映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「明日の食卓」

「明日の食卓」
2021年5月29日(土)新宿シネマカリテにて。午後3時より鑑賞(スクリーン1/A-10)

~3人の母の苦悩と葛藤を痛いほどリアルに見せる

映画化された小説を事前に読むことはめったにないのだが、椰月美智子の「明日の食卓」は珍しく数か月前に読了していた。その「明日の食卓」を瀬々敬久監督が映画化した。

瀬々監督といえば、「ヘヴンズ ストーリー」「64-ロクヨン-」「楽園」「糸」「8年越しの花嫁 奇跡の実話」「友罪」「菊とギロチン」など代表作を挙げればキリがない、今や押しも押されもしない実力派監督だ。

“石橋ユウ”という同じ名前の息子を育てる3人の母親たちの物語である。

神奈川県に住むフリーライターの石橋留美子(菅野美穂)は、長男・悠宇と次男の兄弟ゲンカに手を焼いていた。カメラマンの夫は家事にも子育てにも非協力的だった。やがて留美子の仕事が増え、夫が失業したことから事態は思わぬ方向に進む。

大阪のシングルマザー石橋加奈(高畑充希)は、コンビニとクリーニング工場の仕事を掛け持ちしながら、一人息子の勇を育てていた。だが、ある日、彼女はクリーニング工場を首になってしまう。おまけに、自分の弟に預金通帳を奪われてしまう。

静岡の専業主婦・石橋あすみ(尾野真千子)は、聞き分けの良い息子の優が自慢だった。
ところがある日、同級生の母親から、優がイジメをしていると電話がかかってきたことから、運命の歯車が狂い始める。

何しろ小説の映画化だから、すべてを詳細に描けるわけではない。はしょっているところもかなりある。小説ではそれなりの枚数をかけて描いているのに、セリフの説明ひと言で終わってしまうところもある。

それでも観応えは十分だ。直接は交わらない3つの物語を並行して展開し、それぞれの心の揺れ動きを余すところなく描いてみせるあたり、さすが瀬々監督である。お得意の手持ちカメラを使ったり、ホラー的な場面を取り入れたりと様々な工夫をして、3人の母親たちの苦悩と葛藤を浮き彫りにしている。相変わらず人物の心理描写はピカイチである。

ちなみに先に小説を読んでいたので、ストーリー展開は見え見え。ある子供がサイコパス少年の本性を現す……などというのも、事前にわかってしまっていたが、それでも興味が失せることはなかった。

ここに描かれているのは、夫とのすれ違い、仕事と育児の両立、シングルマザーの貧困など、世間の母親たちが直面しがちな問題だ。そこには社会の呪縛もある。母親はこうであるべきだ。こうでなければならない。そんな世の中の硬直化した常識が、彼女たちを苦しめる。

男性キャラクターの幼稚で無責任な言動も目立つ。小説では時間をかけて描いているので、彼らにも彼らなりの理屈があるらしいことがわかるが、映画になるとストレートにその言動の愚かさが見えてくる。もはやただのバカ男である。

一度崩壊しかけるともう止まらない。完璧な母親であろうとするがあまり、3人の母親たちの苛立ちと怒りの矛先は子供たちに向けられていく。後半には、それがクライマックスに達する。3人の母親の破滅へのプレリュードがシンクロするのである。

彼女たちが我が子の首に手をかけるシーンには、ただ戦慄するしかないが、同時にそこにギリギリまで追い詰められた母親たちの哀しみが漂う。

実は本作の冒頭では、あるシーンが描かれる。それはもう一人の「ユウ」が殺されるシーンである。終盤では、その犯人と留美子が対面する。そのことを通して、彼女たちとて一歩間違えば、我が子を殺してしまう可能性があることを印象付ける。それほど母親たちは追い詰められているのだ。

ラストの展開は原作とは違う。映画では最後に「母子の愛」を前面に打ち出し、「飛行機雲」を共通の風景として提示して「希望」の光を灯す。そこに作為性を感じないでもなかったが、どうしてもラストに希望を見せたいという瀬々監督の思い(脚本の小川智子も)は理解できる。

いずれにしても、日本の母親の置かれた過酷な環境を浮き彫りにし、その苦悩と葛藤をリアルすぎるほどリアルに見せた優れた作品だと思う。特に母親を経験した人なら、共感するところが多いのではないだろうか。

3人の主演女優の演技が圧巻だ。菅野美穂は、後半の破滅へと向かいかける表情が絶品。尾野真千子は、「茜色に焼かれる」とはまた違った母親像を見せている。高畑充希は、過去にあまり母親役の印象がないが、表面的には元気なのにさりげなく影を見せる演技が素晴らしい。

