映画貧乏日記

映画貧乏からの脱出は可能なのだろうか。おそらく無理であろう。ならばその日々を日記として綴るのみである。

「正欲」

「正欲」
2023年11月17日(金)ユナイテッド・シネマとしまえんにて。午後2時25分より鑑賞(スクリーン1/D-8)

~「普通」でない人たちの生きづらさを描き「普通」とは何かを問いかける

映画のタイトルを聞いてぶっ飛んだ。セイヨク? おいおい、そんなストレートなタイトルにしていいのかよ? いくら何でもマズイんじゃないの?

その後、よく見たら「性欲」じゃなくて、「正欲」なのね。でも、まあ、性欲とも絡んでくる話です。

原作は朝井リョウ柴田錬三郎賞を受賞した小説。それを「二重生活」「あゝ、荒野」「前科者」の岸善幸監督が映画化した。脚本は今回は岸監督ではなく、「あゝ、荒野」で岸監督と組んだ港岳彦。

群像劇である。冒頭に登場するのは佐々木佳道(磯村勇斗)。給水器からコップに注がれた水があふれるのをじっと見つめている。実は、この場面には大きな意味がある。その直後に、電話がかかってくる。彼の両親が交通事故死したというのだ。

こんな調子で、登場人物の名前が映し出されて彼らのドラマが描かれる。広島の実家で暮らす桐生夏月(新垣結衣)は、ショッピングモールで契約社員として働いていた。彼女にはある性癖があった。まもなく夏月は、冒頭に登場した佐々木佳道が地元に帰ってきたことを知る。2人は中学の同級生だった。そして、佳道も夏月と似た性癖を持っていた。

大学生の神戸八重子(東野絢香)は、学園祭実行委員としてダイバーシティフェスを企画する。彼女は極度の男性恐怖症だった。そんな中、学園祭に出演依頼したダンスサークルのメンバーで、準ミスターにも選ばれた諸橋大也(佐藤寛太)のことが気になり出す。大也は孤独な男で、ある性癖を持っていた。

そして、もう1人、彼らを異常とみなし、普通であることを旨とする検事の寺井啓喜(稲垣吾郎)のドラマも描かれる。彼は不登校になった息子の教育方針をめぐって、妻と衝突していた。

というわけで、変わった性癖を持っていたり過去のトラウマで苦しむ4人と、それと対極にある1人のドラマが描かれる。

原作は読んでいないが、おそらく映画化するには相当な苦労があったと推察する。難しいテーマを扱っているし、群像劇ということもあってドラマ的な盛り上がりにも欠ける。下手をすれば観念的なドラマになりがちだし、逆にエンタメに走り過ぎれば陳腐な映画になってしまう。

その点、岸監督は実にバランスの良い映画に仕上げている。エンタメでありながら、テーマ性もきちんと追求している。

そのテーマとは何か。「普通」とはいったい何なのかということである。夏月、佳道、八重子、大也の4人は、世間から見たら「普通」でない人たちだ。それゆえ、世間からはなかなか理解されず孤独で、生きづらさを抱えている。

映画はその生きづらさをリアルに描き出す。特に夏月たちの性癖に関して、水のイメージ映像や音などを使い巧みに表現。にわかには共感できなくても、何となく彼らの苦しみや悩みが伝わってくるはずだ。人に理解されないということが、いかにつらいことなのか。まるで地球に降りてきた異星人のように、世間になじめず、疎外感を味わっていることがわかる。

彼らは押しなべて無表情で無口だ。胸の内には世間への怒りや恐れがあるが、それを悟られないように装う。だが、その隙間から感情が漏れ出てくる。時には、それが爆発することもある。

それらを表現する役者たちの演技が見事だ。しぐさや表情のわずかな変化で、自らの胸の内を表現する繊細な演技だ。特に新垣結衣は、過去に演じたことはなかったであろう難役に挑んで成功している。彼女にとって、ターニングポイントになる作品かもしれない。

東野絢香も素晴らしい演技だ。彼女が佐藤寛太に自らの気持ちをぶつけるシーンはあまりにもスリリングで、目が釘付けになってしまった。磯村勇斗佐藤寛太も言わずもがなの迫真の演技だった。

そして、彼らとは対照的に、いわゆる「普通」の人間を演じた稲垣吾郎のたたずまいも印象深い。彼は観客である私たちと近い立場にある。彼が体現した「普通」でない人に対する無理解と傲慢さは、間違いなく私たち自身の姿である。しかし、ドラマが進むにつれて、そんな彼の「普通」の概念が揺らぎ始める。

後半は、それまで孤独だった夏月と佳道が、わずかな糸を手繰り寄せるように結びつく姿を描く。それまで何度か描かれた中学時代の光景のように、2人は離れがたい存在だったのだ。彼らは世間に溶け込み、世間の枠の中で自由に生きる術を獲得する。

そこで、2人が、「普通」の人が行うある行動の真似事をするシーンが面白い。夏月が一度やってみたかったというのだが、ユーモラスであると同時に、彼らが強く結びついていることを再確認したシーンである。

その後、ドラマは波乱の展開を迎える。このドラマで最大の大きな出来事と言える。

ただし、そこでの展開はちょっと疑問。サスペンスとしてああいう展開になるのはわかるが、明確な証拠もないのに被疑者とするのは不自然にも思えた。

ついでに言わせてもらえば、全体に突っ込み不足のエピソードがあるのも事実。しかし、これは群像劇ということもあって、仕方のないところかもしれない。

最後に用意されたのは、夏月と寺井の緊迫の対話。その果てに、それでも彼女の心に変化がないことを示す。こうして、かすかな希望の灯をともしてドラマは終わる。考えようによっては、ぶつ切りのような終わり方だが、それがかえって深い余韻を残す。

多様性が叫ばれる昨今。それでも世間は「普通」でない人を理解できず、無意識のうちに排除しようとする風潮があるように思う。そんな中、はたして「普通」とは何なのかを問うたのが本作だ。

誰しも他人とは違うところがあるわけで、それを考えればみんな「普通」ではないともいえる。それでは「普通」の境界線はどこにあるのか。「普通」という言葉は何を意味するのか。この映画を通して考えさせられた。文句なしの秀作である。

◆「正欲」
(2023年 日本)(上映時間2時間 14分)
監督・編集:稲垣吾郎新垣結衣磯村勇斗佐藤寛太、東野絢香山田真歩宇野祥平渡辺大知、徳永えり、岩瀬亮、坂東希山本浩司、鈴木康介、森田想、佐々木茜、遠藤たつお、伊東由美子、滝口芽里衣、齋藤潤、潤浩、白鳥玉季、市川陽夏
*TOHOシネマズ 日比谷ほかにて全国公開中
ホームページ https://bitters.co.jp/seiyoku/

 


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