映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「ユンヒへ」

「ユンヒへ」
2022年1月9日(日)シネマート新宿にて。午後1時10分より鑑賞(スクリーン1/E-14)

~静謐な空気感の中から滲み出す、かなわなかった恋への思い

1995年の「Love Letter」は、中山美穂豊川悦司が主演した岩井俊二監督の劇場用長編映画第1作。タイトル通りに恋文から始まる、雪の小樽と神戸を舞台にしたラブストーリーだ。その「Love Letter」に影響を受けて作られた映画が、韓国映画「ユンヒへ」である。監督・脚本を手がけたイム・デヒョンの長編2作目にあたる。

シングルマザーのユンヒ(キン・ヒエ)は高校生の娘セボム(キン・ソヘ)と2人暮らし。ある日、セボムはユンヒ宛に届いた手紙を盗み見てしまう。それは日本の小樽にいるジュン(中村優子)という女性からの手紙で、彼女は20年以上も音信不通となっていたユンヒの初恋相手だった。セボムは母をジュンに会わせようと思い立ち、彼女が暮らす小樽への旅行を計画する……。

何と繊細で、静かで、穏やかな映画なのだろう。劇的な場面はほとんどない。登場人物が激情にかられることもない。彼らの胸に去来する様々な思いは、雪の小樽の静謐な空気感の中から滲み出してくるように描かれる。

物語の主人公は、言うまでもなくユンヒとジュンだ。2人は韓国で知り合った。ジュンは日本人の父と韓国人の母の間に生まれ、かつて韓国で暮らしていたのだ。しかし、その後両親が離婚し、彼女は父とともに日本に帰っていった。

その間、ユンヒは兄だけが大学へ行き、自分は進学を許されなかった。ジュンとの恋も家族によって引き裂かれた。それ以来、彼女は幸せを諦めて生きてきたように見える。兄の紹介で結婚した夫とも離婚し、今はセボムだけを生きがいに暮らしていた。

一方のジュンもまた、過去を封印して生きているようだった。獣医として動物病院を営みながら、喫茶店を経営する叔母(木野花)と2人で静かに暮らしていた。

この映画には、印象的なシーンがいくつもある。例えば、前半でジュンと叔母が静かに抱き合うシーン。セリフを極端にそぎ落とし、その行動だけで2人の心情を映し出す。実に繊細で温かなシーンだ。

ジュンは、今でも夢に見るというユンヒに宛てて手紙を書く。だが、その手紙を実際に出すことはなかった。ユンヒのもとに手紙を送ったのは、実は叔母なのである。叔母は手紙を出す勇気のないジュンに代わって、ユンヒに手紙を送る。

その手紙を盗み見たのがユンヒの娘セボムだ。彼女はその手紙に自分の知らない母の姿を見つけて、母を小樽に連れて行こうとする。そこには、日々疲れたように過ごす母を元気づけたいという気持ちもあったのかもしれない。

こうして途中から舞台は雪の小樽に移る。そこで登場する(冒頭も同じシーンから始まるが)小樽の海の車窓風景が実に美しい。本作には小樽の街の様々なスポットが登場し、ドラマの情趣を盛り立てている。

だが、小樽に着いてもユンヒはジュンに会う踏ん切りがつかない。一度だけ、彼女の家の前まで行くのだが、すぐに物陰に隠れて彼女を見送る。その表情には抑えようのない感情が湧き出ている。

ユンヒとセボムは宿に宿泊し、小樽を散策する。そこでセボムは時々単独行動をする。実は、彼女はこの旅行にボーイフレンドを呼び寄せていたのだ。そして、彼にジュンの周辺を探らせていたのである。

そんな若い2人の関係を中心に、この映画にはそこはかとない笑いも込められている。自由奔放に過ごす2人の恋愛模様は、はからずもユンヒとジュンの叶わなかった恋を浮き彫りにするかのようだ。

写真好きのセボムがユンヒから譲り受けたカメラや、ライター、夜空に浮かぶ満月なども効果的に使われる。

後半では、ジュンが知り合いの女性(瀧内公美)と食事をする場面がある。どうやら、その女性はジュンに好意を持っているようだった。だが、そこでジュンは言う。秘密は隠したままの方がいいと。

やがて転機が訪れる。セボムが機転を利かせて、2人をついに会わせるのだ。20年ぶりの再会。劇的にすればいくらでもできる場面だ。しかし、イン・デヒョン監督は小樽運河の美しい風景をバックに2人を静かに対峙させる。セリフはほとんどない。その後も2人で並んで歩くシーンを短時間映すだけだ。

これが絶品なのだ。思いがあふれるシーンをあえてセリフを絞ることで、見る者の情感を呼び起こす。それによって2人の心のひだがくっきりと見えてくる。何という名シーンだろう。雪の中で2人のピュアな思いが、さらに輝きを増す。

ここで描かれるのは女性同士の愛だが、それを超越して多くの人の胸に響くシーンだと思う。懐かしさ、過去に対する悔恨の思い、それでももう元には戻れない……。男女を問わず恋愛経験のある人なら、ついもらい泣きしてしまいそうだ。

それでも、この映画はそれでは終わらない。韓国に帰ったユンヒは新しい一歩を踏み出す。過去と向き合ったことで彼女は前を向くのだ。

ユンヒ役のキム・ヒエ、ジュン役の中村優子がいずれも素晴らしい演技だった。その佇まいから多くのことが伝わってきた。セボム役のキム・ソへ、叔母役の木野花も見事な演技だった。

ノスタルジックでちょっぴりほろ苦く、そして温かな気持ちになれる作品だ。同性愛やフェミニズムの文脈を越えて、多くの人の胸に響くのではないだろうか。

 

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◆「ユンヒへ」(MOONLIT WINTER)
(2019年 韓国)(上映時間1時間45分)
監督・脚本:イム・デヒョン
出演:キム・ヒエ、中村優子、キム・ソへ、ソン・ユビン、木野花瀧内公美、薬丸翔、ユ・ジェミョン
*シネマート新宿ほかにて公開中
ホームページ https://transformer.co.jp/m/dearyunhee/

 


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