映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「チャンシルさんには福が多いね」

「チャンシルさんには福が多いね」
2021年1月9日(土)ヒューマントラストシネマ渋谷にて。午前11時50分から鑑賞(シアター2/F-9)。

~40歳、人生に迷う女性をほんわかムードで

緊急事態宣言が出された東京。映画館も午後8時前後で閉館になるようだ。何かと刺々しい日々の中、こういう時には、ほんわか系の映画を観るに限るのである。

というわけで鑑賞したのが「チャンシルさんには福が多いね」というユニークなタイトルの映画。

映画の冒頭、いきなり葬送行進曲が流れる。映るのは飲み会の風景。映画のスタッフが楽しげに酒を飲んでいる。だが、突然、監督が胸を押さえて苦しがる。最初は「またまた冗談を……」などと笑っていたスタッフだが、異変に気づいて慌てる。監督は心臓発作でそのまま死んでしまう。

こうして本作の主人公の映画プロデューサー・チャンシル(カン・マルグム)は職を失ってしまう。人生の全てを映画に捧げてきた彼女だが、気づけば結婚も出産もしておらず独りきり。ひとまず坂の上にある借家に間借りし、仲良しの女優ソフィ(ユン・スンア)の家で家政婦として働き始める。

こんなふうに40歳にして人生に迷うチャンシルのあれやこれやを、ユーモアとペーソスたっぷりに描いたのが本作である。

チャンシルはもちろん映画が好きだ。映画に強い未練がある。しかし、急死した監督は唯一無二の個性派監督。それゆえ代わりの仕事など、そうそう舞い込むものではない。女社長からは「プロデューサーなんて雑用係」と言われ大喧嘩をしてしまう。

ところが、そんなチャンシルに恋のチャンスが訪れる。ソフィにフランス語を教える年下の青年ヨン(ペ・ユラム)。短編映画の監督でもある彼は、チャンシルにひたすら優しくする。チャンシルもヨンのことが気になり、彼と幸せになれるかもと妄想する。

だが、初めて飲みに行った席で、チャンシルは小津安二郎の「東京物語」を絶賛する。それに対して、ヨンは「平板で物足りない」と言う。彼が好きなのはクリストファー・ノーランの映画なのだという。映画の趣味の違いが露呈し、チャンシルは落胆する。

一方、ヨンは映画がすべてではないと言う。映画の趣味の違いぐらいで、2人の関係にひびが入ることはないと言うのだ。その言葉に勇気づけられ、チャンシルはますますヨンに対して積極的になっていく。

ちなみに本作にはこうした映画ネタがたくさん登場する。「ベルリン・天使の詩」「ジプシーのとき」などの通好みの映画も出てくる。

そして、もう一つの大きな特徴が、チャンシルを取り巻くユニークな人物たちだ。チャンシルの前には様々な人物が現れる。ソフィは常に忙しくしているが、忘れっぽく、感情の浮き沈みも激しい。そんな彼女は「考えすぎてはいけない」とチャンシルにアドバイスする。

大家(ユン・ヨジョン)は、何かとチャンシルを気にかける。自分の娘を若くして亡くしたことも影響しているのかもしれない。そんな彼女は「今日やりたいことだけ一生懸命やる」ことを説く。

そして何よりもユニークなのが、「自分はレスリー・チャンだ」と名乗る男(キム・ヨンミン)である。この男、格好や雰囲気は似せているが、そもそも顔がレスリー・チャンとは全く違う。しかも、彼は幽霊なのだ。だが、なぜかチャンシルにはその姿が見える。そこで親身になってチャンシルの相談に乗る。

本作が長編デビューとなるキム・チョヒ監督は、長い間ホン・サンス監督のプロデューサーを務めていたという。そういわれれば、とぼけた味わいのオフビートな笑いはサンス監督ゆずりかもしれない。

その一方で、大家が書いた詩にチャンシルが涙を流すシーンや、真理を突いた幽霊のセリフなどもあり、緩急自在の脚本・演出が光る。

チャンシルの恋の行方については書かないが、様々な心の軌跡を経て、チャンシルはある決意をする。

ラストは夜の道でチャンシルの決意をさりげなく告げる。そこで終わりかと思ったら、最後にレスリー・チャンの幽霊を出すユーモアが心憎い。さらにエンドロールで流れる曲も実に味わいがある。一度聞いたら忘れないユニークな曲だ。

主演のカン・マルグムは会社員を経て30歳で女優を目指したという遅咲きの女優。もともとは舞台を中心に活動していたようだが、ナチュラルで自然な演技が素晴らしい。

恐らく本作のチャンシルには、キム監督自身の経験が投影されているものと思われる。不器用だが、真っ直ぐで、一生懸命な彼女が苦闘の末に、大切なものを見つける。その姿に素直に拍手を送りたくなる。

何よりも、作品全体を包むほんわかムードが魅力的な映画だ。アラフォー女子なら共感しきりだろうが、そうでない人にとっても実に心地よい映画である。

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◆「チャンシルさんには福が多いね」(LUCKY CHAN-SIL)
(2019年 韓国)(上映時間1時間36分)
監督・脚本:キム・チョヒ
出演:カン・マルグム、ユン・ヨジョン、キム・ヨンミン、ユン・スンア、ペ・ユラム
*ヒューマントラストシネマ有楽町ほかにて公開中
ホームページ https://www.reallylikefilms.com/chansil