映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「ラーゲリより愛を込めて」

ラーゲリより愛を込めて」
2022年12月12日(月)ユナイテッド・シネマとしまえんにて。午後2時20分より鑑賞(スクリーン7/F-10)

瀬々敬久監督がシベリア抑留の悲劇を真正面から描く

戦争は遠くなりにけり。とはいえ、海外に目を向ければロシアのウクライナ侵攻の例を引くまでもなく年中戦争をやっているわけで、日本でも何やら不穏な空気が流れ始めた。戦争の足音は確実に近づいているのかもしれない。それだけに反戦・非戦の声を上げ続けることは重要だろう。

というわけで、辺見じゅんのノンフィクション小説「収容所(ラーゲリ)から来た遺書」を映画化した「ラーゲリより愛を込めて」。監督は「ヘヴンズ ストーリー」「64-ロクヨン-」「糸」「菊とギロチン」「護られなかった者たちへ」など、超売れっ子の瀬々敬久。けっこう昔に出た本なのに、「なぜに今映画化?」と思わないでもないが、そこに作り手たちの意図が隠されているのかもしれない。

第二次世界大戦終了直前、満州国ソ連軍が侵攻し、陸軍特務機関員の山本幡男(二宮和也)は混乱の中で家族とはぐれ、捕虜となってシベリアの収容所(ラーゲリ)に送られる。他の抑留者たちとともに零下40度にもなる過酷な環境の中、飢えと寒さと重労働に苦しみ、命を落とす者も続出する。それでも、山本は日本にいる妻(北川景子)や4人の子供との再会を信じ、懸命に生きていくのだが……。

冒頭は戦争末期の満州での結婚式シーン。エンディングは現代の日本での結婚式シーン。この間をつなぐドラマが展開する。もちろん、そのほとんどはシベリアの収容所での過酷な生活。山本は当初は、ロシア語に堪能だったことから通訳を任されるが、その真っ直ぐな気持ちが災いして、やがて手のひらを返したように冷たい仕打ちを受ける。

一度は帰国(ダモイ)の兆しも見えるが、帰国できると思って乗り込んだ列車から降ろされ、戦争犯罪人として刑を宣告される。そして再び収容所へ。そこでは、以前にも増して過酷な日々が待ち受けていた。それでも、山本は家族と日本で再会するという希望を失わず、常に前向きに暮らす。

そんな山本とともに、前半は他の捕虜たちのあれこれも描かれる。戦争で心に傷を負った松田、軍人時代の階級を振りかざす相沢、子犬のクロをかわいがる心優しい青年・新谷などだ。山本が彼らを励まし希望を抱かせるわけだが、さすがにこれだけの人物のあれこれを描くので駆け足気味なのは否めない。

それでも過酷な環境で行われたであろうロケの映像を通して、彼らが置かれた環境の壮絶さが伝わってくる。ぬくぬくとした客席にいながらも、どこかうすら寒い感覚を味わったのは、スクリーンの向こう側の凍てついた映像ゆえだろう。

瀬々監督といえば、手持ちカメラによる繊細な心理描写を得意とするが、今回は手持ちカメラはあまり登場しない。奇をてらった描写もなく、正攻法から被写体を捉える。あまりにも過酷な状況を、そのまま映すだけで十分に伝わるという考えだったのではないだろうか。その狙いは十分に成功している。

ただし、セリフに関しては、名言もどきのセリフがいくつも飛び出すものの、「全部セリフで説明するのかよ!」という思いが拭えなかった。もう少し余白を活かした脚本の方が、個人的には好きなのだが。脚本は「糸」でも瀬々監督とコンビを組んだ林民夫。

終盤は、山本が病に倒れる。だが、収容所側は専門病院に山本を診せることを拒む。捕虜たちはストライキでこれに抗する。その結果、重篤な病とわかった山本。周囲は彼に遺書を書かせるが、はたしてそれをどうやって日本に持ち帰るのか。

というあたりからは、感動の波状攻撃だ。このあたりの怒涛の展開は、いかにも瀬々監督らしい。病床に伏す山本。遺書を書く山本。彼を取り巻く仲間たち。そして日本で暮らす家族。それらが情緒たっぷりに描かれるが、けっして過剰にならないあたりで寸止めしている。北川景子の号泣も実に良いタイミングだ。ついでに、犬のクロも演技賞をあげたいぐらいの大活躍である。

同じような場面が続くその後の展開も、巧みに強弱をつけて描かれる。最後の最後まで、感動が続く。「8年越しの花嫁 奇跡の実話」のころにバッタリ会ったら、「自分の映画を女子高生が大挙して見に来るとは……」と苦笑していた瀬々監督だが、今や押しも押されもしない大監督だなぁ~、と実感した次第。

誤解しないで欲しいが、本作はあくまでも娯楽作品である。後半の感動の波状攻撃をはじめ、山本夫妻と家族の愛と別れのドラマがケレンたっぷりに描かれる。過酷な環境下で希望を失わず生き抜こうとした山本と、夫を信じて子供たちとともに懸命に生きる妻の姿が涙を誘い、見せ場は十分である。

