州市富陽もそんな街だ。そして、その街を舞台にした家族の群像劇が「春江水暖~しゅんこうすいだん」である。

新人のグー・シャオガン監督の長編デビュー作で、2019年・第72回カンヌ国際映画祭批評家週間のクロージング作品に選ばれた。その破格のスケール感、自由で斬新なアイデアはとても新人監督の作品とは思えない。

杭州市富陽。グー家の家長である年老いた母の誕生日を祝うために、4人の息子や親戚たちが集まる。しかし、その最中に母が脳卒中で倒れてしまう。それをきっかけに母の認知症が進み、介護が必要になってしまう。4人の息子たちはそれぞれに複雑な事情を抱え、母を誰が世話するかで頭を悩ませるのだが……。

富陽は富春江という大河が流れる美しい街。同時に再開発が進み、古い建物が取り壊されている。そんな街を舞台に、親子三代の大家族が織りなすドラマを美しい四季の風景とともに描いている。

特筆すべきは圧倒的な映像美だ。元朝末期にこの地で描かれた山水画「富春山居図」にインスピレーションを得たというだけに、まるで絵画のような美しい映像が次々に飛び出す。しかも、常識破りのカメラの長回しや、壮大なロングショットなど大胆なショットを駆使する。

その中でも、序盤で飛び出す長回しは圧巻だ。グー家の長男の娘グーシーの恋人ジャンが富春江を泳ぎ、岸辺でグーシーと合流して歩いて行く姿を、10分に渡ってカメラを横移動させながら捉える。映画史に残るショットと言ったら言い過ぎだろうか。だが、それほど見事な映像なのである。

そんな映像美とともに映し出される家族の肖像。グー家の長男は中華料理店の店主。だが、経営は決して楽ではない。次男は漁師だが再開発で自宅を取り壊されることが決まっている。そのためしばらくは船上暮らしだ。三男は離婚してダウン症の息子を一人で育てているが、借金まみれでヤバい仕事に手を染めようとしている。四男は解体作業員で気ままな独身暮らし。

この4兄弟を中心に、認知症を患う母、結婚話が持ち上がる子供たちを絡めた3世代の家族ドラマが展開していく。グー監督は繊細に彼らの心の機微をすくい取る。

中心となるのは介護の問題である。母を誰が介護するのか。それには金銭問題が絡んでくる。借金まみれの三男はもちろん、中華料理店を経営する長男も金に苦労している。彼の妻は娘のグーシーをお金持ちと結婚させて、金銭苦から脱しようとするが、グーシーにはジャンという恋人がいる。そのため、母娘の関係は険悪となる。

こうして借金苦、介護、嫁姑の問題、親子の確執など、今の中国の庶民が抱える様々な問題が浮き彫りになる。山水画のような風景は歴史を感じさせるが、展開されるドラマはきわめて現代性を持つドラマなのである。

いわば古典と現代が同居したような映画だが、それを違和感なく併存させているのがこの映画の凄いところだ。美しい山水画のような風景と、激動の中国に生きる現代の家族の肖像が、一続きの絵巻のようにスクリーンに投影される。グー監督自身も言っているように、これは「現代の山水絵巻」なのである。

グー監督は、故郷の富陽が再開発で変わりゆく様を撮ろうと思い立ち、この映画を構想したという。そして2年間に渡って撮影を続け、完成にこぎつけた。その思いが十分に伝わる作品だ。

そこには台湾のホウ・シャオシャン監督やエドワード・ヤン監督、中国のジャ・ジャンクー監督の影響も見て取れる。グー監督はそれらの先輩たちの偉業を受け継ぎつつ、新たな世界を構築している。

出演する俳優は、グーシー役とジャン役などを除いて、いずれもプロの役者ではない。実際に富陽で生活している監督の親戚や知り合いが起用されたという。そこには予算削減の目的もあるだろうが、結果的に市井の人々を起用したことで、リアルでウソのない作りになっている。

ちなみに、ラストシーンのあとには「一の巻 完」という表示がされる。どうやら、グー監督、この映画を3部作にするつもりらしい。うーむ、はたしてこれを超える作品が撮れるのか。期待半分、心配半分で次作を待つとしよう。

 

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◆「春江水暖~しゅんこうすいだん」(春江水暖/DWELLING IN THE FUCHUN MOUNTAINS)
(2019年 中国)(上映時間2時間30分)
監督・脚本:グー・シャオガン
主演:チエン・ヨウファー、ワン・フォンジュエン、スン・ジャンジエン、スン・ジャンウェイ、ジャン・レンリアン、ジャン・グオイン、ドゥー・ホンジュン、ポン・ルーチーグーシー、ジュアン・イー、ドン・ジェンヤン、スン・ズーカン、ジャン・ルル、ムー・ウェイ
Bunkamura ル・シネマほかにて公開中
ホームページ http://www.moviola.jp/shunkosuidan/