山口紗弥加真行寺君枝大島優子渡辺真起子菅田俊烏丸せつこなどの脇役の存在感が際立つのも本作の魅力だ。

 

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◆「明日の食卓」
(2021年 日本)(上映時間2時間4分)
監督:瀬々敬久
出演:菅野美穂高畑充希尾野真千子、柴崎楓雅、外川燎、阿久津慶人和田聰宏大東駿介山口紗弥加山田真歩水崎綾女、藤原季節、宇野祥平真行寺君枝大島優子渡辺真起子菅田俊烏丸せつこ
*新宿シネマカリテほかにて全国公開中
ホームページ https://movies.kadokawa.co.jp/ashitanoshokutaku/

「茜色に焼かれる」

「茜色に焼かれる」
2021年5月21日(金)ユーロスペースにて。午後1時35分より鑑賞(スクリーン2/E-9)

~「今」をとらえた石井裕也監督の思いと尾野真千子の圧巻の演技

今でなければ描けない映画がある。石井裕也監督の「茜色に焼かれる」はまさにそんな映画。登場人物はマスク姿だし、フェイスシールドやアクリル板、パソコン画面越しの高齢者施設の面会など、コロナ禍の今の日本が描かれる。コロナ禍だからこそ撮らねばならぬ、という石井監督の強い意思を感じさせる作品である。

7年前に交通事故で夫を亡くした田中良子尾野真千子)は、中学生の息子、純平(和田庵)を一人で育てている。事故の加害者は元官僚の高齢者。ブレーキとアクセルを踏み間違えて事故を起こした。しかし、その加害者から謝罪がなかったことから、良子は夫への賠償金の受け取りを拒否。今はスーパーの花屋のバイトと夜の風俗の仕事を掛け持ちしていた。だが、義父の介護施設の費用や亡き夫と愛人との子供の養育費まで払っているため、生活は苦しい。

いうまでもなく、7年前の交通事故のモデルとなったのは、19年4月に高齢者の運転する乗用車が暴走し、計11人を死傷させた「東池袋自動車暴走死傷事故」である。このことからも、石井監督が今の日本の状況を明確に視野に入れているのが見て取れる。

映画は7年前の事故の顛末に続いて、その加害者が亡くなり、葬儀に良子が出席しようとするシーンから始まる。遺族側は迷惑がって彼女を帰らせようとする。弁護士も彼女に警告する。そうなるのは自明の理なのだが、それでも彼女は行かずにはいられなかったのだ。自分でも説明のつかない激情が、時々彼女を支配する。

それでも普段の涼子は、過酷な日常を何とも思わない風を装っている。理不尽な現実を嘆く代わりに「まあ頑張りましょう」と言って笑顔を見せる。それは自分を偽っているのだろうか。冒頭で「田中良子は芝居が得意だ」というテロップが出てくる。彼女は元々演劇をしていたという。過酷な日常をかき消すために、彼女は自分を演じているのかもしれない。

それにしても出てくるヤツがクズばかりである。純平をいじめる同級生、学校の先生、勤務先のスーパーの店長、風俗の客、亡き夫のバンドのメンバー。よくもこんなにクズを集めたと感心するほどだ。こんなヤツらが、何だかんだと良子と純平を苦しめる。観ているのがつらくなるほどの場面が続く。

とはいえ、そこにユーモアを適度にまぶしているのが石井監督の真骨頂。ときどき思いもよらない笑いで過酷なシーンを中和する。劣等生だと思っていた純平が常識外れの秀才だった、という一件など、ひたすらおかしくて笑えるエピソードが満載だ。

スクリーン上に数字を表示する仕掛けも特徴的だ。例えば、飲み代〇〇円とか、義父の老人ホーム入居費××円とか、具体的なお金の額が表示される。まるで、お金に翻弄される良子の日常を象徴しているようである。

最低の日常の中でも、ひたすら前を向こうとする良子。だが、風俗の同僚ケイコ(片山友希)と親しくなるうちに、ついにその胸の内をぶちまける。それまで覆い隠していた本当の心が露わになるのだ。

その後、良子は再会したかつての同級生と親しくなる。彼との関係を本気で考えるようになる。一方、純平に対する嫌がらせはどんどんエスカレートする。そしてドラマは大きな転機を迎える。

良子はルールを守ることにこだわりを持っていた。それが誰のためのルールかはともかく、守りさえすれば生きていけるのだと語る。それが根底から覆る場面が訪れる。

その時、彼女は決然と復讐を敢行しようとする。その復讐相手と良子、純平、ケイコ、風俗店の店長(永瀬正敏)が入り乱れる活劇は、痛快かつユーモラス。純平のキックと良子のパンチは、このクソッたれの社会への痛烈な一撃だ。

