映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「子供はわかってあげない」

子供はわかってあげない
2021年8月24日(火)テアトル新宿にて鑑賞。午後2時50分の回(B-12)

~ひと夏のまぶしい輝きと戸惑いと成長

上白石萌音上白石萌歌の区別がつかない。いや、そもそも「舞妓はレディ」「ちはやふる」などで萌音の演技は観ているのだが、萌歌の作品はたぶん観たことがない(テレビドラマは観ないし)。

というわけで、初めて上白石萌歌の演技を観た。主演映画「子供はわかってあげない」。田島列島の同名漫画の実写映画化だ。監督は「南極料理人」「横道世之介」などの沖田修一。沖田監督は「モリのいる場所」「おらおらでひとりいぐも」と、ここのところ高齢者が主人公の映画が続いていたが、今回は一転してキラキラした青春映画である。

冒頭はいきなりアニメで幕を開ける。「魔法左官少女バッファローKOTEKO」。セメント伯爵だの、使い魔モルタルだの、コンクリ太郎とやらが出てくる。かなりマニアックなアニメだ。

そのテレビアニメを見ているのが主人公の高校2年生、朔田美波(上白石萌歌)。「魔法左官少女バッファローKOTEKO」が大好きな彼女は、涙を流しながら鑑賞し、主題歌を歌い踊る。そして、同じくアニメ好きの彼女の父(古舘寛治)も一緒に歌い踊る。

この場面を見ただけで、この一家が幸せ家族であることがわかる。母(斉藤由貴)、そして再婚した父、年の離れた弟と四人暮らしの彼女は、何不自由ない毎日を送っていた。

そんなある日、学校で水泳部に所属する美波は、同じくアニメオタクで書道部の門司くん(細田佳央太)と知り合い、仲良くなっていく。そしてひょんなことから、探偵をしている門司くんの兄・明大(千葉雄大)に、幼い頃に別れた実の父親捜しを依頼することになる。やがて新興宗教の元教祖だったという父・藁谷友充(豊川悦司)の居場所を突き止め、海辺の町まで会いに行くのだが……。

美波のひと夏の出来事を描いた青春ストーリーだ。最大の特徴は全編が笑いに満ちていること。しかも何とも緩~いオフビートな笑いが多い。美波が実父に会いに行くと知って、想像力を膨らませ、新興宗教の後継者争いから暗殺までを心配する門司くん。そこで美波は書をしたためる。「暗殺」。

キャラクターも個性的だ。美波の母の口癖は「OK牧場」。門司くんの兄・明大は女性のような見た目で、探偵をしている。門司くんの祖父らしき人は謎の人物。学校の水泳部の先生もどこか変だし、やたらに美波に抱きつくおじいちゃん(きたろう)なども登場する。何よりも主人公の美波だって、真面目になればなるほど笑ってしまうという奇癖の持ち主なのだ。もう、とにかく全編が笑いっぱなしなのである。

その中で描かれるのは、美波と門司くんの初々しい恋物語だ。それは、まばゆいばかりの恋だ。出会った頃の2人は、お互いにその思いを打ち明けられない。しかし、美波の実父探しを通じて少しずつ心を通わせていく。

だが、このドラマの白眉はやはり美波と実父・友充との再会劇だろう。父の居場所があっさりわかり、美波は母に黙って海辺の町に会いに行く。そこに現れた父は、「他人の頭の中がわかる」などと言うが、美波の心の中さえ読めない。最初は何やらギクシャクする2人。それはそうだろう。約10年ぶりの再会だ。

それでも一緒に遊び、ご飯を食べ、何気ない時間を共有し、2人は少しずつ打ち解けていく。近所の女の子に水泳を教えてくれと頼まれて指導する美波。そこにいきなり海パン姿の父が現れ、「自分にも教えろ」と言う。美波は2人に死体になり切る特訓(?)を施す。

実父役の豊川悦司の軽やかな存在感が、独特の余韻を残してくれる。言葉にしなくても、そこには通じるものがある。

なぜか門司くんがやって来て、美波は父のもとを去るのだが、その別れのシーンが素晴らしい。2人が去って家の中に引っ込んだ友充の姿を映さずに、「魔法左官少女バッファローKOTEKO」の主題歌だけが流れてくるのだ。それは友充が美波のために用意したものだった。