その一方で、戦争の悲惨さ、愚かさが、押しつけがましくなく自然に伝わってくる映画でもある。しかも、それはどちらかに肩入れするようなものではない。収容所を管轄するのはロシア人だから、当然その蛮行は描かれるものの、戦時中の回想などで日本軍の蛮行や理不尽な態度も描いている。人類共通の問題として、戦争というものをあぶり出しているのである。

こうしてエンタメ性とメッセージ性を巧みに両立させたところが、本作の最大の見どころかもしれない。

俳優は、二宮和也をはじめ、北川景子松坂桃李中島健人桐谷健太安田顕らが、それぞれに個性的な演技を見せている。いずれも役に寄り添った印象的な演技だった。最後にチラッと出てくる寺尾聰は、30年前のこの原作をテレビドラマ化した時の主役だったらしい。

◆「ラーゲリより愛を込めて」
(2022年 日本)(上映時間2時間13分)
監督:瀬々敬久
出演:二宮和也北川景子松坂桃李中島健人寺尾聰桐谷健太安田顕、奥野瑛太金井勇太、中島歩、田辺桃子、佐久本宝、山時聡真、奥智哉、渡辺真起子、三浦誠己、山中崇朝加真由美、酒向芳、市毛良枝
*TOHOシネマズ日比谷ほかにて全国公開中
ホームページ http://lageri-movie.jp/

 


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「月の満ち欠け」

「月の満ち欠け」
2022年12月7日(水)ユナイテッド・シネマとしまえんにて。午後1時50分の回(スクリーン7/D-6)

~ぶっ飛んだ設定にもかかわらずストレートに感動させてしまう廣木隆一監督の手腕

また廣木かよ!

というわけで、「あちらにいる鬼」「母性」に続くこの秋冬3本目の廣木隆一監督作品「月の満ち欠け」です。2017年に第157回直木賞を受賞した佐藤正午による同名小説の映画化。

冒頭に登場するのは青森県八戸市の小山内堅(大泉洋)という男性。まもなく彼は上京して、緑坂ゆい(伊藤沙莉)という女性と会う。ゆいは、娘の瑠璃(菊池日菜子)の高校時代の同級生だった。

そこから時代はさかのぼり、1980年。小山内は梢(柴咲コウ)という女性と結婚する。このとき、世間ではジョン・レノンが殺害され、彼にゆかりの曲がたくさん流れていた。小山内は梢と愛し合い、瑠璃が生まれる。3人は幸せな日々を送る。

しかし、ある日、幼い梢が高熱を出し、回復はしたものの奇妙な行動を取るようになる。それでも3人は仲良く暮らしていたが、瑠璃が高校生の時に梢の運転する車に乗っていて事故に遭い、2人とも亡くなってしまう。小山内は悲嘆にくれ、故郷の八戸に戻る。

そんな中、哲彦と名乗る男(目黒蓮)が訪ねてくる。彼は、事故の日に瑠璃が自分に会いに来ようとしていたと告げる。瑠璃は面識のないはずの哲彦になぜ会おうとしていたのか。哲彦は、瑠璃が自分がかつて愛した同じ名の“瑠璃”(有村架純)という女性の生まれ変わりではないかと告げる。にわかには信じがたい告白に怒る小山内だったが……。

要するに生まれ変わりをめぐるラブストーリーだ。タイトル通りに月が満ち欠けするように、人間も消えたり現れたりするということだろう。相当にぶっ飛んだ設定である。

最初にはっきり言っておくと、私は生まれ変わりなど信じていない。だが、この映画に関しては、それでも引き込まれて感動してしまった。そのぐらい廣木監督の手腕が鮮やかなのだ。

まずは、おそらくかなり入り組んだ複雑であろう原作(未読)を、巧みにさばいた手腕に感服(脚本は橋本裕志)。時代を超えて、小山内、哲彦、梢、2人の瑠璃、ゆいなどが展開するドラマを、きっちりと描き分けている。

その上で、中盤の恋愛ドラマの描写が巧みだ。年上の瑠璃に惹かれる哲彦。しかも、彼女は不幸な結婚生活を送っていた。などと言うと、陳腐な不倫ドラマを思い描くが、舞台となる東京・高田馬場の風景を織り込みながら、哀切漂う恋愛&青春ドラマに仕上げている。おお、早稲田松竹が!私のような昭和世代には、懐かしく、そして心をわしづかみにされるのだ。高田馬場で恋したことなんかないけれど。

もう1つのラブストーリーも抜かりがない。もちろん小山内と梢のラブストーリーだ。こちらは終盤のビデオ映像が秀逸だ。生前の梢と瑠璃を映したビデオだが、そこでの梢の発言が涙なくしては聞けないのだ。それを見ている小山内はもちろん涙にむせぶのだが、スクリーンのこちら側にいる私も思わずウルウルしてしまった。

劇中で何度も流れるジョン・レノンの「Woman」。瑠璃が大好きで口ずさんでいたオノ・ヨーコの「Remember Love」など、楽曲の使い方もツボを心得ている。いやでも感情を刺激する。