悲しい現実にも直面しつつ、良子は芝居で自らの本音を吐露する。ただし、それがあまりにも難解な芝居で、純平には理解できないのが玉に瑕。それでもラストシーンは茜色の夕日の中、自転車に乗る良子と純平の親子の情愛でドラマを締めくくる。

尾野真千子の力強い演技が圧巻だ。逆境をものともしないたくましさと同時に、弱さや狂気、はてはアングラ芝居まで見事な演技を見せる。4年ぶりの単独主演映画ということだが、彼女のキャリアの中でもベストの演技ではなかろうか。

同僚風俗嬢を演じた片山友希、風俗店長を演じた永瀬正敏の演技も素晴らしい。

石井監督の熱い思いが伝わる作品だった。コロナ禍で弱者に冷たい社会への痛烈な怒りが込められている。同時に、それでも懸命に生きる人々への祈りの歌であり、応援歌でもある。追い詰められる人たちに向かって、それでも希望はあるのだ、生きるのだと呼びかけているように思えた。

 

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◆「茜色に焼かれる」
(2021年 日本)(上映時間2時間22分)
監督・脚本・編集:石井裕也
出演:尾野真千子、和田庵、片山友希、オダギリジョー永瀬正敏、大塚ヒロタ、芹澤興人、笠原秀幸泉澤祐希前田勝、コージ・トクダ、前田亜季鶴見辰吾嶋田久作
ユーロスペースほかにて公開中
ホームページ http://akaneiro-movie.com/

 


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「ファーザー」

「ファーザー」
2021年5月20日(木)Bunkamuraル・シネマにて。午前11時より鑑賞(ル・シネマ1/C-5)

認知症追体験させるアンソニー・ホプキンスの凄み

今年のアカデミー賞はほぼ順当な結果だったが、その中でも意外だったのが主演男優賞。故チャドウィック・ボーズマンが有力視されていたが、受賞したのはアンソニー・ホプキンス。「羊たちの沈黙」で受賞した第64回以来、実に29年ぶり2度目の栄冠となった。

その主演作「ファーザー」を鑑賞してきた。Bunkamuraル・シネマは席数半減、しかも他に上映予定だったTOHOシネマズシャンテが休館中とあって連日満席の状況だ。

日本を含め世界30カ国以上で上演された舞台劇「Le Pere 父」の映画化である(ちなみに日本版の主役は橋爪功)。舞台版を手掛け、これが映画監督デビューとなるフロリアン・ゼレールが監督を務めている。脚本は「危険な関係」の脚本家クリストファー・ハンプトンとゼレール監督が共同脚本を手がけ、アカデミー脚色賞を受賞した。

年老いた父と娘の物語である。ロンドンで一人暮らしをしている81歳のアンソニーアンソニー・ホプキンス)。ある日、娘のアン(オリヴィア・コールマン)が手配した介護人とトラブルを起こし、アンが駆けつける。そんな中、アンが恋人とパリに行くと聞いて落胆するアンソニー。しかし、次の瞬間、アンソニーの自宅にはアンと結婚して10年以上になるという見知らぬ男が現れる。そして、アンソニーの住む家は、彼のものではなくアンの家だというのだ。

むむ? 何じゃ、こりゃ。ワケがわからんぞ。

その後も変なことが続く。買い物から帰ってきたアンは、それまでとは違う見知らぬ女になっている。夫だという人物もいつの間にか消えてしまう。アンは新しいヘルパーを連れてくる。新しいヘルパーのローラ(イモージェン・プーツ)がやってくると、アンソニーは愛想良く振る舞ったり、急に不機嫌になったりと不安定な態度をとる。彼女はアンソニーのもう1人の娘ルーシーそっくりだという。だが、そのルーシーは姿を現さない。

何が何やらさっぱりである。これはミステリーなのか? スリラーなのか?

実はこれ、アンソニーの見た風景なのだ。アンソニー認知症が進行中。時間と記憶が混濁し、入り乱れ、錯覚する彼の世界をそのまま映像化しているのである。観客はわけのわからないままに、認知症の彼の世界を追体験させられる。これと似たようなアイデアは他の映画でもあったと思うが、ここまで徹底したのは初めてではないだろうか。

何せ演じているのがアンソニー・ホプキンスだ。役名もアンソニー。いや、凄い演技である。認知症に直面し戸惑う心中を余すところなく表現する。目の動きや細かな表情からそれがひしひしと伝わってくる。おまけに、アンソニーは感情の起伏が激しい。「自分はタップダンサーだ」などといってタップを披露するかと思えば、相手のちょっとしたしぐさが気にいらず、人が変わったように不機嫌で攻撃的になる。

