映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「青春ジャック 止められるか、俺たちを2」

「青春ジャック 止められるか、俺たちを2」
2024年3月19日(火)テアトル新宿にて。午後3時30分より鑑賞(C-11)

~熱い熱量が伝わる。映画にとりつかれた若者たちの青春群像ドラマ

デスクトップパソコンの起動が遅くなったので新しいのを買おうと思うのだが、そのままデスクトップにするか一体型にするかで迷っている。一体型は機能は劣るものの、省スペースで、内蔵カメラも備え、サウンドも良いとあって悩んでしまう。さて、どうしたものか。

そんなことには関係なく、今回観た映画は「青春ジャック 止められるか、俺たちを2」。若松孝二監督率いる若松プロに出入りした人たちの青春群像劇「止められるか、俺たちを」(白石和彌監督)の続編だ。ただし、続編といっても最初はそういう趣旨で立ち上がった企画ではないらしいので、前作を観ていなくても問題はない。監督は前作で脚本を担当した井上淳一

若松監督が作った名古屋の映画館「シネマスコーレ」を軸にした、実話にもとづいた物語である。結婚を機に東京の文芸坐を辞めて、地元名古屋に戻ってビデオカメラのセールスマンをしていた木全純治(東出昌大)。ある日、突然、彼のもとに若松から電話がある。名古屋に新しく作る映画館シネマスコーレの支配人になって欲しいというのだ。

時代は1980年代。ビデオの普及によって人々の映画館離れが進みつつあった。そんな中、自作を上映する映画館が欲しいということで、若松は風俗ビルの1階にシネマスコーレを作った。

なぜ名古屋なのか。東京や大阪は家賃が高いからというのがその理由だった。要するに、最初からかなり危ない話だったのだ。おまけに若松は気まぐれな性格。木俣は若松に振り回される。

最初は木俣の希望通りに名画座としてスタートしたシネマスコーレ。しかし、客の入りが悪く赤字続きなのを見た若松は、ピンク映画の新東宝と話をつけピンク専門の映画館にする。「ピンクだろうと映画だ。映画を差別するな!」というのが若松の言い分だったが、それは建前。背に腹は代えられなかったのが実情だ。

それでも木俣は、ピンクの合間に一般映画を上映するなどあれこれ奮闘した。おりしも、アダルトビデオの登場でピンクが衰退し始めたこともあって、今度はいわゆるミニシアター的なプログラムに衣替えして生き残りを図ったのだ。

というわけで、シネマスコーレは今もミニシアターの雄として健在だ。劇中の木俣は数々の困難に直面しても、苦労を苦労とも思わず飄々として動じない。実際の木俣さん(現社長)もそういう人らしい。

だが、それでは葛藤がなくドラマにならない。井上監督が木俣のことだけ書いた脚本は30枚(15分)で終わってしまったという。そこで、井上監督は驚くべきことをした。何と自身のドラマを組み込んだのだ。

シネマスコーレには映画にとりつかれた様々な人々が集ってきた。その中には、映画監督志望の学生、井上淳一(杉田雷麟)もいた。ある日、井上は若松監督と出会うと、そのまま新幹線に乗り込み東京に帰る若松に弟子入りを志願する。そうやって若松プロに入り、助監督となった井上だが、撮影現場でヘマばかりして若松から厳しく叱責される。

そんな井上に嫉妬していたのが、シネマスコーレでバイトする女子学生の金本法子(芋生悠)だった。彼女は映画が作りたくて映研に入ったものの、大した作品もれずにいた。フラストレーションがたまり、井上にそれをぶつける。

ちなみにこの法子という存在はフィクションらしい。それにしても井上は監督自身。それを自分で描く心境はいかばかりか。でも、まあそのへんは一歩引いて客観的に撮っているので、鼻につくようなところはありません。

それにしても、井浦新演じる若松監督が強烈だ。前作でもそうだったが、今回はそれ以上に役に入り込んでいる。私も生前の若松監督を何度か目撃しているが、確かにあんな感じだったよなぁ。ムチャクチャなんだけどなんか魅力があって。その言動がおかしくて、終始笑いっぱなしだった。下手な喜劇役者より面白い。

とはいえ、もちろんシリアスなところはあるし、木俣、井上、法子ら若者たちの青春群像劇として見応えがある。映画にとりつかれたものの、まだ何者にもなれずに遮二無二己の道を突き進み、挫折し、それでも立ち上がる彼らの熱い思いが胸に響く。

舞台となった80年代の空気感もよく伝わってくる。例えば予備校の河合塾の教師が、全共闘上がりでビールを飲みながら授業するとか。今なら考えられない。法子が在日で指紋押印にまつわる話が出てきたりするのも、当時を知っている身としては色々考えさせられる。

もちろん、映画好きの話だから映画ネタもたくさん出てくる。邦画を中心に当時の映画事情がよくわかる。若松と井上が「大林(宣彦)が嫌い」で一致するのには笑ってしまった。

終盤は、井上が初めて監督することになった河合塾のPR映画「燃えろ青春の一年」の撮影風景。そこで井上を差し置いて、プロデューサーの若松孝二がいつの間にか監督の役割を果たすところが笑える。23カットを1シーンで撮るなんて若松らしい。そこに赤塚不二夫竹中直人(本人)が登場するのも見どころ。

最後は彼らの未来にうっすらと光がともる。そして若松の独白でドラマは締めくくられる。

前述の井浦はもちろん、東出昌大、芋生悠、杉田雷麟ら役者はどれも存在感がある。「福田村事件」とかなり役者がかぶっているのは、井上が脚本とプロデュースを担当していたせいだろう。その中でも、木俣の妻役のコムアイが今回もいい味を出していた。この人、本当に得難いものを持っている。

映画愛にあふれたドラマ。おそらく観客は私のように、80年代の状況や若松監督、若松プロのことを知っている人が中心なのだろうが、普遍的な青春ドラマとして若い人にも観てもらいたいな……。

