映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「父は憶えている」

「父は憶えている」
2023年12月4日(月)新宿武蔵野館にて。午後3時5分より鑑賞(スクリーン2/C-4)

~記憶を失い帰ってきた父。喜びと戸惑いの果てに人々が見たものは


キルギスと言われてもピンとこない。正直、どこにあるのかもよくわからない。中央アジアの国で、旧ソ連に属していたことは何となく知っているが……。

そのキルギスアクタン・アリム・クバト監督は、世界的に知られた監督らしい。私は未見だが、「あの娘と自転車に乗って」「明りを灯す人」「馬を放つ」などの代表作がある。

クバト監督が、自ら主演も務めた映画が「父は憶えている」だ。クバト(ミルラン・アブディカリコフ)という青年が、父のザールク(アクタン・アリム・クバト)を連れて村に戻ってくる。ザールクはロシアに出稼ぎに行ったまま行方不明になり、23年ぶりに村に戻ってきたのだ。

しかしザールクは記憶を失っていて、言葉も発しない。家族と村人たちは彼の帰還を喜びつつも戸惑いを隠せない。そして、そこに妻ウムスナイ(タアライカン・アバゾバ)の姿はなかった。彼女は夫が亡くなったと思い、すでに金貸しの男と再婚していたのだ。クバトは、父の記憶を呼び覚ますべく努力するのだが……。

この映画でクバト監督が演じる主人公のザールクは、記憶を失っている。言葉も発しない。そのため、ドラマは彼を迎え入れたかつての同級生たちや、家族の喜びと戸惑いを中心に展開する。

特に息子のクバトの心は乱れる。もちろん父の帰還はうれしいが、すっかり変わり果てた姿になって戻ってきた父に胸中は複雑だ。クバトの妻はなおのこと戸惑う。

そして何よりも心が激しく動揺しているのは、ザールクの妻のウムスナイだ。彼女は夫が死んだと思い、金貸しの男と再婚していた。そこに死んだと思った夫が戻ってきたのだ。平静でいられるはずがないではないか。どうやら今の結婚に愛はないらしい。

この映画の冒頭では、自然豊かな村の全景が映し出される。しかし、この村では大きな変化も起こっている。まずは近代化の副産物だろうか、ゴミの散乱がおびただしい。ザールクはそれを黙々と拾う。息子のクバトにはそれが理解できない。

イスラム教の厳格化もある。Wikipediaによれば、キルギスの宗教は「イスラム教が75%、キリスト教正教会が20%、その他が5%」とある。もともとイスラム教が強いのだが、その信仰具合には温度差がある。

主人公のザールクの家は、どちらかというとそれほど厳格ではないようだ。一方、元の妻の嫁ぎ先は厳格なイスラム教徒らしい。その家の息子が金貸しをしているというのは皮肉と言えば皮肉。そんな村で厳格なイスラム教が台頭し、クバトにも教会に来て祈るように諭す。

そんなふうに、近代化の中で変化する村の様子を映し出し、冒頭の美しい自然に包まれた村との対比を見せる。

社会状況もそこに含まれる。同じくWikipediaによれば、「2010年キルギス騒乱後は、中央アジアでは珍しい民主的な政権運営が評価されてきたが、2020年キルギス反政府運動を機に政権を得たサディル・ジャパロフ大統領は貧困層への支援などで高い支持率を得ながら自らへの権力集中も進めていると指摘されている」とある。

そうした中で政治がらみの激しい対立が、ラジオのニュースらしきものを通して流れる。また、コロナによる被害状況の報道も流される。

とはいえ、それを強烈なメッセージとして流すわけではない。あくまでも淡々と、この村を囲む状況と村の人々の様子をスケッチしていくだけだ。

全体のタッチがちょっと風変わりで、間の取り方が独特だ。そのため、そこはかとないユーモアが感じられるのもこの映画の特徴だ。

途中までは、とりたてて大きなことも起こらないドラマだが、終盤には初めて大きな惨事が描かれる。それを通して、ザールクとクバト一家が崩壊するようなことが起こるのではないかとハラハラしたが、そうではなかった。

むしろ、息子のクバトはひたすらゴミを拾うザールクの行動に理解を示すようになる。彼が、踏切の前で止まった車の中で自らの胸の内を父に語りかけるシーンは感動的で、胸が熱くなる。

そして、最大の見せ場は最後に訪れる。あれこれ思い悩み、イスラム教会の導師からは「夫からしか離婚は言い出せない」と言われてしまったザールクの元妻のウムスナイ。どうやらその背景には、教会がウムスナイの夫の金貸しに多額の寄附をしてもらったことがあるらしい。だが、教会の職員(?)らしき男性は、彼女に親切に教える。「妻からも離婚が言い出せるのだ」と。

その後のウムスナイの行動と、それに対する夫の金貸しの態度には、女性の立場の弱さが表れているが、その先には感動的なラストシーンが待っている。

宴席の場にふらりと現れたウムスナイ(彼女の洋服が変わっているのがミソ)。そしておもむろに歌い出す。その郷愁を誘う歌が私たち観客の心に染みてくる。その歌声は木の下にいたザールクのもとにも届く。

変わり続ける世の中で、変わらないものに対するクバト監督の思いを感じる映画だった。

ザールクを演じるクバト監督は、セリフもなく圧倒的な存在感のみで演じ切っていた。そして特筆すべきは元妻を演じたタアライカン・アバゾバ。あれこれと苦悩する妻を巧みな演技力で表現していた。ラストの歌声だけでも聴く価値がある。

◆「父は憶えている」(ESIMDE)
(2022年 キルギス・日本・オランダ・フランス)(上映時間1時間45分)
監督:アクタン・アリム・クバト
出演:アクタン・アリム・クバト、ミルラン・アブディカリコフ、タアライカン・アバゾバ
新宿武蔵野館ほかにて公開中
ホームページ https://www.bitters.co.jp/oboeteiru/


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