混乱、悲しみ、恐怖、ユーモア、軽妙さ、悔恨などあらゆる感情を自在に行き来するその演技を観たら、誰でもオスカーをあげたくなるだろう。たとえ過去に受賞歴があるにしても。

娘役のオリヴィア・コールマンの深みのある演技も印象深い。父に対する愛情はもちろん、同時に憎しみも伝わってくる。控えめながら、こちらも名演である。その他の人物もこのドラマのミステリアスさを高めている。

もとは舞台劇だが映像的な妙味もある。たとえば、アンソニーとアンの一連の会話の中で、部屋の様子が少しずつ変化しているところ。あるいは、同じ場面が微妙に異なって繰り返されるところ。家の中をとらえた短いカットを随所に挿入するなど、様々な細かな映像テクニックを駆使している。映画は初めてというゼレール監督だが、とてもそうは思えない。

舞台になるのはほとんどが室内。アンがアンソニー精神科医のところに連れて行くのが、唯一の外出シーンだが、少しも飽きずに見入ってしまった。

アンソニーの趣味であるクラシック音楽も効果的に使われている。

いったい何が真実で、何が虚構なのか。最後にそれが明らかになる。だが、その場面でアンソニーの心は、すでにここではないどこかへ消え去っているのだ。

老いは誰にでもやって来る。誰しもアンソニーのように認知症になる可能性がある。その体験を細やかに描き出した本作は、静謐で美しいが、同時に観る者の心に重たいものを残すのである。

 

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◆「ファーザー」(THE FATHER)
(2020年 イギリス・フランス)(上映時間1時間37分)
監督:フロリアン・ゼレール
出演:アンソニー・ホプキンスオリヴィア・コールマン、マーク・ゲイティス、ルーファス・シーウェルイモージェン・プーツオリヴィア・ウィリアムズ
Bunkamuraル・シネマほかにて全国公開中
ホームページ https://thefather.jp/

「くれなずめ」

「くれなずめ」
2021年5月16日(日)テアトル新宿にて。午後12時35分より鑑賞(C-10)

~青春の忘れ物を回収する6人の男たちをコミカルに描く

東京はシネコンは依然休業中だが、ミニシアター系はようやく営業再開した。とはいえ、個人的に多忙でなかなか足を運べなかったのだが、ようやく出かける時間ができた。名優アンソニー・ホプキンスが2度目のアカデミー主演男優賞を受賞した人間ドラマ「ファーザー」でも観ようかな。

と思ったらBunkamuraル・シネマ、満席じゃないですか! 他は立川しか上映してないし。まあ、仕方ない。今度にしよう。その代わり、テアトル新宿でやっている「くれなずめ」を鑑賞。

「アズミ・ハルコは行方不明」「アイスと雨音」「君が君で君だ」などの松居大悟監督の新作である。松居監督は演劇畑でも活動していて、今作は主宰する劇団の舞台を自ら映画化した。

有人の結婚式で集まった高校の同窓生で、いずれも30歳間近の6人。優柔不断だが心優しい吉尾和希(成田凌)、舞台演出家として活躍する藤田欽一(高良健吾)、欽一の劇団に所属する舞台俳優・明石哲也(若葉竜也)、後輩で唯一の家庭持ちのサラリーマン・曽川拓(浜野謙太)、同じく後輩で会社員の田島大成(藤原季節)、地元のネジ工場で働く水島勇作(目次立樹)。

かつて高校時代の文化祭で披露した赤フン踊りを、披露宴の余興でやろうと考えた彼らは、その準備に余念がない。そして久々の再会とあってバカ騒ぎをする。

披露宴当日。だが、彼らの余興は会場をドン引きさせる。2次会まで3時間も時間が空いたため、彼らは所在なくあちらこちらを歩き回る。

そこからは現在進行形のドラマの合間に、彼らの高校時代とその後の回想が挿入される。

高校時代、帰宅部でパッとしない日々を送っていた6人は、文化祭でコントを演じて盛り上がる。卒業後はそれぞれの道を進んだものの、折々に交流を持っていた。これからもその関係は変わらないと思われたのだが、それぞれのエピソードをたどるうちに、彼らのうちの1人のある重大な秘密が明らかになる。

さすがに舞台劇の映画化だけに会話が中心のドラマ。ほとんどがどうでもいい内容の会話だが、面白さは折り紙付き。トイレの後に手を洗うことについての見解など、くだらなくて笑える会話が満載だ。しかも、いかにもああいう関係性の男子たちが言いそうなセリフばかりなのである。

だが、本作の白眉は笑いにあるのではない。5年前の出来事に、心の整理がつかないままに生きてきた男たちの感傷物語にその妙味がある。人が死んだ事実をどう受け止めそれをどう乗り越えるのか。深刻になりがちな話だが、それを前述のように松居監督が笑いとともに軽妙に描いている。