役者も素晴らしい。特に廣木映画では女性の俳優が際立つが、今回の柴咲コウ有村架純、菊池日菜子も輝いている。柴咲コウの晴れやかな美しさ、有村架純の影のある美しさ、いずれも甲乙つけがたい。伊藤沙莉は、いまだに高校生役が違和感ないな。

男性俳優も十分に存在感がある。大泉洋は、いまさら言うまでもなくうまい役者だが、今回は違う年代をきちんと演じ分けている。そして目黒蓮である。初めて見たが、なかなか良い役者だな。自然体なのにとても印象に残る演技だった。そして、田中圭の最低の夫っぷりも出色だ。ああはなりたくないものである。誰しもがそう思うはず。

まあ、なにせ設定がかなり特殊なので、そこで引いてしまう人もいるだろう。特に終盤の子役の演技はほとんどホラー映画でしょ。いくら特殊な設定でも、あれだけ生まれ変わりのダメ押しをされると興ざめ。

最後の梢の生まれ変わりの話も、強引過ぎて思わず笑ってしまった。原作もそうなっているのだろうが。

とはいえ、そんな特殊な設定を忘れさせるラブストーリーの巧みさには感服。こんな突飛な設定も、廣木監督の手にかかると現実感を持ってしまうのだから恐ろしい。

◆「月の満ち欠け」
(2022年 日本)(上映時間2時間8分)
監督:廣木隆一
出演:大泉洋有村架純目黒蓮伊藤沙莉田中圭柴咲コウ、菊池日菜子、小山紗愛、阿部久令亜、尾杉麻友、寛一郎波岡一喜安藤玉恵丘みつ子
丸の内ピカデリーほかにて全国公開中
ホームページ https://movies.shochiku.co.jp/tsuki-michikake/

 


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「あのこと」

「あのこと」
2022年12月3日(土)Bunkamuraル・シネマにて。午後1時より鑑賞(ル・シネマ1//B-7)

~中絶が禁止されていたかつてのフランスで孤独に戦う女子学生

いやぁ~、この日、私が渋谷に向かう副都心線は車両点検のせいで15分遅れ。大急ぎでようやく映画館に駆け込んだのだ。やれやれ。間に合わないかと思ったぜ。

鑑賞したのはフランス映画「あのこと」。2022年のノーベル文学賞を受賞したアニー・エルノーの短編小説「事件」を映画化し、第78回ヴェネチア国際映画祭金獅子賞に輝いた。ちなみに、その時の審査委員長はポン・ジュノ監督。

それにしても邦題の「あのこと」とは何とも意味深なタイトルですなぁ~。

1960年代のフランスが舞台だ。女子学生のアンヌ(アナマリア・ヴァルトロメイ)は、学業優秀で前途有望な大学生。努力の末に明るい未来をつかみかけていた。そんな中、大事な試験を前に思いがけずアンヌの妊娠が発覚してしまう……。

なんと当時のフランスは中絶が違法で、厳しく罰せられていたというのだ。そんな時にアンヌは予期せぬ妊娠をしてしまう。だが、自分の人生を諦めて子供を産む気にはなれない。さて、どうするのか。

本作で特筆されるのはカメラワークだ。手持ちカメラでアンヌの細かな表情をつぶさに描写するとともに、徹底的にアンヌ目線の映像で周囲を映す。それによって、彼女の揺れ動く心情がリアルに伝わってくる。突然の妊娠がもたらした戸惑い、混乱、苦悩、葛藤……。アスペクト比1.37対1という狭い画角も、彼女の生きづらさを象徴するようでこの映画にはふさわしい。

彼女は誰にも相談することができない。妊娠を告げた医師も、「刑務所には行きたくない」と関わり合いになるのを避ける。友人たちにもなかなか切り出せない。もちろん両親にも。

相手の男も頼りにならない。それを知ってか、アンヌは医師に対して「性交渉の経験はない」とまで言い切る。処女懐胎か!?ようやく途中で、相手はひと夏の付き合いだった大学生だったことがわかるものの、相手は他人事で全く頼りにならない。

アンヌは孤独な戦いを繰り広げる。スクリーンには、妊娠週を示すテロップが挟まれる。3週、4週……というように。これが緊迫感を煽る。どんどん時が過ぎて、アンヌは焦りの色を濃くする。

最初は別の医師に薬を処方してもらうアンヌ。医師は言う。「生理が再開する薬だ」と。だが、そうはならなかった。あとでわかることだが、それは妊娠を継続するための薬だったのだ。当時のフランスの医師の多くは、中絶を希望する女性に極めて冷酷だったのである。

そうこうするうちにアンヌは情緒不安定に陥り、成績も急降下する。大学の教員に、「このままでは進級できない」と言われてしまうのだ。アンヌの悩みはいっそう深くなる。

ついに、アンヌは自分で処置することを決意する。強引な手法で中絶しようとするのだ。苦痛に歪むアンヌの顔、そして声。

そう。この映画はアンヌの痛みもリアルに伝えるのである。それは男性の私にもよく伝わってきた。観ていてゾクゾクするほどだった。

それでも中絶に失敗したアンヌは、知人の伝手でようやく闇の中絶医に行き当たる。はたして、彼女は今度は中絶することができるのか。

このクライマックスの手術シーンは、さらに壮絶だ。手術の一部始終をアンヌの目線で映す。彼女の痛みがさらにダイレクトに伝わってきて、鳥肌が立つほどだった。あまりに痛々しくて、逆に目が離せなかった。