帰宅した美波が友充に会ってきたことを母に告白するシーンも良い。さりげない優しさを見せる斉藤由貴の演技が心に染みる。親子の強い絆を感じさせる温かなシーンだ。

美波と門司くんの恋物語にも素敵な結末が用意されている。ついに自分の思いを告白しようとする美波。しかし……。真面目になるほど笑っちゃうという美波の気癖を巧みに使った感動的で面白い場面である。

これまで美波は屈託のない日々を送ってきたのだろう。母の再婚相手の父も優しく、幸せそのものの日々だった。だが、初めて切ない恋心を抱え、そして幼いころに別れた実父と再会し、人生いろいろあるということを知ったのだ。それでも前を向いて歩いていくことの大切さを、美波にも、観客にも知らしめているのが本作なのである。ひと夏の経験を通して美波は確実に成長したのだ。

上白石萌歌の瑞々しい演技が見逃せない。あの輝きは、今だからこそのものなのかもしれないが、美波の心の中を繊細に表現した演技は特筆ものだろう。

まぶしく、切なく、ユーモアにあふれた青春ストーリー。温かで元気になれる一作である。

 

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◆「子供はわかってあげない
(2020年 日本)(上映時間2時間18分)
監督:沖田修一
出演:上白石萌歌細田佳央太、千葉雄大古舘寛治斉藤由貴豊川悦司高橋源一郎、湯川ひな、中島琴音、坂口辰平、兵藤公美、品川徹、(声の出演)富田美憂浪川大輔櫻井孝宏鈴木達央速水奨
テアトル新宿ほかにて公開中
ホームページ https://agenai-movie.jp/

 


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「返校 言葉が消えた日」

「返校 言葉が消えた日」
2021年8月19日(木)TOHOシネマズシャンテにて。午後1時45分より鑑賞(スクリーン2/D-11)。

~ホラー映画を通して描く台湾の暗黒の歴史

危険はなるべく回避したい。だから、混雑した映画館にはなるべく行かないようにしている。どうしても観たい映画は、公開からしばらく経ってから、平日の空いた回に行くようにしている。

というわけで、この日観たのは台湾映画「返校 言葉が消えた日」。公開からすでに3週が過ぎて、土日はともかく平日はさすがに観客が少ない。予約した席の列に座るのは私のみ。前後の至近距離にも観客はいない。これならまあ安全だろう。

さて、この映画を語る前に押さえておきたい歴史的事実がある。台湾では1947年以降、40年間にわたって戒厳令が敷かれ、蒋介石率いる国民党が反体制派に対して厳しい政治的弾圧を行った。国民に相互監視と密告が強制され、反体制派とみなされた多くの国民が投獄・処刑された。この政治弾圧を「白色テロ」と呼ぶ。

この白色テロをテーマにして、1989年にホウ・シャオシェン監督が「悲情城市」を、1991年にエドワード・ヤン監督が「牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件」を描いている。

「返校 言葉が消えた日」も白色テロを描いた作品だ。だが、そのスタイルは極めてユニークだ。ミステリー仕立てのホラー映画の体裁で、台湾の暗黒の歴史をあぶり出しているのである。それもそのはず、この映画は2017年に発売された台湾の大ヒットホラーゲーム「返校」の実写映画化だという。監督は本作が長編映画デビューとなるジョン・スー。

冒頭は正統派のドラマの趣で始まる。1962年、翠華高校の朝の登校風景。一人の生徒が教官に呼び止められる。鞄の中を見せろというのだ。だが、鞄の中には発禁本が入っていた。見せれば重罪を免れない。その時、窮地の彼に友人が近づき機転を利かせてピンチを救う。実は彼らは放課後の備品室で、隠れて発禁本を読む読書会のメンバーだったのだ。