そもそもこの6人の絵姿が成立しているのも、彼らの心の内に腑に落ちないものがあるからだ。その落とし前をいかにつけるのか。高校生のまま成長してきた彼らが(赤フン踊りの再現はその象徴)、どうやって青春の忘れ物を回収するのか。それがドラマのポイントだ。

となれば、後半のファンタジー調への急展開には賛否両論あるだろうが、あれしかなかったのかな、という気もする。強引ではあるが、彼らなりの落とし前の付け方には違いない。彼らは記憶を改変する。

舞台では不可能だろう業火(?)を出現させて、映画的な妙味も醸し出し、ここでも笑いを取る松居監督のぶれない姿勢が潔い。劇中でコメディーを得意とする劇団を他の演劇関係者が批判する場面があるが、あれは松居監督自身が実際に言われたことなのだろうか。「コメディーをバカにすんな!」という気概を感じさせる。

そして、満を持して登場する披露宴の赤フン踊り。さらに、その後の暮れなずむ空のもとを行く5人の男たちの姿がノスタルジックで、ほろ苦い感情を呼び覚ますのである。ああ青春!

成田凌高良健吾若葉竜也、浜野謙太、藤原季節、目次立樹。6人の若者を演じた俳優たちが、いずれも輝いている。それぞれの個性を発揮しつつ、目立ち過ぎない立ち位置がいい。絶妙のアンサンブルだ。

そして前田敦子の突き抜けた演技!「幸せになれ」という吉尾の言葉に、わざわざ引き返してきて「もうすでに幸せだ!」と反論する叫びが、実にカッコよくて壮快だ。

空回りしているところもあるけれど、面白くてちょっぴりビターな青春ドラマに仕上がっている。同じく藤原季節が出演した「佐々木、イン、マイマイン」とも共通するところのある作品だが、突き抜け方はこちらの方が上かも。

 

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◆「くれなずめ」
(2021年 日本)(上映時間1時間36分)
監督・脚本:松居大悟
出演:成田凌高良健吾若葉竜也、浜野謙太、藤原季節、目次立樹、飯豊まりえ、内田理央、小林喜日、都築拓紀城田優前田敦子滝藤賢一近藤芳正岩松了
テアトル新宿ほかにて公開中
ホームページ http://kurenazume.com/

「海辺の彼女たち」

「海辺の彼女たち」
2021年5月7日(金)ポレポレ東中野にて。午後2時30分より鑑賞(B-5)。

技能実習生の3人のベトナム人女性の過酷な日々

新型コロナによる緊急事態宣言で、東京の映画館はほとんどが休館。そんな中、営業している数少ない映画館がポレポレ東中野。「休館なんかしたら、とても持ちません!」というギリギリの経営状況ゆえ、やむなく営業しているのだろうから、ここは応援の意を込めて足を運ばねば、というのでさっそく出かけたのである。

鑑賞した映画は、日本・ベトナム合作映画「海辺の彼女たち」。日本・ミャンマー合作による初長編作「僕の帰る場所」が第30回東京国際映画祭「アジアの未来」部門グランプリを受賞した藤元明緒監督の長編第2作だ。昨年の東京国際映画祭で上映されたのだが、スケジュールが合わずに見逃してしまった。

技能実習生として来日したベトナム人若い女性3人の過酷な状況を描いたドラマだ。

映画はいきなり彼女たちの逃走シーンから始まる。フォン(ホアン・フォン)、アン(フィン・トゥエ・アン)、ニュー(クィン・ニュー)。1日16時間労働、土日も関係なし、給料は不当に天引きされる。そんな理不尽な扱いを受けた職場を、彼女たちは今この瞬間に逃げ出そうしているのだ。

夜の逃走劇をいわゆるドキュメンタリータッチで追う。暗闇でうごめく3人の姿を手持ちカメラがとらえる。尋常でない臨場感と緊張感がスクリーンを包む。

その後、彼女たちはブローカーの手引きで、ある雪深い漁村にたどり着く。パスポートと身分証を前の職場に置いてきた彼女たちは、これからは不法就労者ということになる。いつ摘発されるかわからない恐怖を抱えつつ、それでも故郷にいる家族のために働き始める。

そこからは微かな希望の光が彼女たちを照らす。新たな職場も過酷であるのには違いない。少しでも手を緩めれば厳しい叱責の声がかかるし、住居としてあてがわれた場所も満足できるものではなかった。それでも前の職場に比べればまだマシだった。3人は望郷の思いに涙する一方で、自分の将来の幸せを思い浮かべて、屈託のない笑顔を見せることもあった。