とはいえ、ラストはけっして暗くはない。かすかだがアンヌの将来に希望の光を灯して、ドラマは終わる。

監督はこれまで脚本家として活躍してきて、これが長編2作目となるオードレイ・ディヴァン。徹底したドキュメンタリータッチの作風は、ダルデンヌ兄弟を想起させる。あるいは痛みを描写するという点では、ミヒャエル・ハネケ監督を思い浮かべる。

主演のアナマリア・ヴァルトロメイは、これぞまさに体当たりの演技。アンヌの様々な感情の変化を全身で表現していた。

主人公の恐怖や痛みをホラー映画のように体感させることで、観客にこの時代の不条理さを強く訴えかけた作品だ。それは女性だけでなく、男性の胸にも響くことだろう。

そして、それは今に通じるメッセージにもなっている。アメリカの一部の州で、中絶が非合法化されている昨今だけに、なおさらである。文句なしの力作だ!

◆「あのこと」(L'EVENEMENT)
(2021年 フランス)(上映時間1時間40分)
監督:オードレイ・ディヴァン
出演:アナマリア・ヴァルトロメイ、ケイシー・モッテ・クライン、ルアナ・バイラミ、ルイーズ・オリー=ディケーロ、ルイーズ・シュヴィヨット、ピオ・マルマイ、サンドリーヌ・ボネールアナ・ムグラリス、レオノール・オベルソン、ファブリツィオ・ロンジョーネ
Bunkamuraル・シネマほかにて公開中
ホームページ https://gaga.ne.jp/anokoto/

 


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「ミセス・ハリス、パリへ行く」

「ミセス・ハリス、パリへ行く」
2022年12月1日(木)池袋HUMAXシネマズにて。午後3時30分より鑑賞(シネマ5/B-8)

~ロンドンの家政婦のおばちゃんがパリのファッション業界に殴り込み!?

 

ファッションにはまったく疎い私だが、クリスチャン・ディオールぐらいは知っているのだ。と言っても、単に名前を知っている程度の話なのだが。

そのクリスチャン・ディオールのドレスが、ストーリーの重要な要素になる映画が「ミセス・ハリス、パリへ行く」だ。ポール・ギャリコの同名小説を、ドキュメンタリーを中心に活躍して、長編劇映画はこれが3作目となるアンソニー・ファビアン監督が映画化した。

1957年のロンドン。夫を戦争で亡くした家政婦のミセス・ハリス(レスリー・マンヴィル)は、ある日勤め先の家で1着の美しいドレスと出会う。それは高価なクリスチャン ディオールのドレスだった。そのドレスにすっかり心奪われたミセス・ハリスは、絶対にディオールのドレスを買うと心に決める。どうにかお金を工面して、たった一人でパリへと向かいディオール本店を訪れるミセス・ハリス。しかし、上流階級やお金持ちしか相手にしないディオールのマネージャー(イザベル・ユペール)に追い出されそうになる。それでも、夢を諦めないミセス・ハリス。その姿が人々の心を動かしていく……。

いかにもイギリス映画らしい楽しく、ユーモアにあふれたコメディー映画だ。何しろロンドンの下町のおばちゃんが、パリのハイソなファッション業界に入り込むのである。その設定だけで楽しくなってくる。

映画の冒頭、ミセス・ハリスが帰国を待ち望んでいた夫が戦死したと判明する。だが、それを過剰にウェットに描くことはしない。ミセス・ハリスが新しい夢を抱く場面を生き生きと見せる。このバランス感覚が絶妙だ。

ミセス・ハリスの新しい夢とは、クリスチャン・ディオールのドレスを購入すること。彼女は勤め先の家でディオールのドレスを目撃したのだ。それがまた実に美しいドレス。ファッションに疎い私も、心を捉えられてしまった。

ちなみに衣装デザインを手がけているのは「クルエラ」などのジェニー・ビーバン。

ミセス・ハリスがそのドレスに憧れたのは、彼女の境遇も影響しているのではないだろうか。有能な家政婦として働いていたものの、周囲からは「透明人間」扱いで、しかも愛する夫を亡くしてしまった。彼女にとってディオールのドレスは、自分のアイデンティティーを取り戻す象徴だったのかもしれない。

ミセス・ハリスはドレスを買うため、必死でお金を貯めようとする。その過程ではドッグレースで全財産を失うというハラハラの展開もある。「オートクチュール」という名の犬を見て、「これは運命だ!」と全財産を賭けたのだ。そんなわけでお金集めには苦労するのだが、夫の年金が手に入るなどしてようやく目標額を達成する。