そこから先はいよいよホラー映画の幕が開く。ある日、翠華高校の女子生徒ファン(ワン・ジン)が放課後の教室で眠りから目を覚ますと、なぜか校内は不気味に静まりかえり、廃虚と化していた。校内を一人彷徨う彼女は、やがて秘密の読書会のメンバーで、密かにファンを慕う後輩の男子生徒ウェイ(ツォン・ジンファ)に遭遇する。一緒に学校から脱出しようとする2人だったが、どうしても外に出ることができない。そして、次々と悪夢のような光景が襲いかかって来る……。

迷宮に閉じ込められたファン。彼女が体験する悪夢的世界はまさしくホラー映画そのものである。ファンの後を追ってくる不気味な女子生徒、血まみれの学校職員、そして「共産党のスパイの告発は国民の責務」とつぶやきながら襲ってくる怪物。ジャパニーズ・ホラーも顔負けの恐怖がスクリーンを包む。

そんな現在進行形の恐怖の合間に、回想シーンも挟まれる。翠華高校で起きた怖ろしい出来事。その元凶となったファンと教師の淡い恋模様。そしてファンの両親の不和と父親の不正行為。それらが絡み合い、現実のドラマがあらぬ方向に転がっていく。

悪夢のパートはさらにエスカレートしていく。おぞましい拷問や首つり。首の取れた人形。頭に麻袋をかぶせられた生徒たち。虚実が入り乱れ、観客の心に不穏な風を巻き起こす。赤い血の色を強調した色彩と同時に、モノクロ映像を効果的に使うなど映像も鮮烈だ。

そうするうちに映画は、密告者は誰かという謎の答えにたどり着く。それは浅はかではあるが、純な心ゆえの行動だった。だからこそ最後に描かれる現代のエピローグが物悲しく切ないのである。

主演のワン・ジンは14歳で小説家としてデビューし、その後女優になった変わり種。その純粋無垢な風情が悪夢の世界に、さらなる恐怖をもたらしている。

ホラー映画といえば、テーマ性の薄い作品が多いが、この作品には強烈なメッセージが込められている。それは言うまでもなく、台湾の暗黒の歴史を知らない人に、何が起きたのかを知ってもらうことだ。ホラー映画の恐怖と、密告と弾圧の恐怖をリンクさせることで、身をもってその恐ろしさを体感してもらおうというのである。

その試みは見事に成功し、本作は台湾で大ヒットとなり、民主化後に生まれた世代も当時を知る世代も劇場に足を運んだという。

虚実入り乱れる恐ろしい迷宮世界をさまよう主人公。その果てに現れるのはおぞましい現実世界の在りよう。多くの観客に過去の歴史を知らしめるのに、こういう手があったとは!斬新で刺激的な一作である。

 

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◆「返校 言葉が消えた日」(返校 Detention)
(2019年 台湾)(上映時間1時間43分)
監督:ジョン・スー
出演:ワン・ジン、ツォン・ジンファ、フー・モンボー、チョイ・シーワン、リー・グァンイー、パン・チンユー、チュウ・ホンジャン
*TOHOシネマズシャンテほかにて公開中
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「プロミシング・ヤング・ウーマン」

「プロミシング・ヤング・ウーマン」
2021年8月12日(木)シネクイントにて。午前11時25分より鑑賞(スクリーン2/D-9)。

~復讐エンタメの快作に込められた痛烈なメッセージ

感染が怖い……。

と言ったものの、評判を聞いてどうしても観たくなった映画がある。「プロミシング・ヤング・ウーマン」。今年の第93回アカデミー賞で作品、監督、主演女優など5部門にノミネートされ、脚本賞を受賞した作品。元医大生のヒロインによる復讐劇だ。公開からだいぶ経ったが、我慢できずに映画館に足を運んだのである。

映画の冒頭、酒場でスーツに身を包んだ男たちが下世話な話をしている。ありがちな会話。だが、女性にはとても聞かせられない話だ。そこに泥酔した主人公のキャシー(キャリー・マリガン)が現れる。男たちは好色な目で彼女を見る。一人の男がキャシーに接近し、送ってやると告げる。その後、男の部屋に行った彼女は男から迫られる。そこでキャシーは豹変する……。