藤元監督は、そんな彼女たちの一挙手一投足を生き生きと映し出しだす。いたずらに感傷に走ることなく、徹底的にリアルな描写にこだわる。セリフを抑えた長回しの映像で3人の心の揺れや喪失感を表現していく。

やがてターニングポイントが訪れる。フォンが体調を崩したのである。アンとニューはフォンを病院に連れて行くが、保険証も身分証もない彼女は門前払いされてしまう。実はフォンにはある秘密があったのだ。そのことで、彼女は大きな選択を迫られる。

後半になると、さらにセリフが少なくなる。その代わり、研ぎ澄まされた映像が3人の女性たちの心情をリアルに切り取っていく。オーディションで選ばれたという3人の女優たちが、いずれも得がたい個性を発揮している。

特に圧巻なのが、フォンが雪の中を延々と歩くシーンである。自らの意思で偽の身分証を購入した彼女は、それを手にある場所へと向かう。職場からも仲間からも遠方の家族からも離れ、自らのために雪原の中をどこまでも歩く。雪を踏みしめる足音や凍てついた風景が重なって、その姿からは彼女の不安で孤独な心情が浮き彫りになる。このシーンだけでもこの映画を観る価値がある。

そして、束の間感じる命の尊さ……。

だが、次の瞬間、彼女は深い闇に引き戻される。ラストシーンの破格の緊張感。ひたすらスープをすすった後に決意したように薬を飲むフォン。先ほど「選択を迫られる」と書いたが、考えてみれば、最初から彼女に選択の余地などなかったのかもしれない。この日本で生きていくためには。

この映画は、殊更に声高な社会派映画のスタイルをとっていない。孤独と不安に苛まれながらも、必死で生き延びようとする女性たちの生き様を描くことに焦点を当てている。

そして、だからこそ日本の現状がクッキリと見えてくる。移民を拒絶しつつ、足りない労働力を技能実習生という奇妙な制度に依存する日本。どんなに過酷な状況でも、そこから外れることを許さず、人間としてまともに扱うこともしない。そんな日本の移民政策の無為無策に思いを馳せずにはいられない。

本作は、藤元監督がインターネットを通じて知り合った外国人技能実習生の女性が、過酷な労働の日々の末に行方知れずになったことから、「行方不明になった彼女の“その後”を追いたい」という気持ちで製作されたという。フォン、アン、ニューは特殊な人間ではない。彼女たちと同じような外国人が今も日本のあちらこちらにいるのだ。

その現実から目をそらしてはいけない。

 

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◆「海辺の彼女たち」(ALONG THE SEA)
(日本・ベトナム)(上映時間1時間22分)
監督・脚本・編集:藤元明緒
出演:ホアン・フォン、フィン・トゥエ・アン、クィン・ニュー
ポレポレ東中野ほかにて公開中
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「ひかりの歌」

「ひかりの歌」
2021年5月2日(日)ミニシアター・エイド基金「サンクス・シアター」にて鑑賞。

~4首の短歌をモチーフに4人の女性を静かに、優しく包み込む

本ブログでは基本的に劇場で観た映画のみ取り上げているのだが、なにせ緊急事態宣言でほとんどの映画館が休業中とあって、今回は例外的に配信にて鑑賞した作品を取り上げる。

といっても、動画配信サイトではなく、昨年行われたミニシアター・エイド基金クラウドファンディングで、一定額以上の寄付をした人を対象に無料で映画が鑑賞できる「サンクス・シアター」での鑑賞。このサイトも6月3日で閉鎖になるため、追い込みで鑑賞した次第。

鑑賞したのは、2019年公開の日本映画「ひかりの歌」である。杉田協士監督が、歌人枡野浩一とともに映画化を前提に開催した「光」をテーマにした短歌コンテストで、1200首の応募作の中から選ばれた4首の短歌をベースに、4章構成の長編作品として映画化した。

その4首とは
「反対になった電池が光らない理由だなんて思えなかった」
「自販機の光にふらふら歩み寄り ごめんなさいってつぶやいていた」
「始発待つ光のなかでピーナツは未来の車みたいなかたち」
「100円の傘を通してこの街の看板すべてぼんやり光る」
というもの。

それぞれが1章から4章のモチーフに使われているが、設定やストーリーは杉田監督のオリジナルなのだろう

第1章は高校で美術の臨時講師をしている詩織の物語。彼女は同僚の男性教諭から恋の相談をされる。一方、男子生徒からは「好きだ」と告白をされるのだが……。

第2章はガソリンスタンドでアルバイトをする今日子の物語。バイト先のガソリンスタンドが閉店することになり、思いを寄せる同僚が故郷に帰ることになる。一方、バンド活動をする年上男性からは愛の告白をされるのだが……。