それからはパリでのミセス・ハリスが描かれる。おりしも、パリはストライキ中。そんな中、ディオール本店に乗り込んだミセス・ハリスだが、威圧的な支配人に追い出されかける。この支配人を演じているのが、ご存知、フランスの名女優イザベル・ユペール。主演のレスリー・マンヴィルとの英仏ベテラン名女優対決は迫力満点。これだけでも観る価値がある。

というわけで、窮地に追い詰められたミセス・ハリスだが、そこに救いの神が現れる。親切なシャサーニュ公爵が、彼女を自分の連れとして同行するように誘ったのだ。この侯爵は妻を亡くしていて、その後ミセス・ハリスと微妙な関係になったりする。このあたりのさじ加減もなかなかのものだ。

結局、ミセス・ハリスは若い会計士のアンドレやモデルのナターシャなどの協力もあって、ドレスを作ることになる。だが、まだまだ波乱の種はある。そのたびごとにミセス・ハリスは窮地を乗り越え、夢に向かって前進していくのだ。

終盤のドラマの背景には、ディオールの改革がある。あくまでもオートクチュールにこだわる支配人に対して、改革派のアンドレなどは広く一般に広めて、ビジネスとしてきちんと成立させたいと考えている。そこにミセス・ハリスが絡んでくるわけだ。

その間も、ミセス・ハリスがアンドレとナターシャの恋のキューピッドになるなど、サブストーリーの展開にも抜かりはない。

もちろん劇中には、目にも鮮やかなドレスが次々に登場する。ファッションに詳しい人なら、余計に楽しめるのではないだろうか。そういう点も含めて見どころは満載なのである。

対立していた支配人とミセス・ハリスだが、最後には和解が用意されている。このあたりも心憎いばかりの配慮だ。

そして、ラストには大きなサプライズが……。自分の情の厚さが逆に不幸を招いてしまったミセス・ハリスだが、最後にはその情の厚さゆえに多くの人が彼女を助けてくれる。絵に描いたようなハッピーエンドである。ラストシーンの軍人会でのミセス・ハリスのドレス姿が美しい。

まあ都合よすぎの展開が多いし、見方によってはお気楽とも思えるドラマだが、それはそれ。この手のドラマとして、実にウェルメイドな作品に仕上がっている。

何よりも、どんな困難にもめげず、前向きに、少女のように純真に、そしてユーモラスに突き進むミセス・ハリスから元気をもらえる映画だ。

◆「ミセス・ハリス、パリへ行く」(MRS. HARRIS GOES TO PARIS)
(2022年 イギリス)(上映時間1時間56分)
監督:アンソニー・ファビアン
出演:レスリー・マンヴィルイザベル・ユペールランベール・ウィルソン、アルバ・バチスタ、リュカ・ブラヴォー、エレン・トーマス、ローズ・ウイリアムズ、ジェイソン・アイザックス
*TOHOシネマズ シャンテほかにて公開中
ホームページ https://www.universalpictures.jp/micro/mrsharris

 


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「宮松と山下」

「宮松と山下」
2022年11月29日(火)渋谷シネクイントにて。午後1時50分より鑑賞(スクリーン2/D-8)

~虚構と現実の境目がないエキストラの不思議な人生

いつも読んでくださりありがとうございます。
メジャーな映画から地味なインディーズ映画まで、節操もなく取り上げるブログです。
というわけで本日はこちらの映画を……。

教育番組「ピタゴラスイッチ」などで知られるクリエイティブディレクターの佐藤雅彦NHKでドラマ演出に携わってきた関友太郎。「百花」の共同脚本を務めた平瀬謙太朗。東京芸大大学院映像研究科で佐藤が研究室を率い、関と平瀬は教え子という関係でもある。

この師弟3人は監督集団「5月」結成して、これまでに何本かの短編映画を作ってきた。そして、いよいよ長編デビュー作となったのが「宮松と山下」だ。上記3人が監督、脚本、編集に名を連ねている。

エキストラ俳優の宮松(香川照之)のもとに、ある時、谷(尾美としのり)という男が訪ねてくる。彼によれば宮松は本当は山下という名前で、かつてタクシー会社で同僚だったという。だが、宮松はその記憶をすっかり失っていた。年の離れた妹がいると聞き、宮松は会いに出かける。妹の藍(中越典子)と夫の健一郎(津田寛治)は彼を大歓迎するのだが……。

この作品については、事前にかなり実験的な映画だという噂を聞いていた。だから、どれだけぶっ飛んだ映画だろうと思ったのだが、実際はそれほどもなかった。

とはいえ、かなり挑戦的な作品なのは間違いない。

映画の冒頭は時代劇。しかも殺陣のシーンだ。主人公と思しき侍が、バッタバッタと敵を斬っていく。なるほど、この映画は時代劇なのか……。

いや、違う。その後、斬られた男がむっくりと起き上がり、大急ぎで次の準備をする。そしてまた斬られに行く。そうなのだ。彼はエキストラ俳優なのだ。

宮松というそのエキストラ俳優は、今度は居酒屋に行き焼き鳥とビールで一息つく。なるほど、仕事終わりの一杯だな。

と思ったら、いきなり銃声が響き宮松は撃たれる。だが、次の瞬間、彼はやおら立ち上がる。そう。これもまたエキストラの仕事だったのだ。

そんな宮松はケーブルカーの係員をしている。エキストラだけでは食べていけないからだ。

そして、宮松は自宅に帰れば里帆という女性と暮らしている。一見ラブラブな2人だが、どうも里帆には男がいるらしい。はたして、この先どんな修羅場が訪れるのか。

と思ったら、カットがかかった。これもまたまたエキストラの仕事だったのだ。現実だと思った彼の私生活もやっぱり虚構だった、というわけ。いったい何が虚構で、何が現実なのかさっぱりわからんぞなもし。