◆「青春ジャック 止められるか、俺たちを2」
(2023年 日本)(上映時間1時間59分)
監督・脚本・企画:井上淳一
出演:井浦新東出昌大、芋生悠、杉田雷麟、コムアイ田中俊介、向里祐香、成田浬、大西信満タモト清嵐山崎竜太郎、田中偉登、高橋雄祐、碧木愛莉、笹岡ひなり、有森也実田中要次田口トモロヲ門脇麦田中麗奈竹中直人
テアトル新宿ほかにて公開中
ホームページ http://www.wakamatsukoji.org/seishunjack/

 


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「ビニールハウス」

「ビニールハウス」
2024年3月15日(金)シネマート新宿にて。午後12時20分より鑑賞(スクリーン1/C-14)

~社会のひずみが招く負の連鎖。新人監督による一級品のサスペンス

 

今週もあまり映画館に行けなかった。病院通いが続いたもので……。

ようやく金曜日になって映画館に行けたので、韓国映画「ビニールハウス」を鑑賞。前日にライムスター宇多丸のラジオ番組で、次週の映画評で取り上げられることになったのでこの作品にしたのだ。面白いらしいという話は聞いていたが、それほど期待はしていなかった。しかし……。

映画の冒頭、いきなり黒いビニールハウスが映る。その中で1人の女が自分の顔を殴っている。これがこのドラマの主人公ムンジョン(キム・ソヒョン)だ。彼女は貧困ゆえビニールハウスに暮らしている。

続いて彼女が少年院にいる息子ジョンウ(キム・ゴン)に面会するシーンが映る。ムンジョンは、新居に引っ越して息子と一緒に暮らすことを夢見ている。だが、ジョンウはあまり乗り気でないようだ。

その後、ムンジョンが盲目の老人テガン(ヤン・ジェソン)と、認知症の妻ファオク(シン・ヨンスク)の世話をしている場面が映る。彼女は来るべき息子との生活の費用を稼ぐため、訪問介護士として働いていたのである。

序盤は、社会の底辺に生きるムンジョンの日常を淡々と映し出す。ムンジョンの過去や現状などを説明するセリフもなく、観客は目の前で繰り広げられる光景から、それを類推するしかない。余計なことを描かず余白を残す作風は、この映画全体に共通する特徴だ。

はたして、このままムンジョンの苦境と、それにめげずに明るく前向きに生きる姿が描かれるのだろうか。

いや、その先には恐ろしい出来事が待ち受けていたのだ。

ある日、ファオクが死んでしまう。ムンジョンとトラブルになってしまい、転んで死んでしまったのだ。ムンジョンは取り乱すが、息子との未来を守りたい一心で、事態を隠蔽する。そのため認知症で病院に入院中の自身の母を、ファオクの身代わりに仕立てるのだが……。

「おいおい、それはネタバレだろう」と思うかもしれない。だが、ここまでのストーリーはこの映画の公式ホームページにも書いてあるから大丈夫。いや、ここまでのことがわかっていても、その後のハラハラドキドキ感は破格のものなのだ。

本人にその気がないのに、誤って人を死なせてしまうというネタは、サスペンスドラマでそれほど珍しくはない。だが、それをあれこれ工夫して、とびっきりスリリングなドラマに仕立てている。

スリリングさの核心は、ファオクが死んだという事実がいつバレるかだ。そこで効果的に使われるのが、認知症の初期の兆候があるテガンの設定。彼は自分のそばにいるのが、妻でないかもしれないという疑いを持ち始めるが、それは自分の認知症のせいではないかとも考える。

また、スンナム(アン・ソヨ)という女性を配したことも成功の要因だ。彼女はムンジョンと自傷癖のある人々の集まりで知り合い、彼女につきまとう。そこで予測不能の言動を繰り返して、ムンジョンを混乱に陥れる。

こうして緻密な構成と演出によって、一級品のサスペンスを展開する。イ・ソルヒ監督はこれが長編デビュー作とのことだが、とても新人とは思えない手腕だ。

自ら手掛けた編集でも、その手腕が光る。特に後半はぶつ切りのようにしてシーンを終わらせ、次のシーンに雪崩れ込む。それによって観客は、ますます心をざわつかされ、不穏な空気に包まれるのだ。

ムンジョンは、けっして悪人ではない。息子と暮らすために必死で働き、ファオクに暴言を浴びせられても、甲斐甲斐しく彼女の世話をする。知的障がいのあるスンナムにも優しく接する。だが、そのことが不幸を招く。ムンジョンはもちろん、テガムやスンナムもまた不幸に巻き込まれる。それはまさに負の連鎖だ。

そこから浮かび上がるのは、貧困、介護問題、少年非行、弱者に対する虐待などの様々な社会問題。それは現実の問題だ。例えば、貧困では実際に韓国ではビニールハウスで暮らす貧しい人々がいるという。「半地下はまだマシ」というのが本作の日本でのキャッチコピーだが、その通り「パラサイト 半地下の家族」よりもさらに貧しい生活がそこにある。

ただし、本作はそうした社会問題を深掘りしているわけではない。あくまでもサスペンスドラマの背景として、そのまま提示するのだ。その先のことは観客に委ねている。「こういう現状があることを、あなたたちはどう思うか」と。

観客に委ねるという点では、ラストシーンも同じだ。ここもまたぶつ切りのようなエンディングで、観る者の想像力をかき立てる。その後のムンジョンはいったいどうなったのだろうか。いつまでも余韻が残る。

主演のキム・ソヒョンの繊細かつ力強い演技が光る。私は知らなかったのだが、人気ドラマ「SKYキャッスル 上流階級の妻たち」で冷酷な入試コーディネーターを演じていたらしい。それを知っている人にとっても、本作の演技は驚嘆すべきものだろう。韓国で主演女優賞をたくさん獲ったというのもうなずける。

