「ハナレイ・ベイ」
2020年8月24日(月)GYAO!にて鑑賞
~吉田羊の演技が胸をえぐる息子を亡くした母の再生物語
昔は村上春樹の熱心な読者だった。『風の歌を聴け』『羊をめぐる冒険』『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』あたりは発表と同時に購入して読んだものだ。だが、なぜか突然全く読まなくなってしまった。特に理由はなかったような気がする。数年前に『1Q84』を読み始めたのだが、すぐにギブアップしてしまった。
だからというわけでもないが、村上春樹原作の映画にもあまり良い印象はない(そもそも映像化作品自体多くはないが)。イ・チャンドン監督の「バーニング 劇場版」は素晴らしい作品だったが、あとは市川準監督の「トニー滝谷」がそれなりに面白かった程度か。
そんな中、GYAO!で久々に村上春樹原作の映画を発見したので、鑑賞してみた。短編小説集『東京奇譚集』に収録された同名小説の映画化「ハナレイ・ベイ」(2018年 日本)だ。主演は吉田羊。監督は劇映画デビュー作の「トイレのピエタ」が高評価された松永大司。
主な舞台はハワイのカウアイ島にあるハナレイ・ベイ。冒頭、タカシ(佐野玲於)という若者がそこでサーフィンに興じる。ところが、彼はサメに襲われて死んでしまう。彼の母親であるシングルマザーのサチ(吉田羊)は、息子の死を電話で知らされハワイに確認に訪れる。
その後、彼女は息子を火葬すると、一度は帰国しようとするものの思い直してハナレイ・ベイへ向かい、海辺近くの大きな木の下で読書をして過ごす。そして、それから10年間、同じ時期にハワイを訪れて同じ場所にチェアを置いて読書をするのだった。
そんなある日、サチは2人の若い日本人サーファーと出会う。彼らに息子の姿を重ねていくサチ。そんな時、2人から「赤いサーフボードを持った『右脚のない日本人サーファー』がいる」という話を耳にする……。
簡単に言えば、サチの再生物語だ。最初に息子の死を確認した彼女は、感情を表に出すこともなく淡々としている。だが、そこには様々な屈折した思いがある。どうやら、サチとタカシの間には確執があったらしい。また、彼女の心の中には、ドラッグ漬けだった夫が不倫中に亡くなったという過去の傷もあるようだ。そんなサチは、ハナレイ・ベイに通い続けてもけっして海には近づかなかった。
そんなサチが、ハナレイ・ベイに通い続け、日本人の若者と交流するうちに少しずつ変化していく。その様子を抑制的なタッチで描き出す。ハワイの美しく雄大な自然なども随所に挟み込む。また、劇中では何度かサチがピアノを弾くシーンがあり、音楽も本作では効果的に使われている。ハワイの自然の音なども独特の世界を構築するのに貢献している。
本作の最大の見どころは吉田羊の演技に尽きる。ハワイが舞台で堪能な英語を披露しているのはともかく、すべての演技が心に刺さる。前半のひたすら感情を押し殺した演技や日本人の若者と会った時のちょっとはすっぱな態度(「あんた童貞でしょ」などといきなり言ったりする)もいいが、圧巻は後半で「日本人の片足のサーファーがいる」と聞いて、それを探し求めるシーンだ。まるで何かにとりつかれたように、ひたすら海岸を歩いて片足のサーファーを探すシーンが何とも切ない。大木に向かって感情をぶつけるシーンも胸をえぐる。
その後、疲れ果て混乱した彼女が、ずっと受け取ることができなかった息子の手形に手を当て、「会いたい」と絞り出すシーンは涙なしには見られなかった。それはもやは演技という域を超えたような、内面からにじみでる感情表現である。ちなみに、この手形の設定は原作にはないオリジナルのものらしい。
無名時代から注目していた役者が売れると、何となく我が事のように嬉しく誇らしい気分になるものだ。吉田羊もそんな女優の一人。日本映画の脇役としてしばしば登場していた頃から、独特の存在感を放っていて個人的に注目していたのだが、その後の大ブレイクはみなさんご承知の通り。
吉田羊にとって、本作は間違いなく代表作といえるだろう。その演技だけでも十分に観る価値のある作品だと思う。
◆「ハナレイ・ベイ」
(2018年 日本)(上映時間1時間37分)
脚本・監督・編集:松永大司
出演:吉田羊、佐野玲於、村上虹郎、佐藤魁、栗原類
*バップよりDVD発売中。動画サイトにて配信中