映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「コット、はじまりの夏」

「コット、はじまりの夏」
2024年2月7日(水)新宿シネマカリテにて。午後1時45分より鑑賞(スクリーン1/A-10)

~生きる喜びを初めて知る少女。アイルランドから届いた珠玉の一作

仕事は終わらないし、日程を間違えていた仕事も新たに入ってきた。困った。忙しくて映画館に行く暇がない。いや、待て。どうにかなる。きっと、どうにかなる。数時間サボったところでどうということはない。この際、映画館へ行ってしまえ! 

とヤケクソ気味でやってきたのは新宿シネマカリテ。鑑賞するのは、第95回アカデミー賞で国際長編映画賞にノミネートされたアイルランド映画「コット、夏のはじまり」。さて、どんな映画なのでしょう?

1980年代初頭のアイルランドの田舎町が舞台。大家族の中で過ごす内気な9歳の少女コット(キャサリン・クリンチ)は、夏休みに赤ちゃんが生まれるまでの間、遠い親戚のキンセラ夫婦に預けられる。初めのうちは慣れない生活に戸惑うコットだったが、妻のアイリン(キャリー・クロウリー)と井戸の水をくみに行ったり、夫のショーン(アンドリュー・ベネット)の牛の世話を手伝ったりするうちに、次第に生きる喜びを実感するようになる……。

映画の冒頭は草が生い茂る平原が映る。その片隅に身を潜ませている少女コット。遠くから彼女を呼ぶ声がする。仕方なくのろのろと出て行くコット。

このシーンを見ただけで、彼女は家に居場所がないことがわかる。コットの家は両親とたくさんの子供たちがいる大家族。おまけに父親はバクチばかりして、牧場の仕事もまともにしていないらしい。母親はコットに愛情がないわけではないが、彼女の世話まで手が回らない。コットはいつも同じ汚れた服を着て、身だしなみも整っていなかった。学校でも勉強ができず、姉の同級生からからかわれ、彼女の居場所はここにもなかった。

そんなコットが夏休み中、母親が出産するまでの間、親戚のキンセラ夫婦に預けられる。そこで少しずつ彼女の内面が変化していく。

繊細な心理描写が印象的な映画だ。父親の車で遠方のキンセラ夫婦のもとに行く道すがら、コットは不安そうな表情を浮かべる。そこにはどんな恐ろしい運命が待っているのか。暗い彼女の過去から考えて、そう予想するのも当然だろう。彼女の不安が手に取るように伝わってくる。

だが、到着した彼女を迎えたキンセラ夫婦は、予想とは違いとても温かな人たちだった。特に妻のアイリンはまるで我が子のように(実はここにある事情が存在する)、甲斐甲斐しくコットの面倒を見る。

一方、夫のショーンは寡黙で、表面的にはコットに無関心を装うが(ここにもある事情が存在する)、それでも少しずつ彼女に愛情を注いでいく。

特に大きな出来事は起きないものの、キンセラ夫妻とコットの何気ない日常を繊細かつ丁寧に描いた演出が秀逸だ。それを通してコットの内面が変化していく様子が、瑞々しく鮮やかに映し出される。最初はほぼ無表情だった彼女の表情が明るくなり、口数も多くなっていく。夫妻の愛を受けて、ようやく彼女は子供らしさを取り戻すのだ。

面白い場面がある。ショーンはコットに郵便箱まで郵便を取りに行くように命じる。タイムを計るから走って取りに行けというのだ。最初は怪訝そうに走るコット。だが、しばらく経った後の疾走は、まるで解放された彼女の内面を映し出すように明るく躍動感にあふれている。生きる喜びを全身で表現している。この演出も素晴らしい!

終盤、ある事情が明らかになった後に、ショーンがコットを連れだす場面もいい。外で並んで座っているだけなのだが、ショーンの優しさとコットへのそこはかとない愛が伝わってくる。

映像の美しさも出色だ。スタンダードサイズの中で、木々の緑や陽光を効果的に使った詩情あふれる映像が綴られる。バケツを持って井戸の水をくみに来たアイリンとコットが逆さまに映る水面。コットが座るテーブルにショーンが黙って置くビスケット。そうした映像もコットの変化をより生き生きと見せる。

さて、夏休みの間だけ預けられたコット。いわば期間限定のキンセラ夫妻の愛情。ということは夏休みが終われば大家族の元に戻らねばならない。そのラストシーンが堪らない。詳細は伏せるが、この場面は感涙必至。私も思わずウルウル来てしまった。余韻の残るラストシーンだ。コット行く末が幸せでありますように。スクリーンに向かってそう祈った。

それにしてもコット役のキャサリン・クリンチが見事。セリフの少ない役だけに、表情やしぐさで表現する部分が多いわけだが、それでも圧倒的な存在感を発揮していた。オーディションで選ばれた新人だというのが信じられない。

監督はこれが長編劇映画デビューとなるコルム・バレード。これまではドキュメンタリーなどを撮っていたらしいが、こちらも素晴らしい演出力だった。

温かくて、心が洗われるような作品だ。殺伐とした現在、誰もがキンセラ夫妻のようだったらと思わずにいられない。アイルランドから届いたこれぞ珠玉の一作!

◆「コット、はじまりの夏」(AN CAILIN CIUIN)
(2022年 アイルランド)(上映時間1時間35分)
監督・脚本:コルム・バレード
出演:キャサリン・クリンチ、キャリー・クロウリー、アンドリュー・ベネット、マイケル・パトリック
新宿武蔵野館ほかにて公開中
ホームページ https://www.flag-pictures.co.jp/caitmovie/

 


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