老夫婦を演じたヤン・ジェソンとシン・ヨンスク、スンナムを演じたアン・ソヨ、主人公の母を演じたウォン・ミウォンも存在感のある演技だった。

低予算ながら、社会問題を提示しながらこれだけ素晴らしいサスペンスを生み出したイ・ソルヒ監督。またしても韓国映画の奥深さを見てしまった。

◆「ビニールハウス」(GREENHOUSE)
(2022年 韓国)(上映時間1時間40分)
監督・脚本・編集:イ・ソルヒ
出演:キム・ソヒョン、ヤン・ジェソン、シン・ヨンスク、ウォン・ミウォン、アン・ソヨ
*シネマート新宿、ヒューマントラストシネマ有楽町ほかにて公開中
ホームページ https://mimosafilms.com/vinylhouse/

 


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「DOGMAN ドッグマン」

「DOGMAN ドッグマン」
2024年3月9日(土)ユナイテッド・シネマとしまえんにて。午後2時30分より鑑賞(スクリーン1/C-5)

~帰ってきたリュック・ベッソン。孤独な男が犬たちとともに悪に染まる

今日は3月11日。東日本大震災が起きた日だ。
あの日、私は家にいてものすごい揺れで外に飛び出した。そこには小学生ぐらいの女の子が、固まって動けずにいた。そこで私は「大丈夫だよ。きっと収まるから」と言ってあげたら、女の子はハッとしたように走り去っていった。知人にそれを話したら、「変質者だと思われたんだよ」と身も蓋もないことを言われたのだが、それに気づかせてやっただけでも立派なもんだろう。

それから13年。数年前には取材で南三陸町に行き、被災した皆さんからあの時の惨状を聞いたが、それでも東京にいれば震災のことを忘れがちになる。政府も原発推進などという愚かな方針を打ち出し、まるで何もなかったかのように振る舞う。今こそもう一度、あの震災のことを真剣に考える必要があると思う。

というわけで、本日の映画レビュー。

リュック・ベッソンはもはや終わった監督だと思っていた。かつては「グラン・ブルー」「ニキータ」「レオン」などの素晴らしい映画を撮っていたが、映画製作会社「ヨーロッパ・コープ」を立ち上げてからは製作に回ることが多くなり、たまに監督してもはっきり言ってどうでもいい作品が多かった。だから、新作「DOGMAN ドッグマン」も観る気がしなかった。しかし、意外に評価が高いと聞いて観に行ってみた。

ある夜、1台のトラックが警察に止められる。運転席には負傷した女装の男性がおり、荷台に十数匹の犬が積まれていた。「ドッグマン」と呼ばれるその男ダグラス(ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ)は、警察署に連行される。まもなく精神科医のエヴリン(ジョージョー・T・ギッブス)がやってきて、ドッグマンと対話を始める。そこから、彼の数奇な半生が語られる。

ダグラスの父は、暴力的で極めて危険な人物だった。闘犬用に飼っていた犬を息子がかわいがるのが気に入らず、ある時、ブチ切れて息子を犬小屋に監禁してしまう。兄は父に追従するばかりで、母は何もできないまま家を去ってしまう。

やがて、監禁されていたダグラスは、犬をかばうあまり父と激しく対立し、父に撃たれて銃弾で指を失い、さらに跳ね返った弾で脊髄も損傷し車いす生活になってしまう。

こうして障がいまで負ったダグラスは、その後施設に入る。孤独で誰ともなじめずにいたが、ある女性に恋をしたことから変わり始める。だが、やがてその恋はあっさり終わる。失意の彼は、ますます犬への愛情を強くするが、彼が係員を務めていた犬のシェルターが閉鎖されることになる。

ダグラスは、愛する犬たちとともに何とか生き延びようとする。生活費を稼ぐために、必死で職探しをするものの、障がいを抱えた彼はまったく相手にされない。そんな彼に手を差し伸べたのは、ドラッグクイーンたちだ。華やかなステージで彼は、女装してエディット・ピアフの歌を思い入れたっぷりに歌う。

とはいえ、それで食っていけるほどの稼ぎはない。ダグラスは生きていくために犬たちとともに犯罪に手を染めるようになる……。

久々にリュック・ベッソンらしさが発揮された快作だ。このドラマのネタ元は、「ある家族が少年を犬小屋に監禁した」という実話だという。たったそれだけの話から、少年のその後の物語を奇想天外に組み立ててしまうのだから、その大胆さ、自由奔放さには恐れ入る。

言うまでもなく、主人公のドッグマンは不幸を背負った弱者でありアウトローだ。その孤独なアウトローが、愛を求めてもがき苦しむさまを独特の距離感で描く。

ダグラスは底知れぬ不気味さをたたえ、どこか世間を小ばかにしたような態度をとる。だが、その半生には児童虐待障がい者差別、貧富の格差などの社会問題が横たわっている。そうした問題にさらされ、どうしようもないところにまで追い詰められたのだ。だから、単純に彼を断罪する気にはなれない。いや、むしろその生きざまに共感さえ覚えてしまう。

ダグラスの風貌は、あの「ジョーカー」を想起させる。彼は不幸を背負って誕生したダークヒーローだった。それと同じように、ダグラスもダークヒーローとしての魅力を十分に備えている。彼の背中には哀愁が漂う。

ただし、ダグラスは怪物ではない。心根の優しさも見せる。知り合いのクリーニング店が、「死刑執行人」と呼ばれるギャングに「みかじめ料」をむしり取られていると知るや、彼は犬たちを使いギャングを懲らしめる。そのことが終盤の壮絶なバトルにも通じるのだが。

それにしても見せ場たっぷりの映画だ。ダグラスが犬たちとともに(というか犬たちを操り)犯罪に走る様は、いかにもフレンチノワール風に、そしてスマートに描く。

一方で、ダグラスがドラッグクイーンに変身して女装して歌うシーンは、華やかかつ情感たっぷりに描き出す。

かと思えば、バイオレンスシーンの壮絶なことよ。この映画ではドックマンが車いす生活なので、縦横無尽に敵をなぎ倒すというところまではいかないが(それでも銃をぶっ放す)、その代わりに犬たちが華麗なアクションを披露する。

現実には、いくら犬に愛情を注いだところで、あんなに飼いならすことは困難だし、人間の言葉を完全に理解するなどというのは絵空事でしかない。だが、この映画にそんなことは関係なし。とにかく面白いのだから、それでいいのだ!

