映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「鵞鳥湖の夜」

「鵞鳥湖の夜」
2020年9月25日(金)ユナイテッド・シネマとしまえんにて。午後2時5分より鑑賞(スクリーン7/D-7)。

~怪しく幻想的でなまめかしい世界が現出する中国版フィルムノワール

1940年代前半から1950年代後期にかけて、主にハリウッドで製作された犯罪映画をフィルムノワールと呼ぶ。とはいえ、最近では犯罪映画を広くフィルムノワールと呼ぶことも多い。いずれにしても、そこには虚無的・悲観的・退廃的な空気が流れている。

「薄氷の殺人」で第64回ベルリン国際映画祭金熊賞を受賞した中国のディアオ・イーナン監督の5年ぶりの新作「鵞鳥湖の夜」(南方車站的聚会/THE WILD GOOSE LAKE)(2019年 中国・フランス)は、まさにそんなフィルムノワールである。

冒頭、雨が降りしきる街。闇の中に赤いネオンがけばけばしく光る。そこに現れる一人の傷ついた男チョウ(フー・ゴー)。続いて赤い服を着た謎めいた女アイアイ(グイ・ルンメイ)が登場。アイアイはチョウに話しかける。「おにいさん、火を貸して」。

もうこのシーンを観ただけで、魅惑的なその世界に魅了されてしまったのだ。光と闇、鮮烈な色彩、絶妙なカメラワーク。なんだ!?これは。

そこを起点にしてフラッシュバックで、2人がここに来るまでの過去が描かれる。チョウは刑務所を出て古巣のバイク窃盗団に戻ったものの、組織の対立が起きてその混乱の中で誤って警官を射殺してしまう。警察はチョウを捕まえるべく、30万元の報奨金とともに全国に指名手配する。チョウは寂れたリゾート地“鵞鳥湖”の畔に潜伏し、妻シュージュン(レジーナ・ワン)に会おうとする。だが、そこに現れたのは妻ではなく、水辺の娼婦アイアイだったのだ。

ストーリーはありがちだ。これといったヒネリもない。だが、本作に関してはそんなことはどうでもよい。スクリーンに現出する見たこともない世界に浸るのだ。それは、怪しくて、幻想的で、なまめかしい世界だ。全てのシーンが、まるで絵画のような鮮烈な映像の連続である。

舞台となる鵞鳥湖周辺は、中国南部の再開発から取り残された地区という設定。ロケは新型コロナウイルスが発生する前の湖北省武漢で行われた。だが、映し出される世界はこの世のものとは思えない。ヤクザや下層の人々がうごめく集合住宅、地図にも載っていないという荒れ地や廃墟、深夜の動物園。それらが深い闇の中で描かれる。近未来SFを連想させるような雰囲気さえある。

そこを舞台に展開するのは、チョウの緊迫感に満ちた逃走劇だ。ホア隊長(チー・タオ)率いる警察と、敵対するヤクザが彼を追う。その追っ手を巧みにかわして逃げようとするチョウ。そして、そこにアイアイが絡む。チョウは彼女の本心がつかめないし、アイアイもそれを悟らせない。

ノワール映画らしいスタイリッシュでクールなタッチが目を引く。だが、次の瞬間、予想もつかないシーンが飛び出す。例えば、アイアイたちが夜の街中でダンスミュージック(あれは「怪僧ラスプーチン」「ジンギスカン」だよね?)に乗せて集団で踊る場面。何だかダサいシーンだなと思った直後に、今度はいきなり警察による緊迫の捜査シーンへと突入する。

あるいは突如として挿入されるフクロウやフラミンゴの群れなどのイメージ。その一方で、真昼の海辺のシーンではアイアイの水着姿がまぶしい。幻想的な湖上での情交シーンなどもある。

さらに笑うしかないシーンもある。海の家らしきテント小屋に置かれた、花瓶から女の首が飛び出て歌う奇妙奇天烈な見世物。チョウが自分一人で包帯を巻くシーンも、その不思議なポーズに思わず笑ってしまう。まさに変幻自在。次にどんなシーンが飛び出すのか予想がつかない。だから、全く目が離せない。

それでも全編を包む異様な緊迫感が途切れることはない。ドラマのポイントは、チョウが報奨金を妻子に残そうとしていることだ。妻と会おうとしたのはそのためである。ヤクザの中にも、その報奨金を手にしようとする者がいる。欲望と裏切りの人間模様が交錯する。では、アイアイは何を狙っているのか?

終盤、チョウはギリギリの場面に追い込まれる。そこでは激しいアクションが炸裂する。そして、チョウとアイアイのあまりにもスリリングな最後の邂逅。紛いもなくこれは破滅に向かうドラマだから、結末はわかっているのだが、それでも最後まで見入ってしまう。

ラストの後日談も秀逸だ。「してやられた」とでも言うかのようなホア隊長の顔が印象深い。女はやはりたくましいのか!?色々と考えさせられる結末である。

本作には、おそらく中国社会の底辺で生きる人間たちの現実や閉塞感など、今の中国の状況が背景としてあるのだろう。だが、検閲のある中国映画でそれを真正面から取り上げるのは難しい。あくまでもフィルムノワールの背景としてさりげなく織り込まれることで、無事に中国国内で上映されてヒットした。このあたりに、最近の中国の作り手のしたたかさも感じさせる。

それより何より、本作をここまで魅力的に輝かせている大きな要因は、アイアイ役のグイ・ルンメイにある。デビュー作「藍色夏恋」での透明感はそのままに、何を考えているのかつかめない謎めいた女を存在感たっぷりに演じている。冒頭の赤い服も、海辺での真っ白い帽子もどちらも似合う。チョウの妻役のレジーナ・ワンともども見事なファムファタールぶりを発揮している。

さらに、主人公チョウ役のフー・ゴーの陰のある演技も魅力的。岩井俊二監督の「チィファの手紙」にも顔を出していたが、それとは全く違う役で、一時は大ケガをして再起も危ぶまれたという彼自身の過去を想起させるような虚無的な姿が心に残った。

「薄氷の殺人」から一段とパワーアップしたイーナン監督。新たなフィルムノワールの快作が登場した。いや、もしかしたら快作どころか傑作の部類に入るかもしれない。個人的には、それほどの凄みを感じる映画だった。

 

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◆「鵞鳥湖の夜」(南方車站的聚会/THE WILD GOOSE LAKE)
(2019年 中国・フランス)(上映時間1時間51分)
監督:ディアオ・イーナン
出演:フー・ゴー、グイ・ルンメイ、リャオ・ファン、レジーナ・ワン、チー・タオ
新宿武蔵野館、ヒューマントラストシネマ有楽町、ヒューマントラストシネマ渋谷ほかにて全国公開中
ホームページ http://wildgoose-movie.com/