キャシーは元医大生だった。かつては「プロミシング・ヤング・ウーマン」、つまり未来が約束されていた彼女だったが、ある事件をきっかけに医大を中退し、今ではカフェの店員として働いていた。その一方で、夜ごとバーに繰り出し、泥酔したフリをして、欲望丸出しで近寄って来た男たちに容赦なく制裁を下していたのだ。

本作の面白さはまず脚本の妙にある。先の読めない展開。緊迫感あふれる場面の連続。それでいてどことなくブラックなユーモアも感じさせる。復讐サスペンスとして文句なしに面白い。実によくできた脚本である。

また、キャシーが働くカフェや自宅のカラフルなインテリア、ポップな衣装などのヴィジュアルも独特の世界観を作り出している。ちょっと見、オシャレなガーリームービーと錯覚しそうなほどだ。

エメラルド・フェネル監督は本作が長編映画監督デビュー。脚本も彼女の手になるオリジナル脚本。もともと俳優としてNetflixオリジナルシリーズ「ザ・クラウン」でチャールズ皇太子の妻カミラ夫人役を演じているほか、テレビシリーズ「キリング・イヴ Killing Eve」では製作総指揮や脚本を担当しているという。よほどの才人なのだろう。

キャシーは夜ごと男たちに制裁を加え、復讐を果たす。その原点は大学時代のある事件にあった。その事件の結果、彼女は親友のニーナを失っていた。

そんなある日、カフェに大学時代の同級生で小児科医となったライアン(ボー・バーナム)が偶然やって来る。キャシーとライアンは久々の再会を果たすのだが……。

突然のライアンの出現によってキャシーの復讐は、事件そのものの関係者へと向かう。ニーナの証言を無視した同級生。証拠不十分で事件をなかったことにした大学の担当者。この2人は女性だ。彼女のターゲットは男性だけではなく、無自覚に罪を犯した女性たちにも向けられるのだ。しかも狡猾な方法で。

平凡な人物の裏の顔と言えば、「必殺仕置人」あたりを思い浮かべるが、このドラマにもそれと同じ面白さがある。ふだんはカフェで同僚の女性と世間話をしたり、両親から早く自立しろ(プレゼントにスーツケースを贈られる)と言われたりしているキャシーだが、その裏の顔は強烈すぎるほど強烈だ。

しかも、そこにさらにまた別の顔も描き出される。かつてニーナを窮地に追い詰めた弁護士を訪ねたキャシーは、彼が罪の意識に苦しみ「許してくれ」と哀願するのを見て制裁をやめ、その場を立ち去る。ただの冷酷非情な制裁人というわけではなく、彼女の血の通った人間としての側面も描かれる。

ちなみに、キャシーによる復讐シーンは一切描かれない。寸前で寸止めして、そのものズバリの描写は避けている。また、大学時代の事件についても回想シーンなどは登場しない。生前のニーナが登場するシーンもない。凄惨なシーンを避けつつ観客の想像力に委ねている。このあたりも心憎い仕掛けである。

その後、ニーナの母親に「前に進んで」と言われたこともあって、キャシーは新たな道を踏み出す。ライアンとつきあうようになるのだ。この恋愛劇はキラキラするような輝きに満ちている。おどろおどろしい復讐劇との対比が何とも効果的である。

こうして鬼の制裁人をやめて、ライアンとの恋に生きるかに見えたキャシー。だが、そこに思いもよらぬものが現れる。例の事件の動画だ。

そこからドラマは急展開を見せる。制裁人キャシーの覚醒だ。キャシーはナース服に身を包んで、最後の復讐に乗り出すのだ。

その結末がどうなるかはもちろん伏せるが、予想もしない展開が待ち受けている。それは爽快感を味わいつつも、痛みに満ちた結末である。ある種、完璧な復讐劇の完成。もしかして、キャシーはすべてを見切っていたのか!? 「許す」心を抱えつつも、結局どうしても許せなかった彼女の心中。それに共感するとともに、やるせなさを感じずにはいられなかった。