ラストシーンも興味深い。ピアフの「水に流して」が流れる中、何やら宗教的というか、神秘的というか、そんなシーンが展開される。ダグラスと犬たちによるラストショットは、まるで宗教画のようだ。こうして最後の最後まで見せ場を用意する。

主人公の「ドッグマン」ことダグラスを演じたケイレブ・ランドリー・ジョーンズの好演(怪演?)が光る。珍しい名前に比して、これまでの演技にそれほど印象はなかったのだが、今回はすさまじい存在感を放つ。女装姿も堂に入っている。本作は彼の代表作になるのではないか。しかし、あの歌声はいくらなんでも吹替でしょう?

お犬様たちの集団演技にも大拍手! CGなども駆使しているのだろうが、それにしてもあそこまでの演技をするとはスゴイ。犬種は様々だが、個人的には大好きな柴犬も入れて欲しかったところ。いや、それは場違いか(笑)。

終わったはずのリュック・ベッソンだったのに、こんなに面白い映画を撮るとは。何だか宝くじに当たったような気分だ。「リュック・ベッソン復活!」と言うのは早計だろうか。次作も期待していいのかしら?

◆「DOGMAN ドッグマン」(DOGMAN)
(2023年 フランス)(上映時間1時間54分)
監督・脚本:リュック・ベッソン
出演:ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ、ジョージョー・T・ギッブス、クリストファー・デナム、クレーメンス・シック、ジョン・チャールズ・アギュラー、グレース・パルマ、イリス・ブリー、マリサ・ベレンソン、リンカーン・パウエル
丸の内ピカデリーほかにて全国公開中
ホームページ https://klockworx-v.com/dogman/


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「ネクスト・ゴール・ウィンズ」

ネクスト・ゴール・ウィンズ」
2024年3月6日(水)グランドシネマサンシャインにて。午後1時40分より鑑賞(スクリーン8/e-6)

~定番のスポーツ物語だが、期待通りにきっちり笑わせて感動させてくれる

最初に、すでに取り上げた映画についての話題を2つ。

その1
「落下の解剖学」で回想シーンは1つもないとジュスティーヌ・トリエ監督が言っているそうだ。ということは、あのクライマックスのシーンも、回想ではなく「もしかしたら」という誰かの思い込みかもしれず、だとすればなおさら怖い映画だと思った次第。

その2
「ソウルメイト」をもう一度鑑賞した。前回観終わってそれほど時間が経たないうちにレビューを書いたつもりなのに、細かな勘違いの箇所があって驚いた。私の記憶はザルか(笑)。2回目を観て感じたのは、オリジナル版に比較的忠実ではあるものの、細かなアレンジを加えたことによって、女性の生きづらさとそこからの解放というテーマが、よりクッキリと浮かび上がったこと。何よりオリジナルの小説を「絵」に変えたことで、さらに情感が高まった。あの絵はミソとハウンの共同作業だったのねぇ~。

 

さて、今日取り上げるのは、米領サモア(独立国のサモアとは違う)の弱小サッカーチームが、型破りなコーチの指導で変わっていく様子を描いたドラマ「ネクスト・ゴール・ウィンズ」だ。

実話もとにした話だが、話自体は特に珍しいものではない。弱小スポーツチームが上を目指すという映画は「クール・ランニング」などたくさんある。しかも、この話は2014年に「ネクスト・ゴール! 世界最弱のサッカー代表チーム0対31からの挑戦」というドキュメンタリー映画になっている。

それでも、「ジョジョ・ラビット」「ソー:ラブ&サンダー」などのタイカ・ワイティティ監督が、あれこれ工夫して見応えある作品に仕上げている。ワイティティ監督はポリネシア地域にルーツがあるそうで、そういう意味でも思い入れがあるのだろう。

映画の冒頭、地元の神父が、これがどんな物語であるかを簡潔かつユーモラスに説明する。そこでは実話であるのと同時に、かなり話を盛っていることも告げられる。つまり本作は実話をもとにしつつも、大胆にフィクションを組み込んだエンタメ映画なのである。

2001年、ワールドカップ予選でオーストラリア相手に0-31という大敗を喫して以来、1ゴールも決められていないアメリカ領サモア代表。次の予選が迫る中、外国人監督の起用を決断する。やって来たのは破天荒な性格でアメリカを追われた鬼コーチ、トーマス・ロンゲン(マイケル・ファスベンダー)。チームの立て直しを図ろうとするロンゲンだったが……。

全編に笑いがあふれた映画だ。何といってもキャラが濃い。鬼コーチのロンゲンは、破天荒な性格で怒ると何をするかわからない。おかげでチームを何度もクビになり、今またクビを宣告された。その席で「否認」「怒り」「取引」「抑うつ」「受容」という5段階の通りに感情を発露するロンゲンが面白い。

彼に選択の余地はなく、米領サモアのコーチを嫌々引き受ける羽目になる。つまり、最初からあんまりやる気がないのだ。

ちなみに、彼の奥さんは別居中でサッカー協会のお偉いさんとつきあっている。この設定も、ドラマに起伏をもたらしている。

個性派コーチ、ロンゲンに負けず劣らず米領サモアの選手たちもユニークだ。トランスジェンダーの選手や超太っちょの選手など、いずれもキャラの立つ選手ばかり。彼らの一挙手一投足が笑いを誘う。

そして選手たちは何事にも大らかだ。楽しくサッカーをやるのがモットーで、ガツガツと練習したりはしない。お祈りの時間にはすべての行動をストップするという習慣の違いもある。そこにロンゲンが入り込むのだから、これはもう騒動にならないわけがない。

