映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

闘病記その4(最終回)

入院生活も2週間を過ぎた。当初の退院予定は2~3週間。そのタイムリミットが間近に迫ってきた。もちろん痛みはあるし、手術の影響は色々と体に出ているものの、それも徐々に良くなりつつあった。この調子なら3週間で退院かな? そう思い始めた時に、主治医が衝撃の事実を告げた。「レントゲン写真で肺に異常がある」。

どうやら誤嚥性肺炎というものにかかって、肺の一部が機能していないらしい。たいていはもっと年が上の人がなる病気で、その若さでは珍しいと言われてしまった。そのため、入院は少し長くなり、その間、点滴と薬で治療することになった。そのほかに、食事の時に椅子に座って胸を張って食べるようにして、食後も15分は横にならないで過ごすようにという指示があった。あ~あ。

 その食事だが、病院食という割には内容もボリュームもそれなりだった。ただし、自分の場合「ひと口食」という制限がついていて、焼き魚でも何でもひと口サイズに細かくしてあるのには閉口した。あとはパン食が意外に少なかったのも印象に残っている。そういえば退院間近の頃には、おでん(ダイコンなどの煮物)3連発というのもあったな。別に残り物というわけではないだろうが。

 ついでに病室は4人部屋。他の3人の入院患者の中で個性的だったのが、心臓のペースメーカーの交換手術をするおじさん。この人が看護師相手によくしゃべる、しゃべる。自分は二言、三言しか言葉を交わさなかったが、無事に手術を終えて自分と同じ日に退院していったのは奇遇だった。

おっと、もう1人個性的な患者がいたっけ。どうも自転車(本格的なヤツらしい)に乗っていて大ケガをしたらしく、車椅子でしか移動できない様子だった。この人の何が個性的かといえば、食事をパン食にしていたところ。何でも、最初に病院で食べたご飯が変なにおいがして、それから米の飯がダメになったとのこと。そんなことできるのかと思ったが、ある時ハンバーガーがメニューに出たというので大喜びしていた。

 さて、そうこうするうちに肺の具合もまあまあ良くなったというので、最終的な検査の上で退院ということになった。血液検査とレントゲンの結果は問題なし。ということで、3月19日が退院と決まった。当初の予定が伸びて、入院していたのはちょうど1か月。やれやれ、お疲れ様でした~!

 だが、退院したからと言って、すぐに明るい日常生活が戻ってくるわけではない。初めのうちは心臓が痛くて夜なかなか眠れないし、眠れたと思ったら何度も目を覚ますし、ちょっと動いただけで息が切れるしで大変だった。入院中はほとんど動いてないから筋力も落ちている。結局、3月中は自宅療養するしかなかった。

そして現在、手術した病院に2週間に1度通院するのと同時に、別な病院にリハビリに通っている。退院時に比べれば良くなったものの、まだまだ回復への道は途上なのであった……。

退院の日

 

リハビリに通っている病院

 

闘病記その3

一般病棟に移ってからは比較的順調に回復した。本館7階のN(北)病棟。当初はナースステーションの真ん前の病室で(もちろん何か異常があった場合に、すぐに対応できるように)。その後はナースステーションからは遠いけれど広めの714号室で(4人部屋で差額ベッド代は1日8800円也)。ここは手術前にもいたところ。

こうして再び快適な入院生活に突入! とはいっても、もちろん手術前とは違う。胸には大きな手術痕があり、痛みもかなりのものだ。夜は痛みで何度も目が覚めるし、心臓の機能が快復していないからちょっと動いただけで息苦しい。深夜に見回り中の看護師に頼んで、痛み止めをもらったこともたびたびだ。

日中は日中で色々な検査があるし、そのたびに看護師に車いすを押されて出かける。検査室は地下1階にあり、けっこうな移動だから、自力で歩行するのは困難なのだ。傷口を清潔に保つために、1日1回シャワーを浴びるように命じられたが、それも最初は看護師(男)の介助なしには無理だった。手術前に言われていた入院期間は2~3週間。はたして、その間にどこまで回復するのか。

だが、日が経つにつれてだいぶ日常生活が送れるようになってきた。検査も車いすなしに自力で歩行するようになったし、シャワーは早々に1人で済ませられるようになった。リハビリも開始されたが(渡り廊下を通って別館に行く)、それも当初は車いすで行っていたものの、最後の頃は自力で行けるようになった。