キャリー・マリガンの怪演が光る。「17歳の肖像」「わたしを離さないで」などの過去作とは一変。強烈な復讐心の裏に惑いの心を潜ませた演技が出色だ。

娯楽作品でありながら、明確なメッセージ性を感じさせる作品だ。それはどうしようもない男たちと、それを結果的に見逃してしまっている女たちに対する強烈な鉄槌だ。キャシーが大学時代に体験した事件も、現在進行形で男たちが見せる態度も、唾棄すべきものではあるがけっして遠い絵空事ではない。だからこそ本作は、今の時代にこそ観るべき作品なのである。

 

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◆「プロミシング・ヤング・ウーマン」(PROMISING YOUNG WOMAN)
(2020年 イギリス・アメリカ)(上映時間1時間53分)
監督・脚本:エメラルド・フェネル
出演:キャリー・マリガン、ボー・バーナム、アリソン・ブリークランシー・ブラウン、ジェニファー・クーリッジ、ラヴァーン・コックス、コニー・ブリットン
*TOHOシネマズ日比谷、シネクイントほかにて公開中
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感染が怖い・・・

オリンピックは終わったが、オリンピック中継を一秒たりとも見なかった。この感染爆発の状況下で、オリンピックなんかやってる場合か?という疑念が拭い去れなかったのだ。片方で自粛を呼び掛けて、片方でオリンピックを開催しているというこの何ともシュールな光景には、もはやあきれるのを通り越して笑っちゃうしかない。

それはともかく、せっかく体調が戻って映画館に足を運び始めたのに、先週はまたもや体調が悪くなって往生した。近所のコンビニに休み休み出かけるのが精いっぱいで、それ以外は息切れがして一歩も外に出られなかった。まさか最後に観た「パンケーキを毒見する」の毒気に当てられたわけではないと思うのだが。

それでも週末頃にはだいぶ良くなって、映画館に行くことも考えたのだが(「プロミシング・ヤング・ウーマン」も「返校」もまだ観てないし……)、連休とあって観たい映画はほぼ満席。一席ずつ間隔を空けているといっても、怖ろしく感染リスクの高いらしいデルタ株の恐怖と、この爆発的な感染者増を考えれば、やっぱり出かけることができなかったのだ。なにせ持病持ちゆえに感染したらおしまい、な~んてことにならないともいえないしねぇ。まあ、映画館は換気が良くて、感染リスクが低いことはわかっているのだが……。

というわけで、家にこもっている間にGYAO!ポン・ジュノ監督の殺人の追憶を無料鑑賞。確か17年前の公開時に2~3回観たと記憶しているのだが、久々に観ても面白い!実際の連続猟奇殺人事件を通して、2人の刑事をはじめとする人間模様がリアルに描かれて目が離せない。当時の時代背景もさりげなく盛り込まれているし、その後のポン・ジュノ作品と共通する要素がたくさんある。間違いなく韓国犯罪映画の傑作だと思う。ソン・ガンホキム・サンギョンも若いなぁ~。観たことのない人はぜひ!

さーて、次に映画館に行けるのは いつになりますやら。

 

「パンケーキを毒見する」

「パンケーキを毒見する」
2021年7月31日(土)シネマ・ロサにて。午後3時20分より鑑賞(シネマ・ロサ1/C-6)

菅首相とマスコミの真の姿に迫った政治バラエティー

最初にこの映画の話を聞いた時は冗談かと思った。何しろ今まで日本で、こうした政治ドキュメンタリーが作られることはほとんどなかったのだから。しかし、冗談などではなかった。本気だったのだ。

「パンケーキを毒見する」は、「新聞記者」「i 新聞記者ドキュメント」などの社会派作品を送り出してきた映画プロデューサーのスターサンズの河村光庸が企画・製作・エグゼクティブプロデューサーを務め、第99代内閣総理大臣菅義偉の素顔に迫った政治ドキュメンタリーだ。

中心的に描かれるのは菅首相の裏の顔だ。秋田県のイチゴ農家出身の彼は、集団就職で上京したことを売りにしてきたが、その実は地方の名家の出で、集団就職の話も今ではホームページの経歴から消されている。