第3章はバンドでボーカルとして活動する雪子の物語。彼女は北海道に向かい、他界した父が撮影した写真を引き取りに写真館へ出かける……。

第4章は写真館で働く幸子の物語。長い年月行方不明だった彼女の夫が、ある日突然戻ってくる……。

短歌は余白の文学だと思う。短い言葉の中に、とてもすべての思いを込められるわけではない。その分、余白の中に多くの思いが込められている。それを感じ取るのが短歌の面白さではないか。

だとすれば、いかにも短歌をテーマにした映画らしい作品といえる。セリフはけっして多くない。セリフ以外の部分に多くの思いが込められている。ヒロインたちの表情やしぐさが多くのことを物語る。それを繊細にすくい取っていく。

第1章の詩織は恋する気持ちを持ちながら、それを素直に表現することができない。逆に予想もしない教え子からの告白を受ける。

第2章の今日子も、本当に好きなバイト先の男の子に思いが告げられない。そのくせいつも公園にいる年上男性には、軽口を叩いている。

第3章の雪子は亡き父の撮影した写真を手にして、そこに写し出された土地を巡り、父の人生に思いを馳せる。

第4章の幸子は突然帰還した夫に対して、本当なら怒るはずなのにどうしても怒る気持ちになれない。

そんな彼女たちの戸惑い、混乱、悲しみ、苦しみなどが手に取るように描写される。

劇的なことは何も起こらない。描かれるのはごくありきたりの日常だ。だが、そこにハッとするような瞬間がある。詩織が教え子に自分をスケッチさせるシーン、かかってきた電話に涙するシーン、今日子が好きな子にささやかなハグをする場面、ひたすら道を疾走するシーン、幸子が夫と抱き合うシーン。それらの一瞬一瞬が詩であり、短歌である。

そのタッチはけっして暗くない。それぞれに孤独を生きる(あるいは生きてきた)4人の主人公の女性を、静かに、優しく包み込む。「ひかりの歌」というタイトルのように、ささやかな光が彼女たちを照らす。

4人のヒロインを演じた北村美岬、伊東茄那、笠島智、並木愛枝がいずれも好演。余白を生かした演技が印象的だ。特に4章は、下手をすりゃしょうもない夫を許すダメ奥さんという話にもなりそうなのに、そうならないのは並木愛枝の演技の力が大きい。

ちなみに、この映画に登場する店はどれも素敵だ。詩織や雪子が出入りする料理店、幸子の実家の食堂や近所の古書店など。そして、音楽も重要なアイテムとして使われる。雪子がボーカルを務めるバンドや、今日子を好きな男性のユニークなバンドの演奏風景などが映される。

そのあたりも含めて、よくできた映画だと思う。観終わって愛しさがこみあげてきた。

◆「ひかりの歌」
(2017年 日本)(上映時間2時間33分)
監督・脚本:杉田協士
出演:北村美岬、伊東茄那、笠島智、並木愛枝、廣末哲万、日高啓介、金子岳憲松本勝、リャオ・プェイティン、西田夏奈子、渡辺拓真、深井順子、佐藤克明、橋口義大、柚木政則、柚木澄江、中静将也、白木浩介、島村吉典、鎌滝和孝、鎌滝富士子、内門侑也、木村朋哉、菊池有希、小島歩美、岡本陽介、
ホームページ http://hikarinouta.jp/


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「グランパ・ウォーズ おじいちゃんと僕の宣戦布告」

「グランパ・ウォーズ おじいちゃんと僕の宣戦布告」
2021年4月23日(金)TOHOシネマズシャンテにて。午後12時5分より鑑賞(スクリーン1/E-9)

~エグイけど笑っちゃう、おじいちゃんと孫のガチな戦争

東京は緊急事態宣言で、映画館の休業要請が出たとのこと。何の科学的根拠があって、そんなことをするのか。映画館でクラスターは発生していないぞ!小池百合子の頭の中はどうなっているのか。ろくな補償もなしに休めと言われても、小さな映画館はたまったものではないだろうが。

そんな怒りとは裏腹に、本日取り上げる映画は痛快コメディーである。ロバート・K・スミスの児童文学『ぼくはおじいちゃんと戦争した』(旧題『おじいちゃんとの戦争』)を「ガーフィールド2」「アルビン/歌うシマリス3兄弟」のティム・ヒル監督が映画化した。

そして主演はロバート・デ・ニーロだ。今年78歳になるデ・ニーロ。相変わらず元気な姿を見せてくれるのは、ファンならずともうれしいところ。

そのデ・ニーロの役どころは妻に先立たれたエド。セルフレジが導入されたスーパーで騒ぎを起こしたことから、娘の一家と同居することになる。そこには、娘サリー(ユマ・サーマン)とその夫アーサー(ロブ・グリル)、そして長女、次女、長男ピーター(オークスフェグリー)がいた。

