映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「一月の声に歓びを刻め」

「一月の声に歓びを刻め」
2024年2月11日(日)テアトル新宿にて。午後1時40分より鑑賞(B-10)

~“罪”をめぐる3つの物語。三島監督の覚悟と俳優たちの壮絶な演技

繕い裁つ人」「幼な子われらに生まれ」「ビブリア古書堂の事件手帖」「Red」など様々な作品を撮ってきた三島有紀子監督。今度の新作「一月の声に歓びを刻め」は、過去作とは明らかに異質な作品だ。三島監督自身の幼い頃の性暴力の体験をもとにした映画だという。

物語は四章立てで描かれる。一章は北海道・洞爺湖が舞台。そこに1人で住むマキ(カルーセル麻紀)が一生懸命におせちを作っている。間もなく、娘の美砂子(片岡礼子)一家3人が正月を過ごすためにやって来る。彼らは食卓を囲むが……。

一章に登場する4人は表面的には幸せそうだ。だが、一皮むけば危うい関係にある。美沙はマキを「お父さん」と呼ぶ。実はマキは性適合手術を受けて女性になっていたのだ。それなのに今でも「お父さんと」呼ぶのは、マキに対して屈折した思いを持っているからに違いない。

美佐子の夫は外で電話をしている。どうやら彼は不倫をしているらしい。近くにマキがいるのに気づいた夫は、さも仕事の電話のように口調を変える。

そして、彼らが抱えた最大の問題は、47年前に死んだ次女れいこのことだった。彼女は性暴力の被害にあって死んだ。その事実が今もマキを苦しめる。美佐子との仲がギクシャクしているのも、それが関係しているようだ。

一章の終盤は美佐子一家が帰り、一人になったマキが心情をぶちまけるシーン。悔恨の念に身もだえし、どこにも持って行き場のない思いに苦悩するマキ。それを演じるカルーセル麻紀の壮絶な一人芝居が胸を打つ。一世一代の渾身の演技かもしれない。

続いて二章は八丈島が舞台。牛を飼う誠(哀川翔)のもとに、娘の海(松本妃代)が5年ぶりに帰省する。誠は交通事故で妻を亡くし、男手ひとつで海を育てた。本人は否定するが、海はどうやら妊娠しているらしい。相手は誰なのか。そこに、ある男から離婚届が送られてくる。

誠は心の傷を負っていた。過去に妻が交通事故にあった際に植物状態で病院に入っていたところ、延命治療を中止して妻を旅立たせたのだ。それは幼い海が進言していたことだった。誠は今もその判断が正しかったのか自問自答し、過去の傷に苦しんでいた。それは海も同じだった。

二章でも、役者の演技が際立つ。特に哀川翔の演技が素晴らしい。全編で効果的に使われる八丈太鼓の音色も、何やら心のざわつきをかき立てる。「人間はみな罪びとだ」という言葉が重く響く。

三章は大阪・堂島が舞台。モノクロで描かれる。れいこ(前田敦子)が元恋人の葬儀に参列するために帰ってくる。彼女は6歳の時に性暴力の被害に遭って以来、誰にも触れることができなかった。好きな人とも一線を越えられず破局していた。そんな中、偶然レンタル彼氏をしているトトと名乗る男(坂東龍汰)から声をかけられ、自分を変えるべく、その男と一晩を過ごす決意をする。

この章ではイタリア映画の話や、れいことトトが踊るスローモーションのポップな映像なども飛び出すが、最大のヤマ場は、れいこがトトと一夜を過ごした後、かつて自分が被害に遭った場所を訪れる場面だ。何度も逡巡しながらその道すがら、彼女はそのとき何があったのかをぶちまける。そして、半狂乱になって現場の花をむしり取る。それはずっと彼女を苦しめてきた事件の象徴の花だ。

ここでの前田敦子の演技が凄まじい。まさに鬼気迫る演技だ。観ていて、本当に彼女は性暴力の被害に遭ったのではないかと錯覚してしまうほどの迫真の演技だった。昔から彼女の演技を観ているが、ここまで演じる人物と一体化した演技はそうはないだろう。

すべての章において、細部までこだわって作られているのがわかる。特に映像のこだわりは半端ない。一章は雪に覆われた洞爺湖で白が目立つ。マキの冷たい家族関係を象徴しているようだ。二章は八丈島で緑が印象的。シビアな話だが、どこかおおらかさも感じさせる。三章はモノクロで、それがれいこの心の傷をよりクッキリと浮かび上がらせる。

3人の心の傷となった過去の出来事を、回想として描かない点も特徴的だ。それをセリフなどで表現するのだが、説明的で過剰なセリフは一切ない。魂の叫びともいえるセリフを聞くうちに、彼らの心の痛みが伝わってきて身動きできなかった。

ここに描かれた3つの物語に直接的な関係性はないが、れいこという名が重なっていたり、水辺と島が舞台になっていたり、船が重要な要素を占めていたりと共通する部分も多い。3つの物語は自然に共鳴し合う。

何よりも2人のれいこは性暴力の被害に遭い、誠と海は死の影によって微妙な距離にある。そして主人公3人はすべて、過去の出来事によって心に傷を負い、喪失感や悔恨の情、自責の念、怒りなどの感情によって、今も苦しめられているのである。

そこに救いはないのだろうか。いや、そうではない。最終章で、れいこは街の中を歩きながら奇妙礼太郎の「きになる」を口ずさむ。その歌声は次第に大きく力強くなる。そこに、わずかな明日への希望を感じたのは私だけだろうか。

すでに述べたがカルーセル麻紀哀川翔前田敦子の演技が出色だ。彼らの心の痛みが胸に響いてきた。三島監督の思いが俳優陣に乗り移ったと言っても過言ではない。坂東龍汰片岡礼子宇野祥平原田龍二とよた真帆らの脇役陣の演技も見逃せない。

三章でれいこが、「被害者の私がどうして罪の意識を抱えなければいけないのか?」といった主旨のセリフを吐く。それこそが三島監督が47年間苦しんできたことだったのだろう。今もその呪縛に苦しんでいる性被害者は多いに違いない。

この映画は私的な物語が出発点になっているものの、社会的な広がりを持つ物語である。三島監督にとって避けて通れない、いつか作らねばならない映画だったのだと思う。その覚悟と思いの強さに終始圧倒された。

◆「一月の声に歓びを刻め」
(2024年 日本)(上映時間1時間58分)
監督・脚本:三島有紀子
出演:前田敦子カルーセル麻紀哀川翔坂東龍汰片岡礼子宇野祥平原田龍二、松本妃代、長田詩音、とよた真帆
テアトル新宿ほかにて公開中
ホームページ https://ichikoe.com/

 


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