ちなみに、このリハビリというのが自転車エルゴメーターを漕ぐというものだった。どうやら、それで心臓に負荷をかけて鍛えるらしい。かなりハードなリハビリで、しかも普段から自転車なんて乗らないからついていくのがやっとだった。このリハビリ、以前は退院後も通院して受けることになっていたようなのだが、コロナ以降退院と同時に終了ということになってしまったのが、残念である。

順調に回復したのは医師の力も大きい。毎朝の回診では数人の医師が訪れて、傷口のチェックなどを行ったほか、主治医は折あるごとに一日に何度もベッドサイドを訪れたし、主治医と一緒に執刀した部長も何度か訪れてくれた。おかげで、このまま退院へと突き進むかと思われたのだが……。
(次回に続く)

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病室のベッド

 

闘病記その2

手術はやはり6時間かかったという。

「という」などと持って回った表現をしているのは、手術中は全身麻酔でまったく記憶がないからだ。意識が戻ったのもいつだかわからない。だが、相当に体へのダメージがあったのは確かだ。手術後はICU(集中治療室)に入ったのだが、そこでの数日間の記憶もこれまた定かでない。たくさんの妄想(悪夢?)に苛まれ、現実と架空の判断がつかず、曖昧な記憶しか残っていないのである。

ただし、いくつかの断片的なシーンは記憶に強烈に残っている。特に死を前提にしたシーンは鮮明だ。まるで宇宙船のような鏡張りの空間で、青い制服に身を包んだ看護師が行き来している。そのうちに黄泉の国から聞こえてきた(?)と思われる鈴の音がチリンチリンと鳴る。その時には「ああ、死ぬんだな」と確実に思った。「これですべてが終わるんだ」と覚悟した。耳元で看護師が「これからリハビリして良くなるんです」と言った気がするのだが、ただの慰さめの言葉にしか聞こえなかった。

 それ以外にも数々のシーンが蘇る。まるで映画のような場面もあった。悪漢に拉致されて北の国の冷凍室に監禁され身動きが取れないシーン。文化祭間近の学校のような場所でベッドに拘束されたシーン。さらに、そこで危険な薬物を注射されたシーンなどなど。拘束された場面では、そこから必死に脱出を試みるも全て失敗して絶望するのだ。

あれは現実だったのだろうか。いや、実際にそんなことは起きようがないから、現実であり得るはずはない。あとでネットで調べたら、こういうのを「せん妄」と呼ぶらしい。長時間の手術後にはよくある現象とのこと。錯乱、幻覚、妄想状態をおこし、やがて数日して自然に落ち着いていくのだ。

 というわけで、自分の場合にもやがて落ち着いて一般病棟へ移った。どのぐらいICUにいたのかは定かではない。とにかく、自分は無事に生還した。死ななかったのだ。

 ちなみに、錯乱して看護師の腕に噛みついたという噂を聞いたような気がするのだが、それもはたして現実か幻想なのかわからない。
(次回へ続く)

 

闘病記その1

映画館に行けない間は、動画配信で見た映画の感想でも書こうかと思うのだが、通院、リハビリ、おまけに親の介護等で時間が取れず。仕方がないので、2~3月に経験した手術・入院のことでも振り返ってみようと思う。まあ、興味のない人はスルーしてくださいませ。

2月22日に心臓の手術をした。といっても急激に悪くなったわけではない。子供の頃にかかった病気の影響で、ずっと悪かったのだが日常生活に支障がないので、そのままにしていたのだ。

ところが、昨夏に心不全になり肺に水が溜まるなど、いよいよ悪化の兆候が見え始めた。かかりつけの病院の循環器内科の医師も検査結果を見て、「これは手術をしたほうがいいのでは?」と勧めてきた。その他諸々諸事情が重なって、手術をしようということになったのだが、かかりつけの病院では心臓手術をやっていない。

というわけで、日本医科大学付属病院を紹介されて、そこで手術を受けることになった。それが昨年10月のこと。だが、そこからが長かった。様々な検査や診察を繰り返し、ようやく手術にGOサインが出て、今年1月中に手術という話になったものの、その後も何やかやで遅れに遅れて、結局は2月22日に手術と決まったのだ。