こうして、ロンゲンと選手たちはぶつかり合い、すれ違い、心が離れていく。チームはバラバラになってしまうのだ。

ところで、劇中でロンゲンが時折、留守番電話に録音された声を聞くシーンがある。女性の声だが別居中の妻ではないようだ。観ている途中では訳がわからなかったのだが、実はこれが後になってロンゲンの過去につながることがわかる。

しかし、まあ、バラバラになったままでは物語は進まないわけで、あれこれ問題をはらみつつも、ロンゲンと選手たちは少しずつ距離を縮めていく。その様子をテンポよく描いていく。前半に比べて笑いは控えめだが、それでも軽快なタッチは変わらない。

そしてやってくるクライマックスはもちろん試合のシーン。ワールドカップ予選で宿敵トンガと対戦するのだ。はたして米領サモア代表は、悲願の1得点をすることができるのか。

その結果は伏せるが(というか、もうわかっちゃってる話だけどね)、その試合途中でも波乱がある。ロンゲンが怒りまくってブチ切れて、チームを離脱すると宣言するのだ。しかし思い直して戻ってきた彼は、自身の過去にあった悲劇について語る。そこで例の留守番電話の謎が明らかになる。ここは素直に感動できるシーン。

その後突入した後半戦。ここでも劇的に盛り上げる工夫をしている。サッカー協会の会長が試合途中に熱中症で倒れ、気がついた時には試合が終わっていた。結果はどうなったのか、と気をもむ彼に息子(選手)が経過を説明するのだ。

こうしてカタルシスがもたらされた後、さりげなく後日談をはさみ、さらに今度はノンフィクションの世界に戻って、実際のチームの映像やその後、彼らがどうしているのかを綴る。というわけで、最後の最後まで観客を楽しませる工夫を怠らない。

ロンゲン役のマイケル・ファスベンダーは、「それでも夜は明ける」「スティーブ・ジョブズ」などシリアスな役のイメージが強いが、こういうコメディもけっこう合っている。

サッカー協会会長を演じたオスカー・ナイトリー、ロンゲンの元妻を演じたエリザベス・モスも好演。サッカー選手たちを演じた無名の役者たちの演技も光る。特にトランスジェンダーの選手ジャイヤ・サエルアを演じたカイマナの演技はなかなかのもの。ワイティティ監督自身も出演しています。

結末はわかっているのに、最後まで飽きずに観ることができた。期待通りにキッチリ笑わせて感動させてくれる。これぞエンタメ映画。たまにはこういう映画もいいものだ。

◆「ネクスト・ゴール・ウィンズ」(NEXT GOAL WINS)
(2023年 イギリス・アメリカ)(上映時間1時間44分)
監督・製作・脚本:タイカ・ワイティティ
出演:マイケル・ファスベンダー、オスカー・ナイトリー、デヴィッド・フェイン、ビューラ・コアレ、レイ・ファレパパランギ、セム・フィリッポ、ウリ・ラトゥケフ、レイチェル・ハウス、カイマナ、ウィル・アーネット、リス・ダービー、タイカ・ワイティティ、エリザベス・モス
*TOHOシネマズ 日比谷ほかにて公開中
ホームページ https://www.searchlightpictures.jp/movies/nextgoalwins

 


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「52ヘルツのクジラたち」

「52ヘルツのクジラたち」
2024年3月5日(火)ユナイテッド・シネマとしまえんにて。午後1時40分より鑑賞(スクリーン2/E-9)

~原作の魅力を引き立てる熟練の演出とキャストたちの演技

先週はある本の校正仕事を頼まれ、さらにカーリングの日本ミックスダブルス選手権が開催中だったのでカーリング沼にズブズブとハマリ、映画館に行けずじまいだった。

というわけで、1週間と1日ぶりに映画館で観た映画は「52ヘルツのクジラたち」。2021年の本屋大賞を受賞した町田そのこの小説を成島出監督が映画化した。

あまり映画の原作本は読まない(特に観る前には)私だが、珍しくこの小説は読んでいた。何といっても、そのタイトルが秀逸な小説だ。他のクジラと鳴き声の周波数が違うため、誰にも声が届かない孤独なクジラを指すこのタイトル。それだけでいろいろな物語が湧きだしてくる。

主人公は、心に傷を抱えて、東京から海辺の街の一軒家に越してきた若い女性、貴瑚(杉咲花)。ある日、彼女は髪の長い一人の少年(桑名桃李)と出会う。彼は母親に虐待され「ムシ」と呼ばれていた。声の出ない少年を貴瑚は「52」と呼び、親身に世話をするようになる。少年との交流を通して、貴瑚は自身の過去を思い出す。かつて彼女は、母親から虐待され義父の介護を押しつけられていた。だが、アン(志尊淳)との出会いによって、それまでの生活を脱して、人生をやり直すきっかけを得たのだった……。

全体の構成は、貴瑚が52を守ろうとする現在進行形のドラマと、貴瑚の過去のドラマを行き来しながら描かれる。

現在進行形のドラマでは貴瑚が52と出会い、彼を守ろうとして彼の母親とぶつかり、それでも放っておけずに、東京から来た友人の美晴(小野花梨)とともに、52の知り合いらしい人物を探しに3人で出かける姿が描かれる。

そして、過去のドラマでは貴瑚が母親に虐待されて育ち、義父の介護をさせられ、衰弱する中で出会ったアンとの喜びに満ちた日々と失意が描かれる。

なにせ成島出監督と言えば、過去に「八日目の蝉」「銀河鉄道の父」などの原作モノの映画を数多く手がけている。それだけに、今回も原作の要素をバランスよく配している。内容はほぼ原作通りなのに窮屈な感じはない。逆に食い足りない感じもそれほどしない(脚本は「ロストケア」の龍居由佳里)。

貴瑚が52と出会った鮮烈なシーンをはじめ、印象的なシーンがいくつもある。映像も時にはアップを多用し、時には手持ちカメラを多用するといった変幻自在のテクニックで、それぞれの場面にふさわしい映像を作り出す。まさに熟練の演出だ。