これこそ「5月」の3人の思う壺だろう。虚構と現実の境目をなくし、何が本当で何がウソかわからなくする。観客を混乱させて喜ぶなんてまったく人が悪い。でも、まあ、それによってミステリアスでスリリングなドラマが現出しているのは確かである。

こうして毎日数ページだけ渡される台本に沿って、まったく別の虚構の人生を演じてきた宮松だが、現実生活で衝撃的な出来事が起きる。記憶を失った彼の過去を知る人物が現れたのだ。そして妹の存在も……。

後半は、妹との再会を果たした宮松が描かれる。妹の藍は宮松を大歓迎するが、その視線は何やら意味深だ。単に兄を見るといった視線とは違う何かがそこにはある。また、妹の夫の健一郎も怪しい態度だ。こちらも義兄を歓迎しつつ、何やら奇妙な態度をとる。いったい過去に何があったのか。どうして宮松は記憶喪失になったのか。

というわけで、サスペンスフルな展開の後半なのだが、こちらは前半にあれだけ虚構を見せられているものだから、どうしても疑い深くなってしまう。もしかしたら、今目の前で展開しているドラマも虚構なのではあるまいか。そんな疑問が頭を離れないのである。それもまた「5月」の3人の思う壺なのだろう。

ラストは意外に普通の終わり方だった。でも、まさかこれもまた虚構じゃないよね?

キャラクターを掘り下げるわけでも、繊細な心理描写をしているわけでもないこの映画。それでもちゃんとした映画になっているのは、実力派俳優を起用しているからだろう。香川照之の演技の巧さは今さら語るまでもないが、今回は極端にセリフが少ない中での演技だけにその演技力が際立つ。特に終盤、タバコを吸いながら記憶を取り戻したらしいシーンでの演技は絶品。

中越典子も秀逸な演技を見せている。兄との微妙な関係を繊細な感情描写で表現。これまでも存在感のある演技を見せていたが、あらためて素晴らしい俳優だと実感した。津田寛治の危険な香りタップリの演技、野波麻帆の女優オーラ前回の演技なども印象的。

それにつけても、香川のセクハラ事件。おかげで彼が前面に出たPRも不可能となり、もともと地味なこの映画がなおさら地味になってしまった。なかなか刺激的な映画だっただけに、もったいない。ゆめゆめ、セクハラなどしてはいけませぬぞ!

◆「宮松と山下」(ROLELESS)
(2022年 日本)(上映時間1時間27分)
監督・脚本・編集:関友太郎、平瀬謙太朗、佐藤雅彦
出演:香川照之津田寛治尾美としのり中越典子野波麻帆大鶴義丹、尾上寛之、諏訪太朗黒田大輔
新宿武蔵野館、渋谷シネクイントほかにて公開中
ホームページ https://bitters.co.jp/miyamatsu_yamashita/

 


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「シスター 夏のわかれ道」

「シスター 夏のわかれ道」
2022年11月26日(土)シネ・リーブル池袋にて。午後4時45分より鑑賞(シアター2/F-5)

~見知らぬ弟を押し付けられた姉の葛藤。一人っ子政策がもたらした闇を照らす

あからさまに政府の批判などしようものなら、当局からダメだしが入る中国映画だが、実はそれなりに社会問題を盛り込んだ作品は多い。もちろん、それが今の政府批判にならないことは条件なのだが。

「シスター 夏のわかれ道」も社会問題を背景としたドラマだ。

主人公は看護師として働きながら、医者になるために北京の大学院進学を目指すアン・ラン(チャン・ツィフォン)。ある日、疎遠だった両親が交通事故で亡くなり、親族から会ったこともない6歳の弟・ズーハン(ダレン・キム)を押し付けられてしまう。両親の死すら理解できずワガママばかりのズーハンに振り回されっぱなしのアン・ラン。北京行きの計画に暗雲が垂れ込める中、彼女は弟を養子に出すことを決意する……。

この映画、低予算で制作されたにもかかわらず、中国で「007 ノー・タイム・トゥ・ダイ」などの大作を超えるメガヒットを記録したという。それもうなずける映画だ。

まず感情描写が絶品である。突然見知らぬ弟を押し付けられて、自分の夢に暗雲が立ち込めた主人公アン・ランの揺れる心を、繊細かつリアルに描写している。手持ちカメラを多用し、アングルにも工夫を凝らした映像が効果的だ。

