映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「熊は、いない」

「熊は、いない」
2023年9月25日(月)新宿武蔵野館にて。午後2時15分より鑑賞(スクリーン3/B-5)

~イラン社会の息苦しさと監督の受難が伝わるメタファーに満ちた映画

イランは独裁国家というわけではないが、政府当局の締め付けはかなり厳しい。芸術文化に対しても容赦がない。ジャファル・パナヒ監督は、海外の映画祭でも受賞経験を持つ著名な監督だが、「オフサイド・ガールズ」などが反体制的だとして2010年に逮捕されて以来、政府から映画製作を禁じられ、国外に出ることも禁止されている。

となれば、もはや映画とは無縁の生活を送っているのかと思えばさにあらず。2011年の「これは映画ではない」以降は、自身の置かれた状況を逆手にとったドラマを組み立て、極秘裏に映画を製作し、自身で主演している。もちろん国内では上映できないので、国外で発表し、数々の賞も受賞している。

最新作「熊は、いない」も同様の手法で製作された作品。第79回ヴェネチア国際映画祭審査員特別賞を受賞している。

映画の冒頭は男女のもつれが描かれる。あるカップルが、偽造パスポートを使って国外逃亡を目論む。男は女にパスポートが手に入ったから出国しろという。だが、女は2人一緒でなければ嫌だという。男はすぐに後を追うというが、女は納得しない。緊迫の場面だ。

今回パナヒ監督が描くのはサスペンスなのか? それとも男女の恋愛の物語なのか? と思ったら「カット」の声がかかる。そう。これは映画の撮影シーンなのだった。

パナヒ監督の新作映画の撮影はトルコで行われている。政府から出国を禁じられているパナヒ監督は、国境付近の小さな村からリモートでスタッフに指示を送っていた。だが、この村ときたら、ネット環境が極端に悪い。

しょうがないから、パナヒ監督は婚約の儀式に出るという男(宿泊場所を提供してくれた)に、動画撮影を依頼する。自身は家の周りをカメラを持って撮影する。ところが、その写真があとあと問題になる。

その晩、映画のスタッフがやって来て、「監督がいなければ話にならない」とパナヒ監督に、国境を越えてトルコに入るように促す。そのための手配もしているという。スタッフとともに国境沿いまで車を走らせるパナヒ監督だが、どうしても国境を超えることができずに引き返してしまう。

そんな中、村では1人の女性を巡って争いが起きていた。この村には生まれた時に結婚相手が決められるという因習があって、その女性には婚約者がいるのだが、テヘランの大学生だったという別の男(デモで退学になった)と親しくなり、三角関係でもめているのだ。それに絡んで、パナヒが撮影した写真が解決の証拠になると提出を求められる。

一方、トルコの映画の撮影現場では、何やらおかしな雰囲気が漂っていた。どうやら、パスポートを巡って争っていたカップルは、ただの役者ではなく、実際に出国を計画していたカップルらしい。つまり、パナヒ監督が撮っている映画はドキュメンタリー風の映画なのだ。

こんなふうに、国境の村とパナヒ監督、トルコの撮影現場などが重層的に絡み合い、パナヒ監督の置かれた現実と、映画の中の虚構と現実が入り乱れる。それによって観客は自然にドラマの中に吸い寄せられる。はたして、これは虚構なのか? 現実なのか? それを確かめるために、スクリーンを見つめる。

そのスクリーンには様々なメタファーが散りばめられ、イランという国家の様々な暗部が映し出される。古い因習に支配された村からは、イラン社会の抑圧的な姿がダブって見える。トルコの映画の撮影現場のカップルも、その呪縛から逃れられない。がんじがらめにされて身動きが取れないのはパナヒ監督自身だが、それ以外の多くの人たちも息苦しさを感じているに違いない。

いつも通り、パナヒ監督は虚構と現実を巧みに絡ませ、巧みな語り口で物語を進める。過去作と同じように、自身を取り巻く状況をユーモアと皮肉を込めて描く。ただし、今回はユーモアはやや抑えめだ。それだけ状況が深刻なのかもしれない。それを思うと心が重たくなる。

映画の結末も悲劇的だ。イランの古い村とトルコで、2組のカップルが同じように悲しい運命にさらされる。そして、パナヒ監督は村を追われ車でどこかに立ち去る。その行く末にあるのも悲劇なのか。あるいは……。

「熊は、いない」というタイトルが意味深だ。村人は危険な道を通る際に注意を呼び掛けるために、「熊がいるぞ!」と言う。パナヒ監督が村で宣誓を求められ宣誓所に向かう時にも、「熊がいるぞ」と注意を受ける。だが、実際には熊などどこにもいない。いないはずの熊が、村人を脅かして、彼らの行動を支配する。これは、イランの現状を反映させたタイトルだろう。

苦境の中で映画を撮り続けるパナヒ監督の強い意志と、置かれた状況の厳しさが伝わる映画である。

◆「熊は、いない」(KHERS NIST/NO BEARS)
(2022年 イラン)(上映時間1時間47分)
監督・脚本・製作:ジャファル・パナヒ
出演:ジャファル・パナヒ、ナセル・ハシェミ、ヴァヒド・モバッセリ、バクティヤル・パンジェーイ、ミナ・カヴァーニ
新宿武蔵野館ほかにて公開中
ホームページ http://unpfilm.com/nobears/

 


www.youtube.com

にほんブログ村に参加しています。よろしかったらクリックをお願いします。

にほんブログ村 映画ブログへ にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村

はてなブログの映画グループに参加しています。よろしかったらクリックをお願いします。