現在進行形のドラマで、貴瑚が52を救おうとするのは、自身が虐待にあうなどして過酷な日々を送った経験があるからだろう。52ヘルツのクジラの鳴き声は誰にも聞こえない。それと同様に貴瑚が発したのも声なきSOSだ。それに気づいて自分を救ってくれたアン。貴瑚は、自身がアンに救われたように今度は52を救ってあげたいと思ったに違いない。

一方、過去のドラマでは、言うまでもなくアンが大きな存在として描かれる。自分を救ってくれたアンに貴瑚は好意を持つが、アンは彼女に寄り添いつつ一定の距離を保って接する。そのため貴瑚は仕事の上司で社長の御曹司・新名(宮沢氷魚)とつきあうようになる。だが、その先には思わぬ運命が待ち受けていた。

実はアンは現在進行形のドラマで、貴瑚の前に幻となって現われる。そこですでに彼が死んでいることがわかる。それが貴瑚の心の傷にもなっている。いったい過去になにが起きたのか。ドラマはその謎を探るミステリータッチで進んでいく。

こうした現在進行形のドラマと過去のドラマを通して提示されるのは、「家族とは何か?」「親子とは何か」といった重いテーマである。さらに、児童虐待、ヤングケアラー、LGBTなどの社会問題にも切り込む。

とはいえ、それを深刻になり過ぎずに、エンターティメントドラマの中で展開しているのが本作の特徴だ。貴瑚と52の交流、貴瑚とアンに起きた過去の出来事を通して、静かな感動を呼び起こすとともに、真面目なテーマにも真摯に向き合っている(あくまでもエンタメドラマの枠内なので、それほど深掘りしているわけではないが……)。

それにしても映像の力は大きい。原作を読んでいて、ややリアリティーに欠けると感じたところもあったのだが、それを実際に映像で見せられると納得してしまう。貴瑚の家のバルコニー(?)から見晴らす美しい海の景色なども、それに大きく貢献している。

そうした中でも、映画ならではの醍醐味といえば、何といってもクライマックスのクジラの出現(CG?)だろう。それは貴瑚と52にとっての奇跡の瞬間だ。ほんの一瞬とはいえ、その臨場感に心を奪われた。このシーンだけでも映画化の意味はあったと思う。

貴瑚を演じた杉咲花は、場面ごとにその表情が変わる。苦境にあっていた時と喜びに満ちていた時とは、まるで別人のようだ。それだけ貴瑚になりきった演技だった。「市子」に続いて今回もまた見事な演技。今、不幸な女を演じさせたら日本一ではあるまいか(笑)。そう言えば「市子」でもヤングケアラーだったなぁ。まあ、とにかく、杉咲花出演の映画には今後も要注目だ。

他のキャストの演技も見逃せない。アン役の志尊淳、新名役の宮沢氷魚、貴瑚の親友・美晴役の小野花梨、52の母親役の西野七瀬などがいずれも素晴らしい演技を披露。少年52を演じた桑名桃李はセリフがほとんどないにも関わらず存在感ある演技だった。そんな中、倍賞美津子の無駄遣いは何だ?と疑問に思ったのだが、何のことはない最後にちゃ~んと見せ場を用意していました(笑)。

そうしたキャストも含めて、原作を読んで話の流れを知っていた私にとっても見応えある映画だった。何のために映画化したのかわからない作品も多い中で、原作の魅力を充分に引き立てる良作だった。

◆「52ヘルツのクジラたち」
(2024年 日本)(上映時間2時間15分)
監督:成島出
出演:杉咲花、志尊淳、宮沢氷魚小野花梨、桑名桃李、金子大地、西野七瀬真飛聖池谷のぶえ余貴美子倍賞美津子
*TOHOシネマズ 日比谷ほかにて全国公開中
ホームページ https://gaga.ne.jp/52hz-movie/

 


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「落下の解剖学」

「落下の解剖学」
2024年2月26日(月)Bunkamuraル・シネマ渋谷宮下にて。午後1時より鑑賞(7F/D-11)

~雪の山荘で起きた転落事故。殺人の嫌疑をかけられた妻を巡るスリリングなサスペンス&人間ドラマ

2023年の第76回カンヌ国際映画祭で最高賞のパルムドールに輝いたのをはじめ、様々な映画祭で話題を集めた「落下の解剖学」。いよいよ日本公開された。日曜に観に行こうと思ったのだが、あんまり寒いから足が前に進みませんでしたよ~。なので、月曜日にGO!

人里離れた雪山の山荘で、視覚障がいをもつ11歳の少年が血を流して倒れていた父親を発見する。息子の悲鳴を聞いた母親のサンドラ(ザンドラ・ヒュラー)が救助を要請するが、父親はすでに息絶えていた。最初は事故死かと思われたが、捜査が進むにつれていくつもの不審な点が浮かび上がり、やがてベストセラー作家のサンドラが殺人容疑で起訴される……。

というわけで、1人の男の転落死を巡って、その真相を追うとともに、妻や子、周辺の人々の人間模様を描いたドラマである。

前半は事件発生前後の様子が描かれる。ベストセラー作家のサンドラが、女子学生のインタビューを受けている。すると上階から大音量で音楽が流れてくる。サンドラの夫が流しているらしかった。そのためインタビューは中止になり、女子学生は帰っていく。

それからしばらく後、息子のダニエル(ミロ・マシャド・グラネール)が犬の散歩から帰ってきて、父親の遺体を発見する。そこからは事件発生後のあれやこれやが描かれる。

サンドラは知り合いの弁護士ヴァンサン(スワン・アルロー)を呼ぶ。彼は単なる知り合いではなく、かつてサンドラと深い仲だったらしい。

警察は諸々の状況から見て事故の可能性は低いと判断し、サンドラやダニエルから事情を聴く。そしてサンドラに疑いの目を向ける。夫の頭を強打して3階から突き落としたというのだ。それに対して、ヴァンサン弁護士はサンドラの夫が自殺したという見立てで対抗する。

