映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「心と体と」

「心と体と」
池袋シネマ・ロサにて。2018年4月15日(日)午後1時35分より鑑賞(シネマ・ロサ1/D-9)。

世界には次々に監督作を送り出す多作の監督もいれば、めったに作品を発表しない寡作の監督もいる。もちろん自分では作品を撮りたいのに、周囲の環境によってそれが困難なケースもある。

「心と体と」(TESTROL ES LELEKROL)(2017年 ハンガリー)は、長編デビュー作「私の20世紀」でカンヌ国際映画祭カメラドール(最優秀新人監督賞)を受賞したハンガリーイルディコー・エニェディ監督が、何と18年ぶりに発表した長編映画。2017年の第67回ベルリン国際映画祭で最高賞の金熊賞をはじめ4部門に輝いた。いかなる理由によって、18年も間隔が空いたのかは知らないが、その手腕は衰えていなかったようだ。

孤独な男女のラブストーリーである。ただし、それを独特の世界観で描いている。舞台は現代だが、どこか神秘的で詩情にあふれた寓話的な世界だ。ラブストーリーは数多あるが、こういうタイプの映画はあまり見たことがない。

最初に映るのは冬の森の中で出会うオス鹿とメス鹿。この2頭の鹿の映像は、その後何度も登場する。

続いて場面は変わってハンガリーブダペスト郊外にある食肉処理場。そこに産休の食肉検査官の代理として、マーリア(アレクサンドラ・ボルベーイ)という若い女性がやってくる。彼女はコミュニケーションが苦手で職場になじめず、孤独な日々を送っている。どうやら恋愛経験もほとんどなさそうだ。

そんな彼女のことを気にかけるのが、片手が不自由な上司の中年男性エンドレ(ゲーザ・モルチャーニ)。彼はかつては家族がいたようだが、今は人生も恋愛もあきらめているらしい。社員食堂でマーリアに話しかけるエンドレだが、2人とも不器用で終始気まずい空気が漂う。

エニェディ監督は、そんな2人の孤独な日常を等身大で描いていく。大仰な描写や派手な仕掛けは何もない。にもかかわらず、それぞれの心の孤独がひしひしと伝わってくる。特に何事にも無表情を通して、感情を表に出さないマーリアが印象的だ。光を巧みに使った映像も見逃せない。

やがてある出来事をきっかけに、2人は距離を縮める。工場の薬品が盗まれ、その犯人捜しのために、全従業員が精神分析医のカウンセリングを受けることになったのだ。ちなみに、その薬品というのが牛の交尾薬だというのが笑える。「盗んだ奴は自分で使おうとしているのではないか?」などという話まで飛び出す。この映画には、こうしたユーモアがあちこちに散りばめられている。

そのカウンセリングの中で、マーリアとエンドレは、なぜか2人とも毎晩同じ夢を見ていることに気づく。それは冒頭に登場した2匹の鹿の夢だ。メス鹿はマーリア、オス鹿はエンドレというわけだ。

こうして夢の中で鹿となって恋愛していた2人は、現実世界でも距離を縮めていく。そこで、マーリアが次第に変化していく描写が絶品だ。相変わらず大きくは表情を変えない彼女だが、ほんのわずかな表情や行動の変化を見せる。その微妙な変化が彼女の恋心を端的に表現する。

マーリアが人形を使ってままごとをするシーンが面白い。エンドレと初めて会った時にも、調味料の容器を使って2人の会話を再現したりするのだが、それが伏線になって彼女の恋愛感情の高まりを見事に表現している。

だが、なにせ恋愛経験の少ない彼女のこと。エンドレとの距離を縮めようとしてかけた言葉が、何とも珍妙だったりする。それがまた笑いを誘う。それに比べればストレートに彼女に近づこうとするエンドレだが、根底には「恋愛はもう打ち止め」という思いがあるから、なかなか前には進めない。「一緒に寝る」というのが、文字通り同じ部屋で寝るだけだったりするのである。お前らは小学生か!(笑)

おまけに、マーリアは潔癖症で、他人と肉体的接触を持つことに恐怖を感じている。それを克服するために、マッシュポテトや食肉処理を待つ牛など、いろいろなものを触る。さらにぬいぐるみを買ってきて一緒に寝たり、公園でカップルをじろじろ観察したりする。そうしたシーンが何ともほほえましくて、クスクス笑ってしまう。そうやって、彼女がまとっていた鎧が少しずつはがれるところを、観客は静かに見守るのである。

冷徹だったりシニカルな描写もある。食肉処理場が舞台ということで、血にまみれた牛の解体シーンなども登場する。だが、そうした異質な様々な要素が違和感なく溶け込んでいる不思議な映画だ。そして、エニェディ監督の2人に対する視線は常に温かい。ぎこちない恋を優しく見つめている。それこそがこの映画の最大の魅力だと思う。

順調にいくかと思われたマーリアとエンドレの恋だが、終盤には波乱が待っている。ほんのちょっとしたすれ違いが悲劇につながる。だが、ドラマはそこで終わらない。その先に待つのは温かなぬくもりだ。そして、ラストで映る鹿の消えた森が静かな余韻を残してくれる。

アーリアの複雑な心理を繊細な演技で披露したアレクサンドラ・ボルベーイの見事な演技は必見。エンドレを演じたゲーザ・モルチャーニの渋い演技も味がある。この人、何と演技初挑戦らしい。

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◆「心と体と」(TESTROL ES LELEKROL)
(2017年 ハンガリー)(上映時間1時間56分)
監督・脚本:イルディコー・エニェディ
出演:アレクサンドラ・ボルベーイ、ゲーザ・モルチャーニ、レーカ・テンキ、エルヴィン・ナジ、ゾルターン・シュナイダー、タマーシュ・ヨルダーン、イタラ・ベーケーシュ
*新宿シネマカリテほかにて公開中。全国順次公開予定
ホームページ http://www.senlis.co.jp/kokoroto-karadato/