例えば、終盤でアン・ランが弟の養父母から「もう二度と会わない」という書類にサインさせられるシーン。彼女の苦しげに歪んだ顔をアップで捉える。それが彼女にとっていかに非情な選択かを示すシーンだ。

アン・ラン役のチャン・ツィフォンの演技が素晴らしい。アン・ランはいつも仏頂面でめったに笑顔を見せない。それは一人で自分の道を切り開き、様々な困難に立ち向かってきた証である。何事にも白黒つけないと気が済まず、妥協は許さない。それが周囲と軋轢を生む原因になる。そんな彼女が弟を押し付けられ、戸惑い、混乱し、それでもやがて少しずつ心が変化していく。そんなアン・ランを見事に演じ切っている。

岩井俊二監督の「チィファの手紙」でもなかなか良い味を出していたが、今回はさらにパワーアップした感じである。アン・ランの言動が観客の共感を呼ぶのは、監督のイン・ルオシン、脚本のヨウ・シャオインの力に加えて、彼女の演技の魅力も大きいと思う。

一方、弟のキャラもいい。突然両親が消えたショックもあるのだろうが、とにかく生意気ですぐに反抗する。言い出したらきかない。アン・ランがイラつくのも当然だ。そのくせ時には子供らしい健気さ、可愛さを全開にする。演じるのは映画初出演のダレン・キム。

このドラマの背景には、前述したように中国の社会問題がある。それは2015年まで続いた一人っ子政策だ。原則として夫婦は1人しか子供を持てない。だが、子供に障害がある場合には、もう1人子供を持つことが許される。そのため、アン・ランの父母は娘が足が悪いとウソの申請をする。それによってアン・ランがいかに苦労したかを回想などで解き明かす。

では、なぜそれほどまでに夫婦は2人目の子を欲しがったのか。そこにも社会の病巣がある。家父長制という困った制度だ。家を継ぐのは男子であり、何事も男子が優先される。アン・ランが女の子だったから、両親は2人目の子供を欲しがったのである。

ちなみに、アン・ランは医師を志望していたが、両親が勝手に看護師に志望を変えてしまったという。「女の子は地元に勤めて親の面倒を見るものだ」というのがその理由だ。けっして毒親とも言い切れない彼女の両親が、そうした行動を取るほど中国で家父長制は根深く浸透しているのである。

そんな様々な問題に翻弄されるのは周囲の人々も同様だ。このドラマには根っからの悪人が登場しない。アン・ランにズーハンを押し付ける親戚たちにも、それぞれの事情がある。実は、伯母もアン・ランと同様の苦しみを経験したことが後になってわかる。一見、麻雀狂のどうしようもない人物に見える叔父の過去にも、それなりのドラマがあったことがわかる。

自分の夢を追い求めるのか。それとも夢を諦めて弟の面倒を見るのか。いわば究極の選択を迫られるアン・ラン。おそらく多くの観客が彼女の立場になって、どうすべきか悩むのではないだろう。

その果てに彼女の下した決断は……。

このラストについては、アン・ランが明確に結論を出したわけではないと私は思う。姉弟の絆については、しっかりと印象づけられたものの、彼女の進路についてはまだ様々な可能性が残されているはずだ。しかし、いずれにしても彼女は自分で自分の進路を選択するだろう。誰に言われるのでもなく。それこそが、作り手たちが伝えたかったメッセージではないだろうか。自分の人生は自分で選ぶべきだと。

単に感動するだけではなく、様々なことを考えさせられる良作である。中国だけでなく世界中に通用するドラマだと思う。

◆「シスター 夏のわかれ道」(我的姐姐/SISTER)
(2021年 中国)(上映時間2時間7分)
監督:イン・ルオシン
出演:チャン・ツィフォン、シャオ・ヤン、ジュー・ユエンユエン、ダレン・キム、ドアン・ボーウェン、リャン・ジンカン、ワン・シェンディー
新宿ピカデリーほかにて公開中
ホームページ https://movies.shochiku.co.jp/sister/

 


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「母性」

「母性」
2022年11月24日(木)ユナイテッド・シネマとしまえんにて。午前11時30分より鑑賞(スクリーン5/G-13)

~「母性」とは何か?を追求し、「母」の概念に疑問を呈す母娘のドラマ

また廣木隆一かよ!

次々に映画を撮る廣木隆一監督。この秋冬だけでも「月の満ち欠け」「母性」「あちらにいる鬼」と監督作品が3本も公開だ。先日は「あちらにいる鬼」を取り上げたが、今回は「母性」を取り上げる。それにしてもよく働くなぁ~。

人気作家・湊かなえの小説が原作のミステリードラマだ。

映画の冒頭。ある事件の記事が学校の教員室で話題になる。女子高生が自宅の庭で死亡したのだ。発見したのは少女の母。それは事故なのか自殺なのか。

続いて、ルミ子(戸田恵梨香)という母が真相を語り始める。お嬢様育ちの彼女は実母(大地真央)の愛情を一身に受けて育ち、ルミ子もそんな実母を溺愛していた。やがて、ルミ子は絵画教室である男性と出会う。最初は気にもしていなかったルミ子だが、母がその男性が描いた絵を激賞したことが転機になる。母に気に入られたい一心でルミ子は、その男性とつきあうようになり、ついには結婚する。そして、2人の間には娘が生まれる。だが、そこで悲劇が起きる……。