前半はスリリングで意表を突いたカメラワークが光る。犬の目線に立った低いカメラアングルや手持ちカメラ、極端なアップなど様々なテクニックを駆使して緊迫感を高める。

同時に、そうした映像が登場人物の心理をあぶり出す、サンドラ、ダニエル、ヴァンサン弁護士などの次々に変化する心情を、セリフに頼らずスクリーンに刻み付ける。

雪山の山荘という舞台設定も効いている。世間から隔絶された狭い空間で、限られた人間によるドラマが繰り広げられ、尋常ならざる緊迫感が漂うこととなる。

そして後半は一転して濃密な法廷劇が展開する。捜査にあたった者、夫の精神科医、はては冒頭に登場したサンドラにインタビューした女子学生など、様々な証言者が登場して様々な証言をする。もちろん、サンドラも証言をする。

それを巡って検事とヴァンサン弁護士が丁々発止のやりとりをする。真実とウソ、主観と客観が入り乱れ、いったい事件の真相はどこにあるのか皆目見当がつかなくなってくる。サスペンスとしての魅力たっぷりの展開だ。

クライマックスは、事件前日の夫婦の大ゲンカだ。なんと、夫がその様子を録音していたのだ。その録音を法廷で流すだけでなく、途中からは当時の状況を映像で観客に見せる。それはすさまじいケンカだ。夫もサンドラも自我を爆発させる。冷酷なサンドラの一面も見えてくる。その顛末をあっけに取られて見入ってしまった。

そうした中で、浮かび上がってくるのは数々の意外な事実。実は幸せに見えたサンドラと夫の夫婦仲はかなり悪かったこと。その背景にはダニエルの事故(目が不自由になった)や、サンドラの不倫があること。さらにサンドラの小説を巡ってもトラブルが起きていたことなどなど。

それらが明るみに出るたびに、ポーカーフェイスだったサンドラの表情が変化していく。序盤ではまったく見せなかった、彼女の複雑なキャラクターが露わになる。

この大ゲンカの録音を聞いたなら、サンドラの怪しさが倍加することだろう。彼女は、本当は殺人犯人なのか?

最後にある人物の証言が行われ裁判は終わりを迎える。そして判決が下る。

だが、その後もきっと何かあるに違いない。これだけ緊迫したドラマを構築したのだから、最後にもうひとネタあるはずだ。

と思ったのだが、そんなものはなかった。うーむ、何かモヤモヤする。いや、そもそも本作はそういうドラマなのかもしれない。緊迫のミステリーを通して、千々に乱れるサンドラやダニエル、周辺の人々の心理をあぶり出し、夫婦という関係性の危うさや親子の結びつきの強さ(息子の証言はどうも怪しい。彼は母親を失うことを恐れていたのではないか?)を描くことこそが、ジュスティーヌ・トリエ監督のやりたかったことではないのか。

まあ、夫婦だけじゃなくて、人間誰でもひと皮むけば、誰も知らない裏の顔が見えてくるわけで……。だから、誰かと一緒に暮らすなんて無理。私は1人で生きるのよ~! と自己の生き方を正当化する私なのであった(笑)。

主演のザンドラ・ヒュラーの演技がスゴイ。以前に観た「ありがとう、トニ・エルドマン」や「希望の灯」の演技も素晴らしかったが、今回も主人公サンドラの複雑なキャラクターを見事に表現していた。あの大げんかの迫力だけでも主演女優賞もの。ちなみに彼女はドイツ出身で、劇中のザンドラもドイツ出身。ロンドン暮らしの後、フランスに来たという設定で、英語と拙い(演技の)フランス語を巧みに駆使していた。

その他のキャストもなかなかの存在感。ヴァンサン弁護士役のスワン・アルロー、検事役のアントワーヌ・レナルツ(なかなか皮肉がきいた質問をする)、ダニエル役のミロ・マシャド・グラネールに加え、夫役の人も出番は少ないものの好演。ついでワンちゃんも演技賞もの。

素材そのものはけっして珍しいわけではなく、むしろ苔むした感じさえある本作。だが、それをこれだけ面白くして2時間32分まったく飽きさせないのだから、トリエ監督は立派なもの。第96回アカデミー賞でも作品賞、監督賞、脚本賞、主演女優賞、編集賞の5部門にノミネートされたが、それも納得の映画だ。

◆「落下の解剖学」(ANATOMIE D'UNE CHUTE)
(2023年 フランス)(上映時間2時間32分)
監督:ジュスティーヌ・トリエ
出演:ザンドラ・ヒュラー、スワン・アルロー、ミロ・マシャド・グラネール、アントワーヌ・レナルツ、サミュエル・タイス、ジェニー・ベス、サーディア・ベンタイブ、カミーユ・ラザフォード、アン・ロトジェ、ソフィ・フィリエール
新宿ピカデリーBunkamuraル・シネマ渋谷宮下ほかにて公開中
ホームページ https://gaga.ne.jp/anatomy/

 


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「ソウルメイト」

「ソウルメイト」
2024年2月23日(金)グランドシネマサンシャイン池袋にて。午後3時25分より鑑賞(スクリーン2/D-4)

~2人の女性の絆を描いたシスターフッド映画。みずみずしさと切なさと

先日、「風よ あらしよ 劇場版」を観た時に予告編が流れてきて、とても気になった映画がある。予告編だけで感情が動いてしまった。韓国映画「ソウルメイト」だ。公開初日にさっそく観に行ってきた。

2人の女性の絆の物語だ。あるギャラリーに絵が展示されている。写実的で写真のような絵だ。その絵は公募展で大賞に選ばれた。作者の名前は「ハウン」とわかっているものの、連絡先はわからなかった。そこで、絵のモデルと思われるミソ(キム・ダミ)が学芸員に呼ばれる。だが、ミソはハウンの連絡先は知らないという。