一方、横浜で裏の市長と呼ばれるまでになった彼は、「値下げ」を最大の武器に庶民の指示を集め、何度もばくちを仕掛けた後に、ついに安倍政権の官房長官となり、総理大臣にまで上り詰める。

そんな菅首相の素顔を、石破茂江田憲司村上誠一郎らの政治家、ジャーナリストの森功元朝日新聞記者の鮫島浩らが解き明かしていく。

前半では学術会議の人事をめぐる国会答弁を、上西充子法政大教授が実況解説し、そのデタラメぶりを白日の下にさらす。さらに、省庁のナンバー2を集めて側近にする人心掌握術も解説する。とにかく狡猾で、権力維持のためには何でもするのだ。この男は。

中盤では、批判の刃はマスコミに向けられる。「週刊文春」とともにスクープを連発する赤旗編集部に潜入し、なぜ他のマスコミが沈黙するのかを追求する。タイトルの「パンケーキを毒見する」にあるように、菅首相が「パンケーキ懇談会」を開催して、マスコミを取り込んだ手法も披露する。

終盤では、若者が政治に関心を持たなかったり、政権を支持してしまう理由を明らかにして、「このままでいいのか」と観客に問いかけてくる。

前川喜平、古賀茂明らも登場。いわば反菅の論客のオールスターキャストが勢揃いしているわけだが、さすがにそれだけでは飽きると思ったらしく、シニカルなアニメなども使われる。特に従順な羊が冷酷な飼い主の下で、ばたばたと死んでいくアニメは印象深い。

また、菅首相が何度もばくちを仕掛けるところから、女博徒がつぼ振りをする姿を映し出すなど、寸劇(?)まがいの場面も登場する。

とはいえ、描かれている内容に新味はない。私のようにもともと政権に批判的な人にとっては、ほとんどが周知の事実だ。しかも、マイケル・ムーア監督の映画ほどの強烈なメッセ―ジ性もない。風刺はそれなりに聞いているが、あくまでも菅首相とマスコミに疑念を呈し、観客への問いかけを行っている程度だ。

それでも日本でこういう映画が作られたことは、素直に評価したい。河村プロデューサーをはじめ、作り手の心意気は高く買える。

映画の冒頭にあるように、取材拒否が相次ぐなど製作は容易ではなかったことがうかがえる。内山雄人監督は、テレビ畑の人で映画は初監督だが、何人もの候補が断った末に引き受けたという。数々の困難を乗り越えて、完成にこぎつけただけでも奇跡的と言えるだろう。

エンタメ色も加味した政治ドキュメンタリーだ。けっして小難しい話をしているわけではない。政治に無関心な人も気軽に見ることができるはず。そして考えて欲しい。こんな政権がいつまでも続くことの恐ろしさを。

 


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◆「パンケーキを毒見する」
(2021年 日本)(上映時間1時間44分)
監督:内山雄人
新宿ピカデリーほかにて公開中
ホームページ https://www.pancake-movie.com/

「アジアの天使」

「アジアの天使」
2021年7月26日(月)テアトル新宿にて。午前10時50分より鑑賞(A-11)

~問題を抱えた2組の家族の行き当たりばったりの旅

最近の石井裕也監督は、「生きちゃった」「茜色に焼かれる」と意欲作を立て続けに発表している。「アジアの天使」は、その石井監督がオール韓国ロケで撮り上げたロード・ムービーだ。

妻を病気で亡くした売れない小説家の剛(池松壮亮)は、幼い息子・学を連れて、韓国・ソウルに兄の透(オダギリジョー)を訪ねる。透は「韓国で良い仕事がある」と剛を誘っていたが、実は怪しげなビジネスに手を染めていた。しかも、現地の共同経営者が財産を持ち逃げしてしまう。透は再出発のため剛とともに海沿いの江陵を目指す。一方、落ち目の元アイドル歌手ソル(チェ・ヒソ)は、兄と妹とともに両親の墓参のため江原道に向かっていた。電車の中で出会った2組は一緒に旅をする。