孫のピーターは初めはおじいちゃんと暮らせることを喜んでいたが、自分の部屋がエドのものになり、自分は屋根裏部屋で暮らさなければいけないことを知り態度を急変。エドに手紙を書いて宣戦布告し、エドが部屋を明け渡すようにあの手この手で攻撃をしかける。

子供の宣戦布告だとバカにしてはいけない。これがなかなか過激で執拗な攻撃なのだ。「そこまでするか?」と驚かされることもしばしば。

それに応戦するエドだが、妻に先立たれたうらぶれた老人などと思ってはいけない。こちらも戦闘意欲に満ちあふれ、ドローンなどの最新機器を駆使して、ピーターの攻撃に堂々と応戦するのだ。

両者の攻防は基本的に家の中でのイタズラ合戦なのだが、予想もしない作戦が次々に飛び出す。その攻防の面白さでつい見入ってしまう。

祖父と孫の微笑ましい光景とは無縁。お互いに腹を探り合い、その真意はどこにあるのか考えながら相手を出し抜く。これはもう立派な戦争である。

とはいえ、そこはさすがに12歳の少年。完全な悪役にはなり切れない。おまけに、ピーターを演じるオークスフェグリーが可愛らしい顔をしているから、度が過ぎたイタズラも中和されるわけ。かたやデ・ニーロもお茶目な演技を見せているので、ひたすら楽しく笑えてしまうのだ。

この戦争、家族たちは何も知らない。そのため、2人の暴走が時として的外れの方向に走り、家族を戸惑わせる。それもまた笑いのネタとなる。

夫婦役のユマ・サーマンとロブ・グリルもいい味を出している。ユマ・サーマンは明るくひょうきんな母親なのに、なぜか娘のボーイフレンドを目の敵にするあたりは、かつての「キル・ビル」を彷彿させて面白い。

ついでに言えば、ピーターの姉はやたらに色気づいてボーイフレンドを家に引っ張り込むし、妹のほうは大好きなおじいちゃんのエドにベッタリ。その2人もドラマを盛り上げる。

さて、エスカレートする戦争を終わらせるため、エドとピーターはドッヂボール対決をする。そこでエドとチームを組むのが悪友ジェリー(クリストファー・ウォーケン)、ダニー(チーチ・マリン)、そしてダイアン(ジェーン・シーモア)である。

ちなみに、クリストファー・ウォーケンがデ・ニーロと共演するのは「ディア・ハンター」以来らしい。ロシアン・ルーレットが懐かしいぜ。

そして、ジェーン・シーモアはかつてのボンドガール。日本ではNHKが放送したTVシリーズ「ドクター・クイン/大西部の女医物語」の主役としても大活躍した。こちらも懐かしすぎるよなぁ。

彼らが子ども相手に本気でぶつかるドッヂボール対決は、迫力満点。体力的には厳しいものの、そこは頭を使いつつ応戦する。この高齢者軍団は、その他の場面でも大活躍する。元気印で輝く高齢者たちを観ているだけで、こちらも元気になってくる。

なかなか戦争終結には至らない中、ピーターの妹の誕生パーティーの日がやって来る。大規模な飾りつけをして大勢の招待客を呼ぶ豪華パーティーである。さすがにここは休戦協定を結ぶエドとピーター。だが、事態は思わぬ方向に向かう……。

最後の最後まで元気なエド。ラストシーンのピーターは、その元気さに圧倒されたかのような表情。やっぱり勝負はおじいちゃんの勝ちか!?

孫は可愛いもの、おじいちゃんは孫を可愛がるもの、という常識をひっくり返して、楽しいコメディーに仕上げている。驚くようなところは何もないが、安心して見られる映画である。

しかも、ふざけているばかりではない。終盤では戦争の愚かさを説いて、反戦の意思を軽く示してみせたりもする。

まあ、何よりも、デ・ニーロはじめ全キャストが、生き生きと楽しそうに演じているのがいい。エンドロールのNG集がそれを象徴している。

 

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◆「グランパ・ウォーズ おじいちゃんと僕の宣戦布告」(THE WAR WITH GRANDPA)
(2020年 アメリカ)(上映時間1時間34分)
監督:ティム・ヒル
出演:ロバート・デ・ニーロオークスフェグリー、クリストファー・ウォーケンユマ・サーマン、ロブ・リグル、ジェーン・シーモアチーチ・マリン
*TOHOシネマズシャンテほかにて公開中
ホームページ https://grandpa-wars.jp/