その時、ギャラリーにジヌ(ピョン・ウソク)という1人の男性が訪れる。ジヌはミソを知っているらしかった。だが、ミソは彼を無視してその場を去ってしまう。

その後、帰宅したミソは、あるブログにアクセスする。それはハウン(チョン・ソニ)という女性が自らの過去を綴ったブログだった。そこにはミソが登場していた。

というわけで、そこからはミソとハウンの過去の日々が描かれる。

韓国・済州島のハウンの通う小学校にミソが転校してくる。彼女は母子家庭で何度も転校を余儀なくされてきた。そのため自立心が強く自由闊達な性格だった。一方、ハウンは温かな家庭に育ち、おとなしくて堅実な性格だった。正反対の性格の2人は、磁石の両極がひかれあうように親しくなり、友情をはぐくむ。

2人の最初のエピソードからして面白い。ミソは母親に反発して学校から脱走する。小高い山のような場所に登ったミソを、ハウンが追いかけてくる。ミソは意気揚々とハウンにも登ってくるように言う。だが、ハウンは高いところは苦手だと尻込みする。ミソは言う。「目をつぶれば平気だよ」。

このエピソードが2人の関係を象徴する。いつもミソはハウンの先を行き冒険をする。そんなミソをハウンはあこがれのような気持ちで見ている。ミソはハウンをなにかと気遣う。それは単なる友情を超えた、まさに「ソウルメイト」とも言うべき関係だ。

そんな2人をミン・ヨングン監督は、生き生きとみずみずしく描き出す。雨の日に拾った子猫などのアイテムや、ジャニス・ジョップリンなどの音楽も巧みに使いながら、2人の青春のキラキラした輝きを映しとる。

絵に関しても2人は対照的だった。ミソは絵を描くことが好きで、性格通りに自由な絵を描く。一方のハウンは落書きをする程度だったが、その絵は写実的で写真のようだった。この設定が映画の随所で効果を発揮する。

そんな2人に転機が訪れたのは、17歳の夏。ハウンに好きな人ができる。それはジヌという青年で、まもなくハウンとジヌは恋人になる。だが、ミソと3人で大学の合格祈願に出かけた時のある出来事から、ミソとハウンは気持ちがすれ違う。

このあたりの描き方もうまい。仲の良かった友人同士の関係に、ほんの些細なことでヒビが入り、それまで表面化していなかった性格の違いが一気に露呈するというのはよくあること。それをノスタルジックな色合いもにじませながら見せる。それゆえ誰もが共感してしまうのだ。

これ以上ハウンといればおかしなことになる。そう思ったミソは済州島を離れてソウルで暮らすことを決意する。ソウルでの暮らしは想像以上に過酷だったが、ミソは絵の勉強をしながら外国を旅しているとハウンに手紙を出す。それは嘘の手紙だった。

それから5年。2人は再会を果たす。しかし、2人で一緒に出かけた釜山旅行で、価値観の違いによってミソとハウンは大ゲンカする。それを機会に2人は疎遠になってしまう……。

長きにわたる2人の関係は、何度か仲たがいしたり、仲直りしたりを繰り返すが、それでも完全に離れることはなかった。しかし、この時ばかりは様子が違っていた。その後にも波乱の出来事が起きて、ミソとハウンの関係は決定的な事態に至る。

終盤は次々に大きな出来事が起きる。ミソの恋人が自殺したり、ハウンが結婚式場から逃げ出したり。考えようによっては陳腐だったり、嘘くさくなりそうな展開だが、そうなる前に寸止めするあたりが巧みな職人ワザだ。

また、直接的ではないが、日本と同様に韓国の女性の生きづらさもドラマの背景として描かれている。

そして、そして、終盤には驚きの展開が待っている。ミソとハウンの絆を再確認するとともに、運命のいたずらともいえる出来事によって、悲しく切なすぎる結末に雪崩れ込むのだッ!!

これもまあ、あざといといえばあざといのだが、ここに至るまでにミソが「27歳で死にたい」と言ったり、ミソの子供らしき幼児をチラチラ出没させたりと、小憎らしいまでの前フリがあるので、素直に感動してしまう。私なんかもう涙腺ウルウルだもの。なに? 年のせいだろう? お黙りなさい!!

 ミソとハウンを演じたキム・ダミとチョン・ソニが素晴らしい! 若い頃のきらきらした様子も、成長して色々と変化が訪れた姿も、実に生き生きと演じていた。ちなみに、キム・ダミは大ヒットドラマ「梨泰院クラス」や映画「The Witch 魔女」に、チョン・ソニはドラマ「ボーイフレンド」にそれぞれ出演しているとのこと。

本当に韓国映画は観客の感情を揺さぶるのが巧みだ。わかっていても感動してしまうのだから。ラストシーンの風景の美しさも出色。上質のシスターフッド映画で感涙必至です。

む? なになに? この映画は香港のデレク・ツァン監督(当ブログでも取り上げた「少年の君」の監督)の2016年の中国・香港合作映画「ソウルメイト 七月と安生」の韓国版リメイクらしい。リメイクでこれだけよくできた作品なのだから、ぜひともオリジナルを観なければ!

というわけで、先ほどオリジナル版の「ソウルメイト 七月と安生」を配信で観たのだが、こちらも見事な作品だった。オリジナル版ではウェブ小説だったところを、リメイク版では絵に置き換えている程度で、あとはほぼ同じ。それだけオリジナル版がよくできていたということだろう。主演のチョウ・ドンユイとマー・スーチュンもリメイク版の2人に負けず劣らず魅力的。リメイク版を観たならば、ぜひオリジナル版もご覧くださいませ。

◆「ソウルメイト」(SOULMATE)
(2023年 韓国)(上映時間2時間4分)
監督:ミン・ヨングン
出演:キム・ダミ、チョン・ソニ、ピョン・ウソク、チャン・ヘジン、パク・チュンソン、カン・マルグム、ナム・ユンス、ヒョン・ボンシク、キム・スヒョン、リュ・チアン
新宿ピカデリーほかにて公開中
ホームページ https://klockworx-asia.com/soulmatejp/

 


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