入院したのは2月19日。このご時勢だから、まずはPCR検査を受けねばならない。もしも陽性だったら、仕切り直しとなってしまう。だが、幸いにも結果は陰性で予定通り手術と決定。それから22日までの間は、快適な入院生活を送ることになった。なにせ上げ膳据え膳で、食事は黙っていても出てくるし、自分で動く必要性はほとんどない。消灯時間が午後9時と早いのを除けば、文句のない生活なのだった。

だが、それも22日までのこと。いよいよ手術である。心臓の僧帽弁と大動脈弁を人工弁に交換し、心房細動を止めるための処置も行う。一つ一つの手術はそれほど難しくないが、それが3つも重なるわけで、事前に6~8時間かかるといわれていた。それがどれほどのものなのか想像もつかなかったが(6年ほど前に右膝の膝蓋骨骨折の手術を受けた時も5時間ぐらいかかったのだが、内臓の手術とは違うだろうし)、これがまあ実際には想像以上に大変な手術なのだった。
(次回へ続く)

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病室の窓から見た風景

 

園子音監督のこと

園子音監督が、自分の立場を利用して女優たちに性行為を強要していた事実が明らかになりつつある。もちろん現時点で全貌はわからないが、業界では有名な話だったという。

業界から縁遠い自分は、そんなことを知る由もなかったのだが、このブログでも過去に「エッシャー通りの赤いポスト」をはじめ園作品を取り上げている。それは純粋に作品として評価したものだが、それが不当な行為のもとに作られていたとなれば話は別だ。

よく「作品は純粋に独立した存在だ」という声を耳にするが、はたしてそうだろうか。確かに映画は多くの人が関わって出来上がるものであり、監督1人のものではない。しかし、その撮影現場のほぼすべてを把握し、仕切り、その後の編集作業を仕切るのは監督だ。それなのに作品と監督とを別物のように言うのは疑問がある。

聞けば、黒沢清監督は撮影現場はもとより、飲み会の席でも出席者のセクハラまがいの言動を一切許さなかったという。そこまで徹底する監督がいる反面、園監督のようなものが少なからずいることも事実(先日は榊英雄の蛮行も明らかになったが)。彼らを増長させた者をはじめ、これは業界全体に関わる問題だと思う。

セクハラ、パワハラはアウト。作品の価値も損なわれる。映画業界全体で、こういう考え方が浸透して欲しいと思うのだが・・・・・・。

自宅療養中です。

ご無沙汰しております。

2月22日に心臓の手術をして、色々あって回復が遅れ、結局3月19日に退院しました。

とはいえ、まだ完調には程遠く、自宅療養を続けています。

そろそろ活動を再開しようと思うのですが、コロナの動向もあり映画館にはまだ行けそうにありません。

映画レビューの再開はもう少しお待ちください。

いずれ必ず復活しますので・・・。

 

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「ウエスト・サイド・ストーリー」

「ウエスト・サイド・ストーリー」
2022年2月17日(木)ユナイテッド・シネマとしまえんにて。午後12時20分より鑑賞(スクリーン3/E-16)

スピルバーグが現在の社会情勢を反映させた名作ミュージカルの再映画化

いつもありがとうございます。
実はしばらく入院することになりましたので、その間ブログの更新をお休みします。一応2~3週間の予定ですが、退院したらまたよろしくお願いいたします。

さて、お休み前の最後の映画は華々しく「ウエスト・サイド・ストーリー」だッ!!

「ウエスト・サイド・ストーリー」といえば、1961年のロバート・ワイズ監督による名作ミュージカル映画(タイトルは「ウエスト・サイド物語」)。もともとは1957年に発表されたブロードウェイ・ミュージカルである。オリジナルの映画はどこかで観た記憶があるのだが(たぶんテレビ放送だと思う)、今となっては細かなディテールなどは忘れてしまった。

その「ウエスト・サイド物語」のリメイク映画が登場した。いや、正確に言うと舞台版の再映画化ということらしい。監督はあのスティーヴン・スピルバーグ。そりゃあ映画史に残るミュージカル映画の再映画化ともなれば、「俺がやるしかない」となるわけだ。スピルバーグ監督にとって初のミュージカル映画となる。