問題だらけの2つの家族のドラマだ。兄の透は調子はいいものの、ちゃらんぽらんでだらしがない。弟の剛は妻を亡くした心の傷を抱え、日本を出たものの主体性がなく韓国語も話せない。兄弟の関係はギクシャクする。

一方のソルは、所属事務所の社長と関係を持ち、プライドを捨てられず歌にしがみついている。家族に対しては高飛車で、兄と妹との関係は険悪だ。

そんな2組の家族が偶然出会い、旅をともにする。それは行き当たりばったりの旅だ。江陵を目指していたはずの透は、気まぐれにソルたちの墓参に参加する。だが、順調には進まない。迷子になったり、ソルが急病になったりとトラブルが続く。その様子をユーモアを交えながら描き出す。

そうするうちに、最初はすれ違っていた2組の家族の心が通い始める。それぞれの家族同士の絆も結び直される。

そのハイライトはソルの両親の墓参だ。墓の前に集まった2組の家族は、そこですっかり打ち解ける。

とまあ、このあたりまではロード・ムービーによくあるパターンだ。だが、映画はまだまだ続く。墓参を終えたものの離れ難い一同は、墓の掃除をしてくれたソルの叔母の家になだれ込むのだ。

そこで彼らはさらに交流を深める。透は言う。韓国で必要な言葉は2つだけだ。「メクチュチュセヨ(ビールください)」「サランヘヨ(愛してます)」。ソルに気がある剛は「サランヘヨ(愛してます)」を言いに行くが、結局言い出せずに終わる。

まもなく、学が行方不明になる。2組の家族は必死に捜索する。その後、学は警察に保護され、彼らは海へ行く。そこで、剛と学は親子の絆を再確認する。

さらにソルは、そこで奇跡の体験をする。剛と透とソルは、路上で天使を目撃した共通の経験がある。その天使が再びソルの前に現れる。その容姿はさえないアジアの中年男。そう。「アジアの天使」というタイトルはここから来たものなのだ。

というわけで、終盤はかなり慌ただしい感じだ。おまけにファンタジー的な要素もある。あっけにとられる人もいそうだが、石井監督の思いがこもった展開なのは間違いがない。

石井監督は、言葉などなくても思いさえあれば心が通じることを明確にうたう。それは国境も民族も越える。

同時に、本作には人間に対する全肯定の姿勢が貫かれている。傷ついたり、もがき苦しんだりしながらも、それでも前を向こうとする人々に対して「それでいいのだ」と優しく見つめる視線がそこにはある。だから、この映画は心地よいのである。

「生きちゃった」「茜色に焼かれる」とはまったくタイプの違う作品(もちろん共通する要素もあるが)。石井監督の幅の広さを改めて思い知った。

ところで、ソル役の俳優をどこかで観たことがあると思ったら、「金子文子と朴烈(パクヨル)」のチェ・ヒソだったのね。

ちなみにテアトル新宿には、「odessa」という音響システムが導入されたとのこと。しかも「アジアの天使」は、石井監督が調整を実施して最適化した「creator's optimization」としての上映。なるほど、確かに良い音をしていたな。まあ、それ以上のことは音響の専門家じゃないからわからなかったが。

 

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◆「アジアの天使」
(2021年 日本)(上映時間2時間8分)
監督・脚本:石井裕也
出演:池松壮亮、チェ・ヒソ、オダギリジョーキム・ミンジェ、キム・イェウン、佐藤凌、芹澤興人
テアトル新宿ほかにて公開中
ホームページ https://asia-tenshi.jp/

 


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「17歳の瞳に映る世界」

「17歳の瞳に映る世界」
2021年7月25日(日)シネクイントにて。午後2時25分より鑑賞(スクリーン2/C-8)

~10代の予期せぬ妊娠を冷徹なリアリズムで描く

予期せぬ妊娠をした17歳の少女が、親の同意なしに中絶するため、いとこと共にニューヨークへと向かう。

ただそれだけのドラマなのに、「17歳の瞳に映る世界」が第70回ベルリン国際映画祭銀熊賞審査員グランプリ)をはじめ数々の映画賞に輝いたのは、まるでドキュメンタリー映画のようにリアルに彼女たちの心情が描けているからに他ならない。