原作はミステリーだが、映画はミステリーよりも人間ドラマが前面に出ている印象だ(原作は未読だが)。

そんな中で、冒頭のトリックには注意が必要だ。実はこの場面には大きな秘密がある。その時には気づかなかったが、錯覚を誘う仕掛けが施されていることがあとになってわかる。

その後は、ルミ子と娘の清佳(永野芽郁)、それぞれの視点で物語が語られる。同じ出来事を違った視点で描くのだ。前半はルミ子の視点で、中盤は清佳の視点で。

これをいわゆる「羅生門」方式という。黒澤明監督の「羅生門」で使われた手法だ。ただし、この映画の場合には、それほど事実関係が違ってくるわけではない。ルミ子と清佳、語り手が違うことによる微妙な解釈の違いや感じ方の違いが現れる程度である。

それにしても、ルミ子の実母のキャラがすごい。娘を思い、娘のためにひたすら尽くす。そしていつも優しい。まさに理想を絵に描いたような母なのだ。だが、それが極端すぎて見ようによっては不気味にさえ映る。そんな母のもとで、ルミ子は母を頼り、彼女に気に入られようとする。自分の娘への愛情も、母に気に入られたいという思いから生まれるのである。

一方、清佳は、幼い頃から母に気を遣い必死で母に気に入られようとする。母に言われれば自分の意志を押し隠し、ひたすら母の言うことに従う。そんな子供だった。

母と娘それぞれの視点で過去が振り返られたのちに、後半は今度は母と娘が共通して経験したことが描かれる。語り手はルミ子と清佳が随時入れ替わる。

自宅を失くしたルミ子と夫、そして清佳は夫の母、つまりルミ子の義母(高畑淳子)の家に身を寄せることになる。だが、この義母が凄まじい鬼姑なのだ。ルミ子を目の敵にしてこき使い、始終口うるさく文句ばかり言う。そうなのだ。義母は、ルミ子の実母とは両極端の不気味な人物なのである。

ルミ子はそんな義母に対して抵抗することもなく、ひたすら従い気に入られようとする。それはあたかも、かつて実母に気に入られようと必死になった姿と重なる。

だが、清佳にとってはルミ子の行動は疑問だらけだ。なぜ義母に抵抗しないで、唯々諾々として従うのか。そして、彼女にとってもっと大きな疑問があった。自分はルミ子に愛されたいと思い、自分を抑えて彼女のいうことに従っていた。しかし、母はどこがよそよそしい。ルミ子は自分のことを愛していないのではないか。

その後、ドラマは義母の娘の駆け落ち、父の不倫といった波乱の要素をばらまきつつ、終盤へと差しかかる。そこでついに決定的な事実が明らかになる。かつてルミ子と実母、そして清佳との間に起きたある出来事の真実が明らかになるのだ。

そのことが悲劇の序章になる。ここでルミ子と清佳の見解が決定的に分かれる。そして……。

本作で描かれるのは母娘のドラマだ。ルミ子と実母、ルミ子と清佳、そしてルミ子と義母。その中でも中心になるのはルミ子と清佳の母娘の物語である。いつまでも娘のまま愛されたい母親。そんな母親からの愛情に飢えた娘。その歪んだ親子の関係が悲劇につながる。

それを通して提示されるのは、「母性とは何か」というテーマだ。母性とは生まれ持ったものなのか?女性なら誰でも母性を持っているのか?

「母親はこうであるべき」というような固定的な概念が、多くの女性を傷つけ、生きづらくしていることを訴えているようにも見える。

その証拠に最後に提示されるのは未来への希望だ。ある人物が自らの妊娠を肯定的に捉える。そこに母娘のしがらみを超えた新たな女性の生き方を見出すのは、考え過ぎだろうか。

本作の俳優陣の演技はみな素晴らしい。戸田恵梨香は難しいキャラ(完全な悪女じゃないからね)の女性を葛藤しつつ演じている。永野芽郁は「マイ・グロークン・マリコ」とはひと味違う役を熱演している。

それに加えて、実母役の大地真央と義母役の高畑淳子の存在感がすごい。どちらも大げさなほどの演技を披露しているのは計算づくだろう。それによって母という存在が秘めた狂気を見せつけ、歪んだ親子関係を目の前に突きつける。

観る人によって受け止め方は違うだろう。原作のファンは不満かもしれない。それでも、母という存在を追求した映画として、観る価値は十分にある。

◆「母性」
(2022年 日本)(上映時間1時間55分)
監督:廣木隆一
出演:戸田恵梨香永野芽郁、三浦誠己、中村ゆり山下リオ吹越満、高橋侃、落井実結子、高畑淳子大地真央
丸の内ピカデリーほかにて全国公開中
ホームページ https://wwws.warnerbros.co.jp/bosei/

 


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