映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「月」

「月」
2023年10月16日(月)ユーロスペースにて。午後2時50分より鑑賞(ユーロスペース2/B-9)

~実在の障害者施設殺傷事件を映画化。もう見て見ぬふりはできない

実在の事件を描く映画は無数にあるが、これほど物議を呼びそうな映画はないのではないか。2016年の相模原障害者施設殺傷事件を映画化した「月」である。

原作は辺見庸の小説「月」。スターサンズの設立者で名物プロデューサーの故・河村光庸氏が、生前に映画化を熱望。「舟を編む」「茜色に焼かれる」など多数の作品で知られる石井裕也監督に映画化の話を持ちかけた。内容が内容だけに石井監督も悩んだらしいが、辺見庸の熱烈な愛読者であることから引き受けたという。

映画の冒頭、「言葉を使えない一部の障害者は<声>を上げることができない。ゆえに障害者施設では、深刻な<問題>が隠蔽されるケースがある」という文言が表示される。さらに聖書の一説も表示される。これがこの映画の全体像を示している。

続いて、ホラー映画のような場面が映る。主人公の堂島洋子(宮沢りえ)が、懐中電灯を照らしながら線路を歩いている。線路上には無数のゴミが置かれている。何とも不穏な出だしだ。この不穏さは映画全体を支配している。

一転して舞台は平凡な日常に移る。洋子と夫の昌平(オダギリジョー)の朝食風景。だが、なぜか2人は並んで座っている。向かい合うことができない。

その後、家を出た洋子は、三輪車がゴミ捨て場に置かれているのを発見する。それを見て凍り付く洋子。すぐに昌平が彼女の前に立ち、視線を遮る。

実はこの夫婦、最愛の長男を亡くしていたのだ。その長男は障害を持ち、寝たきりで、3歳で死亡した。それが夫婦の大きな心の傷となっていた。

洋子はかつては有名作家だったが、ある時から作品が書けなくなった。それは冒頭の不穏なシーンに関係している。一方、昌平はひたすら楽天的で、何とか洋子を支えようとするが、人形アニメ作家としては芽が出ない。

洋子は、深い森の奥にある重度障害者施設「三日月園」で職員として働き始める。そこには多くの障害者がいた。中には他人と意思疎通が困難に思える障害者もいる。そうした障害者に対して、施設の職員は虐待に近い対応を取ることも珍しくなかった。それを目の当たりにしてショックを受ける洋子。

そんな中、洋子は光の届かない部屋でベッドに横たわったまま動かない、きーちゃんと呼ばれる入所者と出会う。自分と生年月日が一緒であることから、洋子はきーちゃんのことを他人だと思えず親身に接する。

小説では、このきーちゃんの独白として物語を構成していたが、映画ではそれを反転させて洋子を主役としている。それによって、観客にとってより身近なドラマとなっている。障害者についてあまり考えたことのない観客も、否応なくドラマに引き込まれる。

さらに、施設職員の陽子(二階堂ふみ)とさとくん(磯村勇斗)が、洋子夫婦と大きく関わってくる。

小説家志望の陽子は、洋子に嫉妬して、「きれいごとだけを書いている」と批判する。彼女は施設でも「きれいごと」を嫌う。その背景には彼女の家庭環境が影響している。

一方、さとくんは、ろう者の恋人がいて、かつては施設の現状を問題視していた。だが、園長に訴えても聞き入れられず、次第に「ムダなものはいらない」という思想に傾倒していく。

洋子の悩みをさらに大きくしたのが、彼女の妊娠だ。映画の序盤で、彼女の妊娠が明らかになる。しかし、洋子は、「もしかしたらまた障害を持つ子ではないか」と不安を募らせ、夫の昌平にも相談することができない。それどころか中絶まで考える。

不穏な空気で出発したドラマは、その不穏さを引きずったまま進行する。まるでホラー映画のような場面も多いが、ここで描かれるのは現実そのものなのだ。洋子も、昌平も、陽子も、さとくんも架空の人物だが、現実と地続きでもある。

様々なメタファーも散りばめられている。三輪車、洋子の髪の毛、昌平が作った海賊のアニメ、タイトルにある「月」、さとくんの紙芝居。それらもこの映画のテーマを追求するのに大きな役割を果たしている。

圧巻なのは、終盤の洋子とさとくんが対峙する場面だ。殺人計画を隠すことなく明かし、それは社会のため、国のためになると説くさとくん。自分は人殺しをするのではない。意思疎通できない障害者には心がない。だから彼らは人ではないのだ。揺らぐこともなくそう訴える。

それに対して、洋子は断固として、さとくんの論理を否定する。しかし、途中からさとくんは洋子に変わり、2人の洋子のバトルに転化する。1人の洋子はもう1人の洋子に向かって言うのだ。「あなただって中絶を考えたではないか。障害者を殺そうとしたではないか」と。

この対峙を経て、洋子は再び小説を書き始める。今度こそ嘘偽りのない小説を。

だが、さとくんは、ますます犯行計画にのめり込んでいく。そして……。

観ていて心がえぐられるような映画だった。それは単にさとくんによる犯行の様子が凄惨だからではない。そこには重たくて鋭い問いかけがある。

この映画は、「障害者」を巡る様々な問題をテーマに、多くの問いを発している。その問いかけは私たち観客にも向けられる。不都合なことは隠蔽し、都合の良いことだけしか見ない。問題があっても見て見ぬふりをする。自分は傷つかない場所にいて、善悪を単純に判断する。「あなたたちは、そんなことをしてはいませんか?」と。さらに、「“生きる”とはどういうことなのか」という根源的な問いまで発する。だから、心がえぐられるのだ。

ラストも印象的だった。事件を報じるニュースの中、洋子夫婦に焦点を当てたその場面に、わずかな希望を感じたのは私だけだろうか。

宮沢りえオダギリジョー二階堂ふみ磯村勇斗ら俳優陣はみんな素晴らしい演技だった。特に磯村の凍り付くような視線が、サイコパスとも、普通の人ともつかない複雑さを漂わせていた。

ど真ん中の直球で問題を突きつけてくるような映画だ。誰もが当事者にさせられる。無関係ではいられない。そういう映画なのだ。けっして楽しい映画ではない。観終わって重いものが残る。それでも今の時代だからこそ観るべき映画だと思う。

◆「月」
(2023年 日本)(上映時間2時間24分)
監督・脚本:石井裕也
出演:宮沢りえ磯村勇斗、長井恵里、大塚ヒロタ、笠原秀幸板谷由夏モロ師岡鶴見辰吾原日出子高畑淳子二階堂ふみオダギリジョー
新宿バルト9ユーロスペースほかにて公開中
ホームページ https://www.tsuki-cinema.com/

 


www.youtube.com

にほんブログ村に参加しています。よろしかったらクリックを。

にほんブログ村 映画ブログへ にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村

はてなブログの映画グループに参加しています。よろしかったらクリックを。