17歳の高校生オータム(シドニー・フラニガン)はある日、自分が妊娠したことを知る。彼女が住むペンシルベニア州では、未成年者は両親の同意がなければ中絶手術を受けることができない。そんな中、同じスーパーでアルバイトをしている従妹のスカイラー(タリア・ライダー)は、オータムの異変に気付き、金を工面して、2人で中絶に両親の同意が要らないニューヨーク行きのバスに乗り込むのだが……。

ドラマは常にオータムの視点から描かれる。劇的な展開はまったくなく、冷徹なリアリズムに貫かれている。

オータムは地元の病院に行くが、中絶の再考を促すビデオを見せられる。しかも、ペンシルベニアでは、親に知られずに中絶手術を受けることができないことを知る。彼女はニューヨークに行くことを決意する。同じバイト先のスカイラーが売り上げの金をくすねて旅費にする。

バスでニューヨークに出た2人は、すぐにその足で中絶手術を受けようとするが、妊娠期間が思っていたよりも長いことがわかり、手術までに3日間を要することになる。その旅の一部始終を描き出す。

オータムは終始無愛想で無口だ。ほとんど感情を表情に出すことはない。

そして彼女の妊娠についての事情も示されない。複雑な家庭環境であることや、学校で彼女が孤独であることが示唆される程度で、それ以上は何があったのか明確にされない。それが観客の想像力と洞察力を刺激する。

ニューヨーク滞在中、彼女たちを取り巻く世界が浮き彫りになる。不慣れな都会に戸惑い、男たちの欲望におびえ、その一方でそれを利用し、それでも弱音を吐かずに自らの意思を通し、そしてただ寄り添う。セリフも最小限で過剰な演出もないが、逆にそれが多くのことを物語る。

ニューヨークでオータムに接する医療関係者はみんな親切だ。誰もがプロフェッショナルな対応に徹している。だから、オータムはなおさら感情を表に出すこともなく、淡々と事態に向き合う。

そんな中、劇中でオータムが唯一、感情を噴出させる場面がある。手術が決まってカウンセラーが義務的な質問をする。答えは4択。映画の原題でもある「Never(一度もない)」「Rarely(めったにない)」「Sometimes(時々)」「Always(いつも)」。

「パートナーに暴力をふるわれたことは?」「性行為を強要されたことは?」といった質問に、その4択で答えていく。答えるうちに冷静だったオータムが言葉に詰まり、ついには涙をあふれさせる。そこに中絶の背後にある事情が垣間見え、彼女の過酷な人生が顔をのぞかせる。

この場面だけでも、オータム役のシドニー・フラニガンのただものでなさが伺える。映画初出演ということだが、空恐ろしいものを持った俳優だと思う。

そして、常に彼女に寄り添いつつ、さりげない優しさを感じさせるスカイラー役のタリア・ライダーの演技も印象深い。何度か2人の間に微妙なヒビが入りかけるのだが、そのたびごとに元に戻る。そのさじ加減が素晴らしい。彼女も長編映画のキャリアは初めてだという。

ただものでないといえば、エリザ・ヒットマン監督も同様だろう。長編3作目にして、冷徹なリアリズムを通して、女性たちの生きる世界を鮮やかに描き出して見せた。ニューヨークの夜の街並みや人々を、巧みに取り込んだ映像も見応えがある。

ラストはさりげないが、2人の友情を確実に刻み付けてドラマは終わる。

地味といえばあまりにも地味だが、その真摯な語り口にたまらなく胸を打たれる映画である。

 

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◆「17歳の瞳に映る世界」(NEVER RARELY SOMETIMES ALWAYS)
(2020年 アメリカ・イギリス)(上映時間1時間41分)
監督・脚本:イライザ・ヒットマン
出演:シドニー・フラニガン、タリア・ライダー、テオドール・ペルラン、ライアン・エッゴールド、シャロン・ヴァン・エッテン
*TOHOシネマズシャンテ、シネクイントほかにて公開中
ホームページ https://17hitomi-movie.jp/

 


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