ロミオとジュリエット」を下敷きにしたお話だ。1950年代後半のニューヨーク。マンハッタンのウエスト・サイドでは、多くの移民が暮らしていた。貧困と差別の中で彼らは同胞の仲間たちでグループを作り、各グループは対立しあっていた。そんな中、プエルトリコ系の若者たちで構成された「シャークス」とヨーロッパ系移民グループ「ジェッツ」は激しく敵対していた。

ある日、シャークスのリーダー、ベルナルドを兄に持つマリア(レイチェル・ゼグラー)は、ダンスパーティでトニー(アンセル・エルゴート)という青年と出会い、2人は互いに惹かれ合う。しかし、トニーはジェッツの元リーダーで、2人の禁断の恋は多くの人々の運命を変えていく……。

基本となるプロットは昔と同じ。地元の再開発によって、自分たちの住処を追われようとする貧困住民。そんな中、敵対勢力に関わりのあるトニーとマリアが愛し合うようになる。

実のところミュージカルはあまり得意ではない。唐突に登場人物が歌い踊る展開に、どうしても違和感を感じてしまうのだ。最近のミュージカルはそれを意識させない工夫をしたものが多いのだが、この映画に関しては比較的オールドスタイルでつくられているから意識せざるを得ない。

しかも、歌と踊りにかなり比重を割いているため、ドラマ的にはどうしても薄味になってしまう。例えば、トニーとマリアがダンスパーティーで出会い、恋に落ちるところなど、「オイオイ、いくら何でもお手軽だろ!」とツッコミの1つも入れたくなってしまうのだ。

だが、そこであの名曲が流れてくる。オリジナル版でもおなじみのレナード・バーンスタイン(作曲)とスティーヴン・ソンドハイム(作詞)による楽曲だ。歴史に残る名曲の数々は下手な芝居よりも説得力十分。それを聴いているうちについつい納得してしまうのである。

劇の進行とともに「Tonight」「America」「Maria」など、おなじみのあのメロディーが次々に登場。ミュージカルに疎い自分でも、ほぼみんな知っている。というわけで、いつの間にかスクリーンに引き込まれてしまった。

おまけにダンスもダイナミックで迫力十分だ。スピルバーグ作品ではおなじみの名撮影監督ヤヌス・カミンスキーによる映像が、さらにその迫力を倍加する。特にダンスパーティでの躍動感あふれるダンスには心がかき立てられた。歌と踊りを見ているだけで、十分に魅力的な映画なのだ。

ただし、これだけならスピルバーグ作品としては物足りない。最もスピルバーグらしさを物語るのは、この映画の社会性にある。もともとがヨーロッパ系移民とプエルトリコ系移民の対立という図式を持つこの映画。スピルバーグはさらにそれを強調し、異民族同士の対立感情をより明白に示す。それはすなわち、分断した今のアメリカ、いや世界の情勢を色濃く反映させたものだろう。

オリジナル版と違って、実際にプエルトリコ系の俳優をキャスティングしているのもスピルバーグ監督のこだわりに違いない。

なるほど、これならスピルバーグが監督する価値がある。そう思わせるのだ。

主演の「ベイビー・ドライバー」のアンセル・エルゴートは、こんなにミュージカルの才能があるとは思わなかった。ダンスはもちろん、歌声もなかなかのものだった。

だが、それを上回るのが相手役のレイチェル・ゼグラーだ。オーディションで約3万人の中から選ばれたというが、その歌声は神々しくさえある。こんな人が無名だというのだからアメリカは恐ろしい。

さらに、1961年版に出演していたリタ・モレノも出演。トニーやマリアを見守るキーキャラクターのバレンティーナを抜群の存在感で演じきっている。

古典ミュージカルをそのままのスタイルでパワーアップし、さらにスピルバーグ流の味付けをした高揚感あふれる映画だ。ミュージカル好きはもちろん、そうでない人も見応えがありそう。

 

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◆「ウエスト・サイド・ストーリー」(WEST SIDE STORY
(2021年 アメリカ)(上映時間2時間37分)
監督:スティーヴン・スピルバーグ
出演:アンセル・エルゴート、レイチェル・ゼグラー、アリアナ・デボーズ、マイク・フェイスト、デヴィッド・アルヴァレス、リタ・モレノ
*TOHOシネマズ 日比谷ほかにて全国公開中
ホームページ https://www.20thcenturystudios.jp/movie/westsidestory

 


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